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2026.05.08
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◎見逃せない!!科学的スポーツコーチの偉人・岡部平太さんの講談物語があります・5/17

5月8日付け西日本新聞から:これは見逃せませんですね!

2020年丁度コロナ禍の時期のときに、
この岡部平太さんを取り上げたお芝居を観劇し、たいそう感動・感激しました。
劇団ショーマンシップさんのお芝居でした。また再演をして欲しいなあ、と思っております。

その岡部さんの一生が講談になるそうで、とても楽しみです↓




数年前、お芝居で、岡部平太さんの一生を感激しました。
【どげんかする!どげんかなる!】 熱い情熱をお持ちの何事も前向きで貪欲に
諸事に取り組む、岡部平太さんの生き方に惚れ込みました。

情熱を以て諸事にあたるのは、ピアニストの黒木雪音先生と同じと思います。

岡部平太さんは、素晴らしい偉人であり柔道の大家であります。
その歩みが今度は、講談となるとの事で、嬉しいニュースであります。

下記は、当該の新聞記事からです
=================

スポーツの聖地「平和台」(福岡市中央区)を
創設した岡部平太(1891~1966、糸島市出身)の波瀾(はらん)万丈の人生を語る講談が、
17日に初演される。講談師、神田紅さん(福岡市出身)から
講談を学んでいる金印亭恵紅(本名・鎮守恵子)さんが創作。
「偉業を語り継ぎたい」と稽古に励んでいる。
 柔道の創始者、嘉納治五郎の弟子だった岡部は、米国で科学的なトレーニング理論を習得。
スポーツによる国際交流に励んだものの太平洋戦争に阻まれ、出征した長男も失った。
戦後、福岡に国体を誘致するため連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に
接収されていた旧陸軍福岡連隊跡地を取り戻し「平和台」と名付けて競技場を建設した。
 鎮守さんはフリーアナウンサーで、
神田さんが西日本新聞TNC文化サークルで開講している「福岡紅塾」の塾生。

神田さんは、福岡で幕末の志士を支えた歌人・野村望東尼や
「養生訓」で知られる福岡藩の本草学者、貝原益軒など郷土の偉人たちを講談にしており、
鎮守さんもそれを学んできた。
 いつか自分も創作をと考えていた鎮守さんは、
本紙の連載「平和台を創(つく)った男-岡部平太伝」(2019年)を
読んで「福岡にこんなすごい人がいたとは。講談として後世に残したい」と決意。
神田さんの指導を仰ぎながら、初めて脚本に取り組んだ。
 岡部は柔道、剣道、野球などスポーツ万能。
日本に初めてアメリカンフットボールを伝え、
ボストンマラソンで日本人に初優勝させるなど多くの選手を育てたスポーツコーチの祖。
「スポーツは争うのではなく、競うのだ」とルールを重んじる名言を残している。
 しかし、理論より根性論を信じていた当時のスポーツ界重鎮とは対立。
選手たちからは慕われた一方、立場的には不遇を余儀なくされた。
「好奇心、探求心、スポーツや平和にかける思いは今こそ見直されていい。
でも、とにかく面白いエピソードが多すぎて脚本には苦労しています」と
鎮守さんは推敲(すいこう)を重ねている。
 鎮守さんは17日に福岡市中央区六本松4丁目の市科学館サイエンスホールで
開かれる「第15回福岡紅塾講談まつり」(午前10時~午後6時半)に出演。
約50人の塾生たちがそれぞれ講談を語り、トリで「岡部平太物語」を披露する。
入場無料、予約不要。  (加茂川雅仁)

~~~~~~~~~~
※岡部平太さんについては下記ご参考くださいませ。


岡部平太が夢見た五輪 加茂川雅仁さん執筆記事 西日本新聞2021/07-28

東京オリンピックの陸上強化コーチを2度委嘱されながら、
2度ともその舞台に立てなかった男がいる。
 その名を岡部平太(1891~1966)という。
 福岡県の糸島半島で生まれ、大正から昭和期に、世界を股に掛けてコーチとして活躍した。
柔道の創始者、嘉納治五郎に師事し、米国で科学的なトレーニング法を習得。
多くの選手を育て、戦前は満州(現中国東北部)で「スポーツの神様」と呼ばれた。
戦後は福岡市に平和台陸上競技場を創設、ボストンマラソンで日本人を初優勝させた。
 最初に東京五輪のコーチを委嘱されたのは1940年。
このときは日中戦争で日本が開催を返上し、幻となった。
2度目は64年。73歳になっていた岡部は「純粋なスポーツのために働く」と意気軒高だったが、
病魔に倒れた。
 スポーツに対する岡部の信条は勝つことにあった。
ただし、ルールにのっとったフェアプレーでなくてはならない。
そして「根性」などという精神論ではなく、
生理学などの「科学」に基づいたトレーニングを学び、伝えた。
 反骨精神が豊かだった岡部は、ことごとく組織と対立した。
陸上選手団の監督を務めたフィリピンでの国際大会で、
審判団に不正が相次ぐと大会をボイコット。
当時の大日本体育協会は岡部たちを宿から追い出し、
帰国費用も出さなかったが、岡部は借金して選手たちを帰国させた。
 「これまでのスポーツ人生で、審判に抗議したことは一度もなかった」と岡部は語っている。
だが、あまりの理不尽さに選手たちが泣いている姿を見て決断したのだった。
 気になる選手のところにふらりと現れることもあった。
五輪を控えて重圧に苦しんでいた人見絹枝(日本女子初のメダリスト)は
「岡部さんが突然現れた。岡部さんの顔は怖い。でも情にもろく、熱すればすぐ涙を出される。
 女子にもこんな大先輩がいたら」と書き残している。
 今風に言うなら、岡部は選手ファースト主義者だった。そして、生涯アマチュアだった。
柔道家だった岡部は、若い頃に留学した米国でプロレスラーと対戦しようとして、
金銭の授受を伴うプロの世界と自分が目指す純粋なスポーツとの違いを思い知らされていた。
 そんな岡部の生涯を「直向(ひたむ)きに勝つ 近代スポーツの祖・岡部平太」(忘羊社)として出版した。できることなら、死の床で「グラウンドに立ちたい」と言い残した岡部に聞いてみたい。今の五輪の姿をどう思うか、と。  (クロスメディア報道部)





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劇団ショーマンシップさんによる動画:岡部平太物語

https://youtu.be/zEpK3602XK8?si=jClqaCjzwcm31F6U

同劇団の舞台・天狗と呼ばれた男:岡部平太物語を感激しまして、
猛烈に感激しました。その時の感想ブログです
↓↓
https://plaza.rakuten.co.jp/niten/diary/202012300000/


↑↑これをどうぞご覧下さいませ。そして、下記の小職の意見です↓↓



この講談はぜひぜひ聴きに行かないとなりません。
とても楽しみです。タオルやハンカチをたくさん持参せな

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<兵法・英語二刀一流>
末次通訳事務所・格技事業部:末次賢治拝
MAY 08 2026





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最終更新日  2026.05.08 10:02:03
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