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岸田文雄首相は11月16日に中国の習近平国家主席とサンフランシスコで会談、両国の戦略的互恵関係を包括的に推進する立場を再確認したという。平和共存、永続的友好、互恵協力、共同発展が日中両国の利益になると習主席は岸田外相に語ったというが、日本の支配層はアメリカを見ている。日本の経済は中国やロシアとの交易なしに維持できないのため、米英巨大資本の命令に従う岸田も中国との関係改善に努力している演技をする必要があるのだろう。 その翌日、アメリカ国務省は亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を最大で400機を日本へ売却することを承認し、議会へ通知したと発表した。最新型の「ブロック5」と一世代前の「ブロック4」をそれぞれ最大で200機ずつ購入する意向で、その総額は23億5000万ドルになるという。 トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。日本では「反撃能力」と表現されているが、先制核攻撃の能力があることを意味する。主な目標として想定しているのは中国だろうが、その戦略的同盟国であるロシアも視野に入っているはずだ。 トマホークの購入はアメリカの戦略に基づく。1991年12月にソ連が消滅した直後、1992年2月にアメリカの対外政策を決めているネオコンはDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。彼らはアメリカが「唯一の超大国」になった信じ、他国に配慮することなく単独で好き勝手に行動できる時代が来たと考えたのだ。 そのドクトリンは第1の目的を「新たなライバル」の出現を阻止することだとしている。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないというわけだ。日本がアメリカのライバルになることも許されないのだが、それだけでなく、日本やドイツをアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れるともしている。 その時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。いずれもネオコン。そのウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから、DPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 そのドクトリンに基づき、ジョセイフ・ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した。日本に対し、アメリカの戦争マシーンの一部になれという命令だろうが、当時の日本にはその命令に抵抗する政治家もいた。 そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)た。その10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。 結局、日本は戦争への道を歩み始め、自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設、19年には奄美大島と宮古島に作り、23年には石垣島でも完成させた。ここに配備されるミサイルは中国に向けられることになるだろう。 アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が昨年に発表した報告書によると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけ。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにする。そしてASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたという。 日本は軍事拠点を作るだけでなく、高性能兵器の開発にも乗り出していると伝えられている。例えばアメリカと共同で音速の5倍以上で侵入してくるHGV(極超音速滑空体)を迎撃するミサイル技術の研究開発を考え、昨年7月24日には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所で迎撃ミサイルに必要な速度に到達することが可能だとされるエンジンの飛行試験を初めて実施した。 極超音速で飛行するミサイル自体も研究だと言われ、HGVではなくエンジンによって推進力を得る極超音速巡航ミサイル(HCM)の開発を目指しているという。2026年には九州や北海道の島々へ配備したいようだ。 政府は国産で陸上自衛隊に配備されている「12式地対艦誘導弾」の射程を現在の百数十キロメートルから1000キロメートル程度に伸ばし、艦艇や戦闘機からも発射できるよう改良を進めていると伝えられているが、その背景にアメリカのGBIRM計画があった。 日本は射程距離が3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画だとも伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。 アメリカの置かれた状況が急速に悪化、こうした当初の計画では間に合わないと判断され、トマホークを日本に購入させることにしたのだろう。
2023.11.19
ガザではイスラエル軍の攻撃で1万1500人以上の住民が殺され、2万9200人が負傷したとされている。死者の約4割は子どもだという。そのガザでイスラエル軍は病院や学校も破壊しているが、11月17日には通信を遮断したうえでアル・シファ病院へ再び突入した。15日に続く攻撃だ。病院から逃げ出した人びとを含め、少なからぬ患者や避難民が犠牲なっている。攻撃の前にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はアメリカのジョー・バイデン大統領に電話をかけ、イスラエル国防軍が病院を攻撃し、占領する許可を得たとされている。 ブルームバーグによると、アメリカ国防総省はイスラエルに対する軍事援助を強化、秘密裏にヘルファイア・レーザー誘導ミサイル約2000発を含む砲弾やミサイル、タミールミサイル迎撃ミサイル312基などを供給したという。バイデン政権が大量の武器や多額の資金を投入したウクライナでの惨状が漏れ始め、アメリカでも批判が強まっていることからイスラエルへの支援は知られたくないのだろう。 しかし、イスラエル政府はまだ満足していない。さらに155ミリメートル高火力砲弾、M4A1ライフル、PVS-14暗視装置、M141ハンドヘルド・バンカー・バスター弾(地中貫通爆弾)を要求しているとされている。 ソ連が消滅した直後のネオコンと同じように、ベンヤミン・ネタニヤフ政権はガザで何をしても許されると考えているのかもしれないが、それを許しているのは日米欧の支配層だけ。ガザに対する無差別攻撃に対する怒りは全世界に広がっている。 病院の地下にハマスの軍事施設があるとしての攻撃だが、説得力のある証拠を提示できていない。そこでイスラエル政府はイリュージョンを使い始めた。例えばイスラエル軍がどれだけ病院を助けようとしてきたかということを語る女性医師を登場させたが、この女性がイスラエルの女優だということが明らかにされている。西側有力メディアの「報道」はイスラエル軍の検閲済みだ。こうした仕組みはユーゴスラビアでもイラクでもリビアでもシリアでもウクライナでも同じだ。 イスラエル軍は今回もアル・シファ病院の地下にハマスの司令部があることを示す証拠を見つけ出すことはできなかった。そのかわり、英語で「医療用品」と書かれた箱を運び込んだが、なぜヘブライ語でなかったのかと苦笑されている。箱の中にはハマスと病院を結びつける「証拠品」が入っていたのかもしれない。 ガザで虐殺を繰り広げるイスラエル政府に対する怒りは世界各地で抗議活動という形で現れているが、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を倒したイラクの武装グループがイラクやシリアにあるアメリカ軍の基地に対する攻撃を始めている。今後、ガザのパレスチナ人に対する支援を始めるという。 10月7日にイスラエルへ攻め込んだハマスの部隊はアメリカ製の武器を携帯していたが、それはウクライナ軍が横流ししたものだと噂されている。 ガザはイスラエルが建設した一種の強制収容所化であり、その収容所を取り囲む壁には電子的な監視システムが設置されている。人が近づけば警報がなり、地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっているのだが、10月7日にはそうした動きが見られなかった。 また、アメリカ軍は10月7日にハマスがイスラエルを攻撃した数時間後、2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させていることから、事前にアメリカはハマスの攻撃を知っていたのではないかと言われている。 アメリカ軍はイスラエルに基地を保有しているが、そのひとつがネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある「サイト512」。そこにはレーダー施設があり、イランの動きを監視している。オーストラリアにあるCIAのパイン・ギャップ基地もガザに関する電子情報を収集、そのデータをイスラエル国防軍に提供している。 攻撃の際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされているが、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊したという。イスラエル軍は自国民を殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。 10月7日のハマスによるイスラエル攻撃には不可解な点が少なくないのだが、その後の展開はイスラエルが建国以来続けてきたパレスチナ人弾圧に対する世界の怒りを噴出させかけている。
2023.11.18
中国の習近平国家主席は11月14日にアメリカを訪問、15日にはサンフランシスコでジョー・バイデン米大統領と会談した。会談後の記者会見でバイデンはアメリカと中国が「直接的で、オープンで、明確で、直接的なコミュニケーションに戻る」と語っている。 バイデンは「これまでで最も建設的で生産的な話し合いだった」とも述べたが、その直後、習近平を「独裁者」と表現。それに対し、中国の外交部(外務省)で報道官を務める毛寧は16日の記者会見で、バイデンの発言は「極めて不適切で、無責任な政治操作」だと批判した。これほど愚かな人物を大統領に据えているアメリカという国に未来はない。 若い頃から好戦的なことで有名なバイデンは大統領に就任した直後の2021年3月、ABCニュースのインタビューでロシアのウラジミル・プーチン大統領を人殺し呼ばわりし、ロシアに対する経済戦争や軍事的な挑発を強めたことが思い出される。ウクライナへの軍事介入を誘ったのだが、その結果、アメリカやEUは窮地に陥った。 世界的変革の時代において中国とアメリカには2つの選択肢があると習近平は指摘したという。ひとつは手を携えて世界的課題に対処し、世界の安全保障と繁栄を促進すること。もうひとつは競争と対立によって世界を混乱と分裂へと追い込むこと。どちらの道を進むかによって人類と世界の未来は決まるというわけだが、バイデンは一貫して混乱と分裂への道を突き進んでいる。 現在、EUや日本はアメリカへの従属度を強めているが、アメリカやイギリスを支配している人びとは表面に出てこない。米英は19世紀から金融資本が支配していることは否定できないだろう。その金融資本が混乱と分裂、つまり戦争への道へと世界を導いている。19世紀以来、米英支配層の最終目標はロシアや中国を征服し、世界の覇者となることだ。そのためにイギリスは明治維新を仕掛け、米英は明治体制にアジアを侵略させた。本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦後の日本も明治体制下にある。 来年、アメリカでも大統領選挙があるのだが、これで問題が解決される可能性はないに等しい。バイデン以外の人物がアメリカ大統領になっても事態に大きな変化はないだろうからだ。
2023.11.17
イスラエルはイギリスの支配層が作り出し、アメリカの支配層が引き継いだ「不沈空母」である。中東の石油を支配し、アングロ・サクソンの世界制覇プランを支える重要な柱のひとつであるスエズ運河を守ることがイスラエルに課せられた重要な役割だった。イスラエルと同じようにイギリスが作り上げたサウジアラビアでも似たことが言える。イスラエルがアメリカやイギリスを支配しているわけではない。 ベトナム戦争が泥沼化していることをアメリカ国民が知る直前、第3次中東戦争の最中に引き起こされた。戦争が勃発してから4日後、1967年6月8日、アメリカは情報収集船の「リバティ」を地中海の東部、イスラエルの沖へ派遣した。この出来事はアメリカとイスラエルとの関係を知る上で重要だ。 イスラエル沖に現れたリバティに対し、イスラエル軍は8日午前6時(現地時間)に偵察機を接近させ、10時には2機のジェット戦闘機がリバティ近くへ飛来、さらに10時半、11時26分、12時20分にも低空で情報収集船に近づいている。当然、船がアメリカの情報収集戦だということをイスラエル軍は確認できたはずだ。 ところが、午後2時5分に3機のミラージュ戦闘機がリバティに対してロケット弾やナパーム弾を発射した。ナパーム弾を使ったということは乗員を皆殺しにするつまりだということを意味している。 イスラエル軍機はリバティが救援を呼べないように船の通信設備をまず破壊するのだが、2時10分に船の通信兵は寄せ集めの装置とアンテナでアメリカ海軍の第6艦隊に遭難信号を発信、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。 その数分後に3隻の魚雷艇が急接近して20ミリと40ミリ砲で攻撃、さらに魚雷が命中して船は傾く。その船へ銃撃を加えている。その結果、乗組員9名が死亡、25名が行方不明、171名が負傷した。 そこへ2機の大型ヘリコプター、SA321シュペル・フルロンが近づき、リバティの上空を旋回し始める。リバティの乗組員はイスラエルが止めを刺しに来たと思ったという。3時36分には魚雷艇とマークの入っていないジェット戦闘機が現れたが、すぐに姿を消してしまった。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) 遭難信号を受信したとき、第6艦隊の空母サラトガは訓練の最中で、甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあった。艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させている。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティまで約30分。つまり2時50分には現場に戦闘機は着ける。 艦長は艦隊の司令官に連絡、司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。 リバティが攻撃されたことはリンドン・ジョンソン大統領へすぐに報告されたが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。後にマクナマラはソ連軍がリバティを攻撃したと思ったと弁明しているが、当初の筋書きではそうなっていたのかもしれない。ソ連軍がアメリカの情報収集線を撃沈したというシナリオだ。(前掲書) ホワイトハウス内でどのようなことが話し合われたかは不明だが、3時5分にリバティへ戦闘機と艦船を派遣するという至急電が打たれている。この時、リバティは攻撃で大きなダメージを受け、メッセージを受信できない状況だったが、イスラエル軍は傍受した。 3時16分になると、第6艦隊の第60任務部隊は空母サラトガと空母アメリカに対して8機をリバティ救援のために派遣し、攻撃者を破壊するか追い払うように命令した。イスラエルの魚雷艇がリバティ号の近くに現れた3分後の39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を実行している。そして4時14分、イスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。 リバティが攻撃されている際、イスラエル軍の交信内容をアメリカの情報機関は傍受、記録していた。その中でイスラエル軍のパイロットは目標がアメリカ軍の艦船だと報告、それに対して地上の司令部は命令通りに攻撃するように命令している。イスラエル軍はアメリカの艦船だと知った上で攻撃していることをアメリカの情報機関は知っていた。 その交信を記録したテープをアメリカの電子情報機関NSAは大量に廃棄したという。複数の大統領へのブリーフィングを担当した経験を持つCIAの元分析官、レイ・マクガバンもこうした隠蔽工作があったと確認している。(前掲書) ジョンソン政権は攻撃の真相を隠す工作をすぐに開始、その責任者に選ばれたのがアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまり故ジョン・マケイン3世上院議員の父親だ。 当時、アメリカ政府の内部で秘密工作を統括する中枢は「303委員会」と呼ばれていた。1967年4月、そこで「フロントレット615」という計画が説明されたという。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣された。 この計画には「サイアナイド作戦」が含まれていた。リバティを沈没させ、その責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたという推測がある。いわゆる偽旗作戦だ。 リバティと一緒に航行していた潜水艦アンバージャックはアメリカ軍とイスラエル軍の交信全てを傍受、また潜望鏡を使って様子を見ていたとする証言もある。リバティの乗組員も潜望鏡を見たとしている。こうしたデータも破棄されたようだ。 その後、アメリカ政府は関係者に箝口令を敷き、重要な情報を公開していない。イスラエルでは機密文書が公開されるのは50年後と決められているため、イスラエルが開戦に踏み切った目的、戦争の実態、リバティを攻撃した本当の理由などを知ることのできる資料が2017年には明らかにされるはずだったが、10年7月にベンヤミン・ネタニヤフ首相は情報公開の時期を20年間遅らせることを決めている。 第3次中東戦争の結果、約43万9000人の新たなパレスチナ難民がヨルダン川東岸へ移動しているが、この時にゲリラ戦でイスラエル軍を苦しめたのがファタハである。 これ以降、アラブ人社会の中でファタハの存在は大きなものになり、その指導者だったヤセル・アラファトはイスラエルにとって目障りな存在になる。そこでイスラエル政府はアラファトのライバルとしてムスリム同胞団のシーク・アーメド・ヤシンに目をつけ、ファタハのライバルとしてハマスを作り上げる。1987年12月のことだ。 イスラエルの治安機関であるシン・ベトの監視下、ヤシンはムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設、76年にはイスラム協会を設立、そしてハマスを作ったのだ。そのハマスによるイスラエル攻撃をイスラエル政府やアメリカ政府は事前に知っていた可能性が高いが、その攻撃を口実として、イスラエル軍はガザで民族浄化作戦を進めている。 第3次中東戦争でイスラエルは支配地を拡大させたが、国連安全保障理事会は1967年11月に「242号決議」を採択、交戦状態の終結と難民問題の公正な解決、そして戦争で占領した領土からイスラエル軍は撤退するように求めているが、今に至るまで実現されていない。
2023.11.17
イスラエル軍はアル・シファ病院に対する攻撃を始めたという。その地下にハマスの軍事施設があると主張してのことだが、ハマス側は否定している。イスラエル政府がそう確信しているのは、かつて自分たちが病院の地下に施設を作ったからだが、そうした場所にハマスの戦闘員がいる可能性は小さいと考えられている。 真相は不明だが、その病院に少なからぬ患者や避難民がいることは間違いなく、入院患者は簡単に移動できない。こうしたガザでの住民虐殺が注目されているが、ヨルダン川西岸ではイスラエル人入植者によるパレスチナ人殺害も引き起こされている。 ハマスを含むパレスチナ系武装グループが10月7日にイスラエルへ攻め込んだ際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされているが、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊したという。イスラエル軍は自国民を殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。 ガザはイスラエルが建設した一種の強制収容所化であり、その収容所を取り囲む壁には電子的な監視システムが設置されている。人が近づけば警報がなり、地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっているのだが、10月7日にはそうした動きが見られなかった。 また、アメリカ軍は10月7日にハマスがイスラエルを攻撃した数時間後、2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させていることから、事前にアメリカはハマスの攻撃を知っていたのではないかと言われている。 アメリカ軍はイスラエルに基地を保有している。そのひとつがネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある「サイト512」。そこにはレーダー施設があり、イランの動きを監視している。 オーストラリアにあるCIAのパイン・ギャップ基地もガザに関する電子情報を収集、そのデータをイスラエル国防軍に提供している。この基地は通信傍受基地は1966年12月にアメリカとオーストラリアとの間で結ばれた秘密協定に基づいて建設された。協定の期限は10年で、1976年までに更新しないと基地を閉鎖しなければならなかったのだが、アメリカ側は首相だったゴフ・ホイットラムが更新を拒否するのではないかと懸念していた。 ホイットラムは1972年12月の総選挙で勝利して首相に就任すると、自国の対外情報機関ASISに対してCIAとの協力関係を断つように命令している。チリのクーデターに関する情報を入手、チリでASISがCIAと共同でサルバドール・アジェンデ政権を崩壊させる工作を実行していたことを知っていたからだという。(David Leigh, "The Wilson Plot," Pantheon, 1988) そこでCIAは1975年11月、イギリス女王エリザベス2世の総督だったジョン・カーにホイットラム首相を解任させる。実際に動いたのはアメリカのCIAやイギリスのMI6だが、総督がいなければ解任できない。総督は名誉職だと考えられていたが、そうではなかったのである。 カーは第2次世界大戦中の1944年、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣されてCIAの前身であるOSS(戦略事務局)と一緒に仕事をしている。大戦後もCIAと深い関係にあった。(Jonathan Kwitny, "The Crimes of Patriots," Norton, 1987) アメリカの電子情報機関NSAの基地はキプロスにもあり、中東も監視の対象だ。1961年9月、コンゴの動乱を停戦させるために動いていたダグ・ハマーショルド国連事務総長が乗っていたDC-6は何者かによって撃墜された。この時、キプロスの担当官はDC-6を撃墜した飛行機を操縦していたパイロットの通信を傍受していたという。 コンゴは1960年にベルギーから独立、選挙で勝利したパトリス・ルムンバが初代首相に就任したが、資源の豊富なカタンガをベルギーは分離独立させようとしていた。 アメリカのアレン・ダレスCIA長官もルムンバを危険視、コンゴ駐在のクレアー・ティムバーレーク大使はクーデターでの排除を提案したという。CIA支局長はローレンス・デブリン。このとき、ティムバーレーク大使の下には後の国防長官、フランク・カールッチもいた。当時のアメリカ大統領、ドワイト・アイゼンハワーは同年8月にルムンバ排除の許可を出している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) アメリカ支配層に選ばれたモブツ・セセ・セコが1960年9月にクーデターを成功させ、12月にルムンバは拘束された。1961年1月17日にアメリカでジョン・F・ケネディが大統領に就任する3日前、ルムンバは刑務所から引き出され、ルムンバの敵が支配する地域へ運ばれて死刑を言い渡された。そしてアメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団によって殴り殺されている。 ガザでの戦闘も利権が関係していると見られている。ひとつは地中海東部、エジプトからギリシャにかけての海域で発見された天然ガスや石油。この海域に9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っていて、ガザ沖にも天然ガス田がある。 また、イスラエルはアカバ湾と地中海をつなぐ「ベン・グリオン運河」を計画している。スエズ運河はエジプト領にあるが、新運河はエーラト港からヨルダンとの国境沿いを進み、ガザの北側から地中海へ出るルートだ。 インドのナレンドラ・モディ首相は9月8日、ニューデリーで開催されたG20サミットの席上、IMEC(インド・中東・欧州経済回廊)プロジェクトを発表した。アメリカとロシアを両天秤にかけていたインドだが、ここにきてアメリカやイスラエルに接近していることを明らかにしている。 IMECはインド、UAE(アラブ首長国連邦)、サウジアラビア、イスラエルを結び、さらにギリシャからEUへ伸びるルート。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相によると、アメリカがイスラエルにこの計画を持ちかけたというのだが、これはガザでのパレスチナ人虐殺で雲行きが怪しくなった。 こうした利権を包括したような大きな利権をネオコンは考えている。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、国防総省本部庁舎(ペンタゴン)やニューヨークの世界貿易センターが攻撃された2001年9月11日から10日ほど後、統合参謀本部でクラークは攻撃予定国リストを見たと語っている。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。(3月、10月) ネオコンは最終的にイランを制圧し、中東の石油利権や海洋ルートを自らの管理下に置こうとしている。そのための拠点がイスラエルにほかならない。 中東で石油が発見された後、1916年にイギリスはフランスと協定を結ぶ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。 協定が結ばれた直後、イギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援しはじめる。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。そしてサウジアラビアを作り上げる。 イギリス外相だったアーサー・バルフォアは1917年11月2日、ウォルター・ロスチャイルドに書簡を出し、その中で「ユダヤ人の国」を建設することに同意すると書いた。 そうした動きに対し、長い間そこに住んでいたアラブ人は反発、それを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成。そしてアイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを送り込むことになる。この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1948年5月にイスラエルの「建国」が宣言された。パレスチナ問題はここから始まる。 1983年1月、中曽根康弘は内閣総理大臣としてアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとった。その際、彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと言ったと報道されている。 中曽根はそれをすぐに否定するが、発言が録音されていたことが判明すると、「不沈空母」ではなく、ロシア機を阻止する「大きな空母」だと主張を変えた。このふたつの表現に本質的な差はない。日本列島はアメリカ軍がロシア軍を攻撃するための軍事拠点だと中曽根は認めたのである。 ワシントン・ポスト紙は「大きな空母」発言以外に、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」と主張し、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語っている。こうした発言はソ連を刺激した。 実は、その前にイスラエルは自国についてアメリカの不沈空母だと表現していた。だからこそ、アメリカはイスラエルを大事にしろということだろう。今でもイスラエルはアメリカにとって「不沈空母」だ。アメリカはイランを狙っている。 そのイランもガザにおけるイスラエルの虐殺を批判、状況によってはなんらかの形で介入することを匂わせている。ガザでの虐殺を続ければイランが軍事介入、それを口実にしてアメリカ軍がイランを攻撃するというシナリオをジョー・バイデン政権は考えているかもしれない。無謀だが、ネオコンは無謀なことを繰り返してきた。
2023.11.16
このブログは読者の皆様に支えられています。ブログ存続のため、カンパ/寄付をお願い申し上げます。 世界は現在、歴史の大きな節目に差し掛かっています。それを理解している米英を中心とする現在の支配者たちは新たない時代にも覇権を握ろうと画策してきました。彼らは「リセット」をその総仕上げだと考えているのでしょう。2024年は勝敗を決する年です。 ネオコンは1991年12月にソ連が消滅した直後、アメリカが唯一の超大国になったと認識し、他者を配慮することなく好き勝手に行動できる時代になったと考えました。そして作成された世界制覇計画が「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」にほかなりません。 この計画を作成したのは国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツですが、アイデアを考えた人物は国防総省のONA(ネット評価室)で室長を務めていたネオコンのアンドリュー・マーシャルだと言われています。 手始めに行われたのがユーゴスラビアに対する侵略戦争で、21世紀に入るとアメリカ政府は2001年9月11日の「9/11」を利用し、国内の収容所化を進め、国外で侵略戦争を本格化させました。すでにソ連を消滅させ、中国を支配下に置いたと信じていた彼らが侵略のターゲットとしてイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを考えていたことは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによって明らかにされました。(3月、10月) ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づき、ネオコン系シンクタンクのPNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)は2000年9月に「アメリカの国防再構築」と題する報告書を発表、その中で根本的な再構築を実現するためには「新たなパール・ハーバー」が必要だと主張します。その翌年の5月にアメリカで「パール・ハーバー」という映画が公開され、その4カ月後に9/11はありました。興味深い「偶然」です。 9/11の直前、2001年6月にアメリカ軍はアンドリュース空軍基地で天然痘による攻撃を受けたと言う想定の軍事演習「ダーク・ウィンター」を実施しています。演習はジョンズ・ホプキンス市民生物防衛戦略センター、CSIS(戦略国際問題研究所)、国家安全保障ANSER研究所、そしてMIPT(国立テロリズム防止オクラホマシティ記念研究所)が主体になっています。この延長線上に「COVID-19パンデミック」があると疑う人もいます。 現在、アメリカはこうした計画に沿って世界制覇をめざしていることがわかりますが、計画の前提は壊れているのです。つまりロシアが再独立に成功、国力を急回復させ、中国と戦略的な同盟関係を結びました。アメリカはロシアや中国を力づくで屈服させようとしていますが、全て裏目に出ています。 アメリカはシリアでの戦争で大きくつまずき、ロシアに直接挑んだウクライナでの戦いでは敗北しました。そして始められたのがイスラエル軍によるガザにおける民族浄化作戦、さらに東アジアでも軍事的な緊張を高めています。 こうした軍事的な作戦と並行して行われているのが「パンデミック・プロジェクト」。有力メディアだけでなくインターネットで言論統制を強め、ロックダウンで人びとの行動を規制、デジタルIDを推進して全人類を一括管理するシステムを構築しつつあります。その一方、推進された「COVID-19ワクチン」と称する遺伝子操作薬によって人間の免疫システムを破壊、人びとから生殖能力を奪おうとしていると懸念されています。 その背後にはAIとロボットを融合した世界が描かれているのですが、そうした世界で「無用」になると彼らがみなす人の割合は全人口の大半になるとも考えられています。 こうした現支配層の計画が実現できるかどうかは来年の戦いで決まるでしょう。彼らは必死です。その戦いで彼らに勝たせないため、私たちは正確な情報を集め、分析する必要がありますが、新聞、雑誌、放送、出版など有力メディアは「言論」を放棄、信頼できなくなっています。自分たちの力で情報を集めるしかないのです。大手メディアには頼れません。本ブログも微力ながら世界の情報を集め、伝えていく所存です。支援をよろしくお願い申し上げます。櫻井 春彦【振込先】巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2023.11.15
