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先日2月24日に、母が他界しました。最期は苦しまず、眠るように安らかに旅立ちました。初七日が終わったので、母のブログでもご報告をしようと思い、娘のにゃおがこちらの文章を打ち込んでいます。娘の見たポテちゃんの最後を書きたいと思います。色々端折る事も出来ず長くなりました。そして文面等母とは違いおかしいところがあるかもしれませんが、ご了承下さいね。2月4日の法要を終え、2月5日に入院。入院中、最初は予約でしか面会できず、しかも面会は週一回の14時から16時までの間の予約制で一回30分、2名迄。2親等以内と厳しい条件でした。入院した日にすぐ2月7日に予約を入れ、最初は市内に住む叔母と行きました。個室にしていたので部屋でゆっくり面会できました。最後のブログはその時に文面をもらって夜にすぐアップ。その週末の10日土曜日には、味気ない病院の食事では本当に食べられなくなるし、とタラコやふりかけを持って病棟に届けに行きました。「コンビニの安いショートケーキが食べたい」というので、はりきって自作したのですが、スポンジが失敗(笑)でも一緒に持って行きました。食べ余したようです...。「クリームはおいしかったよ!」って感想。クリームはよつ葉乳業の美味しいのだったのが救い...。息子のタケは毎日母と接していただけに、今回の入院時も毎日のように自ら電話していました。「ばあちゃん、オレだよ、オレオレ」がお決まりのフレーズ。オレオレ詐欺にひっかからないように訓練しているのだ、とタケ。携帯電話だと登録した名前表示されるんですけど...とは突っ込まずに見ていました。一番小さい孫ということで母もやはりかわいいのか、私と話す時とは声のトーンもまるきっり違うので、聞いていると面白い。(笑)今回の入院に限らず、タケは母がボケないようにと、父の死後は毎日母との会話を日課にしていたマザコンならぬババコン。そんなババコンのタケのために、次の面会はタケの行けるタイミングでと、タケが午前授業の2月15日に次の面会の予約を取り、面会に。母もタケの来訪を喜び、呼吸が少し苦しそうでしたが、色々お喋りしました。その時バレンタインで作ったチョコタルトを姪のアオちゃんから、おいしいコーヒーを兄から預かっていたのを持って行きました。チョコタルトはおいしい、と、パクパク食べ、余ったら一口貰おうと思っていたら、思いのほかぺろりと食べてしまいました。食べ物がのどにつかえるようになってきて食べにくいと言っていたのに、チョコ好きの母に何よりのプレゼントだったのですね。ご飯が進まなくても甘いものが別腹だねーと笑って過ごし、次週は期末テストが終わる水曜日に来るからねと面会予約を入れ、帰りました。その次の日の16日金曜日、食べるとのどを突き上げるような痛みがあるとラインがあり。痛みにめっぽう強い母が言うのだから相当痛いのでしょう。17日土曜日には、胸がじりじり焼けるような痛みがある、着替えももういらないとラインあり。でもとりあえず新聞とガリガリ君を持って行って渡して貰いました。ガリガリ君ミニサイズはおいしく食べられたとのこと。18日日曜日、兄が主治医にお願いし、やっと面会フリーになりました。では行ってこようと午後からしばらく一人で病室に居た私ですが、せっかくフリーになったのだからとみんなで行こうと、一度帰って再度夜にゃお一家で病院に行きました。それでも一度に面会は二人までというので、私と娘マオ、オットとタケと二手で別れて面会。鼻に酸素のチューブがつきました。その日は痛みがでてきて、とてもしんどそうでした。マオも泣きながら母の手をさすっていました。そろそろ鎮静の時が来たのを私も覚悟し、話せるのはこれが最後かもしれないと思いました。翌日19日、勤務中に病院から電話があり、痛みが辛いので、眠らせてほしいと本人から申し出があり、家族の許可を貰う為に連絡したと主治医からでした。意思疎通はできなくなるが、かまわないかと。もちろん、痛くないようにしてほしいので、話せなくともかまわないので希望通り眠らせてほしいとお願いしました。そこからはオールタイム何人でも面会フリーに。仕事が終わってから様子を見に行くと、睡眠導入剤を24時間投与されている状態で、うつらうつらしてほとんど何も話せない状態でした。酸素も鼻チューブからから口マスクになりました。その晩からはいつ呼び出されてもすぐ行けるように、着替えを枕元に準備して眠る日々を過ごしました。20日から毎朝早起きして母のところへ出かけ出勤前ぎりぎりまで様子を見て、仕事のあとにもう一度様子を見に行く日を続けました。入れ替わりで仕事帰りのオットが来たり、病院のすぐ隣の学校に通う娘マオが合流してお見舞いして帰る日もありました。日中叔母がずっとそばで見ていてくれた日もありました。本人はうとうとしているけど、きっと音は聞こえているはずと看護師さんが言っていた事もあり、スマホに入れたフミヤの歌を耳元で流してあげながら病室で過ごしました。22日は呼吸が少し苦しそうで熱も高く、心配な気持ちで帰りました。23日金曜日朝様子見に来て、戻って家事をしてから夕方も様子を見に来ました。おでこを触ると温かく、熱があるのがわかりました。そして酸素の流量を看護師さんが帰りにぐっと上げたのがわかり、不安な思いで帰りました。その日の夜入浴中に兄から電話があり、母の容体がよくないと病院から電話があったとのこと。みんなで様子を見に行きました。一人だけ付き添って泊ってもいいとのことで、個室に簡易ベットを入れて貰い、にゃおが一泊しました。酸素の流量はマックスの値になっていました。午前5時頃ふと目が覚め、母の様子を見てみると、呼吸が間遠になっている事が分かりました。そばに腰掛け、スマホでフミヤを流しながら、手を握ったり、やや冷たい足を血の巡りがよくなるようマッサージしながら過ごしました。午前8時ごろ、呼吸の感覚がすごく開いてきて、これはおかしい、とナースコールを押しました。ふと見ると、呼吸が止まっている?!思わず肩をゆすって「お母さん!!」と叫びました。そしたらふっと息が戻ったけど、一度呼吸した後は何度ゆすってももう反応しませんでした...。最期は苦しそうな感じは全然なく、眠るようにすうっと逝きました。その後は兄に電話して、オットに連絡して。みんなが集まってから死亡宣告がされました。葬儀屋さんに連絡、病院の荷物の片付けなどなど。なんだかわけがわからないうちに家に戻り母を安置する場所を用意して。お坊さんが来て枕経を唱えてもらって。葬儀屋さんとお通夜とお葬式の日程を決めた後は様々なお葬式の決め事を決めて。怒涛の二日間を終え、その後は事後処理を兄と粛々と進めている日々です。そこで思う事は、母の偉大さ。病気が分かる前から終活終活と頑張ってきた母。病気がわかってからはさらに様々なものを片付けしてきたのはブログでご覧の通りです。無駄なものがほとんどなく、片付けもあっというまに終わりそうです。なんとありがたいことか。そして残された私と兄が困らないよう、すべて文面に残しておいてくれました。遺産の分割から、パソコン関連のIDとパスワード。ライフラインの様々な手続きもスムーズにいくように準備がされていました。ガンが発覚した10月あたま、最初は抗がん剤はしない、そのままですぐ死んでもいいと言っていた母。その気持ちは尊重したいけど、10月末のフミヤのコンサートは?と言ってとりあえず一回試した抗がん剤1クール目が思いのほか効果があり。もうちょっとやってみて、やらねばならない事をやり遂げたい、と体調の悪い日も頑張ってきた母。おかげで兄と私は迷う事もなく事後処理を進められているわけです。遺産分割でもめないよう、持っていた土地を売却したり。株券を現金化したり。リビングニーズの特約のついた保険も先に受け取って葬儀代に使ってほしいと言いだしたり。何度も、しないとならないことじゃなくて、したいことしてよ、残された時間!!と母に言いましたが、母にとっては子供たちの為に最後の終活をきっちりする事が一番したい事だったようです。今この文章は母のパソコンで打っています。母が自宅療養していた部屋で、二階にあったテレビを下ろしてきてあり、今パソコンの横に置いています。YouTubeでも見ながら作業しようかと思ってなんとなくつけたら、WOWOWの無料放送でフミヤのライブが!!うわー、フミヤが初七日迎えたお母さんのために歌ってくれているよ...。と、偶然の出来事ですが昨年10月の出来事を思い出していました。2023年10月の旭川のライブはフミヤの体調不良で2024年5月に延期となりました。会場にいって中止の知らせを見て、母はとってもがっかりしていました。でも、私はフミヤには感謝しています。抗がん剤を始めるための説得になかなか応じなかった母に、そのライブ、行きたいでしょう?だから一度だけでも抗がん剤ためしてみようよ、というのが、とっても効果的な説得材料となったからです。結婚して福島県に住むようになった時には、祖父母はもちろん両親の死に立ち会う事など絶対にないのだろうと思っていました。しかし、祖父の時は立ち会えませんでしたが、祖母の時はたまたま福島から帰省していた時。次の年はダイスケが同じく帰省中に。東日本大震災が起きて旭川に転居して、父を見送り、母も見送り...。私はどういう星の元に生まれているのでしょうね。こうして親の介護ができたのも、オットが支えてくれたからです。今回本当に最後の方は家のこと全然できませんでしたが色々と支えてくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。そして振り返ると私は、今まで兄嫁に対する愚痴っていうものを母から一度も聞いた事がありません。それって娘からすると、とっても幸せな事です。母はお嫁さんにも恵まれ、幸せなお姑さんだったんだなと、これまた長くつきあってくれた兄嫁に感謝の気持ちでいっぱいです。母は頑固だし、つきあっていくうえで大変だったろうとは思うんですが...。お母さん、入院してからも幸せな病人でいられましたか?虹の橋には、みんな待ってましたか?私も兄も、父と母の子供でとても幸せでした。これからも家族で幸せに過ごしたいと思います。私たちがいつかの時の橋を渡るまで、もうしばらくかかると思うけど、待っててね。先ほども仏前に手を合わせてそんなことを話しかけました。母のブログを楽しく読んで下さった皆さん、本当に長い間ありがとうございました。ネットを通じてできた友人たちのお陰で、母は世界が広がったと思います。介護の息抜きにと始めたブログで、こんなにたくさんのお友達ができるとは!最初はネットで知り合った人と直に会うなんて大丈夫??と私は心配したものです。が、そのお友達夫婦とにゃお夫婦で郡山でゴルフするようなことになるとは、想像もつきませんでした。このブログを読んできてくれた皆さんに、ポテちゃんと仲良くしてくれて本当にありがとうございました。いつか、みなさんが虹の橋を渡ったら、またポテちゃんと楽しい時間を一緒に過ごして下さいね。あと、ご報告もひとつ。父の作品が数点旭川市の彫刻美術館に収蔵されることになりました。未来永劫父の作品があの美術館で収蔵され展示されるのかと思うと、とても嬉しいです。先日贈呈式が市役所であり、兄が出て感謝状を貰ってきました。母に、感謝状見せてあげたかったけど、間に合わなかったね...。と、兄としんみり...。ブログ写真の右端に写っているのがその感謝状です。旭川に来る機会がありましたら、是非とも父の作品を見に、彫刻美術館にもどうぞ足をのばしてみてくださいね。文才なく長くなりましてすみませんでした。最期までお読みいただきありがとうございました。ポテちゃん娘、にゃおより。
2024.03.02
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2月4日、主人の三回忌をすることができて、2月5日、入院致しました。もう戻らないつもりでいます。 昨年12月末に体調がひどく落ちて、お正月を自宅で過ごすのは無理かもしれないと思いました。そして入院した時、強い薬を使って症状を抑えたのが意外に効いて・・・。思いの他、元気になり、自宅でお正月を過ごしました。 それだけで良かったのに、調子に乗った私は、つい欲張りました。1か月後の主人の三回忌を何とかやりたいと。強い痛み止めでぼーっとする時間も長く、腹水もたまり始めましたが、何とか2月4日をクリア。 それまでに娘は食事の世話や泊まり込み。息子は仕事をリモートに切り替えて我が家で仕事をしてくれ、支えてくれました。家にいる私の為に主治医は、車も埋まる大雪の日、ようすを診にタクシーで自宅に来てくださいました。一杯の応援を頂きました。 最後に動けなくなる前に、病院に入り、あとは鎮痛と鎮静をすべてお任せしたいという、望みも叶いそうです。 実は最初に、病気発覚の時には、あまりの進行の早さに対し、自分が果たさなくてはならない責務の大きさに打ちひしがれそうで。病気から逃げ出して、何もかもすべて自分で終わらせてしまいたくなりました。 揺れる気持ちを今日まで支えてくれたのは、家族や主治医でした。 その感謝の心は、私の前途を照らす灯りとなって、胸の中に輝いています。 皆様、あたたかい応援をありがとうございました。シブトイ私、まだまだ生きるかもしれませんが。(笑)みなさんとのコミュニケーションはとれなくなると思います。 少しでも頭がすっきりしているうちに、この文を娘にブログに入れて貰えたら、そう思って書きました。穏やかで心安らかな生活を送っていますので、ご安心下さい。 「こんな幸せな人がいたんだな~!!」と、心の隅の記憶に、とどめていただけたら最高。やっぱり最後まで幸せな病人でいられそうです。 文責:ポテちゃん代筆:娘、にゃお
2024.02.07
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そろそろ終わりが近づいたこと自覚しています。昨日できたことが今日できない。抗がん剤治療を止めて、2週間近くたちました。病気の発見当時、めっちゃ早い進行だったと同じに、また進行が早まっている。検査に行かずとも、胆のうがやられたらしく、尿はビリルビンが出てきています。オレンジジュースみたいな色です。お通じも、血便ぽくなりました。痛みは、痛み止めレスキューを使用で、抑える事が出来ていますが。主人の時と明らかに進行は違い、早いですね~。主人のように痩せて枯れるように静かに進行するかと思っていたのに。私の場合は、どうも違うみたい。パソコンもこの2~3行を打つのに手間取り、何度もうち間違い(苦笑)取り合えず、最後に連絡し忘れている事はないか。。。おサイフケータイはやってないからいいけど、クレジットカード会社への連絡。公共料金の払い込み、などなど、思いつくままに連絡先を書き込んできたメモの見直し。強い痛み止めのせいで、頭がボーとするので、何度もうち間違って。。。直したつもりが、何度も間違って直してるし、クヤシー(苦笑)主人は、半日以上眠り続けて、お別れしたけど、私の場合は違いそう。片手に、娘が持っていたおにぎりを持ちながら、パソコン打っています。「今、ちょっと食べられそうかな?って」衰弱して急激に痩せてきましたが、まだお肉付いてます。衰弱より、元気に見えたまま、多臓器不全の可能性があるなって、思っています。としたら、入院して鎮痛と鎮静の緩和に入るべき時が来たのかな。これを書き始めた時は、小さなおにぎり食べていたようですが。この数日間は、ジュースかスープのみ。液体しか受け付けなくなりました。入院したら、パソコンでのブログ更新は出来ないので、ブログは多分これが最後かな?まだまだ明るい病人ですが、家族以外のお世話を受ける時期が来たようです。娘にブログにログインして貰い、その後の経過についてはお知らせできると思います。フェイスブックは、スマホを持って入院するので見る事は出来ます。返信やコメントの体力がある間はね。
2024.01.23
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当初、癌が分かった時に、そのあまりの進行の早さに驚きました。すでにステージ4で、何も治療しなければ余命3ヶ月。主人の3回忌が終わってからやろうと思っていた諸々の手続きや片付けがそのままで。それをやるには、私に残された期限はあまりに少ない。このままでは、何もできないまま、すぐに体力が尽きるので、とりあえず1クールだけ治療を受けよう。延命効果があれば、その間に少しでも手続きや片付けができるかもしれない。そう思って、始めた抗がん剤治療でした。当初私は、長年放ったらかしの大腸ポリープが悪化してた時の事を考えていて、手術して治るものなら治療する。けれど、手術不能の場合は、抗がん剤は使わず自然に逝く事を念頭に置いていました。でも、大腸がんではなくて、主人と同じにすい臓がんでした。しかも、少し前に撮った映像には無かった癌が、すでに肝臓にも大きく転移していて、主人の時とは違う猛スピードの進行で。本意ではなかったけど、止む無く抗がん剤治療を選んだ私です。最初の治療の入院中、個室だったので、1人きりでした。毎日外の景色を眺めながら、今後の事を考えました。主治医の先生も、毎日病室に来てくれて、色々な話をしました。時には診療後も来てくれて、1時間も話し込んでいた事もあります。1週間の入院で、毎日悩みながら、私の考えは変わりました。抗がん剤の治療を、1クールとは言わず、体が続く限り治療を続ける。そう決めたのは先生との毎日の話、そして子供たちの説得、中でも孫のK太のラインの一言が効きました。「緩和的になるのは、ばばが1番良くわかってるし、やりたいようにやるのがいいと思う」「でも父とにゃおちゃんの気持ちもいくらか汲んであげてちょうだい。意思にそぐわない答えかもしれないけど」その1週間で私は、残る人たちの気持ちを全く考えずに、自分勝手なわがままだったかもしれないと、考えが変りました。抗がん剤が効かなくなる時期までは、治療を受ける事にしました。最初の抗がん剤は、10月11月とても効きました。腫瘍は小さくなり、転移巣も幾つか消えて。その代わり、副作用の造血機能はかなりダメージを受けて途中休薬もありました。頭は禿げてしまい、手足のシビレなど強くなりましたが一生懸命食べて体力を保つよう努力しました。10月11月で、急いで片付けなくてはならなかった事は幾つか片付き、1つは間に合わないので息子に引継ぎ。ほっとした12月、抗がん剤の効き目が薄れたようです。別の抗がん剤を試すことになり、お正月前に入院して結果を見ました。しかし、お正月明けの検査では、その抗がん剤では、また癌の進行が早まっている事が分かりました。一生懸命食べていたせいか、血液検査の数値は回復したのに、薬に慣れてきた癌細胞の回復の方が強かったらしい。腫瘍マーカーの数値は病気が分かった時から高かったのですが、CEAが11月の4倍以上の97.6(正常値5.0以下)CA19-9が、20倍近く跳ねあがって、28911.3(正常値37.0以下)いったんは戻りかけていた肝臓関係の数値も、悪化しているのはCT画像で見る肝臓の転移巣が大きくなったからでしょう。治療を始める最初に1クールだけやると、私は言いましたが、その後考え直し。身体が抗がん剤を受け付けられる間は続ける。けれど、骨髄抑制など副作用で受けられなくなった時や薬剤の効果が少なくなった時は、無理に続けず治療を止めたい。その止め時になったら教えてほしいと先生に伝え、子供達もそれでいいと言ってくれていました。それで1月5日の検査結果で、治療を止めて今後は症状の緩和に入る事にしました。今現在は、腹痛の起きる回数が増えてきて、痛み止めを使っています。痛み止めが効いている間は、さほど苦痛も無いのですが、食欲はすっかり落ちました。脚力も少し弱ったので、2階の寝室を止めて、11月末に借りてあったレンタルベッドを使う事にしました。ベッドのそばにパソコンがあり、トイレもあります。ベッドが狭いのと高さがあって、病院のベッドみたいで(その通りなんだけど)(笑)なんだか落ち着いて寝られなかったけど、やっと慣れました。普段は、おなかが空いたと思わないし、食べたいものがあまりないの。なるべく食べたいものを見つけては、食べるようにしていますが・・・食べたくないのに無理に食べようとすると、オエッとなります(妊婦のつわりみたい)娘は、(高いのに)美味しいプリンや手作りおかずをよく持って来てくれます。お嫁ちゃんも私の好きなチーズヨーグルトフルーツを作って来てくれたり。婿殿は、私の好きな高級筋子やタラコ、韓国のりは食べられるか?などケーキやイチゴを差し入れてくれる友達もいて。と、誰もが、私が食べられそうなものを持って来てくれ、冷蔵庫の中が、とんでもなく贅沢に。(笑)ありがたいと感謝しつつ、下さる方も、私が食べたら喜んでくれるのに、前のようにパクパク食べられず申し訳ない。これから痩せて来るのでしょうが、私には備蓄があるみたいで、今のところ手足が骨ばってはいません。検査結果や撮影された映像を見ると、今、この状態でいるのが不思議なくらいです。自分でも、黄疸が出てきてないか、トイレに行くたび尿の色を見たり、鏡で顔を見たりしています。これからは、急変もありうる状態なので、とりあえず抗がん剤治療を止めて、緩和に入った事をお知らせしておきます。もうしばらく、幸せな病人続けられるかな。寝ている部屋から見える外の景色、通学の小学生なども賑やかに通ります。今日は吹雪で大変です。仕事が休みだったオットさんが雪かきをしてくれました。が、あっという間に階段が埋もれるほどまた積もってます。
2024.01.15
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今年のお正月は迎えられないかもと、いったんは覚悟した2か月前。思いがけず抗がん剤が効いて、まだ元気でいられます。家族そろって新年を迎える事が出来ました。毎年、大みそかの夜は子供や孫たちと賑やかに過ごしていました。今年は、息子家族が4人、娘の家族が4人、それに私の妹。(昨年妹の夫は、動脈剥離で急逝し、結婚している子供たちは、札幌、東京と離れていて、妹は1人住まいになりました)昨年は、主人が居なかった年越し。今年は、私が居ないのかも・・と思いつつ、12月になって思いのほか体調を保つことができていて。家族で過ごすお正月を迎えられました。年末近くまで入院していたために、大掃除なし、おせち料理や大みそかのお料理も無しでしたが・・。私はお寿司とピザを頼んだだけで、後は子供たちが全部用意してくれました。大晦日には、次々と子供たちが運んでくるお料理にびっくり!ケーキやアップルパイ、M子ちゃん手作りの「みんな大好きチーズヨーグルトデザート」は、ここには出さず、飲み物と共に、冷たい外で冷えてます。夕方から始まった宴会は、途中お風呂に入る人、テレビを見てる人、そのうち奥の部屋で、麻雀を始め、メンツも入れ替わりつつ・・・。楽しい時間を過ごしました。私も、みんなが驚くほど食べられて、自分でもびっくり。10時過ぎ、頃合いを見て年越しそばはいつも私の担当。地元産の「幌加内生ソバ」にしました。ここ10年以上、長野県の細い生そばでしたが、今回は太めの武骨な地元産。「幌加内そば」旭川近郊の名産で、生産数が少ない美味しいそばです。12時の除夜の鐘がなるまで、賑やかに集いは続きました。帰り際、キッチンに立っている私に、酔っぱらった息子が抱き着いてきました。「母さん、本当に良かった!こうして一緒に年越しが出来たなんて・・・」「母さん、小さくなったね。良く頑張ってくれたね」と。背伸びして息子を抱きしめてる私の方が、まるで幼い子みたい。涙が思わずにじんできました。生きててよかった。一夜明けて、朝、お雑煮を食べにきた息子一家。何をやるにも、これが最後かもしれないと思いつつ。お年玉も無事に孫たちに渡せたし。今年は、本当に思いの深いお正月です。
2024.01.01
