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3月3日に夫に離婚を宣言されて5ヶ月目です。 状況は変わりません。 物理的にはもっと悪くなっており、 精神的な面で言うと一進一退という感じです。 鬱に効くというサプリを飲まないとやっていられないし、 夜も2時間おきに目が覚めます。 満月のときはサプリも効かず不安定になります。 この苦しさは人生で初めて。 母が闘病して亡くなるまでの時間より遥かに辛い。 4月5月には一緒にフランスに行きました。 日本から離れても気が休まるときはほんの少し。 まず空港で搭乗直前に「5分ください。」と 夫に言われ、彼は愛人に電話をしに行きました。 戻ってきたと思ったら、 今度は向こうからかかってきて、 まるでロミオとジュリエットみたいに 二人の世界にドップリでした。 フランスにいても、17時をすぎるまでは 安心できません。 17時は日本の0時。 彼女が寝るまで夫はチャットを続けているのです。 夫の不貞と離婚のことは家族全員知っています。 みんな夫の顔をマジマジと見つめ、 様子を伺っていました。 夫は彼の計画を家族には話さず 私とも普通に接しているので みんなが不思議に思っていたようです。 悲しいのは、二人で買い物やお土産を買うとき 私は夫婦として使うものの買い物をしたいのに、 夫は「私はいらない、あなたが使うのならどうぞ」 というスタンス。 お土産物屋に行けば、愛人用のものを物色する夫。 彼は暇さえあれば、彼女とチャット。 私は傷つき、見えないところで泣いていました。 怒りじゃないんですよね。 怒って嫌いになれれば、 本当に簡単に離れられるんだけど。 いつも正しい発言で、世界一優しい夫が 豹変してしまった。 この事実はどうしても私の心に馴染みません。 もう家族じゃなくなるのかな…と 夫の家族の中で 私は1人はじかれてしまうのかな… フランスの家族と一緒にいるときは 本当に辛かったです。 16年間家族として続いた絆って こんなに一瞬で崩れ落ちるのかと。 行動を起こしたのは夫。 なのに私がはじかれて、捨てられる。 すごいミジメです。 自分は常に誰かに守られている… ラッキーガールだと信じてきました。 でも今は全てを失いそう。 失ってもいい、幸せであれば。 ずっと落ち込んで泣いて絶望して惨めになり 寂しくて孤独で焦燥してどん底にいる気分。 いつもならその気持ちを話して 癒してくれるのは夫だったのに 今は彼が原因で こんな気分を味わっているなんて。 南フランスに行った時、 闘牛のお祭りがありました。 何回か見てるけど、今年で見納めかもしれない、 そんなことになりたくない! 気持ちが高まって 闘牛のしっぽを掴もうと決めました。 この祭りは街中を白馬に囲まれた闘牛が駆け抜ける もので、その尻尾をつかんだ勇者は 幸運を掴み取りことができるという。 最初は別荘でアペリティフ中でした。 みんなは見に行く気は まるで無し。 ふと上を見るとハッキリした彩雲が出てました。 「これだ!」味方がでたように思い 1人で祭りに行ってくると言いました。 結局みんながついてきて 私は道路脇最前線で立ち構えました。 が、 白馬の迫力が半端なくて 「こ、怖い!」となんども引っ込んでしまう始末。 5回目に私の前を白馬五頭と闘牛が通り抜けようとしたとき、奇跡は起きました。 闘牛が私の前で止まったのです。 私は今だ!と駆けつけて闘牛のしっぽをガシっと つかみました。 勇気を振り絞って掴むことができたんです。 忘れられない出来事です。
2016年07月21日
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義父カップルと二回目の旅行は富士山巡りでした。 前回約束してくれたとおり 夫は愛人とチャットしませんでしたが 実はGメールやり取りしていました。 でも私が話しかけると夫は答えてくれるし とても親切に運転中の私を手助けしてくれました。 あいにくの雨で富士山は見えず、 つまらないドライブでしたが 少なくとも私の心は乱されずにすみました。 2日目は義父カップルを箱根に下ろし 2人だけで帰ってきました。 でも今度はずーーーーっと 自分の住む物件探しに夢中です。 車の中で、頭を下げてずっと見てるので 「頭痛くなっちゃうよ」と注意したら わかってるけど止められないそうです。 なにかが取り憑いたように いっきに色々な事に集中するようになりました。 もう止められない! そんな感じです。
2016年05月28日
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義父カップルのいない土曜日は 夫は朝6時前から出かけて 愛人と朝食、不動産巡り、ランチ、お茶 最後にホテルのデイユースと夕食のコースです。 どうしてわかるの?って カード払だと私にバレるので現金払いにして お金が足りなくなると私から借りるのです。 いい身分ですよね。 私はただボーっと何もせずに過ごしてるだけ。 ご飯も口にせずホントに息をしてるだけ。 そのほかは 心配してくれるアメリカの叔母から何度もメールが 入ってくるので 夫がいま何をしてるのかとか 私と何を話したとか そんなことを何時間もかけて報告メールをしてました。 夫は土曜は丸一日出かけているので 日曜日はゆっくりしたいでしょうが 私もそういうわけにはいきません。 ピクニックを提案して、 そこで色々話し合いをしようと思ってました。 疲れてる夫は腰が重いし、 まだ3月だったので寒くて私も根負けして 家で話し合いをすることにしました。 でも夫は不快な表情を受かべ、 寝転んだまま話そうとしました。 私は静かに その態度は話し合いには向いていないのではないでしょうかと言うと、 「わかったよ」と起き上がりました。 今度は落ち着きがなさそうに ケータイを持って、 カーペットに模様を描き始めました。 まず3月3日に一方的に言われた私の態度への不満について 私は謝罪をし、夫が私の言動を勘違いして受け取っていることを説明しました。 ホントにたわいもないことばかりで 一例を挙げれば お肉料理を食べた後のお皿にサラダを盛って食べようとする夫に 私は新しいサラダ用のお皿を持ってくるわけです。 夫にしてみれば 「なんで同じ皿で食べちゃいけないのか?!」 私にしてみれば 「ギトギトしたお皿で食べたらサラダが美味しくないから。」 美味しく食べてもらいたいだけなのに 私が意地悪しているみたいな悪意で受け取ってるんですね。 全てが万事そんな受け取り方されてたら どんだけ私は悪嫁?って感じです。 私が怒ってるように話してるのかな? そうだったらごねんね、 そんな怒ってたら今頃ここにはいないはずよ。 私なりに夫一番でやってきたつもりなんだよって 言いました。 それと私が隣にいるのに 堂々と愛人とチャットしないで欲しいと言いました。 「渋滞であんまりにもひまだったから。」と 言い訳してました。 私がどんなに辛くて イライラしていたか 伝えました。 夫はわかってくれて、 私の前でチャットをしないよう気をつけると言ってくれました。 それと堂々と不貞を繰り返すことに対して 順序が違うし間違っていること、 そんなに愛し合っているのなら 私とのことにケジメがつくまで 待てるのではないでしょうか? 私は夫が不貞を働くことに同意できないし 離婚というならそれに向かって前進することもできません。 地に落とされた自分を立て直すことに必死で 前に進めません。 と言ったら だから早くケジメをつけたいそうです。 私を早く捨てて、向こうと健全な関係になるそうです。 それはあなたの意見であって 私にはケジメをつける余裕なんてありません、 と言いました。 彼は私にカウンセリングを受けさせ お金でもって補償をすることで プラマイゼロになると思っています。 普通の離婚だったらそうかもしれません。 でも夫は決定的な嘘をついて 欺こうとしているので そうはいきません。 そのための証拠集めです。 いまのところは 何も知らない哀れな妻ですが 私がかなり知っていることを聞いたら 絶対ジッとしてはいられないはずです。 話し合いは私のお仕事によって中断しました。 でも夫にお礼のメールを入れておきました。 それは次回の日記に。 もうすぐ義父カップルが帰ってきます。 こんなに彼らを待ち遠しいと思えるなんて 相当切羽詰まってるな…って感じです。
