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さて元ラジオDJの俺の原点!今年はディスコの音で押してみようかな?今も俺のメガネ屋でメガネ買ってくれた人に毎月10人にMixプレゼント中!これジャケ写!
2010.01.20
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アルファロメオ147ここも俺のこだわる14がはいってますね(笑)この車は前の156が高速で止まって一回ランチャイプシロンにいってアルファ147に戻ってきたのですが、何がいいって"エンジン音”シトロエンに始まりオペル→アルファ⇒ランチャ⇒アルファと本当は死ぬまで世界中の車に乗ろうって人生の計画でしたがイタリアの車に魅了されて、イタリアで止まってます(笑)アルファのギアを落とす時の回転数を合わさる音”たまりません”(笑)完全にマニアックです!カッコイイ爺さんを目指す俺の生き方になれるか(笑)俺的にイタリア大好き!お金があればマセラッティーにいつかは乗りたいですね!爺さんのマセラッティ乗り!女の子にもてそうでしょう(笑)ちなみに何で14にこだわるかって?俺学生の時サッカーやってたんですが、一度も公式戦のピッチに立てなかったベンチに座る14番目の選手だったんですね!それが50歳になって熊本代表!長くやってるといろいろありますね!(サッカー嫌で28歳までやめてたのですが)なので14番目の選手が俺の原点かなって事で!今でも14という数字にはこだわりありますね!
2009.10.21
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俺14って番号にすごく思い入れありまして、かなり意識した数字ですね!飛行機に乗る時の搭乗口も14番登場口になること多いですね!何でも意識する事によってチャンスは具体的に見えてくるものですね!意識してないと目の前にあったものも気付かないからですね!人は意識してるものしか目にはいらないそうですからね!そういう意味ではお金も意識する事によって手に入る可能性はすごく高くなると思いますね!でもお金の場合は出入りって言うように、まずは手に入れるより出ていく方を意識した方がお金に好かれるとおもいますね!稼ぎ方よりは使い方の方が大事なんじゃないでしょうか?
2009.10.07
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予選リーグ2回戦は前年度九州チャンピオンで全国大会出場の福岡県三宅Dシニア!北九州のチームですが、このチームは九州シニア(40歳以上)の常連チームで強いですね!前半1点先制し後半突入!後半残りわずかでヘディングシュート決められ1-1の引き分けでした! 前半1-0 後半0-1 合計1-1この試合はセンターバックでフル出場!自分的にもいいパフォーマンスしてたと思います!これで1勝1分け
2009.05.21
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5月16・17日に第八回全国シニア九州大会に熊本県選抜チームで出場!予選リーグ九州各県が二つのブロックに分かれてうちのブロックは長崎県(前年全国大会出場)・福岡県(前年全国大会出場)・宮崎県・熊本県の強豪が揃ったどんなブロック分けかもさっぱりわかりませんが、1回戦!長崎県と対戦!俺前半はベンチスタート! 前半1-0 後半0-0 合計1-0ま俺後半から出場で、50歳にして生まれて初めて大きな公式戦のピッチに立ちました(笑)まそつなくこなしてポジションは(センターバック)無事1回戦終了です!
2009.05.20
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なんと今週末サッカー(50歳以上)の九州大会!なんと俺熊本県選抜に選ばれてしまいました!はははは!若い頃サッカーなんて真剣にやった記憶なし!当然公式戦出場0試合!中学で1年間・高校で1年2ヶ月しかやらず高校卒業してからは、10年間一切サッカー関わりなしで30歳からまた初めて20年目で熊本県代表だって!かなり遅咲きですね!人の人生なんてどこで花開くかわからないよね!それも長崎の五島列島に住んでて、熊本県代表!サッカーにも感謝!選んでくれた人にも感謝ですね!ちなみに人間って脳が異常に大きくなりすぎて赤ん坊は脳が未発達のまま生まれてくるって知ってました?胎内で十分に成長してからでは、大きな頭が産道にひっかかりでられないので、一種の未熟児状態で生まれるそうですね!動物の子供は生まれてすぐ歩きだすのに人間の赤ん坊は1年近く親の世話にならなければ、立ち上がれないそこに人間は”感謝”って感情をもつようになった訳があるそうですよ!