ガザの建造物を破壊、住民を大量虐殺しているイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権に対する批判は世界で高まり、各国の支配層も無視できない状況だ。それに対し、ネタニヤフ政権はトニー・ブレアをガザの「人道調整官」にしようとしているという。この情報はイスラエルのYnetが11月12日に伝え、それをさまざまなメディアが流している。ブレアは1997年5月から2007年6月にかけてイギリスの首相を務めた人物で、イスラエルと緊密な関係にある。 ブレアは1972年から75年までオックスフォード大学に在籍していたが、そこでブリングドン・クラブに入っている。素行の悪さを「売り」にしていたクラブで、ボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、ナット・ロスチャイルドも所属していた。帝政ロシアの有力貴族だったユスポフ家のフェリックスもメンバーだ。 フェリックスは1909年から13年にかけてオックスフォード大学で学んだが、彼もブリングドン・クラブに入った。大学ではクラスメートのオズワルド・レイナーと親密な関係になるが、このレイナーは卒業後、イギリスの対外情報機関SIS(秘密情報局、通称MI6)のオフィサーになっている。 ユスポフ家が親しくしていたイギリス人アリー家のスティーブン・アリーはフェリックスより11年前、1876年にモスクワ近くで生まれた。この人物も後にMI6のオフィサーになった。 イギリスは産業資本家とユスポフ人脈を利用して第1次世界大戦でロシアとドイツを戦わせようと画策したが、皇后アレクサンドラや大地主階級が参戦に反対した。その勢力の代弁者が皇帝にも信頼されていたグレゴリー・ラスプーチンだ。 大戦は1914年7月28日、オーストリア-ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して勃発するが、皇后は7月13日にラスプーチンへ電報を打って相談、ラスプーチンは戦争が国の崩壊を招くと警告している。 そのやりとりを盗み見た治安当局は議会などにリーク、ラスプーチンは腹部を女性に刺されて入院することになった。入院中にロシアは総動員を命令、ドイツは動員を解除するよう要求。それをロシアが断ったため、ドイツは8月1日に宣戦布告している。ラスプーチンが退院したのは8月17日のことだ。 すでにドイツと戦争を始めていたロシアだが、ラスプーチンが復帰したことでいつ戦争から離脱するかわからない状況。それを懸念したイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣。チームにはアリーとレイナーが含まれていた。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013) このチームがラスプーチンを暗殺したのだが、致命傷になった銃弾の口径から止めを刺したのはレイナーだったと見られている。1917年3月にはニコライ2世が退位、ロマノフ朝は崩壊して臨時革命政府が成立する。「二月革命」だ。臨時政府は7月にエス・エルでフリーメーソンのアレキサンドル・ケレンスキーを首相に就任させた。戦争はイギリスの計画通り「継続」である。 それに対し、ドイツは即時停戦を主張していたボルシェビキのウラジミル・レーニンに目をつけ、4月にボルシェビキの幹部を亡命先からロシアへ列車で帰国させた。 8月になると臨時革命政府軍の最高総司令官になったのがラーブル・コルニーロフ将軍が反乱、事態を収拾できないケレンスキーは直前までメンシェビキだったレオン・トロツキーに助けを求める。結局、それが十月革命につながった。ボルシェビキ政権はドイツの思惑通りに即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出したが、すでにアメリカが参戦していたこともあり、ドイツは負けた。 フェリックス・ユスポフと同じようにブリングドン・クラブのメンバーだったブレアは1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になった。 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。 ブレアが党首になる直前のイギリス労働党は親イスラエルから親パレスチナへ変化しつつあった。その原因は、1982年9月にレバノンのパレスチナ難民キャンプのサブラとシャティーラで引き起こされた虐殺事件にある。 この虐殺はベイルートのキリスト教勢力、ファランジスト党が実行したのだが、その黒幕はイスラエル。ファランジスト党の武装勢力はイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧し、その際に数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われている。イギリス労働党の内部ではイスラエルの責任を問い、パレスチナを支援する声が大きくなった。 そうした情況を懸念したアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)である。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが組織の目的で、少なからぬメディアの記者や編集者が参加していた。 現在、イスラエルはガザでサブラとシャティーラにおける虐殺より多い1万1000人以上のパレスチナ人を殺している。その約4割は子ども。イスラエルに対する批判が高まるのは当然だ。そこでイスラエルは自分たちと緊密な関係にあるブレアを「人道調整官」にしようというのである。 ちなみに、ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドと親しく、首相を辞めた後、JPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得て大金持ちになっている。
2023.11.14
10月7日にパレスチナの武装グループがイスラエルを攻撃する前、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフは汚職容疑で逮捕、起訴は免れないと言われていた。この点、スキャンダルまみれのジョー・バイデン大統領と立場は似ている。バイデンの場合、ウクライナでロシアに敗れた事実を隠しきれなくなったという問題も生じている。 ハマスの攻撃は「奇襲」だとされたが、ガザが強制収容所化している現実を知っているイスラエル人は政府の主張を怪しんだであろうが、さらに、イスラエルの新聞ハーレツなどはイスラエル軍が侵入した武装集団と一緒に人質のイスラエル人を砲撃したり戦闘ヘリで攻撃したと伝えている。イスラエル市民をイスラエル軍は殺害したということだ。(ココやココ) また、攻撃が始まった直後、イスラエルの子ども40人が斬首されたという話が流れ、アメリカのジョー・バイデン大統領やイスラエルのニル・バルカット経済相も子ども40人の斬首話を広めたのだが、作り話だったことがすぐ判明している。 その一方、ハマスの攻撃を口実にしてイスラエル軍が始めた攻撃は民族浄化作戦にほかならない。空爆で脅してガザの住民をエジプトへ、ヨルダン川西岸の住民をヨルダンへイスラエルは移住させようとしていたようだが、これは実現できず、地上戦を戦わなければならなくなった。たとえハマスとイスラエルとの間で話し合いができていたとしても、イスラム世界で燃え上がった怒りの炎は簡単に消えないだろう。 そうした怒りはイスラム世界を超え、世界に広がっている。フランスでもイスラエル軍による虐殺に抗議する声が高まり、エマニュエル・マクロン大統領はイスラエルに対し、ガザの女性や子どもを殺さないように訴えざるをえなくなるのだが、ほどなくしてマクロンはイスラエルのイツハク・ヘルツォグ大統領に対し、イスラエルによるパレスチナ市民の殺害を批判しているわけではないと「弁明」している。 欧米帝国主義の終焉は近いようだ。
2023.11.14
日本では「問うに落ちず語るに落ちる」ということわざがある。イスラエルのギラド・エルダン国連大使は10月8日に安全保障理事会で「これはイスラエルの9/11だ」と演説、ヨアブ・ギャラント国防相はパレスチナ人を「獣」だと表現した。またアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官はハマスの攻撃について「9/11の10回分に相当する」と主張している。 イスラエル政府とアメリカ政府はハマスにイスラエルを攻撃させ、ガザで民族浄化作戦を始めたのだが、その結果、サウジアラビアのリヤドでアラブ・イスラム首脳会議が緊急開催された。これまで対立していた国の首脳が一堂に会したのである。中国やロシアもガザでの大量殺戮を批判している。ネオコンはまたもや大きな計算間違いを犯した。
2023.11.13
ハマスはムスリム同胞団系の武装組織。イスラエルから承認を受けたうえでカタールから資金を得てきたと言われている。イスラエル政府はハマスのガザ支配を積極的に支援していたのだ。 創設者のシーク・アーメド・ヤシンはムスリム同胞団の一員で、1973年にムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を、そして76年にはイスラム協会を設立している。ハマスは1987年、イスラム協会の軍事部門として作られた。 イスラエルの元国会議員、モシェ・ファイグリンによると、このハマスを壊滅させるために「ガザをドレスデンや広島のように破壊」するのだという。実際、ガザはそうした状況で、すでの1万1000人以上の住民が殺され、そのうち約4割が子どもだ。自分たちが作り上げた「フランケンシュタイン」を壊滅させるという名目でガザのパレスチナ人を皆殺しにしようとしていると言われても仕方がないだろう。 イスラエル側でハマスと最も緊密な関係にある人物はベンヤミン・ネタニヤフだと言われている。シーモア・ハーシュによると、2009年に首相へ返り咲いた時、ネタニヤフはPLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした。そのため、ネヤニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。 10月7日にハマスの戦闘部隊はイスラエルへ攻め込んだ。「アル・アクサの洪水」だが、この軍事作戦の展開は奇妙だと少なからぬ人が指摘している。 2年ほど前から攻撃の準備を始めたようだが、その間、イスラエルの情報機関が察知できなかったとは考えにくい。もし察知できなかったのなら大変な失態だが、戦闘が始まってからイスラエル軍はハマスの交信を全て傍受しているようである。 ガザはイスラエルが建設した一種の強制収容所化である。その収容所を取り囲む壁には電子的な監視システムが設置され、人が近づけば警報がなるはず。警報が鳴れば地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっている。 ハマスの攻撃で約1400名のイスラエル人が死亡したとされているのだが、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装集団を壊滅させるため、選挙された建物を人質と一緒に砲撃で破壊したという。イスラエル市民をイスラエル軍は殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。 攻撃が始まった直後、イスラエルの子ども40人が斬首されたという話が流れ、アメリカのジョー・バイデン大統領やイスラエルのニル・バルカット経済相も子ども40人の斬首話を広めた。 しかし、この話は確認されていないと別の記者が指摘、そうした話を広めるのは無責任だと批判した。バイデンはイスラエルでテロリストが子供を斬首している確認された写真を見たと主張していたが、その翌日には発言を撤回、報道官はバイデンがそのような写真を見た事実はないと語っている。要するに、作り話だった。 ハマスの攻撃から数時間後、アメリカ政府は空母2隻、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させた。事前に攻撃を知っていなければ、これほど迅速に派遣することは不可能だと考えられている。 この攻撃はまさに「イスラエルの9/11」だった。ハマスの攻撃はガザからパレスチナ人を消し去りたいネタニヤフのような人びとにとり、願ってもないことだったであろう。
2023.11.13
フィリピンのボンボン・マルコス政府はRAA(相互アクセス協定)について日本と交渉すると発表した。この協定が成立すると、フィリピンと日本は互いの領土に軍隊/自衛隊を展開することが許され、軍事的即応性と協力がさらに強化されるという。岸田文雄首相は11月3日から5日にかけてフィリピンとマレーシアを訪問、フィリピンでは共同記者会見でRAAの交渉開始や日米比3カ国の協力を強化していくとしていた。日本はすでにオーストラリアと同様の協定を締結している。 言うまでもなく、この協定はアメリカの軍事戦略に基づいているが、その戦略はハルフォード・マッキンダーが1904年に発表した理論に基づいている。その理論はユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという内容で、イギリスの支配層が19世紀に始めた「グレート・ゲーム」を進化させたものだ。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もマッキンダーの理論に基づいている。 この戦略は1991年12月にソ連が消滅した後、ネオコンによって暴走し始めた。彼らはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、世界は自分たちの考えだけで動かせる時代に入ったと考えるようになったのである。そして侵略戦争を本格化させていく。 当時のアメリカ大統領はジョージ・H・W・ブッシュだが、この好戦的な動きはリチャード・チェイニー国防長官の下で、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になり、DPG(国防計画指針)という形で作成された。「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。旧ソ連圏を制圧するだけでなく、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐと謳っている。 ところが、日本の細川護熙政権は国連中心主義から離れない。そこでマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が主張されている。 そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)るという事件が引き起こされた。地下鉄サリン事件の10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。 さらに、8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。日本政府に対する恫喝だった可能性がある。 結局、日本は戦争への道を歩み始め、自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設、19年には奄美大島と宮古島にも作った。2023年には石垣島でも完成させている。 アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が昨年に発表した報告書によると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけ。 その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにする。そしてASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたという。 日本は軍事拠点を作るだけでなく、高性能兵器の開発にも乗り出していると伝えられている。例えばアメリカと共同で音速の5倍以上で侵入してくるHGV(極超音速滑空体)を迎撃するミサイル技術の研究開発を考え、昨年7月24日には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所で迎撃ミサイルに必要な速度に到達することが可能だとされるエンジンの飛行試験を初めて実施した。 極超音速で飛行するミサイル自体も研究だと言われ、HGVではなくエンジンによって推進力を得る極超音速巡航ミサイル(HCM)の開発を目指しているという。2026年には九州や北海道の島々へ配備したいようだ。 しかし、日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという話が出てきた。トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。「反撃能力」というタグがつけられているが、実際は先制攻撃能力だ。攻撃する相手は中国だけでなく、その同盟国であるロシアも含まれる。日本にミサイルを開発させる時間的余裕がなくなったのかもしれない。 その後、さらにトマホークの導入を前倒しすることになる。当初の計画では2026年度から最新型を400機だったが、25年度から旧来型を最大200機に変更するとされている。 日本が昨年1月にRAAを締結したオーストラリアはアメリカやイギリスとAUKUS(A:オーストラリア、UK:イギリス、US:アメリカ)という軍事同盟を太平洋に作っている。そのAUKUSに日本政府は近づこうとしていた。 AUKUSは中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だとも指摘されたが、NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。 アメリカやイスラエルから軍事物資の提供を受け、数年にわたって兵士の訓練も実施されたジョージアは2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で惨敗。2015年9月末にシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍はダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)は敗走させた。 アメリカ軍は2017年4月にトマホーク・ミサイル59機を、また翌年の4月には同じタイプのミサイルを100機以上シリアに向かって発射したが、ロシアの防空システムS-300、S-400、パーンツィリ-S1、そしてECM(電子対抗手段)などで6割から7割を無力化、ロシアの技術力がアメリカを上回ることを示した。 シリアでは軍事介入した直後、ロシア軍はカスピ海に浮かべた艦船から26基の巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中させ、兵器の優秀さにアメリカ軍は驚いたと言われている。 こうした実戦により、世界の人びとはアメリカ軍よりロシア軍が優秀だということを知り、アメリカ離れを加速させることになったが、東アジアには日本というアメリカの絶対的な属国が存在する。台湾や韓国の現政府もアメリカに従属しているが、国全体では反発が強い。そうした中、日本とフィリピンは中国やロシアと戦争する方向へ動いている。
2023.11.12
イスラエルはアカバ湾と地中海をつなぐ「ベン・グリオン運河」を計画している。スエズ運河はエジプト領にあるが、新運河はエーラト港からヨルダンとの国境沿いを進み、ガザの北側から地中海へ出るルート。この計画が実現するとイスラエルは世界の物流に対する影響力を手にできるが、問題はパレスチナ人を封じ込めているガザ。新運河の不安定要因になる。その問題を解決するためにはガザからパレスチナ人を消し去らねばならないとイスラエルが考えても不思議ではない。 ガザには天然ガスの問題もある。地中海東部、エジプトからギリシャにかけての海域で天然ガスや石油が発見されているのだ。この海域に9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っていることがわかっている。ガザ沖にも天然ガスは存在、その開発が進んでパレスチナの経済が豊かになることをイスラエルは恐れている。 イスラエルは1948年5月14日に「建国」されたが、その時点から「大イスラエル構想」は存在していた。ユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だというのだ。 その構想を実現しようとしていた人びとはユダヤ教の宗教書であるトーラー(キリスト教徒が言う旧約聖書のうちモーセ5書)の記述を根拠だとしているが、トーラーによると、土地を所有しているのは神であり、ユダヤ教徒はトーラーを守るという条件の下でその土地に住むことを許されただけだ。大イスラエル構想はプロテスタントが言い始めたのだとも言われている。 しかし、「建国」際に大イスラエルを実現できない。1967年6月5日にイスラエルは第3次中東戦争を仕掛ける。この年の3月から4月にかけてイスラエルはゴラン高原のシリア領にトラクターを入れて土を掘り起こして挑発、シリアが威嚇射撃するとイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレートしていった。 軍事的な緊張が高まったことからエジプトは1967年5月15日に緊急事態を宣言、部隊をシナイ半島へ入れた。5月20日にはイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトは予備軍に動員令を出す。そして22日にナセル大統領はアカバ湾の封鎖を宣言した。 イスラエルはこの封鎖を「イスラエルに対する侵略行為」だと主張、イスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官が5月30日にアメリカを訪問、リンドン・ジョンソン米大統領に開戦を承諾させた。そして6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発する。 この戦争で圧勝したイスラエル軍はガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領したが、占領を続けられなかった。それでもゴラン高原の西側3分の2を不法占拠は続け、ヨルダン川西岸では不法入植で侵食してきた。そしてガザでの民族浄化作戦だ。 ハマスを含むパレスチナ系武装グループが10月7日にイスラエルへ攻め込んだ。軍事作戦「アル・アクサの洪水」だが、この攻撃をイスラエル政府やアメリカ政府は事前に知っていた可能性が高い。その根拠は本ブログでも書いてきた。この攻撃を受け、攻め込んだ戦闘員と一緒にイスラエル軍はイスラエル人を殺傷しているとイスラエルのメディアも報じている。 この攻撃を口実としてイスラエル軍はガザのパレスチナ人に対する無差別攻撃を開始、エジプト領のシナイ半島へ移動するように命じたが、エジプト政府は国境を開けず、パレスチナ人は移動を拒否した。そこで皆殺し作戦へ切り替えたようだ。 イギリスの支配層が19世紀に策定した長期戦略にとって紅海から地中海へ抜ける運河は重要な意味を持つ。その運河のそばにイギリスが作り上げた国がサウジアラビアとイスラエルにほかならない。 イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設。その翌年にスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけた。 1917年11月2日、イギリス外相だったアーサー・バルフォアはウォルター・ロスチャイルドに書簡を出す。その中で「ユダヤ人の国」を建設することに同意すると書かれている。 1920年代に入るとパレスチナでアラブ系住民はそうした動きに対する反発が強まり、それを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成。そしてアイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用することになる。この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1948年5月にイスラエルの「建国」が宣言される。 シオニストには強力なスポンサーが存在した。その中にはエドモン・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグが含まれている。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012) ライオネル・ド・ロスチャイルドと親しくロシア嫌いだったベンジャミン・ディズレーリは1868年2月から12月、74年2月から80年4月まで首相を務めている。ディズレーリが1875年にスエズ運河運河を買収した際、資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドだ。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) 1880年代に入るとエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめた。この富豪はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドの祖父にあたる。
2023.11.11
イランのモハマド-レザ・アシュティアニ国防相は11月5日、ガザでのイスラエルによる敵対行為を終わらせなければ、アメリカが大きな打撃を受けるだろうと警告した。イスラエルはアメリカの支援なしに存在し得ない国で、国内にはアメリカ軍の基地が建設されている。 そうした基地のひとつ、ネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある「サイト512」にはレーダー施設があり、イランの動きを監視しているが、それだけでなく、オーストラリアにあるCIAのパイン・ギャップ基地はガザに関する電子情報を収集、そのデータをイスラエル国防軍に提供している。 イスラエル軍はすでに1万人を超すガザ住民を殺害、その約4割は子どもだ。その虐殺はハマスを含むパレスチナ系武装グループが10月7日にイスラエルを攻撃した結果だとされているが、状況証拠はイスラエル政府やアメリカ政府が事前に攻撃を知っていたことを示している。しかも、本ブログでも書いたように、ハマスの創設にはイスラエルが深く関与、特にベンヤミン・ネタニヤフ首相とハマスは緊密な関係にあった。 イスラエルに対する軍事作戦は「アル・アクサの洪水」と名付けられている。この攻撃で約1400名のイスラエル人が死亡したとされているのだが、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装集団を壊滅させるため、選挙された建物を人質と一緒に砲撃で破壊したという。イスラエル市民をイスラエル軍は殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。しかも、死亡者の多くはイスラエル軍関係者だという。 イスラエルはガザでの住民虐殺を止めていない。イスラエルによる敵対行為を終わらせなければ、アメリカが大きな打撃を受けるとイラン国防相は警告していたが、ヒズボラはレバノンとの国境周辺でイスラエル軍と戦闘を始めただけでなく、イラクやシリアに不法建設されたアメリカ軍基地もドローン、ミサイル、迫撃砲、ロケット砲などで攻撃している。アメリカのネットワーク局NBCによると、そうした攻撃で少なくとも45人の米軍人が負傷した可能性がある。 元CIA分析官のラリー・ジョンソンによると、メリーランド州ベセスダにある医療センターを定期的に訪れている人から、最近の基地攻撃で負傷したアメリカの軍人で病棟がいっぱいになっていると聞かされたという。アメリカ国内でイラクやシリアから撤退するべきだとする意見が増えることを恐れ、ホワイトハウスや国防総省はそうした情報を隠蔽している。情報の隠蔽という点ではイスラエルも同じだ。
2023.11.10
ウクライナでは来年、大統領選挙が実施される予定だが、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はそれに反対している。2022年2月にロシア軍がウクライナに対する攻撃を始めて以来戒厳令下にあり、戦時中の選挙を禁止されているからだが、選挙を実施すれば負けると考えているのだろう。 大統領の座から降りれば、在任中のさまざまな不正が追及される可能性がある。ロシア語を話す人々への弾圧を継続、厳しい言論統制を実施して政治的な反対勢力を非合法化、正教会を弾圧、その一方でアメリカ支配層のマネーロンダリングや生物兵器の研究開発を容認、西側から得た武器の横流しなどはすでに指摘されている。 最も大きな問題は、アメリカやイギリスの命令に従ってロシアとの無謀な戦争を続け、ウクライナの若者を死なせてきたことだろう。この戦争が始められたのは2013年11月。アメリカのバラク・オバマ政権がキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で「カーニバル」的な反政府イベントを開始したのだ。 年明け後、そのイベントは様相を一変、ステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチが前面に出てきた。2月に入ると、そのメンバーはチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ、トラクターやトラックを持ち出してくる。ピストルやライフルを撃っている様子を撮影した映像がインターネット上に流れた。 ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われる。西側ではこの狙撃はビクトル・ヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相は逆のことを報告している。バイデン政権を後ろ盾とするネオ・ナチが周辺国の兵士の協力を得て実行したというのだ。 ヤヌコビッチ政権は2月22日に倒され、大統領は国外へ脱出したが、有権者の7割以上がヤヌコビッチを支持していたウクライナの東部や南部では反クーデターの機運が高まり、クーデターから間もない3月16日にはクリミアでロシアへの加盟の是非を問う住民投票が実施された。投票率は80%を超え、95%以上が賛成する。 ドネツクとルガンスクでも5月11日に住民投票が実施された。ドネツクは自治を、またルガンスクは独立の是非が問われたのだが、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシアのウラジミル・プーチン政権は動かない。 それに対し、オバマ政権は動いた。ジョン・ブレナンCIA長官が4月12日にキエフを極秘訪問、22日には副大統領を務めていたジョー・バイデンもキエフを訪れた。バイデンの訪問に会わせるようにしてキエフのクーデター政権は黒海に面した港湾都市オデッサでの工作を話し合っている。そして5月2日、オデッサでクーデターに反対していた住民が虐殺された。 虐殺は5月2日午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。 広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導されている。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいる。 その後、外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になる様子は撮影され、インターネット上に流れた。建物へ向かって銃撃する人物も撮られているが、その中にはパルビーから防弾チョッキを受け取った人物も含まれている。 建物の中は火の海になる。焼き殺された人は少なくないが、地下室で殴り殺されたり射殺された人もいた。その際、屋上へ出るためのドアはロックされていたとする情報もある。会館の中で48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられたが、現地の人の話では多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名に達するという。虐殺の詳しい調査をキエフのクーデター政権が拒否しているので、事件の詳細は今でも明確でない。その後、オデッサはネオ・ナチに占領された。 オデッサの虐殺から1週間後の5月9日、クーデター政権は戦車部隊をドンバスへ突入させた。この日はソ連がドイツに勝ったことを祝う記念日で、ドンバスの住民も街に出て祝っていた。その際、住民が素手で戦車に立ち向かう様子が撮影されている。そしてドンバスで内戦が始まるのだ。 しかし、クーデター後、軍や治安機関から約7割の兵士や隊員が離脱し、その一部はドンバスの反クーデター軍に合流したと言われている。そのため、当初は反クーデター軍が戦力的に上回っていた。 そこでクーデター体制は内務省にネオ・ナチを中心とする親衛隊を組織、傭兵を集め、年少者に対する軍事訓練を始めた。並行して要塞線も作り始めている。その時間稼ぎに使われたのがミンスク合意だ。 合意が成立した当時から西側では「時間稼ぎに過ぎない」と指摘する人がいたが、この合意で仲介役を務めたドイツのアンゲラ・メルケル(当時の首相)は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。その直後にフランソワ・オランド(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語っている。 ミンスク合意で8年稼いで戦力を強化、昨年初頭からドンバスへの大規模な攻撃が噂されるようになる。ドンバス周辺にキエフ政権が部隊を集結させ、砲撃が激しくなったからだ。 そうした中、昨年2月24日にロシア軍がドンバス周辺に集結していたウクライナ軍をミサイルで壊滅させ、キエフ側の軍地基地や生物兵器の研究開発施設などをミサイルで攻撃し始める。これでロシア軍とウクライナ軍の戦いはロシア軍の勝利が決まった。その後、戦闘が続いたのはアメリカやイギリスが戦闘の継続を命令、武器や弾薬を供給したからである。 ロシア軍の攻撃が始められてから今年の秋までに約50万人のウクライナ兵が戦死したと言われ、ベン・ウォレス前英国防相は10月1日、テレグラフ紙に寄稿した記事の中でウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えていると指摘、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求している。「学徒動員」や「少年兵」を前線へ送り出せというわけだ。ロシア軍の戦死者は5万人から10万人と言われている。 こうした状況であるにもかかわらず、西側の有力メディアは「ウクライナが勝っている」と宣伝していたが、今年の秋にはウクライナ軍は勝てないと書くようになる。ホワイトハウスでも、ジョー・バイデン大統領、ビクトリア・ヌランド国務次官、ジェイク・サリバン国家安全保障補佐官などのグループは孤立しつつあるようだ。 ウクライナではゼレンスキー大統領の側近が離反し始めていたが、最近ではウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官は西側の有力メディアに対し、戦況が膠着状態にあると語った。(ココやココ) そのザルジニー最高司令官の副官を務めていたゲンナジー・チェスチャコフ少佐が自宅で死亡した。「贈り物の箱」に入っていた手榴弾のピンを自分で引き抜いたと言われている。