2016年05月10日
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次の1週間、義父カップルは京都&北陸旅行に出かけて不在でした。 夫は待ってましたと仕事帰りのデートと物件探しで 帰りが遅い毎日。 私はペットのお仕事が立て込んでおり 少し忙しくしていました。 夫の証拠集めの方は主にメールです。 ある日は「ヤンヤンの炊飯器捨てるね。たいした機能ついてないし!」なんてのがありました。 すぐに二人暮らしする気満々です。 この人は私たちがすぐに離婚すると思っているのかな? あと夫の勝負パンツも発見しました。 ホテルに持ってくパンツを買ったのでしょう。 オレンジの派手なヤツです。 洗濯物にパンツ1つ足りなかったので聞いたら トボけていましたっけ。 私に洗わせるわけにはいかず しばらくお仕事バッグの中に入ってました。 気持ち悪かったのが一つありました。 生成りの綿の袋がお仕事バッグの中にあったので 中を見ると毛糸の靴下。 サイズは女もの? ただ袋がものすごく汚くて、 黒カビが沢山生えているのです! どうするんだろう?どうするんだろう? ずっと不思議に思っていたら デートの日にその靴下を履いて行きました! もう気持ち悪くて気が狂いそうになりました。 不倫男ってそんなこともやるものなのですか?? それとも相手が日本人ではないから? とにかく私に出来ることは 朝起きて、朝食を準備し お弁当を作って送り出し、 仕事に支障のない程度に気楽なメールを入れて 彼の帰りを待つだけです。 浮気されて逆ギレされ離婚を言い渡され 絶対フェアじゃないって思うのだけど ここで私が鬼になったら 逆効果です。 しかも愛情があるので憎みきれないのです。 ただずーっと心の中に どうしてわたしがこんな目にあうのかなって いうのがあって考え始めると涙が止まりません。 特に父のいる病院に向かうときに そうなってしまうので困ってます。 父にだけは言いたくありません。 自分に一番近い相手に裏切られるのは 本当に辛いです。 自分の一部がもぎ取られたようです。
2016年05月08日
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義父カップルが来てから5日目のこと。 一泊2日で日光までドライブに行きました。 その朝のこと、入院中の父から不在着信が入っていました。 珍しい…どうしたんだろう、と心配で 電話をするも出てくれません。 メールをしたら、熱が出てきたとの返事。 実は前日、父は内視鏡で胆嚢炎の処置を受けました。 胆嚢が破れて嚢胞が肝臓の中に流れたために 5日前から高熱が続き、かなり危ない状態になり 緊急手術となったのです。 私と義妹で立ち会って、その時は大丈夫そうだったのだけど、 夜中から高熱が再び出始めたと。 弟に連絡したら、彼が早めに様子を見に行くので 私には心配しないで旅行に行くよう言われました。 とはいえ心配で心配で気もそぞろではありません。 その上 夫はちょっと時間が出来ると愛人とチャットを始めます。 本当に今まで一緒にいた夫とは思えない行動です。 信頼できる人だったのに なぜこんな仕打ちをするのかな? これはあくまで私側の気持ちだから 被害者っぽくなるけど 彼からしてみたら私ってなんなんだろう。 もう離婚を決めた相手だから、 完全に無視して当然だと思ってるのかな? それとも愛人とのチャットが楽しすぎて 私が嫌な思いをしていることに気がつかないのかな。 でも私1人がドライバーで、 隣に座ってる夫が愛人とチャット三昧って 酷すぎると思うのだけど。 日光に着いて弟に連絡しながら父の様子を聞いて、 ただひたすら神社仏閣で祈りました。 父の健康と、夫が元に戻りますように、と。 こんな必死に神頼みしたのは人生初でした。 そんなことも知らず夫はケータイを握りっぱなしで 愛人とチャットを続けているんですね。 やりきれません。 ホテルの夕食も、私は食欲がなく だいぶ夫に食べてもらいました。 彼の食欲は色欲と一緒に開いたようで すごいです。 まだ痩せているので良いのですけどね。 私は逆に食欲始め、すべての欲が失われているので 彼に腹立たしさを感じます。 部屋のベッドはシングル2つがくっついているものでした。 それでも横に並んで寝ることが出来たので 私は嬉しかったです。 彼がお風呂に入っている間にケータイの画面を覗くと 「お豆腐とネギと…大好き♩」 みたいなメッセージがありました。 大概がアホらしい内容なのですが それを真剣に送りあってる夫ってどうしちゃったんでしょう? 正気の沙汰とは思えません。 そんな内容をいちいち気にして右往左往する私は さらにバカですが 自分を守るための証拠集めはしなきゃなりません。 夜はお風呂の窓から見えるお月様に 何度も何度もお願いごとをしました。 次の日も義父カップルの強い要望で 中禅寺湖のほとりにある神社に行きました。 握りしめると色が変わり 永久保存できるお守りのセールスを間に受けて 夫に一個買ってもらいました。 熱によってお守りの色が変わるのですが、 だいたい青とか紫。 それが黄色になった時、願いが叶うそうです。 もう何度も黄色になりましたが どうなのかな?もう少し待ってみます。 その後竜頭ノ滝に行きました。 そこでも夫は歩みを緩めてチャットし始めました。 あんまりにもムカついたので 「いーかげんにしろ!」とつぶやきながら 心の中で感情を爆発させたその瞬間、 夫がハッと驚いてわたしを見たのです。 だいぶ離れたところにいたのに 伝わったのです! やっぱりこの人はまだ私と繋がってるんだなと 確信しました。 帰路に着くと渋滞の嵐でした。 何十キロも高速が渋滞でノロノロ運転の連続。 ふと隣を見るとまたもやチャットしている夫。 いい加減頭にきて、聞こえても構わないくらい つぶやき続けました。 「悪霊め、去れ〜〜!」って! もちろん夫にも聞こえて、 何を言ってるのか聞かれましたが 適当にごまかしておきました。 本当に長旅で、体力的にも疲れました。 帰宅してから残り物のカレーを温め、 サラダを作って食事にしました。 夫にここまでされても ちゃんとメゲズに義父カップルのお世話をしてる私を 今は褒めてあげたいです。
2016年05月07日