2009.05.14
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このホイルですね!18インチのホイル(レッドのアクセントライン)これがかっこいい!にピレリーのタイヤ(215/40)突き上げ感は相当くるかなって思ってましたが、思ったよりきつくないですね!俺的にはマークXの固さのほうが、きつい気がしましたが?今度AIRを窒素にしてみようって思ってます!
2008.10.30
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アルファロメオとDucattiのコラボゲット!色はアイス・ホワイト前乗ってた156TS(2000年前期モデル左ハン)のセレは赤でしたので今回は白にしてみました!今まだ慣らし中ですので、まだ4000回転以上は回せてませんので、本当の美味しいところはわかりませんが、とにかくやる気になる車ですね!少しずつアップしていきます!ぶっちゃけセレスピードの1速から2速のCityモードは前の156から比べるとめちゃめちゃの進歩!ただし2速にいく前に少しアクセルを抜いてやる必要はありますが!この限定車は、イタリアを代表する2輪車メーカーであるドゥカティ社とのコラボレーションから生まれたモデル。ベース車は最高出力150ps/6300r.p.m.、最大トルク18.4kg-m/3800r.p.m.の2.0リッター直4DOHCツインスパーク・エンジンに、5段2ペダルM/Tのセレスピードを組み合わせたパワートレインを搭載し、さらにスポーティさを強調した仕様とした2.0ツインスパーク・セレスピード・スポルティーバIIとなる。 エクステリアは、アルミマット仕上げのフロントグリルやフロントエアインテーク、ヒーテッド電動ドアミラーをはじめ、ルーフスポイラーやレッドのアクセントラインがあしらわれた専用18インチ・アルミホイール、専用デカール、専用バッジ(リア、左右フェンダー)、エグゾーストパイプフィニッシャーなどを採用。さらに、ブレーキキャリパーをレッド仕上げとしたほか、スポーツサスペンションも装着し、スポーティかつ個性的なスタイリングとした。 インテリアは、“DUCATI CORSE”のスクデット・エンブレムとレッドステッチをあしらった、ブラックの専用スポーツレザーシートやドアトリム、オーディオコントローラー付き専用レザーステアリング(レッドステッチ)、専用ブラックメーター、アルミ製スポーツペダル、ステンレス仕上げキックプレートを採用。スポーツマインドをかきたてる空間に仕立てている。 このほか、装備面ではキセノンヘッドライト(ロービーム)やヘッドライトウォッシャー、レインセンサー、ミストセンサー、オドセンサー、自動防眩ルームミラー、前席シートヒーター、CDチェンジャー、BOSEサウンドシステムを標準装備する。 ボディカラーはジュリエッタレッドとアイスホワイト、エトナブラックの3色が用意される。 価格は330万円で、日本仕様は5ドアの右ハンドルとなる。
2008.10.28
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10月18日から21日まで滋賀県で行われました第21回スポーツレクレーション大会(滋賀県)の壮年(50歳以上)のサッカー大会に参加してきました!結果は熊本代表0-0徳島代表/熊本代表1-1宮城代表/熊本代表0-2千葉代表で2引き分け1敗の勝ち点2で結果はいまいちでした!長崎の五島列島に住んでて熊本のサッカー代表なかなかおしゃれでしょう(笑)
2008.10.27
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50才になったのでアルファロメオにもどって来ました!約2年前に156TSが高速で討ち死にして、しばらくランチャ・イプシロンに乗ってましたが、高速のること多い為、今度は限定車アルファロメオ147DucatiCorseにしました!少しづつインプレッションや写真等アップしていくので、アルファ好きには楽しいかもよ!
2008.10.16
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また熊本県のミドルリーグ(35歳以上のリーグ)が始まりました!ぶっちゃけここ俺が仕切ってるチーム(高校のOBチーム)ではないので、ユニフォームがいまいちですが、まこんなもんでしょう!このチームも俺と同じ歳(今年50歳)でプレーしてるのは、俺合わせて二人だけになってしまいましたね!
