《櫻井ジャーナル》

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2011.05.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 原子力発電が原子爆弾と深い関係にあることは言うまでもない。発電所の建設から放射性廃棄物の処理までに必要なコストや事故が起こったときの被害を考えると、経済的とは到底言えない原発に執着してきたベースには核武装したいという妄想があるはずだ。

 1960年代の後半(佐藤栄作政権)に核武装プロジェクトが動いていたことは広く知られるようになったが、その後も核武装の夢を日本の支配層が捨てたとは思えない。

 1977年、東海村の核燃料再処理工場が試運転に入り、プルトニウムの生産が具体化した。プルトニウムは核兵器に利用することができる。アメリカ政府はこうした行為を見逃さないだろうと1978年に山川暁夫氏は国会で指摘している。

 この当時、アメリカ大統領だったジミー・カーターはこうした動きに敏感で、高速増殖炉で軍事用のプルトニウムを生産できないように細工させたという。

 イランのイスラム革命を阻止できなかったことからカーターはアメリカの金融資本の不興を買い、「親パレスチナ」だとしてシオニストからも敵視されて再選されなかった。当選したのはキリスト教原理主義の熱心な信者で、好戦派のロナルド・レーガン。

 そうしたこともあってか、日本でプルトニウムを分離/抽出するRETF(リサイクル機器試験施設)を建設するという話が浮上した際、アメリカ政府は「機微な核技術」と呼ばれる軍事技術がを提供したという。つまり、アメリカ政府の管理下で核兵器開発が進められた可能性もある。

 しかし、現在、高速増殖炉は動いていない。動く見通しも立っていない。核武装の夢を実現させることは困難な状況のようだ。プルトニウムを処理するというポーズを見せるためプルサーマル計画をスタートさせているが、これも機能していない。

 核兵器が議論される際、必ずといって良いほど出てくるのが「核の傘」や「抑止力」なのだが、これはアメリカの歴史を知らないから言える話。アメリカが「防衛的」だという前提は事実に反しているということだ。

 1950年代から1960年代の前半にかけて、アメリカの軍や情報機関の内部にはソ連を核兵器で先制攻撃しようとする動きがあった。核弾頭の数だけでなく、運搬手段(爆撃機や大陸間弾道ミサイル)で圧倒していたアメリカは核戦争で圧勝できると信じていたのである。

 ソ連にできる対抗手段としてすぐ頭に浮かぶのは、アメリカから近い場所への中距離ミサイル配備。格好の場所がキューバだ。アメリカが執拗にキューバの革命政権を潰そうとした理由は、おそらくここにある。

 もっとも、こうした軍事作戦は大統領を抜きに実行することは難しい。大統領を納得させられる事件を起こすか、大統領を排除するしかない。

 1960年代前半、アメリカの統合参謀本部では「ノースウッズ作戦」と名付けられた偽装テロ計画があったが、これは失敗する。計画の中心的な存在だった統合参謀本部議長は再任されず、西ヨーロッパへ追放された。CIAの好戦派幹部も排除された。その後、好戦派にとって目障りなジョン・F・ケネディ大統領は暗殺されるが、リンドン・ジョンソン大統領がJFK暗殺のソ連黒幕説を信じなかったため、やはり核戦争は実現できなかった。

 少なくとも1960年代まで、アメリカの軍や情報機関には、先制核攻撃したいと願う勢力が存在していた。日本は「核の傘」に入っていたのではなく、「核の槍」に囲まれていたと言うべきだろう。アメリカ軍を「抑止力」と理解するべきではできない。原発にしろ原爆にしろ、日本人にとってろくなものではない。





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最終更新日  2011.05.24 21:57:05


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