ドイツ連邦議会のローデリヒ・キーゼベッター議員はロシアに対する軍事攻撃に積極的な人物である。ドイツ連邦軍の参謀本部に将校として所属していたことがあり、議会では外務委員会のメンバー。軍縮軍備管理不拡散小委員会の副委員長でもある。
ウクライナ軍は一時期、ロシア軍が管理しているザポリージャ原発を攻撃していたが、 キーゼベッターは昨年5月、射程距離500キロメートルの「タウルスKEPD 350」をウクライナへ供給するべきだと発言 、 7月には、原発がロシア軍に攻撃されたならロシアの飛地であるカリーニングラードをロシアの補給線から切り離すことを考えるべきだと発言 している。
ロシアのメディア RTは3月1日、ドイツ空軍の幹部がロシアの重要なインフラを攻撃、破壊するプランについてリモート会議している音声を公表した 。
2月19日に行われたその会議に参加していたのは、ドイツ空軍のインゴ・ゲルハルツ総監、作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部のフェンスケとフロシュテッテ。タウルスをウクライナへ供給し、クリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)を攻撃し、破壊するというテーマで、近代的なテクノロジーを駆使してロシアと戦争していると発言している。
イギリスやフランスがウクライナへミサイルを供給するにあたり、目標管制や目標管制の支援を行う要員を送り込んでいるとオラフ・ショルツ独首相は指摘、タウルスを提供すればシステムを動かすためにはドイツ兵を派遣しなければならないと語っていた。つまりイギリスとフランスはすでに自国の要員をウクライナへ送り込んでいることを認めたのである。
言うまでもなく、アメリカやイギリスも兵士や情報機関員をウクライナへ送り込んでいる。フランスのル・フィガロ紙のジョージ・マルブルノは、ウクライナでアメリカ陸軍の特殊部隊デルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)も戦闘に参加しいるとしていた。ポーランドやバルト諸国からも戦闘員がウクライナへ入っているとも言われている。
ロシア軍は先日、ウクライナ北東部のスミにある国境警備隊部隊の司令部を破壊したが、そこにはCIAの訓練を受けたウクライナの特殊部隊がいて多くの死傷者が出たと噂されている。
その前、1月16日にロシア軍はハリコフを攻撃、ウクライナの軍事施設のほか、情報機関や軍関係者が滞在していた旧ハリコフ・パレス・ホテルを破壊した。その旧ホテルには200人い外国人傭兵が滞在、その大半はフランス人傭兵で、そのうち60名が死亡、20人以上が医療施設に搬送されたという。
マニュエル・マクロン仏大統領は2月26日、パリで開催された欧州首脳会議でこの問題が議論された後、ウクライナに西側諸国軍隊を派遣することは将来的に「排除」されるものではないと述べているが、すでにNATO軍部隊をウクライナでロシア軍と戦っている。
イギリスが供給したストーム・シャドウやフランスのスカルプ、そして類似品であるドイツのタウルス。射的距離が最も長いタウルスでも500キロメートルに過ぎない。それに対し、ロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入した直後にカスピ海の艦船から発射した26基のカリブル巡航ミサイルの場合は約1500キロメートルに達する。シリアでは2.5メートル以内の誤差で命中したと伝えられている。
キーゼベッターにしろ、ゲルハルツにしろ、ロシア軍からNATO諸国への反撃はないという前提で議論しているのだが、射程距離が500キロメートルのミサイルをロシアへ撃ち込めば、射程距離が1500キロメートルのミサイルで報復される。
南オセチア、シリア、そしてウクライナでアメリカ/NATOの兵器はロシア製の兵器に比べて劣ることが明確になっている。中東での戦闘で注目された携帯式ミサイル・システムのスティンガーにしろ、すでに時代遅れ。パトリオット・ミサイルの無能さは2003年のイラクへの軍事侵攻で明らかになっている。M777榴弾砲やHIMARS(高機動ロケット砲システム)は壊れやすいことは判明している。
西側で「神風」の如く言われているF-16戦闘機は核ミサイルを発射する能力があるものの、すでに古い。また吸気口が地面に近いため、離陸時に滑走路のゴミを吸い込み、エンジン故障の原因になるという欠点もある。戦闘機の車輪を比較すると、一般的にロシア製に比べてアメリカ製のものは貧弱。綺麗に舗装され、整備された滑走路が必要だという。キーゼベッター議員やゲルハルツ空軍総監の発言はナチスを髣髴とさせる。