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3月15日義父カップルが来日しました。朝10時ころ到着の予定で、私一人が車で迎えに行きました。第一ターミナルに駐車して急いで到着ロビーまで。このころから判断能力がおかしくなってきた私。ロビーで待っていたら、ターミナルを間違えたような気がして持ってきた旅程表を見ると第二ターミナルになってました。慌てて車に乗り込み、第二ターミナルへ。ここはパーキングが複雑で、ありったけの集中力を総動員しました。到着ロビーにつくと、すごく閑散としています。運航表を見ながらしばらく待っていると、なんだかおかしいのです。いくら見ていても義父たちの飛行機がない。もう一度旅程表を見ると、それは夫の韓国出張の時のものでした。間違えた!今度はメールでもらった旅程表を見ると、第一ターミナルになってました。係りの人に助けてもらいながら車を移動させて再度第一ターミナルに戻りました。心臓はドキドキし、もしかして待ちくたびれていたらどうしよう。私を見つけられずに電車に乗っちゃってたらどうしよう。いろいろ考えがめぐりましたが結局到着が遅れて約1時間後に義父カップルと会えました。家に着くと、義父は我が家の絵画を見て懐かしんでいました。これらは義母がエジプトの家から持ってきたものです。私と夫で欲しい絵を選んで それを飾ってあります。夫は少し早めに帰ってきて歓迎会を始めました。が、精神状態が良くない私はお料理もろくに作れず、お掃除もあまりできずに家の中が雑然としてるなかでの同居です。彼らが寝室に行った後は夫はリビングで寝て、私は別室に行きました。こんな状態で彼らにバレないでいられるのかな。でも4人でお話をしているととても自然ですごく楽しかったです。夫の心はここにはないと思うけど家族としてみんなで過ごすことは昔とかわらず大切でかけがいのないものでした。
2016年04月21日
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このころ私のペットシッターの仕事が忙しくて、どうやって過ごしていたかはっきりとは憶えていません。ただ夫のデートは週に1-2回あったと思います。その間も私は朝五時前に起きて夫の朝食とお弁当の準備をし、額にキスをして送り出しました。それ以外の時間はあいかわらずメソメソしていて大量の時間をアメリカにいる叔母との通信に費やしていました。午後には病院に行き、父に会いに行ってます。どうしてもすぐに泣いてしまうのでいつも目が腫れています。人前でも涙が流れるので電車に乗っている間は嫌でした。海外ドラマも見る元気がなく、HDDは放置状態。パソコンも10000件くらいのメールがそのまま。ご飯を食べる気力もなく歩けばフラフラします。甘いものは好きじゃないけど飴をなめて乗り切りました。夫は彼女とはうまくいってるし、私にも言い切ったのでスッキリとして絶好調のようです。食事もたくさん食べて、まるで私と正反対です。そこまでされて なぜすぐ離婚しないのだろう。夫といるときは本当に楽しいのです。離婚や彼女の話が出ない限りは。夫も私とは家族としての愛があるので離婚しても義母と義父のように仲良くしたいと言っています。おかしい、どう考えてもおかしい。家族として愛があるのなら なぜ離婚しなければならないの?そんな虫のいい話ってあるのかな?少なくとも私は捨てられる身だからそんな都合よく考えられません。夫は新しい20歳も年下の恋人と住むマンションを買って再スタートを切るそうです。私とは円満離婚でお金の保証を十分にしてこれから将来困らないように暮らせるだけの手伝いをしてくれるそうです。それですべてがうまくいくと思っているのです。今まで築いてきた16年間の私たちはどうなるのだろう。私の気持ちはどう思っているのだろう。そんなにうまく割り切れるのものじゃないよね。私の心は苦しくて苦しくて 今にも張り裂けそうなのに。
2016年04月21日
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3月11日 土曜日なので、夫が彼女とデートに出かけました。 行って欲しくないの額に入れキスをして 送り出すわたし。 しばらくボー然としていました。 ふと ビジネスバッグがどうしても気になり 中身を見てしまいました。 お仕事の資料に混じって いくつかの紙が出てきました。 それは別れたあとの私の生活費のことと、 私がどこに住むべきなのかを リストアップしたものでした。 すごく細かく書かれており、 あとは私が従うだけで良いように なってました。 それに混じって封のされた可愛い封筒が6通。 開けてみると それは愛人からのラブレターでした。 そこからわかったこと… 彼女は中国人 彼女は26歳、父親は52歳、母親は54歳 妹2人いる 愛称はヤンヤン ハイエンドショップで中国語の通訳してる 父親はニコン栃木に勤めてる 出会って2ヶ月以上経つこと 初めてのデートで寝ちゃったこと 韓国出張に連れて行ったこと 夫の家族写真を見せていること オッパイ小っちゃいこと もう2人で暮らす約束してること 夜型ヒステリーのこと 奥さん(私)と別れてほしいといってること 夫と結婚したがってること 妹たちには夫を紹介済みだけど まだ両親には言ってないこと 全部写真に撮って仲間に保存をしてもらいましたが ショックで立てないほど震えてしまいました。 韓国の出張、やけに連絡ないしアッサリしてると思ったら 愛人と一緒だったんですね! もう頭に血が上って、クラクラしました。 さらに証拠を探すと 2/14に30000円のネックレスを買ってるの! 私、バレンタインに貰ってない!! ワシントンホテルのデイユースのカードも持ってる! 2人分の食事のレシートも出てくる出てくる! 堅実(ケチ)な夫とは思えないお金の使いっぷりに 怒りが沸き起こります。 私はずっと自分のどこが悪かったのか 一生懸命考えて反省したり カウンセリングを受けたりしているのに 夫は大事な事を隠してたのです。 不倫していたなんて信じられません! 3/3に言われた時は 私が全て悪いと糾弾しておいて あたかも「気になる人」と これから育んでいくような言い方だったのに 事実はまったく違い、 不倫関係を肯定するためのウソだったんです。 あの夫がこんな裏切りをするなんて ショック以外のなにものでもありません。 私は思いつめて食事もとれないというのに 夫と愛人はあちこちで美味しいものを食べてます。 バッグからは部屋の鍵も出てきました。 いったいどんな!! ただ1つ良かったのは 非があるのはわたしではなく夫の方だということ。 私は堂々としていられます。 …いえ無理でした。 自信喪失すると立て直すまでに 時間がかかるみたいです。 ほんとにショックで…
2016年04月17日
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とうとう9日が来てしまいました。 朝、いつものように朝食の準備をし、 お弁当をもたせました。 玄関でおデコにキスをして送り出した私。 女と外泊するのに、 送り出すなんてホントに馬鹿みたいだ。 惨めで孤独で涙が出ます。 一番辛いのは、胆嚢炎で入院中の父に会いに行くこと。 どうしても電車の中で泣いてしまい、 病院で顔なじみになった受付のおじさん(多分私より若い?)にまで 心配されるほどの酷い表情をしているんです。 父には何も言ってませんが なにかあったのは一目瞭然です。 敢えて聞かれなかったのが せめてもの救い。 父に夫のことを聞かれて、 平気な顔で答えるのも 相当な労力がかかりました。 それでも父を励ますために 毎日病院に行きました。 本当に辛かったです。 外泊の夜。 私はずっと叔母にメールをしたり 仲間とチャットして気を紛らわせました。 23時すぎ ドライブにでも行こうかな… と部屋にカメラを付けて思いとどまった時 なぜか夫のGPSが表示されたのです。 都内で海に近いサンルート東京にいました。 ずっとGPSを消してた夫なのに なぜこんな時につけたのでしょうか? 今頃私の夫は…想像するに耐え難い… 朝から何も食べられず お腹だけはぐーぐー言うのだけど 気持ち悪くなって寝落ちしてしまいました。 2時ころ入ったメールで目が覚め… 夫の母親からでした。 こんな夜中にそんなところで何をしているの? なにか問題? という内容のものでした。 GPSは義母も見られるようになっていたのです。 叔母も義母からのメールに驚いていました。 義母は第六感があるから… ただならぬモノを感じ取ったにちがいありません。 でも夫から義母に返事は来ず、 うやむやになってしまいました。 これから義母に追求されたら どうするつもりなんでしょうか?