2023.11.09
パレスチナ問題は1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言された時から始まる。多くのアラブ系住民が住む土地へ外部からシオニストが乗り込み、先住の民を殺し、追い出して「ユダヤ人の国」を作り上げたのだ。ヨーロッパから移住してきた人びとが先住民である「アメリカ・インディアン」を殺戮してアメリカが作られた過程に似ている。 シオニストとはエルサレムの南東にあるシオンの丘へ戻ろうというシオニズム運動の信奉者で、ユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えている。その地域を実際に支配しようとしてきた。いわゆる「大イスラエル構想」だ。ユダヤ教の宗教書であるトーラー(キリスト教徒が言う旧約聖書のうちモーセ5書)がその根拠だとされている。 シオニズムという用語はウィーン生まれのナータン・ビルンバウムが1864年に初めて使ったという。そして1896年にはセオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本を出版している。 シオニストはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えているが、現在のイスラエルにもそう主張している人たちがいて、その計画は「大イスラエル構想」と呼ばれている。この構想はプロテスタントが言い始めたのだとも言われている。 しかし、トーラーによると、土地を所有しているのは神であり、ユダヤ教徒はトーラーを守るという条件の下でその土地に住むことを許されたのだという。こうした記述をシオニストは自分たちに都合よく解釈したのであり、その主張と行動はトーラーの記述と合致しないと指摘する人もいる。 イスラエルを建国させたのはイギリスの支配層であり、現在、支えているのはアメリカ。そのアメリカでは先住民が虐殺され、土地が奪われていたが、1830年にはアンドリュー・ジャクソン大統領が「インディアン排除法」(日本では「インディアン移住法」と言い換えている)に調印している。 1861年から65年にかけての南北戦争を経て1890年にはウンデット・ニーで先住民の女性や子供が騎兵隊に虐殺されるという出来事があったが、この時点における先住民の人口は約25万人。クリストファー・コロンブスがカリブ海に現れた1492年当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。数字に幅があるのは、何人虐殺されたか不明だからだ。生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。 アメリカで民族浄化が進められていた1838年、イギリス政府はエルサレムに領事館を建設している。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査。アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。 1917年11月2日、イギリス外相だったアーサー・バルフォアはウォルター・ロスチャイルドに書簡を出す。その中で「ユダヤ人の国」を建設することに同意すると書かれている。 1920年代に入るとパレスチナでアラブ系住民はそうした動きに対する反発が強まり、それを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成する。そしてアイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用することになる。この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。 1948年5月にイスラエルの建国が宣言されたが、ナチスの弾圧でドイツから逃げ出したユダヤ人の大半はアメリカやオーストラリアへ向かい、パレスチナを目指した人は少なかった。そこでイラクに住んでいたユダヤ人に対するテロを実施、イスラエルへ向かわせた。 シオニストの計画が順調に進んだとは言い難いが、彼らには強力なスポンサーが存在した。多額の資金を提供していた富豪の中には、エドモン・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグが含まれている。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012) ライオネル・ド・ロスチャイルドと親しかったベンジャミン・ディズレーリは1868年2月から12月、74年2月から80年4月まで首相を務めているが、この政治家のロシア嫌いとユダヤ人支持は有名。ディズレーリが1875年にスエズ運河運河を買収した際、資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドだった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) 1880年代に入るとエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめた。この富豪はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドの祖父にあたる。 ベンヤミン・ネタニヤフ首相の父親ベンシオンが秘書を務めていたウラジミル・ヤボチンスキーは帝政ロシア時代のオデッサ(現在はウクライナ領)で生まれ、ウクライナで彼は独立運動を率いていたシモン・ペトリューラと連携している。ロシア革命の後、ペトリューラは大統領を名乗るが、その時期にペトリューラは3万5000人から10万人のユダヤ人を虐殺したという。(Israel Shahak, “Jewish History, Jewish Religion,” Pluto Press, 1994) 1925にヤボチンスキーは戦闘的なシオニスト団体である「修正主義シオニスト世界連合」を結成。その流れの中からリクードも生まれた。1931年にはハガナから分かれる形で「イルグン」が組織されるが、その後、ヤボチンスキーはパレスチナに住むユダヤ人に対し、イギリス軍へ参加するように求めた。 これに反発したアブラハム・スターンはイルグンを飛び出し、1940年8月に「ロハメイ・ヘルート・イスラエル(レヒ)」を新たに組織する。創設者の名前から「スターン・ギャング」とも呼ばれている。 レヒの創設とほぼ同時にヤボチンスキーはニューヨークで心臓発作のために死亡、その後継者に選ばれたのがメナヘム・ベギン。後のイスラエルの首相になる人物だ。 イスラエルを建国するため、シオニストは1948年の4月上旬に「ダーレット作戦」を開始、ハガナの手先としてイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲撃、住民を虐殺した。 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字の人物によると、住民254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) こうした虐殺に怯えた少なからぬ住民は逃げ出した。約140万人いたアラブ系住民のうち、5月だけで42万人以上がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。国連は1948年12月11日、パレスチナ難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。 その間、1948年5月20日に国連はフォルケ・ベルナドットをパレスチナ問題の調停者に任命した。彼は6月11日から始まる30日間の停戦を実現したものの、7月8日に戦闘が再開され、9月17日にはスターン・ギャングのメンバーに暗殺された。 こうして誕生したイスラエルを日米欧は支援、先住民であるパレスチナ人をテロリスト扱いしている。
2023.11.08
ガザでの破壊と殺戮の結果、イスラエルとアメリカに対する批判が世界的に高まっている。EUや日本はイスラエルを支援しているが、それはエリート層での話。欧米ではイスラエルの虐殺を批判する大規模なデモが繰り広げられている。特にイスラム世界での怒りは強く、その矛先はアメリカ軍の基地に向けられ始めた。 もし中東のイスラム諸国が団結して石油の輸出を止めた場合、日米欧は窮地に陥る。1973年にOPEC(石油輸出国機構)は石油価格を大幅に引き上げ、世界は揺れた。「オイル・ショック」だ。 しかし、この石油価格引き上げはアメリカの計画だった。サウジアラビア国王の腹心で石油鉱物資源相を務めたシェイク・ヤマニによると、この値上げを決められたのは1973年5月にスウェーデンで開かれた「秘密会議」。そこでアメリカとイギリスの代表が原油価格を400%値上げするように要求したのだ。この秘密会議は1973年5月11日から13日にかけてスウェーデンで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にほかならない。 今回、石油の輸出が止められたとするならば、それはイスラム諸国の意志ということになり、1973年のオイル・ショックとは本質的に異なる展開になるはずだ。 ガザを救うために軍事介入、イスラエルに対する攻撃が始まったならば、イスラエルは核兵器を使用する可能性がある。イスラエルはアメリカと同様、核兵器を使用すると脅してきたと言われている。 イスラエルは世界有数の核兵器保有国である。その実態を初めて具体的に告発者したのはモロッコ出身のモルデカイ・バヌヌ。1977年8月から約8年間、技術者としてディモナの核施設で働いていた。彼の証言は1986年10月にサンデー・タイムズ紙が掲載した記事に書かれている。それによると、その当時、イスラエルが保有していた核弾頭の数は150から200発。水素爆弾をすでに保有し、中性子爆弾の製造も始めていたという。中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしている。後にカーターはイスラエルが保有する核兵器の数を150発だとしている。 また、イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベン-メナシェによると、1981年時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上。水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991) 告発を決意したバヌヌはオリジナルの写真を持ってオーストラリアへ向かい、教会でバヌヌはフリーランス・ジャーナリストのオスカル・ゲレロと知り合う。そして、このジャーナリストがバヌヌの写真を地元の「シドニー・モーニング・ヘラルド」に持ち込んだ。 しかし、同紙は写真と証言を紙面に掲載することを断り、その一方でゲレロが持ち込んだ話を対内情報機関のASIO(オーストラリア安全保障情報機構)に通報、その情報はさらに対外情報機関のASIS(オーストラリア安全保障情報局)へと流れた。ASISはその情報をイスラエルへ知らせた。 シドニー・モーニング・ヘラルド紙と同じ系列の「ザ・エイジ」にも掲載を拒否されたゲレロはロンドンに向かい、デイリー・ミラーへ持ち込んだが、ミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルはイスラエルの情報機関に雇われていた。軍の情報機関(アマン)に所属していたと言われている。同紙の国外担当編集者だったニコラス・デービスはイスラエルのエージェントだ。 バヌヌに関する情報を入手したイスラエルの情報機関モサドのロンドン支局長はイギリスで国内を担当している治安局(MI5)にイスラエルが安全保障上の問題を抱えていることを伝えてバヌヌ監視の協力を要請する。MI5はイギリス国内で政治的、あるいは外交的問題を引き起こさないという条件で協力を約束した。 モサドはバヌヌをロンドンで拉致してイスラエルへ連行することができないため、彼をイタリアのローマにおびき出すことにした。そして登場してくるのが「シンディ・ハニン・ベントフ」なる女性だ。 シンディは散歩中のバヌヌに何気なく話しかけてパブに誘う。そうしたデートを何回か重ねた後、バヌヌはローマへ旅行しないかと持ちかけられ、ローマ行きを承知する。ローマで彼はモサドのエージェント3名に拘束された。ローマで大きな箱に押し込められたバヌヌは船でイスラエルのアシュドッドに運ばれている。 イスラエルが核兵器を開発しているのではないかとアメリカ政府が最初に疑ったのは1958年のこと。CIAの偵察機U2はネゲブ砂漠のディモナ近くで何らかの大規模な施設を建設している様子を撮影、それは秘密の原子炉ではないかという疑惑を持ったのだ。 そこでCIAのアーサー・ランダールはドワイト・アイゼンハワー大統領に対し、ディモナ周辺の詳細な調査を行うように求めたが、それ以上の調査が実行されることはなかった。 ランダールが大統領に報告する際、通常はアレン・ダレスCIA長官やジョン・フォスター・ダレス国務長官が同席したというが、両者も調査の続行を要求していない。後にこの施設がフランスとの秘密協定に基づいて建設された2万4000キロワットの原子炉だということが判明する。 イスラエルの科学者は1960年2月、サハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加しているが、その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有、63年にはイスラエルとフランスが共同で核実験を南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施した。その後、国防副長官だったシモン・ペレスは科学データの収集を目的とするLAKAM(科学情報連絡局)を創設して核開発推進の体制固めを行っているが、こうしたイスラエルとフランス、国としての関係は1967年の第3次中東戦争で壊れた。 そうした時、イスラエルへ核物質を供給したのがアメリカのNUMECだが、同社の核物質管理に不自然な点のあることをアメリカ原子力委員会(AEC)は1960年頃に見抜き、65年になるとウェスチングハウスやアメリカ海軍からNUMECへ持ち込まれた濃縮ウランのうち90キログラム以上が行方不明になっていることに気づいた。このほかの分を含めると、NUMEC関係の「紛失核物質」の総量は178キログラムから270キログラムに達すると言われている。 ジョン・F・ケネディ大統領はNUMECの問題にメスを入れようとしたが、1963年11月22日に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンはこの問題を封印する。 ジョンソンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはイスラエルの建国や核兵器開発のスポンサーのひとりで、ハリー・トルーマンのスポンサーでもあった。 CIAのカール・ダケットは1968年、イスラエルは3ないし4発の核爆弾を製造したと推測、77年にNUMEC事件についてAECで暴露してしまい、イスラエルは重要な核物質の供給源を失う。 そこで行われた工作のひとつとして、モサドは200トンの酸化ウラニウムを1968年にソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックから購入している。「プラムバット作戦」だ。このほか。イスラエルはアメリカから3600キログラム以上のウランとプルトニウムを盗み出したという。 1967年からフランスに代わってイスラエルの核兵器開発に協力したのが南アフリカ。イスラエルはウランを入手するかわりに核技術や兵器を提供する。1976年1月にイスラエルのテルアビブに南アフリカ大使館が開設され、4月には南アフリカのジョン・フォルスター首相がイスラエルを訪問している。 そして1977年8月、ソ連のレオニド・ブレジネフ書記長はアメリカのジミー・カーター大統領に対し、カラハリ砂漠で南アフリカが核実験を準備している証拠をコスモス衛星がつかんだと警告、この話はイギリス、フランス、そして西ドイツにも伝えられた。その直後、アメリカの衛星もカラハリ砂漠で地下核実験の準備が進んでいることを確認。核兵器はイスラエル製だったと信じられている。 この実験は米ソなどの圧力で中止になったが、1979年9月にアメリカのベラ衛星が南インド洋、南アフリカの近くで強い閃光を観測。CIAやDIAの判断は、「90パーセント以上の確率で核爆発だ」というものだった。イスラエルと南アフリカの共同核実験だったのである。アリ・ベン-メナシェによると、南インド洋での実験で使用された核兵器の運搬手段は175ミリ砲だった。 その後、南アフリカはイラクへ接近、イスラエルはサハラ砂漠以南のアフリカ諸国と関係を深める。そして1981年6月、イスラエル軍機はイラクの原子炉を爆撃して破壊した。 南アフリカとの関係が悪化したイスラエルはウラン、チタン、モリブデン、重水、トリチウムなどを入手するため、ペルーに目を付ける。そうした希少金属を産出する地域を支配していたのは反政府ゲリラ、センデロ・ルミノソ(輝く道)だった。 このゲリラを率いていたアビマエル・グスマン・レイノソ元ウアマンガ大学教授はドイツ系ユダヤ人の父親とインディオのメイドとの間に生まれた人物。イスラエルは2800万ドルでそれぞれの物質を500キログラムずつ手に入れることができたという。 ともかく、イスラエルは少なからぬ核兵器を保有している。 ムーサ・アブ・マルズークが率いるハマスの代表団は10月26日にモスクワでロシアの政府要人と会談したが、その数日前、ウラジミル・プーチン大統領はロシア軍参謀総長のヴァレリー・ゲラシモフと会談するため、ロシア軍の南部軍司令部を訪れた。 原子力潜水艦から射程5500キロの弾道ミサイルを発射したこと、カムチャッカから射程1万2000キロの弾道ミサイルを発射したこと、TU-95爆撃機から射程5500キロの巡航ミサイルを発射したことについて、ゲラシモフはプーチンに報告したようだ。アメリカに対する報復攻撃のテストだったと見られている。アメリカだけでなく、イスラエルの動きを警戒してのことかもしれない。
2023.11.07
ハマスを含むパレスチナ系武装グループは10月7日にイスラエルへ攻め込んだ。軍事作戦「アル・アクサの洪水」である。この攻撃で約1400名のイスラエル人が死亡したとされているが、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装集団を壊滅させるため、選挙された建物を人質と一緒に砲撃で破壊したという。イスラエル市民をイスラエル軍は殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。 イスラエル政府はハマスの残虐さを宣伝、ハマスの戦闘員がイスラエル人に発砲している映像を公開しただけでなく、タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、軍事基地内でイスラエルの当局者は黒焦げの死体を撮影した写真に「ハマスの猛攻撃による殺人、拷問、斬首の悲惨な現場」という説明をつけて記者に示したという。そしててイスラエルの子ども40人が斬首されたという話を流した。 アメリカのジョー・バイデン大統領やイスラエルのニル・バルカット経済相も子ども40人の斬首話を広めたが、別の記者がこの話は検証されていないと指摘、そうした話を広めるのは無責任だと批判する。 バイデンはイスラエルでテロリストが子供を斬首している確認された写真を見たと主張していたが、翌日には発言を撤回、報道官はバイデンがそのような写真を見た事実はないと語った。バイデンはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の話をそのまま事実として口にしただけだと説明されている。 いつものことながら、西側の有力メディアが伝えた話は如何わしい。相当数のイスラエル市民がイスラエル軍に殺された可能性が高いのだ。しかも、そうした情報がイスラエル国内で伝えられている。 現在、イスラエル軍はガザに対する激しい空爆を繰り広げているが、そこでも人質のイスラエル人を殺していると見られている。パレスチナ人をガザから追い出すことに失敗した後、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はパレスチナ人皆殺しを決断したとしか思えない攻撃を続けている。 イスラエルにアメリカ軍の基地がある。軍事物資が保管されているほか、ガザから30キロメートル余り、ネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある「サイト512」にはイスラエルを攻撃するイランのミサイルを監視するレーダー施設がある。 ガザに関する電子情報の収集はオーストラリアにあるパイン・ギャップ基地が利用されている。そこで収集されたデータはイスラエル国防軍に提供されている。 この通信傍受基地は1966年12月にアメリカとオーストラリアとの間で結ばれた秘密協定に基づいて建設された。協定の有効期限は10年。1976年までに更新しないと基地を閉鎖しなければならない。オーストラリアの首相だったゴフ・ホイットラムが更新を拒否することをアメリカ側は懸念していた。 ホイットラムは1972年12月の総選挙で勝利して首相に就任すると、自国の対外情報機関ASISに対してCIAとの協力関係を断つように命令していた。デイビッド・レイによると、ウイットラムはチリのクーデターに関する情報を入手、チリでASISがCIAと共同でサルバドール・アジェンデ政権を崩壊させる工作を実行していたことを知っていたという。(David Leigh, "The Wilson Plot," Pantheon, 1988) そこでCIAは1975年11月、イギリス女王エリザベス2世の総督だったジョン・カーにホイットラム首相を解任させた。実際に動いたのはアメリカのCIAやイギリスのMI6だが、総督がいなければ解任できない。総督は名誉職だと考えられていたが、そうではなかったのである。 アメリカのジャーナリスト、ジョナサン・ウイットニーによるとカーは第2次世界大戦中の1944年、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣されてCIAの前身であるOSS(戦略事務局)と一緒に仕事をしている。大戦後もCIAと深い関係にあった。(Jonathan Kwitny, "The Crimes of Patriots," Norton, 1987) ウクライナでアメリカ/NATOはロシアに敗北した。この事実が世界に広まると、アメリカは「神の国」だという神話が崩れる。第3次中東戦争のようにイスラエル軍が圧勝する姿を示したいとネオコン、リクード、キリスト教福音主義者(聖書根本主義者、または旧約聖書カルト)は考えただろう。 しかし、地上軍がガザに侵攻、制圧する状況にはないようだ。シーモア・ハーシュによると、すでにイスラエル兵は地下施設へ入り込み、燃料不足からハマスのメンバーは窒息死の可能性があるというが、断片的に伝えられる情報からイスラエル軍は地上で苦戦していると分析する元CIA分析官もいる。 イスラエルはガザ内部への物資流入を阻止する一方、通信を遮断して情報が外部へ漏れないようにしているが、これは残虐行為が知られることを恐れているだけでなく、イスラエル軍の犠牲も知られたくないのかもしれない。
2023.11.07
10月7日にパレスチナの武装グループがイスラエルを陸海空から攻撃した頃、アメリカのジョー・バイデン大統領とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は窮地に陥っていた。 アメリカはネオ・ナチを使い、ウクライナでロシア軍と戦っていたが、アメリカ側の敗北を隠しきれなくなっていた。スキャンダルまみれのバイデンにとって致命的だ。汚職事件で逮捕、起訴は免れないと言われていたネタニヤフも追い詰められていた。 しかし、ガザでの戦闘によってバイデンとネタニヤフは一息つくことができたとは言えない。バイデン政権とネタニヤフ政権は事前に攻撃計画を知っていた可能性が高いのだが、その後、イスラエルはパニックに陥っているとしか考えられないのだ。 冷静に考えれば、ハマスの攻撃を強調すべきなのだが、ガザで無差別攻撃を始め、1万人以上の市民をすでに殺したと見られている。そのうち約4割は子どもで、子どもの死体を写した写真、映像が世界へ発信されている。そうした情報が漏れることを防ぐため、インターネットを遮断したが、それでも漏れる。イスラエルがガザで住民を大量殺戮していることを世界の人は知った。 ネタニヤフはリクードの政治家だが、1970年代までイスラエルにおけるリクードやその主体になった政党の影響力は大きくなかった。リクードをイスラエルにおける政治の中心に押し出したのはアメリカのキリスト教福音主義者(聖書根本主義者)だ。 この宗派はアメリカを「神の国」、アメリカ軍を「神軍」だと信じていた。神軍であるアメリカ軍はベトナム戦争で簡単に勝てると考えていたのだが、勝てない。その実態を多くのアメリカ人は1968年1月のテト攻勢で知ることになった。ベトナム戦争に反対していたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたのは1968年4月4日。同年6月6日にはキングと親しかったロバート・ケネディも暗殺されている。 そうした時、福音主義者を引きつけたのがイスラエルだ。同国の軍隊は1967年6月5日から6日間でアラブ諸国の軍隊を蹴散らしてヨルダン川西岸とガザを占領、約43万9000人の新たなパレスチナ難民がヨルダン川東岸へ移動している。ちなみに、この時にゲリラ戦でイスラエル軍を苦しめたのがファタハである。 今回のガザ攻撃もネタニヤフ政権を支援しているキリスト教シオニストはネオコンとも結びついている。このネオコンが台頭したのは1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権の時代だ。 ネオコンは米英金融資本とも結びついているが、「ユダヤ人の国」の建設にも金融資本は重要な役割を果たした。1917年11月2日、イギリス外相だったアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を送り、その後、先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を弾圧する一方でユダヤ人の入植を進めた。 1920年代に入るとパレスチナでアラブ系住民の反発が強まり、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用することになった。隊員の多くは第1次世界大戦に従軍した後に失業した元イギリス兵で、違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名になった。イギリス政府はその働きを評価、パレスチナへ投入したのだ。
2023.11.06
イスラエル政府は10月30日、同国の情報省がガザに住む230万人をシナイ半島に移住させることを提案した報告書を起草したと認めた。その文書の日付は10月13日で、ガザの全住民を北シナイへ強制的に移住させることを勧告。ガザから追放されたパレスチナ人を収容する「テント都市」をシナイ半島に建設し、その人びとがガザへ戻ることは永久に許可されないとしている。一時避難ではなく、永久追放だということだ。また、安全保障を扱うイスラエルのシンクタンク、ミスガブのアミール・ワイトマンもガザの住民をシナイの砂漠へ移し、難民は他国に吸収されるべきだとしている。 エジプトが引き受けろということだが、イスラエルがパレスチナ人をエジプトへ追放しようとしているとエジプトは懸念してきた。パレスチナを「イスラエルの問題」から「エジプトの問題」へ変えようとしているとも考えている。今回、エジプトが国境を開けようとしなかった理由はここにある。 ハマスはムスリム同胞団系の組織だが、エジプトでは一時期、厳しく取り締まられていた。現在のエジプトは1952年に自由将校団のクーデターでムハンマド・アリー朝が倒されて誕生した。クーデターの名目的な指導者はムハンマド・ナギブ将軍だが、実際に率いていたのはガマール・アブデル・ナセルだった。 ナギブを支えていたムスリム同胞団は1954年にナセル暗殺を試みて失敗、ナギブ大統領は解任され、同胞団は非合法化された。このときに同胞団の中心的存在だったひとり、サイド・ラマダンはムスリム同胞団を1928年に創設したハッサン・アル・バンナの義理の息子だ。この暗殺計画の黒幕はイギリスだと見られている。 亡命生活に入ったラマダンはサウジアラビアへ逃れ、そこで世界ムスリム連盟を創設、西ドイツ政府から提供された同国の外交旅券を使ってミュンヘン経由でスイスへ入っている。そこで1961年にジュネーブ・イスラム・センターを設立した。資金はサウジアラビアが提供したという。この当時、スイス当局はラマダンをイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAのエージェントだと見なしていたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) MI6は1956年2月頃にも暗殺を検討しはじめた。ロンドンにいたCIAのジェームズ・アイケルバーガーからワシントンのアレン・ダレスに宛てたテレックスの中に、MI6がナセルを殺す話をしていたとする記述があるのだという。アレン・ダレスやその兄のジョン・フォスター・ダレス国務長官もイギリスの考えに同調していた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) それから間もない1956年7月にナセルはスエズ運河の国有化を宣言、それに対してイギリスはプロパンダ放送局「自由エジプトの声」で反ナセルの宣伝を開始した。すでにフランスも反ナセルで動き始め、イスラエルに武器を提供しはじめている。(前掲書) 1956年8月にMI6のジュネーブ支局長だったノーマン・ダービシャーはムスリム同胞団のメンバーと会談、自宅に軟禁状態だったモハメド・ナギブ元大統領を解放して大統領に復帰させ、反ナセル派の将校は市民とナセルや閣僚の暗殺について協議すると伝えたという。(前掲書) ナセル時代に禁止されていたムスリム同胞団の活動を認めたのはアンワール・サダト。そこでムスリム同胞団のアブドゥラ・アッザムがカイロのアル・アズハル・モスクへ移動、さらにサウジアラビアのアブデル・アジズ国王大学で教鞭を執るようになった。そこでの教え子の中にオサマ・ビン・ラディンもいた。ガザからの難民を抱えるということは、こうしたムスリム同胞団系の武装組織を抱えることにつながり、国内の不安定要因になる。 こうしたイスラエルのやり方はアメリカでヨーロッパ人が先住民である「アメリカ・インディアン」に対して行った民族浄化と同じであり、パレスチナ人はイギリスが仕掛けた「イスラエル建国」で故郷を奪われた人びとだ。 イスラエルの建国が宣言されたのは1948年5月14日のことだが、そこには多くのアラブ系住民が住んでいた。その住民を追い出すため、シオニストの武装勢力は4月上旬に「ダーレット作戦」を始めている。これは1936年から39年にかけてシオニストがアラブ系住民を殲滅する作戦を展開した作戦の延長線上にあるとも見られている。 シオニストの軍隊、ハガナの副官だったイェシュルン・シフはエルサレムでイルグンのモルデチャイ・ラーナンとスターン・ギャングのヨシュア・ゼイトラーに会ったのは4月6日。イルグンもスターン・ギャングもシオニストのテロ組織だ。 その3日後にイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲撃、住民を虐殺する。襲撃の直後に村へ入った国際赤十字の人物によると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) こうした虐殺に怯えた少なからぬ住民は逃げ出した。約140万人いたアラブ系住民のうち、5月だけで42万人以上がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。 国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。そしてイスラエルの建国が宣言され、今、パレスチナ人はガザやヨルダン川西岸からも追い出されようとしている。 そして10月7日、イスラエルは攻撃を受けた。「アル・アクサの洪水」だが、この攻撃をアメリカのジョー・バイデン政権ややイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権は事前に知っていた可能性が高い。これは本ブログでも指摘したが、攻撃後、ネタニヤフ政権はパニックになったようにも見える。想定、あるいは筋書きと違ったのかもしれない。 今回の攻撃にはハマスだけでなく、イスラム聖戦、パレスチナ解放人民戦線、パレスチナ解放人民戦線総司令部(PFLP-CG)も参加していたと言われている。それに対してイスラエルはガザで破壊と殺戮を繰り返しているが、それによってイスラム世界は団結、「グローバル・サウス」の支援も強まった。