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昨日退院してきました12月19日の抗がん剤治療は、3クール目の2回目でしたが中止。それまでは、外来で血液検査数値を見て、結果が良ければ、点滴治療を受けました。白血球や血小板の数値など副作用で下がりすぎると、休薬期間を置き、延期になる事がありました。しかし、腫瘍マーカーがドンと上がった為、今までの薬剤を中止して薬剤を変更する事になりました。今度の薬剤の効果、副作用などを見るために1週間の入院になりました(前回までの記事)それまで、外来診察後、化学療法室で抗がん剤の点滴約3時間程度でしたが。今回の治療は、化学療法室での点滴4時間の後、最後の点滴は46時間かかります。最期の点滴は、薬剤の入った点滴バッグを体に付けたまま帰宅。翌々日(46時間後)点滴バッグと注射針を外して貰いに病院へ行く事で、自宅からの通院が可能です。その治療は主人も受けたので、経過も様子も分かっていますが、今回、私には少し不安がありました。その頃、主人は車いすを使い、その治療が服薬に代わるまで、いつも付き添いや送迎は私が行いました。が、患者本人の私は、今は冬道でもあり運転は控え、タクシーを使う事が多いです。で、日常生活や歩行に不自由はありません。近所のコンビニに買い物に行く事もできます。何が不安かというと・・。点滴後、自宅に帰り、46時間後に撤去に行くまでの間に、自分の体調が急変する事でした。最初から歩けないほど、体調が悪ければ、治療に行かなければいいわけですが。受けてしまった後に、撤去に行けないほど具合悪くなったらどうしよう。普通に元気そうに生活していますが、今の状態が続く自信は、いつも無いのです。実際に、今回の入院中、回復はしましたが、ご飯は全く食べられないような日がありました。元々、抗がん剤治療をするのは、自分で通院できる体力があるまで、と決めていました。1人で通院できなくなるほど体力が衰えた時は、治療を止めるつもりでした。最初に抗がん剤の治療を始める時、病院内の「癌支援センター」のソーシャルワーカーさんや先生との話でその話をして。その後、抗がん剤治療を止めた後は、在宅でできるだけ頑張りたい事を伝えていました。ソーシャルワーカーさんから、居宅介護支援事業所に連絡を取って下さいました。そして、昨年亡くなった主人にかかわって下さっていた方が、私のケアマネージャーになって下さいました。それから以降、主治医の先生や病院と色々連携を取って下さっています。2階で寝起きしている私が、階段を下りる事ができなくなったり。日中、休む必要がある時の為に、1階にレンタルの介護ベッドの手配など、11月末に済ませて下さいました。退院の前日には、そのケアマネさんと事業所の所長さん、訪問看護師さんが病院へ来て下さいました。6階病棟の私の担当看護師さんに、直接に、私の現在の治療の状況や用具の確認。ソーシャルワーカーさんに私を加えての6名全員で、現状把握と退院後の今後の打ち合わせでした。いずれ通院が困難になる時期を予測されますが、それまでは、月2回程度の訪問看護、観察を入れるのが良いかと。そして、私が不安に思っていた、「治療を受けてしまった後の体調の変化による点滴抜去」ですが取り敢えず、次の治療の時から、抜去日の時間帯に、訪問看護の日程を合わせて下さる事になりまして。自宅で、看護師さんが様子を観察しながら点滴を外してくださる事になりました。時間が大きくずれたり、中止になったら、病院から事業所の方に連絡もして下さるそうで。「どうぞ、安心して退院してください。何かあればいつでも事業所か病院へ連絡ください」と。そういわれ、安心して退院してきました。主人の療養中は、自分が何でもやろうとしましたが、自分となるとそうはいかない。沢山の人の手助けを借りる事になりそうです。主治医の先生始め、関係する方々の素晴らしい連携と暖かい心遣いに心から感謝しています。さて、退院する前日と当日の旭川は、豪雪に見舞われドカ雪が降りました。道路わきに除雪の山ができて、見通しが悪い上、車線が少なくなりました。幹線道路でも右折の車がいると、後続車は横を通り抜けられないでストップする所があり、あちこちで渋滞。看護師さんたちも、1時間以上の遅刻が多かったそうで。そんな日の退院、タクシーを呼んで果たして来るかしら?何人待ちだろう?きっと凄い事になってそう。でも、何時間でも待てば、来てくれるかもしれない。外で待つわけじゃない、暖かい建物のロビーで待っているのだからと、タクシーを呼ぶつもりでいると。オットさんの仕事が休みの日で、「大雪で混んでいて、タクシーが今日は無理かも、迎えに行く」との連絡が。嬉しい!と、喜んだのですが・・・。オットさんの車がきて、家へ向かったのですが、無事に家に着くまで、あまりの道路の惨状にぞっとしました。オットさんの大きな車、道路を泳ぐように進みました。どこで埋まっても不思議はない。きっと決死の覚悟で出てきてくれたのでしょう。国道など幹線道路は渋滞ですが、それ以外の市道では、降った雪の多さに埋まる車が続出。勢いよく前進している間はいいけど、一旦停止したり徐行すると、前進も後進もタイヤがズブズブ埋まり始め出られなくなります。雪ですが、泥沼に入った状態でスリップするうち、どんどんボディまで埋まってきて、自力脱出できなくなる。配送業者であるクロネコヤマトさんも、灯油配達トラックも、タクシーも郵便局の車も、あちこちで動けなくなっていました。無事に家に着きました。玄関は雪に埋もれていたけど、その割には雪が少ないので、だれか除雪してくれたのね。と思いましたら。なんと!朝から、ずっと中学生のタケちゃんとオットさんで、何度も除雪しては融雪槽に運んで融かしていたそうで。ダンプタケちゃんと、ブルトーザーオットさんが頑張ってくれていたのでした。ちなみに、この玄関は下の2段の雪をどけてみましたが、私を迎えに来る前に1度綺麗に取ったのだそうです。私を迎えに来ているたった1時間で、また段差が埋もれるほど降ったのです。退院荷物を片付け、体調が戻っている私は、運動がてら残った雪を融雪槽に運んで融かしました。雪を跳ね上げるのは力が要りますが、スノーダンプですくい、載せた雪を融雪槽まで押して行くのは、力はいりません。そりのように、スルスルと押して行き、融雪槽の前で柄を少し持ち上げると、するりと雪は水の中に落ちて行きます。運ぶだけなら腕力は必要なく、ただ、往復するだけ。除雪用具のスノーダンプを、非力な女性が使える「ママさんダンプ」とも言いますが、私には「ババさんダンプ」でもあります。雪の量が少ない時は、端に寄せて置いてある程度溜まったら、スノーダンプで運ぶけど、こんなに豪雪だと端に寄せるのも大変ですが。オットさんとタケちゃんの男2人のパワーで、片付いていました。娘が、買い物をして冷蔵庫に色々入れてくれていました。汁物やおかずなども色々入れてあり、味気ない病院食を我慢していた私は、とても嬉しかったです。雪かきの終わったオットさんは、夕方、自慢の手作り麻婆豆腐を差し入れして下さり。部屋に持って来た途端、花椒の凄くいい香りが漂い、鼻がクンクンしました。とっても美味しくいただき、お風呂にゆっくり入って休みました。入院中、足がなまるといけないと歩くよう心がけていましたが、でもせいぜい2000歩。部屋ではWi-Fiがつながらないので、つながるロビーへ行ったり来たり。でも体調の悪い日は800歩くらい。退院した昨日は、動き回って7000歩も歩いていたから凄い。今日はあまり動かず、静かにしていますが、体調は良いです。心配していた体重も減ってはいませんでした。良い歳末になりそうです。ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。元気でいます。
2023.12.28
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12月19日、今日、抗がん剤3クール目の2回目点滴の日でしたが、ストップでした。前に休薬した時は血小板数値が下がっていたためですが、今回は腫瘍マーカー関係。数値が、ドンと上がっていました。10月開始の抗がん剤、先月(11月)までは、今まで使っていた抗がん剤が、かなり効いた感じで、画像では腫瘍の増大は止まって。むしろ小さくなったり消えた個所もあり。副作用で、骨髄へのダメージはありながらも、急激な進行だった私の癌は、先生も驚くほど抑えられていたのですが・・。この抗がん剤が効かなくなる時期が来たようです。今月に入って、痛み止めを使う事が増えてきた私は、癌が再進行を始めたような気がしていました。今日の診察で、腫瘍マーカーの数値が急上昇している事から、同じ抗がん剤を使うのは止め、別の抗がん剤に切り替える事になりました。新しい抗がん剤を開始するに当たり、急いで明日入院します。せっかちな私は、癌の進行も早かったけど、薬は良く効いて、でも薬が効かなくなると進行も早いみたい。今回も慌てて入院支度です。。この病気が分かった時、私の場合、進行があまりに早いので、このままでは来年を迎えられない覚悟をしたのですが。抗がん剤の助けを借りると決めて私が生きているうちに、どうしても、急いでやらなくちゃならない事をどこまでできるか・・・。10月から、色々な手続き、あちこちに連絡を取ったり、まるで駆け足のように急いで、1つ1つ片付けてきました。重要な仕事、3つのうち2つは、それぞれ11月中にと、12月1日に完了。残る1つは、中間地点まで、きました。(きっと息子に引き継いで貰うしかないのですが・・。)来年2月、主人の3回忌(没後2年目を3回忌といいます)を終えてから、ゆっくり考えたいと思っていました。それは、主人の作品の整理です。しかし、私が居なくなった家の処遇を考えると、このままにしては置けない。関係の人に私の病気を打ち明け、相談しました。美術関係の人が集まり、残っている作品を検討し、選びたいと。先日、息子に地下室にある作品をすべて出して並べて貰いました。かなりの作品が、あちこちに寄贈されたり貰われて行ってます。息子と、アレないね~!アレもないね!と、並べながら2人とも気づきました。主人は作品を人に譲る時は、その年に作った中の1番気に入っているものにしていました。だから、私達の記憶に残る作品の幾つかないのは当然かも。美術関係の方々がアトリエに来る日が、今週の22日と決まっていました。先日の日曜日、息子に頼んで、一緒にアトリエに作品を拡げて貰いました。これでやらなくちゃならない仕事の1つが少し進められるとホッとしていたのですが・・今日、突然、即、入院を告げられました。22日の仕事を終えて、入院を来週に延ばす事は、私の今の状態で勧められないと先生はいいます。来訪者4人がそれぞれのスケジュールを調整して、やっとこの日が決まったので、今更、日程変更もできず。止む無く息子に、家を開けてアトリエでの立ち合いを頼めるかどうか、電話。勤務がある息子は、その日はリモートで、隣の自宅で仕事をする事にしてくれて。4人の来訪者がきたら、アトリエに来てくれることになりました。ありがたや。取り敢えず、大忙しで入院準備が終わり、夕飯を食べて寝ます。以前にも書きましたが、体は病気ですが私の気持ちは元気です。1週間で、無事に戻って来れますように。
2023.12.19
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今週で、2クール目の治療が終了し、1週間の休薬期間を置いて、3クール目が来月に始まる予定でした。ですが、2クール目の最後の治療は中止になりました。体に感じる副作用は幸いにもあまり強くないのですが・・。心配していた骨髄抑制が起きてしまいました。抗がん剤は、癌細胞を壊しますが、同時に身体の正常な細胞も壊します。(髪の毛が抜けてしまうのもそうです)副作用のうち、1番問題になるのが、骨髄にある造血機能の障害です。毎回治療の前に血液検査で、赤血球や白血球、血小板などの血液の状態を調べます。全ての数値は、治療の度に低下しています。今回は、血小板の数値が特に下がり、このまま抗がん剤を使うのは危ないので、中止。1週間の休薬期間を経て、造血機能の回復を待って、次の治療を考える段階になりました。今まで、造影剤を使った肝臓やすい臓の画像を見ると、腫瘍の増大は止まり、やや縮小が見られ、お薬は良く効いたと思われます。が、その反面、大事な血液を作る機能にダメージが来てしまいました。血小板だけではなく、血液はすべて貧血気味になっています。白血球が少ないので、感染に対する抵抗力がなくなっています。ただ、息切れするほどの貧血にはなっていないので、日常の生活は不便なくできています。10月の初め、この病気が判明した時は、このまま年を越すことはできないと思う酷い状態で、激しい進行でした。こうして、2か月近く無事に生活できたなんて、奇跡のように思います。急いでやらなくちゃならなかった事を1つずつ片付けてきて、あと少し残っている幾つかを何とかケリをつけたい。そんな思いで、過ごしています。11月19日、息子の所属しているジャズオーケストラの定期演奏会がありました。病気が判明した時は、11月の演奏会には、きっと行けまいと、ほぼ諦めていましたが。なんと、思いのほか、私の体は強かったようで、行く事が出来ました。タケちゃんと私を後方から娘が撮った写真です。左で手を叩いているのが私。禿げてしまった頭は、季節柄、暖かい帽子が隠してくれてます。丈夫な体に産んでくれた親に感謝です。演奏する息子です(すっかり白髪)これからは、骨髄抑制も起きてきた事ですし、どこまで治療が可能なのかは分かりません。10月初めの最初の映像で、ボロボロに癌細胞に侵されていたいた私のすい臓と肝臓。なのに、今まで殆ど苦痛なく過ごせたこの2か月は奇跡のように思います。動けるうちに、動けるうちに・・と、色々な連絡や手続きに走った2ヶ月でした。膵臓や肝臓がんの食事制限は、結構厳しくて、脂ものや消化の悪いもの、生モノ(お寿司や刺身)などは食べないように。細菌感染しやすいので、人込みに出かけないように。など、言われますが、私はあまり気にしない。ラーメンも食べるし、カレーや天丼も。お刺身やお寿司は良く食べます。味気ない病人食で食欲低下して体力を失うより、食べられるうちに食べたいものを美味しく食べよう。だってそのうち、どうしても食べられない時期が、どうせ来るのだから。と、開き直ってモリモリ食べています(笑)それが体力を保っているモトかもしれない。あれこれの片付けも、この2ヶ月でずいぶんとはかどりました。20年以上の付き合いの私の愛車、亡き愛犬を乗せて山菜採りに、買い物に、山の畑仕事にと走り回りました。年数は経ちましたが、まだ6万キロ程度の走行距離で、調子も良かったので。今年の春にはちゃんと点検も終え、来年も畑に行くのに便利に使うつもりでした。けれど、病気が分かり、来年、畑をやったり、この車を使う事がないと、冬を前についに明日廃車に。想い出が一杯の車に、「長い間、今までありがとうね」と、なでなでしてお別れ。山の畑も手放すことが無事にできそうです。1つずつ身軽になるよう身辺整理が進み、その都度ほっとしています。主治医の判断で介護度1の認定をいただいたので、来週は、ケアマネージャーがきて、今後病気が進んだ時の対策の相談。今の体調なら、ブログやフェイスブックも、しばらくは大丈夫そう。体力が少しずつ衰えてくるとは思いますが、自分のできる事は頑張ろうと思っています。
2023.11.23
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10月に受けた1クール目(1週間おきに抗がん剤の点滴治療を3回)を終えた結果ですが。最初の治療のせいか、お薬は良く効いたようで、腫瘍は少し小さくなり、肝臓に多発していた病巣も少し減っていました。吐き気、下痢嘔吐などの体に感じる副作用は、今回は無く、微熱が時々でるだけ。血液検査の数値も、さほど下がっていなく、次の治療を受けられる状態です。ただ、脱毛の副作用で、髪の毛は毎日ごっそり抜けて、すっかり地肌が出てしまいました。外に出るには、帽子の季節がありがたい。あちこちが髪の毛だらけになるので、ネットの帽子をかぶっていますが・・・着ている服やじゅうたん、ベッドから洗面所まで、そこらじゅうに髪の毛が落ちていて、コロコロクリーナーで掃除。先月書きましたが10月5日に、判明したすい臓がんは肝臓に転移しているステージ4。翌日6日に入院、即治療を始めたのですが。2回目の抗がん剤点滴治療を受けて14日に退院。その後、急いでやらなくちゃならない事を関係者に連絡を取り合ったり、打ち合わせしたり。引き継がなければならない事を整理したり、毎日めまぐるしく色々な人と連絡を取り合っていました。病気のせいだけでなく、病院の個室で、1週間以上動かなかったせいで、脚力も体力も落ちていましたが・・・。毎日忙しく動いていたせいで、体力も少し回復、庭の片付けや剪定、冬囲いもできる程度になりました。45kgを切りそうだった体重も46kgを保っています。来年の2月4日に、主人の3回忌を終えたら、主人の納骨をし、主人の関係の書類などもその時に処分をするつもりでしたが。私の病気の進行の早さを知った時に、当初このままでは、どれもこれも、とうてい間に合わない事に気付き。抗がん剤で少しでも病気の進行を遅らせ、動けるうちにできる事を早く済ませなくては、と必死に思いました。その中の1つ、先週末、ようやく主人の納骨を済ませる事が出来ました。息子夫婦とK太、アオちゃん、娘とタケちゃんが一緒にお参りしてくれました。(勤務があったオットさん、学校があったマオちゃん以外)全員です。昨年、納骨堂にいた古いご先祖3柱を合同墓に合祀しました。なので、納骨堂には、主人の祖母と母だけいましたが、それを永代供墓に移し、今は主人だけ納まって私を待っています。本当にほっとしています。お寺は銀杏が綺麗でした。写真を撮っているのは息子退院した次の週でしたが、あちこちの連絡や、書類の整理に、目を吊り上げて(笑)頑張る私に、娘が「お母さん、気分転換に少し出かけよう」「日帰りでいいから温泉に行こう、美味しいおそばを食べに行こう」と、週末に誘ってくれました。タケちゃんとマオちゃんも一緒に車で1時間半の田舎の温泉へ。峠を越えて行く温泉は、幌加内そばの名産地で、道中の山道の紅葉もとても綺麗でした。週末なのに、田舎の温泉は空いていて誰もいなく、とても気持ち良かった。地元産の有名なお蕎麦はとても香りが良くて美味しくて、急に食欲がわいてきて、ぺろりと平らげました。マオちゃんと撮った写真です。この時は、まだ髪の毛が抜けていなかったです。先週の木曜日には、ホームの仲間がゴルフをする日でしたので、挨拶を兼ねて、ゴルフ場に行ってきました。退院以来、体を動かしていましたが、足も痩せてしまい、ゴルフで歩くのは無理かな?と思っていましたが、息切れしながら(笑)何とかハーフ回れて・・。ハーフで止めようかなと思ったけど、まだ動けそうなのでそのまま回り。登りのきついホール3つは休んで、カートの運転手をしていましたが、結局最後まで一緒に回り1万歩歩いてました。歩いたせいか、昼食の牛丼が美味しかった。そして、事務所にゴルフ会員権を返し退会の手続き、ロッカーのカギの返還。長い間お世話になりました。と、事務所のみんなに挨拶しました。「来年の春、どうぞお元気でいらして下さい。その時は、会員扱いで回っていただきますので」と、支配人。そしたら、フロントのAちゃんが泣きだしてしまいました。最期に、駐車場の奥の管理道路から山に入り、いつもキノコを採ったところを散策。もう時期が遅くて、キノコは終わっていました。ウドをいつも採ったところは、藪や林の中に大きな背丈のウドが、タネをつけて伸びていました。春と秋の山菜シーズンは、ゴルフに加えて、山の幸が嬉しくて。ここに来ると、「出てるかな~?」と、いつもウキウキワクワク。キノコもウドも、20年以上、ここでいただき、私も主人も毎年楽しみました。今まで長い間、ホントにありがとうね~~!と、心の中で挨拶して帰ってきました。さて、来週から2クール目の治療に入ります。膵臓癌が発覚した翌日、入院してその日から抗がん剤治療を受けた私。癌の宣告より、ショックだったのは、その進行のスピードでした。どうしてもやらなければならない事だけでも、急いで済ませるために。急激な進行を少しでも遅らせないと、何もかも間に合わない。そのためには、抗がん剤治療を1クールだけは受けよう。放射線治療や、手術で取れる癌なら治療するけど、それが不可能な場合、抗がん剤治療はしたくない。以前からずっと、そう思っていた私でしたが・・・。1か月前の入院で、個室に入る羽目になり、部屋から1歩も出ずに頭を冷やされた私。落ち着いて毎日考え続け、抗がん剤治療を、続けて受ける事に思い直しました。(前の日記にあります)なので、これからは、毎週の点滴を受けやすいよう、胸に点滴用の管を埋め込む手術を受けます。1クール目は、私の体力が勝っていたのか、吐き気、下痢など強い身体症状はあまり出ず。その代わり、髪の毛はすっかり抜けてしまいましたが・・・。血液検査の数値も、抗がん剤治療を続けられそうです。(骨髄抑制が起きたら、治療はできなくなります)先月の退院以来、頑張ってきた色々な引継ぎ事項は少しずつメドが見え始めています。少しずつほっとする反面これからどこまでできるか、やっぱり間に合わない・・のだな~。という思いがあり、できるうちにできる事をやりたいと思っています。今日は、お昼に妹が親子どんぶりの具をタッパーに入れて持って来てくれました。夕方は、娘がカレイのから揚げを。ありがたや。
2023.11.03
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10月に受けた1クール目(1週間おきに抗がん剤の点滴治療を3回)を終えた結果ですが。最初の治療のせいか、お薬は良く効いたようで、腫瘍は少し小さくなり、肝臓に多発していた病巣も少し減っていました。吐き気、下痢嘔吐などの体に感じる副作用は、今回は無く、微熱が時々でるだけ。血液検査の数値も、さほど下がっていなく、次の治療を受けられる状態です。ただ、脱毛の副作用で、髪の毛は毎日ごっそり抜けて、すっかり地肌が出てしまいました。外に出るには、帽子の季節がありがたい。あちこちが髪の毛だらけになるので、ネットの帽子をかぶっていますが・・・着ている服やじゅうたん、ベッドから洗面所まで、そこらじゅうに髪の毛が落ちていて、コロコロクリーナーで掃除。先月書きましたが10月5日に、判明したすい臓がんは肝臓に転移しているステージ4。翌日6日に入院、即治療を始めたのですが。2回目の抗がん剤点滴治療を受けて14日に退院。その後、急いでやらなくちゃならない事を関係者に連絡を取り合ったり、打ち合わせしたり。引き継がなければならない事を整理したり、毎日めまぐるしく色々な人と連絡を取り合っていました。病気のせいだけでなく、病院の個室で、1週間以上動かなかったせいで、脚力も体力も落ちていましたが・・・。毎日忙しく動いていたせいで、体力も少し回復、庭の片付けや剪定、冬囲いもできる程度になりました。45kgを切りそうだった体重も46kgを保っています。来年の2月4日に、主人の3回忌を終えたら、主人の納骨をし、主人の関係の書類などもその時に処分をするつもりでしたが。私の病気の進行の早さを知った時に、当初このままでは、どれもこれも、とうてい間に合わない事に気付き。抗がん剤で少しでも病気の進行を遅らせ、動けるうちにできる事を早く済ませなくては、と必死に思いました。その中の1つ、先週末、ようやく主人の納骨を済ませる事が出来ました。息子夫婦とK太、アオちゃん、娘とタケちゃんが一緒にお参りしてくれました。(勤務があったオットさん、学校があったマオちゃん以外)全員です。昨年、納骨堂にいた古いご先祖3柱を合同墓に合祀しました。なので、納骨堂には、主人の祖母と母だけいましたが、それを永代供墓に移し、今は主人だけ納まって私を待っています。本当にほっとしています。お寺は銀杏が綺麗でした。写真を撮っているのは息子退院した次の週でしたが、あちこちの連絡や、書類の整理に、目を吊り上げて(笑)頑張る私に、娘が「お母さん、気分転換に少し出かけよう」「日帰りでいいから温泉に行こう、美味しいおそばを食べに行こう」と、週末に誘ってくれました。タケちゃんとマオちゃんも一緒に車で1時間半の田舎の温泉へ。峠を越えて行く温泉は、幌加内そばの名産地で、道中の山道の紅葉もとても綺麗でした。週末なのに、田舎の温泉は空いていて誰もいなく、とても気持ち良かった。地元産の有名なお蕎麦はとても香りが良くて美味しくて、急に食欲がわいてきて、ぺろりと平らげました。マオちゃんと撮った写真です。この時は、まだ髪の毛が抜けていなかったです。先週の木曜日には、ホームの仲間がゴルフをする日でしたので、挨拶を兼ねて、ゴルフ場に行ってきました。退院以来、体を動かしていましたが、足も痩せてしまい、ゴルフで歩くのは無理かな?と思っていましたが、息切れしながら(笑)何とかハーフ回れて・・。ハーフで止めようかなと思ったけど、まだ動けそうなのでそのまま回り。登りのきついホール3つは休んで、カートの運転手をしていましたが、結局最後まで一緒に回り1万歩歩いてました。歩いたせいか、昼食の牛丼が美味しかった。そして、事務所にゴルフ会員権を返し退会の手続き、ロッカーのカギの返還。長い間お世話になりました。と、事務所のみんなに挨拶しました。「来年の春、どうぞお元気でいらして下さい。その時は、会員扱いで回っていただきますので」と、支配人。そしたら、フロントのAちゃんが泣きだしてしまいました。最期に、駐車場の奥の管理道路から山に入り、いつもキノコを採ったところを散策。もう時期が遅くて、キノコは終わっていました。ウドをいつも採ったところは、藪や林の中に大きな背丈のウドが、タネをつけて伸びていました。春と秋の山菜シーズンは、ゴルフに加えて、山の幸が嬉しくて。ここに来ると、「出てるかな~?」と、いつもウキウキワクワク。キノコもウドも、20年以上、ここでいただき、私も主人も毎年楽しみました。今まで長い間、ホントにありがとうね~~!と、心の中で挨拶して帰ってきました。さて、来週から2クール目の治療に入ります。膵臓癌が発覚した翌日、入院してその日から抗がん剤治療を受けた私。癌の宣告より、ショックだったのは、その進行のスピードでした。どうしてもやらなければならない事だけでも、急いで済ませるために。急激な進行を少しでも遅らせないと、何もかも間に合わない。そのためには、抗がん剤治療を1クールだけは受けよう。放射線治療や、手術で取れる癌なら治療するけど、それが不可能な場合、抗がん剤治療はしたくない。以前からずっと、そう思っていた私でしたが・・・。1か月前の入院で、個室に入る羽目になり、部屋から1歩も出ずに頭を冷やされた私。落ち着いて毎日考え続け、抗がん剤治療を、続けて受ける事に思い直しました。(前の日記にあります)なので、これからは、毎週の点滴を受けやすいよう、胸に点滴用の管を埋め込む手術を受けます。1クール目は、私の体力が勝っていたのか、吐き気、下痢など強い身体症状はあまり出ず。その代わり、髪の毛はすっかり抜けてしまいましたが・・・。血液検査の数値も、抗がん剤治療を続けられそうです。(骨髄抑制が起きたら、治療はできなくなります)先月の退院以来、頑張ってきた色々な引継ぎ事項は少しずつメドが見え始めています。少しずつほっとする反面これからどこまでできるか、やっぱり間に合わない・・のだな~。という思いがあり、できるうちにできる事をやりたいと思っています。今日は、お昼に妹が親子どんぶりの具をタッパーに入れて持って来てくれました。夕方は、娘がカレイのから揚げを。ありがたや。
2023.11.03