2016年04月12日
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3月7日 「業務連絡」と始まるメール来ました。 9日外泊、 あと14日に来る義父カップルのための朝食の準備は 何もいらないと。 納豆でも食わせとけ って言うのです。 ひどい! 外泊の件に関しては 女と出かけるそうで 私は夫からどうどうとそんなことを言われ ショックを受けました。 朝、夫に 外泊はしないで欲しいと言いました。 そしたらプランを計画してもらったから 中止にできないと言われました。 何を言ってるのだろう この人は?! 何回も言うけど こんなことをされたら 毎日悲しくてお義父さんたちに バレてしまう。 笑顔でいさせてもらうために 少しは考えて欲しい。 あなたは新しく出会いがあって楽しいでしょうけど 私はどん底に落とされて苦しみしかないの。 と訴えました。 彼女は私が泣いてるのを知ってるの? 知っててやってるなら、 そんな関係は長く続かないとも言いました。 夫は「う…ん」と うなり そのまま仕事に出かけました。 玄関先ではいつも通り額にキスをして… しばらくして以下のメールがきました。 「キャンセルの件を確認したけど、プランを組んでもらったので、料金を取られる。くだらないことかもしれないが、そういうこともあり、キャンセルを避けたい。悪い態度で悪いことをしているとわかっていながら、「申し訳ない」としか言えない。。。 父たちが家にいる間にはもちろん外泊まりしない。 大きな出来事だから、お互いになれなければならない。「マーク(夫の名)は楽しい」と言っているが、確かにダリりんよりも立場が"楽しい"。だからと言って、雲の上を歩いているわけではなく、頭痛がする、体調がイマイチ、悩み事もそこそこある。言い訳するつもりではないけど、進み方は止められない今回の泊まりでそうなるとは想像していなかった(鈍感)。。。」 彼も苦しんでいるのは わかりました。 でもあまりにも勝手な言い訳。 これがあの優しく信頼できる夫だとは 到底思えません。
2016年04月11日
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どれだけいきなり離婚を言われたかっていうと こんなことがあります… 離婚を言われたのは3日ですが 10日後の13日に義父カップルが初来日し、 私たちのところに滞在します。 その中で、4人で旅行に2回出かける予定です。 4月22日には、私たちがフランスに行きます。 これは2ヶ月くらい前から予約をとりました。 もちちん2人で決めたものです。 その間 ケンカもなく 穏やかに普通に暮らしてきたのに、 なぜ夫は急にあんなことを言ったのでしょう。 本当にわけがわかりません。 3日に話した時にも義父たちのことと フランス行きの話が出ました。 夫はもちろん私にも行って欲しいと。 義父たちの世話は、 ほっといて良いとも言われました。 でも、フランス行きや義父たちの来日より後に 離婚のはなしをすると 私を働かせるだけはたらかせて 騙してるようになるので その前に言うことにしたそうです。 だったら航空券買う前に言うべきじゃないのかな。 夫の話は とても理路整然としており 思わず丸め込まれて納得しそうになります。 でもよく考えたら夫が一方的に言ってるだけで 私の意見が反映されてません。 義理の父も義母もまだ私の大切な家族です。 たとえ私たちが離婚したとしても 16年も可愛がってくれた人たちと 縁が切れるのはとても悲しいことです。 だからフランス行きがおわるまで このはなしを保留にして欲しいと言いました。 こんな話が頭にあると笑顔さえ作れない、 彼らに申し訳なくて仕方がないと… でも夫は進めてる話は止められないと言うのです。 だったらその話はしないでほしいと お願いしました。 義父たちの滞在に関しては、 私たちの大事な家族だから 楽しく過ごせるように一生懸命頑張るから 笑顔でいさせてね…といいました。 夫はそのことに関して 「それはありがたい、助かります。」と。 まるで他人みたいな言い方が冷たく感じます。 私たち…家族なのに。 なんでこんなに急に私から離れていくのでしょうか。
2016年04月07日
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夫に離婚を宣言され、初めて迎えた週末。 土曜日は朝から出かけると言われました。 私が「デート?」と聞くと 「そんなようなものです」とのこと。 私はペットシッターのお仕事が入っており、 終日忙しかったので まあ仕方がないな、 なんて思い、そのままにしちゃいました。 19:30頃帰ると言うので、 夕食を食べるのか聞いたら、わからないと。 「じゃ、食べるのなら連絡ちょうだいね。」といって送り出しました。 送りだすって言うのは、はたから見ると変ですよね。 でも2人の間のぎこちなさの中に いままでの習慣がそのまま生きているんです。 とっても不思議ですよね。 とはいっても お仕事をしてても やるせなさや、沈んだ心が晴れることはなく お世話先の6匹のニャンコが私の周りに 円を描くように集まってくれたのだけは うれしかったです。 夫は「気になる人」と楽しくデートをしてると思うと ホントに自分が惨めになります。 自分の存在ってなんなんだろう。 私は夫に三行半をもらった負け犬なんだな。 お気楽な主婦からいっきにホームレスになるんだな。 考え始めると悔しさと悲しみで 涙が止まらなくなります。 家に帰るとポン茶郎と忍者が待っててくれました。 結局夫は20:30をすぎても連絡をくれず 21:00ころ「アキバから帰る」とメールが来ました。 ごはんは食べたそうです。 私は全然食事をする気が起こらず 冷蔵庫はずっと開けてません。 こんなに打ちのめされたのは初めてです。 母親が亡くなった時、ポンポンが天国に行った時 そういう時に感じた悲しさと次元が違います。 私はずっと夫を信じて疑わず生きてきました。 人生を共に歩んできたパートナーです。 私の一部分でもあります。 その夫に裏切られたのが本当にショックです。 これからどうなるのか 自分が消えて無くなったらいいのに。 それが一番楽なんじゃないかと思ったりします。
2016年04月05日
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3月4日 夫が出かけたあと、長いメールをだしました。 私がいかに至らなかったか、言葉が足りなかったか、一緒に寝るのを拒否していたこと、いままで彼が不満に思っていたことを全て謝って、これからは前向きにやっていきたいと伝えました。 それに対して長いメールをもらったので、 ここに置くことにします。 忘れないために 以下夫記述 先ほどこのメールを受信したところ。 おそらく時間をかけて、言葉を選んだと思います。ダリりんの立場、考えと希望は伝わっていますが、正直にいえばこちらの気持ちは変わらず、もうなにも戻したくありません。 「許せる」、「忘れる」、「我慢する」ことはもちろんできるし、今までも本件に限らずやったことがありますが、完全にできないのは一定のレベルを超えた時に元に戻ることです。好きな食べ物を病気になるほど食べて、その後二度と食べられないと同じ。 「嫌い」になったわけではありませんが、「もう一度好きになれる」ことはありません。動いたスイッチを元の位置に戻そうとしても、私側はまたの「我慢」、「うそ」になるに過ぎません。 16年間の共有生活を、一言(「離婚する」)、しかも相手にチャンスを与えずに、中止にするのは大変だとわかっていますが、本当にもう一度やり直すのは考えていません。 昨日言ったように、今まで受けたキズ(大部分がこちらの受け方に問題があったと思う)、自由になりたいこと(ライフスタイルの違いは一番目立つのは酒とTVですが、それだけではなく、ある意味で全般的にズレがあったと思う)、好きな人が現れたこと(その人とはどうなるかわかりませんが、よく考えての付き合いにしたいと思う)、などなどのその他要因もあるの結論です。 ですから、時間、努力、感情をかけてくれても、どうにもなりません。自分としてはダリりんを「お姉さん」または「妹さん」というふうに思うようになってしまい、できればそういう関係でつながりを維持したいと思います。 今日は非常に疲れており、17:35に会社を出て家に着いたら長風呂(自分で準備する)、軽い食事(冷凍スパゲッティ)、それから寝てしまいたいです。そして、明日は10:00-20:00頃外出します:旅行会社の打ち合わせと、上に書いた好きな人との待ち合わせを予定しました。 これからは離婚の法的手続きもそうですが、ダリりんが日常な暮らしにおいて困らないように整理したいと思います。 こういう展開になってしまい、本当に申し訳けなく思いますが、(自分の)今後の40年間(?)を考えて、ベストな選択だと(勝手に)判断して決めたものです。 もう戻りません。戻りたくありません。ごめんなさい。 以上 どう思いますか? 私は打ちのめされました。 ほんの数日前まえまで仲良く一緒にいたのに、 そこまで拒否られる意味がわかりません。 この日を境に夫はもう私との婚姻が終わったように デートを繰り返すようになりました。 私はなにも認めてないのに… それどころじゃなく、息をするので精一杯だというのに。
2016年04月01日
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離婚を言われたその夜。 彼が寝た後、アメリカの叔母さんからメールもらい、 そのやり取りを一晩中していました。 叔母の驚きようったら! 私でさえ驚いてるのですから… 一睡もできなかった私は 自分のお仕事の仲間にも連絡をいれました。 彼女は私と主人をよく知っており 家族のような関係です。 尋常じゃないものを感じた彼女はすぐに飛んで来てくれ、 私を抱きしめてくれました。 それから事情を話し、気になる人もいるようだと言われた旨伝えたら、更に驚いていました。 まさかあのご主人が?!って感じです。 とにかく話しをしなきゃダメと言われ 気を強く持つよう諭されました。 その夜は何も手につかず、 夫は外でお弁当を買ってくると言ってくれ オニギリ一個頼みましたが、結局食べられる気力もなくそのまま。 私はこの生活を壊したくないことから 翌日には今まで通り夫のために朝ごはんを作り お弁当を持たせ、彼が玄関を出るときには おデコにキスをして送り出しました。 並大抵の精神が必要ですが、 私が夫を愛する気持ちは変わらないし 険悪な雰囲気でもないので固持しようと思います。
2016年03月30日