2023.11.05
ウクライナで生物兵器開発 アメリカの国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を行っていたが、ロシア軍は昨年2月24日から始めた軍事作戦の過程でウクライナ側の重要文書の回収、そこには生物化学兵器の研究開発に関する2万以上の文書も含まれていた。3月7日にはロシア軍のイゴール・キリロフ中将はそうした文書からウクライナには研究施設が30カ所あると発表している。DTRA(国防脅威削減局)から資金の提供を受け、CBEP(共同生物学的関与プログラム)の下で研究開発は進められたという。 そうした研究施設ではロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究をしていたほか、2019年からウクライナ兵を被験者としてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染実験が行われ、覚醒剤やモルヒネなどの薬物も使われていたという。 ウクライナでアメリカの生物兵器の研究開発施設を建設するという話が2013年に流れている。アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれたのだ。実際、建設された。 ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があるのだが、各研究所はハリコフより前の2010年から13年の間に建設されたという。 アメリカ国防総省はウクライナだけに研究施設を建設したわけではない。中東、東南アジア、アフリカ、そしてジョージアを含む旧ソ連諸国にもある。特に注目されているのはジョージアにあるルガー・センター(国立疾病管理公衆衛生センター)で、近くにアメリカ軍のバジアニ空軍基地がある。センターで軍事プログラムを担当しているのはアメリカ陸軍医療研究ユニット・グルジアの生物学者と民間業者で、CH2Mヒル、バテル、そしてメタバイオタが含まれる。 ルガー・センターの研究員には外交特権を与えられ、ジョージア政府の直接的な支配下に置かれることなく、外交特権のもとに米国政府のために仕事をすることができる。他の国でも同じ仕組みになっているようだ。その研究内容は生物兵器(炭疽病、野兎病)やウイルス性疾患(クリミア・コンゴ出血熱など)の研究、将来の実験のための生物試料の収集などだ。アフリカにおける生物兵器開発 しかし、ロシア軍の攻撃が始まるとウクライナの施設は破壊を免れても落ち着いて研究開発することは困難な状態になる。そこで、ケニア、コンゴ、シエラレオネ、カメルーン、ウガンダ、南アフリカ、ナイジェリアといったアフリカ諸国、あるいはシンガポールやタイに移転したとされている。 アメリカの軍や巨大企業はアフリカを生物化学兵器の実験場として利用してきた。キリロフによるとアフリカではDTRAのほか、電子情報機関のNSA(国家安全保障局)や国務省が主導、ナイジェリアではHIV/AIDSに関する研究が行われ、感染者とされる人の6割がギリアド・サイエンシズの抗ウイルス療法を受けているという。 ギリアドの会長を1997年から2001年まで務めた人物がドナルド・ラムズフェルド。会長を退いたのは国防長官に就任するためだ。2001年1月から06年12月までその職にあった。 2009年1月から10年8月にかけて「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」で騒ぎになった際に宣伝されたタミフルを開発した会社がギリアド。この時もWHOはパンデミックを宣言したが、実際は大騒ぎするような状態でなかった。偽パンデミックで危険な薬を売ろうとしたわけだ。パンデミックを宣言できたのはこの直前に定義の変更があったからだ。「病気の重大さ」、つまり死者数が多いという条件が削られている。 国防総省は2005年、抗インフルエンザウイルス薬としてタミフルを備蓄するとして10億ドル以上の予算を計上し、この薬を日本も大量に購入しているのだが、2005年12月4日のサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師はタミフルが効かなかったと話している。副作用も問題になった。 WHOがCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミックを宣言した後、日本の厚生労働省はレムデシビルなるギリアド・サイエンシズが開発した抗ウイルス薬を特例承認した。COVID-19(新型コロナウイルス)への有効性を認めたとされているが、これも効果がない上危険な医薬品だ。 それに対し、中国でCOVID-19を沈静化させたインターフェロン・アルファ2b、メキシコの保健省と社会保険庁が効果を確認したイベルメクチン、抗マラリア剤として知られているヒドロキシクロロキンなどの使用は妨害されてきた。 アフリカ西部のギニアでは2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、1万1323名が死亡(致死率:70から71%)、大きな騒動になった。 その際、生物兵器を研究している学者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで活動していたと話題になる。その学者が所属していたのは生物化学兵器を研究開発しているアメリカ軍のフォート・デトリック、そしてテュレーン大学だ。 感染が問題になり始めた2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。その研究が予防や治療が目的でないと判断したのだろう。 ザイールでは1976年8月にエボラ出血熱が確認されている。この病気がスーダンやザイールなどで見つかったのは1978年のことだが、病気がどこで始まったのかが明確でない。1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのか不明だ。 1980年代の前半からこの病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで始まる。そのプロジェクトで中心にいた研究者がウーター・ベイソンだ。AIDS AIDSはアフリカの研究室で生まれたとする説がある。 1950年代にジョナス・ソークがポリオのワクチンを開発するが、そのワクチンを投与したサルがポリオを発症することにバーニス・エディという研究者は気づき、警告する。その警告が無視され、多くの被害者が出ることになった。 また、バーニス・エディという研究者はワクチンの中に発癌性のSV(シミアン・ウイルス)40が混入していることにも気づく。ファイザー製の「COVID-19ワクチン」に混入していたDNAにその塩基配列の一部が入っていることが判明、問題になったウイルスだ。 エディは当時、NIH(国立衛生研究所)に所属していたのだが、その発言にNIHの上司は激怒したと言われている。ちなみにNIHはNIAIDの上部機関。組織の幹部は警告を封印し、医薬品メーカーはワクチンの製造を続けた。製造が止まるのは1961年7月になってからだ。 リコールが宣言されたものの、NIHは市場へ出回っている製品全てを回収することを命じなかった。そこでアメリカ人は発癌性のワクチンを1961年から63年にかけて接種されることになる。 猿の腎臓にAIDSの原因になる病原体が含まれていたとする説も存在する。アメリカでエイズが社会的問題になるのは1980年代に入って間もない頃。そうした中、1984年に免疫学者のアンソニー・ファウチがNIAIDの所長に就任している。その時の部下のひとりがHIVで有名になるロバート・ギャロだ。 実は、HIVの出現を予告したと思えるような発言が1969年にアメリカ議会であった。伝染病からの感染を防ぐための免疫や治療のプロセスが対応困難な病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると1969年6月に国防総省国防研究技術局のドナルド・マッカーサー副局長が議会で語っている。HIVの存在が公的に認められたのは1981年のことだ。731部隊 アメリカにおける生物化学兵器の研究開発拠点はフォート・デトリックである。1943年にUSBWL(陸軍生物兵器研究所)がキャンプ・デトリックとして創設したのだが、研究開発が本格化するのは第2次世界大戦後のことだと言われている。ドイツや日本の研究資料や研究者を押さえてからだ。 日本では1933年に軍医学校が東京帝国大学や京都帝国大学の医学部と共同で生物化学兵器の研究開発を始めたが、正確なデータを得るため、日本では生体実験が組織的に実施されている。犠牲になったのは主に中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人。こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んだ。 生体実験を実施するため、軍の内部に特別な部隊が占領地である中国で編成される。当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。第731部隊の隊長は1936年から42年、そして45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めた。 1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。 石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。 尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。 1950年6月に朝鮮戦争が勃発、52年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官は議会証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。 朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第731部隊と深い関係がある。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。現在は田辺三菱製薬の一部だ。 第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名され、現在、「COVID-19対策」で中心的な役割を果たしている。
2023.11.04
イスラエルの首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフはパレスチナ人虐殺を正当化するため、「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出した。 聖書の中でユダヤ人の敵だとされている「アマレク人」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用、この「アマレク人」をイスラエルが敵視している勢力に重ねて見せた。アマレク人は歴史の上で存在が確認されていない民族だが、ネタニヤフの頭には存在しているようだ。 「アマレク人」を家畜ともども殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたという。ネタニヤフはパレスチナ人が生活していた歴史を破壊で消し去ると言いたいのだろう。インターネットには、95歳になるイスラエル陸軍の退役兵、エズラ・ヤチンがユダヤ人に対してパレスチナ人を殺して彼らの記憶を消し去れと呼びかけている映像が流れている。 こうした主張をするということは「約束の地」を想定しているのだろう。ナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域、つまりパレスチナのほかレバノン、ヨルダン、クウェート、シリア、さらにイラクの大半、エジプトやサウジアラビアの一部を自分たちの領土にしようとしている。「大イスラエル構想」だ。 そしてサムエル記上15章3節の話を彼は持ち出す。そこには「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだというのだ。 ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張する。「われわれ」とはイスラエル人、「彼ら」とはパレスチナ人、イスラム教徒、あるいはイスラエル以外の人びとを指しているのだろう。 ネタニヤフはリクードの政治家だが、同じようにこの政党に所属する元国会議員のモシェ・ファイグリンはガザをドレスデンや広島のように破壊するべきだと主張している。実際、破壊されたガザの様子は両都市を彷彿とさせるものがある。 ファイグリンは議員時代の2014年、ガザ問題の「解決策」を発表している。 まずイスラエルはガザの軍事目標を攻撃しようとしていると発表し、危害を加えられたくなければ直ちにガザからシナイ半島へ立ち去るように警告、そのうえでイスラエル軍はガザ全域を攻撃するが、その際、「人間の盾」や「環境へのダメージ」を考慮しない。 この攻撃と並行してガザを完全に包囲して兵糧攻めにし、攻撃で敵を弱体化させた後にガザへ地上部隊を侵攻させる。この際、考慮するのは兵士への被害を最小限に抑えることだけ。非武装の市民は「撤退が許可され」、ガザから離れることを望む人びとを援助する。 ガザはイスラエルの領土であり、イスラエルの一部になり未来永劫、ユダヤ人がそこに住むことになる。 ネタニヤフ政権はアメリカの支援を受けながらガザを攻撃しているようだが、パレスチナ人虐殺への反発は強い。シオニストに支配されている日米欧のエリートはイスラエルの軍事攻撃に沈黙しているが、市民の間で怒りが高まっている。「グローバル・サウス」では怒りを隠さないエリートもいる。イスラエルとアメリカという悪役の登場でイスラム世界が団結、スンニ派とシーア派の対立が弱まった。すでにアメリカ軍への攻撃も始まっている。 ファイグリンが「解決策」を発表した2014年、アメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを成功させた。ホワイトハウスでクーデターを指揮していたのはジョー・バイデン副大統領、バイデン副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていた人物がジェイク・サリバン、現場で指示を出していたのがビクトリア・ヌランド国務次官補だ。 1941年6月、アドルフ・ヒトラーに率いられたドイツ軍がソ連に対する奇襲攻撃「バルバロッサ作戦」を開始した。主な侵入ルートはウクライナとベラルーシだった。オバマ政権はこのふたつのルートを通ってロシアへ迫ろうとしたのである。 ソ連軍はドイツ軍を撃退したが、その時にソ連がおったダメージは大きかった。いわゆる「惨勝」だ。結局、ソ連は消滅するまでそのダメージから立ち直れなかった。皮肉だが、ソ連が消滅して衛星国やソ連構成国という重荷が取れたロシアは国力を急回復させることができたのだ。 ソ連が消滅する前年に東西ドイツが統一されたが、その際、アメリカ政府はソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束していたとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。ドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009) それだけでなく、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。イギリスやフランスもNATOを東へ拡大させないと保証した。ソ連の防衛を西側の「善意」に頼ったわけだが、言うまでもなく、こうした約束を守られなかった。1000キロメートル近くNATOは東へ拡大、ロシアとの国境は目前に迫る。そして2014年のウクライナにおけるクーデターだ。これはゆっくりしたバルバロッサ作戦にほかならない。ウクライナでのクーデターは「新バルバロッサ作戦」の決定的瞬間だと言える。 ロシアにとって深刻な事態だが、2014年にウラジミル・プーチン大統領は動かなかったが、クーデター後、クーデター軍の戦力は反クーデター軍より劣っていた。ネオ・ナチ体制を嫌い、ウクライナ軍の将兵や治安組織の隊員のうち約7割が離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。 残った将兵の戦闘能力は低く、西側諸国が特殊部隊や情報機関員、あるいは傭兵を送り込んでもドンバスで勝利することは難しい状況。そこで内務省にネオ・ナチを中心とする親衛隊を組織、傭兵を集め、年少者に対する軍事訓練を開始、要塞線も作り始めた。そうした準備のために8年間が必要だった。 その時間稼ぎに使われたのがミンスク合意だということを仲介役を務めたドイツのアンゲラ・メルケル(当時の首相)は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。その直後にフランソワ・オランド(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語った。 それに対し、プーチン大統領はアメリカ/NATOの「善意」に期待した。NATOを東へ拡大させず、1997年からNATOに加盟したすべての同盟国から軍事インフラを撤去することを定めた条約の草案をプーチンがNATOへ送ったのは2021年秋。それがロシア軍がウクライナへ軍事侵攻しないための条件だったが、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は署名しない。こうした事情をストルテンベルグは認めている。 2023年に入ると、ウクライナ軍がアメリカ/NATOの下でドンバスに対する大規模な攻撃を始める動きが見られた。後にロシア軍が回収した文書によると、昨年3月にウクライナ軍は本格的な軍事侵攻を始める予定だった。 その直前、2022年2月24日にロシア軍はドンバスで軍事作戦を開始する。ミサイルでドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍を一気に叩いき、ウクライナ各地の軍事施設や生物兵器の研究開発施設を破壊している。 アメリカ/NATOは8年かけてドンバスの周辺に要塞線を築いたが、ネオ・ナチを中心に編成されたアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリ、あるいは岩塩の採掘場があるソレダルにはソ連時代に建設された地下施設、つまり地下要塞が存在している。それを利用して要塞線は作られたのだ。 アメリカ/NATOはウクライン軍にドンバスで住民を虐殺させ、ロシア軍を要塞線の中へ誘い込む作戦だったとも言われているが、ロシア軍は大規模な地上部隊を送り込むことはなかった。地上部隊の中心は現地軍、チェチェン軍、あるいはワグナー・グループで、戦力を比較するとドンバス側はキエフ側の数分の1だったと言われている。 ロシア軍が攻撃を始めて間もなく、ウクライナ政府はロシア政府と停戦交渉を開始した。停戦交渉を仲介したひとりはイスラエルの首相だったナフタリ・ベネット。彼によると、話し合いで双方は妥協に応じ、停戦は実現しそうに見えた。 3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけ、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・シュルツ首相と会っている。ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフがウクライナの治安機関SBUのメンバーに射殺されたのはその3月5日だ。クーデター直後からSBUはCIAにコントロールされていた。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と今年6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 そうした停戦合意を潰したのはアメリカ政府やイギリス政府。アメリカ/NATOはウクライナへ武器弾薬を供給、軍事情報を提供、昨年夏頃にはNATOが指揮していたとも言われているが、十分な訓練をしないまま前線へ送り出され、「玉砕戦法」を強いられた。アメリカ/NATOはウクライナ人の命を軽視しているので可能な戦法だ。結局、要塞線は突破される。 今年6月4日にウクライナ軍は「反転攻勢」を始めたが、フォーブス誌によると、6月8日にウクライナ軍の第47突撃旅団と第33機械化旅団が南部の地雷原を横断しようとして壊滅的なダメージを受けた。その後も無謀な攻撃を繰り返し、反転攻勢の失敗は明確になる。 ウクライナに「玉砕攻撃」を強いたアメリカ/NATOは武器弾薬が枯渇、イスラエルにはアメリカ軍の兵器がストックされているはずだが、支障が出るだろう。 アメリカでイスラエルを無条件に支持している勢力はキリスト教の福音主義者(聖書根本主義者)。この宗教勢力の支援でネオコンは1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権の時代に台頭した。 福音主義者はアメリカを「神の国」、アメリカ軍を「神軍」だと信じていたのだが、ベトナム戦争で勝てないことに苛立つ。そうした中、イスラエル軍は1967年の第3次中東戦争で圧勝、新たな彼らの「神軍」になったのだ。 ここにきて神懸った発言をしているネタニヤフ首相。彼の父親であるベンシオン・ネタニヤフは1910年3月にワルシャワで生まれ、40年にアメリカへ渡った人物。そこで「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ヤボチンスキーの秘書を務めている。 ヤボチンスキーに接近したひとりにレオ・ストラウスという人物がいる。1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にヤボチンスキーのシオニスト運動に加わったのだ。このストラウスは後にネオコンの思想的な支柱と言われるようになる。カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003) 1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になった。 アメリカとイスラエルの神懸かった人たちは状況が悪化するにつれ、自分たちの本性をあらわにしはじめた。彼らは正気でない。そうした彼らに世界の人びとはうんざりし、同時に危機感を強めている。国連総会でパレスチナとイスラエルの大使が演説した後の議場の反応がそうした世界の雰囲気を示している。
2023.11.03
OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)のニューヨーク事務所で所長を務めてきたクレイグ・モクヒバーが辞職した。モクヒバーは10月28日、フォルカー・ターク国連人権高等弁務官へ宛てた書簡の中で、私たちの目の前で再びジェノサイドが展開されていると主張、「これがあなたへの最後の通信になるだろう」と述べている。 イスラエル軍によるガザへの攻撃で多くのパレスチナ市民が殺されている状況を「ジェノサイド」と表現したわけだが、そのジェノサイドを防ぐ義務を国連が怠るどころか、アメリカの権力者やイスラエル・ロビーに屈服し、パレスチナを植民地化するプロジェクトは最終段階に入ったと主張している。 国連だけでなく、アメリカ、イギリス、そしてヨーロッパの多くの国も彼は批判している。「これは大量虐殺の教科書的な事例」であり、アメリカ、イギリス、そしてヨーロッパの多くの国はジュネーブ条約に基づく条約上の義務を果たすことを拒否しているだけでなく、イスラエルを武装させ、経済や情報の面でも支援し、イスラエルの残虐行為を政治的、外交的に援護しているとモクヒバーは批判した。欧米諸国は共犯者だというわけだ。 また、西側有力メディアの責任も指摘している。パレスチナ人を非人間的な存在に仕立て上げ、大量虐殺を助長し、戦争のプロパガンダや国家的、人種的、宗教的な憎悪を発信し続けているというのだ。 OHCHRの高官としては激しい内容の発言だが、このモクヒバーの主張は基本的に正しい。 1991年12月にソ連が消滅、それから間もない92年2月にネオコンはアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇プランを作成した。その中心がポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ソ連が消滅した段階で、当時のディック・チェイニー国防長官やウォルフォウィッツ国防次官を含むネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、誰に遠慮することなく好き勝手にできる「アメリカの時代」がきたと信じていた。そうした中、「リベラル」や「革新」を自分のキャラクターにしていた人びとの少なからぬ部分もアメリカへ従属するようになった。そうした中、国連も急速に堕落していく。 第2次世界大戦後、ホワイトハウスの主導権を奪還したウォール街は情報機関を存続させ、情報操作プロジェクトを始めた。「モッキンバード」だ。 デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』によると、そのプロジェクトが始まったのは1948年頃。それを指揮していた4人は情報機関の活動をしていたが、その背景は国際金融資本だ。 その4人とは、大戦中からOSSで破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。フィリップの妻がウォーターゲート事件で有名になったキャサリーン。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979) フィリップはキャサリーンと離婚し、すぐに再婚してワシントン・ポスト紙を自分ひとりで経営すると友人に話していたが、1963年6月に精神病院へ入り、8月に自殺している。フィリップと親しかったジョン・F・ケネディが暗殺されたのはその3カ月後だ。 ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開する。その結果、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていたが、現実になった。そのウルフコテは2017年1月、56歳の時に心臓発作で死亡している。 情報操作のネットワークは私企業の世界へも張り巡らされてきた。例えば、2020年に始まったCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動ではアメリカ政府の公式説明に反する情報をグーグルやフェイスプックなどシリコン・バレーのハイテク企業は検閲している。 ベトナム戦争もアメリカ政府は作り話で始めたが、広告会社が主導したプロパガンダとしては1990年10月10日にアメリカ下院の人権会議という非公式の集まりで行われた「ナイラ」なる女性の証言が有名だ。 彼女はクウェートの病院で働いていた看護師を名乗り、イラク兵が保育器を盗んで多くの赤ん坊を殺したなどと主張、好戦的な雰囲気を作り出す一因になったのだが、この「証言」を演出したのはヒル・アンド・ノールトンというアメリカの広告会社で、雇い主はクウェート政府だった。 ナイラが話したイラク軍の残虐行為は嘘だったのだが、その作り話を涙ながらに語った少女はアメリカ駐在クウェート大使だったサウド・アル・サバーの娘、ナイラ・アル・サバーだ。勿論、イラク軍がクウェートへ攻め込んだ当時、ナイラは現場にいなかった。幼い子どもが殺されたという話は一般受けするとヒル・アンド・ノールトンは考えたのだろう。 ハマス(イスラム抵抗運動)が10月7日にイスラエルを攻撃した際、イスラエルでは40人の乳児の首をハマスの戦闘員が切り落としたとする話がイスラエルのニュースチャンネルi24などによって広められた。 この話がパレスチナ人に対するジェノサイドを正当化する心理を生み出したのだろうが、その話を裏付ける証言も証拠もなかった。攻撃の直後、ガザとの境界近くにある入植地を訪れたイスラエルのメディアの記者が犠牲者の遺体を回収した兵士の証言だとして報道した。 ジョー・バイデン大統領やイスラエルのニル・バルカット経済相もこの話を広めたが、別の記者がこの話は検証されていないと指摘、そうした話を広めるのは無責任だと批判する。 バイデンはイスラエルでテロリストが子供を斬首している確認された写真を見たと主張していたが、翌日には発言を撤回、報道官はバイデンがそのような写真を見た事実はないと語った。バイデンはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の話をそのまま事実として口にしただけだと説明されている。 そうした残虐行為があったことを示す直接的な証拠や証言がないだけでなく、イスラエル政府は赤ん坊の名前を公表せず、悲嘆に暮れる家族の映像や証言も見当たらない。それでもイスラエルの子ども40人が斬首されたという話はガザで子どもを含む市民を虐殺する作戦の突破口を開いた。 そしてガザでは8500名以上の市民が殺され、その約4割は子どもだ。瓦礫の下敷きになって死んだ子どもや嘆き悲しむ家族などの映像が次々と発信されていた。そこでイスラエル政府はインターネットを遮断するなど虐殺の実態が漏れないようにしている。ウクライナではネオ・ナチが反クーデター派の住民を虐殺、その映像も発信されたが、その後、削除された。それでも虐殺の記憶は消えない。 ガザでのイスラエルによるジェノサイドに対する怒りはイスラム国だけでなく世界中に広がっている。モクヒバーのような立場の人にあそこまで言わせる怒りがアメリカやイスラエルへ今後、向かう。
2023.11.02
10月7日にハマスはイスラエルを陸海空から攻撃、数百人の戦闘員がイスラエル領へ侵入し、ガザからイスラエルに向かって5000発以上のロケット弾がテルアビブの北まで撃ち込んだ。その攻撃の2カ月前、アメリカの国防総省はネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある基地にアメリカ軍人の「生命維持エリア」を建設する契約をコロラド州に拠点を置く企業と結んでいる。 この基地は「サイト512」と呼ばれ、イスラエルを攻撃するイランのミサイルを監視するレーダー施設がある。ガザから30キロメートル余りの場所にあり、その存在は秘密にされていた。ハマスのミサイルはガザから発射されたため、このレーダーは探知できなかったようだ。 アメリカは中東や北東アジアにAN/TPY-2レーダーを配備、そのひとつがサイト512。残りはトルコのサイトK、そして日本の青森県車力と京都府京丹後にある。ロシアがアメリカをミサイル攻撃する場合、北極を挟んでの撃ち合いになる。トルコや日本はアメリカがロシアや中国を攻撃するための拠点だ。 イスラエルにアメリカ軍の基地が存在することだけは以前から知られていて、その基地には少なからぬ武器弾薬が保管されている。アメリカとイスラエルがアメリカ軍の恒久的な基地の存在を初めて明らかにしたのは2017年9月18日のことだ。 アメリカにとってイスラエルは中東を支配するための「不沈空母」であり、その「不沈空母」を建造したのはイギリスだ。1982年11月に内閣総理大臣となった中曽根康弘は翌年の1月にアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとる。その際に彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと言ったと報道された。イスラエルの一部政治家は自国をアメリカの「不沈空母」だと表現していたので、それが記者の頭にあったのかもしれない。 中曽根はすぐに空母発言を否定するが、インタビューが録音されていたことが判明すると、「不沈空母」ではなく、ロシア機を阻止する「大きな空母」だと主張を変えている。「大きな空母」と「不沈空母」に本質的な差はない。中曽根は日本がアメリカの「空母」だと表現したことを否定しようとしたのだろうが、それが不可能だとわかると「大きな」と「不沈」の問題にすり替えた。いわゆるダメージ・コントロールだ。 アメリカ軍は第2次世界大戦が終わった直後からソ連に対する先制核攻撃プランを作成、JCS(統合参謀本部)が1949年に出した研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと書かれている。 1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成、57年初頭には300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」を作成した。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) こうしたアメリカの戦略に合わせ、沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、暴力的な土地接収が始まる。1955年の段階で「沖縄本島の面積の約13%が軍用地」になっていた。 1955年から57年にかけてライマン・レムニッツァーが琉球民政長官を務めているが、その間、56年6月に「プライス勧告」が公表された。この勧告の中で沖縄は制約なき核兵器基地として、アメリカの極東戦略の拠点として、そして日本やフィリピンの親米政権が倒れたときのよりどころとして位置づけられている。なお、レムニッツァーはドワイト・アイゼンハワー時代の1960年にJCSの議長に就任する。 この勧告が伝えられると沖縄の住民は激怒、「島ぐるみ闘争」が始まるのだが、それに対して民政府は琉球政府の比嘉秀平主席の更迭を含む事態収拾策を画策している。そうした混乱の中、1956年10月25日に比嘉長官は55歳の若さで急死した。(中野好夫、新崎盛暉著『沖縄戦後史』岩波書店、1976年) テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、JCSのライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなど好戦派は1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。ソ連が反撃するためにはアメリカの近くから中距離ミサイルを発射するしかない。そこでソ連はキューバへ中距離ミサイルを運び込んだ。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、ハマスによる10月7日の攻撃をイスラエル政府やアメリカ政府は事前に知っていた可能性が高い。イスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクに対して冒涜的な行為を繰り返しているが、これは挑発としか言いようがない。 例えば今年4月1日、イスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺。4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクに突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃、そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は新たな戦争を目論んでいるのではないかと言われていた。そしてネタニヤフと関係の深いハマスによる攻撃だ。 ハマスによる攻撃を口実にしてイスラエル軍はガザを攻撃、街は瓦礫の山になり、8300人以上の住民を殺した。大半は女性と子どもだと言われている。ある程度の住民を虐殺すれば残りはエジプトへ逃げ、難民化するとアメリカやイスラエルは予測していたかもしれないが、イスラエル「建国」時のような展開にはならなかった。民族浄化に失敗したのだ。ガザやヨルダン川西岸からパレスチナ人を一掃することはできなかった。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていた。イラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を築き、シリアとイランを分断した上でシリアを破壊、最後にイランを壊滅させる予定だったようだ。また2001年9月11日から10日ほど後には統合参謀本部でクラークが見た攻撃予定国のリストには、イラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。(3月、10月) ガザに対する攻撃を続けならが、イスラエルやアメリカはイランの打倒を意識しているのだが、すでに中国やロシアがイランを支援するための手を打っている。イランはサウジアラビアとの関係を改善、この点でもアメリカの計算は狂っている。アメリカとイスラエルは世界で孤立しつつある。
