武田薬品の「グローバル・ワクチン・ビジネス・ユニット」で「プレジデント」を務めていたラジーブ・ベンカヤが退職、今年3月からアエイウム・セラピューティックのCEOに就任した。
ベンカヤは大学を卒業した後、病院に勤務したり研究員を務めているが、ジョージ・W・ブッシュが大統領だった2002年から03年にかけての時期にホワイトハウス・フェローを務め、さらにバイオ防衛担当ディレクターを経て大統領特別補佐官およびバイオ防衛担当シニアディレクターとして活動、バイオ・テロリズム研究グループを率いていた。ホワイトハウス時代、ベンカヤはフランシス・タウンゼント国土安全保障担当補佐官の直属で、その時、ロックダウンを考え出したという。
Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された団体。活動資金はWHO(世界保健機関)、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。
ウェルカム・トラストは医療利権の団体で、その理事長だったジェレミー・ファラーをWHOは昨年12月、主任科学者に据えることを決めた。ファラーはこのトラストに在籍中、クリス・ウィッティやニール・ファーガソンと共にネイチャー誌で「感染症:エボラ感染を減らすための厳しい選択」というタイトルの記事を発表している。
ウクライナでアメリカ軍が生物化学兵器の研究施設を研究しているとロシアが批判し始めた2013年の12月、アフリカ西部のギニアではエボラ出血熱が広がっている。リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、1万1323名が死亡(致死率:70から71%)、大きな騒動になった。
その際、生物兵器を研究している学者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで活動していたと指摘されている。その学者が所属していたのは生物化学兵器を研究開発しているアメリカ軍のフォート・デトリック、そしてテュレーン大学だ。
シエラレオネの健康公衆衛生省は2014年7月、テュレーン大学に対してエボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。その研究が予防や治療が目的でないと判断したのだろう。9月にバラク・オバマ大統領はナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3000名程度の部隊を派遣すると言い始める。
エボラ出血熱がスーダンやザイールで見つかったのは1978年のことだが、80年代の前半からこの病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで始まる。その中心にいた研究者がウーター・ベイソンだ。
ウェルカム・トラストは2020年5月、ウェルカム・リープなる会社を創設した。そのCEOに選ばれた人物は、アメリカの国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)で長官を務めていたレジーナ・デューガンだ。
CEPIは「将来の『疾病X』の発生は避けられない」と予測し、将来のウイルス侵入に対する永遠の警戒を呼びかけたことでも知られている。この団体はノルウェー、ドイツ、日本、EU、イギリスなどの国々のほかビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、クラウス・シュワブのWEF、ウェルカム・トラストなどだ。
WHOも『疾病X』の出現を想定、情報を管理する中核「WHOハブ」を作る計画を打ち出した。「パンデミック」を口実にしてロックダウンや「ワクチン接種」などを命令することを目的として「パンデミック条約」をWHOは推進しているが、これと連携している。この構想でWHOはロックフェラー財団と手を組むという。
ロックフェラー財団は2010年5月に出した報告書の中で全人口の20%が感染、7カ月で800万人が死亡するパンデミックを想定、ロックダウンを推奨している。そのほかのパンデミック対策も組み合わせ、主権とプライバシーを放棄させ、全ての人間を管理するために生体IDを導入しようと提案している。
WEFのクラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組に出演し、そこでマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している 。チップを服に取り付けるところから始め、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合、人間を端末化しようと考えているようだ。
こうした人類の個別管理は2015年9月に国連で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」と関係している。「SDGs(持続可能な開発目標)」を実現するため、個人を特定するためのシステムに記録されていない人びとを管理する必要があるとされ、デジタルIDの導入が進められることになった。
2016年5月には国連本部でどのように導入を進めるかが話し合われ、ID2020というNGOが設立される。このNGOにはビル・ゲイツが創設したマイクロソフトも関係している。
ラジーブ・ベンカヤと同じようにビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経て武田薬品へ入った山田忠孝の父親、山田忠義は渋沢敬三の秘書などを経て1952年に八幡製鉄へ入社している。興味深いのは、戦争中の1940年代の前半、ヨーロッパから日本へ上海経由で逃げてきたユダヤ系の若者、ショール・アイゼンベルグを忠義は世話している。神戸へ着いた時、アイゼンベルグは19歳か20歳だった。
財界の大物たちに守られたユダヤ人難民のアイゼンベルグは大戦後、アメリカ第8軍のロバート・アイケルバーガー司令官に可愛がられる。そのコネクションを活かし、アイゼンベルグはペニシリンの販売で大儲けしたという。
その後、アイゼンベルグは日本から追い出されるが、イスラエルの情報機関モサドの幹部としてさまざまな秘密工作に関わり、イスラエルと中国を結びつけたと言われている。似た境遇にあったジョージ・ソロスと緊密な関係にあったことでも知られている。