《櫻井ジャーナル》

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2011.05.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 バラク・オバマ米大統領はオサマ・ビン・ラディンを殺害したと発表した。DNAを調べて確認、オバマ大統領は「正義は果たされた」と主張しているようだが、軍事力を使った大量殺戮だけでなく、拉致、監禁、拷問、殺害を繰り返して全世界の民主主義をアメリカの支配者たちは破壊してきた。斉藤和義氏の言葉を借りるならば、「アメリカの正義」などは「クソ」だ。

 ところで、オサマ・ビン・ラディンもアメリカの情報機関と軍が1980年代、「正義」に基づいて作り上げたモンスターである。モンスターの「受胎」は1979年4月のこと。当時はジミー・カーターがアメリカ大統領だったが、その補佐官を務めていたズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンで武装グループを編成するというプログラムを始動させている。5月にはCIAのイスタンブール支局長がISI(パキスタンの情報機関)の仲介で武装勢力と会談、麻薬業者のグルブディン・ヘクマチアルが指導者として選ばれた。

 この年の9月にはハフィズラ・アミンがクーデターを成功させるのだが、その新政権をソ連政府は警戒、KGB(ソ連国家安全保安委員会)はアミンとCIAとの関係を疑った。そして11月にKGBは特殊部隊をカブールに派遣、12月には対テロ部隊を投入してソ連軍機甲部隊の軍事侵攻につながった。

 ソ連軍をアフガニスタンへ引き込むことがブレジンスキーの作戦だった。ソ連に「ベトナム戦争」を経験させようというわけだ。この目論見は成功する。アメリカのCIAや軍は武装集団を編成、資金や武器を提供するだけでなく、軍事訓練している。戦争は泥沼化してソ連は疲弊、アフガニスタンの治安を回復できないままソ連軍は1989年2月までに撤退している。アメリカが生み、育てたイスラム武装勢力の中にオサマ・ビン・ラディンのアルカイダも含まれていた。

 オサマ・ビン・ラディンにはサレム・ビン・ラディンという兄弟がいる。このサレムは1970年代の後半にジェームズ・バスなる人物を雇っている。バスはテキサス州の州兵時代、つまり1960年代の後半にジョージ・W・ブッシュとラン・ベンツェンと親しくなっている。

 言うまでもなく、ジョージ・W・ブッシュとは後に大統領としてアフガニスタンとイラクを先制攻撃した人物であり、ラン・ベンツェンはロイド・ベンツェン上院議員(ビル・クリントン政権の財務長官)の息子である。

 サレムがバスを雇った頃、CIAの長官はジョージ・H・W・ブッシュ、つまりジョージ・Wの父親だった。このジョージ・H・WがバスをCIAに誘い、サウジアラビアの富豪を監視する任務が与えられたとも言われている。

 ところで、ビン・ラディン家はサウジアラビアの王室とも親交のある富豪で、欧米への投資にも積極的。そうした資金運用の一環として、フランク・カールッチ元国防長官が会長を務めていたカーライル・グループのファンドにも資金を出していた。

 ソ連撤退後、アフガニスタンではイスラム勢力同士の内戦が始まり、収拾のつかない状態になる。そうした中、1994年に組織されたのがタリバーン。1996年にタリバーンは首都カブールを制圧、アメリカの支配層はタリバーンが親米体制を築いてくれると期待したようだ。

 しかし、このタリバーンは暴力的な集団。人権侵害が次々と明るみ出てイスラム世界における評判は急速に悪化するのだが、CFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンにしろ、ランド研究所のザルマイ・ハリルザドにしろ、アメリカのエリートたちはタリバーンを擁護し続けた。しかも、アメリカにおけるタリバーンのロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズ。そうした中、1996年にオサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンに入っている。

 ところが、1997年11月にアメリカのマデリーン・オルブライト国務長官はアフガニスタンの新政権を批判、その直後にタリバーンの指導者、モハマド・オマールはアメリカを批判し、オサマ・ビン・ラディンへの支援を公然と表明した。

 そして、アルカイダは1998年8月にケニアの首都ナイロビ、そしてタンザニアの首都ダル・エス・サラームのアメリカ大使館を爆破、それに対してビル・クリントン政権はアルカイダの拠点を巡航ミサイルで攻撃する。さらに、アメリカ政府の意向を受けてパキスタンのナワーズ・シャリフ首相(当時)は1999年10月、イスラム原理主義者のキャンプを閉鎖するようにISIへ命令するのだが、シャリフ政権はクーデターで崩壊してしまう。

 アメリカ政府と険悪な関係になっていたはずのオサマ・ビン・ラディンだが、2001年7月にアラブ首長国連邦ドバイの病院でCIAの人間と会ったとフランスのル・フィガロ紙は報道している。ビン・ラディンは腎臓病の治療で入院していたと言われている。(ゲリラ戦を戦える体だとは思えない。もしかして、今回の襲撃前に死んでいた?)

 そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターのツイン・タワーへ航空機が突入、ペンタゴンも攻撃されて多数の死傷者が出た。この攻撃を実行したのはアルカイダだとアメリカ政府は主張しているが、その真相は明らかになっていない。

 この攻撃が実行される前、少なからぬ国の情報機関からアメリカに対する破壊工作が計画されているという警告をアメリカ政府に発しているのだが、そうした国の中にはイラクも含まれていた。イラクのサダム・フセイン体制はアルカイダを警戒し、民主的とは到底言えないような弾圧を行っていた。フセイン政権はアルカイダのネットワークに関する詳細な情報を持っていて、アメリカ政府に協力する意向を示していたのだが、アメリカ政府はそのイラク政権を倒し、フセインをはじめ主要な人物を抹殺してしまった。そして今回は、アメリカ側の発表によると、オサマ・ビン・ラディン。フセインと同様、知りすぎた男だ。





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最終更新日  2011.05.03 01:34:49


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