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2010.04.17
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カテゴリ: 日々雑感
ちょっと、想像してみてください。

あなたがその肉体から離れて、別の世界に旅立つ時のことを。


それが何時なのかはもちろん、今、この時点はわかりません。
想像しても、何も浮かばないかもしれません。


でも、元気なときに、
どんな風に死んでいくかを、イメージしておくのは大切なことのようです。
(病気のときとか、年を経て老いていくと、
 死が近づいてくると怖くなって、なかなか想像しにくいものなので)


さあ、イメージされてみましたか? ^^

あなたが死ぬところは、どんな場所でしたか?


病院のベットの上 でしょうか?
自宅のお布団の中 でしょうか?


病院で、と思い浮かんだ方も
自宅で、と思い浮かんだ方も

その場所は、どんな感じがしますか?


最期を迎えるときは、

辛い感じがするでしょうか?
それとも、嬉しい感じがするでしょうか?


どちらにせよ。

ご本人が希望すれば自宅で最期を迎えられる、という選択肢がある、
ということを、ちょこっとだけ覚えておいてください。


人間は、いつか、ここから離れて旅立つときがきます。

ご自身やご家族が、どんなふうに旅立たれていくかは、
旅立つ方自身とご家族など周りにいる方が、
どのようにされたいか、によっても変わっていきます。




最期をどのように迎えるか、にご興味がある方にご紹介します。

「自宅で亡くなるということ」について、今日(4/17)
在宅ホスピスケア医でいらっしゃる萬田緑平さんが
群馬県太田市の方で、講演をされます。

お近くでしたら、足を運ばれてみてくださいませ。


「自宅で亡くなるということ」

講師: 萬田緑平さん

日時: 平成22年4月17日 土曜日 

時間: 午後3時 ~ 5時 

会場: 社会教育総合センター(社教センター)4階 レクリェーション室
    群馬県太田市熊野町23番19号 
    電話:0276(22)3442

入場料:無料


因みに、萬田さんがどんな方かというと・・。
ツイッターでの萬田さんの呟きを一部抜粋してご紹介します
更にご興味がある方はこちらへ→  萬田緑平さんのツイログ


2010年03月14日(日)
自宅で看取る。
簡単なことじゃない。
看取り屋気では、自宅で最後まで過ごす本人家族を支えられない。
ほとんどが入院になってしまう。
本人の肉体的苦痛、精神的苦痛、生活、家族、金銭面、、
様々なものを支えなければならない。
しかも看取りが目標ではない。

本人家族の満足が目標であり、それがやりがい

2010年03月09日(火)
「お別れ」が出来た本人の心の穏やかさはびっくりするほどです。
そして家族からは患者さんが亡くなってから感謝されます。

「言えました。話せて(想いを伝えられて)よかった」 

介護より、治療より、、、、
実は、これが一番大切なことだって、
やった(想いを伝えた)人じゃないとわからない。

2010年02月18日(木)
自分で死を認めている方は普通の人には考えられないような亡くなり方をする。

妻の作ったジュースを飲み干して息を引き取ったり、笑顔でピースをして眠りについたり。
亡くなるベットに自分の足で就く方や、下の世話の世話にならずに亡くなる人は多い。
本人がそういう死に方を望むからだと思う。

2010年02月13日(土)
緩和ケアの仕事で苦痛を和らげることは、当然の事だと思う。
僕は、それだけじゃ満足しない。
いい看取りにつなげたい。

おめでとうっていう看取りにつなげたい。
それには、家族が想いを伝えあうこと。

そのためには、死、亡くなることを本人家族が受け止めることだと思います。


死の悲しみは、亡くなってから時間をかけて受け止めるしかない。
これは普通の姿。
別に問題があるわけじゃない。
僕は、亡くなる前に死を受け止めてもらいたい。 

死を受け止められれば、亡くなるまでの時間を人生を振り返る、
想いを伝えあう時間に出来る。

そこが一番大切だと思っている。


本人と家族が亡くなることを受け止められれば、
人生を振り返ることが出来るし、想いを伝え合うことができると思います。

感謝の気持ちを伝えることが出来、お別れもできるのではないでしょうか。

「生まれるときがおめでとう、なら、亡くなる時もおめでとう」 っていいたい。
これが僕の信念です。


2010年02月27日(土)
亡くなる方に急変なし。
「いっぽ」では急変はめったにない。
死を受け止めていれば、すべての経過は予定どおり。

受け止めていなければすべて急変。
家族が落ち着いていれば勿論、本人は落ち着いていられる。
救急車で運ばれることもない。

 もし、急変があったら、、、、、


家族の腕の中で逝ってもらう。



十数年前、母が他界したとき私は、
病院のベットの傍らでお医者さまと一緒にモニターをみながら
ただただ、その時をみているだけでした。

母は肺がんで、酸素吸入がないと無理な状態でした。
在宅で頑張っていたのですが
吸入器の限度を越えてしまい、泣く泣く、病院に戻りました。


萬田ryokuheiさんの呟きを読んで。

もし、
自宅で最期を迎えられる状態(機材とかも含めて)であったら
自宅で母の最期を迎えることを、私や家族が受け止められていたら

母を抱きしめたまま、私や家族の腕の中でみおくることもできたんだなー、と。



抱きしめたまま、大切な方の最期をみおくることできたら
どんな感じがするでしょうか?
あなたが次に旅立つときに、大切な方たちに抱きしめられていたならば
どんな感じがするでしょうか?

ちょっとだけ、想像してみてください。^^


Cyan_zacky 拝





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Last updated  2010.04.17 06:25:25
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