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今から何日前だったかな。 3/3の日のこと。 帰りがけの夫からメールがあり、 「話がある。悪いの。」 どんなことだろう… まさか会社を辞めてきた? 転勤かな? ちょっと胸騒ぎがしながら待っていると、 帰ってきた夫はいきなり離婚の話を始めたのです。 最初は何を言われているのか理解できなかった。 え?どうして離婚? 別れなきゃならないの? ここでもまだ気がつかない私。 彼は私と離婚すると言い放ったのです。 ここからは、暗くて長い私への糾弾が始まりました。 彼は私の物言いがキツくて怖いと。 何年も前から愛情がなくなったと。 ある程度我慢してきたけどもう耐えられなくなったと。 矢継ぎ早に出る彼の言動に、私は言葉を失いました。 あの優しい主人がこんなことを言うの?? そしてさらに追い討ちをかけるように 「気になる人もいるから」と。 ええ?私に離婚を急に言い渡して、さらに気になる人まで出来たですと? 私は一生懸命 彼の言動に対して誤解が生じていると 訴えました。 でも彼はもう決めたことだから、と一方的にはねつけてきます。 3時間くらい話しているうちに、堂々めぐりになってしまい、対話を諦めました。 彼はその日から寝室を別に移り、夫婦を勝手に解消しました。 私は頭の中が真っ白になり、一睡もできず。 その夜アメリカにいる夫の叔母のみに 起こったことを報告して相談をはじめました。 こんなデリケートなこと、頼れるのは彼女しかいませんでした。
2016年03月28日
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10月に抗がん剤をはじめた父ですが、白血球の減少はあるものの際立った副作用などなく、順調に進んで3カ月がたちました。 抗がん剤の日は弟が朝一で父を病院まで送り、血液検査をして問題がなければ投与に入ります。 点滴が5時間かかるので、終わる頃に私が迎えに行くことになってます。 次の週にも同じように投与して、一週休んでまた再開し二週連続投与という感じです。 弟は仕事があるので父を下ろすとすぐ去ってしまいます。 一度血液検査でNGが出てしまい、抗がん剤は中止。あわてて私が迎えにいったこともありました。 そんな感じで3カ月が経ち、先々週ガンの状態がどうなったか検査をしました。 結果は順調で、少しずつガンが小さくなっているようでした。 なのでこのまましばらく抗がん剤を続行することになりました。 ところが三日前のこと、いきなり父が腹痛を訴えて熱もあるというのです。 急いで病院に行ったところ、胆管が炎症を起こしているとのことで即入院になりました。 父は抗生剤投与で絶食を言い渡され、水を飲んでもいけません。 食欲だけはある父なので、予想外の絶食にしょんぼりしています。 そんな父を励ましに毎日病院通いが始まりました。 2週間くらいで退院できそうだけど、まずはいつ食事ができるようになるかが第一目標です。
2016年01月21日
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担当医と19時過ぎの約束が、処置や会議で遅れに遅れて お話できたのは21:45。 その間 父と弟夫婦、そして私は不安を抱えながら待ちくたびれて… 担当医の話を聞く頃には 諦めモードに入っていました。 3月に退院してから毎月検査に通い、8月には胆管に入れたステントが詰まって交換のため、緊急入院しました。 その時に医師から 肝臓がとても良くなったので手術を考え直してはいかがかと勧められ、その気になった父は決断をしました。 そして検査入院して5日後、この結果です。 ガンが予想よりも広がっており、手術は非常に厳しいと。 今一番の治療法は抗がん剤だそうです。 効果が出ればまた手術の可能性もあるとのこと。 また気持ちを切り替えて支えていくしかないです。 頑張ってほしい、パパ!
2015年10月02日
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今日は医者に呼ばれて夜の7時すぎに病院で話し合いをします。 無理だと言われていたガンの除去手術を受けられるかもしれないと検査入院している父は、3日前から結果待ちで病院をウロウロしてます。 私はこれからお仕事一件行ってから病院に行くけど 待ってる時間がなんと長いことか。 ドキドキして何も手につかない。 困った。 どんな結果であれ、受け入れるしかないけど、こんなに待つのが辛いとは… 忙しいと、ノンビリしている人を羨ましく思うけど、反対の立場になると違いますね。
2015年10月02日
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父が入院して丸二カ月経ちました。 前回の内視鏡検査で胆管に癌があることがわかりました。 胆管癌の根治は手術です。 でも父は肝硬変があるので 手術はとてもリスクが高いと言われました。 腹水が抜けて肝臓の状態が良くなれば 手術ができるかもしれない。 そう言われて これまで頑張って来ました。 先週末に先生から肝臓の数値が落ち着いたのでそろそろ決断する時期だと言われ、 外科医から話を聞きました。 やはり手術には前向きではない話です。 そして今日は病院にみんなが集まり、 家族会議を開きました。 決めるのは父ですが、 大体みんなの考えは同じでした。 やはり手術は受けない方向だと思います。 これからどのくらいの時間があるのか 誰にもわからないけど 無駄にせず好きなことをして 生きていくのだと思います。 手術を受けなければ あとは内視鏡で処置を受けて じきに退院だと思います。 残念な結果なのか、それとも良かったのか 何年かしたらわかるのでしょう。 とりあえず前に進むしかないのです。
2015年03月10日
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父が入院してから一か月と十日、 病院ではたまに超音波やレントゲンの検査があるけれど 基本的にはお薬飲んでるだけの父です。 毎日500gずつ体重が減り、腹水もだいぶ引いてきました。 先週は北海道から父の弟がお見舞いに来てくれたり、お友達が来てくれたり 少しずつ人を呼ぶようにもなってきたけど 本当にヒマそうです。 入院生活で変な知恵がついて、食事のパンを残したら見つからないよう隠したり… あとで私がクロワッサンとか買って来るので、 差し引きゼロだとか言ってます。 その反面、黄疸の数値が跳ね上がってしまい、内視鏡で処置を受けました。 今は少しずつ落ち着いて来ているようです。 医者は腹水をもう少し取ろうと薬を増やすかもって。 あとは筋肉と体力を取り戻すために、少し動くよう言われたので、病院の売店まで父と買い物に行って来ました。 私たちにはほんの一歩でも、父にとっては大変な一歩です。 廊下のバーに掴まりながら、頑張って歩きました。 肝硬変の他に恐ろしい病気が潜んでいるのかどうなのか まだわからないけど とりあえず今は平和な日々です。
2015年02月17日
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2月になりました。 今、父のいる病院から帰る電車の中です。 結局年内には父の病名がわからず、 正月も病院に行って点滴を受けて帰宅する毎日でした。 正月明けに腹水の細胞の検査結果が出て 悪性ではないとわかり、あとは血管造影で その病院の検査は終わりと言われ 最後にでた診断が、肝硬変腹水症及び胆石、総胆管の出口に結石ということでした。 助かった!ガンじゃない! とはいえ、父のお腹はパンパン状態で、とても重病なのは明らかでした。 今迄通った病院に紹介状をもらって、翌日から都内の病院に入院することになりました。 一度は安心した私たちですけど 新しい病院で腹水コントロールという腹水を自力で排出させる治療を受けていくうちに やはりガンの疑いがあると言われました。 胆管が極度に狭くなっているということ。 内視鏡で胆管の細胞を取って検査したいけれど 腹水が凄すぎるし、肝臓が弱りすぎて体が持たない状態でした。 危険な状態で、もしかしたら数週間の命かもしれないとまで言われました。 まずできることは、利尿剤を最大限にして腹水を出すこと。 そして私にできるのは毎日顔を見に行くことだけ。 それから2週間経ちました。 父は入院当時から一か月で10キロ体重が減りました。 弱々しくなっちゃいましたが、腹水が順調に減ってる証拠なのです。 お腹が苦しくて仰向けに寝れないし、足を上げることも出来なかった父でしたが、今ではだいぶ復活してきました。 病院では薬だけなので、暇みたいです。 まだ癌があるかどうかの検査をできる状態にまでなっていません。 その上、胃潰瘍まで発見され 更に薬が増えました。 父は「もう まな板の鯉だからな」なんて冗談言ってますが、これから始まる戦いへの準備はできてるようです。 私も一時はストレスで心臓バクバクしたり、顔の一部がピクピクしてましたが、今は精神的に落ち着いてきました。 また明日も病院。 行くと一時間もしないうちに「もう帰れよ」って言われるんだけど 絶対に「来なくていいよ」って言わないので 面白いです。
2015年02月03日
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明日私が父を病院に連れて行くことになりました。 前回抜いた腹水の検査結果がでているから、 多分父が点滴を受けてる間に医者に呼ばれて 明確な病名がでるのでしょう。 ネットで肝内胆管癌を調べると 悪いことしか書いてなくて、 それが頭から離れなくなり 心臓がドキドキし始めた。 父はまだ肝硬変だと思っています。 昨日あたりは、父のことを考えていないときでも 心臓がばくばくし始めちゃって すごくイヤな感じ。 このまま自分のネガティヴな感情が 負のスパイラルになって 悪いことをどんどん引き寄せていきそうで… ひとつでも安心できる要素がほしいです。
2014年12月29日
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ふたご座流星群、たくさん見られていっぱいお願いしたのに、 なんで一番の願いだけ叶えられないんだろう。 父の具合が悪く、医者に行ったら癌らしい。 これから先、母親の時と同じに 実家に向かうまでの車の中で 何回泣いてしまうんだろう。 今でも母のことを思うと胸が痛むのに こんなに早く父まで奪うの? フェアじゃないよ、まったく。 フェアじゃない。
2014年12月28日
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今日から夫の従姉妹の住むマンハッタンへ小旅行 ニューヨークのタクシーは便利だけど 運転が荒いドライバーさんもいて ヒヤヒヤすることがあるけど だいぶ慣れました。 今日は私のリクエストでフラッシング・メドウズ・コロナパークへ。 「そんなに遠くないよ」という従姉妹を信じて気軽に着いていったら、 地下鉄を乗り継いで、川を潜って更に十数駅… 乗客もアグリーベティの家族みたいな人たちばかりになってきて。 やっとこさ着いたら そこはスタジアムが並ぶ場所でした。 メッツスタジアム この他あと二つのスタジアムがありました。 そして私が見たかったのはコレ ユニスフィア 思った以上に大きくてビックリしました。 CSI NYでマック・テイラーとジョーが歩いていたのを見て来て見たくなりました! でもクイーンズがこんなに遠いとは! 帰りにクイーンズから見たマンハッタンは とても綺麗でした!