2008.04.20
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Feet/Hands Up For Feet 2008年1 Intro 2 Cool Summer 3 Bailar[Friends Mix] 4 Hard To Say Feat.simon Grey 5 La Source 6 Fala De Amor 7 Night Life 8 I'll Think Of U[80's Mix] 9 Le Metro 10 My Music 11 Serpentine 12 Tuomo / Don't Take It Too Hard[Feet Remix]13 Rendez-vous 14 Night Life[Rasmus Faber Remix] 15 Move Your Feet 16 Bailar[Club Mix] 17 I'll Think Of U[Acoustic Mix] 18 Outro とにかくRasmus Faberファンは必聴!ラスマスのレーベルからもシングルをリリースするフランスのハウス・デュオ Feet 待望のデビュー・アルバム!Rasmus Faberのレーベル Farplaneからもシングルを発表しているフランス人若者男子デュオ。音も実にラスマス系!サウダーヂなブラジリアン・フィーリングとファンキィなソウル・フィーリングが織りなす美メロ・ヴォーカル・ハウスが満載。クロスオーヴァーでPOPな音楽性、ジャジーな生演奏を多く取り入れたナチュラルでウォームなサウンド、70s~80sブラック・ミュージックへの憧憬がにじむヴィンテージな肌触り、カラフルで美しいジャケット、グッド・ルッキンなルックス等が魅力!もちろんアルバムにはRasmus Faberによるリミックス収録!おまけにSimon Greyをキーボードにフィーチャーしたトラックも収録。そして日本盤だけのスペシャル・ボーナス・トラックとして07年夏に大ヒットしたTuomoの名曲「Don't Take It Too Hard」のFeet Remixを収録! 一番最初のワークシャイのサウンドが今ぽくなった心地よさがありますね!
2008.02.06
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スイング・アウト・シスター/It's Better To Travel 曲目1 ブレイクアウト 2 トワイライト・ワールド (スパーブ、スーパー・ミックス) 3 アフター・アワーズ 4 ブルー・ムード 5 サレンダー 6 フールド・バイ・ア・スマイル 7 コミュニオン 8 イッツ・ノット・イナフ 9 テーマ (ベター・トゥ・トラベル) 10 ブレイクアウト (N.a.d.ミックス) 11 サレンダー (Stuff Gun Mix) 12 トワイライト・ワールド (ガス・ディストレス・ミックス) 13 コミュニオン (インストゥルメンタル) 『It's Better To Travel』マーキュリー・レコードと契約し、ポール・オードフィーをプロデューサーに迎えデビューアルバム製作を始めたスウィング・アウト・シスターは、デビュー曲となる「ブルー・ムード」(Blue Mood)を1985年11月にイギリスでリリースしたが、チャートインは成らなかった。しかし、1986年末に発売したシングル「ブレイクアウト」はイギリスチャート3位そしてアメリカチャート6位を記録するヒットとなった。続くジョン・サーケルのトランペットソロが印象に残る「サレンダー」(Surrender)はイギリスチャート最高7位、落ち着いたジャズ調の「トワイライト・ワールド」(Twilight World)は多くのミュージシャンの手でリミックスされダンスナンバーともなった。アルバム『ベター・トゥ・トラベル』は1987年5月11日にイギリスで発売され、チャート1位に輝いた。アルバムには、サーケルとともにレベル42との共演で知られるゲイリー・バーナクル(サクソフォーン)、エイジアとのセッションにも加わったルイス・ジャーディム(パーカッション)、ティム・キャンスフィールド(ギター)、ジェリー・ヘイ(トランペット、フリューゲルホルン)らも参加した。後に、このアルバムからは「ブレイクアウト」のような陽気なポップ調の「フール・バイ・ア・スマイル」(Fooled By a Smile)がシングルカットされた。バンドは、「ブレイクアウト」で1988年のグラミー賞最優秀新人賞とグループやデュオによる最優秀ポップ・ヴォーカル賞にノミネートされた。