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【最初の不思議な体験】
その不思議な体験は、私が六歳のときのことだった。当時はプールなどなかったから、私たち子どもは連れ立って、川でよく泳いだりして遊んだものだ。末っ子だった私には、兄と三人の姉たちがいる。この日も兄や姉たちと一緒に、千曲川(長野県佐久地方を源流とする大河)に泳ぎにいこうと、河岸段丘の崖淵の道を下っていった。
切りたったこの道には、途中から大きな石が露出したり、岩が重なりあったりして、歩きにくいものだった。幼かった私は、いつものようにひとつ上の姉の後ろにぴったりくっついて、はしゃぎながら道を下りていった。そのときのことだった。
大きな石の上を渡り歩こうとしたその瞬間、突然「危ないっ!」という鋭い叫び声が聞こえた。私はとっさに声のする方を見た。目に飛び込んできたのは、今まさに崖の上から姉に向かって崩れ落ちようとしている大石だった。
『危ないっ!』
私は無我夢中で姉を突き飛ばした。ちょうど姉が足をかけようとしていた石もグラついていたので、私に突き飛ばされた姉は、バランスを失い、前のめりに倒れた。それと同時に大石は砂ぼこりを巻き上げながら、姉と私の間をガラガラと転がり落ちていった。姉は1メートルほど崖を滑り落ちて土まみれになり、後から落ちてきた小さな石で足の親指にケガを負ったものの、大ケガにはならずにすんだのである。
当然のように、私は兄や姉にこっぴどく責められた。
「どうしてこんなことをするんだ」
「お前が押すから悪いんだ」
私が、「誰かが危ないと教えてくれたんだ」といくら説明しても、叫び声が聞こえた方角には石と土がむき出しの、珍しくもない見慣れた崖があるだけで、誰にも信用してもらえなかった。信用されなかったことが、子ども心にも大変さびしい思いをしたことを今でもはっきり覚えている。しかし、それよりも私はあの「危ないっ!」という声が気になっていた。『あの声の主はいったい誰なんだろう』この疑問は随分長い間、私の心の片隅に引っ掛かっていて、けっして消えることはなかった。
【時空をこえて】
『あれ、まただ!』
この現象は先ほどから気になっていたのであるが、理解するにはあまりにも無理がある。あらゆる考えが意識のなかを駆け巡ったが、それは自分の能力を遥かに超えていた。
これは夢にしてはあまりにも現実的であり、現実であると考えれば身体から離れた意識だけの世界というのもまた変である。だいたい『行きたい』と強く思う場所へ瞬時に行かれるなんて、信じられないことである。やはりこれはなにかの幻覚なのかもしれない、などと考えてはみるのだが、今置かれているこの状況があまりにもリアル過ぎて、頭のなかは完全にパニック状態に陥っていた。
いずれにしても空間を自由に飛び越えられるようで、身体は病室にいながら、行きたいところを強く思うと、別の場所へ瞬時に移り変われるのである。つまり私の意識は空間や時間など関係なく移動することができるということになり、これはなかなか面白い現象だなと思えるのであった。そうなると好奇心がふくらんできて、いろいろと確かめてみたくなり、
『もしかしたら過去や未来にも行けるかもしれないぞ』と考えたのである。
さて、そうなるとどこへ行ってみようかと迷ったが、未来はまだ経験がないので行きたいところが決められない。過去はすでに経験しているので、行きたいところを決められる。それでは過去のどこへ行こうかと考えていたとき、子どものころの不思議な経験を思い出した。
前述の川原でのできごとである。あのときの「危ないっ!」と叫んだ声の主は一体誰だったのか。長い間ずっと知りたいと思っていた。ぜひその時代へ行って、声をかけてくれた人を見たいと思ったのである。
そこで今度は、六才のあのときのことを強く思い浮かべてみた。するとどうだ、やはり瞬間的にその時代へ移り変わったのだった。目線は、当時六才だった私を少し見下げるぐらいの位置にあり、姉の後ろを追いかけるようにして歩いている自分を見ているのである。それはちょうど、この場面をテレビカメラで写し、あとでその画面を見ているような、そんな感じがした。さっそくあのとき、危ないと声が聞こえてきたあたりを捜したが、そこは崖になっていて、誰もいない。やはりあのときの声は空耳だったのかなと思いつつ、二人を見守っていた。
この日はたしかかなり暑い日だったが、不思議なことに暑さは感じない。やがて二人は大きい石の近くにやってきた。すると、今にもその石が落ちそうになった。そのとき、私は思わず、
『あ、危ないっ!』
と叫んだ。その瞬間、六才の自分がこちらを振り向き、石に気がついてとっさに姉の背中を押した、とほぼ同時くらいに二人の間を石が転がっていった。
このときはじめて『危ないっ!』と叫んだのは他でもない、実は自分自身だったことを知り、さすがの私も予想外な結末に驚いたのだった。
再び病室に戻ってみると、私の身体は数人の医師や看護婦に囲まれていて、ベッドの横になにやら計測器が置いてあった。そして今度は体格の良い男の医師が心臓マッサージを行っていた。
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