2023.11.01
イスラエルはガザに対する攻撃にAI(人工知能)を搭載したロボット兵器を投入すると言われている。すでに空中を飛行、水中を航行するロボット兵器は実用化されているが、さらに進化させたものだ。その先には「超人兵士」の構想もあるという。 将来的には装具で兵士の戦闘能力を高めるだけでなく、遺伝子操作を利用して「超人」を作り出すということも考えているようだ。AIをナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術、認知科学と融合、自然の摂理を否定し、「トランスヒューマニズム(超人主義)」の世界を築こうとしているとも言える。 現在、西側巨大資本の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)はクラウス・シュワブによって創設された。そのシュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組マイクロチップ化されたデジタルIDについて話している。最終的にはコンピュータ・システムと人間を連結する、つまり人間をコンピュータの端末にするというのだ。 シュワブの顧問を務めているユバル・ノア・ハラリはAIによって「不要な人間」が生み出されると見通しているが、相当数の兵士もロボットにすげ替えらるつもりなのだろう。 かつてイギリスではエンクロージャーによって共有地などが私有化され、農民は土地を追われた。生きる術を失った農民は浮浪者や賃金労働者、仕事がなければ失業者になった。19世紀のイギリスで労働者の置かれた状況は劣悪で、その実態はフリードリヒ・エンゲルスの報告『イギリスにおける労働者階級の状態』やチャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』などを読んでもわかる。 ロンドンのイースト・エンドで労働者の集会に参加したセシル・ローズは「パンを!パンを!」という声を聞く。その状態を放置すれば内乱になると懸念、植民地を建設して移住させなければならないと考えたようだ。つまり、社会問題を解決する最善の方法は帝国主義だというわけである。(レーニン著、宇高基輔訳『帝国主義』岩波書店、1956年) セシル・ローズたちイギリスの支配者はトーマス・マルサスの人口論やフランシス・ゴルトンの優生学から影響を受けていた。ゴルトンによると、「遺伝的価値の高い者を増やし、遺伝的価値の低い者を減らす」ことで社会を改善できるというのだ。 そうした思想はアメリカの支配層を魅了し、優生学運動はカーネギー研究所、ロックフェラー財団、ハリマン家のマリー・ハリマンといった富豪から支援を受けた。そうした運動に感銘を受け、自国で実践したのがアドルフ・ヒトラーにほかならない。 現在でもアメリカやイギリスの富豪たちは人口を削減するべきだと主張している。マイクロソフトを創設したビル・ゲイツは2009年5月、マンハッタンで富豪たちを密かに集め、会合を開いている。 集まった場所はロックフェラー大学の学長だったポール・ナースの自宅。参加者にはデビッド・ロックフェラー・ジュニア、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルームバーグ、テッド・ターナー、オプラ・ウィンフリーも含まれている。その参加者は「過剰な人口」が優先課題であることに同意した。 テッド・ターナーは会合の前年、2008年の4月にチャーリー・ローズの番組に出演し、そこで人口が問題だと主張している。人が多すぎるから環境問題も起こるというのだ。ターナーは1996年に「理想的」な人口を2億2500万人から3億人だと主張したが、2008年にはテンプル大学で20億人に修正している。 ゲイツも人口を削減するべきだと発言している。2010年2月に行われたTEDでの講演では、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10~15%減らせると語っている。「COVID-19ワクチン」で人口は減っているようだが、これは古典的な意味でのワクチンではなく、遺伝子操作薬だ。 ガザでの戦闘は欧米支配層の人口削減プランと結びついている。そうした人びとの先祖が築いた旧帝国主義国は現在、新帝国主義国として「グローバル・サウス」を搾取している。ガザに対するイスラエル軍の攻撃が激しくなると、そうした搾取への怒りがパレスチナ人への連帯という形になって現れた。人口を減らしたい5%の支配者と生き残ろうとしている95%の人間の戦いとも言える。
2023.10.31
イスラエル軍のガザに対する攻撃で8000人以上の住民が殺されたと言われている。イスラエル軍は地上部隊も投入しているようだが、まだ総攻撃を始めたわけではない。総攻撃を始めた場合、ハマスは全長500キロメートルのトンネルで結ばれた地下施設から反撃する。 2006年7月から9月にかけてイスラエル軍の地上部隊がレバノンへ侵攻した際、ヒズボラに敗北、イスラエルが誇る「メルカバ4」戦車も破壊された。イスラエル軍はガザの地下施設を化学兵器で攻撃するとも言われているが、そう簡単ではない。 今回の戦闘でハマスはアメリカ製の武器を使用していることが映像から確認されているが、これはアメリカ/NATOがウクライナへ供給したものだと推測されている。そうした兵器の約7割が世界の闇市場へ流れているという。 ハマスは10月7日に奇襲攻撃したのだが、攻撃の準備に1年程度は必要だろう。その間、イスラエルの情報機関が察知できなかったのなら、大変な失態だ。ガザを収容所化している壁には電子的な監視システムが設置され、人が近づけば警報がなるはずだが、そうしたことはなかったようだ。 また、アメリカ政府はハマスの奇襲攻撃から数時間後、2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させた。レバノンにいるヒズボラ、あるいはイランの軍事介入を牽制することが目的だとされているが、それほど早く艦隊を移動できたのは事前に攻撃を知っていたからではないかと考える人もいる。 そもそもハマスの創設にはイスラエルが深く関係している。ハマスは1987年12月にシーク・アーメド・ヤシンがイスラム協会の軍事部門として創設した。イスラム協会が設立されたのは1976年。その前、1973年にはムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)が作られているが、いずれもシン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下で行われた。 イスラエルは第3次中東戦争で占領地を拡大させた。その際、イスラム諸国は動きが鈍く、最も勇敢に戦ったのはヤセル・アラファトが率いるファタハだった。PLO(パレスチナ解放機構)はファタハが中心的な組織だ。そこでイスラエルはアラファトを失脚させようと必死になる。そのアラファトを抑え込むため、イスラエル政府はハマスを創設させたのだ。 シーモア・ハーシュも書いているように、ベンヤミン・ネタニヤフは首相に返り咲いた2009年、PLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとしている。そのためネタニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。ところが今回、カタールはイスラエルを厳しく批判、敵対関係にある。アメリカとイスラエルはハマスの罠に落ちた可能性もあるだろう。 アメリカのジョー・バイデン政権はウクライナでロシアに敗れた惨状から人びとの関心をパレスチナへ向けることに成功、ガザからパレスチナ人を一掃、さらにレバノンやシリアを占領して地中海東岸の天然ガスをイスラエルに独占させるという道筋がハマスの奇襲攻撃で見えたのだが、ガザに対する攻撃がそうした道筋を消した。 ムーサ・アブ・マルズークが率いるハマスの代表団は10月26日、モスクワでロシアの政府要人と会談した。マルズークはロシアへ向かう前、ドーハでイランのバゲリ・カニ外務副大臣と会っている。そして10月29日、イランのエブラヒーム・ライシ大統領はイスラエルが「レッドライン」を越えたと宣言、またロシアのミハイル・ボグダノフ外務副大臣によると、近日中にパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長がモスクワを訪問してウラジミル・プーチン大統領と話し合うという。 すでにレバノンとの国境周辺でイスラエル軍とヒズボラの戦闘が始まり、イラクのアメリカ軍基地だけでなく、シリア領内に不法駐留しているアメリカ軍も攻撃されている。イラン軍は軍事演習を始めた。 ヒズボラ単独でもイスラエル全域を攻撃できる戦力があるが、イランが関与してくるとイスラエルだけでは対応できない。アメリカ軍が介入してくると、世界大戦へ発展する可能性があると懸念されている。アメリカ軍には単独でイランを制圧する戦力はなく、イランはホルムズ海峡を封鎖できる。ガザに対するイスラエル軍の攻撃ではサウジアラビアもパレスチナ側につくはずで、中東から「親イスラエル国」へ石油が供給されなくなる事態も想定できる。ヘンリー・キッシンジャーが企画したかつての「オイル・ショック」とはわけが違う。 ハマスの代表団がロシアを訪問する数日前、プーチン大統領がロシア軍参謀総長のヴァレリー・ゲラシモフと会談するため、ロシア軍の南部軍司令部を訪れた。原子力潜水艦から射程5500キロの弾道ミサイルを発射したこと、カムチャッカから射程1万2000キロの弾道ミサイルを発射したこと、TU-95爆撃機から射程5500キロの巡航ミサイルを発射したことについて、ゲラシモフはプーチンに報告したようだ。アメリカに対する報復攻撃のテストだったと見られている。
2023.10.30
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は9月22日、国連総会で演説した際、パレスチナを消し去った地図を示した。現在、イスラエル軍はガザに対する攻撃を始めているが、これはパレスチナを地図から消し去ることを目的にしているのだろう。 ガザに対するイスラエル軍の攻撃は全てのパレスチナ人が対象で、破壊と虐殺が繰り広げられている。そうした残虐行為に対する怒りはイスラム世界だけでなく、全世界に広がった。アメリカのバラク・オバマ政権がウクライナで実行したクーデターがロシアと中国を戦略的同盟国にしたのと同じように、今回のガザ攻撃はイスラム世界を団結させてしまった。 それに対し、西側ではイスラエルやアメリカに対する怒りが広がらないように情報統制が図られている。ガザの惨状が外部に知られないようにするためで、通信が遮断されたほか、現地で取材しているジャーナリストやその家族が狙われている。 すでにイスラエル軍の空爆で20名以上のパレスチナ人ジャーナリストが殺害され、アルジャジーラ・アラビックのガザ支局長を務めているワエル・ダフドウの場合、彼の妻、息子、娘、そして孫が殺された。情報を伝えないよう、アメリカやイスラエルは脅しているのだ。(ココやココやココなど) アル・ジャジーラはカタールの国営メディアだが、アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官は10月13日、ドーハでカタールの首相と会談した際、「ガザでの戦争に関するアルジャジーラのレトリックを弱めるよう」求めたと伝えられている。その後、イスラエル軍の対ジャーナリスト攻撃は始まった。記者を狙っていることをイスラエルは隠していない。ソーシャルメディア・プラットフォームも統制の対象になり、イスラエルにとって都合の悪い情報を発信するアカウントは停止されている。 アメリカをはじめとする西側の支配者たちは事実を恐れる。内部告発を支援する活動をしてきたウィキリークスを敵視したのはそのため。そして2019年4月11日、ウィキリークスの看板的存在だったジュリアン・アッサンジはロンドンにあるエクアドル大使館の中でロンドン警視庁に逮捕された。 その後、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束され、ウェストミンスター治安判事裁判所は2022年4月20日、アッサンジをアメリカへ引き渡すように命じている。ヨーロッパを活動拠点にしてきたオーストラリア人をアメリカ政府はイギリスに逮捕させ、自国へ引き渡させようとし、その命令にイギリスは従っているのだ。 アメリカの当局はアッサンジをハッキングのほか「1917年スパイ活動法」で起訴している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ハッキング容疑はでっち上げだ。アッサンジがアメリカへ引き渡された場合、懲役175年が言い渡される可能性がある。 ウィキリークスが公表した情報の中に、アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月に非武装の一団を銃撃、十数名を殺害する場面を撮影した映像がある。犠牲者の中にはロイターの特派員2名が含まれている。その映像を見れば、武装集団と間違ったわけでないことは明白。この映像は2010年4月に公表された その情報源だったアメリカ軍のブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵はすぐ逮捕され、スウェーデンの検察当局は2010年11月にアッサンジに対する逮捕令状を発行している。 こうした情報統制を行なっても、ガザでの虐殺は隠しきれない。虐殺はイランを戦争へと導く可能性があり、イスラム世界は一致団結して欧米と戦うと考えなければならない。すでにロシアや中国はアメリカからの攻撃に応じる準備を始めているようだ。
2023.10.29
イスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクに押し入ったのはユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜のこと。 その日、イスラエルではヨナタン・アーリッヒマンという8歳の少年が心臓発作で死亡した。その急死が一部で話題になっている。2020年にイスラエルで放送された子供向けの「COVID-19ワクチン」接種推進のコマーシャルに出演していた子どもだからだ。 この「ワクチン」接種でイスラエルは日本より半年ほど先行、この薬品がSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の感染に効果がなく、深刻な副作用が報告されていた。政治トークショウのホストを務めるキム・イベルセンによると、イスラエルの病院は体調を崩した「ワクチン」の接種者であふれ、死者も増えているという。 イベルセンはワシントンDCの政治紙「ザ・ヒル」が制作しているウェブサイト「ライシング」でホストを務めていたジャーナリストだが、イスラエルから入手したデータに基づく事実を伝えた直後から嫌がらせされるようになり、2022年7月に辞職、現在は個人でユーチューブやランブルで情報を発信している。 こうした事実が判明したこともあり、イスラエルでは2022年の春以降、「COVID-19ワクチン」はほとんど接種されなくなった。世界的に見ても同じ傾向があるのだが、唯一接種し続けているのが日本にほかならない。
2023.10.29
イスラエルはアメリカの戦略において、これまで以上に重要な位置を占めている。ガザやヨルダン川西岸に住むパレスチナ人がこれまで以上に邪魔な存在になったということだ。 アメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した翌年、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は中国のBRI(一帯一路)とユーラシア経済連合(アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、ロシア)を連結し、多極的な関係を築くと宣言している。 ロシアは9月10日から13日にかけてウラジオストクでEEF(東方経済フォーラム)を開催、今年は朝鮮の金正恩労働党委員長も出席したが、その直前の9月8日、ニューデリーでG20サミットが開かれている。その席上、インドのナレンドラ・モディ首相はIMEC(インド・中東・欧州経済回廊)プロジェクトを発表した。 IMECはインド、UAE(アラブ首長国連邦)、サウジアラビア、イスラエルを結び、さらにギリシャからEUへ伸びるルートだ。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相によると、アメリカがイスラエルにこの計画を持ちかけたという。インドは以前からイスラエルやサウジアラビアとの関係を強化、サウジアラビアもイスラエルに接近していた。アメリカの属国と化したヨーロッパを繋ぎ止めるため、ヨーロッパと西アジアをつなぐわけだ。その中核になるのがイスラエルにほかならない。 イスラエルはパレスチナ人を隔離するため、ガザを収容所にしたが、そのガザ沖に天然ガス田が存在することは以前から知られていた。その利権をイスラエルやアメリカは奪おうとしている。 1995年9月、イスラエルのイツァク・ラビン首相とPLOのヤセル・アラファト議長が「オスロ2合意(ヨルダン川西岸地区とガザ地区に関する暫定合意)」に調印、それによってパレスチナ自治政府に海岸から20海里までの海域の海洋管轄権を与えた。 パレスチナ自治政府は1999年にブリティッシュ・ガスと25年間のガス探査契約を結び、その年に大規模なガス田を発見したのだが、パレスチナ人は何の利益も得ていない。 2006年にガザで行われた選挙でハマスが勝利した後、イスラエルの首相だったアリエル・シャロンの顧問、ドブ・ワイスグラスはガザを兵糧攻めにすることを決める。それまでもガザはイスラエルに支配されていたのだが、2007年以降、弾圧の度合いは格段に強まった。そしてイスラエルはガザ沖の天然ガスの支配権を確立する。 ハマス(イスラム抵抗運動)は1987年12月、シーク・アーメド・ヤシンによって創設された。ヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物だが、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、ムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設、76年にはイスラム協会を設立。このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマスである。 イスラエルがハマスの創設に深く関与しているわけだが、その理由はPLO(パレスチナ解放機構)の中心的な組織、ファタハ(パレスチナ民族解放運動)を率いるヤセル・アラファトを抑え込むためだった。アラファトのライバルを育て、内部対立させることで運動を弱体化させようとしたのだ。 イスラエルは2004年3月にヤシンを殺害、その年の11月にはアラファトも死亡した。アラファトは毒殺された可能性が高い。アラファトが死んでからPLOの影響力は大きく低下、ハマスが主導権を握った。 イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表したのは2010年。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。ビル・クリントン元米大統領はノーブル・エナジーのロビイストだった。 オバマ政権はこの地域でムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)を使って2010年の終盤から始められた「アラブの春」。その工作は2010年8月にPSD(大統領研究指針)11を承認したところから始まる。その3カ月後にはイギリスとフランスはランカスター・ハウス条約を締結。この地域に親イスラエル国が誕生させることになっていた。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にし、9/11から10日ほど後には統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストにイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。(3月、10月)中東からアフリカにかけての地中海沿い地域を植民地化するつもりだったのだろう。 今回、アメリカ/NATO/イスラエルはガザを建物を破壊、住民を虐殺し、残った人びとをエジプトへ追い出そうとしていたが、エジプト政府が思い通りに動かなかったようだ。パレスチナ人もガザから離れることを拒否した。ガザから逃げ出すと難民化し、再びガザへ戻ることはできない。 彼らは民族浄化を済ませた後、シリア、レバノン、イランを破壊するつもりだったのかもしれないが、ガザに対する攻撃に対する怒りは世界で高まり、イスラエルを支えている日米欧の支配者は厳しい状況に陥った。IMECの実現も難しくなったと見られている。
2023.10.28
ケビン・マッカーシーがアメリカ下院議長を解任されたのは10月3日のことだった。その後任にマイク・ジョンソン下院議員が選ばれたのだが、この人物は福音主義キリスト教徒で、ベンヤミン・ネタニヤフ首相を含む「修正主義シオニズム」と緊密な関係にある。以前からユダヤ系アメリカ人はイスラエルのパレスチナ弾圧に批判的な人が多く、そうした弾圧を支援してきたのは福音主義キリスト教徒だ。新下院議長はシオニストだと考えて間違いないだろう。 アメリカはシリアをアル・カイダ系武装集団に攻撃させた際、現地のキリスト教徒を殺戮していたが、イスラエルはガザにあるキリスト教の教会を攻撃している。福音主義キリスト教徒はアメリカで最も強くイスラエルを支援している勢力で、しかもほかのキリスト教徒とも考え方が違う。 アメリカを支配しているのはキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、シオニストであり、その背後には金融資本が存在していると言えるだろう。ジョン・F・ケネディはその力に立ち向かったが、甥のロバート・ケネディ・ジュリアはすでに屈服している。パレスチナ問題でイスラエル支持を明確にしたのだ。 ロバート・ケネディ・ジュニアの長男、コナーは反ロシアの立場からジョージタウン大学の授業に出ず、ウクライナでネオ・ナチの軍隊に入り、ロシア軍と戦っていた。コナーの弟、ロバート・ケネディ3世が結婚した相手は「元CIAオフィサー」のアマリリリス・フォックス・ケネディ。ロバート・ケネディ・ジュニアは10月14日、選挙運動本部長をデニス・クシニッチからアマリリスに交代させている。 来年の大統領選挙を前に、ロバート・ケネディ・ジュニアはシオニストとCIAに屈したと言えるだろう。これまで彼を支援していた人が離れていくことは避けられない。
2023.10.27
厚生労働省は10月24日、8月分の「人口動態統計速報」を発表した。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種者数は減少しているものの、死亡者数は13万0848人と高水準のままだ。深刻な状況に変化はない。 この薬物には「ワクチン」というタグがつけられているが、実態は遺伝子操作薬であり、9月20日には新たな接種キャンペーンが始まったタイプはオミクロン株派生型「XBB」系統に対応するという。この薬品はこれまでの「ワクチン」以上に危険だとされている。 その先に接種が計画されている「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」は一種の「人工ウイルス」にほかならず、危険な「病原体」だとも言える。薬を接種していない人にも感染する可能性がある一種の「人工病原体」だとも考えられている。 世界を見渡すと、日本以外の国は「COVID-19ワクチン」の接種を止めた。あまりにもリスクが高く、人類の存続すら危うくする可能性がある。そのように危険な薬品の人体実験を日本で行っていると言えるだろう。周囲を海に囲まれた日本は、そうした研究をするには最適なのかもしれない。
2023.10.27
イスラエルのリクード党に所属するアミール・ワイトマンは10月18日、ロシアのメディアRTの番組に出演し、イスラエルとハマスの戦闘やウクライナでの戦闘について語った。その中でワイトマンはガザのアル・アハリ病院に対する10月17日の爆撃に触れ、「ロシアはイスラエルの敵を支援している」とヒステリックに罵り、ガザでイスラエルは勝つと叫び、ロシアに代償を支払わせると宣言した。イスラエルはウクライナを勝たせるというのだ。 また、イスラエルのギラード・エルダン国連大使は10月24日、国連のアントニオ・グテーレス事務総長の辞任を要求、これも話題になっている。 アメリカに従属していると批判されてきたグテーレスだが、今回の件では「民間人の保護が最重要だ」と強調、ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃について「真空状態から急に起こったわけではない」と語った。1967年の第3次中東戦争から続くイスラエルによるパレスチナ人弾圧を思い起こせと常識的なことを言ったのだ。イスラエルへの全面支持を望んでいたエルダンはこの発言に激昂した。 日米欧のエリート層はイスラエル支持を打ち出している。その中心にはアメリカやイギリスが存在しているが、アメリカのジョー・バイデン大統領は10月18日にイスラエルのテルアビブを訪れ、病院を爆撃したのは「私が見たところ、あなた方ではなく、もう一方のチームがやったように見える」と口にしているが、イスラエル軍による爆撃だったとしか考えられないと現地の記者は伝えている。 ロイターによると、ロシア外務省はこの事件を非人間的行為と呼び、アメリカとイスラエルに対し、自分たちが関与していないことを証明するために衛星画像を公開するよう求めたという。 イスラエル軍による犯罪的な行為は病院爆撃に限らない。ガザは白リン弾を含む兵器で攻撃され、街は瓦礫の山になり、5000人以上が殺された。死者のうち2000人以上は子どもだ。 日米欧のエリートはパレスチナ人を含む「グローバル・サウス」やロシア人などの犠牲について鈍感だが、血まみれになったパレスチナ人の映像がインターネットを通じて世界へ発信され、イスラエルに対する怒りは世界的に高まっている。ワイトマンやエルダンを興奮させている原因は世界のそうした動きだろう。彼らは計算を間違った。 イスラエルの学者で、WEF(世界経済フォーラム)を率いるクラウス・シュワブの顧問を務めるユバル・ノア・ハラリは、AI(人工知能)によって不必要な人間が生み出されるとしている。特に専門化された仕事で人間はAIに勝てず、不必要な人間が街にあふれるというわけだ。 かつて、イギリスではエンクロージャーによって共有地などが私有化され、農民が土地を追われた。その結果、浮浪者や賃金労働者になるのだが、労働者の置かれた状況も劣悪だった。その実態はフリードリヒ・エンゲルスの報告『イギリスにおける労働者階級の状態』やチャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』などでもわかる。 そうした労働者がロンドンのイースト・エンドで開いた集会に参加したセシル・ローズは「パンを!パンを!」という声を聞く。その状態を放置すれば内乱になると懸念、植民地を建設して移住させなければならないと考えたようだ。つまり、社会問題を解決する最善の方法は帝国主義だというわけである。(レーニン著、宇高基輔訳『帝国主義』岩波書店、1956年) 他国を侵略し、人びとを殺し、富を奪い、自国を維持する仕組みが帝国主義だ。この帝国主義を支えるのが「法に基づく支配」。その「法」とは米英を支配している人びとの意志にほかならない。「法に基づく支配」は米英巨大資本による支配を正当化するために考えられた呪文だ。 このエンクロージャーよりAIは人間にとって恐ろしい。人は職を奪われ、支配者にとって無用な存在になり、社会の不安定要因になる。そこで管理するためにデジタルIDを導入する必要が生じる。 さらに支配層は大衆を処分することも考えるだろう。西側支配層の考える「最終的解決策」だ。危険であることがわかっている「mRNAワクチン」を強引に接種させる理由はこの辺にあるかもしれない。世界はガザのようになりつつある。
2023.10.26
アメリカの有力メディアは支配層の宣伝機関にすぎない。そうした機関のひとつであるワシントン・ポスト紙が10月23日、ウクライナのSBU(安全保障庁)やGUR(国防省情報総局)がロシアに対する破壊工作や暗殺工作を実行している事実を伝えた。以前から知られていたことだが、それをネオコンの宣伝機関が認めたことを注目する人がいる。 8月にはワシントン・ポスト紙と同じ宣伝機関のニューヨーク・タイムズ紙が昨年2月24日から今年8月までに約50万人のウクライナ兵が戦死したと伝えている。ウクライナ軍は勝っていると「大本営発表」を続けていたが、ロシア軍が勝っていることを認めざるをえなくなったということだ。10月に入るとベン・ウォレス元英国防相がレグラフ紙でウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えていると指摘、ウクライナ政府に対し、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求している。 これは、ウクライナでアメリカ/NATOがロシアに負けたことを意味するのだが、それはジョー・バイデン政権にとって認められない事実。武器弾薬や資金を投入し続け、戦争を続けなければならないのだが、アメリカ/NATO軍の兵器庫は空になり、兵隊になるウクライナの若者がいなくなりつつある。 武器弾薬の供給と資金援助が途絶えればキエフ政権は崩壊する。そこでバイデン政権はウクライナに対する240億ドルの追加支援を承認するように求めていたが、バイデン政権と強調していたケビン・マッカーシー下院議長が10月3日に解任され、ホワイトハウスにとって状況は悪化していた。追加支援が認められないと、ウクライナへ提供する資金は11月に底とつくと言われていた。そして10月7日、ハマスの戦闘員がイスラエルを陸海空から奇襲攻撃したのだ。 ハマスがイスラエル、特にベンヤミン・ネタニヤフ首相と関係が深いことは本ブログでも書いた。奇襲攻撃の不自然さも少なからぬ人が指摘している。そしてガザの虐殺が始まったのだ。ネタニヤフ政権はガザからパレスチナ人を消し去ろうとしている。ガザからパレスチナ人がいなくなれば、ガザ沖の天然ガス田はイスラエルのものだ。その先には「大イスラエル」がある。 ガザの虐殺を利用してバイデン政権は戦費を調達しようとしている。ウクライナ、ガザ、台湾で戦争するため、バイデン大統領は1050億ドルを要求しているのだ。すでにウクライナではロシアと戦っているが、ガザや台湾で戦争を始めれば、中国とも戦争状態に入る。ロシアとの戦いはさらに激しいものになる可能性が高い。 バイデン政権はハマスの攻撃を利用して「世界大戦」を始めようとしている。そうした意味で、ハマスの奇襲攻撃は「イスラエルの9/11」だと言えるだろう。 アメリカの支配層は第2次世界大戦後、大衆の心理を操作するためのプロジェクトを始めた。「モッキンバード」である。1983年1月にはロナルド・レーガン大統領がNSDD11に署名、「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」がスタートした。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊し、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めたのである。1990年代に入るとメディアだけでなく広告会社の役割が増大、さらにハリウッドを利用したイメージの刷り込みも強化されていく。 そうした情報戦の中心にいる有力メディアがバイデン政権と距離を置き始めた。同政権が正気でないと考えているのかもしれないが、敗北を認めることは破滅を意味すると考えているはずのネオコンは狂気の政策を続けざるをえないのだろう。日本のマスコミは今でもその狂気の政策に従っているようだ。
