《櫻井ジャーナル》

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2013.07.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 エジプトでモハメド・ムルシ大統領の対人を要求する大規模な抗議活動が展開されている。6月30日のデモには主催者側の発表で2200万人が参加したという。この数字は誇張されていると言われているが、それでも100万人近くは集まったと推定されている。

 これだけなら数字の問題なのだが、注目されているのは、汎アラブ、ナショナリズム、社会主義などを支持するフレーズがバナーやプラカードに書かれ、反米気運の高まりを感じさせること。ガマール・アブドゥン・ナセルの考え方が復活している兆候が見られるとも言える。ナセルはアラブ諸国の団結を訴え、非同盟運動に参加した人物であり、少なからぬ欧米の支配層が彼を危険視していた。

 ちなみに、ナセルが表舞台に登場するのは1952年のこと。クーデターで王制(欧米の傀儡)を倒したのだ。名目的な指導者はムハンマド・ナギブ将軍だったが、中心的な役割を果たしたのはナセルの率いる自由将校団。

 その翌年、イギリス政府はクーデター政権を新たなクーデターで倒す計画を立てたが、アメリカ政府に反対される。ナギブを殺すとナセルが大統領になる可能性が高いという理由だった。ナギブの後ろ盾になっていたのがイスラム同胞団だ。

 そのイスラム同胞団は1954年にナセルの暗殺を試みて失敗する。この年、フランスの情報機関もナセルを暗殺しようとしたと言われている。

 そうした出来事を受け、ナギブ大統領は解任され、同胞団は非合法化された。その際、同胞団のメンバー数千人は中東の各地へ逃げている。

 同胞団の創設者はハッサン・アル・バンナ。その義理の息子にあたるサイド・ラマダンは西ドイツを経由してスイスへ逃れているのだが、その逃走資金を出していたのはサウジアラビア。当時、ラマダンをイギリスやアメリカの情報機関に雇われたエージェントだと考える人もいたようだ。

 1956年にナセルはスエズ運河の国有化を宣言、イギリスの情報機関はイスラム同胞団と接触し、体制転覆について話し合っている。ナセルをはじめとするエジプト政府の閣僚を暗殺し、軟禁中のナギブを大統領にするという計画だったようだ。

 こうしたイギリスやフランスの動きにアメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官は賛成していたのだが、ドワイト・アイゼンハワー大統領は同調しなかった。運河の国有化もナセルを暗殺するほどの問題ではないと考えたようだ。

 1956年10月にムスリム同胞団はナセルを暗殺しようとして失敗、その3日後にイスラエル軍はシナイ半島へ軍事侵攻して第2次中東戦争が始まる。このとき、イギリスとフランスがエジプトの空港や通信施設を空爆、アメリカはトルコの基地から偵察機を飛ばし、写真をイギリスに提供している。

 この年、アメリカは大統領選があった。そこで選挙が終わるまで開戦しないとイスラエルは約束していたのだが、約束は守られなかった。CIAの一部が動き、この戦争を止めさせている。

 そして1970年、ナセルは心臓発作で急死した。享年52歳。

 現在のムスリム同胞団もアメリカやイスラエルに敵対する意志はない。こうした姿勢はサラフィも同様だ。リビアやシリアで住民を虐殺しても、アメリカやイスラエルとは友好的な関係を維持するというわけだ。そうした勢力に反対し、ナセルを彷彿とさせる主張をする人がエジプトでは街頭へ出始めた。





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最終更新日  2013.07.01 17:07:58


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