アメリカ政府はジョージアとモルドバが自立するのを防ごうと必死のようだ。ジョージアでは2003年11月の「バラ革命」を経てヘイル・サーカシビリ政権が登場したが、その新自由主義的で反ロシア的な政策が人びとを不幸にすることを国民は知り、アメリカ離れを起こしている。モルドバも同じ道を歩み始め、その親米政権を維持することは難しい情勢になっているが、ウクライナでの敗北が決定的になっているアメリカとしては、新たなロシア侵略拠点としてジョージアやモルドバを重視しているはずだ。
サーカシビリの経歴を調べると、1994年にコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。その後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたとされている。アメリカの支配システムの中から出てきた人物だと言えるだろう。
ウクライナでクーデターが始まった2013年11月にサーカシビリは大統領を辞め、18年12月から大統領を務めているのが親米派のサロメ・ズラビシビリだ。
この人物は1952年にフランスのパリで生まれ、1974年にフランス外務省へ入っている。2003年から04年にかけての期間、ジョージア駐在大使を務めたが、2003年11月にジョージアでは「バラ革命」が引き起こされ、サーカシビリが実権を握っている。サーカシビリと連携していたことは間違いないだろう。
ウクライナへNATOを侵攻させるため、ネオコンをはじめとするアメリカ/NATOの好戦派は2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターを実行したが、東部や南部をはじめクーデターに反対するウクライナ人は少なくなかった。軍や治安機関の約7割は新体制を拒否、クリミアの場合は9割近い兵士が離脱したと伝えられている。そこでロシアと戦う態勢を整えるための時間が必要だった。そこで出てきたのがミンスク合意だ。
アメリカ/NATOは兵器の供与や兵士の育成などに8年かけ、ドンバスに要塞線を築いた。マリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルの地下要塞を結んでいたのだが、今年2月にアブディフカが陥落、要塞線は崩壊。東部戦線でウクライナ軍は圧倒されはじめた。
今年8月6日にウクライナ軍は外国人傭兵を含む1万人から3万人ほどの兵力でロシアのクルスクへ軍事侵攻したが、惨憺たる状況だ。当初、クルスクには国境警備隊しかいなかったことから装甲車両を連ねたウクライナ軍に攻め込まれたが、すぐにロシア側は航空兵力で反撃を開始した。ウクライナ側は傭兵を使うだけでなくドンバスから部隊をクルスクへ移動させ、虎の子の機械化部隊を投入したのだが、壊滅状態で、ドンバス戦線ではロシア軍の進撃スピードが速まっている。
ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官によると、ロシアがサンクトペテルブルクで海軍記念日のパレードを開催した7月28日、勢揃いした要人を暗殺しようという計画があったという。この計画が成功していたならロシア国内が混乱する可能性は高く、それに乗じてロシアへ攻め込むつもりだったのだろう。
クルスクの西側にあるブリャンスクでは約20人の部隊が侵入、ロシア側の反撃で侵入部隊のメンバーは死傷したのだが、死亡した4名の出身国はアメリカ、カナダ、ポーランドで、ひとりはアメリカ陸軍の第75レンジャー連隊第2大隊の入れ墨をしていた。
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【 Sakurai’s Substack 】