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ポリープ除去のつもりで入院した先月(9月)26日、思いがけなくすい臓がんが発覚。2か月前に撮っていたCTでは見えなかった癌が、すい臓から肝臓に広く転移していて、ステージ4。あまりに急激な進行だったので、これではなにもかも間に合わないと。細胞診結果がでた翌日、とりあえず抗がん剤で進行を食い止めようと入院しました。ところで、入院には、コロナ検査が必要です。息子のお嫁ちゃんのМ子ちゃんが病院に送ってくれて、帰って貰い。入室前に検査を受けて待機していたところ、なんとコロナ陽性反応が出てびっくり。一般病室には入院できなくなりました。ポリープ除去、そして色々な検査が加わった前の退院から、今回の入院までわずか数日。スーパーに買い物1回くらいしか出歩かず。入院前日には、子供や孫たちがケーキを持って壮行会?を開いてくれましたが、誰も風邪すら引いてないし、感染する心当たりがないけど。取り敢えず個室に入院し、抗がん剤治療が始まりました。後で看護師さんたちに聞いた話ですと・・・。陽性反応が出ている患者を入院させて、抗がん剤の治療を始めるリスクに、周りからのかなりの抵抗(反対)があったようです。私の主治医は、リスクや反対を承知の上で、私の治療を急いで下さいました。私に何かあったら、決断した先生の責任が問われたと思います。そう思うと、感染の心当たりは全くないけど、どうかコロナの症状が出ないでほしいと、私自身も祈る気持ちでした。そして、のどの痛みや咳、熱などのコロナの症状は出ないまま、個室で1週間が過ぎましたが・・・。その間、検温や食事など、私の部屋の出入りする看護師さんは、防護服で来て部屋を出る時、入り口の汚染物を入れるボックスに脱ぎ入れてていました。困ったのは、個室でWi-Fiが通じない事。普段家のWi-Fiを使う事が多い私は、1ギガ契約。個室に入って数日後、どれくらい使ったか見て、ぎゃ!でも1番困ったのは着替えや飲み物。わずか1週間の入院だし、下着など手洗いして100円コインの乾燥機にかければいい、と数枚しか持たなかった。ディルームで熱いお茶や冷たい水が自由に飲めると思うから、お茶ペットボトルも1本しか持たなかった。部屋に閉じ込められ、1歩も出られず。飲み水が1番困った。食事の度にカップ3つのお茶を貰ったけど・・。足りない。個室なので、トイレもシャワーも洗面所もあるけど、洗面所の水は飲めない事ないけどマズイ!娘にお茶を差し入れして貰おうと思ったら、陽性患者の家族からの差し入れはダメって。たった1つのモノでも、陽性者家族からの物品は、防護服来て受け取り、防護服で患者の部屋に出入りする事になるんだものね。お金を渡し、買ってもらおうと思ったら、私のお金は汚染扱いになるみたいで(涙)でも、動けない患者には、売店へ頼み届けるシステムがあるようで。連休後、購入票を書いて渡せない私は、口頭で優しい看護師さんに伝え、看護師さんが書いて売店で購入してくれました。(ツケというヤツで、退院時に、売店で後払いだそうです)看護師さんは、3度の食事、検温、血圧や、酸素測定で防護服を着て、何人も毎日入れ代わり立ち代わり、出入りします。先生は、朝、そして夕方2度来て下さる事が多かったです。時には夜7時過ぎて。色々話して下さいました。主人の治療にあたっていた頃、ご自身のお父様も同じ病気であった事など。数日後、ある看護師さん(ゴルフ好き)に、家族の差し入れが出来ない事を嘆いていたら、「同居の家族でなければ、届け物はいいのです」って~!病室から洗濯物などを出し渡す事はできませんが。って~。あれ~!息子も娘も同居家族でないよ。差し入れをナースステーションに届けるのはいいのかい?!という事で、シャツとお茶、持って来るのを忘れてたテイッシュペーパー。冷蔵庫を使うには少なかったテレビカード(前回入院の時の残りで少なかった)など届けて貰いました。みんなが心配していた抗がん剤の副作用、コロナの症状も出ずに、1回目の抗がん剤を打って無事に1週間、2回目を打って一晩。経過観察も無事済み、先週の土曜日(14日)息子が迎えに来てくれて退院してきました。個室に閉じ込められ、Wi-Fiもつながらず、とても不自由な入院生活でした。病室から見える景色です大雪山連峰で、この右側に続いて十勝岳連邦の山並みが続いています。見事なパノラマの景色でした。病室からの風景は日々秋色を増していくのが感じられ、毎日外を眺めていました。そして、何もできない事がかえって色々考えを巡らせる事ができました。この偶然はいつもあくせくとせっかちだった自分に、一生で1番、のんびりした時間が、プレゼントされたような感じがしました。石狩川の朝もやの中に、朝陽が上がる時も見事な景色です。抗がん剤注射後1週間たっての検査数値は、若干改善されたものもあり。(でも悪いものもあり)治療が最初なので、効果が出て進行のスピードは、少し遅くなっているようですが、2度目を打って帰宅しています。まだ、骨髄抑制が起きていなければ、明日、3度目を打てて1クールが終わります。今まで、私は抗がん剤を打たないと言っていましたが、あまりに急激な進行で、このままのスピードで進んだらすぐに動けなくなってしまう。1クールだけは治療して、その間に、引継ぎできるもの、しなければならない事をできるだけ準備をする。と、決めてました。退院後、大急ぎで色々な方面に連絡を取り合い、大事なミッションからクリアしつつ毎日忙しくしています。(ブログ更新やコメント返信はなかなかできず)退院後、大至急片付けなければいけない物件から片付けてきました。でも、どんなに急いでも、頑張っても片付けきれないものがある事に気付きます。やっぱり、最後は息子や娘に迷惑がかかってしまうのです。先日17日、私の誕生日でした。息子の家族、娘の家族が全員集まってくれてお祝いしてくれました。私が育てたじゃがいも、出来の悪いかぼちゃ、豊作だったトマトなど使って、娘が料理を作ってくれました。かぼちゃのグラタンが美味しかったです。実は、味気ない病院食ばかりだった退院後、セブンイレブンで美味しそうな「から揚げ棒」を1本買いました。膵臓は脂肪分制限だけど、かまわないや~!と食べ始めたものの・・・ちょっと罪の意識が起きてきて、最後は噛み噛みして存分に味を味わい、テイッシュにペ!して捨てました。それをラインでいうと息子が大笑いしてたのですが。お嫁ちゃんのМ子ちゃん特製の美味しいから揚げもきました。みんなからのお花、そして孫たちのカード。そして、「まもなく髪が無くなる私」の為に室内でもかぶれる可愛い帽子!!(涙)お花は、前日に妹から、そして昔からの友人が、この日お誕生祝いにくれたものを並べました。抗がん剤治療は、とりあえず1クールしか受けない。と、入院前には言っていた私ですが。本心は・・・自分で自分の事が出来なくなる時期が分かれば、自分で始末をつけたい。弱ってみじめな自分を見られたくない。迷惑をかけたくない。または、最後はがん患者の仲間がいるホスピスへ入るか・・などと考えていました。個室に入り、毎日外を眺めながら色々な事を考えるうち、私は、何を突っ張っていたのか。だんだん心が落ち着いてきました。それは、残る人を考えない自分勝手な考えではないか。孫のK太がくれたラインの一言が胸に刺さりました。ババが1番良く分かっているから、やりたいようにやればいいよ。でも、お父さんやにゃおちゃんの気持ちも汲んであげて。でした。抗がん剤は、癌の進行を遅らせる効果があるけど、1つに慣れると効き目が薄れます。すると別の種類を使います。骨髄抑制という副作用が起きてくると使えなくなります。使えなくなった場合は、又は使わなかった場合は、すいぞう癌の殆どがあっという間に死に至ります。ピンピンコロリとまでは行かないけど、最後にあまり長患いの無い事が多い病気です。お誕生日を祝いに集まってくれた家族みんなに、言いました。抗がん剤は1クールしか受けないって、言いましたが・・身体が、抗がん剤を受けられる状態なら、そんな事を言わず治療を頑張ってみます。自分でもう止めたいと思った時は言うけど、その時は弱って手助けして貰わなければ、生活できないみじめな状態になると思うので、その時はみんなで助けて下さい。迷惑をかけるけど、ありがとうの感謝の心を持って助けて貰いたいと思っています。どうぞよろしくお願い。と、みんなに頭をさげました。このブログの前に、寝たきりの父の介護日記を楽天に書いていました。私自身がそういう時期に来たんだなぁ。主人の母や祖母を看取り、両親を看取り、外犬だった愛犬のダイスケと物置で寝て・・昨年主人を看取り、私の役目はほぼ終えているような感じです。今年、なぜか分からないけど、自分の念願の思いを1つづつ果たし始めた私。今まで、ナマで見たことのない歌舞伎、数年ぶりの来援の世界のサーカス(シルクドソレイユ)春に東京へ行きました。20年来のネットのお友達クマちゃんに会えたのも嬉しい久しぶり。クマちゃんとは、東京で、札幌で、旭川でと何度も会っています。そして、観たことが無かった宝塚、ずっと好きだったフィギュアスケートの公演。高橋大輔、宇野昌磨くん、世界一になったりくりゅうペア、ネイサンチェンと大好きなジェイソンブラウン。それを見に、夏、大阪に行きました。そしてそれは、もっと大きな目的があり。20年前から、愛犬ダイスケとワンコつながりでお友達だった弟子ちゃんに、初めて会う事。弟子ちゃんの愛犬ハピーちゃんが亡くなり、ダイスケの介護の時、あまったオムツをいたいてから、1度もあった事がないずっと友達。フェイスブックややブログで見る弟子ちゃんの今の愛犬「まあや」が可愛くて、抱きしめたい思いに駆られました。それらの念願を果たし、残っているのは今月の藤井フミヤのコンサート。チェッカーズのファンだったわけではありませんが、私はフミヤの声がとても好き。たまたま全国公演ツァーに旭川が入っているなんて・・・やった!今年5月にそれを知った私は、即申し込みし、ひたすら10月を待ってました。数日後なので、どうやら、私の体調は間に合いそう~。今日、サックスが趣味の息子のライブが12月にある事を知りました。聴きたくなりました。11月にも息子の所属するジャズグループのリサイタルがあり、当初は、それに出られないつもりでしたが・・・。さて、私の人生のプログラムはどうなっているのか、私にも分からないのです。
2023.10.19
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9月末、ポリープの除去のため2泊3日の予定で、入院しました。除去は無事済んだのですが、4泊5日の入院になり、とんでもない事が判明。ポリープ除去の前に、半月前ほどから食後に時々胃痛が起きている事を話しました。昔から、たまに起きていた胃痛は、かかりつけの友達の医師からお薬を貰っていました。(食べすぎると胸やけなど起こす私の母も、同じ薬を飲んでいました)主人の療養中に、また胃痛が起きる事が多くなり。「ストレス性の胃炎起こしたかな?胃の検査を消化器内科できちんと受けるように」と言われ。主人の主治医の先生に胃カメラで調べて貰いまして。胃炎を繰り返した痕(胃壁の萎縮)が見られる。ピロリ菌が悪さをしていそうだと、ピロリ菌の検査を。ピロリ菌いましたので、除去をしました。先生にピロリ菌除去をして貰って以来、1度も起こしていなかった食後の痛みがまた出だしている事。その話で、先生はおなかが空っぽのうちに、もう少し検査を加えましょう。と。肝臓や腎臓すい臓など造影剤を使った撮影など続きました。4泊5日の間、私が食べた病院食は3食だけ(苦笑)そして、本日細胞診の結果も出て、家族そろって説明を受けてきました。ずっと放ったらかしにしていた、ポリープは癌化していなかったのですが・・・。思いもかけない事に、すい臓と肝臓に癌が見つかりました。高齢者検診で、腹部MRIで腎臓と肝臓に嚢胞があると言われて。8月には、お尻から大腸カメラ、口からは胃カメラ、造影剤を使って肝臓やすい臓も調べていたのですが。あると知っていた、ポリープはゆっくり採ればいいやと思っていましたが。歯の治療が終わったのをきっかけに、ポリープ除去に入院したのですが。私の胃の痛みかたを聞いて先生が不審に思って検査を続けた結果、退院前に撮った私のおなかの写真は、見比べると素人目にも、8月の時とはとても違っていて。2か月も経ってないのに・・いったい、いつのまにこんなになってしまったのかと思うほど、すい臓だけでなく、肝臓全体に腫瘍が点々とできていました。急速に癌が発生し、広まったようです。すでにステージ4。抗がん剤は私自身、あまり使いたくない気持ちがありますが、あまりにも急激でこのままだと数か月持たない?(ちょっと信じられないけど、現実は厳しいかも)あまりに進行が速いので、一刻も早く抗がん剤を使ってみてはという先生の勧めと家族に従って、とりあえず1クールだけトライしてみます。最初の1週間は、副作用を見るために入院して。という事で金曜日入院します。パソコンでのブログ更新とりあえずしますが・・病院では、ロビーや談話室には、Wi-Fiがありますが病室にはありません。スマホに1ギガしか持たない私は、皆様への返信はできにくいです。治療が始まると体調も下がるし、しばらくご無沙汰するかもしれません。身体はかなりイカレてしまってますが、気持ちは元気ですので、どうぞご心配なく。
2023.10.06
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主人も私も、家を建てる時は、何十年も経って年老いた時の事、あまり考えていなかったんだなぁ。と思うこの頃。私と主人が結婚した時は、主人の親の古い家(正確には主人の祖母の家)に住んでいました。結婚後、住んでいたその2軒屋をつないで2度大改修、片方を主人のアトリエ代わりに使っている時代もありました。主人は専用のアトリエ建てたくて、以前に郊外(車で15分)小高い岡の上に土地を購入してあったのですが。そこはずっとご近所さんに畑として貸してました。やがて、住んでいた古い家は人に貸し、隣の敷地に家を新築するにあたり、アトリエを別に建てるのを止め、地下をアトリエにする事に。住宅部分の全部を地下室にして、水道や暖房をつけ、ボイラー室や車庫も入れました。(結果的に、郊外の別の土地に建物(アトリエ)がもう1つ増えてしまわなかった事が、今は良かったと思っています。)アトリエには、主人の仲間が一緒に制作に来ていた時期もあります。車で出かけるアトリエより、自宅のアトリエは、いつでも仕事に取り掛かれ、休憩や食事が簡単にでき便利でした。鉄筋コンクリートのアトリエの地下室は、天井は居間より高く取っている深さで、工事費もかかりました。主人の一生のライフワークだった、彫塑の制作活動を半世紀以上に渡って続けられ、恩師や仲間に支えられました。(自宅アトリエでの制作活動を望んだために、地方転勤がある管理職への昇進を最後まで断り続けた主人でした。)その後、私の父母を引き取り介護する時に、父母のために、トイレとミニキッチンを付けた部屋を建て増して。その建て増し部分も、また地下室が広がりました。とても面積の大きな家になってしまいました。子供たちが巣立ち、介護していた父母も亡くなり、主人と2人になってからは、住宅部分は無駄に広い感じになりました。でも、東日本震災で娘家族が被災した時は、その後3年間、娘と2人の孫たちが一緒に暮らす事が出来る広さが役に立ちました。主人が逝ってアトリエを使う人はいなくなると、特殊な作りの本当に広すぎる家です。でも、地下室は、娘家族の車のタイヤ、息子の車、孫たちの車、うちの車など、全部で6台分のタイヤの保管場所になっています。広さは、その時々に役に立ってきましたが、今後の事を考えると少し悩みます。玄関のドアキャッチャーが、数年前から調子が悪く、だましだまし何度か油圧の調整しながら使っていました。この春からは、どうにも調子が悪く、いよいよダメみたい。鍵も曲がった状態で入るので、防犯上も取り換える事にしましたが。家を建てた頃の様式のドアは今は無く、ドア周りから工事で、まる一日かかりました。家電の買い替えもそうだけど、大きな出費は、後何年これを使うのかしら?と、つい考えてしまいます。元気でこのうちに住み続けモトを取れる?いやいや無理(苦笑)今年は、十数年ぶりに受けた後期高齢者検診で、引っかかった項目再検査(大腸カメラ、肝臓造影)を総合病院で受けました。十数年前からあると分かっていた大腸ポリープ(自然に消えるわけもなく)ですが。しっかり存在を主張していて、医師に摘出を勧められ、今月末に摘出手術を受けます。摘出したポリープは、細胞検査に回されてその結果良性か悪性か分かると思います。建物も人間も、年数が経てば、老化や故障で修理箇所が出てくるのは、仕方ないんだけど。玄関は大修理しましたが。タイルが欠けてきているの(涙)必要な修理の見定めって・・難しい事です。暑さもあって、少し体力が落ち気味で、ここ1ヶ月程ゴルフから遠ざかっています。3日前、1か月ぶりのゴルフ。飛ばない当たらないなどで、105叩いてきました。久しぶりのゴルフは楽しかったけど、次の日筋肉痛(という事は、まだ筋肉少しはあるのね)🤣先日、畑のジャガイモの収穫をしてきました。最盛期は200kgの収穫があり、地下室に保存していて。息子と娘との3家族で春までに食べきれなかった事がありました。今回はささやかに20kgで終わりました。すぐ食べちゃいそうです。枝豆は2度収穫で食べきりました。トマトは、ややスピードは落ちましたが、まだ毎日食べられます。写真は前回載せたトマトと枝豆です。
2023.09.13
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北海道の中央、内陸の旭川は、毎年の事ですが、本州並みの暑さ(30℃越え)が7月下旬に10日くらい続くことがありました。8月も中旬を過ぎると、朝夕は寒く感じるほど秋風が吹くのがこれまでの夏。ところが、今年は、何と云う事でしょう。暑さの過去最高記録を日々更新し続けています。北海道の学校の夏休みは、本州より短く、その分冬の寒さが厳しくなる冬休みが長くなっています。しかし、歴史上最高の暑さが続いていて。夏休みが早く終わった北海道の小中学校、高校もですが、エアコンがない学校が多く、この暑さで午前授業で切り上げたりしています。冬の寒さが苦にならないよう、どの学校も教室を始め、体育館やトイレまで全館暖房がされ、昔から寒さに対する対策はバッチリ。逆に、夏の暑さはお盆が過ぎると涼しくなるので、あまり対策を取っていなかったのです。教室にエアコンが設置されている学校ってまだまだ少ない。(ここ数年、家庭ではエアコンをつけるところが多くなってきました)我が家も、昔、父母の部屋に、灯油暖房とは別に夏の為にエアコンを付けましたが・・父母が亡くなってからしばらく使う事もなく、使おうとした時に壊れていた感じで(笑)壁を塗装し直した時、外して捨てちゃった。エアコン無しが続いていましたが、3年前の猛暑でやっぱり必要だなって。今年は、本当にありがたいと思う日々が続きました。暑すぎてゴルフは休みましたが、朝の早い時間に畑もちょっとだけ行きました。少し夏バテ気味ながらなんとか過ごしています。
2023.08.31
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もう何年もずっと受けていなかった健康診断を今年の春、久しぶりに受けまして。どうせ受けるなら徹底的にと、オプションの検査を含めて十数項目受けたのが今年の春でした。大腸にポリープがあるのを分かっていて10年以上放ったらかしでした。腎臓と肝臓に嚢胞もあって、その撮影と、大腸カメラも一気に両方やりました。主人のすい臓がんをずっと診て下さっていたT先生にお願いしました。腎臓と肝臓の嚢胞は、多分大丈夫と思っていましたが、やはり特に心配する事もないようで。でも、大腸ポリープの方は、案の定、そのうち摘出しておいた方がいいだろうという事に。内視鏡手術ですが、一応2泊3日位の入院が必要になります。秋ごろには手術しようかなって思います。ところで、内視鏡室に入って、例の屈辱的な姿勢の時、後ろから話しかけてきた多分補助の、若い男性医師。優しい声で「もしかして、お孫さんはスキー部でしたか?」「え?はい、医大のスキー部でしたが」「そうですか、僕もスキー部でした」孫のK太は、今年卒業して、旭川医大に勤務していますが、在学中はずっと競技スキー(アルペン)をやっていました。この病院で検査を受ける事をK太には、以前ラインで伝えてましたが・・もしかしてスキー仲間の友達?先輩?なんて思ううち直ぐに検査が始まり、私は意識が遠のいてしまいました。実は、ポリープがある事が分かっていて、今までずっと検査を受けなかった理由。何度か受けた中で、ある年の検査で、カメラが途中までしか入らなくて激痛で苦しんだ事がありました。有名なベテランの先生で、1年目は少し苦痛はあったものの、ちゃんとできたのに。2年後、同じ先生に受けているのに、あまりに苦痛がひどく途中で止めるハメになったのが、トラウマに。今回は、カメラを入れて行くのは分かりましたが、後の記憶が無い。「終わりましたよ~」と、言われて「えっ!」と思いました。こんな楽なら、もっと早く受けるべきだった・・。それにしても、孫に自分のオシリは、あまり見せたくないもんだな。と、思った。ババのささやかな羞恥?検査に居合わせた医師が、あの子でなくて良かったなどと思いながら帰ってきました(笑)
2023.08.10
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7月末に大事な計画がありました。昔から、私はスケートのフィギュアを観るのが大好きでした。旭川では、ナマで観る機会はなかなかないのですが、以前、浅田真央ちゃんのツァーが来たことがありました。ちょうどその時、私の誕生日へのプレゼントとして、娘がチケットをプレゼントしてくれました。すぐそばの席で観て、ナマで観る真央ちゃんの迫力に感動したことがあります。今年春に、旅行会社から、大阪でのアイススケートショーと宝塚歌劇の組み合わせの案内が来まして。宝塚歌劇は良く知らないけど、スケートの出演者を観て、最高にシビレました。大好きな人ばかり。オリンピックのエキシビジョンみたいに豪華なメンバーが沢山。1泊2日の短期間で参加費用も安いし~。チケット取る苦労もないし~。いいチャンスかもと、ツアーの参加申し込みしました。朝、千歳空港を出発し伊丹空港に降り、午後の宝塚を観て、夜は大阪心斎橋に泊まる。翌日昼からのアイスショーを観て、夕方神戸空港から千歳空港を戻るという弾丸ツァーでした。このツァーに申し込んでから気付いたことが1つ。2日目のアイスショーへのホテル出発時間が、午前10時半で、朝の時間にたっぷりゆとりがある。もしかして、大阪枚方のお友達に会いに行けるかもしれない・・という期待が生まれました。ワンコつながりのお友達で、まだ1度も会ったことがありません。愛犬ダイスケが寝たきりになった頃、オムツを使った時期がありました。サイズに苦労していた頃、ワンコようのオムツを送って下さった友達です。(その少し前に亡くなったハピーちゃんの残したオムツでした)コロナ流行でマスク不足がひどかった時は、手作りのマスクを送って下さったり。お友達との行き来は、以来ずっと続いていて今、一緒に暮らすワンちゃんも赤ちゃんの時から育っていく様子を私は知っていて、自分のワンコのように可愛く思っています。そのお友達やワンコに会いたい。早朝に出かければ、アイスショーへの出発時間に間に合ってホテルに戻れるかも!と連絡を取り、会いに行く事にしました。そうなると、宝塚やアイスショーより、ワンちゃんに会う事が楽しみに~♪そして、実現しました。朝5時、泊まるホテルのある心斎橋駅からメトロで京阪急行の始発駅、淀屋橋へ。そこから京阪線始発に乗り、枚方市の樟葉駅へ。駅まで友達が迎えに来てくれてお宅へ。友達やそのお母さんに会い、ワンちゃんと1時間遊び、すぐとんぼ返りで心斎橋に戻りました。時間は短いけれど、夢のように楽しい時間を過ごしました。ワンちゃんに顔を舐められてもいいように、化粧品を付けず、ノーメイクのすっぴんシミシワそのままの梅干し婆さんです(いやーこういう時、マスクって便利)お顔ペロペロで歓迎してくれました。嬉しい~!旅行は、超忙しいスケジュールでしたが、初めて観た宝塚は、思っていたよりずっと素敵で。特に男役が素敵で、胸キュン初めての体験です。アイスショーは、思っていた通り素晴らしかった。昔からファンだった宇野昌磨君やジェイソンブラウン、高橋大輔、アイスダンスに転向してからのカナダイペア。昔から好きだった三原舞衣ちゃん、そしてオリンピックメダリストたち、ネイサンチェンや坂本花織、りくりゅうペアそのほかにも知っているスケーターが一杯で、見ごたえがありました。スタンディングオベーションで立ったり座ったり、最後は音楽に合わせてノリノリのライブみたいでした。この旅行は、1日目は朝5時発の旭川、帰着は翌日夜10時半の弾丸ツアーでしたが、中身の濃い素敵な旅行でした。出掛ける1ヶ月前くらいから、旅行前に体調を崩さないよう、怪我などしないようずっと緊張していました。特に、大阪は初めて行くところなので、1人で交通機関を乗り継いで行く事が少し不安で。地図を見ながら何度も頭の中でシュミレーションしました。無事に全行程を楽しく終える事が出来てほっとしています。弟子ちゃん、栗ちゃん、お世話になりました。ありがとう~!素敵な想い出が出来ました。これからはまあやんの写真を見るたびに、あのふわふわな手触りを思い出しますわ~~♪
2023.07.30
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ボチボチと家庭菜園やゴルフも少しやっているうち、7月も20日過ぎました。何をやるにも、手のろくなったせいか、1日がすぐ終わってしまう。年を取るのが早くなった感じ?(苦笑)先月の初に、「身体を徹底的に調べる」の日記に、即日の結果は全部オーケイだったと書きましたが・・。残りの検査結果が届きました。胃カメラは即日でオーケーだったのですが、大腸と肝臓は一応精密検査に引っかかったです。大腸は内視鏡、肝臓は造影検査を来月受ける事になりました。大腸は、かなり昔、ポリープがあるのを知っていて、経過監査を言い渡されていたのに、10年以上放っておいたので・・・。調べなくちゃならないだろうなと、今回はその覚悟で、検診を受けていたので、やっぱりね~という感じです。私のかかりつけの医師は内科で、今は個人病院をやっていて、そこから専門医を紹介して貰う事が良くあります。主人の介護中、胃の調子が悪くなった時も、相談しました。そして、主人の治療にあたっていた消化器専門への紹介で、主人の治療にあたっていた先生から胃カメラ検査を受けたことがありました。軽い胃炎で、ピロリ菌の除去をして以来、胃炎は起こしていません。なので、今回は大腸と肝臓の検査も、同じ先生のところで来月受ける事になっています。5年間放ったらかしだった歯の治療も通い始めています。ここしばらくは最高気温が30℃近くなり、北海道としては暑い日が続いています。それでも、夜は20℃位なので、エアコンのクーラーを入れる事も少ない。山の家庭菜園の雑草も元気で、4日連続で一気に草取りに通いました。全部取り切れず残すと、1週間ほどで、どこまで取ったのか分からない程、全体に雑草がまた繁ってしまう事が続いたので。畑に撒いたサヤインゲンや枝豆は、芽が出た途端に山鳩が食べてしまったらしく、残念ながらほんの少ししか出ていない。お隣の畑は、管理が良く見事に育って、インゲンなどは私の背丈より繁っていて~。全然食べきれないので、どうぞ食べて下さいと、山のようにいただきました。ご近所やゴルフ仲間など、お友達に配りまくりました。10日前、大学の同期の友人が北海道に帰省してきたのをきっかけに、札幌に近くの人たちが集まりました。36人いる仲間ですが、13人が集合。北海道各地に、全国各地に散らばっている36人の仲間、すでに亡くなった人6名、連絡先の不明な人数名。札幌へ集合した人は、13名。学生時代の思い出話にお腹を抱えて笑ったり、私のように連れ合いを亡くした人も多く、終活の話が多い中、まだ現役で、看護学校の時間講師をしている人もいて、楽しい話はつきませんでした。畑にゴルフに病院にと、1日に1つの事をゆっくりこなしながら、元気に過ごしています。今月は、もう1つ楽しみなおでかけを控え、体力維持に努めています。
2023.07.20
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家の裏にあるイチゴが全盛期を迎えまして・・2011年、たった1株を植えてみたのが、そのあたりに増えまくってます。東北震災後、実家の我が家に避難してきた孫が、近所のイチゴを見ていいなぁと言っているのをきっかけに、試しに植えた1株でした。勝手にツルが伸びて、伸びた先で根を下ろし株になるので、どんどん増えて。5月28日の日記に載せたイチゴの花です。肥料もやらず、手入れもせず、砂利や草の中にも伸びて放題、野生化しているので、小さい粒が多いけど、熟すと甘いの。このところ、数日おきに採っています。粒は小さいのばかりですが、完熟のサインは、イチゴのヘタの下が伸びている事。粒々のタネがめり込んで果肉が盛り上がっているようなのは、赤味が薄くても熟しているサインです。上の写真中央のイチゴのヘタの下が伸びて白い部分が見えています。ここまで伸びたら甘くて美味しいけど、完熟で柔らかいので、そっと触らないとすぐ潰れます。しかし、小さいうえに数が多いので、1つずつ見極めるのが面倒で、色が赤く見えたら適当にちぎってる私(笑)ざるに入れて洗いながらよりわけで、小さいのや色が薄かったものは、煮てしまいます。煮詰めるジャムは面倒なので、シロップ煮。水は一切入れなくても、煮始めたらすぐジャブジャブの汁になります。三温糖を少し足して煮ます。ジャムのように煮詰めないので、出来上がりはこんな感じです。これを牛乳に入れたり、ヨーグルトやアイスクリームに。甘いので、私は無糖ヨーグルトに入れて食べる事がおおいです。こんな感じ。粒の大きいイチゴはナマで食べますが、煮たイチゴは毎日のように食べています。12年前、「イチゴ、いいなぁ~」という孫の一言で植えたのですが・・・こんなに増えた今は、孫たちは果物アレルギーになり、生のイチゴが食べられなくなったのが残念です。毎日、いいお天気が続いて旭川もようやく日中の最高気温が30℃に近くなる日々です。が、夜は15~19℃、窓を開けると涼しいので、まだエアコンをつけるほどではありません。雑草が元気に育っている畑仕事は、昼間は熱中症を用心して、昼間は行かず、早朝だけ行くようにしなくちゃ。と言いつつ、ゴルフは、ちゃんと出かけるのです(苦笑)