2014年10月08日
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今日の観光はお休みして、叔母たちの新しいコンドミニアム探しに同行。 DCは物価が高く、物件もバカ高い! 叔母たちの条件は 少なくとも2ベッドルーム バルコニーがあること ペット可 都心しかも駅の近く フローリング もちろん中古物件だけど、予算内でそんな良いところあるのかなあ。 車でオープンハウスを回ったけど DCはパーキングを探すのも一苦労。 DCにはたくさんあるタウンハウス。 可愛いけど実は家の中が暗い。 細長いし、年をとったらかいだんの昇り降りが大変そう。 4件回って叔母の条件を全て満たした物件は無し。 100平米弱で7000万くらいが平均でした。 もちろん中古 私たちだったら買わないなあ。 もっと妥協しないと無理でしょう 現在叔母たちが住んでるコンドミニアムは 家賃25万 元々隣のヴァージニア州に家を持ってたけど 去年7500万で売却 その代わりにコンドミニアムを買いたいけど ずっと良い物件が見つからない状態ですって。 出て行くお金が多すぎて このままでは破産しちゃいそう… 11月の契約更新をしないために 焦って新居を探しているところです あと一ヶ月…間に合うのかなあ。
2014年10月07日
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今日は快晴!バラクの家には行けないので、ジョージに会いに行きました。 広い敷地に畑や牧場もありました。 お家のなかはガイドさんが案内してくれました。 こういう見学していていつも思うのは ベッドが小さい! 昔の人はアメリカ人でも小さかったのですね。 ジョージと奥さんのお墓にお参りして帰りました。
2014年10月03日
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今日はアナポリスに行ってきました。 海軍学校のある街で有名で、DCから車で45分位の所にあります。 海だけじゃなく歴史的建造物もあると言うので楽しみにしてたのだけど。 途中で雨が降ってしまい、取り敢えずレストランへ。 クラブケーキ食べました。量が多い! その後も雨が止まないので 仕方なく撤収。 帰りのドライブ中 大雨に襲われ 叔母の運転が怖かった〜! 家に着いたら 猫たち待ってて幸せ! チト ブッシー
2014年09月29日
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ディスカバリーを見た後 叔母のコンドミニアムへ。 ワシントンDCの街中で、メトロ駅のすぐ上でした。 家賃25万ですって!高いなあ。 叔母夫婦と猫2匹で暮らしてるんだけど、 泊まりの客が多いし、たまに子供たちが帰って来るんで2ベッドルームは必要なんだって。 チト。 ブッシー 夜は近くに住んでる長男が遊びに来て、 一緒に食事をしました。 彼の住んでるコンドミニアムは家賃20万ですって。 都会だから仕方ないけど物価も高くてビックリです!
2014年09月26日
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ワシントンDCに着きました。 今日から夫の叔母家族の家に滞在します。 空港の近くにスペースシャトルがあるというので寄り道しました。 こうやって運ばれて来たんですよね。
2014年09月25日
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一日一観光地 フランス人のバカンスはノンビリが基本。 今日はエクスアンプロヴァンスへ行きました。 まず弟夫婦が私たちの家に来て、その妻がトイレに入ってから出かけるのがいつものパターンなんだけど、どういうわけか彼女は姿を見せない… どうやら車の中に篭ってるみたい。 すぐに姑が反応して「今日は嫁の機嫌が悪い。」といい始めました。姑は嫁の態度に思い当たる節があるようで、昨晩の出来事を話してくれました。 それは夕食時の何気ない会話で、嫁が自分の夫の歯並びを醜いと言ったことに対し、姑がムッとして息子に醜いところは一つもないと反論したら嫁がヘソを曲げたんですって。 私もその場にいたのですけどね…仏語わからないし、雰囲気悪くもなかったので全然気がつきませんでした。 とにかく今朝の嫁は姑には挨拶せず、高速道路のトイレに寄って 現地についても独り勝手にフラフラ行動して、完璧に私達を避けてましたね。 間に挟まれた義弟がかわいそうでした。 それにしたってせっかくの旅行が台無しですよ。一方はずーっとブスーっとして近づかないし、もう一方はあんな嫁と結婚した息子がかわいそうだーっとしつこく喋ってるし… つまらなくなった観光が終わった時点で弟夫婦と分かれて、午後は別行動になりました。 ドラマクイーンが多すぎる! 最初から予想してたわけですが、本当にめんどくさい人たちです。 夕方みんなで海辺を散歩してたら、義弟が連絡してきて またもや合流しました。 来なくていいよ!思わず日本語で言っちゃった。聞いてたのは夫だけ。 でも、ま!嫁の機嫌が治ったようで、ふつうに戻ったので良かったです。 しかし 振り回せれるのは疲れます。こういうときは早く日本に帰りたいと思ってしまいます。
2014年05月31日
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姑が前置きしていた事は、 南フランスの人たちはパリ周辺の人たちとは違うということ。 すごく変わってる…らしい。 義弟夫婦は妻方の祖父が所有しているアパルトマンに滞在してるのだけど、 来た時にドアの鍵が壊れて開かなかったそう。 15年位鍵の交換をしていなかったから老朽化だろうということで、とりあえず隣人に工具を貸していただけないか頼んだら断られたのですって。 「あんたたちに貸すものは何もないよ。」と言われたらしい。 困った義弟は、鍵屋を呼んで鍵交換をしてもらったけど、日本円で59000円くらい取られたって。 その隣人に限らず、南の人たちは二台分の駐車スペースを一台ではみ出して停めたり、かなり自己中の人が多いって姑が言います。 観光客には閉鎖的なのかな。たしかに地元の人達はほとんど白人。黒人やアジア系の人は本当に少ないようです。 スーパーに行ったら いろんな人にガン見されました。特に子供は私のことを目が飛び出るほど凝視するんで居心地悪かった〜。
2014年05月10日
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借りている家の庭。 風がすごいけど天気は良く、何を写しても美しく撮れます。 これが夫婦二人だけの旅行だったらな〜。 今回は私達夫婦に、姑夫婦、更に義弟夫婦も一緒です。 ただでさえフランス人は自己主張が強いのに、ウチの家族はそれに輪をかけた煩さ。 スーパーの駐車スペースを何処にするかってだけで大声の言い合いになります。運転手にまかせろやって言いたくなりますよ。 そんな言い合いは日常茶飯事なんで、いちいち気にしてられないのだけど、今回初めて義弟の妻が加わって ものすごくやりづらい旅行になってしまった。 彼女は元から浮き沈みの激しい性格で、いきなり奇声を発したり 急にムッツリして単独行動をとる扱いづらい人。 多分劣等感の塊で、それを見せまいと奇行に走ったり、他人をおどかしたりするんだと思うんだけど。 34才にもなってあんまりにも大人気ないので、私は冷静に接してる。そうすると彼女にそれが反映されるのがよくわかる。 彼女は私をすごく意識してるので、私がやることなすことマネしたり、または私が姑の料理の手伝いをする時は天邪鬼になって、ソファでいじけて寝そべったりしてる。 そんな彼女を私は無視してるんだけど、たまに彼女に嬉しそうに話題を提供して話しかけると 彼女は気分が良くなるのか、普通にもどるんですよね。 なんとも分かりやすい。 これから一週間、ずっと一緒に行動するのは面倒だけど家族になったのだから受け入れないとね。
2014年05月10日
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車で800km以上ドライブして南フランスまで来ました。 パリは雨模様だけど、こちらは晴天! 一週間借りた家からビーチまで徒歩3分、海がすごく綺麗です。 今年のバカンスは姑夫婦に加え、義弟夫婦も一緒です。 私は義弟の妻が苦手なので、あまり面白くないけど めったに来れないので楽しまなきゃね。 海辺のカフェで休憩。 カフェフラッペをアイスコーヒーだと理解して注文したら、レモンが刺さったコーヒーが出てきました。
2014年05月01日