2023.10.25
日本では低メリット高リスクの「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」を打ち続けている。9月20日には新たな接種キャンペーンが始まったが、多い人は7回目。使用されるオミクロン株派生型「XBB」系統に対応するものを使っている。 この薬品には「ワクチン」というタグが付けられているが、実態は遺伝子操作薬。人類史上、初めて使うタイプだ。その新薬を動物実験をろくにせず、全人類を対象に打とうとしたのだが、世界的に見ると、昨年春から打つ国はほとんどなくなった。日本は例外だ。 これまで以上に「XBBワクチン」は危ないと言われているが、それ以上に危険な薬を日本人に打つ計画がある。「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」だ。これは一種の「人工ウイルス」にほかならず、危険な「病原体」だとも言えるだろう。薬を接種していない人にも感染する可能性があると少なからぬ専門家が危険性を指摘している。 福島県南相馬市にMeiji Seikaファルマは武田薬品系のアルカリスと共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設、そこでアルカリスが開発したレプリコン・ワクチン「ARCT-154」を作る計画だという。すでに、日本における製造販売承認を申請したと発表されている。アルカリスはアークトゥルスとアクセリードが共同で設立したmRNA医薬品CDMO(医薬品受託製造)会社。アクセリードは武田薬品の湘南研究所が2017年にスピンオフしてできた。 武田薬品には世界の医薬品利権で重要な役割を果たしてきた人物が関係している。「グローバル・ワクチン・ビジネス・ユニット」で「プレジデント」を務め、今年3月に退職したラジーブ・ベンカヤだ。 ベンカヤはジョージ・W・ブッシュが大統領だった2002年から03年にかけての時期にホワイトハウス・フェローを務め、バイオ防衛担当ディレクターを経て大統領特別補佐官およびバイオ防衛担当シニアディレクターとして活動、バイオ・テロリズム研究グループを率いていた。ホワイトハウス時代、ベンカヤはフランシス・タウンゼント国土安全保障担当補佐官の直属で、その時、ロックダウンを考え出したという。 ホワイトハウスを離れたベンカヤはビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団でグローバル・ヘルス・プログラムのワクチン・デリバリー・ディレクターを務め、2011年には武田薬品のグローバル・ワクチン・ビジネス・ユニットを率いることになった。 その一方、Gavi(ワクチンアライアンス)の理事を務め、CEPI(感染症流行対策イノベーション連合)やIAVI(国際エイズワクチン推進構想)の理事会メンバー。CFR(外交問題評議会)の終身会員でもある。ちなみに、Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された団体。活動資金はWHO(世界保健機関)、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。 WEFやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のほか、ウェルカム・トラストなどによって作られたCEPIは「将来の『疾病X』の発生は避けられない」と予測し、将来のウイルス侵入に対する永遠の警戒を呼びかけている。ウェルカム・トラストの理事長だったジェレミー・ファラーは現在、WHOの主任科学者だ。 ウェルカム・トラストは2020年5月、ウェルカム・リープなる会社を創設しているが、そのCEOに選ばれたレジーナ・デューガンはアメリカ国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)で長官を務めた人物だ。 アメリカの国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発をしていた。同国に建設されたDTRA(国防脅威削減局)の研究施設は約30カ所。こうした研究開発にはアメリカの民主党、国防総省、そしてCDC(疾病予防管理センター)を含む政府機関が関係している。 研究開発の資金はアメリカの予算からも出ているが、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、クリントン財団、ハンター・バイデンのロズモント・セネカ・パートナーズ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ロックフェラー財団、エコヘルス同盟などもスポンサーだ。 そのほか、生物兵器の研究開発システムにはアメリカ大使館、国防総省の契約企業であるメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、スカイマウント・メディカル、そしてCH2Mヒルなど、またファイザー、モデルナ、メルク、ギリアドを含む医薬品会社が組み込まれ、ドイツやポーランドも関係している。 このシステムは生物兵器の研究開発だけでなく、医薬品メーカーは安全基準を回避して利益率を上げるためにウクライナの研究施設を利用しているともいう。 ファイザーやモデルナといった医薬品会社やエコヘルス同盟が関係していることからウクライナの研究所はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)にも関係しているという疑いが生じた。 こうした情報はロシア軍が昨年2月24日に巡航ミサイルなどでウクライナを攻撃してから明らかになった。ロシア軍は航空基地やレーダー施設だけでなく生物化学兵器の研究開発施設も破壊、秘密文書やサンプルを回収しているようだ。 ウクライナでアメリカ国防総省による生物兵器の研究開発は2005年8月にウクライナの保健省とアメリカの国防総省が結んだ協力協定に基づいて進められた。その建前は生物兵器の開発に使用される可能性のある技術、病原体、知識の流通防止だ。この協定により、オデッサ、シンフェロポリ、ヴィニツィア、リヴィウ、キエフを含む都市の研究所が改築されたり建設された。 ウクライナ以外ではアゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアなどでも研究開発施設が建設されている。 COVID-19騒動の幕開きは2019年12月、中国の湖北省武漢の病院でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見されたところから始まるが、その武漢にある病毒研究所はアメリカ政府の資金を受け取り、技術の提供を受けていた。 同研究所の石正麗はアメリカのノースカロライナ大学でラルフ・バリク教授の下でコロナウイルスについて研究、2015年11月にはSARSウイルスのスパイク・タンパク質をコウモリのウイルスのものに取り替えることに成功している。 バリクはコウモリのコロナウイルスを他の種を攻撃するように操作する技術を開発、それを教わった石は中国へ戻ってから武漢の研究所で人間の細胞を攻撃するコロナウイルスの研究を始めた。 石は研究費をNIAID(国立アレルギー感染症研究所)から「エコヘルス連合」のピーター・ダスザクを介して受け取っているが、NIAIDはNIH(国立衛生研究所)の下部機関で、アンソニー・ファウチが所長を務めていた。エコヘルス連合はWHO(世界保健機関)にアドバイスする立場にある。 中国で伝染病対策の責任者を務めている疾病預防控制中心の高福主任は2020年1月22日、国務院新聞弁公室で開かれた記者会見の席上、武漢市内の海鮮市場で売られていた野生動物から人にウイルスが感染したとする見方を示し、この仮説を有力メディアは世界へ拡げた。 この高福は1991年にオックスフォード大学へ留学して94年に博士号を取得、99年から2001年までハーバード大学で研究していた人物。その後04年までオックスフォード大学で教えている。また、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長を務めてきたアンソニー・ファウチの弟子とも言われている。 現在、ウクライナでアメリカ/NATOの軍や情報機関はロシア軍に敗北、生物兵器の研究開発は以前のようにはできなくなり、国外へ施設を移している。中国では武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見された後、対策を指揮したのは高福でなく中国軍の陳薇だった。両国ともアメリカの影響力が低下しているはずだ。 そうした中、日本で遺伝子操作薬が接種され続け、薬品の生産工場が建設された。日本は周囲を海に囲まれた国であり、危険な病原体の研究開発を行いやすいと言える。
2023.10.24
イスラエルは白リン弾を含む兵器でガザを攻撃、建物は破壊されて瓦礫の山になり、血まみれになった死傷者の映像がインターネットを通じて世界へ発信されている。犠牲者が地下施設に避難しているハマスのメンバーでないことをベンヤミン・ネタニヤフ政権は理解しているはずだ。 イスラエルのヨアブ・ギャラント国防相は10月9日、ガザの完全閉鎖を命じ、「電気も食料も燃料もなくなる。我々は人間獣と戦っているのだ」と宣言した。戦っている相手を「ハマス」と解釈している人もいるようだが、実態は市民。その約半数は子どもである。 欧米のエリートもそうした実態を熟知しているはずだが、そのうえでイスラエル支持を打ち出している。そうしたひとりがイギリス労働党のキア・スターマー党首だ。 イギリスの労働党は1982年9月にイスラエル軍の支援を受けたファランジスト党がレバノンのパレスチナ難民キャンプのサブラとシャティーラでパレスチナ難民を虐殺してから親パレスチナへ切り替わった。 そうした情況を懸念したアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議し、米英エリート層を一体化させるために組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。 このプロジェクトでは宣伝が重視されたようで、有力メディアの記者や編集者が参加している。そこでBAPに関する情報はあまり流れなかった。 そうした中、政治家の中で目をつけられたのがトニー・ブレアにほかならない。1994年1月に彼は妻のチェリー・ブースと一緒にイスラエル政府の招待で同国を訪問、帰国して2カ月後にロンドンのイスラエル大使館で開かれたパーティーに出席した。その時に全権公使だったギデオン・メイアーから紹介されたマイケル・レビーはその後、ブレアの重要なスポンサーになった。 そのブレアが労働党の党首になるチャンスが訪れる。当時の労働党党首、ジョン・スミスが1994年の5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利して新しい党首になったのである。 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そのブレアは「ニューレーバー」の看板を掲げ、「ゆりかごから墓場まで」という歴史的な労働党の路線を放棄した。外交面では「親パレスチナ」に傾いていた労働党を再び「親イスラエル」に戻した。 1997年5月に首相となったブレアの政策は国内でマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義を推進、国外では親イスラエル的で好戦的なものだった。 こうしたブレアのネオコン的な政策への反発に後押しされて2015年9月から党首を務めめることになったのがジェレミー・コービン。アメリカやイギリスの情報機関もコービンを引きずり下ろそうと必死になり、有力メディアからも「反ユダヤ主義者」だと批判された。 コービンに対する攻撃には偽情報も使っているが、その重要な発信源のひとつが2015年に創設されたインテグリティ・イニシアチブ。イギリス外務省が資金を出している。「偽情報から民主主義を守る」としているが、その実態は偽情報を発信するプロパガンダ機関だ。 そして2020年4月4日、労働党の党首はキア・スターマーに交代。彼はイスラエルに接近、自分の妻ビクトリア・アレキサンダーの家族はユダヤ系だということをアピールしている。彼女の父親の家族はポーランドから移住してきたユダヤ人で、テル・アビブにも親戚がいるという。労働党はブレアの路線へ戻り、今回のイスラエルによるガザ攻撃でもイスラエル支持を明確にしている。 こうした日米欧エリート層の結託を揺るがしているのが、瓦礫の山と化した街や血まみれのガザ市民を移した映像。エリート層が都合の悪い映像を検閲、削除しているが、それでも事実はインターネットを通じて伝えられる。 そこで、改めて指摘されているのがウクライナにおける西側のプロパガンダ。ウクライナではアメリカ/NATOの支援を受けたネオ・ナチの住民虐殺はガザと同じように世界へ発信されたが、有力メディアが盛んに宣伝してきたロシア軍の蛮行を裏付ける映像はガザの場合と違い、見当たらない。ガザではウクライナのネオ・ナチより酷いことが行われている。 アメリカは1980年代からプロパガンダを重視するようになった。その始まりはロナルド・レーガン大統領が1983年1月に署名したNSDD11だ。そして「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」がスタートした。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊し、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めたのである。 石油利権をめぐる対立からクウェートへイラクが軍事侵攻した後、イラクを攻撃する下地造りとして、1990年10月にアメリカ議会では人権に関する議員集会が開かれた。 その集まりにひとりのクウェート人少女「ナイラ」が登場、イラク軍の冷酷な行為を告発してサダム・フセインに対する憎悪をかき立て、イラクに対するアメリカの軍事侵攻につながる。 彼女はイラク軍が病院から医療機器を盗み、その際に保育器から乳児が外へ出され、乳児は死んでいったと涙ながらには語っているのだが、この話は真っ赤の嘘だった。 その少女は駐米クウェート大使だったサウド・ビン・ナシル・アル・サバーの娘で、イラク軍がクウェートに軍事侵攻した状況を知る立場にはなかった。つまり目撃していないクウェートでの出来事を迫真の演技で話したわけだ。この演技力のある少女を使った偽証の演出を担当したのは広告会社、ヒル・アンド・ノートン。クウェート政府が1190万ドルで雇ったという。 その後、広告会社や有力メディアはタッグを組み、米英支配層のためにプロパガンダを進めていく。例えば、ユーゴスラビアを先制攻撃する際にも、2001年9月11日の世界貿易センターやアメリカ国防総省に対する攻撃にも、2011年にシリアやリビアを攻撃する際にも、2014年にウクライナでクーデターを実行する際にもプロパガンダは強力に推進された。
2023.10.23
2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスで警察官に取り押さえられたジョージ・フロイドが死亡した。取り押さえた警察官、デレク・ショウベンは殺人で起訴され、4月20日に有罪が言い渡されている。地面に押さえつけられたことによる心肺停止が死因で、殺人だと判断されたのだが、この取り押さえ方はイスラエルの治安機関の手法と同じだ。 アムネスティ・インターナショナルによると、メリーランド州、フロリダ州、ニュージャージー州、ペンシルベニア州、カリフォルニア州、アリゾナ州、コネティカット州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州、ノースカロライナ州、ジョージア州、ワシントン州、そしてワシントンDCの警察がイスラエルの治安機関から訓練を受けているのだが、ミネソタ州の警官もイスラエルの訓練を受けていたという。アメリカは治安対策をイスラエルのパレスチナ人弾圧に学んできた。その弾圧システムを彼らは世界に広げようとしている。 1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されてからパレスチナ人弾圧は続いているが、その前になかったわけではない。シオニストは1936年から39年にかけて行われたパレスチナ人殲滅作戦を展開、1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動させてデイル・ヤシン村を襲撃、見せしめとして村民を虐殺、そこに住んでいたアラブ系住民を追い出すことに成功した。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩はイギリス外相だったアーサー・バルフォアが1917年11月2日にウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡だが、建国の大きな目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だったと考えられている。運河によって地中海と紅海を感染が行き来できることはイギリスの戦略上、重要だった。そのためにイギリスは先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を弾圧する一方、ユダヤ人の入植を進めたのだ。 1920年代に入るとパレスチナでアラブ系住民の反発が強まり、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用することになった。 この組織はRIC(アイルランド王立警察)を支援、IRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立された。隊員の多くは第1次世界大戦に従軍した後に失業した元イギリス兵だ。違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名になった。イギリス政府はその働きを評価、パレスチナへ投入、そこでアイルランドと同じことを行うことになる。 ドイツでナチスが実権を握ると、シオニストはドイツのユダヤ人に目を付ける。そしてシオニストはナチス政権との間でユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意した。「ハーバラ合意」だ。 シオニストは「ユダヤ人弾圧」によってユダヤ系の人びとをパレスチナへ向かわせることができると考えたようだが、ユダヤ教徒の多数派はパレスチナへ移住しない。1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃、多くの人が殺され、収容所へ入られ始めるが、それ以降もユダヤ教徒はパレスチナでなく、アメリカやオーストラリアへ逃れた。 シティを拠点にするイギリスの支配層がロシア制圧を目指し、南コーカサスや中央アジア戦争を始めたのは19世紀。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略である。 この戦略を可能にしたのは1869年のスエズ運河完成、75年にはイギリスが経営権を手に入れた。運河を買収した人物はベンジャミン・ディズレーリだが、買収資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドである。イギリスは1882年に運河地帯を占領し、軍事基地化している。世界戦略上、スエズ運河はそれだけ重要だった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリは1881年4月に死亡するが、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめている。この富豪の孫がエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルド。 中東で石油が発見されると、イギリスとフランスはその利権を手に入れようとする。そして1916年に両国は協定を結ぶ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスにほかならない。 この支配システムは今も生きている。
2023.10.22
10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)がイスラエルを奇襲攻撃した数時間後、アメリカ政府は2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させた。レバノンにいるヒズボラ、あるいはイランの軍事介入を牽制することが目的だとされているが、それほど早く艦隊を移動できたのは事前に攻撃を知っていたからではないかと考える人もいる。 ハマスの創設にイスラエルが深く関係していることは広く知られている事実で、シーモア・ハーシュも書いているように、ベンヤミン・ネタニヤフは首相に返り咲いた2009年、PLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした。そのためネヤニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたと言われている。 こうした過去を知っている人は少なくない。ガザにおける民間人に対するあらゆる違法な暴力を非難、停戦を求める決議案をロシアが国連の安全保障理事会へ提出、10月16日に採決されたが、否決された。アメリカ、イギリス、フランス、日本はハマスを名指しで非難していないとして反対したのだ。 その16日、イギリスでは元ウズベキスタン駐在イギリス大使のクレイグ・マーリーが逮捕された。パレスチナの抵抗運動を支持したことが「テロ防止法」に接触するというのだ。フランスではパレスチナ支持のデモが禁止された。 しかし、世界的に見るとイスラエルに対する目は厳しく、言うまでもなく、イスラム世界では特にそうした傾向が強い。ジョー・バイデン米大統領がイスラエルを訪問した10月18日、バイデンの側近はパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長とバイデン大統領との電話会談を計画したが、アッバス側から拒否されたという。21日に自治政府は電話会談に応じたというが、すでにアメリカの手先になっているアッバスとしては、18日の電話会談拒否が精一杯の抵抗だったのだろう。 18日にバイデン大統領はアッバス議長のほか、エジプトのアブデル・ファッター・ア-シシ大統領やヨルダンのアブドラ2世と会談する予定だったが、ヨルダンはガザのアル・アフリ・アラブ病院が10月17日に爆破された後に会談をキャンセルしたと伝えられている。 ウクライナでロシアのウラジミル・プーチン政権に負けたバイデン政権としては、その敗北から人々の目を逸らさせる役割を果たすハマスによる攻撃はありがたかったかもしれないが、欧米のイスラエル支持はグローバル・サウスの反発を強め、アメリカを中心とする支配システムの崩壊を加速させる可能性がある。 こうした状況を懸念する声はアメリカの支配層内でも増えているようで、アメリカの有力メディアにもガザの窮状を無視するバイデン政権の姿勢を批判するようになってきた。バイデン政権はガザでも行き詰まっている。 和平を恐れるバイデン政権としてはウクラナでNATOを前面に出して戦争をエスカレートさせるか、東アジアで軍事的な緊張をさらに高める可能性もある。
2023.10.21
イスラエルのギラド・エルダン国連大使は10月8日、国連安全保障理事会で「これはイスラエルの9/11だ」と演説、ヨアブ・ギャラント国防相はガザを完全包囲するように命じたと語った。ギャラントによるとパレスチナ人は「人間獣」、つまり人間ではない。躊躇なく殺せるということだろう。彼らにとって病院に対する爆撃は問題なく、「人道的支援」は受け入れ難いはずだ。 今から50年前の1973年9月11日、チリで軍事クーデターがあった。1970年の選挙で勝利、大統領に就任したサルバドール・アジェンデはアメリカによる帝国主義的な支配に反対していた政治家で、アメリカの巨大資本から敵視されていた。 その意向を受け、巨大資本の代理人であるヘンリー・キッシンジャーが動く。当時、国家安全保障問題担当の大統領補佐官を務めていたキッシンジャーはアジェンデを排除するための工作をCIAの破壊工作部門に命じた。そして実行されたのがオーグスト・ピノチェトによる軍事クーデターだ。 これが最初の9/11だが、勿論、エルダン大使が口にした9/11は2001年9月11日の出来事。この日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃があったのだ。 攻撃の直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めた。 その一方、アメリカ国内では「愛国者法」が制定され、基本的人権を報奨した憲法の条項を無力化させ、収容所化を進めた。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認。つまり議員の大半は内容を読まずに賛成している。 ブッシュ政権はアフガニスタンだけでなくイラクへ軍事侵攻する計画を立てる。CIAは2002年に対イラク工作を開始、その年の11月に中東全域のCIA支局長がロンドンのアメリカ大使館に集められ、IOG(イラク作戦グループ)から対イラク戦争は決定済みであり、嫌なら辞めろと脅されたという。(James Risen, “State of War,” Free Press, 2006) イラクへの先制攻撃を正当化するため、コリン・パウエル国務長官は大量破壊兵器に関する偽情報を国連で宣伝している。パウエルは2003年2月、国連でサダム・フセイン政権が間違いなく生物兵器を開発、生産能力もあると発言しているのだ。 パウエルの次官だったシャルロット・ビアーズは「マディソン街の女王」と呼ばれる人物で、大手広告会社の会長兼CEOを務めていた。彼女の手法は単純化と浅薄化。イメージが問題なのであり、詳しく丁寧には説明しない。イラクへの先制攻撃をアメリカ政府は「イラクの自由作戦」と命名したが、これもビアーズのアドバイスに従ってのことだという。ブッシュ大統領が「この戦争は平和のため」と発言したのも彼女のアドバイスによる。(Alexander Cockburn & Jeffrey St. Clair, “End Times”, CounterPunch, 2007) イラクへの軍事侵攻は1991年、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが口にしている。ネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン政権を倒し、親イスラエル体制を樹立させ、シリアとイランを分断、個別撃破する計画を立てていた。 9/11から10日ほど後、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は統合参謀本部で攻撃予定国のリストを見ている。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが載っていたという。(3月、10月) アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃したのは2003年3月20日早朝のこと。作戦に参加したのは事前にクウェートへ送り込まれていたアメリカ軍兵士24万8000人、イギリス軍兵士4万5000人、オーストラリア軍兵士2000人、ポーランドの特殊部隊GROMの隊員194名、そしてクルドの武装集団ペシュメルガから7万人だという。なお、GROMはアメリカ陸軍の特殊部隊デルタフォースとイギリスのSAS(特殊空挺部隊)が1990年代に組織、訓練した軍事組織だ。 イラクに軍事侵攻したアメリカ主導軍は破壊と殺戮を繰り広げ、捕虜に対する拷問も明らかになっている。戦争で死亡したイラク人の数を西側は小さく見積もっているが、100万人程度にはなっている可能性がある。 例えば、アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から06年7月までに約65万人のイラク人が殺されたとされている。またイギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。 ウクライナの政治家オレグ・ツァロフは昨年2月19日に緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、キエフ政権の軍や親衛隊はこの地域を制圧、自分たちに従わない住民を「浄化」しようとしていると警鐘を鳴らしている。ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、CIAの下部機関と化しているSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。 ロシア軍がウクライナ側で回収した文書によると、ゼレンスキーが1月18日に出した指示に基づいて親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名している。2月中には攻撃の準備が終わり、3月に作戦を実行することになっていたという。 ドンバスで住民が大量虐殺された場合、ロシア軍が介入してくる可能性が高い。アメリカ/NATO/ウクライナは2014年から8年かけてドンバス周辺にに要塞線を築いていた。ネオ・ナチを中心に編成されたアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリ、あるいは岩塩の採掘場があるソレダルにはソ連時代に建設された地下施設、つまり地下要塞が存在している。地下要塞は全長200キロメートルだという。その要塞線の中へロシア軍を誘い込んで足止めし、その間に別の部隊がクリミアを攻撃するというプランだったと推測する人もいる。 しかし、ロシア軍はウクライナ軍が動く直前の2022年2月24日にミサイル攻撃を開始、ウクライナ側の航空基地、レーダー施設、生物化学兵器の研究開発施設などを破壊したほか、ドンバスに対する大規模な攻撃を始めるために集結していたウクライナの軍や親衛隊などを壊滅させている。この段階でウクライナ軍はロシア軍に負けていたのだ。その後も戦闘が続いているのはアメリカ/NATOの命令のため。武器弾薬や資金を提供する一方、ウクライナ人に玉砕攻撃させている。 ガザで虐殺を行なわれた場合、以前とは違い、イスラム諸国が軍事介入する可能性がある。そうなると中東は戦乱で燃え上がるが、それを利用して「大イスラエル」を実現しようと考えているかもしれない。
2023.10.20
ガザのアル・アフリ・アラブ病院が10月17日に爆破され、500名以上の患者や避難民が殺されたと伝えられている。その後の報道では700名以上だという。 現地に入っている西側の記者もイスラエルによる攻撃だった可能性が高いとしているのだが、イスラエルはパレスチナ側の誤爆だと主張。ハマスの通信を傍受した会話と称する音声も公表されたが、方言の分析などから信憑性はないようだ。その信憑性のない話をイスラエル訪問中のジョー・バイデン米大統領は受け入れた。 イスラエル側がハマスの通信を傍受しているという主張に苦笑する人は少なくない。通信を傍受できるのなら10月7日のハマスによるイスラエルに対する奇襲攻撃はなかったはずだからだ。 病院を攻撃したのはイスラエル軍だということになると、誤爆だったのか意図的なのかという問題が生じる。意図的だったとするなら目的は何かということになるが、イスラエル建国の前からシオニストはパレスチナからアラブ系住民を殺害、あるいは追放しようとしてきた。民族浄化だ。アメリカでヨーロッパからの移民が行い、ウクライナではネオ・ナチがロシア系住民に対して行っている。 ウクライナでネオ・ナチ軍は学校や病院を軍事拠点にし、そこからドンバスの反クーデター派住民を攻撃していた。その学校や病院をロシア軍は攻撃したが、その際、そこに一般市民はいないことを慎重に確認している。 アル・アフリ・アラブ病院に武器弾薬がなかったことは攻撃後に二次爆発がなかったことから確実だと言われている。イスラエル軍は病院がハマスの軍事拠点になっているかどうかを確認できていない。 病院が爆撃される前日、国連の安全保障理事会ではロシアが提出した決議案が否決された。この決議案はガザにおける民間人に対するあらゆる違法な暴力を非難、停戦を求めているが、アメリカ、イギリス、フランス、日本はハマスを名指しで非難していないとして反対している。 この4カ国はイスラエルによるパレスチナ人弾圧は容認しているわけだが、ハマスを作り出したのはイスラエルである。イスラム世界には日米英仏の4カ国がイスラエルに病院爆撃を許したと考える人もいる。 ハマスは1987年12月、シーク・アーメド・ヤシンによって創設された。ヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物で、ガザにおける同胞団の責任者。シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設、76年にはイスラム協会を設立、77年の選挙で軍事強硬派のリクードが勝利するとイスラエル政府はイスラム協会を人道的団体として承認した。ハマスはイスラム協会の軍事部門だ。 シーモア・ハーシュによると、前回、つまり2009年に返り咲いた時、ベンヤミン・ネタニヤフはPLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした。そのため、ネヤニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。 イスラエルの中でも特にハマスとの関係が深いネタニヤフは汚職事件で窮地に陥っていた。今回のハマスによる攻撃でとりあえず窮地を脱することができた。彼は早期の停戦を望んでいないだろう。 イスラエルがハマスを作った理由はヤセル・アラファトが率いるPLO(パレスチナ解放機構)のファタハを弱体化させることにあった。アラファトのライバルを育て、内部対立させることで運動を弱体化させようとしたのだ。 しかし、イスラエルは2004年3月にヤシンを暗殺、その年の11月にアラファトも死亡した。アラファトも殺された可能性が高い。アラファトの死でPLOの影響力は大きく低下、イスラエルにとってハマスの存在意義は薄らいだはずだが、2009年にネタニヤフはハマスを使った。つまり関係は切れていない。 イスラエル軍はGBU-43/Bを使う可能性があるが、それが使われなくてもガザで住民の虐殺が続いた場合、ヒズボラが介入する可能性が高まる。イスラエル軍の地上部隊が2006年7月から9月にかけてレバノンへ侵攻した際、ヒズボラに敗北している。その際、イスラエルが誇る「メルカバ4」戦車も破壊されてメルカバ神話が崩れ去った。 ハマスはガザに地下施設を建設、イスラエル軍の侵攻を待ち受けているが、ヒズボラは精密誘導ミサイルを含む約15万発のロケット弾やミサイルを保有、イスラエルのどこでも攻撃できる。しかも戦闘慣れした数千人の兵士が存在、様々な種類の軍事用ドローンを保有している。 イランがハマスを支援しているという話は眉唾物だが、ヒズボラとは関係が深い。