2023.06.24
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私の主治医は、中学高校の同級生です。彼が医大にいた頃、ずっと難病の母(ベーチェット病)の主治医でした。その後、内科医長を止め開業しました。母はそのまま、医大で診療でしたが、私は行きやすくなった彼の医院がかかりつけになりました。体調に異変を感じると、まず彼のところに行って診て貰い、大きな検査や専門医受診が必要な場合、耳鼻科や消化器科や総合病院を紹介して貰うパターンです。私の母は、ずっと低血圧で、脳出血よりも脳梗塞を心配していましたが、母の死因が思いがけず脳内出血であった事など。母が通っていた老人体操教室で、亡くなった後から聞いた話では、時々、母にしては結構高い血圧の数値が時々出ていたらしい。(母が言わなかったので、私は母の血圧は低いままだと思っていた)彼は、私の体質がそんな母と似ている事も良く知っていて、お薬を使うようになっています。お肉や油ものがあまり好きではなかった母ですが、コレステロール値が高く。私も、若い頃から、全部正常値の血液検査なのに、コレステロール値だけ高めなのは体質的に似ていると。母のようにずっと低血圧だった私です(40代までは、測定時の私の最高血圧は100に届かない)ところが、60代半ばからは、私の血圧も時々上がる事があるのを知り、お薬を使うようになりました。半年ほど、自宅で朝夕血圧を測りながら使ってみたりして、今のお薬に落ち着いています。今も「時々、測れよ」と言われてますが、忘れてる事が多い(苦笑)気になる循環器系統は、こうして主治医に数か月おきに診て貰っています。が、しかしがん検診や他の検診は、ここ20年近く受けていませんでした。2011年に東日本大震災の時、半年で激やせした時、調べた腫瘍マーカー数値で、彼がペット検診(全身の癌検査)を指示して受けた事はありますが。それ以外、がん検診は受けたことが無かった。昨年、主人が亡くなって以来、ちゃんと検診を受けるべきだと思っていましたが、ようやく今年の高齢者検診をきっかけに受ける事に。通常の血液検査の他に、がん検診(肺がん、乳がん、子宮がん、胃がん(カメラ)大腸がん)と。この際なので実費はかかるけど、ついでに動脈硬化検査、腹部超音波、心電図、眼底検査、婦人科超音波、骨密度、などなど・・。半日かかって、全部で13項目の検査を受けてきました。結果通知は、即日通知が4項目。全部異常なし。気にしていた動脈硬化・骨密度は、即日通知で大丈夫でした。殆どの残り項目は、専門医の読影の後結果通知が来る予定。結果が来るまで、何とも言えないけど、検査はちゃんと受けたので、一応、義務は果たしたかな。最近は週に1回は、ホーム仲間(4人)とのお安い日の(2000円)ゴルフ。月に1度は、色々なコースのサービスデー(食事つき4500円位)を狙って行われる女子会(28名)コンペ。楽しんでいます。家の周りや、山の畑の草取り、公園や図書館に行ったり、時には街まで自転車ででかけたり。今日は、何の日と決めて動いていますが・・。疲れたら、昼からお風呂に入って昼寝をしたり(笑)年齢相当に、落ち気味の体力を維持しながら、マイペースの生活を楽しんでいます。畑の横の草が伸びてきて、取っても取っても次々育ちます。この雑草、私のようにたくましい?道路そばの雑草の中には、勿忘草(わすれなぐさ)が広がって、どんどん増えてます。アサツキやスギナより抜きやすいので、楽ですが、ちょっと可哀想で抜く前に写真を。
2023.06.10
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週に1~2回、安いゴルフを気の合う仲間と楽しみながら。ついでに、ちゃっかりと山菜採りもしてきます。ホームコースの山から採ってきたウド。酢味噌和えにしていただきます。下の写真の酢味噌和えが大好きだけど天ぷらやから揚げも美味しいのですよ~。タラの芽の天ぷらより、ウドを上げた方が香りが強くて好きです。軽く味付けして揚げてあります。我が家のアスパラガスも旬を迎えて美味しいです。何の手入れもしなく、放ったらかしの野生化したアスパラガスですが、甘くて美味しいです。毎日どんどん採れて、娘や息子の家にも届けています。アスパラガスも育つけど、家の周りの雑草も伸びてきて、草むしりも忙しい。裏のイチゴも花盛り。たった1株植えたイチゴが、10年経って家の裏一面に広がっています。亡き母が実家から持ってきた植えた小さなマルメロの樹が裏にあります。植えて4~5年経って、ようやく実がなり始めたのは、人の背丈位の大きさでした。マルメロは、のどあめに使われる「かりん」と同じような果物で、生食は無理だけど、とてもいい香りがして。母は、実がなると、家の玄関やトイレなど、芳香剤かわりに置いていました。10年経った頃から急に大きくなり始め、今では1回の屋根の高さ近くになりまして・・。隣に住む息子のうちの、屋外灯油タンクに覆いかぶさるので、私は剪定に必死です(苦笑)そのマルメロの花も満開。花が高いところに咲いているので、下から見上げてもあまりよく見えないのですが。ボイラー室の上の2階になるキッチンに立つと、正面の窓の高さは、花の咲いている高さと合っていて、望遠で写真を撮りました。丸っこくて可愛い花です。お花もいい香りがするはずなんですが、匂いを嗅ぐには、脚立に上らないと顔が届かない。図書館に本を借りに行く途中の、公園の芝生のあちこちに、「ひなぎく」が咲いています。芝が伸びてきているので、そろそろ芝が刈られそう。芝が刈られたら、このかわいいお花も刈られてなくなるのが少し残念。車で15分ほどのところにある家庭菜園ですが、先日、知り合いが耕運機で畑を耕してくれました。なので、さっそくタネイモを植えに行きました。写真は、タネイモを並べたところでこの間隔で植えこみます。ついでに、「枝豆」・「つる無しインゲン豆」も植えてきました。豆の芽が出てきたら、きっと近くの林から山鳩がきて食べられちゃいそうですが。あとは、昨年食べて美味しかったかぼちゃのタネを捨てずに取っておいたので、それを撒きます。草取りは時々必要ですが、後は水やりや支えの必要がなく、放ったらかしにしていても育つものばかりです(笑)たまにしか行けない畑なので、手間のかからない物ばかり。家の横の花壇には、トマトとピーマン、大葉だけ植えました。昨年の大葉は、私の肩の高さまで生い茂ったので、雪が降り、幹が枯れた頃スコップで掘り起こして捨てたので、今年新しい苗を植えました。パセリは昨年の株を抜かなかったら、そのまま生きていて、もうかなり大きくなっています。チョコチョコ採っては食べるそれらは、すぐそばの花壇が住みかです。トマトは、昨年もたった4本でしたが、脇芽を少し残して拡げたので、沢山実をつけ、毎日美味しく食べました。茄子は、昨年あまり良くできなかったので、(苗を買うより、安い市場でナスを買う方がお得かも)今年は止めました。トマトは、それを狙うカラスとの喧嘩になり、ネットを物干し竿から回した私の勝ちでしたが、洗濯物を干す場所が半分になってしまいました(苦笑)今年も豊作だといいな~。
2023.05.28
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急に気温が上がり、一気に春が進んできました。公園に散歩にいくのもさわやか。公園の桜が満開です。5月2日の写真です。公園の近くのお宅で、道路にしだれてくるような大きな木蓮のお宅のそばでしばし見とれます。この木蓮を観たくて、いつもの通り道を1本回り道。今年も綺麗に咲いていました。下が木蓮です。近くの教会には、辛夷(こぶし)の大きな木(キタコブシ)があります。結婚した頃の昔の古い我が家の裏には、大きなコブシや松の木が何本もありました。古い家を改築したり物置を作る時、それらの木を全部取り除いたのですが、木を切るのは心が痛むものです。教会の屋根を越えるコブシを見る度、この木は我が家にあった辛夷を同じくらいの樹齢だなと、思い出します。ムラサキつつじが咲いています。赤や黄色や白のつつじはもう少し後。レンギョウは、少し前から咲きだして今が盛り。黄色い色は、心がウキウキします。水仙も色々な種類が咲いています。そして、道端にはたんぽぽが一杯。我が家のチューリップも全開です。母が植えたチューリップですが、手入れもせず放って置いたら、白と赤だけになりました。斑入りや黄色もあったんだけど~~(;´▽`A``近所の保育園のこいのぼり。最近あまり見かけなくなってきたので、見ると嬉しい気がします。少し風があって、綺麗に泳いでいました。
2023.05.03
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今年は雪が少なく、3月の気温も高く、春が早く訪れています。旭川はゴールデンウィークを過ぎてから、桜が咲くことが多く、ゴールデンウィークにお花見が間に合わない事が多い。でも、この分だと4月中に咲きそうです。嬉しいな。殆どのゴルフ場がオープンするのが4月20日頃ですが、山にあるホームコースのゴルフ場は、それよりかなり遅れます。が、今年は、例年になく早いそうです。実は、1か所だけとても早くオープンするゴルフ場があります。まだ平地が雪に覆われている3月の中頃からせっせとコースの除雪をし、融雪剤を撒いています。平地にあるそのCカントリーだけは、他のゴルフ場より1か月以上早くオープンします。積雪があって、他のゴルフ場がまだ開いていない間は、待ちかねていたゴルファーで賑わいます。(ビジターも押し寄せるその時期は、ここの稼ぎ時?)昨日、ここのメンバーさんに誘われて初ラウンドに行ってきました。向かい側の山の斜面には雪が残っていますし、松の緑以外の木々の枝は、まだ新芽もでていない枯れ木に見えますが。先月末に雪を溶かしてしまった地面は、芝が生えてき始め、かなり緑になっていました。実は、私。このお誘いが来て、慌てて数日前に、練習場に行き30分ほど打ってきました。ずっとクラブを握っていなくて、いきなりスィング練習をしたら、体がびっくりするだろう。そう思って、30分だけにして、600円打ち放題にしたんだけど。当たりやすい小さいクラブから始めたけど、全然当たらないまま。納得できないまま振っているうち、30分経っちゃった。(多分120球位打った?)ドライバーやウッドは打てずにアイアンだけで終わりました。これ以上やったら、きっとヤバイなと思った通り、その晩はふくらはぎが吊り。翌日は背中も腰も腕も筋肉痛でした。そんな状態でしたが、一緒に回るのは気心の知れたお友達。レデイスティの少し前にあるピンクティ(おばあさんティ)から打たせて貰いました。結果は、53・48=101 と、やはりの100叩き(笑)ちゃんと当たらずミスばかり、クラブを数本持って小走りするラウンドでした。でも、半年ぶりのゴルフ、とても楽しかったです。今年の春の味覚も、ふきのとうから始まりました。2週間前、雪が融けているところから採ってきたふきのとう。いくつかてんぷらにしました。主人がいたら、春1番の酒の肴なんですが。沢山は食べられないので、残りは刻んでフキノトウの油味噌に。我が家の小さな庭も数日前にすっかり雪が融けた途端に、行者ニンニクが芽を出してきました。あと2週間もすれば食べられる大きさになります。4月11日、今日の写真です。うちのチューリップは出てきたばかりで、つぼみもまだ見えないけど、クロッカスが1株咲きました。今月中には、旭川も桜が咲きそうな予想なので、それから後は、一気に色々な花が咲きそうです。楽しみ~~♪
2023.04.11
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3月は旅立ちの春です。私の4人いる1番小さな孫(タケちゃん)は、小学校を卒業して、中学生ですが・・。1番大きな孫(K太)が、とうとう社会人になりました。先日、国家試験にも受かり、医師として出発することになりました。この日を心待ちにしていながら、それを待たずに、主人が昨年逝ってしまった事が残念です。大学の卒業式の様子がライブ配信されたので、自宅のテレビに映しながら主人の遺影と2人で見ました。一緒に見たかった。どんなに喜んだでしょう。嬉しくてお酒が進んだでしょう。自宅でテレビを見ながら画面を写したものなので、テレビの上の居間の壁も写っています。下は少しアップに切り取りました。K太は、私の亡き父の初めてのひ孫で、大のお気入りでした。父が療養中、2度目の脳梗塞発作で体が不自由になる前、隣に住んでいて、4歳だったK太は、遊びに来ては、寝ている父によくいたずらをしかけていました。ベッドに寝ている父の足を、蒲団の裾から手を入れてくすぐったり。「オイ誰だ?こりゃ~!K太だな?止めてくれ~(笑)」と、もだえる父。父が歩けた頃の夕食時は、小さな手で目の見えない父の手を引いて、居間のソファへと連れてくる事が良くありました。あれこれ思い出されて・・。主人の他に、父と母の遺影にも報告しながら、胸がいっぱいになりました。時が経つのは早いものですね。K太は、就職を機に、親元を離れ、引っ越して行きましたが、市内なので実家に来た時は、時々会えそうです。彼の車のタイヤも、うちの地下室に保管してるし~~。頻繁に会えなくなるのは少し寂しいけど、素敵な人生を歩んで行ってほしいと、心から応援しています。実は、主人が亡くなってから、今までにない大きな悲しみを感じたのは、その合格発表の日でした。生きていたら、うれし涙を2人で流し、夜遅くまで眠れずに2人で喜びに浸りつつ、お酒を飲んだだろうなぁ。その日、何度も遺影に話しかけ、応えてはくれない主人に、共に喜ぶ事のできない寂しさを痛感しました。とても大きな喜びと、逆に強い寂しさを同時に味わった日でした。ところで、最近の私は、年齢相応に体力は低下しつつも、まずまず健康を保っているおかげで、1人の暮らしに慣れてきました。私は、高校へは汽車通学で、親元から通いました。そして、大学は親元を離れましたが、病院に併設されている門限の厳しい全寮制でした。卒業まで4~6人の相部屋で過ごしました。卒業後は、勤め先へ実家から通勤。結婚するまで実家の両親と暮らしていた私は、結婚と同時に主人の実家に入りました。主人の4人の兄や姉たちは、それぞれ結婚や就職で巣立って行き、実家には母と祖母、末っ子の主人が残っていました。高齢の祖母は元気でしたが、母親は、後で癌が判明入院する事になりました。当時、結婚する女性が、相手の条件に上げる3つの大事な事と言うのが「家付き!カー付き!ババ無し!」と言われてました(笑)昭和40年代の初め、まだ車は少なく、道路も舗装が少なく砂利道が多かった頃です。主人は、私に「オレは、家付き、カー無し、おまけにババ2人付きだが、いいかな?」って、冗談めかして笑いながら言いましたが、それがプロポーズらしき言葉(笑)(結婚した数か月後、私達は2人とも車の免許が無いのに、安くボロな中古車を買ってしまい、それから慌てて、2人で夜間の自動車学校で免許を取り、無事カー付きになりましたが)結婚してからは、主人の家族がいて、子供たちがいて、子供達2人が育って行ってから間もなく、実家の両親を引き取り、両親との暮らしや介護が始まりましt。夫婦2人だけで暮ら始めた頃、今度は、東北大震災で娘と孫たちと猫を急いで避難させました。親子離れ離れで、父親が合流るまで3の年同は。本当に可哀想でした。そんあんこんなで、私は、この年になるまで1人暮らしをしたことがありませんでした。主人が亡くなって、初めて1人暮らしを体験する事になりました。実は、寝起きの悪い私は、本当は目が覚めてもベッドでグズグズしていたい方です。結婚後もフルタイムで働きながら子育て、子供が巣立ってから、親の介護で退職しましたが。カレンダーを見ながら、時計を見ながら、時間に追われる事が多い生活でした。最近は、ゆっくり起きたら、朝のコーヒーを主人に供えて、朝ごはんも作らず新聞を読む。時には、朝からお風呂に入り、残り湯で洗濯しながら、テレビや新聞や読書。昼に近づいて、ようやく朝食兼昼食。予定のない日は、本当にのんびりしています。昔、何でも仕事が手早い(その代わり雑だけど)と言われた私は、時間を気にしなくなり、メッチャ手のろくなりました(笑)毎日、何か1つをやろうと決めてはいるのですが。昨日は、剪定したヒバの枝をまとめて、物置に入れるついでに物置の片付け。今日は、名残り雪のちらつくなか(途中吹雪いてびっくり)を、酒造会社の名水を汲みに(15本×4リットル)行きました。明日は、図書館に予約していた本を受け取りにいきます。ぐうたら過ごした冬ですが、主人がいた頃の冬は、シーズンに備えるための、ゴルフ練習期間でした。週に2~3回は、氷点下の屋外打ちっぱなしに一緒に通っていたのに、昨年の冬はそれどころではなく。今年の冬は、主人がいないので、その気もなくて、納戸にしまったゴルフバッグに触れる事もありませんでした。今のところ、今年の私は、ゴルフや山菜採り、少しの畑などを楽しめそうです。春も近いし、そろそろ練習にも行ってみようかな?そういえば、練習場のチケットを使わないまま、まだ一杯残っているし。でも、行ったら思うように打てないと、ついムキになってしまいそう。そして、きっと数日間は筋肉痛に悩むのでしょうね。(苦笑)
2023.03.27
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短い期間でしたが、久しぶりに旅行に行っていました。以前は、冬になると主人と2人で、毎年のように小さな旅行をしていました。殆どがゴルフが多かったのですが、主人が腰の手術をして間もなかった3年前、ゴルフ無しで沖縄の石垣島に行く予定でしたが。コロナの流行が始まりキャンセルしたまま。そのうち、体調を崩した主人に「すい臓がん」が発覚。闘病しながら、近くの温泉へ1泊など楽しみましたが。昨年2月に主人が逝ってからは、旅行とは縁が切れた気持ちでした。今年の初めに、ある旅行の案内を見て行ってみたいと思いました。かねてから見たいと思っていた、シルク・ド・ソレイユと歌舞伎のチケットのついた案内で。歌舞伎は、ナマで観た事がなくて、主人と、「いつかは観たいね」といいつつ、行く機会のなかったもの。世界的なサーカスのシルク・ド・ソレイユは、5年ぶりの日本上演です。費用は、チケット代と飛行機代が主なので、1人参加でも、旅行代金は割安でした。旅行には、宿泊費やクーポンが出て安くなる特典(ワクチン3回接種)がありますが、特典を受けず参加もいいそうで。特典を受けなくても1泊なので料金もそう違わず、3回目からの接種を止めている私にいいツァーでした。1日目にシルク・ド・ソレイユを観て、歌舞伎座近くの銀座のホテルに宿泊(食事なし)翌日は朝食付き。歌舞伎座ではお食事処で昼食。その日に北海道へ帰るタイトな日程でしたが、私には必要最小限の最適日程でした。シルク・ド・ソレイユは、テレビで外国公演の様子を見たことがありますが、想像していた通り素敵でした。過去に落下事故で団員が亡くなる事故が2度も報じられた事があり、美しく華麗に舞うワイヤーでの演技にもやはりドキドキ。上演中は撮影禁止。フィナーレのみ可です。空中ブランコの途中で、手が届かず演技者が落下した時は、観客から悲鳴が上がりましたが、大丈夫でした。下にネットがありました。(とはいえ、失敗して落ちるのはとても珍しい事のようです)ホテルに戻ってから、今回の1番の楽しみだったお友達との再会。ネットを始めた頃の友人、クマちゃんと一緒に夕食。クマちゃんとは東京駅、銀の鈴下で(笑)主人も一緒に会ったのが最初かな。それから札幌に出張に来た時、旭川に来た時に会っているので、これで4回目(*^-^)ニコ私はすっかりおばあちゃんになったけど、クマちゃんは最初にあった頃とちっとも変っていない!予約してくれていたイタリアンレストラン、とても素敵でした。まず、前菜が美しくてびっくり。そして美味しいのにびっくり!写真は2人前です。パンもとても美味しかったけど、「まだ前菜だから、あまり食べちゃダメ」って、止められた。(笑)大きなピザが出て、その香りが良くて、バジルやオリーブにつられて食べすぎ。少し辛みのあるオイル付けたら、美味しさアップして更に食べちゃいました。からすみのペペロンチーノパスタの頃にはもうおなか一杯。なのに、なんと、その後にメインのマグロが出てきた。本マグロのタリアータって言うらしい。これが又、美味しいの何のって~~!本マグロの中トロをさっとあぶった感じで、もう食べられないと思っていたのに、あまりの美味しさに全部食べちゃった。デザートは、2人とも食べる力が無く(笑)、コーヒーで。何年ぶりにこんなに一杯食べたでしょう。美味しくて楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。仕事帰りにホテルまで迎えに来てくれたクマちゃんありがとう。レストランから帰りは1人で帰れるという私を心配して、翌日も仕事があるのに送ってくれました。それが正解だったと思う。翌朝、歌舞伎開演(10:30)まで時間があったので、ホテル玄関前からガイドに連れられて一緒に歌舞伎座へ歩いて行くのではなく、私は直接歌舞伎座に行く事にしました。チェックアウトして、銀座を歩きながら、あちこち散策を楽しみました。都会のビルの中にも、小さな庭くらいに色々木が植えられているんだなぁと感心しながら歩いていました。そろそろ東銀座駅そばの歌舞伎座周辺へ戻っておこうとしたのに。道路にある表示を見ると、もう戻っていいはずが戻ってない?で、スマホのナビを使う事に。それでも、戻っているはずが、気づくと有楽町のガード下にきていました。これはこれで下町の素敵な風景だけど、戻りたいところと違うし。スマホナビを初めて使う自分がシンジラレナイ!迷ってるし~。まだ時間はあるけど、歌舞伎座の下の木挽町で買い物もしたいし・・。と、そこに走っているタクシーに乗っちゃいました。「歌舞伎座までお願いします~!」本当に情けないわぁ。見覚えのある三越や和光堂を見ながらすぐ着きました。初めて見た歌舞伎はとても素晴らしかったです。座席も12列目の真ん中で良く見えました。花の御所始末(はなのごしょしまつ)シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」に着想を得て、“悪の華”を描いた異色作!出演者は、幸四郎芝翫愛之助坂東亀蔵亀鶴宗之助廣太郎染五郎橘太郎錦吾由次郎高麗蔵権十郎雀右衛門という、そうそうたるメンバーでした。が、白塗りのメイクなので、テレビで観る馴染みのお顔のように直ぐは分からず、配役名を見て・・。この人が愛之助さんね。オペラグラスで表情を見てそういえばそうだ~。と。(笑)とても楽しみました。こうして素敵な2日間を楽しんできました。
2023.03.15
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3月になっちゃいました。先月の後半にはブログ更新しようと思っていましたが、携帯が不調で、そろそろ買い替えのほうがいいかな?と思ったり。実は、ガラケーから初めてのスマホにする時、いきなりスマホを操作するのが不安で、買う前に、安~いタブレットを買って、スマホの練習したのがアンドロイドでした。なので、買ったのもアンドロイドでした。そうして買ったスマホは、何度か充電部分に故障が出て、メーカー修理に2度出して、ついにフル交換した経緯があり、そこからすでに2年経ちますが、また似た状態。今になると、本当はiPhoneの方がいいなと思ったり。結局は、今まで使っていた機種の後継機が保証料金で手に入るようになり、新機種を買いませんでした。後継機なので、あまり信用してないこの機種ですが、しばらく使ってみて不調が来るときは、本気で買い替えます。そんな事で、先月後半はスマホに振り回されてました(苦笑)電話帳や写真はmicroSDカードに保存してた筈なのですが、覗いてみても写真はあるけど、電話帳のファイルがどれか分からない。今回、電話帳の移動だけは無料でしてくれるというので、それだけドコモに頼みました。が、新しいスマホで色々捜査しているうち、開けてみた電話帳には、最近入れた分が入っていなくて古い名簿のままが入っている事に気付きました。参った~😭元のスマホと並べて付き合わせながら修正。(SDカードよりクラウドの方が良かったみたい)そして、取り敢えず、必要なアプリのダウンロードやログインも無事すませ、古い機種返却しました。(10日以内に返却しないと4万円請求来るってんで)後継機なので慣れた機種のはずですが、微妙にあちこち違い、戸惑いながらやっと慣れたところです。アナログな私は、本当にデジタルが苦手。これからのデジタル社会に適応していけるのだろうか・・不安。今日、ひな祭りなので、ケーキじゃなくてケーキ型の押しずしを作りました。お嫁ちゃんとアオちゃん家族に。そして娘とマオちゃん家族に。(但し、マオちゃんはオーストラリアに行っていますので、ラインで写真だけ)図書館に本を借りに行った時、数日前の公園の中の冬景色です。まだまだ雪は深いです。公園の中に雪のパークゴルフのコースが出来ていて、昨年とその前の年は、寄る余裕もなかったのですが、先日寄ってみました。こんな風に、公園の中に9ホールのコース(無料)が出来ていて、管理はボランティアの人たちがやっています。道具も無料で貸し出し。本当のパークゴルフは、ボールがどこへ飛んで行くか分からないけど、雪を掘り下げてコースになっているので、ほぼまっすぐに転がっていくOBもありません(笑)グラウンドに設置してあり、除雪も大変で、コースも短く、9ホールを2イーグルと、7バーディであっけなく回ってきました。ゴルフならプロでも出ない凄いスコアですわ(笑)ただ歩くよりはいい運動ですが、雪が融けてきてるのでそろそろ終わりなんだそうです。
2023.03.03