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パリでマダムと住んでる義父の所行って来ました。 マダムは厳しい人で嫌味バシバシ言うタイプ。 みんな嫌っているのだけれど、義父とセットだから会わなきゃならないのですよね。 マダムのアパルトマンはパリのモンマルトル近くで130平米くらい? 広すぎて羨ましい〜。
2014年04月29日
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パリに来てます。 飛行機がビジネスクラスになって、喜びすぎてシャンパン飲み過ぎ、結果気持ち悪くなって食事もとらないで寝てました。 バカな私。 パリは修復中の建物が増えたような気がします。 ひときわ目立つ白いドーム、何かと思ったらパンテオンだそうです。 10年くらいかけて修復するようですね。
2014年04月26日
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金曜日に雪が降ったせいで、週末の予定は全部キャンセル。 ずーっと家にこもってました。 昼までパジャマで過ごし、午後もダラダラ。 たまにこういう生活、超憧れるけど一日やると飽きてしまう。 やらなきゃならないことは沢山あるの。 パソコンにたまったメールは1万2千件を超えてしまった。整理しなきゃ。 あと夫のワイシャツのアイロンも。 机の周りの書類も山になってるし… 溜め込んでしまうと手をつけるのに勇気がいるね。 仕方なく夫のワイシャツアイロンがけに取り掛かり…desperate housewives見ながら。 4時間かかりました。3週間分?溜めるもんではないですね。
2014年02月17日
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土曜日から3日続いた高熱ですが、どうもフラフラしすぎるので、よくよく考えたら食事を取ってないことに気がつきました。 そこで少しお茶漬けを食べてみたら、一気に熱が下がって普通の状態に戻りました! 食べることって重要ですね。 昨日は結婚記念日だったので、間に合って良かった! お祝いの食材を買いに外に出ました。 ところが外が寒すぎて また具合を悪くして 夫が帰宅するまで何も出来ず… 結局オードブル全部 夫が用意してくれたけど シャンパンは無し、さっさと薬飲んで寝るしかなく… こんな情けない結婚記念日は初めてでした。 この一週間、まともな食事にありつかない夫もかわいそう。 早く体調戻して元気にならないとね。
2014年02月13日
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自業自得なんだけど、寒い日に軽装で出かけたら、風邪をひいてしまいました。 39,4度。あーあ。 幸いお仕事はひと段落ついたところなので 火曜日までは休めます。 外はすごい雪だし、どーなってんの? しばらく寝込むことにします。
2014年02月09日
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夫の従兄弟の家に滞在してますが、 ホワイトハウスまで地下鉄でたった4駅です。 大統領専用ヘリのマリーン1がこの上を通るらしい…!
2013年09月17日
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ペットシッターのお仕事、大盛況でお断りしなきゃならないほどです。 やっととれた休みを利用して、今アメリカに来てます。
2013年09月16日
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12月初旬から姑夫婦が来日しています。1ヶ月の滞在を予定しているので、私にとっては長丁場。文化や生活習慣の違いとか、年齢の差もあるのでまともに向き合っていると、気が狂いそうになります。基本的に姑夫婦のことは大好きだし、私たちのことをとても愛してくれているので本当に家族だと思って接しています。でも、やっぱり一緒に暮らすとなるとストレスも溜まります。姑は息子一番という人なので、とにかくうっとうしい。何をするにも何も言うにも息子、息子って感じでいちいち話しかけに来ます。まあ、期間限定ってことで我慢しているんですけれども。それにしてもプライバシーも何も無い感じで勝手に我々のプライベートな引き出しを開けて探し物をしたり、寝ているところを覗きに来たり、我々の会話にうるさく口を挟んだりされるワケです。あまりにも度が過ぎる姑の行動に我慢できなくなったとき、こう思うことにしたんです--姑夫妻は私が世話をしている猫なんだと。可愛い猫が2匹増えたと思えば怒りも沸くまい。それ以来、姑から何かやられたときは、猫のせいだと思って怒りを静めています。これがまた効くんですよ。余計な感情が消えて母性愛が出てきました。(笑)ペットシッターのお仕事も意外なところで役に立つのですね。
2013年01月01日
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ペットシッターのお仕事って意外と神経遣います。飼い主様がいつもしているお世話とおなじことを代行してやるのがお仕事だけれども、時にはイレギュラーなこともあります。飼い主様はどうしても出かけなければならなくてちょうどその時ペットが病気になったりすると、とても心配されながら家を後にするときもあります。そんな時のお世話は私も神経を遣うし、とっても心配になります。代わりに私が病院までペットを連れて行くことも。先々週は問題のあるワンちゃんのお世話で相当噛まれ、先週は具合の悪い猫ちゃんのお世話がありました。たった2行で済んじゃう出来事だったけど、実はものすごーく消耗してしまったみたいで。高熱が出てしまい、何もできなくなって三日間寝込んでしまいました。熱がぜんぜん下がらなくて、四日目にフラフラと病院に行き、インフルエンザの検査をするも白。肺炎かもと言われたけど、咳がそんなに酷くないので違うかな、と医者。それにしても熱が高すぎるから医者も首を傾げるばかり。実に12年ぶりに医者にかかるとは!?自分でもビックリです。結局相当無理をしたんだろうと言われ、薬をもらって良くなりました。週末にペットシッターの仕事が入っていたのだけど、同僚に代わってもらいました。今回はあちこちで迷惑をかけ、本当に反省しきりです。熱があった四日間はあんまり記憶がありません。夫は何を食べていたんだろう?私は薬を飲むために無理やりバナナのみ食べて過ごし、4キロ体重落ちました。猫たちは、私に付き合ってずっと一緒に寝ていたような。。。(笑)たまってしまった洗濯物、週末に夫がしてくれたんだけど、目を背けたくなるような干し方!全部しわくちゃ。やってくれるだけ感謝ですけれどね。
2012年11月20日
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今日は一人の日曜日。朝早くから夫が中国へ飛びました。連休で夫が家でゴロゴロしてたりするとランチの用意とか億劫で うっとうしいな~なんて思っちゃうけどいなくなると寂しいモンですね。なんとなく。でも家にはまったく一人というわけじゃないですが~。ポン茶郎とニンジャぽん。男同士ながら、仲が良いお二人さん。ペットシッターの依頼も昨日で終わったし、今日はホントに家から一歩も出ないで過ごします。
2012年10月21日
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久しぶりに楽天日記をあけてみました。なんと1年半も放置していたのですね。ホントにご無沙汰してしまい、申し訳ありません。最後の日記その後はまず母とポンポンが天国へ旅立ったことで自分の心の整理を少しずつしていきました。その過程で、ずっと出来なかった「やりたいことリスト」を一つずつ着手しているところです。それはずっと約束して行けなかった幼馴染のいるマレーシアへの旅行だとか、動物関係の講習会に参加したりだとか、新しい才能を発見するために習い事したり、そんなものです。そして去年の暮れに新しく子猫を迎えました。ポンポンには本当にいろんなコトを与えてもらったので私もそれに報いたい、それとポン茶郎になにかあった時に 私は強くいられるのか。ポン茶郎に執着してしまい、マイナスの精神面で逆に悪影響を与えるかもしれない。すごーく考えた上で、動物愛護センターに行き、子猫を引き取りました。今年1月の写真。今はポン茶郎よりも体重が重い大猫です!今年に入ってからも「やりたいことリスト」の消化は続き、ペットシッターとしての資格をとり、開業しました。動物のお勉強は奥が深く、まだまだ道は長いです。でも「一番怖いのは人間だから。」とペットシッターのお師匠さんは言ってます。そんなわけで いろいろ書きたいことはありますが、また少しずつ日記を書けたらいいなと思います。
