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なお、このエピローグ以後のことは、 ホームページ の方に書いていますので、そちらでご覧ください。
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日本での 大阪万博
開催の前年・ 昭和44年(1969年)1月
、 アメリカ大統領
に共和党の リチャード・ニクソン
が就任しました。
ニクソン大統領
そのころ、アメリカでは ベトナム戦争
介入が泥沼化しており、 ニクソン
はこの解決を公約して 大統領 に当選しました。しかしアメリカ軍の名誉ある撤退は、すぐにはできない状態でした。
大阪万博
開催の翌年・ 昭和46年(1971年)夏
、 ニクソン大統領
は、それまでの 世界秩序を大きく変革する二つの方策
を発表しました。
二つの方策
とは、 7月15日発表
の 中華人民共和国への訪問予告
と、 8月15日発表
の ドルと金との交換停止
です。
この 二つの方策の発表
は、アメリカの議会にも諮らず、大統領 が独断で電撃的に行ないました。どちらも世界に大きな衝撃を与え、 ニクソン・ショック
と呼びました。とくに ドルと金との交換停止
の方のショックが大きく、これを ドルショック
とも言います。
ドルショック
とは、それまで 金1オンス=35ドル
と決めて行なっていた、 ドル紙幣と金との兌換
(だかん) を停止したことです。これによって、第二次世界大戦後の世界の通貨の枠組みを決めた、 ブレトン・ウッズ体制
が終わりました。
当時のアメリカは、 ベトナム戦争
介入などで財政支出が大きく膨らみ、インフレーションが進行していました。この国家財政立て直しのために、大きな経済政策の転換の道を選んだのです。
スミソニアン博物館本館
この年(1971年)の12月
、アメリカと、他の10カ国の財務担当閣僚が、アメリカのワシントンD.Cにある スミソニアン博物館
に集まって、 アメリカドルと各国通貨との交換レート
を新たに決めました。日本からは 水田三喜男
大蔵(おおくら)大臣 が出席しました。
スミソニアン協定に集まった国々
アメリカドルと日本円との 公定為替レート
は、敗戦後からこの日まで 1ドル=360円
でしたが、 スミソニアン協定
で 1ドル=308円
と決められました。これは、アメリカ にとっては切り下げ、日本 には切り上げで、日本 にとって 16.88パーセントの切り上げ
でした。
こうして ニクソン大統領
は、 通貨安
という手段で当面を乗り切りました。しかし、 スミソニアン協定
による 新固定レート
は長くは続きませんでした。
西ドイツ
と イギリス
は、協定のあと、間もなく 変動相場制
に踏み切りました。 昭和48年(1973年)2月
、 東京外国為替市場
でドル売りが殺到して市場が閉鎖されました。
東京の 外国為替市場
再開時に 日本
も 変動相場制
に移行、3月には 他のヨーロッパ諸国 も 変動相場制
に移行し、 スミソニアン体制
は短時日で崩壊しました。
この 昭和48年(1973年)3月
、アメリカとベトナムとの間に成立した パリ和平協定
に基づいて、アメリカ全軍がベトナムから撤退を完了しました。その2年後に サイゴン
(現・ホーチーミン市)が陥落、長かった ベトナム戦争
が終結しました。
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平成24年(2012年)2月
現在の 外国為替相場
は 1ドル=77円
前後。40年前の スミソニアン協定
のころとは隔世の感かあります。輸出産業 は「 採算が取れない
」と声高に叫んでいますが、潤っているはずの 輸入産業 は黙っています。世の中とはそんなもんでしょう。
明治初年は 1ドル=1円
。昭和初年は、 1ドル=2円
から円を切り下げて 1ドル=4円
。それが敗戦の日本経済崩壊で 1ドル=360円
(闇ドルでは 500円以上
)。そして今は 1ドル=77円
前後。円は高いのか安いのか、どの時期と比較するかで違うのでしょう。