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先週は気温がかなり下がっていたので、アイスキャンドルを作ってみました。バケツに水を入れて一晩放置。翌日バケツをひっくり返すと、縁だけのこって水が出て氷の器が出来ます。ろうそくを入れてアイスキャンドルの出来上がり。毎日2個ずつできて8個。玄関の階段に飾りました。今日は主人の命日。1回忌を子供と孫たちで、ささやかに行いました。アイスキャンドルは、主人の命日に合わせて作ったのです。まるでお盆の迎え火みたいでしょ?主人のお友達や知り合いからもお花が届いて、小さな仏壇は花に埋もれました。近くに住む妹夫婦や近しいいとこなども来てくれて。遠くに住む甥や姪からお菓子や大好きだったお酒が色々届きました。お酒好きな主人を偲んで、やはりお酒好きな家族は、さっそく次々空けて大宴会(*^-^)ニコ残念ながら孫2人は不在。マオちゃんは、ニュージーランドに先月から留学中で、来月には帰ってきます。K太は札幌で試験がある為に、数日間出掛けています。お昼から夕方まで賑やかに過ごし、主人のエピソードで大笑いする話が続きました。夜になって、残った娘家族と息子家族で麻雀大会へ。何と1番勝ったのは小学生のタケちゃんでした(笑)恐るべし~みんなで賑やかに過ごして、きっと主人も喜んでいると思います。
2023.02.04
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1月は降雪量の多い季節。各地の豪雪ニュースを聞きますが、旭川は、それほどではないようです。日本全体を見ても、日本海側の新潟などは雪が多く、太平洋岸の関東が雪が少なく北海道も同じです。小樽や、ニセコなどスキー場のあるくっちゃん(倶知安)は100cmを越えていますが、旭川は今のところまだ37cm。それでも、降るたびに家の周りの除雪などが必要です。我が家の屋根は、勾配が無い平らな屋根で、落雪せず一冬中屋根に雪を載せたままでも大丈夫な無落雪建築です。それでもあまりに雪が多い時は、何トンもの雪の重みで家が傷まないよう、落とす年があるのですが。実家の父母の介護で両親を家に引き取った時、父母の住む部分を増設しました。そこだけは、ほんの少し緩い傾斜を付けて雪や雨が落ちるようにしました。普段は、屋根の上に雪が載っていますが、その部分だけは、気温が上がるとたまった雪が、まとまって落ちる事が時々あります。どっさりと落ちるのは、一冬に3回くらいかな?そこは、道路を通らず、隣の息子の家と行き来する敷地の通路になっているので、家族以外に新聞配達員などが近道に通ります。屋根の雪が落ちそうになってヤバイ時は、通れないように紐を張って注意書きをぶら下げたりしてます。先日、気温が上がり、今シーズン2回目の落雪がありました。夕方になって気温も下がり始め、今日はもう落ちないな~と思っていたら、ドタドタと落ち始めました。勾配が緩いので、軒先が落ちたら、ゆっくりと上から滑り始めます。少しでも気温が高いうちに、途中で止まらずに全部落ちてほしいなと、下から見ていると。順調に落ちてきて、全部落ち切ったようです。細い通路なので、落ちた雪は私の背の高さまで積み上がっています。高いところから落ちてくる圧力がかかり、雪と言えども下の方は岩のように締まっています。鋭い剣先スコップで、壊しながらその塊を融雪槽に運搬。後日に置くほど、雪が固く締まってきて、岩石化するので、一気に片付けたかったけど・・夕方から始めたために、融雪槽が融かす能力と、私が運搬する能力(笑)を考えて、半分明日に残すことに。夜7時過ぎに止めました。翌日、午前中で全部片付いて、綺麗に終了。すっきりしました。私の運動不足も解消。で~~、昼からお風呂に入り、ケーキ食べてしまった(笑)これからもドカ雪にならず、ちびちび降ってほしいものです。気温はまだまだ低いけれど、日足が伸びてきています。昼間の暖かい日差しが居間に差し込む時間が日に日に長くなり、春に近づいているのが楽しみです。
2023.01.14
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今年は、私にとって、人生に何度かある大きな転機の年になりました。主人が逝って、55年の結婚生活が終わりました。昨年のお正月は、子供や孫たちと、元気にお正月を迎えた主人でした。毎日の晩酌も、お正月には楽しくてヒートアップでした。ところが、「なんか、オシッコの色が黄色いみたいだ。ちょっと呑みすぎたかな~」と、苦笑しながらかかりつけの病院に行ったお正月明けの主人。総合病院での精密検査が必要と診断されてから、即入院。その時の状況は、下をクリックすると別ページで開きます。2月13日(しばらくぶりのお知らせ)にあります。実は、この日のブログには書きませんでしたが、私と息子が札幌に行った時、北大病院の医師に尋ね、余命告知を受けました。すい臓がんは肝臓への転移が見られ、このまま何もせず癌が進行すれば、余命3ヶ月と。信じがたい事でしたが、この後は、以降のブログにある通りの経過です。そして、主人の今年のお正月の年賀状は、昔の版画を使っていつもと変わらず出しましたが・・。主人には最後の年賀状となり、その2か月後逝きました。今年は残念ながら、喪中のお知らせを、私が出す事になりました。主人のいない生活が10か月も続いているけれど、まだ本当の実感が湧いていません。子供や孫たちが、相変わらず毎日のようにうちに来てくれるので、寂しさも紛れます。向かいのマンションに住む小学生の孫は、うちの2階のお部屋がお気に入りで、毎晩泊まりにきて、ここ1年はすっかり彼の寝室になっています。クリスマスには、娘のところで賑やかに夕食を撮りました。婿殿は、大きな北寄貝(ホッキガイ)2個を私にプレゼント。貝を刺身に裁くのは私。マオちゃんはクッキーを焼いてくれました。実は、数日前、マオちゃんに「おじいちゃんの好きな花はなんだったの?色は?」と訊かれて「シャクナゲのピンクの花」と、答えましたが。「シャクナゲのお花が売っていないので、同じピンクのお花をプレゼントする」そういって、仏壇に供えてくれたのは、見事に大きなピンクのカーネーション1輪でした。亡くなってもクリスマスプレゼントを貰った主人です。隣の息子たちからは「これが1番かな?」て、届いたのが「いくらの塩漬け」大好物です。私の事、良く分かってるし~~(*^-^)ニコアオちゃんが、手造りのピザ2種類を切ってお皿に載せて届きました。実は、その昼間、「牛乳が足りなくなっちゃったの!カップ1杯ちょうだい~!!」ってアオちゃんがうちに飛び込んできたのですが、これ作っていたんだね(笑)とっても、美味しくてお店のピザのように美味しかったです。娘宅でのクリスマスチキンは娘が焼きました。とっても上手に焼けて、皮目が美味しくて奪い合い(笑)生きていたホッキ貝は、活ほっき刺身へ。娘は中学生の時から、お菓子作りが好きで良く作っていました。フルタイムで働いていた私が、帰宅するとオーブンからいつも漂うお菓子の香り。「お願いだから、お菓子じゃなくて、夕飯を作ってくれ~~」と叫んだものです(笑)その娘の弟子となりつつあるマオちゃん手作りのクリスマスケーキとてもかっこよくて美味しかったです。私は、たこ焼きが食べたくて、タコ焼き機と具材を持って行きました。我が家には、鍋とグリルとたこ焼きの卓上の3点セットの器具があるけど、鍋と焼肉グリルしか使ったことが無い。たこ焼きは使った事が無くて、作った事もない。(主人がお好み焼きやたこ焼きを食べない人でした)普段は、見たこともない、クックパッドを真剣に見ましたよ~~私(笑)山芋をせっせとすりおろし、干しエビをすり鉢で擦り、だし汁と小麦粉と卵と混ぜて・・。こんな濃度でいいのかしら?キャベツは千切りだと思ってたら、みじん切りだったの?途中からいい加減になっちゃいましたが、見た目は悪いものの、ふわふわに焼けたたこ焼きはとても美味しかったです。毎年、大みそかの夜には、息子家族や娘家族が三々五々集まり、食事をしたり年越しそばを一緒に食べていました。今年も一緒にお蕎麦食べようねと子供たちが言います。主人がいないのは寂しいけれど、いつもと変わらずみんなで年越しをする事を喜んでくれると思います。多分仏壇に献杯をする前に、きっと真っ先にテーブルの席について吞んでいる主人がいそうです。皆様もどうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
2022.12.26
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高齢者運転による事故を聞くたびに、自分の胸が騒ぎ痛む。自分が責められているような気がする私は高齢者。20代からの運転歴は60年以上、リタイア後、距離は減ったけど、それでも地球を10周してるかもしれない。今も、なにかと車を使う事が多い私。ここ数年は、年齢を考えて、夜間や冬の凍結路面などの運転は、なるべく控えてました。(ただ、昨年は、週に2~3回、主人の病院への定期的な送り迎えや、体調を崩して夜に病院へ行ったりなど、雪道の運転もかなり多くなりました。)10月に、運転免許更新がありました。ここ10年以上私はゴールド免許です。免許の有効期限は、通常は3年(ブルー)ですが、5年間無事故無違反で過ごすと、5年間有効のゴールド免許になります。でも、70代に入るとゴールドでも、更新期間は3年になってしまい、あっという間に更新時期が来ます。高齢者の運転免許更新は高齢者講習を受けたり、認知機能検査を受けたり、実際にコースで車を運転し技能検査されたり、更新は結構大変です。高齢者の免許更新期間が短くなってくるのは、色々な身体機能が衰えてくるので、やむを得ない事だとは思いますが。ゴールド免許の場合は、講習時間が短かくて、更新時の諸費用も安い事。そして、車の任意保険(退陣・対物)の掛け金が安くなる事などが、少しメリットでした。免許更新の際の認知機能検査は、そう難しいものではありません。時計の図を描かされたり、何枚かの絵を見せられて、後になって絵にあったものを応えるなどの記憶力検査。実はネットで試験問題を練習もできるんです。(沢山ある中でどれが出るかは分かりませんが)先日の免許更新時講習の認知機能検査は、難無く終了合格。認知機能検査合格通知を貰って、その後日に、高齢者更新時講習の予約。これが混んでいて予約がなかなか取れない事が多くありますが、今回は1か月後に取れました。この講習は、講義のほかに詳しい目の検査、そして教習所の車を運転させられながら、助手席の教官のチェックを受けます。視力検査ですが、普通の視力(静止)、動体視力、夜間視力、視野の広さなど検査します。私の裸眼視力は、1.2あり、視野も平均以上に広く、標準以上でした。ですが、動体視力(動きのある小さなものを見る視力)と、2種類の夜間視力、眩しい光源を見た後、「暗闇の中での視力の回復する時間」眩しい光を受けながら暗闇で見える視力「眩光下(げんこうか)視力」それは、低下気味。年齢と共に下がってくるものだと知っていましたが、やはりです。夜間の見え方は、以前よりだいぶ落ちている感じがしていたのは正解でした。昼間は普通の人以上に見えていても、夜間は普通の人以下。やはり夜間の運転は、特に控えた方がいい事が良く分かります。実際に車を運転してコースを回る講習は、教官に誉められました。「大変お上手です。もしかして、車を運転するお仕事をなさっていましたか?」と。ちょっと嬉しかったですね。(後記しますが、これがマズかったかも)そして、めでたく3度目のゴールド免許証を10月にいただいてきたのですが。ゴールドでも有効期間は3年しかない年齢で、果たして次の更新時、私は運転しているのだろうか?3年後に、私の生活は車無しになっているのだろうか?ゴルフや山の畑(菜園)は、できなくなるのかなぁ。ほぼ、毎日のように車を使いながら、そんな事を思った今年の免許更新でした。ところが、免許更新が済んだ10月の最後の日、輝かしい?私のゴールド免許が次回に剥奪される事件が起きました(涙)10月31日(月)は、ホームの女性仲間と定例のゴルフ日でした。(月曜サービスデーは、色々な割引を複数使え、ラウンド料が1900円なので、毎週その日は定例で集まる)朝、車庫から出そうとした時、バックモニターが写らないのに気づきました。でも、時間が迫っていたので、そのままゴルフ場へ。ゴルフ場の駐車場にバックで停めようとした時、やはりバックモニターが写ってない。ナビや音楽は普通に入るのに、なぜ??バックに入れると、後方の映像が映らず、「目視で後方を確認して下さい」と文字が出てるし!私は、どこかヘンなところを触ってしまったのだろうか・・不安。いったい、どうしたんだろう?あちこちタッチしましたが直らない。時間も迫っているので、後でもう一度見て見なくちゃと、とりあえず諦めて。(でも、ラウンド中は、そんな事、すっかり忘れてましたが)(笑)帰宅するために車のエンジンをかけて、バックしようとしてモニターを見て~!「あっ、バックモニターが写らないんだった!うちに帰ったら調べないと」「この車のナビモニター説明書は、確か、リビングの主人の引き出しにあったはず」そんな事を思いながらゴルフ場を出ました。走りながら頭の中の独り言。「モニターが写らなくなったのは、いつからだろう?」「いつ、この車使ったっけ?その時モニターはどうだった?」「土日に畑の片付けに行った時は、軽自動車に乗って行って、この車使ってないし・・」「いつかどこか、変なとこを触ったんだろうか・・」そんな事を考えながら走っていて、気づきました。そういえば、3日前(金曜日)に、この車は、車検を受けました。3日前の金曜日に、車検に出すため、私が運転して工場に持って行った当日の朝、バックモニターは、正常に動作していた!車検が終わって受け取った後は、バックする事なく走りだして、帰宅後は、そのまま車庫に頭から入れたんだ。車検前は、正常だったのだから、車検が原因かもしれない。としたら、工場に持って行って、調べて貰わなくちゃ!そう決心して、自宅に戻らず、まっすぐ工場に向かう事に決めました。そんな事を考えながら走っているうち、うかつな走り方をしてしまいました。ある場所で、スピード違反取締りのオービスに、撮影されてしまってた事を、11月中旬、警察からきたハガキの出頭通知書で知りました。そこは、いつも通る道で、時々隠れてオービス撮影している事は、良く知っていて、普段でもスピードはしっかり落とすんですが・・。この日は、別の事に気を取られていて、落としたりなかったようです。その日も、制限速度が変るそこは、いつもの習慣で、一応は少しスピードを落としてはいたと思うので、速度オーバーが20km以内だといいがと思いながら、ハガキを持って警察署へ出頭。なんと31.2kmオーバーでした(号泣)調書を取られ、後日検察庁に出頭し、刑事処分を受ける事になりました。交通違反の反則金と罰金の違い。引用です。「(青切符の)反則金との違いは、反則金が行政処分とされ前科が付かないのに対し、(赤切符の)罰金の場合は刑事処分になり、前科が付きます。スピード違反における処分として、反則金と罰金のどちらの処分を受けるのかの別れ目になるのは、超過速度が一般道路で30km以上、高速道路で40km以上かどうかになります。」人生も終わりに近づいて、私は前科者になりました。刑事罰は6月以下の懲役、又は10万円以下の罰金のどちらか。先日、検察庁に出頭し、「簡易裁判を受け罰金刑罰を受ける事」を了承してきました。検察官の話では、ゴールドであった事や、調書の内容から、ある程度の情状酌量はされそうだとの事ですが。裁判の結果、罰金が決まったら、この後、通知がきて支払う事になります。違反点数は6になり、免許停止は1ヶ月となりましたが。但し、免許停止は、公安委員会で、違反者講習を希望し、受けた後、試験を受けて合格すれば、最短は1日の免停で済みます。先日、違反者講習を受けに行ってきました。午前中講義を受け、午後は色々なテスト、色々な視力検査、実技など。この日は、悪天候で吹雪になり、試験場のコースもセンターラインも見えない程。S字カーブは勘で通ったけど、クランクで後輪を外しそうな気がして、途中でバックしてやり直しました。実技の後は、教官にやはり褒められました。「あなたの年齢でこの講習に来られた方には、免許返納についてお話するけど、あなたは大丈夫、このまま注意して運転を続けて下さい」という事で、実技も学科もいい成績でしたが、やはりみじめな成績だったのが視力でした。2か月前に免許更新した時と同じ。裸眼はいいけど、やっぱり夜間に関した視力がとても悪い。暗闇から見えてくるはずの指標が、なかなか見えなくてボタンが押せない。眩しい光を当てられた後、見えてきたら押して下さいというボタンも押せない。もしかして?機械の調子が悪いんじゃないかとまで思った私ですが・・。私のすぐ後の若い女性は、すぐ押せてました。調子が悪いのは私でした(涙)暗い場所を運転してはいけないと、また改めて強く自覚。1か月の免許停止は、試験合格で最短の1日(講習を受けた当日のみで、翌日から運転可)で済みましたが、次の免許更新(3年後)の時は、ゴールド免許はなくなりブルー免許になります。果たしてその時まで、私は車を運転しているのか分かりませんが。ところで、私の心を不安でいっぱいにした車のモニターですが・・工場であちこち調べた結果、配線の接続が1つ外れていて、それは車検の作業中に起こしたみたい。工場の手落ちでした。これがなければ、今回の事件は起こらなかったと、ひそかに逆恨みしたい気持ちに、一時なりましたが・・・身体能力の衰えを少しずつ自覚した積もりで、最近は運転を控えめにしているつもりだった私。それでも、この年齢にしては、まずまずと思っていました。そういうおごりがあった私に、反省するよう、キツイお灸が据えるいいきっかけだったと、今、思います。今まで続けた無事故無違反のゴールド免許は、次はもうないからね。警察や検察に叱られて、高い罰金を払って、いっぱい反省しなさい。このままだと、大きな事故を起こしかねないよ。事故を起こしたら、罰金くらいじゃ済まないんだからね。その反省を、しっかり持ち続けなさいよ。そう、大きな声で叱られたような気がしています。私には、必要な大事な戒めだったと思っています。雪はどんどん降り、毎日除雪の日々です。運動がてら、せっせと雪かきしています。集めた雪は、融雪槽に入れて溶かしていますが、しばらく続きそうです。
2022.12.18
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1週間前はポカポカ陽気だったのです。今までは、11月半ばすぎると雪が降ったり融けたりの繰り返しだったのですが・・今年はどうした事か雪が無くて拍子抜けでした。(ありがたや)11月に入ると、ゴルフ場も次々クローズしてしまい、ホームも11月1週目で予定通り閉まりました。それでも完全セルフでやっているところがありました。予約もなしに、当日朝、ラウンド可能状態なら、到着順に回れるところがありまして。ハウスは完全に占めて玄関ロビーでの受付。受付時、リモコンカートに積むまではしてくれますが、終了後はハウスを大回りして、駐車場までバッグを運ばなくちゃならないめちゃ安料金なので、ホームの友達仲間4人と、最後のゴルフを先週楽しみました。「今日が最後かもね?明日も天気なら、朝8時半にここに集合ね!」と、みんなで言いつつ、お天気が続いたので、とうとう月曜から金曜日まで5日連続でラウンドでした。(土曜日からはお天気が崩れそうなのと、翌週が雪予報なので、金曜でホントに終わりと決めた)実は、私。「私は、体力的に、連ちゃんの明日は無理かもしれない。明日無理なら連絡するから、残りの人でラウンドしてね」と、毎日明日は分からないと、みんなに言いつつ・・こんなに続けてラウンドする体力が、まだ私にあったのだなぁと、最後に自分でビックリ。驚きました。昨年は、殆どラウンドせず、今年になってボチボチ再開したゴルフですが、2日続きはバテるのでレンちゃんは避けていたのに~。1週間前の金曜日、最後のラウンドです。この日もあちこちの池にボールを落としまくり(笑)3つ失くし103でした。(昔々、このゴルフ場でクマに遭遇したことがあります)このゴルフの1週間後の今日は、こんな雪景色になりました。きっともう春まで溶けない「根雪」になるでしょう。昨日降り始めた雪は、昨日の夕方1度雪かきし、車の雪も払っておいたのに・・・。今朝も、又、こんなに積もってました。運動不足にならなくて済みそうです(苦笑)
2022.12.02
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今年は雪が遅く、ちらついただけで、雪は積もっていなく、晩秋の景色です。(15年前)突然の脳出血で、母が逝ったあの時は、吹雪が続いた事を思い出しました。お葬式だった15年前の今日は、猛吹雪で視界が悪く、道路はアイスバーンでした。今日は、想い出の日のつもりで、ゆっくり散歩に出かけました。なんて天気がいいのだろうと思いながら、公園と河川敷を散歩してきました。家のすぐ近く、石狩川の堤防を下りたところです。橋は新橋と言います。うちから1番近い橋公園も河川敷も、16年間、愛犬ダイスケと一緒に遊び、ワンコ友達が沢山できた懐かしい場所です。今から30年も前の事で、ワンコたちは、友達犬と遊ぶ時は、ノーリード。追いかけっこで、見えなくなるまで走っていく状態で、河川敷はドッグラン状態でした。(今は勿論、リード無しはいません)川沿いに雑木林が広がるこの道は、ダイスケを待たせて、キノコ採りに入る事も度々でした。実は、石狩川の本流のこの河川敷は、川の両側共に公園や野球場、テニスコートがあったりと、かなり設備が良かったのですが。ある時期、河川のはんらんが何年か続いて、修理したネットやベンチが再度流されるなどして、ついに設備が撤去され、荒れてしまいました。今は、冬季間の除雪排雪の投棄場所の1つとして利用されています。雪が積もる季節になると、除雪された雪を満載したダンプカーが、この河川敷に降りて、雪を降ろしていく光景が見られます。旭川は、大きな盆地に位置しています。北海道の屋根と言われる大雪山系と十勝岳山系の川が、この盆地に集まり、合流し、その支流も多いのです。旭川の川は170位、(その殆どが旭川市内で合流しながら、最後に石狩川に合流する)橋は700もあるそうです。今日は河川敷に出て、下流に向かい、旭正橋で引き返し、上流に向かって川沿いをすすみ、新橋(ここが自宅に1番近い橋)の下を通り抜けます。そして、旭川中心部の常盤公園がある場所の近く、旭橋の下も通り抜けました。通り過ぎて、振り返って旭橋の写真上流(支流)からみた旭橋です。更に、本流から離れ、ここで合流している1つの支流(ウシュベツ川上流)へ向かって進むと、中洲の地域になり、そこから見える大雪山が美しかったので、写真を撮りました。写真を見てみると、右端下の山(岡のような部分)に、白い地面が見えます。数日前に降った雪が少し残っている「キトウシスキー場」のゲレンデです。石狩川に合流する手前の支流(牛朱別川)にかかる橋来週も気温はあまり下がらないようで、まだ根雪にならないようです。今までも雪がなかっただけでも十分ありがたいけど、このまま雪が少ない冬でありますように~。と願っています。今日は、亡くなった主人の誕生日でした。満82歳になる予定でした。1年前に、無事に誕生日を迎えられた喜びと、もしかして来年のお祝いはできないかも・・・という恐れを抱いていましたが、やはり現実になりました。昨日、息子家族が「明日お父さんの誕生日だけど、イベントがあって来られないので~」と言って、主人の大好物、小樽のかまえいのかまぼこを持ってきてくれました。今日は、娘家族が一緒に食事をしようといって、ご馳走を一杯持って来てくれました。そして、婿殿からウィスキー、娘手作りのケーキも仏前に。命日のお参りはありがたく受けていましたが・・。亡くなっても、まだ誕生日を祝ってくれるなんて、本当に嬉しい、ありがとう。
2022.11.20
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山の紅葉も進んできました。来月には雪がちらつきますので、そろそろ冬の準備をしないとね。山の畑は片付き、家の周りの片付けです。マルメロやアジサイの剪定、伸びきってぼうぼうに広がるアスパラガスの刈込。など。近郊の町に、私の実家がありましたが、畑があり、大きな栗の木やブドウや梨の木がありました。父母が私の家に身を寄せた時、母がマルメロの木の根元に出ていた小さな苗木を持って来て、うちの裏に植えました。もう25年以上前の事です。50㎝足らずの小さな苗は根付いて、大きくなり始め、6年後位から数個実を付けるようになりまして。その後どんどん大きくなり、沢山実を付けるようになりました。「マルメロ」は、飴で良く聞く「かりん」とそっくりで、そのままでは食べられないけど、とてもいい香りがします。リンク(マルメロ)を貼りますので見たい方はクリックを「玄関やトイレの芳香剤がわりにどうぞ!」と、母は友達やご近所に配りまくっていました。母は2007年に亡くなりましたが、その後もマルメロはどんどん育ち・・以降、ずいぶん剪定をしてきましたが、今は、その後、隣に息子が建てた家の灯油タンクに覆いかぶさるように繁っています。今年も7月末に選定しましたが、冬前にもう一度先日剪定をしました。先日、10月17日、私の誕生日でした。その前日、プレ誕生日にと娘が近郊の白金温泉へつれて行ってくれました。山は紅葉が進んでいて、とても美しくて綺麗でした。久しぶりの温泉、露天風呂、気持ち良かったです。誕生日には、娘達からケーキをとろとろに溶けている生チョコのケーキがとても美味しかった。息子たちからは綺麗な花束や、大好きなコーヒー豆やお菓子を山のように(笑)これは孫のマオちゃん(高校生)がみかんを飾り切りしてくれたプレゼント。マオちゃんは幼い頃から刃物の扱いが上手でした。札幌にいる妹からは、あたたかなセーターを貰いました。去年の今頃は、主人がいたのに、今年はいないのが、少し寂しいけれど。ただ、昨年の誕生日には、「きっと来年は、一緒に祝えない」と覚悟していたし。いつか来る日だったから、それまで精いっぱい一緒に生きましたし。今も毎日、子供達や孫たちが顔を見せてくれるので、寂しさに沈む事なく過ごしています。昨年までとは違って、気楽できままな時間を過ごしていますが。反面、家の管理など、自分がしっかりやらなくちゃと、妙な緊張感や責任感も。けれど、何をやるにしても、手際が悪く手のろくなっていて、衰えを感じます。こんなんで、後どれくらいちゃんとやれるかな?って、漠然とした不安感に駆られる時もあります。が、取り敢えず・・・今できる事を精いっぱいやっていく事が、私に残された仕事と思う事にしています。どりらかというと、いや、どちらかと言わなくても(笑)私は、楽天的な性格だと思います。今まで生きてきて、大変な事や辛い事もありましたが、振り返ると、何故かいつもそれが次のいい方向へ、幸せに向かう道筋でした。振り返ると今まで、本当に恵まれてきました。(あまり恵まれすぎで、いつか逆に不幸が来るのじゃないかと心配になる程です)最低気温は一桁になり、朝夕、暖房も入れています。畑仕事やマルメロの剪定は終わったけど、北国には色々準備が必要。これから残す冬支度には、車のタイヤ交換や、物干し竿の撤去、自転車の格納、除雪用具を出す事など。雪が積もる前、来月初めまでに、地下室や物置のそれらの道具の入れ替えが、あります。
2022.10.19
