《櫻井ジャーナル》

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

寄付/カンパのお願い

巣鴨信用金庫
店番号:002(大塚支店)
預金種目:普通
口座番号:0002105
口座名:櫻井春彦

2014.01.30
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨年12月26日に安倍晋三首相らは靖国神社を参拝、中国や韓国から批判されるだけでなく、アメリカ政府から「失望」という表現を突きつけられている。この神社が日本のアジア侵略を象徴する存在だと見なされているからだ。「A級戦犯」が本質的問題なのではない。

 この侵略を認め、ポツダム宣言を受け入れることから戦後の日本はスタート、国際関係を築いてきた。そうした関係を靖国神社への参拝は否定することになる。これは尖閣諸島/釣魚台列嶼や竹島/独島の領土問題にも共通することだ。

 靖国神社は、薩摩藩や長州藩を中心にした勢力が徳川幕府を倒し、明治政府を作る過程で戦死した人びとをまつるために作られた。この神社にはその後のアジア侵略において戦死した人びともまつられ、そこには「A級戦犯」も含まれている。

 戦犯として処刑されたり獄中死した14名を靖国神社が「殉教者」として合祀したのは1978年のこと。その14名とは、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東条英機、広田弘毅、松井石根、武藤章、梅津美治郎、小磯国昭、白鳥敏夫、東郷茂徳、永野修身、平沼騏一郎、松岡洋右で、前の7名が1948年12月23日に処刑された人びとだ。

 処刑の翌日、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を含むA級戦犯容疑者19名が巣鴨刑務所から釈放されているが、アメリカ政府がこうした人びとの裁判放棄を発表したのはその年の1月。翌年の3月にGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は極東国際軍事裁判の打ち切りを決定した。

 その段階で中国はコミュニストの体制になることがほぼ確定、アメリカで秘密裏に設置された破壊工作機関のOPC(大戦中に米英両国で編成したゲリラ戦部隊、ジェドバラの後身)は東アジアにおける拠点を上海から日本へ移動させている。下山事件、三鷹事件、松川事件という国鉄を舞台とした「怪事件」が起こったのも1949年のことだ。その翌年、朝鮮戦争が勃発する。

 事実上のアメリカ軍だったGHQ/SCAPは他の連合国メンバーが日本の将来について口をはさむ前に天皇制を維持する条文を入れた「民主的」な憲法を作った。アメリカ以外の国では天皇に対して厳しい意見も多く、のんびり構えているわけにはいかなかったのだ。

 処刑されたA級戦犯が公正に裁かれたと言えないことは確かだが、その一因は天皇制を維持することにあった。東条英機は昭和天皇の、また松井石根は朝香宮鳩彦(昭和天皇の叔父)の身代わりだと考え、広田の有罪判決に疑問を持つ人も少なくない。フィリピンで処刑された山下奉文の場合、略奪財宝に関する口封じだとも言われている。極東裁判、A級戦犯への処罰によって、日米の支配層は戦争に関する検証を封じ込めてしまった。

 占領軍に優遇された日本軍の幹部たちもいる。細菌戦部隊「関東軍防疫給水部本部(満州第731部隊)」を率いていた石井四郎中将もそうだが、「KATO機関」と呼ばれた有末精三陸軍中将、河辺虎四郎陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐らも有名。

 本ブログではすでに書いたことだが、1923年の関東大震災を切っ掛けにして、日本はアメリカの巨大資本の影響下に入った。復興資金の調達をJPモルガンに頼ったことが大きく、その後の経済政策はウォール街の意向に沿うものだった。その結果が貧困の深刻化であり、軍や右翼の一部の間で財界への怒りが高まることになる。当時、最もJPモルガンと緊密な関係にあった日本人は井上準之助だと考えられている。そうした関係のできた切っ掛けは、1920年に行われた対中国借款交渉だという。

 加藤友三郎首相の死亡にともない、山本権兵衛が組閣している最中に地震が関東地方を襲ったが、その山本内閣で井上が蔵相を務める。1929年に誕生した浜口雄幸内閣でも井上は蔵相を務め、ウォール街の要望に従って緊縮財政と金本位制への復帰を実行、経済を悪化させた。

 1930年に浜口は銃撃されて翌年に死亡、32年には血盟団が井上と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。なお、団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。

 井上の死と相前後する形で駐日アメリカ大使に就任したのがジョセフ・グルー。親戚のジェーン・グルーがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。グルーは大戦後、日本をコントロールしたジャパン・ロビーの中枢で活動している。

 ウォール街と日本という関係で見ると、大戦前と後で大きな変化はない。憲法や日米安全保障条約で昭和天皇の発言力が強かった一因もここにあるだろう。その日米関係を維持するために行われた儀式が極東裁判であり、A級戦犯の処刑だった。

 占領時代、GHQ/SCAPの内部では将校の多数が靖国神社の焼却を主張していたが、これをイエズス会のブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール会パトリック・J・バーン、ふたりのカトリック司祭が阻止している。

 ビッテルはニューヨークにいたフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だというが、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物として知られている。ビッテル自身、「闇ドル」を扱っていた人物で、彼の関わっていた秘密資金によって、リチャード・ニクソンはドワイト・アイゼンハワーの副大統領になることができた。当然、ビッテルも情報機関につながっているはずだ。

 戦前から日本とアメリカとの間には深い闇が広がっている。その闇を封印するための儀式が極東裁判であり、A級戦犯の処刑だった。A級戦犯とは封印のための「御札」。この「御札」をはがして封印を解いたなら、日本の天皇制官僚システム、そしてウォール街を中心とする支配システムが揺らぐ可能性がある。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.01.31 05:37:53


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: