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『私立探偵・麻生龍太郎』を読んだ。出口を探そうともせず、迷路で彷徨い続ける物語かもしれない。刑事を辞め、私立探偵を生業に選んだ麻生龍太郎が解決する事件は、4つ。極普通に生きているはずの人間の、ふとした切欠で存在を顕わにする、それぞれの業。ちょうど、3つは1時間のレギュラーもの、最後の1つは2時間のスペシャルもののように、その展開にあわせ登場人物や小道具や舞台となる地域の規模が変化する。それぞれに読み応えがあり、結末はほろ苦い。本来、主となるのはその4つの探偵物語であるが、『聖なる黒夜』を経てきた者には、言うまでもなく麻生と山内練のその後こそが主筋。古びたビルの麻生の事務所に、当り前のように練は現れ、当り前のように麻生は練を抱く。それは二人にとって当然で、麻生は最早練を手放せず、練も麻生とは離れ難く、あとは、それぞれが最終的な決断をするだけである。が、その決断はそれぞれにとって真逆であり、だから、二人は惑う。組織から離脱して、改めて己の根本がそこにある事を自覚する麻生。現在を否定する事は、己を陥れた者に屈する事である練。麻生は、練の更生を請うが、それが既に非常に困難である事を知っている。練は、麻生の決意を待っているが、それが不可能である事を知っている。麻生は、屈する事をしない。練は、諦めながら、それでも待っている、暫し。練は、麻生の組織からの離脱が、やはり嬉しかったに違いない。真っ先に麻生の事務所へ現れ、「お帰り」と言われ、「ただいま」と恋心を顕わにする。たまさか現れ、ひととき寄り添い、ふと立ち去る、通い猫の束の間の幸福を味わいつつ、そして、麻生が麻生以外の何者でもない事も、思い知る。それもまた、練には幸福であったかもしれない。麻生の、決して揺らがない本髄を確信したから。己に対する恋心は、確かにその本髄に在る。それを知ってしまった練の恋心が、哀しい。練は、麻生の決断を待ってしまう気持ちに彷徨いながら、自分自身の決意を固める。麻生は、練が一人決意する事を判っていながら、無理強いせずに未練を残す。それは、練を切り捨てられない麻生の狡さでもあるが、練にとっては、麻生が自分とは別れないという確信だったかもしれない。もし麻生が、練が望む決断をしてしまったら、それは麻生が麻生でなくなるという事を、練は知っていただろう。麻生でない者を、練は決して愛さない。麻生は、確かに練そのものを愛している。だから最早、練に対して真実を求めていないのかもしれない。必ず真実に行き着いてしまう己を、決して誰もが望まぬ真実を暴いてしまう己の才能を、最も恐れているのは麻生自身かもしれない。だから、麻生は練に対して、優柔不断にしかなれない。それは麻生なりに、練と共に在る事ができる精一杯の方法を、己に許した事にならないか。その事を、練も十分知っているから、傘というささやかな現実を自分の元に人質にしたんだろう。決着をつけない事が、麻生と練の愛し合い方なのかもしれない。だから、麻生と練の物語の結末は、無いのかもしれない…そんな気がした。 『私立探偵・麻生龍太郎』 2009年2月 角川書店 柴田 よしき
March 18, 2009
『聖なる黒夜』は、いくら私でもBL的な読み方はしなかったつもりです。でも、『所轄刑事・麻生龍太郎』は、拙いなぁと自覚しつつ、どうしてもそっち寄りになってしまいました…先般『聖なる黒夜』を読み直して、改めて麻生の無自覚な両刀っぷりに同情を感じつつ、些か苛立ちめいたものも感じてしまったのは、すっかり及川純という女王様に惹かれてしまったからでした。かつてハードカバー版の初読み時には、全くそんなコトを感じてはいなかったのは紛れも無い事実で、その後の数年間に如何に自分がBL読みになっちまったかを思い知らされました。しかも、及川が登場するやいなや、もういきなり成田剣さんの声が降ってきたし…あぁ~愉しかった!『所轄刑事・麻生龍太郎』が、刑事に成り立てのまだ25歳当時の麻生が主人公だと知った時、これは及川が存在する物語だろうと確信していました。