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お久しぶりです。ブログを入れる時はご無沙汰の挨拶ばかり(苦笑)何事も、初めてやってみる事は、とても臆病で億劫な私。最近はそれが加速しているみたい。チャレンジ精神がどんどん低下してるのを感じます。いや、そんなたいしたことではなく、他の人から見たら「そんな簡単な事?」って笑われるような事ばかりなのですが。実は、最近、ガソリンのセルフ給油を初めてしました。(≧m≦)ぷっ!ここで、もう失笑したでしょ?(笑)今までは、家の近くの小さなガソリンスタンドと何十年にもわたる付き合いで、店員さんが車のチェックをしたり給油も全部してくれてました。セルフが安い事は知っていたけど、主人も私もそこの店員さんに任せきりで。タイヤやバッテリーも大型店より安い値段で都合してくれるので、頼んでいました。夏冬のタイヤ交換だけは、私も主人も昔から自分でしてたので、交換後の空気圧調整だけでしたが。が、ここ2年ほどはタイヤ交換も1本500円でそこに頼んじゃうようになっていました。ところが、そのガソリンスタンドが先日閉店になりまして(涙)同じ系列を扱う少し離れたところにあるスタンドを紹介されました。そこは、従業員に頼む事も出来ますが、基本セルフのスタンドです。最初の給油の時、手順を見せてくれました。見学していた私、ガソリンの匂いにドキドキしながら「うんうん、分かった。以外に簡単そう」少し不安はあったけど、次に、自分1人でできるだろうと思いました。忘れないうちにもう一度やってみなくちゃ。少しして、畑に通っていた軽自動車のガソリンが半分以下になっているのに気づき、うむ、入れてこなくちゃ。でも、きちんと手順通りやれるかな?やっぱり不安で、行くのに少しの勇気が要り、2~3日たちました。気合を入れてスタンドに着き、手順通り給油ノズルを差し込んで、グリップを握っても、もメーターが動かない。ガソリンが出てこない。焦って、従業員に聞きに行きました。「あの~!!ガソリンが出てきません!!どうして?」すると、「レバーを握る力が弱いです。もっと強くしっかり握りこんで下さい」しっかり握ったらガソリンがぐぃーんと入っていく手ごたえが・・ドキドキ。((((o゜▽゜)o))) ドキドキ♪すぐ、ガチン!!と止まった手ごたえ。入った~!早いね!なるほど!手順通り、ノズルを戻し、車の給油口のフタを忘れずしっかり閉めて、印刷されてきた明細書を取り終了。「できましたね~」と、にっこり従業員。「はい、できました。ありがとう~!」ほっとして、スタンドを後にして走り出し、最初の交差点で信号待ちで停まった時、メーターを見て気づきました。「あれ?満タンになっていない!?」満タン給油を選んだはずなのに。慌ててさっき出てきた明細書を見てみると、なんと0.7リッターしか入ってない!いくら何でも、給油前の減り具合から見て、少なくとも10ℓ以上は入るはず??すぐ引き返しまして・・・。また事務所へ、「あの、ガソリンがちょっとしか入らなかったみたいなんですが、どうしてでしょう?」もう一度、給油するところを見て貰いました。最初からやりました。グィーンと入って行って、ガチンと止まりました。あれ?今度は2.32リットル??やっぱり少ないです!!すると従業員が「ああ、奥までノズルを突っ込みすぎていて、少し入っただけで満タン表示がでたのですね」いったん、レシートを取ってやり直します。え~~!!そんなのアリ??だって、ガソリン漏れたら怖いから、できるだけ奥まで突っ込むでしょう。(涙)さっき、1番最初の給油の時、出てきたレシートの給油量や金額をその場で確認すれば、すぐ気づいたものを・・。無事に給油でき、給油口のふたも閉め、無事にレシートが出てきただけで、舞い上がってスタンドを後にした私。情けない~~。もう一度最初からやり直しました。今日3度目・・・。やっぱりガソリンが入って行く時の手ごたえに、止まるまでドキドキ。今度は、ちゃんと15.2リットル入りました。この数字なら納得。家に戻ってから、3枚のレシートを見てため息をつく私。情けない(;´д`)トホホセルフに慣れるまで、しばらくかかりそうです。あと、最近もう一つ。家の近くにあった自転車やさん、いつも自転車の調子が悪い時、修理をお願いしていました。数年に1度の灯油ストーブの定期的な分解整備もしてくれていたのですが、この春、廃業。何十年もお世話になっていたのですが、高齢の上、少し前に体調を壊し、ついにお店を閉めました。実は、昨年から気付いていたのですが、自転車の前輪の空気が抜けるのが、どうも早いような。たまにしか使わないけど出かける時、前輪のタイヤの空気が少ないようで、出かける前に空気を入れる事が続いていました。先日、空気を入れて出かけたのに、帰宅したらもうタイヤが柔らかくなってる。「え?さっき入れたばかりなのに?」後輪はずっと何でもないのに、変だなと思いながら、念のためもう一度空気を入れ始めましたら・・。スコスコと空気を入れている途中で、突然空気孔から「ぶしゅ~~~!」という音。あっという間にみるみるタイヤがしぼみ、見事にペタンコになりました。あ~!もしかして、虫ゴムがイカレてたのかも!今までなら、ならすぐ自転車やのオジサンとこに、押して持って行くのですが、お爺さん店閉めたし。近所には無いし(涙)虫ゴムの取り換えで検索したら、私にできそうなのと、虫ゴムって安いみたいで、一応やってみる事に。やってみてできなかったら、自転車屋さんを探し、そこまで押して行く事になるけれど。で、100円ショップで虫ゴムを2種類買ってきました。でも、虫ゴムを買ってきたものの、空気が抜けた原因が虫ゴムだと確信も持てず・・取り換えもうまくできるか心配で、取り掛かれず1週間、ほうったらかし。臆病者が、ようやく決心してやってみたら、なんとも簡単にできたみたい。空気入れで空気を入れたら、スコスコと軽くスムーズに入って、以降、タイヤの空気が抜けずに使えているので、どうやら成功。たったそんな事だけなんですが・・知らない事に取り掛かるのが、年寄りには本当に億劫です。最近、ますます億劫に(苦笑)何も知らずに初めてのパソコンに取り付いた時(22年前)、OSが故障だらけのMeでしたので、ワケワカメで泣きつつリカバリも2度必死で。こんなハコ要らない、捨ててしまおう。パソコンを使う事を諦めてしまおうと思うストレスでした。今は、もうその頃の気力はないねぇ~。デジタル社会になってきているけど、なかなか進まないのは、私のような年寄りが多いから?パソコンもスマホも、かなり嫌いです。(笑)*****家のそばのトマトはまだ元気に次々と赤くなり続けていますが、山にある家庭菜園は終わりに近づいてきました。ジャガイモは全部掘りおえました。さやいんげんは終了。食べきれない分は,茹でたり煮つけて冷凍保存。時期をずらして植えたので枝豆は何度も取りましたが、最後に一斉に熟したのはやっぱり冷凍。最後には4kgもありました。畑一面に広がったかぼちゃは、熟したのから順に3度収穫しましたが、先日はまとめて収穫。でもまだ畑に何個か残っています。今回獲ってきたのは13個。20kg近くありました。まだ畑で追熟をまっているかぼちゃ5~6個あり。収穫をおえて、畑をはい回っていたつるを片付けたら、畑が広くなってきました。間引き忘れて、裏なりになっていた小さなかぼちゃは美味しくないだろうと、ツルごと雑草と一緒に、畑の横に掘った穴に捨ていたら。。道路を通っていたオジサンが、話しかけてきました。「それ、捨てるのかい?貰っていいかい?」って。これは、きっと美味しくないはずと言ったのに、それでもほしいと手のひら位の小さなかぼちゃ拾っていきました持って行ったらきっとがっかりするに違いない、と思いつつ仕事を続けていたら、なんとオジサン1時間後また来て、「いやいやお味噌汁にしたらとても美味しかったよ。捨てているの貰っていいかい」沢山獲れすぎて困っている私は、「どうぞどうぞ~~!!」クズばかりでは気の毒なので、大きくて重さのあるかぼちゃも、献上しました。でも、おいしいかぼちゃ、持ってみて予想はするけど、こればっかりは、割ってみないとハズレもあります。息子や娘に上げる時は、割って中味を確かめて渡す事が多いです。いいかぼちゃほど、硬くて割るのが大変で、最近、我が家の出刃包丁は、魚をさばくよりかぼちゃ割りに使う事が多い💦畑は、かぼちゃが少し残っているだけで、後は遅く植え大根が、雪が降るまでにどれ位そだつかしら。体力の衰えを感じつつ、少しずつ畑やゴルフ、家の中の片付けなど、休み休みスローぺースでのんびりやっています。本当に手のろくなりまして、あっという間に時間も月日も過ぎて行きます。ブログの更新も、メモ帳に少し書いては、続きは後で・・で、アップが遅くなってます(笑)主人がいないのは寂しいけれど、その分、気儘でもある暮らしに、少しずつ慣れてきました。
2022.09.26
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前回の更新からかなり過ぎていますが、私は元気です。ゴルフが少なくなりましたが、家庭菜園へ出かける回数がぐんと増えています。***畑の事***この春から、畑の半分を人に貸して面積が減りました。それに、手入れに出かける回数も増えたので、昨年は荒れていた畑が少し回復したかな。毎年水不足で、夏は乾ききってしまう畑ですが、今年は珍しく程よい雨も降りました。その分、雑草も元気よく伸びて草取りが大変でしたが(笑)朝早く日の出(気温20℃以下)とともに畑に行き、気温が上がってくる(26℃程度)8時半頃には帰宅。シャワーを浴びて、仏前にコーヒーを上げ、(録画しておいた)朝ドラを見ながら朝食。それから午前中は、とても涼しい寝室で昼寝(朝寝?)そういう日が多い夏です。健康的でしょ?畑は、春に植えた豆(枝豆とさやいんげん)は、芽が出たとたんに山鳩にみんな食べられて、種を撒き直しました。それも、またもや食べられましたが、生き残ったさやいんげんを、美味しく1ヶ月の間食べました。つるなしいんげんなので、豆の手を立ててやる必要もなく、重宝しています。煮つけやてんぷらにしても、茹でてサラダやバター炒めも美味しいのですが。私の1番のお気に入りは、かやく御飯の具として使う事。人参やゴボウと同じに刻み、椎茸や揚げ、ヒジキ白滝などと煮付けたものを作ります。炊きあがったご飯に混ぜ込めば、混ぜご飯。酢飯に載せて、錦糸卵や紅しょうがを加えれば、五目寿司。美味しい上に、さやいんげんの彩りが綺麗です。いんげんが柔らかいうちに穫り、五目の具を沢山作って、小分けにして冷凍しておきます。1人のご飯の時も、人がたくさん来た時も、すぐ使えて便利なの。かぼちゃも芽が出たら動物に食べられると予想し、沢山撒きましたが思いのほか被害が少なくて。どんどん広がって畑の半分を占領しました。(苦笑)かぼちゃ畑写真、8月初旬、今は倍近く広がりました。そして、今、畑のあちこちに実がなっています。ちなみにかぼちゃの種は、買っていません。昨年買って食べたかぼちゃのタネを捨てずに取って置いたものです。これは美味しい!と思ったかぼちゃのタネを洗い、乾かして取っておいたのですが・・何度かそんな事があって、タネが一杯。全部撒いたら、畑が大変な事になっちゃった。(笑)そんな畑を楽しんでいた先日の朝、仕事を終えて帰ろうと車に戻り、靴を履き替えようとしたら・・。「え?靴が片方無い!」バケツやスコップと一緒に並べて置いてあった靴がありません。いつも、畑に着いたら長靴に履き替え、履いてきた靴は、道具と一緒に置きます。揃えて置いていた靴の片方が車の横に、ひっくり返っていて、もう片方が見当たらない~。もしかして、キツネがくわえて行った??何年も畑に来ていますが、こんなことは初めて(涙)昔、そういえば、ワンコが靴やスリッパをくわえて持ち去るって、良く聞いたよね。今は、部屋飼いで放し飼いの犬がいないから知らない方も多いでしょうが。キツネもワンコも習性は似てるから、きっとキツネでしょう。周辺を少しみたけど、道路わきに林が迫っているので、入って探すのは諦めました。どうせ、ボロ靴で傷んでいたからいいけど、履き心地のいい靴だったのでちょっと残念。****コロナの事***8月半ば、娘婿のオットさんがコロナに感染、発病しました。狭いマンションでの、これからの家庭内感染を避けるため、娘たちと相談して、オットさんを残して、娘と孫たちは、私の家に別居する事にしました。もともと勤務時間の関係で、朝早く出かけ、夜も早く休むオットさんは、普段から子供達と過ごせる時間が少なかった事。ここしばらくは、孫たちは、オットさんの眠りを妨げないよう、夜はうちに来て2階で勉強して、そのまま泊まり、朝自宅に帰っていた事。オットさんの前の休日は、家族と合わず一緒に過ごせていなかった事。発症数日前の状態から、孫たちの家庭内感染は、まだ避けられている可能性もありました。ですが、潜伏期間がある事ですし、我が家で過ごす娘家族と私は、2つある洗面所とトイレを別にして、食事時間もずらしました。オットさんは勿論出勤停止で、濃厚接触者にあたる娘と孫たちも自宅待機でした。娘も出勤停止ですが、でも、子供たちは学校の夏休み中だったのが幸いでした。基幹病院勤務の娘は、このところ、患者の増減やどんな症状が起きているかなど、市内の感染状況がよく分かります。最近急激に市内の状況が悪化し、家族から次々家庭内感染が起こる事を心配していたのですが・・。最初、オットさんの熱が高い数日、「具合悪いのだから、もっと様子を見に行ってあげたら?」と言う私に、「大丈夫、電話もラインもあるから、必要なら行くから」と言って、オットさんへのお世話でマンションに出入りする回数を、娘はできるだけ少なくしていたみたい。多分、母親である自分が感染して寝込む最悪の状態を、避けるためだったのでしょう。更に、それによって、続けて高齢の私にまで移してしまう事になったら、最最悪ですものね。きっと、今以上の迷惑をかけられないと思っての事だったのでしょう。娘の、その緊張の度合いに気付かず・・。もしかして「だんなに冷たいんじゃない?」なんて思ってた私は、本当にノーテンキだったと、ひそかに深く反省。。高い熱が下がり体調も戻ってきた頃、オットさんと孫たちは、夕食時はスマホでお互いの顔を見ておしゃべりしながら食べていました。離れていても、家族団らん、今どきは、便利ね~~。丁度夏休みの終わりと同時に、孫達や娘の自宅待機期間も終わりました。娘と子供達は、念のため、登校前日に抗原検査キット(ネットで購入)で、陰性を確かめてました。娘たちが待機期間中は、念のため、私もゴルフをキャンセルし、出かけるのは必要最低限の買い物だけにしました。おかげで、誰とも接触しない畑や庭の草むしりは、更にとても良くはかどったわけです。(笑)今回、実際に身近に発症する人を見聞きするまでは、自分には関係のないところで起きている他人ごとのように思っていました。今や、どこで移るか分からないご時勢なんだと実感。発症した時、身近な人に次々移らない手立てが必要です。家族に移らないようにするって、同居の場合とても難しいと思いました。今回は、他の家族は発症せずに済み、隔離は成功です。オットさんの勤務も、無事開始し、娘と孫たちもマンションに帰りました。私も、20日ぶりにゴルフに行ってきました。翌日から畑。ジャガイモは、いくつかキツネに掘られたりしましたが、それも大半は無事に育ちました。掘り上げてきて、家の横の砂利の上に干しました。ほとんどがキタアカリという品種です。春に植えた大根は、大好きな葉っぱをよく食べましたが、肝心の大根はとても辛くて、大根おろしにしたら辛い薬味のようでした。東京では、お蕎麦の薬味に、辛い大根おろしを使うとか。それにちょうどいいくらいで、甘い大根おろしが好きな私は、あまり食べられなかった。ジャガイモを掘り上げた後に、少し遅いけど、秋大根のタネを蒔きましたので、雪が降るまでに食べられるといいなぁ。最後のさやいんげんがありました。のびたかぼちゃのつるの下に隠れていて見逃していた(笑)さやいんげんはもう終わりましたが、遅れて出てきた枝豆が来週あたり食べごろになりそうです。家の横に植えたトマト2本、ミニトマト2本が、どんどん大きくなって、物干し竿を越えてしまいました。下の方は枯れていますが上の方が元気に次々実を付けています。何度もカラスに狙われるので、ホームセンターからネットを買って来てかぶせました。実は、物置を片付けた時の主人の畑雑品の中に、そのネットがあったのですが、今まで使ったことが無かったので捨てちゃったんです。片付けすぎちゃって失敗~(笑)完熟まで待つので、とても甘くて美味しいです。
2022.08.31
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私と主人の結婚生活は、主人の実家から始まりました。昭和の初めに建てられた古い家で、2度ほど大改築しました。その後、隣の敷地に家を建て、古い家は壊れるまで人に貸しました。(古い家があった場所に、今は息子が家を建てて住んでいます)新しい家に引っ越す時、すぐ横なので、特に家財道具などの処分もせず、そのまま移動。大きな納戸や地下アトリエには、たくさんの物品が入っています。私の実家の両親を引き取ったので、両親の物もいくらかあります。母の7回忌を過ぎたころ、親の物は、かなり処分しましたが、母の物はまだ処分しきれていないものもあり・・。主人の四十九日を機会に、家の中を思い切って整理したいと思いました。まずは、両親のアルバムや母の着物、たくさんの俳句の短冊(母の物です)などから。私が着物をもう着る機会もなく、腕の長い娘には袖が短くて着物も、娘や嫁ちゃんに訊いて、併せて処分。大正時代の古い桐のタンス1さお分の中身を処分。高価な着物(母所有)も多く、本当に「断捨離」だと、つくづく思いました。その頃の様子は、4月にアップした「歴史に思いを馳せて 」に、少し書いてありますが。主人の洋服や靴は、子供や孫たちにはサイズが合わず、小学生のタケちゃんが少しの間着られそう。生協の途上国への支援物資に沢山寄付しました。手紙や書類や住所入り名簿など、そのままゴミとして出せないものは、シュレッダーに刻む日々が続きました。そうして片付けていましたが、私に片付けが不可能な物が多すぎる事に気付きました。旭川のゴミの分別は、大きく分けて1、燃えるゴミ(生ごみを含む)2、燃えないゴミ(金属、汚れたプラスチック、ガラス)3、リサイクルゴミ(プラスチック、缶、瓶、段ボールなど、それぞれ分けて)4、粗大ゴミ(長さが2メートル以上あるもの)は、市に連絡して出すものを申告。等あり、リサイクルゴミ以外は有料の袋に入れて出します。どうせ、古い家具など片付けるなら、ついでにアトリエの物品の処分をしようかと。問題は、粗大ごみに該当するものが、我が家には、超一杯ある事。家の外に出すだけでも、私1人の手に負えない。小さなものでも、分別だけで数か月以上かかっても終わりそうになく、有料袋が何百枚あっても足りない。それよりもっと問題だったのは、主人のアトリエには、使いかけの塗料や有機溶剤など、ゴミとして出せないものが多い事でした。乾いてしまって使えなくなった粘土も何百kgと大量にあります。遺品片付けやら産廃業者など検討しましたが、知り合いの運送業者に相談し、結果その人に頼みました。展覧会の度に、作品の運送をしてくれる長い付き合いの人です。分別しなくても、そのまま運搬してくれるとの事で、助かりました。昨年、主人は病気が分かってから、仲間や後輩に病名を明かし、愛用の制作道具や材料を譲り渡しました。(制作活動は無理だと自分で判断しての事で、心が痛みました)その時、使える粘土や石膏、彫塑用具など、かなりの量が貰われていきましたが。後輩のワゴン車が荷物や道具を積み込み、仲間のアトリエで使いたいと、何度も運搬されました。今回、主人の仲間にもう一度連絡。再度、アトリエを見て、もし使えるものがあれば貰ってほしい事を伝えました。傷みの少ない彫塑用具、版画のプレス機、たくさんの角材など、2回にわたって、喜んで貰われて行きました。まだ役に立てるものがあって良かった~。先週一杯、2階の納戸と地下のアトリエ、外の物置きの整理を毎日しながら、1つずつに思い出が一杯。例えば、納戸にあった、ボロボロの古い電気毛布。外でしかオシッコする習慣がなかった犬のダイスケが年老いて、足が弱りその介護をしていた時、私は犬と一緒に、寒い戸外のプレハブ物置で寝た時期があります。彼がオシッコしたそうな時、家の中にいては、16kgあるダイスケを抱いて、私1人で玄関の7段の階段を下りる事が難しく、夜は、すぐ外に出られる物置で寝たのです。夜は気温が7~8度しかない頃で、その電気毛布にくるまって一緒に寝ました。ただ、元々ダイスケは雪の中でも眠る子でしたので、暑がって毛布から転がり出ていましたが。(笑)最後に、ダイスケがオシッコを出せなくなり、私が出してしてやるようになり、オムツになってからは、亡くなるまで、常時、家の中で介護しました。夜は氷点下近い寒い外物置で、ダイスケと一緒にくるまって寝た想い出の電気毛布でした。感無量。地下室片付け中捨てる物と残すものを確認しながら、処分するものを地下室に纏めました。机や作業台、椅子も3つ。たくさんのねじや針金のクズ、万力など工具。古いミシン、古い絨毯などなどこれ以外に、車庫横の階段下には、私には動かせなかい重さの粘土の大きな桶が幾つもあります。地下室片付け中2階から1階へ、地下室へと階段を上がったり下りたり。置ききれないものは家の外に。外には、壊れた自転車も2台、スキーは5対。古いゴルフ道具や、昔、子供が使ったパイプベッド古い毛布や寝具。加湿器やホームベーカリーなど古い家電、除雪ダンプを集めました。家の横に物置の横にもそして、軽トラックが2台来ました。分別もしていない荷物の山を、器用に分けながら机や棚や桶を積んでいきました。地下室の分で2台は一杯になり、夕方外の分を積みにもう一度2台。地下室は広くなりました。棚の1番上の小さな作品を除いて、広々としています。今回、作業関係の物は処分しましたが、主人の作品は手を付けていません。木彫の小さな作品が欲しいと、幾つか貰われて行きましたが。アトリエの横室は10畳位ですが、そこに作品は収納されています。今月末ある展覧会に遺作として、2~3つ出品してほしいと頼まれていて、3つほどお出かけ予定です。車庫から降りるボイラー室も、荷物が減りました。夏は除雪用具のしまい場所、冬は3軒分の自転車(6台)のしまい場所。そして、我が家と息子宅、娘宅の3軒分の夏冬用の替えタイヤ(5台分20個)の収納場所です。ここもすっきりしました。この1週間、殆ど食事の支度をせず、ご飯は電子レンジで温め、レトルトやインスタント物で済まし~週末に来ると言う業者の都合に合わせ、片づけにいそしんでいました。家の外も片付き、翌日の今日は雨になりました。片付けの日雨でなくて良かったわ~~。収納場所がめっちゃ多いために、モノに溢れている家がずっと気になっていた私。主人の作品などには、まだまだ手を付ける気持ちにはなれないけれど。体が動くうちにできる片づけをしようと思い立って、3ヶ月。やり残してきた大きな仕事の1つが、やっとできた。一杯想い出しながら、惜しみながら、沢山の品々を処分しましたが、懐かしい想い出や記憶は、私の中にそのまま残っています。(年老いて、いつか自分の記憶が無くなるまであればいい)(笑)終活は、寂しいと思われるかもしれませんが、そうではありません。長年、きがかりだった事から少し解放され、スリムになって新たなスタートを切れた気持ちです。大切な事は、自分がこれからどういう生活をしていこうか、この先が、前向きに考えられそうな気がする事です。ためらいを乗り越え、気持ちがふっ切れて、終活第一弾?気持ちよくブログ更新。来週は、1週間ほうったらかしの畑に行ってみなくちゃ。かぼちゃ畑の草を取り切れないまま、家の片付けに入ったので、きっと大変な事になっていそうです。
2022.07.17
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週に1回くらい、お友達仲間とゴルフ。そして畑。ぼちぼち家の片付け。のんびりやっています。本州の猛暑をニュースで観ますが、旭川はまだ30度を越える日は無く、我が家のエアコンも稼働していません。来週あたりから気温が28℃位まで上がってきそうです。この時期、毎年日照りが続くのですが、本州の梅雨明けとともに雨が少しきたので、畑もゴルフ場も枯れずに済んでいます。ところが、急に降った雨で、旭川市内の川が氾濫して、全国ニュースに流れました。氾濫した川は、旭山動物園の裏手の山沿いで、普段は小さな川なのですが以前にも水が溢れたことがあります。ネットのお友達から心配の電話をいただきました、ありがとうございます。うちからは15km以上離れたところでした。ゴルフは、たまにしかやらなくなり、練習もしていないので、なかなかコンスタントに当たりません。失敗の繰り返しですが、「ま~いっか~!」って、楽しんでいます。いつも行くホームコースの隣のゴルフ場にクマが出たと、数日前にニュースになっていました。私達のゴルフ場とは7~8km離れているかな。昨日、ゴルフをしていたら、ショートホールで鹿の親子連れがいて草を食べていました。フェアウエィの真ん中にいるので、ボールが当たるかとハラハラ。声をかけても逃げないし。みんなで口々に「鹿に当てないように、チョロらないよう、グリーンまでしっかり打って下さい」(笑)ボール打っても、全然逃げないし。我々を無視。後半の上りホールにも、別な親子連れの鹿がいて~~。ティグラウンドの近くで、草を食べているし。友達がティアップするところです。上がってきて、「今日は、鹿がいるね~。クマよりいいけど」と、私達が言っていると、スタートハウスの顔なじみの従業員さん、「鹿がいるのは、逆にクマがいないって事さ~。クマが来たら、あいつら(鹿)は、絶対出てこないからね」と笑っていました。更に、「鹿がフェアウェイの草を食べるのは構わんけど、グリーンには上がらんでほしいんだよな~」「ひずめで、グリーンが傷つくからね」といいます。グリーンの芝は、食べられない程短いので、食べるためには、上がらないでしょうが(笑)歩いて通られたら、確かに傷つきそうですものね。ホームのフェアウエィの芝の状態は、かなりひどい状態で、経営難のせいで、手入れもできていません。旭川のゴルフ場で1番悪いかもしれない(苦笑)でもグリーンだけは、どこにも引けを取らないいい状態のコンディションです。6月30日、娘の誕生日でした。150cm程の小柄な私、50年前、4000gの大きな赤ちゃんを産みました。2人目は安産のはずでしたが、出産は大変でした。でも、大きな赤ちゃんは良く飲み、よく眠り、その後も丈夫で手のかからない子に育ちました。私も写っている写真を載せておきますね。近くの居酒屋でのお食事会に招かれ、私はゴチになりました。帰宅後、我が家でコーヒーブレイク、プレゼントタイムです。山の畑は、先日の雨で雑草が元気を取り戻し、大変な事になっています。今まで、北海道は気温が25℃以下と低かったのですが、来週あたりから暑くなりそうです。といっても、予報では30度を越えてはいないようですが・・。寒冷地仕様の私には、28℃でも湿度が加われば、とても辛いので、畑に行く時は明け方に行く事にしました。夜明けの4時頃、畑に到着。この春から、1人で仕事していて、熱中症になってはいけないと、ポカリスエットなど飲みながら仕事してました。だいたい、5~6時間畑にいると、トイレに行きたくなって仕事を止め、戻っていたのですが・・。今朝は、8時頃までしか持たない。え?4時間も経ってないのに??そういえば、朝早く寒いくらい涼しくて、汗を全くかいていないのに、ポカリ、せっせと飲んでいました(笑)あと1時間少しで、ジャガイモのそばの草取り済むのに~~トイレの為に、家へ帰る積もりで山を下りてきましたが、下のセブンイレブンに寄って、トイレを借りて、又、畑へ戻りました。それから2時間、気が済むまで作業続行。まだ、かぼちゃの畑の雑草がぼうぼうです。つるが伸びてきて絡まないうちに草を取らなくちゃ。植えたジャガイモは、キツネに掘られましたが、深く植えてあったものが無事に育っています。しかし、枝豆やいんげん豆は、山鳩に食べられて全滅。少し前に豆をまきなおしました。やっと小さな豆を乗っけた芽が出始めていますが、また食べられるかも。山の畑ですから仕方ありません。大根を少し植えてあります。今の大根は、秋の甘い大根と違って、葉っぱを食べる目的で植えてあります。間引きをしながら小さいうちに食べてしまいます。この大根の葉っぱ、小さく刻んで塩もみにしたのが、私は大好き!納豆に混ぜたり、温かいご飯に載せて、お醤油とおかかを載せたら、ごはんを何杯も食べちゃうわ~(笑)ところで、我が家のアスパラガスは終わりました。アスパラガスは、地面から芽が出てきたばかりの茎を切り取って食べる物ですが、放って置くと大きく育ち葉っぱが茂ります。昨年細すぎたので、今年はあまり獲らずにいたら、ぼうぼうに茂り、花が咲いて実がなっています。(丸い小さい実がついて秋には赤くなるけど食べられないですよ)根元がこんな感じ。大きくなったアスパラは、私の背丈を越えるものもあり、ヒバの塀から道路へはみ出してきてます。見通しが悪くなるので、紐で抑えてます(笑)いちごももうすぐ終わりそうですが、1日おきにボールに一杯くらい採れていました。10年前、1株植えてそのまま、ほうったらかしで・・家の裏で、勝手に増え野生化したイチゴは、小さな粒で見た目は悪いクズイチゴみたいですが、甘かったです。ある日と、翌々日の日のFBに載せた写真です(ボウル重量を引いてあるのでこのままの重さです)