ちなみに、ロシアの十月革命からナチスが台頭するまでの期間、ドイツとロシア/ソ連の関係は良好だった。ソ連を率いることになるボルシェビキの指導部は二月革命で臨時革命政府が樹立されるまで収監されているか、亡命していてロシアにはいなかった。二月革命で臨時革命政府を樹立したのはフェリックス・ユスポフをはじめとする一部貴族、資本家、そして資本主義革命を望んでいた「リベラル派」の連合体で、イギリスの戦略通り、第1次世界大戦でドイツと戦争することを望んでいたのだ。
この勢力のライバルだったのは大土地所有者や皇后を後ろ盾とするグレゴリー・ラスプーチンという修道士。この勢力はドイツとの戦争に反対していた。ロシアの支配層が戦争をめぐって対立する中、1916年7月13日に戦争反対の皇后はラスプーチンへ電報を打つのだが、それを受け取った直後に彼は見知らぬ女性に腹部を刺されて入院してしまう。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。
参戦してもラスプーチンが復活すると戦争を辞める可能性があるのだが、1916年12月16日、ラスプーチンは暗殺された。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれ、最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫いていた。2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発目は前頭部に命中、これが致命傷になったと見られている。暗殺したのはフェリックス・ユスポフだとされているが、止めの銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだ。
その当時、ロシアにはイギリス外務省が送り込んだMI6のチームがいた。中心はサミュエル・ホーアー中佐で、ステファン・アリーとオズワルド・レイナーが中心的な役割を果たしていた。
アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家と親しく、アリー自身はモスクワにあったユスポフの宮殿で生まれたと言われ、レイナーはオックスフォード大学時代からユスポフと親密な関係にあった。
臨時革命政府はドイツとの戦争を継続、両面作戦を嫌ったドイツは即時停戦を主張していたウラジミル・レーニンに目をつけた。そこでドイツ政府は国外に亡命していたボルシェビキの指導者32名を1917年4月に「封印列車」でロシアへ運ぶ。その後、紆余曲折を経て十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止めることになるのだ。
このソ連とドイツとの関係を潰したのがナチスであり、そのナチスの資金源がイギリスやアメリカの金融資本だということがわかっている。アメリカの金融資本は1933年から34年にかけての頃、フランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派の政権を潰すためにクーデターを試み、スメドリー・バトラー退役少将に阻止された。金融資本はファシストの戦術を真似ようとしていたが、それだけでなくファシズム体制の樹立を目指すと記者に語っている。
戦争が終了した後に金融資本とナチスとの関係にメスが入ると見られていたのだが、ドイツが降伏する直前の1945年4月12日にルーズベルトが急死、ニューディール派は急速に力を失い、金融資本が実権を取り戻した。
1949年4月に北大西洋条約機構が調印されてNATOが誕生するが、初代事務総長のヘイスティング・ライオネル・イスメイはその目的を「ソ連を追い出し、アメリカを引き入れ、ドイツを抑え込むことだ」としている。この機構はヨーロッパをアメリカが支配するための仕組みであり、その手先になる秘密部隊のネットワークも存在する。
それに対し、西ドイツがNATOへ加入した1955年、ソ連は近隣諸国と「ワルシャワ条約」を締結、安全保障機構が設立された。ソ連の近隣国とはドイツがソ連へ軍事侵攻する直前に支配していた地域で、カトリックの影響が強く、大戦中、反ロシア感情からナチスと結びついていた人が少なくなかった。本ブログで繰り返し書いてきたように、ポーランドの反ロシア感情とイギリスへの従属が第2次世界大戦の引き金になっている。
ナチスを育て、支援した米英金融資本の戦略は19世紀に書かれた。その中心的なグループはビクトリア女王にアドバイスしていたネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてセシル・ローズらだ。
ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けした人物。1877年6月にフリーメーソンへ入会、『信仰告白』を書いている。
中東やウクライナ、そして日本でも多くの人が死ぬようなことをしているが、これは彼らの計画だと考えるべきだ。そうした計画を実現するためにはエネルギーと作戦本部が必要。秘密結社はその作戦本部だと考えられる。