2023.10.19
厚生労働省は9月20日から「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」と名付けられた遺伝子操作薬の追加接種を始めた。多い人は7回目になるが、接種者数は増えていないようだ。 この新薬は人間の細胞に病気の原因であるスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るという理屈になっているのだが、このスパイク・タンパク質が病気の原因になる。 そこで人間の免疫システムは細胞を病気の原因だと認識して攻撃、炎症を引き起こす。そのまま放置すると非接種者を死に至らしめる可能性があり、そうした炎症を免疫の低下が抑えなければならない。 新薬にはそうした仕組みもあり、人間もそうした反応をする。いわばAIDS状態にするわけで、VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われ始めた。接種が始まる前からADE(抗体依存性感染増強)も懸念されていた。 そのほか、DNAの混入、mRNAを細胞の内部へ運ぶために使われているLNP(脂質ナノ粒子)の毒性、グラフェン誘導体の混入といった問題も指摘されている。LNPは卵巣を含むあらゆる臓器に蓄積、生殖システムが破壊される可能性があり、人類の存続を危うくしかねないのだ。 このように新薬は人間に害をなす。これは意図的なものである可能性が高いのだが、誰が計画したのだろうか? 日本では東アジアの国の名前を聞くが、公開された文書の分析で、計画の中心にはアメリカの国防総省が存在していると指摘されている。医薬品メーカーはその手先だということだ。国防総省の背後には米英の私的権力が存在している可能性が高い。 医薬品業界で研究開発に携わってきたサーシャ・ラティポワの分析によると、国防総省はバラク・オバマ大統領の時代から「COVID-19ワクチン」の接種計画を開始、高度な管理を実施、製薬メーカーに劇場型パフォーマンスを注文したという。その契約により、製薬会社はすべての責任を免除されている。日本を含むアメリカに従属している国々は、この契約に拘束されているのだろう。
2023.10.18
パレスチナの抵抗運動を支持したとして、元ウズベキスタン駐在イギリス大使のクレイグ・マーリーは10月16日に「テロ防止法」に違反したとして逮捕された。アイスランドでパレスチナ人を支持する抗議活動に参加、イギリスへ戻って来たところだった。 現在のイギリス首相、リシ・スナックはハマスに協力した者に「責任を取らされる」と宣言、イスラエル政権への支持を誓っている。ウクライナに対するのと同じように、イギリス政府はイスラエルを軍事支援する用意があるともしている。 イスラエルが建国されてからイギリスの労働党はイスラエルを支持していたが、そうした政治的な立場を大きく変える出来事が1982年9月に引き起こされた。レバノンのパレスチナ難民キャンプのサブラとシャティーラでパレスチナ難民が虐殺されたのだ。 キリスト教マロン派系のファランジスト党のメンバーが虐殺したのだが、その黒幕はイスラエルだった。ファランジスト党の武装勢力はイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧し、PLOは追い出されてしまう。 ファランジスト/イスラエルは死体を持ち去ったり爆弾を仕掛けるなど隠蔽工作を行ったこともあり、正確な犠牲者数は不明だが、数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われている。 この虐殺の序章は1981年6月30日にイスラエルで行われた選挙。春の段階では労働党がリクードを引き離していたが、6月7日に実行されたイラクのオシラク原子炉爆撃で形勢は逆転した。この爆撃でリクードの支持率は一気に上昇、選挙で勝利している。 7月に入るとベイルートにあったPLOのビルをイスラエル軍は空爆、国連のブライアン・アークハート事務次長の説得で停戦する。イスラエル側は戦争を継続するだけの準備ができていなかった。 1982年1月にアリエル・シャロン国防相はベイルートを極秘訪問し、キリスト教勢力と会談、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決める。その2週間後にはペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開き、イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカに敵対的なことを行わないと言う内容のメッセージをアメリカへ送った。 6月3日に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使、シュロモ・アルゴブの暗殺を試みたが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派。 イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)が、この組織には相当数のイスラエルのエージェントが潜入していて、暗殺の目標を決めたのもそうしたエージェントだったともされている。この事件を口実にしてイスラエルは6月6日にレバノンへ軍事侵攻、1万数千名の市民が殺された。(Alan Hart, “Zionism: Volume Three,” World Focus Publishing, 2005) アメリカ政府の仲裁で停戦が実現、8月21日にイスラエル軍が撤退、PLOも撤退を始めて9月1日には完了、12日には国際監視軍も引き揚げる。その直後、9月14日にファランジスト党のバシール・ジェマイエル党首が爆殺された。レバノンへの軍事侵攻を目論んでいたシャロンにとって好都合な出来事。その報復だとして同党のメンバーがイスラエル軍の支援を受けながらサブラとシャティーラ、両キャンプを襲撃したわけだ。 この虐殺はイスラエルに対する批判を強めることになり、EUを中心にBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)が展開される。歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党でもイスラエルに対する批判が強まり、党の方針が親パレスチナへ変更された。 そうした情況を懸念したアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)である。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが組織の目的で、特徴のひとつは少なからぬメディアの記者や編集者が参加したことだ。 そうした中、目をつけられたのがトニー・ブレア。1975年に大学を卒業した直後に彼は労働党へ入り、1983年の選挙で下院議員に選ばれている。その後、影の雇用大臣を経て1992年には影の内務大臣に指名された。 その彼が妻のチェリー・ブースとともにイスラエル政府の招待で同国を訪問したのが1994年1月。帰国して2カ月後にブレアはロンドンのイスラエル大使館で開かれたパーティーに出席しているが、その時に全権公使だったギデオン・メイアーからマイケル・レビーを紹介されている。その後、レビーはブレアの重要なスポンサーになった。 そのブレアが労働党の党首になるチャンスが訪れる。当時の労働党党首、ジョン・スミスが1994年の5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利して新しい党首になったのである。 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そのブレアは「ニューレーバー」の看板を掲げ、「ゆりかごから墓場まで」という歴史的な労働党の路線を放棄した。外交面では「親パレスチナ」に傾いていた労働党を再び「親イスラエル」に戻した。 1997年5月に首相となったブレアの政策は国内でマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義を推進、国外では親イスラエル的で好戦的なものだった。後にブレアはイラクへの先制攻撃を正当化するため、偽文書を作成している。 ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドと親しいが、首相を辞めた後、JPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得るようになる。 こうしたブレアのネオコン的な政策への反発に後押しされて2015年9月から党首を務めめることになったのがジェレミー・コービン。アメリカやイギリスの情報機関もコービンを引きずり下ろそうと必死になり、有力メディアからも「反ユダヤ主義者」だと批判された。イギリスの支配システムは親パレスチナを許さない。 コービンに対する攻撃には偽情報も使っているが、その重要な発信源のひとつが2015年に創設されたインテグリティ・イニシアチブ。イギリス外務省が資金を出している。「偽情報から民主主義を守る」としているが、その実態は偽情報を発信するプロパガンダ機関だ。 そして2020年4月4日、労働党の党首はキア・スターマーに交代。彼はイスラエルに接近、自分の妻ビクトリア・アレキサンダーの家族はユダヤ系だということをアピールしている。彼女の父親の家族はポーランドから移住してきたユダヤ人で、テル・アビブにも親戚がいるという。労働党はブレアの路線へ戻った。 そもそもイスラエル建国にはイギリスの富豪が深く関係している。 イギリスの支配層は19世紀からロシア制圧を目指し、南コーカサスや中央アジア戦争を始めている。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略だ。 この戦略を可能にしたのは1869年のスエズ運河完成、75年にはイギリスが経営権を手に入れた。運河を買収した人物はベンジャミン・ディズレーリだが、買収資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドである。イギリスは1882年に運河地帯を占領し、軍事基地化している。世界戦略上、スエズ運河はそれだけ重要だった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリは1881年4月に死亡するが、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめている。この富豪の孫がエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだ。 中東で石油が発見されると、イギリスとフランスはその利権を手に入れようとする。そして1916年に両国は協定を結ぶ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。
2023.10.18
ハマス(イスラム抵抗運動)が10月7日にイスラエルを陸海空から奇襲攻撃、イスラエルはガザに対する激しい攻撃を開始した。イスラエル軍はハマスへの報復と言いながらパレスチナの市民を虐殺している。イギリスやフランスでもイスラエルを批判する抗議活動が展開され、フランスではパレスチナ支持のデモが禁止された。イスラム世界ではイスラエルへの怒りが高まり、ガザで地上戦が始まったなら、怒りが燃え上がると見られている。 ハマスは1987年12月、シーク・アーメド・ヤシンによって創設された。ヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物で、ガザにおける同胞団の責任者。シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設、76年にはイスラム協会を設立している。 シーモア・ハーシュによると、前回、つまり2009年に返り咲いた時、ベンヤミン・ネタニヤフはPLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした。そのため、ネタニヤフはカタールと協定を結び、カタールは協定に基づいてハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。 こうした経緯があるため、今回のハマスによる攻撃はネタニヤフの偽旗作戦ではないかと推測する人も少なくない。ウクライナでロシアに敗北したアメリカ/NATOも、人びとの目を逸らさせる必要があった。 ウクライナがロシアに敗北したのは昨年2月末のことである。ドンバスに対する大規模な軍事作戦を始めようとしていたウクライナ軍をロシア軍は昨年2月24日にミサイルで攻撃した。ドンバス周辺に集まっていた部隊を一気に叩いたほか、ウクライナ側の航空基地やレーダー施設、あるいは生物兵器の研究開発施設を破壊しているのだ。その直後、イスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役とする停戦交渉が始まり、停戦はほぼ合意に達した。 3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけた。ベネットはその足でドイツへ向かい、オラフ・シュルツ首相と会っている。ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフがウクライナの治安機関SBUのメンバーに射殺されたのはその3月5日だ。その後、トルコを仲介役とする停戦交渉も行われ、仮調印まで漕ぎ着けている。 4月9日にはイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んで停戦交渉の中止と戦争の継続を命令、4月21日にはウクライナ南部のミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と国民を脅し、4月30日になるとナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪れ、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めたのだ。 この後、ロシアの戦闘相手はアメリカ/NATOになったのだが、この戦闘もロシアが勝った。「ウクライナが勝っている」というプロパガンダを続けていた西側の有力メディアも今年に入り、ウクライナの敗北を認める報道を始めた。ニューヨーク・タイムズ紙は今年8月、記事の中で約50万人のウクライナ兵が戦死したと書いている。この数字はほぼ正しいと見られている。なお、ロシア側の推計戦死者はその1割、つまり5万人程度だ。 ベン・ウォレス前英国防相は今年10月1日、テレグラフ紙でウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えていると書いている。そのうえでウクライナ政府に対し、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求している。つまり学徒動員、あるいは少年兵の投入を求めている。 膨大な兵器や資金を投入してきたジョー・バイデン政権に対する批判はアメリカ国内でも高まってきた。これまで「戦意高揚」を目的とするプロパガンダを続けてきたメディアとしても都合の悪い状況だ。もっとも、それでも平然と嘘をついているマスコミも存在するようだが。 バイデンにとってもネタニヤフにとっても、個人的にはハマスが始めた戦争で助かるだろうが、イスラエルに対する批判は高まっている。イスラエル建国以来、パレスチナ人が歩まされた苦難の道を世界の人びとは知っている。今回の戦闘でもパレスチナの周辺にイスラム世界だけでなく、ロシア、中国、あるいは「グローバル・サウス」が集まりつつある。アメリカに従ったヨーロッパや日本は厳しい状況に陥った。 ジョージ・H・W・ブッシュ政権は1991年1月、イラクを攻撃した。アメリカ政府の罠に引っかかり、サダム・フセイン政権はクウェートへ軍事侵攻、その報復という名目だった。 ネオコンはそのままフセイン体制を破壊するつもりだったが、イラクをペルシャ湾岸産油国の防波堤と考えていたブッシュ大統領はフセインを排除しないまま停戦、ネオコンは激怒した。ブッシュが再選されなかった理由のひとつはここにある。 その年の5月に国防総省を訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツから、シリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると聞かされたという。2001年9月11日から10日ほど後に統合参謀本部で攻撃予定国のリストが存在していたともいう。そのリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていた。(3月、10月) ソ連が消滅した1991年12月頃にはアメリカの外交や軍事はネオコンが主導権を握り、旧ソ連圏の解体工作をはじめ、ユーゴスラビアを軍事攻撃する。ソ連消滅後、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと考え、ロシアや中国にも簡単に勝てると思い込んでいた。 フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文はそうした心情を表している。キアー・リーバーとダリル・プレスはその論文の中で、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとしている。 日米欧のエリートたちは今でもそう考えているかもしれないが、2008年8月、ジョージア軍は南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗している。ジョージアの背後にはイスラエルとアメリカが存在、イスラエルは2001年からジョージアへ武器/兵器を含む軍事物資を提供し、将兵を訓練している。アメリカの傭兵会社も教官を派遣していた。奇襲攻撃が行われる前の月にアメリカの国務長官だったコンドリーサ・ライスがジョージアを訪問している。 その後、シリアでロシア軍は戦闘能力の高さ、兵器の優秀さを世界に示したが、それでもアメリカ/NATO軍はロシア軍を軽く見ていた。その見方はウクライナでも変化していない。そして窮地に陥ったのだ。
2023.10.17
イスラエル軍は悪天候を理由にしてガザへの地上部隊投入を延期すると伝えられている。地上戦が容易でないことはイスラエルも熟知しているはずだ。 2006年7月から9月にかけてイスラエル軍の地上部隊がレバノンへ侵攻した際、ヒズボラに敗北、イスラエルが誇る「メルカバ4」戦車も破壊されている。ガザにいるハマスとヒズボラでは戦力が違うものの、ハマスは地下に軍事施設を建設、イスラエル軍の侵攻に備えているはずだ。そこで空からの攻撃が主体にならざるをえない。 地下施設を破壊するため、イスラエル軍はGBU-43/Bを使う可能性がある。この爆弾をアメリカ軍は2017年4月にアフガニスタンでダーイッシュの司令部と思われる場所に投下したという。 強制収容所のような地域に押し込められ、殺されているパレスチナ人を「国際社会」はこれまで助けようとしなかった。イスラム世界の中にもパレスチナ人を見捨てた国がある。そのパレスチナ人を今回の戦闘は表に出した。 イスラエル軍はヒズボラに対する攻撃も行ったが、そのヒズボラと関係の深いイランもガザへの攻撃を止めるよう呼びかけている。イランの外相はすでにイラク、シリア、レバノンを訪問し、ヒズボラの指導者サイエド・ハッサン・ナスラッラーやレバノンの高官と会談、戦争を踏まえた「起こりうる結果」と「とるべき立場」について話し合ったとされている。イスラエルの要請もあり、ハマスに資金を提供してきたカタールもイラン外相は訪問、そこでハマスのイスマイル・ハニェと会ったも伝えられている。 ヒズボラが戦闘に参加した場合、イスラエルやアメリカはさらに厳しい状況に陥る。この戦闘組織は精密誘導ミサイルを含む約15万発のロケット弾やミサイルを保有、イスラエルのどこでも攻撃できる。また数千人の戦闘慣れした兵士が存在、様々な種類の軍事用ドローンを保有している。ビズボラはレバノンを拠点にしているが、そのレバノンの外相もパレスチナ人との連帯を表明した。 イスラエル軍の地上部隊がガザへ軍事侵攻した場合、ビズボラが戦闘に参加し、イスラエルも戦場になる可能性がある。ガザでの戦闘が続いた場合、イランは軍事介入すると国連を通じてイスラエルに伝えたとも報道されている。 パレスチナからアラブ人を追い出すことをシオニストはイスラエルを「建国」する前から計画していたはずだが、完全には追い出すことができず、戦争を仕掛けて領土を拡大してきた。 今回はガザから約100万人のアラブ系住民を追い出し、難民にするつもりのようだが、そのひとつの理由は地中海東部、エジプトからギリシャにかけての海域で見つかった天然ガス田だろう。この海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。ガザ沖の天然ガスを手に入れるためにはガザを乗っ取らなければならない。 イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表したのは2010年。ビル・クリントン元米大統領はノーブル・エナジーのロビイストだった。 ここで採掘される天然ガスや石油のマーケットはヨーロッパが想定される。その強力なライバルになるはずだったロシア産の天然ガスはウクライナでのクーデター、そしてノードストリームとノードストリーム2の爆破で排除された。 イスラエル軍によるガザへの攻撃を止めるため、ロシア軍がイスラエルを海上封鎖する可能性もあるのだが、その前にアメリカ軍はガザ沖に空母ジェラルド・R・フォードを中心とする艦隊を派遣した。さらに空母ドワイト・D・アイゼンハワーを中心とする艦隊もガザ沖に向かわせている。
2023.10.16
イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設した。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査している。アメリカでは1891年にウィリアム・ブラックストーンなる人物がユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。 エルサレムの南東にあるシオンの丘へ戻り、イスラエルを建国しようという運動はシオニズムと呼ばれている。この用語はウィーン生まれのナータン・ビルンバウムが1864年に初めて使ったという。そして1896年にセオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本を出版した。 彼らはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えているが、現在のイスラエルにもそう主張している人たちがいて、その計画は「大イスラエル構想」と呼ばれている。この構想はプロテスタントが言い始めたのだとも言われている。 ロシアでは1903年8月、内務大臣だったビャチェスラフ・フォン・プレーベは近代シオニズムの創設者と言われているセオドール・ヘルツルと会談している。その際、ヘルツルはプレーベに対し、パレスチナにユダヤ人の植民地にすることをトルコ政府に認めさせるよう求めた。 イギリスの支配層は19世紀にロシア制圧を目指し、南コーカサスや中央アジア戦争を始めている。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略だ。 この戦略を可能にしたのは1869年のスエズ運河完成、75年にはイギリスが経営権を手に入れた。運河を買収した人物はベンジャミン・ディズレーリだが、買収資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドである。イギリスは1882年に運河地帯を占領し、軍事基地化している。世界戦略上、スエズ運河はそれだけ重要だった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリは1881年4月に死亡するが、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめている。この富豪の孫がエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだ。 中東で石油が発見されると、イギリスとフランスはその利権を手に入れようとする。そして1916年に両国は協定を結ぶ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。 ローレンスが接触していたフセイン・イブン・アリにイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンは書簡を出し、その中でイギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。フセイン・マクマホン協定だ。このイブン・アリを追い出したイブン・サウドを中心として1932年に作られた国がサウジアラビアにほかならない。 その一方、イギリスのアーサー・バルフォア外相はロスチャイルド卿に宛てに出した書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。1917年11月のこと。なお、この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだと言われている。 イギリスは1919年、石油利権を手に入れるためにペルシャを保護国にし、その2年後に陸軍の将校だったレザー・ハーンがテヘランを占領する。そして1925年にカージャール朝を廃して「レザー・シャー・パーレビ」を名乗るようになった。 イスラエルやサウジアラビアはイギリスの地政学的戦略や石油利権にとって重要。「ユダヤ人の国」としてイスラエルの建国が宣言されたのは1948年5月のことだ。 第2次世界大戦中、ドイツではユダヤ人弾圧があり、多くの人が国外へ脱出したが、多くはアメリカやオーストラリアへ向かい、パレスチナを目指した人は少なかった。ヨーロッパの生活様式に慣れた人びとが中東へ向かいたがるはずはなかったのだ。シオニストの思惑は外れた。そこでイラクなどに住むユダヤ教徒をターゲットにしたテロをシオニストは実行、パレスチナへ集めている。 イスラエル建国計画には欧米の富豪が資金を出していた。特に有名な人物はエドモン・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグだ。こうした人々はイスラエルの核兵器開発も支援していた。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012) フェインバーグはアメリカン・バンク・アンド・トラストの会長を務め、アメリカ民主党の重要な資金提供者だった。その一方、熱心なシオニストで武装組織ハガナのエージェントだったとも言われている。ハガナは後にイスラエル軍の中核になる。(Jonathan Marshall, “Dark Quadrant,” Rowman & Littlefield, 2021) こうした富豪を後ろ盾とするシオニストは1948年4月4日にパレスチナ人殲滅作戦を始める。「ダーレット作戦」だ。パレスチナに住むアラブ系住民を殺し、恐怖で追い出したのだ。そして同年5月にイスラエルの建国が宣言された。それ以降、パレスチナ人は苦難の道を歩まされることになる。「国際社会」は彼らに救いの手を差し伸べない。
2023.10.15
ロシアのウラジミル・プーチン大統領はキルギスでの記者会見で、イスラエルのガザに対する攻撃を第二次世界大戦におけるドイツ軍のレニングラード封鎖に準え、「容認できない」と非難した。「レニングラード包囲戦」の際、プーチンの2歳になる兄が死んでいる。 この包囲戦は1941年9月から44年1月にかけて行われ、アドルフ・ヒトラーはレニングラード市民を餓死させると宣言していた。その包囲戦で死亡したり行方不明になったソ連人は100万人を超したとも言われている。 イスラエルのヨアブ・ギャラント国防相はガザの「完全包囲」を命じたと語った。「電気も、食料も、燃料も、何もかもが封鎖される」としている。レニングラードのような兵糧攻めを行うという宣言だ。 兵糧攻めは最も残虐な戦術だと言われているが、イスラエルは化学兵器の一種である白リン弾も使っている。そうしたことを「正当化」するため、ギャラントはパレスチナ人を「人間獣」だと表現した。ベンヤミン・ネタニヤフ政府は完全にナチス化している。 そうしたイスラエルの攻撃を支援するため、アメリカのジョー・バイデン政権はガザ沖に空母ジェラルド・R・フォード、巡洋艦ノルマンディー、駆逐艦トーマス・ハドナー、ラマージュ、カーニー、ルーズベルトを派遣することを決定した。イギリス政府もイスラエルを支援するため、地中海東部に哨戒機、偵察機、艦船2隻を派遣すると発表した。海上封鎖が目的だ。 今回の軍事衝突をプーチン大統領はドイツ軍のレニングラード封鎖に準えた。世界は勿論、アメリカ国内でも孤立しつつあるジョー・バイデン政権のネオコンは計画を実現するために強行突破を図るしかない。2001年9月11日の直前と似た状況だ。 イスラエルの国連大使は10月8日に安全保障理事会で「これはイスラエルの9/11だ」と演説、アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官はハマスの攻撃について「9/11の10回分に相当する」と主張した。 ジョージ・W・ブッシュ政権のネオコンは9/11を利用して国内の収容所化を一気に進め、国外では侵略戦争を本格化させたが、ブッシュ政権の戦略は2000年にPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)が発表した『アメリカ国防の再構築』という報告書に基づいている。その報告書がベースにしたのは1992年2月に国防総省の「DPG(国防計画指針)草案」という形でネオコンが作成した世界制覇計画、通称「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。
2023.10.14