2022.07.01
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6月の初め、孫のタケちゃんの運動会がありました。タケちゃんは小学6年生で最後の運動会でしたが、私にとっても孫の運動会はこれが最後でした。今年と昨年は、コロナ流行によって、大勢の父母や家族が応援席に座る大運動会にはならず。学年別に時間も区切られて、グラウンドで見る体育授業参観状態なのが少し残念でした。私の2人の子供は、3歳違いでしたので、運動会は9年続けて出ました。その時私はと主人は30代。実家の両親や祖母も来てくれて賑やかで楽しかったです。その後、孫のK太の運動会が始まったのが、私が50代の半ば。そしてその後アオちゃんと続きました。その頃は、私や主人ジジババの他に、M子ちゃんの両親もきて、3家族のお弁当を広げて賑やかでした。アオちゃんが小学校卒業したら、もう運動会は見られないかと思っていました。が、東北大震災で福島から娘家族が避難してきて、やがてこちらに住んだマオちゃんとタケちゃんも同じ小学校に入りました。こちらに来た当時、赤ちゃんだったタケちゃんが、今は6年生で最後の運動会。K太の小学校入学から始まった孫の運動会は、今年まで19年続きました。自分の子供と合わせると、実に、25年間、同じ小学校の運動会に通ったのだなぁと、感無量です。25年て、凄いよね、4半世紀だもの。残念ながら、今年2月に亡くなった主人は、最後の運動会には、いませんでした。25回の間には、参加する家族も次々増えたり減ったり入れ替わりました。孫たちの曾祖母(私の祖母)や私の父母、お嫁ちゃんのご両親や兄弟など、色々いて。孫の運動会の応援席で、ビール片手に宴会が始まる事もありました。。その都度、毎回賑やかだった想い出が一杯です。孫の運動会を、毎年のようにブログに上げてきましたが、その中から1つ、15年前(2007年)の記事をリンクします。2007年運動会(試練の運動会)別ページで開くようリンクしたのですが、パソコンでなくスマホでリンク先に飛ぶと、ブログの本記事に戻りにくいです(ごめん!)そして、今年の運動会の次の行事は、北海道音楽大行進でした。北海道各地からブラスバンドやマーチングバンドが演奏しながら行進する大会で、長い歴史があり、今年で90回目を迎えます。これも良くブログに載せていました。息子の参加しているバンドに、今年はアオちゃんも飛び入り参加しました。その翌々日の夜は、市民文化会館で息子の所属しているジャズオーケストラの演奏会。タケちゃんと私が聴きに行きました。先日は、高校入学後、勉強がかなり厳しくなってきちゃマオちゃんの激励に、アオちゃんも連れて大好きなスィーツの会。女3人で、巨大パフェを食べに行きましたよ。少食なマオちゃんですが、スィーツだけはどこに入るの?!って驚くほど食べられるの(笑)このパフェはマオちゃんのかねてからのリクエストでした。パスタもピザも美味しかったけど、パフェが巨大すぎてピザを食べるのを諦めて持ち帰りにして頑張りました。こうして楽しく過ごしています。週に1回は、元の仲間とゴルフ、週に2回は畑の手入れ。春に畑に植えたじゃがいも、キツネが来て、掘り返して食べちゃったみたいで、キツネの足跡と掘られた穴がいくつもあって・・・美味しかったんだろうなキタアカリ(涙)ジャガイモの幾つかは助かったようで、伸びてきていますが。撒いた枝豆は、豆を載せて芽が出てくるのですが、それもどうやら芽ごと鳩がついばんだらしく、全然苗が出てこない。さやいんげんも同様。多少は鳩に食べられるのは予測していて、少しは助かるかと多めに撒いたけど・・・殆ど食べられちゃったみたい。これは、時期は遅いけど、もう一度撒き直さなくちゃならないようです(涙)合間に家の周りの手入れも。雑草も伸びて来るし、家の周りのアスパラガスも、ぼうぼうに茂ってきて。家のそばにナスやトマトも植え、いちごもどんどん赤くなり出しました。外に出ている時間も多くて、ずいぶん日焼けもしてきました。体力の衰えは、否めないですが、終活も念頭に、毎日1つずつ楽しみながら片付けたり仕事をしています。
2022.06.19
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もう5月も終わりになりそうです。ゴルフもは、ホームこコースの仲間や、女子だけのサークルからのお誘いで、週に1回程度行っています。ゴルフ場のそばはたんぽぽの花盛り。車で15分ほどのところの岡の上にある畑は、主人が家庭菜園として色々な野菜を作っていました。トマトやナス、キュウリやさやいんげん、枝豆など作りましたが、なかなか手をかけられず。余った場所に、手がかからないジャガイモを、私が植えていました。昨年は、それもかなり無理になり、雑草を取りに行くだけで精いっぱいでした。手放した方がいいかと考えていたところ、売ってほしいと言う声もかかりました。でも、残しておいたタネイモを植えたばかりだったのと、私は、その場所が好きだったので、売りそびれました。畑にしている場所は宅地で、ずっと昔、主人がここにアトリエを建てたいと購入した物でした。でもその後、それまで住んだ家を借家にし、隣に新しい家を建てた時、住宅の全部を地下室にして、地下1階をアトリエにしました。それでアトリエ用の土地は、必要なくなりました。アトリエを建てる予定だった土地は、近所の方から自分の地続きの畑に貸してほしいと頼まれ、長い間、使っていただいていましたが・・。その方が高齢になり返却されてからは、ずっと主人が趣味の畑にして使ってきたのです。宅地なので、上下水道は通っていますが、土地に水道を引きこんでいないので、畑にやる水がありません。ポリタンクに入れて、車に積んで持って行く事はできるけど。野菜栽培には、とても足りませんので、本格的な畑仕事はできない半端な場所です。でも、私は自然と隣り合わせのこの場所が好き。畑のとなりは、道路を挟んで、そこからは雑木林が拡がります。ここへ来ると、田舎育ちの私には、山に来たようにほっとするのです。お隣さんの畑と一緒に、耕運機でおこしていただいた後の、今年のうちの畑の写真です。この雑木林を挟んでその奥には、アイヌ墓地があり、雑木林も公営の土地です。この雑木林の前のアトリエを夢見た若い頃の主人ですが・・・。でも、自宅にアトリエを作った事で、80歳まで制作活動を続けるには、仕事もしやすく便利だったと思います。昨年と違って、私は自分の時間が取れるようになったので、畑に少しは行けそうです。合間を見て、タネイモと、豆とかぼちゃ、大根の種を植えてきました。今年は時間が出来た私ですが、体力は確実に少しずつ落ちている事を、実感しています。先日、この畑を半分貸してほしいと言う人が新たに現れて、喜んで貸しました。ゴルフ場でフキや、ウドを採って来たり、畑のそばの雑木林でワラビを採っています。ウドのきんぴらやワラビも酢醤油など、主人にお供えしていますが、お料理は写真に撮るのを忘れて食べてしまいました(笑)元は色白の私ですが、畑やゴルフで、だんだん日焼けして黒くなってきています。
2022.05.29
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息子たちと、札幌に行ってきました。29日、コンサドーレの試合観戦。札幌ドームの横は、何度も通っていましたが、入るのは初めて。サッカーは主人が大好きで、テレビでいつも観ていました。息子や孫も部活でやっていましたが、私がプロの試合をナマで観るのは初めて。相手は湘南ベルマーレ。サッカーに詳しくない私ですが、相手がとても攻撃的に感じて・・・コンサが1点取った後は、このまま早く試合が終わってくれ!とハラハラしながら見ていました。結果、1:0で勝ちましたが、ロスタイムがとても長く感じましたよ(笑)サッカーの後、息子たちが食事に行きたかったお店までドライブしたのですが、なんとお休み。途中にあった有名な「あいすの家」長沼本店に寄ってソフトクリームを食べました。美味しくてボリュームがあって、空いていたはずのおなかが一杯になりました(笑)札幌まで戻って、とりあえずホテルへ早めのチェックイン。狸小路に近いので、ぶらぶら散歩しながら、夕食は海鮮。お鮨。翌日はコストコへ息子たちの買い出しにお付き合い。旭川にコストコは無いので、これもお初です。広いのと天井が高いのにびっくり。なにもかも安くて量が多い。息子たちは、買い出し用にクーラーボックスも車に積んできていました。写真は、あいすの家のソフトクリームと、コストコ。この日、中島公園近くのホテルに1泊。夕方、私は1人で地下鉄で北に向かい、懐かしい母校を見てきました。学校や病院、私の住んだあたりは、十数年前に訪れた時より更に様変わりしていました。そして、翌日の1日は、バンクシー展覧会を観に行きました。とても興味があったものです。雑誌やテレビで、いくつもの作品を見ていましたが、たくさんの作品や解説が展示されていました。風刺が効いていて、本当に面白かった。実は、札幌に来たメインのイベントが、この日の午後行われるアオちゃんの表彰式でした。孫のアオちゃんは、高校在学中、写真部に入っていました。高校2年生の時から、別な展覧会で入選はしていましたが、今回(高校3年で応募)は、北海道で1番大きな展覧会に入選の快挙がありました。一般の部とは別に、学生の部門で入選ですが、その中で最優秀賞でした。1日に札幌で行われる表彰式のために来たのです。作品名「ツバキ」実は、この会場は、毎年秋に行われる公募展の「北海道展覧会」の会場となる場所で、道展彫塑会員の主人は何十年も、毎年秋には必ず来ていたところでした。ここ20年近くは、展覧会初日に私と一緒に行った後、近郊のゴルフ場に泊まり、ゴルフをして帰ってくるのが楽しみでした。2年前、コロナの流行で展覧会は中止になりました。が、昨年は定例で開催されました。ですが、癌が進行していた主人は審査員として、審査会にも出席できず、自身の制作の体力もなく、前年に制作した作品を送るのみ。昨年は、毎年恒例の、展覧会初日に行く体力がありませんでした。主人も亡くなり、もうあの会場に行く事はないと、私は、寂しい思いを持っていましたが・・・。なんと、ジャンルも展覧会も違うけど、孫のアオちゃんの作品が、同じこの会場で展示される事になるとはね。アオちゃんの表彰式は、関係者以外入れないので、下のロビーで待ちながら、つい、感慨に浸りました。いつもこのロビーで、事務局から戻る主人を待っていたなぁ・・話の長い主人がなかなか戻らなくて、駐車場の料金を気にしながら、待っていたっけ。秋の夕暮れは早く、日が暮れないうちにゴルフ場のホテルに着きたいなぁ~とか思ってたなぁ。アオちゃんを待ちながら、そんな事を思い出しているうち・・。いつの間にか、主人が「お待たせ~!」って、奥から現れるような錯覚しそうでした。今回のお出かけ、本当に楽しかったです。初めての体験が一杯。美味しいものもいっぱい食べました。大学生の時うろついた懐かしい場所も、あちこち行きました。すっかり近代的に様変わりしている母校と病院、道路は変わらないけど大きな建物ばかりになっていました。
2022.05.04
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両隣に息子の家族、娘の家族が住んでいますが・・孫たちが、大学、高校、中学と大きくなるにつれ、学校や部活で、それぞれの時間が違い、数年前から一斉集合が難しくなっていました。でも、同時に時間を合わせるのは難しくても、それぞれに都合のつく時間に、我が家に顔を見せています。昨年、主人の病気が発覚してからは、顔を出したり一緒に過ごす時間を、子供や孫たちは、特に大切にしてくれました。毎日、何人か来て、主人とおしゃべりして帰ったら、別の子たちが来る。主人が自宅にいる時は、孫や子供と会わない日は、一日も無かったです。亡くなるその日まで、孫や子供達からの励ましを、毎日受けられた主人は、本当に幸せ者でした。そして久しぶりに4月15日(金)に、息子家族と娘家族の全員がスケジュールを合わせることができました。アオちゃんの大学入学とマオちゃんの高校入学のお祝いの食事会です。老舗の中華料理やさんの卓を囲み、9人の家族でお祝い。誰よりも喜んで参加したであろう主人が、この場にいない事がとても残念。でも、まるで主人が会話の中心にいるような、いつもと変わらない不思議な感じがしていました。主人は、一緒にいたと思います。お料理がとても美味しく、久しぶりの楽しい会話が弾みました。気が付いたら、私、凄く食べていました💦おなかがパンパンに、はちきれそう、というか、完全にはち切れてました(笑)食事の後は、腹ごなしに?(繁華街から家まで歩いて15分)てくてくと歩いて我が家に戻りました。仏前にお線香をあげ、楽しい会話の続き。やっぱり、主人もその場にいる感じはぬぐえません。葬儀が終わった後も、四十九日も終わった後も、主人のお友達や、私の友達が何人もお参りに来てくれていますが、今日、土曜日にもお参りに来てくれる人もいました。で、仏前はいつも賑やかです。
2022.04.16
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日陰に雪は残りますが、街中の雪がほぼ溶けました。家のそばの駐車場にはフキノトウが顔をのぞかせています。春の味覚ですが、ワンコが通る道のそばなので、採って食べません(笑)ブログの更新ができないまま、日が過ぎていますが、私は元気です。とても元気とは言えないけど、まぁまぁ元気?四十九日も終わり、2回目の月命日も終えました。別室にあった主人の遺影と祭壇は、コンパクトにまとめ、居間に移しました。私の父と母の遺影を飾ってある棚のそばなので、どちらにもすぐお参りが出来ます。毎日のように、子供や孫たちの誰かがきては、お線香をあげてくれます。私は、今、毎日家の中の整理にいそしんでいます。広い家の中はモノが多く、片付けながら不用品の整理。母から受け継いだけれど、もう着る事もない和服などリサイクルショップに出しました。高価な着物もあったのに、めちゃ安い買い取りでしたが、(少し重荷だった)古い桐の和ダンスが片付きました。なんだか終活めいてきたかも。主人の古着は、生協のカンボジア支援に少しずつ回数を分けて寄付。ズボンでも50着くらいありますが、子供や孫の男子にはサイズが合わず、型も古くて。着古したポロシャツも役立つそうで、マシなものを選び、袋に入る分ずつ出してますがまだまだある(苦笑)肩幅が広く首が細く長かった主人は、ワイシャツは自分サイズに仕立てていました。昔、仕立てたワイシャツがどっさりあります。それも半袖を含めるとネームのイニシャル入りが40枚くらいあり、カンボジアに送っていいものかどうか・・。そんなこんな、毎日思い出に浸りながら片付けに頭を悩ましている日々がまだ続いています。子や孫に形見に上げられるようなものが、なかなかありません。ところで、突然ですが、私が結婚したのは昭和42年です。今から55年も前の頃の事ですが・・当時、女性が上げた結婚したい男の3大条件とは(3高・身長学歴収入の前に)「家付き、カー付き、ババ無し」と言われてました。当時、自家用車を持っている人は少なく、クルマがあるとナンパしやすい。と言われる時代で(笑)家があって、車があって、ババ(姑)と同居せずに済む人がいいという事です。(今も変わらないかしら?)主人は私に「オレんちは、家付き、カー無し、ババ2人付きだけど、いいか?」と言いました。変なプロポーズでしたね~~。5人兄弟の主人でしたが、兄たちが東京の大学を出たあと、東京に住んだり大学に残り。姉たちは嫁いでしまい、末っ子の主人だけが、母親と祖母のいる実家に残ってました。こうして、私はババ2人付きの家に嫁いできました。結婚する頃、か弱かった主人の母は体調を崩し入院、元気バリバリの祖母を残したまま亡くなりました。その後、祖母は88歳まで元気で一緒に暮らしました。今回、納戸を整理していて、古い手紙などの入った箱を開けました。この古びた箱は、入院前の主人の母が、自分にきた手紙などしまっていた事は知っていたのですが。主人も私も見ないまま、納戸にありました。もう処分してもいいだろうと、中を一応確認。私信ばかりと思っていましたが、洋服の仕立てをしていた主人の母の仕立て代のメモや、注文の控えなどありました。その中に思いがけない書類を発見。八王子市長発行の主人の父親の「死亡埋葬認可証」でした。埋葬の場所が福島県のお寺になっています。主人も知らなかった事です。八王子で父の死後に空襲にあい、その後、祖母方の北海道に戻った事をきいていたものの、母親に詳しく聞かずにいるうち亡くなり。父親の情報がない事を主人は残念がっていました。私信だからと遠慮せずに、もっと早く開ければ良かったです。現存するお寺なので、メールで問い合わせましたが、その時期、檀家でなくても埋葬できたそうで。丁寧なお返事を頂けましたが、同じ苗字の檀家は2軒しかなく、それも今は他のお寺に移り、残念ながらうちの名字のお墓はないそうでした。片づけをしているうちに、色々な事が分かりました。八王子で焼け出されて、戦後の混乱の中、命からがらで北海道に戻ったのに、よくこの書類が取ってあったものだと、感動しています。そういう事で、家族の歴史に思いを馳せつつ、ぼちぼちと家の中を片付けながら、ほぼ元気で日を過ごしています。雪が融けたので、除雪道具をしまい、自転車や物干しざおを出しました。主人が可愛がっていたシャクナゲの冬囲いもそろそろ外してあげようと思います。割引売り出しの時に、主人と買いだめしていた打ち放題のチケットが、使わなくなってどっさり残ってしまっています。練習も行ってみようかと思いつつ、まだその気になれないでいますが、そのうちに。
2022.04.05
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主人が去って1ヶ月経ちました。2月4日から、あっという間に4週間が過ぎました。この間にも、主人の親しい友達がお参りに来てくれたり、遠方の親戚から暖かい励ましの言葉をいただいたりしました。ネットのお友達や、うちに遊びに来た事のある娘の友人からも、お供えや温かいお手紙をいただいたり。教え子や知り合いからお手紙もいっぱい来て、読み上げつつお供えする日々でした。1ヶ月経ちましたが、お供えは、お花が少し減り、代わりに色々なお酒が増えてきています(笑)お正月には、主人は元気にみんなと年越しをして・・1月4日にちょっと熱を出して入院しましたが、8日には退院。まだまだ元気でした。最後の1ヶ月は、本人も家族も予想できない病状の進行の早さでした。1月8日の退院後、2階の寝室への階段の上がり降りや、お風呂に入る力もありました。12日から居間に介護ベッドを置きましたが、トイレも自分で行けました。ただ、おなかの痛みが出始めて、貼り薬や舌下錠に、麻薬の痛み止めが処方されてきました。この頃から食事の量がとても減り、急に痩せはじめました。あっという間に体力が落ち、「今日できたことが明日はできない」状態へと、進行して行きました。痛み止めを使うと痛みは止まるのですが、倦怠感はなかなか消えず続きました。1月半ばには、おなかは腹水で膨らんでいるのに、体は日に日に痩せて、骨格標本のように痩せて骨ばっていましたが・・・。それでも、19日までは、自分で歩いてトイレに行っていました。その後は、トイレの後、歩く力が無くなるので、最初から車いすで介助しながら行きました。間に合わなくて、シーツや下着を汚す事があってから、紙パンツも念のため履くようになりました。ところが、大変な事が・・・。26日に、掃除機を片付ける為に居間を出ていた私が戻ると、主人は1人でトイレに行こうとして立っていて。慌てて駆け寄るも間に合わず、数歩で倒れて顔を打ちました。その後も、うっかり目を離したすきに、3度目は、おでこを縫うけがをしました。主人は、まだまだ歩ける感覚があるのに、体はいう事を利かない。1度転んでから、1人で歩いてはいけない。私を呼ぶようにと、口を酸っぱくして言うのだけど。ウトウト寝ている事が多い主人は、ふっと目が覚めた時、1人で起きてトイレへ行けると、思うようで・・。ベッドから降りて歩き始めても、数歩で足が動かなくなり、気持ちだけ前へ、そして前のめりに倒れるようです。3度目(1月27日)に、ドアまで行って転んだ時は、額から血を流している主人に駆け寄り、私は呆然。重くて動かすこともできません。主人を抱いたまま「なぜ1人で歩くの?どうして歩くの」と、私は大泣きしました。「すまん、歩けると思ったんだ。ごめんな」何度も謝る主人。「トイレで排泄する事は人としての尊厳」そう思う私は、意識のある間は紙おむつを使いたくない。と、考えていました。でも、訪問診療の先生は、違いました。「ベッド上の排泄に慣れて貰う事が大事だ。」「今、骨折でもしたら、入院したままになり、この状態では、手術もできず寝た切りで、痛みと不自由な中で、命の終わりを迎える事になる」「今の安穏な療養生活はできなくなる」「この生活は、トイレより大切なものじゃないのか?」「どちらが、大事なのかよく考えて決めなくちゃならないよ」おでこの傷を縫いながら、訪問診療の先生が、厳しく優しく私に諭しました。その後、主人の足も弱り、私1人では介助が危険になり、紙おむつの中にしてと頼みました。終わったらすぐ取り換えて、お湯でお尻を拭くからねって。今の紙おむつは、おしっこをしても、吸水が良く、不快感は無いんだそうですね。それでも、1月31日は、娘が来ている時、トイレへ行ってみたいと言うので、2人で介助して運びました。ですが、本人は便座に座って用を足せましたが、体力的にはかなり辛かったようで。終わった後、「よくやった!」と、娘と2人で、小さなコップに半分のビールを飲んでいましたが(笑)2月1日には、潰したいちごに練乳をかけ3粒。チョコレートを刻んだのを少し食べてみたり。夕食に日本酒ほんの数口、そして大好きなイカサシ。イカサシは消化が悪いので、千切りを叩いて潰したものですが、わさびを付けて少しだけ。この2~3日、ほんの少ししか食べなくなり、お味噌汁も汁だけを少しとか、潰したトロの刺身など少しでした。主人が言うには、「美味しくて日本酒も一杯飲みたいけど、どちらも数口で、すぐに要らなくなる」のだそうで。おかゆも一口か二口程度。(作ったおかゆは、殆ど私の食事でした)翌日、2日は、あまり食べず、暖かいお茶、ヨーグルトやアイスクリームを少し程度でした。そして3日は、朝から何も食べようとせず、朝に冷たいお水を飲んだだけで眠ってばかり。訪問看護師さんに来て貰い、その後、訪問医師に来て貰い診察して貰いました。夜になって孫たちが豆まきに来ましたが、眠り続けて反応してくれないまま。手足の色が悪くなってきて、私と娘でマッサージを続けました。3日の朝から眠り始めた主人は、ついにそのまま目覚める事無く、4日になった夜明け近く逝きました。ほんの1週間前に、孫をからかって冗談を言っていたのに、数日で急にその時が来たようです。介護ベッド(レンタル)も、3週間しか使わなかったし。お風呂の介護手すりや滑り止めマットも、3回しか使わず。(訪問入浴になりました)紙おむつのパンツ型とテープ型は、殆ど使われないまま残り、訪問介護ステーションに全部上げる事になりました。入院はせずに、最後まで自宅で過ごしたいと望んだ主人。「すまんな、みんなに迷惑かけるな~」と、昨年から何度も言っていたけど。私も覚悟して、これから正念場と思っていたのに。介護らしい介護もほとんどしないまま・・・。この1年、私も、息子や娘の家族も、今までになく濃密な時間を過ごせました。トイレに行けたあの日、娘とビール飲みながら、まさか、自分が4日後に死んじゃうなんて、本人も思わなかったでしょうね。最後は、あまりに、いさぎ良過ぎました。葬儀後は、弔問客もあり、挨拶状やら会計やら。一家の主が亡くなると、年金の手続きや、公共料金の名義変更など色々な手続きも多く、めまぐるしく慌ただしく過ごしてきました。今週、やっと確定申告も終わり、相続関係をのぞいて一段落。寂しい思いはありましたが、泣いている暇もありませんでした。唯一、泣いたのは・・・。2月末で携帯電話の解約に行くに当たって、中味を整理していたら、通話メモがあって再生したら主人の声が入っていて。1月8日に退院する日の通話メモでした。「早く来てくれないと脱走するぞ」と言っている主人の声は、すぐそばで耳元で私に話しかけているようで。もう会えない事は、すっかり納得しているのに、リアルに響くその声に涙が止まりませんでした。この家は、全地下室がアトリエにもなっていて、いわば3階建てほどもあり、私1人にはめちゃ大きな家です。1年かかって少しずつ片付けていくつもりですが、それまでは、主人はこの家で暮らして貰うつもりです。うちは、お墓ではなく、菩提寺に主人の母や祖父母が眠る納骨堂を持っています。四十九日が過ぎても、主人はこの家にいて貰います。これからの暮らしについては、収入などいくつかの不安はあります。でも、夫婦のどちらかが先に逝くのは当たり前のことで。残された方としては、できる事を精いっぱいやっていくしかありません。「先に逝っちゃって、あなたはズルイね~!」と、言いながら。もうしばらくの間は、健康で頑張らなくちゃね。昨日は、学校が休みだった孫娘(高校卒業したばかりの子と、間もなく中学校卒業する子)2人と美味しいカレーのお店にお昼ご飯を食べに行きました。写真を見たら、ナンばかり写ってる(笑)焼き立てのナンは、お代わり自由だそうですが・・。とっても美味しく2枚くらい食べたいくらいでしたが、残念ながら私には1枚でも多すぎて食べきれなかったです。(苦笑)