だから、‘いつもの店のいつものカウンター’に居る及川に、にんまりしたのですが、まさかこれほどはっきり二人の関係が描かれるとは、思いもしませんでした。何となく匂わせる程度で、せいぜい学生時代の回想くらいだろう…それでも十分嬉しいんだけど…と、予想していたので。そして、及川の意外な程の深情けっぷりに、泪してしまいました。25歳の麻生が、まさか「自分には普通に女を愛することができない」と思っていたとは、意外でした。それくらい及川との関係が本格的で真剣だったという事にも驚いたのですが、それでいながらどうしても違和感を自覚している事に、麻生という男はつくづく罪深いなぁと思ってしまいました。だって、まさか最初に誘ってたのが麻生だったなんて…絶対、女王様が押し倒したと思ってた…麻生は、何てこうも救いようの無い超鈍感男なんだろうと、つくづく思ってしまいました。そして、何てこんなに残酷な両刀…しかも無自覚…なんだろうと、つくづく呆れてしまいました。でも、やっぱり、気の毒だなぁと同情もしてしまうのは、麻生が根っから真面目で真剣で、ちょっと不器用なところがあって、どこか優し気だからなのです、が、だからこそ麻生は男からも女からも惚れられるわけで…本当に、罪深い御仁です!そんな鈍感男の前に、女王様は毅然と君臨していらっしゃるわけですが…よっぽどこの年下の男が、可愛くてならないんでしょう。女王様は、時折ちらっと本音を仄めかされるんですね。‘鍵’とか、‘部屋’とか。で、鈍感なら鈍感を貫き通せばいいものを、真面目な鈍感男は女王様の愛情をちゃんと解ってるあたり、誠実って時に残酷。こういう時ばっかり、きっちり答えをだして…そして、やはり全く変る事なく毅然と君臨されるお姿こそ、女王様の最大の愛情です。麻生にとって及川は永遠の美しさで、その後姿を目の当たりにして泣きたくなるくらいの、‘永遠の憧れ’という存在に化してみせます。最後のはなむけに、「…身だけは守れ。破滅しそうになったら、逃げてくれ」と、女王様は予言まで与えていらっしゃるのに…予言した方も予言された方も、誰一人として麻生が逃げられるとは思っていなかった通りに事態はなって…女王様ばかりが口惜しくて哀しくてならなかったでしょうねぇ…解ってはいても。でも、まさか女王様も、麻生が女を愛する日がこようとは、思いもしなかったでしょう。『聖なる黒夜』で、その折の女王様の狂乱振りを既に知らされていますけど、25歳の麻生を知った上でこの‘狂乱の場’を改めて思うと、むべなるかなと泪を禁じ得ません。だって、最悪の裏切りに他ならなないもの…それでも尚、女王様には可愛い男が殺せないのねぇ…『所轄刑事・麻生龍太郎』を知った上で、改めて『聖なる黒夜』を読み返すと、また物語から受けるものの様相が変ってしまうわけで、この後に更に麻生の物語が知らされるとなると、ますます様々に変化していくのかもしれません。つまり、我々読者もまんまと麻生龍太郎というループに嵌められたというわけです。本当に、つくづく罪深い男だ… 『所轄刑事・麻生龍太郎』 2007年1月 新潮社 柴田 よしき
April 2, 2007
柴田よしきさんの、『聖なる黒夜』を読みました。2002年の10月に出版された、真っ黒なハードカバーのずっしりとした重量感が、文庫2冊と化して蘇りました…今回文庫で読み返してみて、自分が4年前とは全く異なった読み方をしたようです。前回は、ひたすら山内練という強力なキャラクターに魅せられ囚われ、彼を懸命に追い掛けたばかりで、しかも全く手は届かず振り回されたに過ぎないのに、それだけでたっぷりとした充足感に浸ってしまったのだと、今回つくづく判りました。そして、この物語の全ての登場人物に改めて気付かされて、こんなにも哀しい物語だった事を知りました。暴力団の大幹部の殺害事件から物語はうねりだし、様々な人間の様々な状況が語られ、複雑に縺れた関係はまっしぐらに一つの結果へ向って進んでいきます。そうとうなボリュームであるのに、一旦その流れに乗ってしまうと、奔流に巻き込まれる快感があって、物語に浸り切って読む喜びを実感できるのですが、前回はどうやら大喜びで流され過ぎたようです。