ハマス(イスラム抵抗運動)は10月7日にイスラエルを奇襲攻撃した際、イスラエル市民に対して残虐な行為を働いたとIDF(イスラエル国防軍)やイスラエル外務省は主張した。その中には40人の「赤ん坊」を殺害し、数人の首をはねるということも含まれているという。 アメリカのジョセフ・バイデン大統領は10月10日、ホワイトハウスにおけるユダヤ教の指導者たちに対する演説で赤ん坊に対する残忍な行為を描いた写真にショックを受けたと主張したのだが、後に撤回した。IDFも「公式には確認できない」としている。バイデンは幻影を見たのだろうか? 赤ん坊をの首をはねたとする話の発信源はIDFのデイビッド・ベン・シオン。この人物が記者に語り、その偽情報をバイデンたちが広げたという。このベン・シオンはヨルダン川西岸の違法入植者の指導者で、今年初めにはヨルダン川西岸でパレスチナ人に対する暴動を扇動したと伝えられている。今年2月、彼はパレスチナのフワラ村を一掃するように呼びかけていた。「慈悲の余地はない」のだという。 ベン・シオンのような狂信的なシオニストはイスラム世界を挑発していた。たとえば今年4月1日、イスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺する。4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクに突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃、そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。 ユダヤ教徒の一部はアル・アクサ・モスクを破壊し、「第3神殿」を建設するべきだと主張している。こうした狂信的シオニストに対するイスラムの怒りが高まっていることは間違いないが、ハマスには別の要素も考慮する必要がある。 すでに本ブログでも書いたが、ハマスは1987年12月にシーク・アーメド・ヤシンらによって創設された。ヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物で、ガザにおける同胞団の責任者に選ばれている。シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設、76年にはイスラム協会を設立し、このイスラム協会の軍事部門として87年に登場してくるのがハマスである。 PLO(パレスチナ解放機構)の中心的な組織、ファタハ(パレスチナ民族解放運動)を率いるヤセル・アラファト対策のためにイスラエルはハマスを創設した。アラファトのライバルを育て、内部対立させることで運動を弱体化させようとしたわけだ。 アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名したが、クリントンはスキャンダル攻勢でホワイトハウスにおける影響力が低下、95年11月にラビンが暗殺されてしまう。 ラビン暗殺から5年後、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまう。2004年11月にアラファトが死亡、PLOの影響力は大きく低下する。アラファトが死ぬ8カ月前、ヤシンはイスラエルに暗殺されていた。 死亡直後からアラファトの死に疑問を持つ人は少なくなかった。自然死ではなく殺されたのではないかという疑惑だ。その疑惑をアル・ジャジーラが9カ月に渡って調査、アラファトが死の直前まで健康だったことを確認した。しかも彼の衣類や歯ブラシなどから放射性物質のポロニウム210が検出されたという。そこで、遺体の調査を求める声が出ている。 イスラエルの現首相であるベンヤミン・ネタニヤフはオスロ合意に反対している。ネタニヤフは1996年6月から99年7月、そして09年3月から21年6月にも首相を務めた。今回は2022年12月からだ。 シーモア・ハーシュによると、前回、つまり2009年に返り咲いた時、ネタニヤフはハマスにパレスチナを支配させようとした。そのためにカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。イスラエルが作った「フランケンシュタイン」をネタニヤフは再始動させようとしたと言えるかもしれない。 今回のハマスによる攻撃についてIDFの広報官などはISIS(ダーイッシュ)のようだと表現している。ダーイッシュは2014年8月にジェームズ・フォーリーの首を切る映像を公開、残虐さを演出していた。 バラク・オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認してムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させ、2011年春にはアル・カイダ系武装集団を使ってリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。その武将集団の中心はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)だ。 リビアでは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際、アル・カイダ系武装集団とNATO軍の連携が明らかになり、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられている。なお、その象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンは2011年5月、アメリカ海軍の特殊部隊によって殺害されたとされている。 この後、オバマ政権は戦闘員や兵器をシリアへ集中させるのだが、アメリカ軍の上層部にはこれを危険だと考える軍人がいた。2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIAがオバマ政権のシリアでの政策を危険だとする報告書をホワイトハウスへ提出している。その時のDIA局長がマイケル・フリンだ。その政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。 その警告は2014年に現実化する。ダーイッシュの登場だ。その年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧されたが、その際にトヨタ製小型トラック、ハイラックスの新車を連ねたパレードが行われている。その様子を撮影した写真が世界に伝えられたのだが、こうした戦闘集団の動きをアメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで知っていたはず。そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動かなかった。フォーリーの首を切る映像をダーイッシュが公開した2014年8月、フリン中将は退役させられてしまう。 フォーリーの首を切るところだとされる映像はフェイクだと指摘されている。首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血が噴き出さず、実際に切っているようには見えないのだ。そうしたこともあり、フォーリーの斬首映像はシリア領内を空爆する口実作りだと推測する人もいる。 2015年になるとオバマ大統領はホワイトハウスを好戦的な陣容に替える。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代しているのだ。 デンプシーが議長から退いたのは2015年9月25日。その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入し、戦況は一変した。その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。ここからアメリカが没落するスピードは加速していく。
2023.10.14
すでに「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の危険性は明白になっている。その「mRNAワクチンの開発を可能にした塩基部修飾ヌクレオチドに関する発見」したBioNTechのカタリン・カリコとペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン教授に「ノーベル生理学医学賞」が授与されるそうだ。 しかし、大多数の国は危険性を認識、2022年以降、接種しなくなった。世界の潮流に逆らい、その「ワクチン」を接種させようとしているのが日本だ。政治家、官僚、マスコミなどは流れに逆らっている。「なりゆくいきほい」に逆らわない傾向が強い日本人としては珍しい。 「権威」に弱いという特徴もある日本人だが、「COVID-19ワクチン」の危険性を認識する人は増えているようで、接種者数は減っている。接種すると体調が悪くなり、感染を予防できないどころか、さまざまな病気に感染しやすくなることに気づき始めたのかもしれない。 ところで、「mRNAワクチン」の実態は遺伝子操作薬であり、ワクチンではない。人間の細胞に病気の原因であるスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るという理屈になっているが、このスパイク・タンパク質が病気の原因になるのだ。 そのため、人間の免疫システムは細胞を病気の原因だと認識して攻撃し、炎症を引き起こす。そうした炎症を免疫の低下が抑えている。いわばAIDS状態にするわけで、VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われ始めている。 接種が始まる前から懸念されていたADE(抗体依存性感染増強)も引き起こされているようで、「ワクチン」を接種した後、それまで感染したことのない、さまざまな細菌性の病気にかかることになる。 また、DNAの混入、mRNAを細胞の内部へ運ぶために使われているLNP(脂質ナノ粒子)の毒性、グラフェン誘導体の混入といった問題も指摘されている。LNPは卵巣を含むあらゆる臓器に蓄積、生殖システムが破壊される可能性があり、人類の存続を危うくしかねない。 COVID-19なる悪霊が世界を徘徊し始めたのは2019年12月。中国湖北省の武漢においてSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が見つかったところから始まる。翌年の2月4日には横浜港から出港しようとしていたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でも似たような症状の患者が見つかり、人びとを恐怖させることになった。 しかし、その後、「SARSと似た重症の肺炎患者」が街にあふれ、死者が急増するという事態にはなっていない。つまり世界的な感染爆発とは言えない状態なのだが、WHO(世界保健機関)は2020年1月30に緊急事態を宣言、3月11日にパンデミックを宣言した。 パンデミックを宣言できたのは「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が流行(2009年1月から10年8月にかけての時期に)する直前に定義の変更があったからだ。「病気の重大さ」、つまり死者数が多いという条件が削られていたのだ。 2020年4月にWHOやアメリカのCDC(疾病予防管理センター)は、医学的な矛盾がなく明白な別の死因がないならば、あるいは適度な確かさがあるならば、COVID-19を死因としてかまわないと通達した。つまり感染者数や死亡者数の水増しが行われたのだ。 安全性が確認されていない遺伝子操作薬の接種が本格的に始まったのは2020年12月下旬。先行したのはイスラエルだが、そのイスラエルで2021年4月に十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が増え、問題になる。 アメリカのCDC(疾病予防管理センター)のACIP(予防接種実施に関する諮問委員会)は6月23日に「mRNAワクチン」と「穏やかな」心筋炎との間に関連がありそうだと認め、その2日後にはFDA(食品医薬品局)がmRNA技術を使ったファイザー製とモデルナ製の「COVID-19ワクチン」が若者や子どもに心筋炎や心膜炎を引き起こすリスクを高める可能性があると発表している。心筋炎や心膜炎の問題を否定できなくなったのである。 患者数や死亡者数が水増しするため、医療界へ多額の資金が流れているが、ロシアも例外ではなかった。2022年7月、ロシアのウラジミル・プーチン大統領はユーリ・チカンチン連邦財務監視庁長官と会談、外国の巨大医薬品メーカーからロシアの医療関連機関の幹部へ多額の資金が渡っていることを問題にしている。 法律には違反していないようだが、こうした慣習が医療システムを損なうことは間違いない。医薬品メーカーの利益を優先することは医療機関の利益につながり、適切な治療が行われないこのになる可能性があるからだ。連邦財務監視庁はFSB(連邦安全保障局)と共同で医療世界におけるカネのやりとりを止めさせるために調査を始めたとされていた。 世界的に見ると昨年の春頃から接種者数が激減、唯一接種していた日本でもブレーキがかかったように見える。「COVID-19ワクチン」の需要はなく、生産体制を強化するのは狂気の沙汰だ。医薬品としては先がない。それでも生産工場を建設するのは医薬品以外の目的があるからだと言われても仕方がない。 日本政府は米英私的権力の命令に従い、戦争の準備をしている。
2023.10.13
ウクライナでロシア軍が大規模な軍事作戦を始めた可能性がある。旧ソ連圏諸国を除く国々にガソリンやディーゼルを輸出することをロシア政府が禁止したことから、一部の人はそうした展開を推測していた。 アメリカ/NATOの命令でドンバスへ攻め込もうとしてきたウクライナ軍だが、失敗した。ここにきてロシア軍は進撃を開始、ドニエプル川まで押し戻されそうな雲行きだ。ウクライナ軍の第一防衛線は突破されたという。 キエフのネオ・ナチ軍は6月4日に「反転攻勢」を開始、それに対してロシア軍は「スロビキン防衛線」を構築するなど守りを固め、「バンザイ突撃」を繰り返す敵を殲滅してきた。この防衛線をネオ・ナチ軍は突破できず、8万3千人以上の兵士を戦死させたと言われている。昨年2月24日にロシア軍がウクライナに対するミサイル攻撃を始めて以来、約50万人のウクライナ兵が戦死したという。 ベン・ウォレス前英国防相はテレグラフ紙への寄稿文の中でウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えていると認めた。そのうえでウクライナ政府に対し、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求しているが、これは動員が免除されている大学の学生や研究員、あるいは年少者を戦闘に投入しろと言っているに等しい。「学徒動員」や「少年兵」だ。 そうした中、10月7日に地中海東岸ではガザを拠点とするハマスの戦闘員がイスラエルを陸海空から奇襲攻撃した。数百人の戦闘員がイスラエル領へ侵入したほか、ガザからイスラエルに向かって5000発以上のロケット弾でテルアビブの北まで攻撃されたという。「アル・アクサの洪水」だ。 今年4月5日、イスラエルの警官隊がイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクの内部へ突入、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が侵入、イスラエル軍は60歳未満のイスラム礼拝者がモスクへ入ることを禁じている。イスラムに対する冒涜だ。 この攻撃でハマスが使った武器の一部はウクライナ軍から闇市場へ流出したものだという話が流れている。アメリカ/NATOがウクライナへ大量に供給した兵器の約7割が闇市場へ流れていると言われ、それがハマスの手に渡っても不思議ではない。 ガザで大規模な陸上作戦を開始するというイスラエル軍も武器は必要になる。ハマスはガザ全域に兵力を分散させているが、地下施設も張り巡らされていると言われている。イスラエル軍がガザに突入すると市民の犠牲者は増えるだろうが、ハマスに勝つことは容易でない。 イスラエルにはアメリカ軍の武器弾薬が保管されていて、それをイスラエル軍は使用してきた。そこにある武器弾薬をウクライナへ供給することでイスラエル政府とアメリカ政府は合意していると言われているが、そうなるとイスラエル軍はガザでの戦闘で弾薬不足に陥る可能性が高い。キエフ政権へ渡さなければウクライナ軍の弾薬不足が一層深刻になる。 現段階でも武器弾薬の生産能力でアメリカはロシアより劣っている。そこでイスラエル、韓国、そして日本にまで声をかけているのだ。アメリカ国防総省は自分たちの倉庫から200万発以上の155ミリ砲弾を渡したと言うが、これはロシア軍が生産した砲弾の数分の一にすぎないとされている。 ハマスによる今回の攻撃はイスラエル政府の計算なのかもしれないが、結果が計算通りになるとは限らない。
2023.10.12
10月7日にイスラエルを陸海空から奇襲攻撃したハマス(イスラム抵抗運動)は1987年12月、シーク・アーメド・ヤシンらによって創設された。 もともとヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物で、ガザにおける同胞団の責任者に選ばれている。シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設した。1976年にはイスラム協会を設立し、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマスである。 ムスリム同胞団は1928年、ハッサン・アル・バンナによって創設されているが、その際にスエズ運河会社から資金を提供されたとも言われている。つまり、少なくとも創設当初はイギリスと深い関係にあった可能性がある。 ところで、PLO(パレスチナ解放機構)の中心的な組織だったファタハ(パレスチナ民族解放運動)を率いていたヤセル・アラファトにアメリカやイスラエルは手を焼いていた。そのアラファト対策のためにイスラエルはハマスを創設している。アラファトのライバルを育て、内部対立させることで運動を弱体化させようとしたのだ。そして目をつけたのがヤシン。 ヤシンは2004年3月、イスラエルに殺害されたが、ヤシンが頭角を現す切っ掛けを作ったのはイスラエルである。その年の11月にアラファトも死亡、PLOの影響力は大きく低下する。その後、パレスチナではハマスが主導権を握った。 死亡直後からアラファトの死に疑問を持つ人は少なくなかった。自然死ではなく殺されたのではないかという疑惑だ。その疑惑をアル・ジャジーラが9カ月に渡って調査、アラファトが死の直前まで健康だったことを確認した。しかも彼の衣類や歯ブラシなどから放射性物質のポロニウム210が検出されたという。そこで、遺体の調査を求める声が出ている。 アラファトが登場してくるのは第3次中東戦争の最中。1967年3月から4月にかけてイスラエルはゴラン高原のシリア領へトラクターを入れて土を掘り起こし始め、シリアが威嚇射撃するとイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、銃撃戦に発展した。 シリアが農民を銃撃、それを止めるためにゴラン高原を占領したとイスラエルは主張したが、1971年から85年まで国連の事務次長を務めたイギリス人のブライアン・アークハートはそれを否定、シリアが攻撃を始めたわけではないと語っている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) エジプトは1967年5月に緊急事態を宣言、2個師団をシナイ半島へ入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせた。その直後にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトは予備役10万人に動員令を出す。そしてガマル・ナセル大統領はアカバ湾の封鎖を宣言した。 イスラエルはこの封鎖を「侵略行為」だと主張、アメリカのリンドン・ジョンソン大統領はイスラエルに対して自重するように求めたとされている。 そこでイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問、風向きが変わった。帰国したアミート長官はジョンソン大統領が開戦を承諾、イスラエルの撤兵を求めることもないと説明。そして6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発した。この戦争でイスラエル軍はガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領している。 この戦争でアラブ諸国の動きは鈍かったのだが、そうした中、果敢に戦ったのがファタハにほかならない。そのスポークス・パーソンだった人物がヤセル・アラファト、後のPLO議長だ。アラブ諸国の民衆はファタハを支持、アラファトの人気も高まっていく。 第3次中東戦争が勃発してから4日後、アメリカは情報収集船の「リバティ」をイスラエルの沖へ派遣した。この時点でイスラエル軍はエジプト軍を粉砕、モシェ・ダヤン国防相はゴラン高原の占領を決めている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) イスラエル軍はリバティがアメリカの船だということを確認した後、ミラージュ戦闘機や魚雷艇で攻撃する。イスラエル軍機はまず船の通信設備を破壊したが、これは救援を呼べないようにするためだ。 それに対し、リバティの通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで第6艦隊に遭難信号を発信することに成功、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。 遭難信号を受信したとき、第6艦隊の空母サラトガは訓練の最中。甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあった。艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させ、艦隊の司令官に連絡する。司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。 リバティが攻撃されたことはジョンソン大統領へすぐに報告されたのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対し、戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。後にマクナマラはソ連軍がリバティを攻撃したと思ったと弁明しているが、当初の筋書きではそうなっていたのかもしれない。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) ジョンソン政権で秘密工作を統括していた「303委員会」で、1967年4月にフロントレット615という計画が説明されたとされている。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣された。 この計画に含まれるサイアナイド作戦はリバティを沈没させ、その責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたという推測がある。この推測が事実なら、トンキン湾事件の再現をジョンソン大統領は狙ったということになり、大統領がイスラエルに対し、戦争を自重するように求めたという話は怪しくなる。 この後、アメリカ政府は関係者に箝口令を敷き、重要な情報を公開していない。イスラエルでは機密文書が公開されるのは50年後と決められている。イスラエルが開戦に踏み切った目的、戦争の実態、リバティを攻撃した本当の理由などを知ることのできる資料が2017年には明らかにされるはずだったが、10年7月にベンヤミン・ネタニヤフ首相は情報公開の時期を20年間遅らせることを決めている。勿論、2037年に公開される保証はない。 第3次中東戦争の結果、約43万9000人の新たなパレスチナ難民がヨルダン川東岸へ移動した。それに対し、国連安全保障理事会は1967年11月に242号決議を採択、交戦状態の終結と難民問題の公正な解決、そして戦争で占領した領土からイスラエル軍は撤退するように求めている。 当時の国務長官、ウィリアム・ロジャーズはこの決議に基づいて解決しようとしたようだが、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官はエジプトとイスラエルだけの部分的な和平にとどめようと考えていた。 第3次中東戦争で人気になったファタハ/PLOをアラブ諸国やイスラエルの政府は警戒、1970年9月、ヨルダン軍が国王を無視してPLOに対する攻撃を開始した。いわゆる「黒い9月」の幕開けである。 ヨルダンは軍隊をパレスチナ難民のキャンプに突入させ、翌年にはPLOの戦闘員約5000名をアジュルーンの森で虐殺している。アラファトの家も特定して戦車の砲撃で破壊、ヨルダン軍はこの攻撃でアラファトを殺したと考えたのだが、間一髪のところで避難している。 この攻撃を見てナセルはフセイン国王に対し、国王が軍を掌握できていないのならエジプト軍を介入させ、停戦させると伝える。さらにカイロに集まったアラブの指導者たちはナセルに対し、アンマンへ代表を送る権限を与えたとも付け加えている。 その代表がアンマンに到着するとヨルダン軍の特殊部隊が張り付いて監視、アラファトが現れたら殺そうとする。そこでアラファトと接触した彼は服を交換し、アラファトをアンマン空港へ移動させたという。 カイロに着いたアラファトはフセイン国王と握手、ヨルダンの内戦は終結した。ナセルが心臓発作で急死したのはその翌日のことである。
2023.10.11
ベンヤミン・ネタニヤフがイスラエルの首相に就任したのは昨年12月。その4カ月後にイスラエルの警官隊がイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクに突入、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら同じモスクへ832人のイスラエル人が侵入した。イスラム教徒に対する強烈な挑発だ。ネタニヤフ首相、そして彼の後ろ盾が新たな戦争を望んでいた可能性は高い。そして10月7日、ハマスがイスラエルを陸海空から奇襲攻撃したわけだ。 アメリカやイスラエルを支配する私的権力にはガザを消滅させたい理由がある。そのひとつはエネルギー資源の問題。イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表したのは2010年だった。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。そのエネルギー資源を売るマーケットとしてヨーロッパが想定されたはずだ。ライバルはロシアということになる。 ネタニヤフ首相にはパレスチナ人を敵視する個人的な問題もある。彼の父親、ベンシオン・ネタニヤフは1910年3月にワルシャワで生まれ、40年にアメリカへ渡った。そこで「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ヤボチンスキーの秘書を務めている。その年にジャボチンスキーは死亡、ベンシオンは第2次世界大戦後にコーネル大学などで教鞭を執った。 ヤボチンスキーに接近したひとりにレオ・ストラウスという人物がいる。1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にヤボチンスキーのシオニスト運動に加わったのだ。このストラウスは後にネオコンの思想的な支柱と言われるようになる。カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003) 1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になった。 ストラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていたが、その判断が間違っていたことはその後、明確になっている。 ヤボチンスキーの系譜に属すネタニヤフ親子やネオコンはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域を支配しようとしている。「大イスラエル構想」だ。 シオニストは地中海の東岸に「イスラエル」を建国しようとする。この計画に歴史的な裏付けがないだけでなく、そこには多くのアラブ系の人びとが住んでいた。 その住民を排除するため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動、8日にデイル・ヤーシーン村でアラブ系住民を虐殺している。アラブ人を脅し、追い出そうとしたのだ。この作戦が始まるまでにエルサレム旧市街の周辺へユダヤ人が集中的に移民、人口の3分の2を占めるまでになっていた。この作戦は1936年から39年にかけて行われたパレスチナ人殲滅作戦の詰めだったという見方もある。 ダーレット作戦はハガナ(ユダヤ人の武装グループで、後にイスラエルの国防軍になった)が中心になって実行されたが、その副官を務めていたイェシュルン・シフがエルサレムでイルグンのモルデチャイ・ラーナンとスターン・ギャングのヨシュア・ゼイトラーに会い、ハガナのカステル攻撃に協力できるかと打診している。イルグンとスターン・ギャングは協力することになる。 まず、イルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲うが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近く、攻撃しやすかったからだという。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃するプランだった。 8日にハガナはエルサレム近郊のカスタルを占領、9日午前4時半にイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンを襲撃する。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺され、家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされている。 襲撃直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性、35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官だったアラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) この虐殺を知ったアラブ系住民は逃げ出す。約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人。そして5月14日にイスラエルの建国が宣言された。国際連合は同年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。そして同年5月14日にイスラエルの建国が宣言された。アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日からだ。 アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は故郷を追われて難民化したパレスチナ人に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持していたのだ(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)が、1963年11月22日に暗殺されてしまった。 それに対し、アメリカ、イギリス、フランスなど西側諸国を支配する私的権力はイスラエルを支援してきた。そうした支援がなければイスラエルは存在できない。イスラエルはスエズ運河を守り、中東全域に目を光らせる欧米支配層の前方作戦基地だという見方もある。
2023.10.10
今年に入り、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はパレスチナ人に対する挑発を強めた。すでに本ブログでも書いたように、そのターゲットをイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクだ。今年4月5日にはイスラエルの警官隊がモスク内へ突入、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が侵入、イスラエル軍は60歳未満のイスラム礼拝者がモスクへ入ることを禁じている。ネタニヤフ首相が新たな戦争を望む目的はあるのだろうか? ハマスの奇襲攻撃をイスラエルの情報機関は察知できず、軍は阻止できなかっただけでもネタニヤフ政権にとっては失態だが、ハマスが使った武器はウクライナ政府が闇市場へ流した一部だという話もある。 アメリカ/NATOがウクライナへ大量に供給した兵器の約7割が闇市場へ流れていると言われているが、そうした武器の流れをアメリカ側が把握しているとする見方もある。 イスラエルは日本と同じように、アメリカやイギリスのFOB(前方作戦基地)だとする見方がある。日本のミサイル配備計画もこの見方で考える必要がある。 イスラエルと日本はサウジアラビアと同様、イギリスによって作られた。イギリスの戦略を引き継いでいるのがアメリカだ。ネオコンはウクライナもFOBにするつもりだったと言えるだろう。 ネタニヤフ政権の挑発行為はウクライナ情勢と関係があるという見方もできる。ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒してネオ・ナチ体制を樹立した。天然資源や耕作地を抑え、EUとロシアを結びつけていたパイプラインをコントロールしようとしたのだが、EUは弱体化したものの、ロシアは中国に接近、中国はクーデターを見てアメリカの危険性を認識する。その後、ロシアと中国は戦略的同盟関係を強めていく。 アメリカ/NATO/ウクライナは昨年3月、ドンバスに対する大規模な攻撃を計画していたとする文書が出てきたが、その直前、2月24日にロシア軍はウクライナに対するミサイル攻撃を開始。航空基地、レーダー施設、生物化学兵器の研究開発施設などを破壊したほか、ドンバスに対する大規模な攻撃を始めるために集結していたウクライナの軍や親衛隊などを壊滅させ、この段階でウクライナ軍の敗北は決定的だった。 そこで停戦交渉が始まるのだが、仲介役のひとりがイスラエルの首相を務めていたナフタリ・ベネット。双方は妥協に応じ、停戦は実現しそうだったと後にベネットは語っている。 2022年3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけ、その足でドイツへ向かう。オラフ・シュルツ首相と会談したのだが、その3月5日にゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフをウクライナの治安機関SBUのメンバーが射殺した。クーデター直後からSBUはCIAの下部機関化しているので、アメリカ政府が殺したと言えるだろう。 ベネットは2022年6月に首相を退任、ネタニヤフが首相に就任したのは22年12月のことである。 トルコを仲介役とした停戦交渉もアメリカとイギリスは潰し、アメリカ/NATOが戦闘の中心的な存在になっていくのだが、ロシア軍が優勢である状況を変えられない。しかもドイツとロシアはバルト海に建設した2本のパイプライン「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」でつながっている。 ドナルド・トランプ政権下の2020年7月に国務長官のマイク・ポンペオはNS2を止めるためにあらゆることを実行すると発言、ジョー・バイデン政権になってからもそうした姿勢に変化はなく、2022年1月27日にビクトリア・ヌランド国務次官はロシアがウクライナを侵略したらNS2を止めると発言している。2月7日にはジョー・バイデン大統領がNS2を終わらせると主張し、アメリカはそうしたことができると記者に約束した。そして2022年9月26日から27日にかけての間にNS1とNS2が破壊された。この破壊をシュルツ独首相は事前に聞いていたとする情報も伝えられている。 こうした状況になってもEUは高コストのアメリカ産天然ガスへ切り替えることはできず、今年1月から7月までの間にEU諸国がタンカーで輸入したロシア産LNGは昨年の同時期に比べて40%増加した。ロシアに代わる新たな供給源をアメリカは必要としている。 2010年、イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表した。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。ビル・クリントン元米大統領はノーブル・エナジーのロビイストだった。このエネルギー資源をキプロス経由でヨーロッパへ運ぶという計画がある。 ノーブル・エナジーはヒラリー・クリントンに選挙資金を提供していた。そのヒラリーをジョージ・ソロスが操っていることは2016年に漏れた電子メールで明らかにされたが、そのソロスはロスチャイルド金融資本と結びついている。 イギリスのロスチャイルドを率いているジェイコブ・ロスチャイルドが戦略顧問として名を連ねている会社、ジェニー社はイスラエルが不法占拠しているシリア領のゴラン高原で石油開発を目論んでいることも知られている。
2023.10.09
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