2012年10月19日
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てすとテストステロンテスト
2012年02月10日
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ロワールの旅最終日です。有名なヴィランドリー城を見てから帰路に着きました。ルネッサンス式のお城は荘厳です。昨日のリヴォー城よりも何倍も大きな印象を受けました。このお城は庭園が有名なのです。整然としたポタジエ。迷路も本当に美しい。城の中も見てきました。これはダイニング。ステキなテーブルセッティングでした。天井も素晴らしい造り。http://www.france-acces.com/chateau/villandry.html以上でロワールの旅は終わりです。毎日毎日麦畑と菜の花畑を眺めながら、フランスの田舎を満喫できてよかったです。
2011年05月10日
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リヴォー城を後にして夕食へ向かいました。明日はパリに帰る予定なのでロワールの旅最後の夜です。それもあってか、レストランで義母がシャンパンを1本頼むと言い出しました。良いのですけどね、別に。でも毎日毎日昼間からシャンパン開けて飲んでいるわけです。そろそろ胃のほうも疲労を感じてきたのかな・・息子(私の夫です)が義母の提案を拒否ったのです。義母も引き下がらず「飲みましょう!」と言い張ります。最後の夜を楽しく過ごしたいそうです。でも息子は断固として拒否。義母は私を巻き込んで飲もうとけしかけてきたけど、シャンパン1本は高いし、私の夫が絶対飲まないのがわかってたので「明日にしましょう」と言いました。その後、我が夫がベジタリアンメニューを見つけてそれをオーダー。それを見て義母はキレました「ダリりん、私は今夜何も食べないわ」と私に言うのです。私も義母の夫も驚いて「何で?!何か食べてくださいよ」と言ったけど、聞く耳持たず。「息子の酷い態度に私は傷ついたので、何も食べたくないの」と言い放ち、そのまま貝のように口を閉じてしまいました。何を言っても義母は食べないとの一点張りなので仕方なく私たちは食事をオーダーして静かに食べることになったのです。わが夫の頼んだベジタリアンメニュー。デザートの上にホウヅキが乗ってました。母と息子の親子喧嘩に巻き込まれた私とレイモンド(義母の夫)は大迷惑です。ムッツリしながら食事をとり、そそくさとホテルに戻りました。しかし、なんであんなことで義母は怒ったのでしょう。原因は息子がシャンパンを飲まない(今日は)と言ったことと、ベジタリアンメニューを頼んだこと。義母にとっては奥が深い問題なのかもしれないけど(謎)。何を飲もうと食べようと人の勝手じゃあないですか!?大体義母だって日本に来たときに わざわざBBQガーデンに連れてったら「私はナマから焼く肉は食べられない」なんてわけのわからないこと言ってから揚げ頼んだり、乾杯しなきゃならない状況のときに「飲みたくない」と言って場を白けさせたりしたクセに。結局自分勝手な親子です。これ以上親子喧嘩には巻き込まれたくありません。この夜、もう一つ事件がおきました。大量の洗濯を手洗いして、ホテルのヒーターで乾かそうと干しといたんですが、、、夜中に停電して、真っ暗闇の中過ごしました。ホテル側も原因がわからず、もちろん宿泊代を負けてもらいました。停電の事件がなければ綺麗で素敵なホテルだったのに。ホテルの中庭ホテルのある通り写したところ。静かで良いところです。http://www.lacloseriesaintmartin.fr/fr/accueil/
2011年05月09日
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夕方にリヴォー城に行ってきました。ここは義母が絶対お勧め!!ロワールの城めぐりで一押し!とゴリ押しで紹介されたところです。ロワールの古城ツアーのメインの城ではなく、ガイドブックにも載っていないので、最初私たちは義母がまたガセネタをつかんだなとまったく期待してなかった(っていうか、行くのさえ面倒だった)のですが・・・意外に小奇麗で可愛らしいお城でした。しかし去年火事にあったそうで、城の裏は修復中。小さなお城の割りに大改装したようで新しいし(古城なのに新しい?)お金がかかっているのが一目でわかります。ガーデニングブームなので、沢山の植物が綺麗に植えられていました。怖い?木の精みたいなオブジェがあったり、孔雀とかいろいろ動物も放し飼いされてました。少しだけ城の中にも入れましたが、こういうの、私は大嫌い。飾った人はどんな神経をしているのか。あんまりフランスらしくない雰囲気だなと思っていたら、アメリカ人が所有しているみたいですね。お庭を散歩しているだけで、楽しいお城でした。http://www.france-acces.com/chateau/rivau.html
2011年05月08日
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弟のファームハウス、外から写してみました。母屋右側のベージュの壁部分が居住エリア左側端っこのトタン部分が馬居住エリア衛星アンテナついてるけど、テレビがありません母屋を裏側から撮ったところリビングのバックヤードには、昔使っていたワイン樽がそのまま残されてます。この農家はワインも作っていたようです。裏庭にはポタジエと呼ぶ野菜畑(potager)が出来上がったばかり。今年はここに沢山の野菜を植えるのでしょう。ガマの池母屋の裏には池もあります。魚はいません。グルノイユ(grenouille)というカエルが沢山住んでます。納屋階段の下がウサギ小屋になってます。中は一応2階建てになっており、将来的にはゲストハウスにする予定だそうです。ツバメが中に巣を作っています。あずまやすご~くボロくて、今にも崩れ落ちそうだけど意外に丈夫。天気の良い日は ここで食事をします。それがまた気持ちよいのです。庭1日滞在するとヒマでヒマでしょうがない仕方が無いので、ビーチベッドに座り込んでiphoneをいじったり凧揚げしたり。この日の夜中にものすごい雷雨があり、モデムが壊れてインターネットが出来なくなってしまいました。そうすると本当に何もすることがなく、シャンパン飲んでお昼寝コースです。贅沢すぎますね。でもフランス人はバカンスというと、こんな感じです。近所の農家 近所といっても車で10分走ったところですがヤギの新鮮なチーズを売ってくれます。
2011年05月07日
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少しだけ弟の家の内部を写しました。ここはエピュゼというフランスの田舎町。20分ほど車で行くと、ヴァンドーム(Vendome)という街があります。近くの大きい都市はトゥール(Tour)になります。見渡す限り麦畑、菜の花畑、ひまわり畑。秋にはジヴィエでハンターたちが小動物を狩にでるような場所です。弟の家は母屋に馬小屋牛小屋が併設され、鳥小屋、ウサギ小屋、納屋もあります。もちろん今は馬もウサギもいません。廃墟みたいです。現在住める状態になってるのは母屋の一階部分のみ。部屋の仕切りは無く、細長いワンルームになってます。そんなボロ屋に似つかわしくない家具調度品がたくさん揃っているので、最初はビックリしました。これはベッドのヘッドボード上に赤ちゃんの顔がかなり古いもので、寝心地は恐ろしく悪いです。たんすひねってある柱がスゴいです。ベッドとおそろいのようです。鏡見苦しい生活品が写りこんでしまいましたが、この鏡も箪笥とべッドとおそろいのようです。ストーブこちらも掃除用具と一緒に写りこんでしまい、歴史のある品物とは見えがたいですが、かなりの一品だそうですよ。この地方にはロワール川が流れており、沢山の城が点在しています。お城って維持が大変のようで、経済的に困って落ちぶれた城主がたまにガレージセールをやるんだそうです。それらを弟の彼女の祖母が買い付けて集めてきた家具を弟カップルがもらったそうです。元はお城にあった家具が 今ではボロい(笑)農家にあるっていうのも面白いですね。しかしフランス人って古いものが好きなんですね~。私たちはどうしても新しくて便利なものを選びがちですが、彼らは使い勝手が悪くても古いものにこだわります。おまけスーパーで見つけたカップヌードルフランスパンばっかりの生活に耐えかねて買ってしまいました。照り焼き味とすき焼き味です。(やっぱりフランス的)
2011年05月06日
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