今回は、なかなか時間的にも体調的にも一気に行けなかった分、物語のあちらこちらで立ち止まり行きつ戻りつ読んだせいか、登場人物たちそれぞれの状況や想いに改めて気付かされ、一つの結果に向う複数の物語を読んだ実感があります。しかも、その複数の物語は一つの結果を産み出しながら、更に彼らそれぞれの結末(あるいは途中経過)も持っているのです。この物語は、自分が誰を主人公として読んだか、誰により思い入れて読んだかで、更に味わいが変化するという事に気付かされます。物語の主人公は、あきらかに山内練なのですが、ただそれだけではない事にも、どうしても気付かされてしまうのです。言ってしまえば、この物語の一つの結果が、山内練です。山内練は、『聖なる黒夜』執筆以前に書かれた物語に既に登場しており、柴田作品のファンには既に馴染みのあるキャラクターでした。でも、それらの作品の彼と、『聖なる黒夜』の彼にはまだ大きな隔たりがある事を、従来のファンは知っています。つまりこの『聖なる黒夜』は、あの魅惑的な怪物である山内練が如何にして作られたかという物語でもあり、同時に山内練はこんなにも重く哀しい過去を背負っていたのかと思い知らされた物語でもあったのです。警視庁捜査一課の刑事である麻生龍太郎は、この物語の狂言回しの役割を担っています。麻生は、山内練という一人の青年を、怪物にまで至らせる一つの発端でした。その発端となった事実によって、麻生自身も逃れられぬ生き方をせざるを得なくなるのですが、当初その事実を全く自覚していなかった事に、彼の悲劇があります。その発端は、極普通に真面目に生きている人間でも、ふと陥ってしまう事が起こりうる類のもので、ただ、それが刑事という身分と容疑者という立場という違いによって、重大な事態を招いていたのですが、麻生は全て終った事として記憶が処理してしまっていたのです。改めて事実を知らされ、そして無自覚なまま復讐を遂げられていた事を知った麻生は、改めて山内練と対峙する事になるのです。この物語のテーマの一つに、‘復讐’があります。激しい慟哭は冥い恨みとなって、その全てを復讐に凝り固めてしまいました。復讐は虚しいものだと誰もが解っている筈なのに、ただその一点にのみ縋るようにして生き続けた女たちの物語でもあるのです。そして、その一つの復讐は、女たちがあれほど憎悪した対象に、更なる巨大な存在を誕生させてしまったという、実に皮肉な結果にもなっています。また、‘執着’もテーマの一つでしょう。たとえば、麻生龍太郎という男に対する執着だけを見ても、実に様々な人間が蠢いている事に気付きます。それ全て、‘恋情’と言い換える事が出来るあたり、麻生の男としての魅力であり、同時に罪深さ…麻生に向けられる恋情は、女に限られていない…でもあります。復讐にしても恋情にしても、人間の業というもののあからさまな形という事を痛感させられます。そして、その復讐も執着も、一身で表す男が居るのです。彼が全ての発端でもあり、元凶でもあり、永遠の存在なのです。私は今回読んでいて、彼が真の主人公として聳えている事に目が離せなくなり、彼の意志によって山内練が作られていく様を目の当たりにしたという思いが強く残りました。そして彼が、麻生龍太郎に対する復讐を殊更に拘った事は、あるいは練と共に生きて行かざるを得ないようにし向けたのではないかと、感じてしまったのです。ひよっとしたら、練を一人にさせない為に…この『聖なる黒夜』という物語が終って、でも誰一人として晴れ晴れと夜明けを迎えられた人間が居ないという事に、改めて気付かされました。それは、まだこの物語の本当の結末を迎えていないからなのかもしれません。今後執筆される作品にも、山内練や麻生龍太郎が、共に、また単独に登場するのだそうです。彼らと様々な作品で再会できる事は、とても嬉しく楽しみでなりません。でも、本当に望んでいるのは、彼らの真の帰結に至る物語に他ならず、そして、その物語を読む事が出来る日を少し恐れている感情も、実はあるのです。 『聖なる黒夜』 上/下 2006年10月 角川文庫 柴田 よしき
January 16, 2007
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