2022.03.04
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前回のブログを更新したのが、2月2日の夕方でした。この日は、チョコレートを刻んだのを少し食べたり、夕食には、大好きなイカサシを刻んでネギと叩いたのを数口。そして日本酒が飲みたいと、小さなお猪口に2口。毎日泊まりに来る5年生の孫がお休みの挨拶を言いに行くと、うなずいていました。その翌日の3日は、午前中訪問看護師がきたのですが、主人は熱が出てきて朝から殆ど食べず、ウトウトしている状態。午後には訪問医も来てくれました。飲み物も飲もうとしません。その日は、節分。例年は「オニ」になって、孫から豆をぶつけられて、はしゃぎながら逃げ惑う「ジジオニ」でしたが、今年はベッドの中。夜、豆を持ってきた孫たちに、「オニは~ソト!!」という大きな声をかけられても、昨日と違い、今日はあまり反応してくれず。「ご飯食べないの?」「ちっとも?」心配そうな孫たち。呼吸も、時々休みがちで、泊まりに来てくれている娘と2人、眠り続ける主人に、代わる代わる手足のマッサージしていました。夜10時過ぎ頃から、手先と足先の色が悪くなってきて(チアノーゼ)、マッサージすると、また血行が回復する状態。もう長くはない状態に来てしまっている事を覚悟しました。看護師と医師には連絡し、ずっと手足を交互にさすり続けました。呼んだり頬をさすると呼吸が回復する状態は、夜中ずっと続き、とうとう4日(金曜日)の明け方に、呼吸が止まりました。眠り続けたまま、ふっと呼吸が止まり、呼んでもほっぺをさすっても、戻ってきませんでした。閉じたまぶたをを開けてみたら、瞳孔が散大していました。看護師さんに連絡し、来ていただいた後、昼間も診ていただいていた医師にきて貰い死亡を確認したのが2月4日、朝午前6時でした。私と娘で、主人の体を綺麗にして、お寺や葬儀社に連絡。それからは、息子や娘が色々手伝ってくれて、翌日(土曜)にはお通夜、日曜日には葬儀が出来ました。喪主は私で、施主は息子。親戚への連絡や葬儀社との打ち合わせなど、子供たちが全部やってくれて、とても頼りになりました。娘はこまごまとした雑用に気付き、率先してやってくれ、本当に助けられました。密を避けるため、お通夜や葬儀の会場以外(ロビー)に、別の焼香台を設け、随時焼香してお帰りいただくようにしました。ロビーには、主人の作品や経歴をまとめて展示するメモリアルコーナーを設置しました。遺影は、孫たちと一緒に撮った、「とびきり笑顔」の、写真にしました。訪れた人たちが、写真を見て、異口同音に、こんな笑顔は見たことが無いと驚いていました。「へぇ~こんな優しい顔をするんだねぇ~!」って。それもそう、妻や子供たち、知り合いにはなかなか見せてくれない、「孫限定笑顔」です。こんな時期なのに、主人の美術仲間、ゴルフ友達、昔の教え子など、沢山の人が訪れて下さいました。車椅子で駆けつけて下さった恩師や親せき、40年~50年以上前の教え子たち。葬儀の打ち合わせ手配などを息子に任せ、お通夜が始まるまで、私は1一人一人ご挨拶に専念できました。何十年ぶりにお会いする方々もいて、1人1人挨拶しながら、胸が一杯でした。とてもいい葬儀でした。今は、自宅に、家族用のメモリアルコーナーを設けてお参りしています。毎日、孫たちもお参りに来てくれています。ところで、3日の夜から明け方まで、主人の手を握りさすり続けていましたが、その時、初めて気づいたのは主人の手の大きさと指の太さです。右手だけがとても大きく、1本ずつ握る指が太いのに、左手の指は意外なほど華奢でした。50年以上連れ添って、今頃気づくなんてね。今まで、ちゃんと手を握っていなかったみたいです(笑)一晩で、50年分以上の手を握りました。主人の希望通り、ずっと自宅にいたい。その時が来たら無理な延命処置をせず、静かに逝かせてくれという願いはかないましたが・・。1年かかって覚悟を決めてきた家族にも、あまりに急な変化でした。10日前には車いすでトイレにも行けたのに・・。みじめな姿を見せたくない、プライドの高い主人らしい最後だったと思います。昨日(10日)の朝、7時半という早い時間に初七日のお経をあげて貰いました。金曜日でしたが、学校や仕事に行く前に、子供たちも参列。朝日が差し込む明るい部屋で、主人は微笑んでいます。
2022.02.11
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前回、主人は自宅療養に戻っている事をお知らせしました。とりあえず炎症は収まったのですが、病状は進行していて、緩和ケアとしての自宅療養です。コロナ感染が収まらない今は、入院したら面会もできず、ただベッドに寝ているだけの生活は苦痛でしかありません。痛みや倦怠感などの苦痛を抑えながら、以降は自宅で過ごす事にしました。訪問診療医師、訪問看護師などのお世話になっています。前回、居間に介護ベッドを置いた写真を載せました。退院直後は、居間でテレビを見たり外を眺めて過ごしていました。自宅の浴室に手すりをつけたりして、介助しながらお風呂も入っていたのですが、急に脚力も弱り始め、危なくなりました。普段は、私が体を拭きますが、やはりお風呂もいい。安全を考えて、訪問入浴のお世話になっています。浴室からお湯を給排水しながら、居間に置いたバスタブで入浴します。ベッドからバスタブへの移動や体を洗うのも、3人でそっと動かしてくれるので、安全に気持ちよく入浴できます。(裸が晒されないよう気配りしてくれています)居間に置いていたベッドは、10日くらい前から、続き部屋(トイレ付)に移動しました。テレビを見る時間も減ってきて、寝る時間が多くなりました。夜間、付き添って休めるソファベッドも、すぐそばにあります。初めは、車椅子に移乗してトイレに行けたのですが、介助しても無理な状態になってきました。食事は、あまり食べられなくなり、かなり痩せてきて、ベッドから自力で起き上がる事はなくなりました。強い痛みや倦怠感を抑えるために、処方されるお薬のせいで、ウトウトする時間が増えてきました。新聞や手紙を読んであげたりしていますが、反応がイマイチの日が増えてます。体調の変化はありますが、一進一退ではなくて、一進二退かな。でも、孫たちは毎日来てくれて、その時だけは頑張って笑顔を見せてくれる事が多いです。老々介護の私が倒れたら大変だと、子供たちが心配してくれています。たまには、自分の寝室のベッドで寝なさい。と、娘が代わりにそばに付き添ってくれる夜もあります。シーツ交換や体位交換、車いすに乗せる介助も、娘は手際が良く、手伝って貰うと凄くラクなの。素人にしては、ずいぶん上手と感心していたら、なんと!結婚して福島にいた頃、介護ヘルパーの資格も取っていたそうで。(私は、今まで知らなかった)さまざまな資格を取った中の1つだったそうで・・・。「まさか今頃、ここでコレが役立つ事になるとは、思いもよらなかった」と、娘がしみじみ。今の私には、20年前、脳梗塞で寝たきりの父親を介護していた時のような体力がありません。でも、当時は、介護する父親の他に、老齢の母親もいて、主人も仕事をしていました。父の介護の他に、家族のための家事がたくさんあり、とても忙しかったです。その時に比べたら、今は、主人の世話だけしていれば良いので、休む時間もあるのがラクかも。ただ、介護するのは、長年連れ添った相方である事。自分の老いも感じる事など、この先を考えると、寂しさと不安はあります。私自身、体力もですが、むしろ精神的に強くいる事が大事かなと思います。とりあえず今しばらく、自分の健康を大切にする事が、主人のためでもあります。息子夫婦、娘夫婦、孫たちに助けられながら、頑張って行きます。
2022.02.02
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大晦日には、息子の家族と娘の家族がきて勢ぞろい。元旦にも、それぞれがお年始にきました。最近ベッドで寝ている事が多くなった主人は、パジャマのままでしたが・・(苦笑)和やかに楽しくお正月を過ごしました。楽しく過ごしてはいましたが、元気そうに見えて、実は食事があまり取れていませんでした。先月頃から、時々腹痛があり、処方されているお薬の中に痛み止めも入っていました。3日の午後から熱が出てきて、4日に病院受診。(実は5日が定期検診日でした)胆道に入っているステントの調子が悪くなり炎症を起こしたようでした。即、入院して絶食、点滴、抗生物質投与で炎症は鎮まってきて、退院。5日間の入院でしたが、自宅に戻れてほっとしています。昨年は、6回の入退院がありましたが、改めて、自宅がいいなぁと、主人の実感。最近、2階にある寝室への階段の上り下りがキツくなってきました。主人は2階の寝室で寝るか、リビングのソファをベッドにして、横になる事が多かったのですが。昨年終わり頃から、寝室で寝る事が多くなり、寝室のテレビをつけっぱなしで眠ってしまっている事が多い。冬眠のクマさんみたいに寝ている事が多く、起きてくるのが億劫そう。階段の昇降も心配になってきましたので、1階で休む事にしました。リビングとつながる部屋には、トイレも流しもついているので、そこにベッドを置こうかと思いましたが・・居間のテレビが見やすい位置のソファをどけて、そこに介護ベッドを置きました。主人はガラケーを枕元に、除雪などで、私がそばにいない時は、ボタン1つで私のスマホにかかるので、いわゆるナースコール??これからは、通院でなく訪問診療を受けながら自宅療養になります。
2022.01.14
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なかなかブログの更新もできていませんが、無事に今年を終えられそうです。北海道も本格的な冬の訪れです。今朝はお天気が良く、窓から強い日差しが差し込むと、ポカポカ暖かい感じがしていましたが・・。外に出てみると、外気は冷えていて、物置の寒暖計を見ると-10度でした。家の中にいると外の寒さが、あまりよく分からない事が多いです。今年のお正月には、息子や娘の家族と揃って宴会をしながら、楽しく過ごしていましたが・・。お正月明け、突然体調を崩して、病院を受診した主人は即入院でした。検査入院のつもりが、検査が進むにつれ、思いがけない病名が告げられました。すい臓がんで、肝臓への転移もあり、ステージ4でした。札幌の大学病院の専門を紹介され、すい臓がんの権威である医師の診断もお願いしました。他臓器に転移が始まっているデータの状態から、即、癌の手術は、予備の癌細胞増悪のデメリットが大きい。抗がん剤で、進行を抑えきれたら手術の可能性も見えてくると云う事でした。抗がん剤の種類を替えつつ、コントロールしながら治療を続けてきています。ただ、抗がん剤は癌細胞だけでなく正常な細胞も痛めるので、副作用との戦いで体力も失います。手術に至るまで抑えきれていないのが現状です。長年に渡って主人のライフワークだった彫刻の制作活動は、体力的に無理になりました。夏前に、主人は、地下室のアトリエの大方を片づけ、道具や粘土なども仲間に譲り、リタイアしました。ですが、体調のいい時はゴルフ場に行ってみるなど、趣味のお出かけもできました。冬の季節に入り、なかなか外出しにくくなりましたが、先月は、息子のコンサートへ(車椅子ですが)出かけました。今は、週に3回は、丸山ワクチンを打ちに、病院へ行っています。旭川は、すっかり雪道の路面になりました。車の運転には、かなりウルサイ主人ですが、この頃はおとなしく助手席にいます(笑)最近は、両隣に住む孫たちが、毎日のように顔を見せて励ましてくれるのが、元気のみなもとです。すっかり食の細くなった主人は、好きなものを少しだけ食べる生活で・・食卓は、ままごとのように小さな器が幾つも並ぶことが多いです。先日のクリスマスには、娘の家族が夕食を我が家で食べるという事で、久しぶりに賑やかな食卓でした。主人が言うには、自分は食べられないけど、見るだけで元気が出る食卓だそうです(笑)食べ盛りの孫がモリモリ食べるのを、目を細めて見ていました。久しぶりに日本酒もお猪口1杯。(*^-^)ニコ(本当はダメなんですが、ま、いっか~!)娘の焼いたチキンやクリスマスケーキはとても美味しかったです。ベッドやソファで休む時間が多くなった主人ですが、痛みや吐き気などの強い副作用はありません。訪問看護師も、2週に1回様子を見に来てくれます。穏やかなお正月を迎えられそうです。
2021.12.26
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自宅療養している主人ですが、一時激減した体重は落ち着き、少しずつ食べられているのでなんとか減らずに済んでいます。ただ、少し食べても、時々腹痛が起き、体を横にして休むと収まる事が多くなりました。そして、冬に向かうお天気のせいもあり、外出はだんだん億劫になってきました。そんな中、先日の土曜日は主人の81歳の誕生日でした。子供や孫たちがお祝いしてくれました。全員が同じ時間に集うのは、スケジュール上、無理でした。東京に出張中だったオットさんと部活のスキーで大雪山に行っているK太は来られない。短時間になりますが、お昼のランチを自宅で会食。夜に予定のある人もいて、主人も飲めないし、お酒抜きの会食になりました。飲んべえ家族の、ウチの会食で、お酒が無い!なんて、前代未聞の事ですわ!(笑)近くのお寿司屋さんから届いたお寿司やオードブル。娘から手作りの2段重ねのチョコレートケーキ。息子家族から花束、素敵なマフラー。サラダ。孫たちが一生懸命作った可愛いバースデーカードなどなど。一杯のプレゼントと笑顔をいただきました。主人が疲れてしまわないよう、短時間ではありましたが、濃密な楽しい時間を過ごしました。今年初めに病気の状態が分かった時は、もしかして今年の誕生日は迎えられないかと、いったんは覚悟しましたが・・・。孫たちや子供たちの暖かい励ましで、まだまだ主人は頑張っています。翌日の日曜日の夕方から、息子の趣味で所属している楽団の定期演奏会でした。日程が決まった夏ころから、必ず聴きに行くと約束をしていました。でも、最近になって、体力的に無理だと言い始めていました。やはり行けそうもないと。車いすや車の手配が済み、服装も着替え、クッションやひざ掛けを用意し、出かける準備ができたのですが・・演奏会が始まる間際まで、出かけるのは止めると言いまして、私の説得では無理。出かけるのを諦めかけたところで、娘と孫のタケちゃん登場。娘が何とか説得して、タケちゃんも一緒に車に乗り込み、会場に向かいました。開演ぎりぎりでしたが、電話でお願いしてあった車いす席に私と主人は着席。第一部にあった息子のソロ演奏も聴くことが出来ました。いつでも、会場を出られるようにと、体調を心配しながら付いていました。が、演奏が終わるたび拍手をしっかり送っているので、少し安心。、第一部が終わり、第2部が始まる幕間いに、私と主人は、ハイヤーで帰宅してきました。帰宅後、すぐパジャマに着替え、軽い夕食も取れて横になりました。「なかなかいい演奏だったね。アイツもうまくなったな~」と、主人の感想。なにより、息子との約束を守れたことに、ほっとした感じでした。それも、娘と小学4年生のタケちゃんのお陰だな~(*^-^)ニコ
2021.11.22
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内服薬の抗がん剤になって4週間経ち、今は2週間の休薬期間に入りました。副作用も以前の治療よりは強くない感じで、今のところ、穏やかに過ごせています。1度目の抗がん剤治療で、すっかり脱毛して、つるつるになった頭ですが・・。2度目の治療では、強い倦怠感や体重減少がありながら、脱毛の副作用だけなくて。7月の終わりころから、赤ちゃんの頭のように髪の毛が生え始めてました。今回の3度目の治療で又抜けるかなと思っていましたが、4週間経ち、まだ大丈夫みたいです。4週間の毎日服薬、2週間休薬が1クールなので、2クール目に入って、お薬が蓄積されてきたらどうなるか分かりませんが・・。今のところ、大きな副作用は出ていません。主人は、ヤセの大食いでしたが、今は激ヤセの少食になっちゃいました。でも、食欲が無くなった訳ではなく、意欲はあるけど、少し食べただけですぐ満腹感。主治医からは、一応、脂の強いものや消化の悪いもの、刺激物、アルコールはダメと言われています。でも、少しずつしか食べないので、本人の好物優先です。揚げ物は、できるだけ控えますが、ヒレカツも衣を半分くらい取り除いてカツどんにしたり。白身のお刺身より好きな脂濃いマグロのトロも、ウナギも好きなので、少しずつ食べて貰います。(入院中はおかゆに煮魚、煮野菜などでした)おかゆは好きじゃないので、軟らかめのご飯で、昼食は煮込みうどんが多いです。こうして、自宅で療養していますが、無事に過ごせている今がとても貴重です。実は、11月の3日に、娘が主人をゴルフ場に連れ出しました。先月末、娘が「お父さんとゴルフ場に行きたい」と、主人に頼んだのです。私は反対しました。というのも少し前に選挙があり、近所の小学校に投票に行きましたが、その時の様子でも、主人は500メートル歩くのも厳しい状態でした。車いすで行きましたが、帰宅したら疲れて寝てましたので、とうてい無理だと思ったのです。でも、娘は「来年は、お前と一緒にゴルフしようって言うから、シューズも買って楽しみにしてたのに、今年行けなかったじゃない」強く誘ってきました。主人は、「お母さんと2人で行ってこいよ。俺は家で留守番してるから」といいましたが・・。「お父さんと一緒に回りたいの。たとえ1ホールでもいいから行こうよ。車いすも積むし、ちょっとだけでいいから~~」と、粘りまして・・。とうとう行きました。案の定、1ホール目のグリーンそばで歩けなくなり、おぶろうとした娘を断り、肩を借りてカートに戻りました。そこで止めて、ハウスに戻ろうとしたのですが、「歩けないけどカートに座っているのは平気だから、2人で続けなさい。」「君らのへたっぴゴルフ見ているのは面白い~」と笑うので、私と娘がそのまま続行。その後、主人は時々カートから降りてティショットなど打ちましたが、続けて打つのは無理でした。この日、シーズン終わりの祝日なので、めっちゃ混んでいて、各ホール待たされる状態で、ハーフで3時間近くかかりましたが、とうとうハーフの9ホール回り終え、ハウスに戻ったところで、残りハーフは止めました。帰って早く休んだ方がいいかと帰り支度をしていると主人、おなかが空いたのでラーメンが食べたいと。普段、ほんの少ししか食べないのに、「うまい!」ほぼ1人前を完食し。思いがけない元気に、私も娘もびっくりでした。(本人もでしたが)(笑)このところは、主人の体力の衰えが目立ち、行っても辛いだけかもしれないと心配していましたが、予想外に楽しかったようです。帰宅後、息子にこの話をしたら・・「良かったね~!父さんにゴルフは、やっぱりウマニンジンなんだね~!」と(^_^)ニコニコ確かに自分の打ったボールを追いかけて行くゴルフは、歩くのが全然苦にならず、人参を追いかける馬みたいですわ(笑)強引に誘ってくれた娘に感謝しました。私と主人なら、もうコースに出る勇気はありませんでした。ちなみに娘は、若い頃にゴルフを少ししたことがあります。が、その後、育児や仕事に忙しく、ゴルフをしないまま10年以上経ちました。仕事を持っている娘は、休日に子供だけで留守番させて遊びに行く事が無いので、ゴルフも遠ざかっていたのです。やっと、昨年、シーズンの終わり頃、十数年ぶりのゴルフを私たちとしました。その時、娘の履いていた靴の底が、すっぽりと剥がれ落ちて無残なありさまに。十年以上経っていた古い靴は、ひどく経年劣化していたようです。(苦笑)その時、主人は、「来年は、もっと一緒にゴルフしようね。」と約束し、娘は来年に備えて、新しいシューズを買ったのでした。もうコースには行けないと思っていましたが、思いがけない楽しい1日を過ごすことができて良かったです。先日は、主人の車いすを押して、近くの公園にある図書館へ行きました。晩秋に近い公園は、落ち葉が散っていて綺麗。公園の木々は、冬囲いも終えていました。図書館は、今年はコロナで休みが続いたり、ネット予約貸し出しと返却のみが、つい最近まで続いていました。本棚から本を選ぶのは久しぶりの主人。ゆっくり選びながら楽しそうでした。私は、車いすを押しながらの往復で、足と腕が翌日には、軽く筋肉痛。え?たったこれだけで・・。以前は、普段散歩していた距離なのに、今は、かなりの運動不足になっているようです(苦笑)
2021.11.11
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前々回のブログに書きましたが、新しい抗がん剤は内服薬になり、その副作用を見るためにいったん主人は入院してましたが、実は1週間で退院しています。2週間位、体調を見る予定でしたが、大きな副作用もない様子で、主治医が退院を早めてくれました。今回は、今年になって6回目の入院で、入院の度に体力が無くなる感じです。肝臓の転移巣も進行しているから仕方ないとは思いますが・・。入院中は、毎日電話で話したり、面会はできないけど、その日の新聞を毎日午後には病院に届けていました。でも、単調な入院生活は、心身を日々弱らせて行くようで、力ない電話を聞くたび、とても心配でした。先週の月曜日に退院し、毎日ご飯を食べて貰い、状況が分かる事で、私も少しほっとしています。結構な大食漢だった主人ですが、今は少食で、ほんの少しですぐおなか一杯になります。消化の悪いもの、揚げ物、刺激物、カフェインやアルコール、脂の強いものは良くないので、難しいです(苦笑)まったく避けるのも難しい。なので、カロリーや栄養を考えつつ、主人が喜びそうなものを模索するのが、今の私の仕事。ここしばらく、外に出る事を億劫がっていた主人ですが、秋晴れの先日、遠出しました。遠出と言っても、片道20km程度の近郊のゴルフ場で、私たちのホームコースです。毎年、ホームコースでは、50回を越えるラウンドでしたが、今年、主人は1度もまともにラウンドできませんでした。18ホールの半分だったり、時には3~4ホールしか回れない状態で何回か。予約もせず、突然行き、その時の体調を見てイレギュラーな時間に入れて貰ったり、わがままを聞いて貰いました。(ホームの選手会のシルバーメンバーだった主人なので、春に選手活動を止めるにあたり、ホームに病気の事を報告しました)行くたびに、スタッフがいつも色々と気を遣って下さいました。そんなコースも、そろそろシーズンオフが近づいています。きっと山の紅葉が綺麗だろうから、行ってみようかと、主人を誘いました。そして、お世話になりましたと、皆さんにお礼を言い手土産を渡してこようと。最近、車の運転を私に任せてしまう事が多かったのですが、久しぶりに主人が運転。快適に楽しそうに運転していました。紅葉した山は、本当に綺麗でした。スタッフの皆さんに挨拶した後、ラウンドする体力は無いけど、パターグリーンに行って、2人でパット練習。主人は少しだけやって車いすで休み、私がやるのを眺めて、あ~だこ~だと、注文付けます(苦笑)とても気持ちのいい時間でした。おにぎり持ってくれば良かったね~。と言いながら帰ってきました。帰りの運転は私が替わりましたが、とても楽しい時間でした。帰宅後、ソファで横になりましたが、体調もまずまずです。夕食も美味しく食べてくれましたが、最近、主人の体重は50kgを切りました。
2021.10.25
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ここ最近、キッチンのガスレンジが不調でした。家を建てた当時のシステムキッチンで取り付けたのが、電子コンベックというものでした。電子レンジにオーブン機能がついたものがありますよね。当時、購入したのがガスコンロの下にガスオーブンがついていていて、それは電子レンジ機能も備えているスグレモノで、めっちゃ高かったです。ガスオーブンと電子レンジと同時に使いながら料理できるので、時間短縮が出来ました。ガスを併用する事で、電気オーブンより火力が強い上に、電気料金が安い。スペアリブやグラタンなど焼き目のほしい料理に重宝でした。これと、圧力鍋は、働いていた私にとっては、時短料理の強い味方でしたよ。普段は電子レンジでの使用が多かったけど、当時中学生だった娘は、パンを焼いたりケーキを焼いたり、お菓子作りに夢中になりました(笑)「お菓子じゃなく、夕食を作ってくれ~」と、娘に何度言ったことでしょう(笑)でも、今から15年くらい前に、使用頻度の多いガスレンジの方が壊れました。そこだけ買い換えようと思ったら、世代交代が進んで、この機種に適合するタイプのガスレンジの在庫は1機種しか残っていないと。次に壊れた時は、電子レンジとオーブンごと、全交換が必要になるだろうとの事でした。とりあえず、当時は、在庫があったそれに付け替えて貰いましたが・・・。あれから15年、ついにまた、ガスレンジの方の調子が悪くなってきました。こんなガスコンロと電子・ガスオーブンレンジでした。どうやら・・40年近く働いてきた電子レンジ機能もガスオーブンも、機能は問題ないけど、接続できるガスレンジがいなくなり、とうとう全部取り換えの時期のようです。最近は、パンをトーストする程度は、簡単なオーブントースターを使ってました。1~2人分のグラタン程度なら、今のトースターでOK。オーブンで大きなお肉を焼くことも無くなりました。以前の機能は高価すぎる上に、今の私たちには必要が無しと判断。但し、良く使う電子レンジは、必要なので、単体で購入することに。全部、取り外した後は、ガスコンロと付属する台を購入する事にしました。昨日、業者が来て工事して貰いました。何も罪のない、ガスオーブン電子レンジ機能の部分は残念だけど、台ごと撤去。約40年間、ボロボロになるまで、共に働いてくれてありがとう~~。お疲れさんでした。この際、IHに換えた方が安全かとも思いましたが、火力と電気料金が気になりました。今のコンロは、過熱しすぎると自動消火するので、お鍋を焦がす心配もないし・・。😃こうなりました。キッチンのテーブルからオーブントースター(ピザトーストを焼くことが多い)を移動。テーブルに電子レンジ(ほとんど温めか解凍が多い)が収まりました。オーブンが無くなったガス台下のスペースには、このグリル用の用途別パンや、消化器などが収まりました。今までのコンロは、グリルが片面焼きしか適合しなかったのですが・・。昔々使っていた両面焼きに戻れるのが嬉しい。なにより、お掃除しやすいコンロなのが、私にはとても嬉しいです。
2021.10.15
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