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日本でかなり流行ったらしい「冬のソナタ」をジャパンTVでも放映し始め、友人に頼まれてテープにとってる関係、毎週冒頭の主題歌を耳にする。3週目に至ってふと気がついた、これは「愛はかげろう」のサビと同じじゃないか。自分の日記で取り上げておきながら、今まで気づかなかったとは情けない。このサイトによると、主題歌ばかりかBGMまで盗作らしい。更に別のサイトには、プロット自体が日本のゲーム「君が望む永遠 」と同じだと書いてある。主役の女性は東ちずるにそっくりだしね。何でこんなものが流行ったのでしょう?さて原曲の「愛はかげろう」、雅夢というフォーク系の二人組みが1980年にヒットさせた秀作。作詞作曲はメンバーの一人三浦和人さん。♪窓ガラス流れ落ちてゆく雨を細い指先でなぞってみる、という出だしは、クシシュトフ・キエシロフスキーの「青の愛」でジュリエット・ビノシュが、彼女を慕うオリビエに抱かれる最後のシーンがイメージとして浮かぶ。ところが、この最後のシーンではジュリエット扮するジュリーはガラス窓に顔を押し付けているが、雨は降っていず雨水はガラスを流れ落ちていない。それにこのシーンはそもそも別れではなく、再び生きることに戻ろうと決断したジュリーが漏らす生(性ではない)の快楽の表情に伴う映像である。しかし、このシーンは映画前半で二人が愛をかわすシーンを思い起こさせる。そのシーンでは雨が降っていた。ずぶ濡れになって入ってきたオリビエに、服を脱いで、と簡潔に命令するジュリー。ジュリーは全てをなくし、家財道具を全て処分した家の床にぽつんと置かれたマットレスで彼を受け入れる。オリビエはジュリーを慕っていたが、既婚者のジュリーは彼をこれまで受け入れていなかった。彼と一度の契りを交わすことで今までの人生に別れを告げようとしたのだった。「愛はかげろう」のかげろうは昆虫のかげろうだろう。蜻蛉と書くのが正しいのかそれとも蜉蝣と書くのか?成虫になると一日で死んでしまうことから、はかなさの喩えに使われるのが常套。雅夢の歌でも、♪愛はかげろうつかの間の命激しいまでに燃やし続けて、というサビの部分でその喩えを使っている。「愛はかげろう」と同じ年、オフコースの「時に愛は」が出た。僕はこの前年にアメリカに渡ったので、この曲は友人がテープにして送ってくれた。「時に愛は」と「僕らの時代」の2曲は何回も何回も聴いたのでそのテープは今ではほぼ再生不能になっている。2曲とも小田和正の作詞作曲だと思う。小田さんの詞は僕好みに美しい、というのは言葉の重ね方が美しいのだ。しかしちっとも現実味がない。♪時に愛は力尽きて崩れ落ちてゆくように見えても愛はやがて二人をやさしく抱いてゆく、という部分を見てもわかるように、愛を擬人化しまるでマラソン走者のような愛が時々疲れに負けて棄権しようとするが結局は復帰する、というメッセージを書いているのだ。もちろん「愛はかげろう」のサビも抽象的イメージのメッセージなのだが、しょっぱなの窓ガラスを流れる雨を指でなぞる、というのは、ありきたりでありながら現実の描写として存在感がある。「時に愛は」に戻って、冒頭を見てみよう。♪始まりはいつも愛、それが気まぐれでも、ただ青くきらめいて嘘のかけらもなく。愛が青くきらめき、このイメージは青空に転移し(あるいは青い湖でもいいが)、青空に雲ひとつないことから、嘘のない愛というイメージを導き出す。言葉の喚起するイメージを楽しむ技法で、現実性は薄い。
2005.01.29
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