『ベター・トゥ・トラベル』は、アレンジを担当したリチャード・ナイルスによって、管楽器・弦楽器調のシンセサイザー、ドラムサウンドや木琴などを効果的に織り交ぜ、ジャズと当時流行ったテクノポップを融合させた印象深いものとなっている。これは、1950年代後半のナイトクラブ的雰囲気に、テクノポップ調の装いを纏わせたホーンセクション用いたジャズと解釈されている。テクノポップそのものは衰退の兆候を見せていたが、スウィング・アウト・シスターの曲はマニア受けを狙ったものではなく、賑やかで陽気な特徴を持った彼らの本質を充分に感じさせるものに仕上がっている。アルバムに収録された「トワイライト・ワールド(superb,superb,mix)」のイントロでは、東京駅に到着する列車の日本語による車内アナウンスが効果音として使われている。音源や使われた背景は不明だが、後に日本との縁が深まるスウィング・アウト・シスターの将来を期せずして暗示したものとなった最近のヤフーの携帯電話のコマーシャルで流れてる曲が”ブレイク・アウト”ですね
2008.01.10
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BlueSix/Beautiful Tomorrow 2002年 曲 目1 Let's Do It Together 2 Close To Home 3 Music And Wine (Teksoul Dub) 4 Sweeter Love 5 Pure (Jay's Nightlife Dub) 6 All I Need 7 Very Good Friends 8 Yeah 9 Grace (Freedom Dub) 10 Love Yourself 11 Come Inside 12 Music And Wine 13 Pure 14 Beautiful Tomorrow NYをベースとするプロデューサー/ソングライター、Jay Denesを中心とした話題のプロジェクト、Blue 6の注目のデビュー・アルバム。ギターのMark Anthony James、ベースのDave Boonshoftに、6人の女性ヴォーカルが加わったそのサウンドは、R&B、JazzにDubを融合させたまさにダンス・ミュージックの現在形と言えるもので、NYのクラブ・シーンの息吹きをも伝えてくれる。 月並みな言い方すればディープ・ハウス!大人が聴くハウス・ミュージックそれも真夜中過ぎが気分でしょう!エロ系な音なのですが、品は悪くないですね!全体通してアンフィニーな感じが漂うAdultな音ですね!”シャーディー”がハウスでクラブ意識したらこんな音になるのでは?って感じですね
2007.12.27
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Simon Grey/RFPresents SimonGrey 曲 目1 サンバ・ドゥ・マイノール [アルバム・エディット] 2 6pm [サイモン・グレイ・シンセサイザー・ミックス] 3 プロフェシー [オリジナル・ミックス] 4 ザ・ギャラクティカ・スイート [ナスティー・インスティテュート・エディット] 5 スルー [サイモン・グレイ・ヴォーカル・リワーク] 6 シンキング・オブ・ユー [サイモン・グレイ・ニュー・サルサ・ミックス] 7 ザ・サン・ウィル・シャイン [サイモン・グレイ・リミックス] 8 トゥギャザー [オリジナル・ミックス] 9 セカンド・ゲス [サイモン・グレイ・リサーチ・ミックス] 10 ゾーズ・シングス [サイモン・グレイ・ブラジル・78・ミックス] 11 ワン [オリジナル・2002・ミックス] 12 スイート・ン・サワー [サイモン・グレイ・トリビュート・コレクション] 13 マジック・スター [サイモン・グレイ・ダブ] ジャズ/フュージョン/ハウスを自由に行き来するキーボーディスト/プロデューサー、Simon Greyのベストワークスが登場。ニューシングル「Samba do Minor」収録。日本で大人気のDJRasmus Faberがいいと思ったDJを紹介するコンピですね!踊れて、メロディアスで心地いい楽曲満載!聞いて損なし!
2007.12.26
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俺ラジオでDJ始めたきっかけが約10年前に始めたプログ!毎日今日の1曲で自分の好きな曲を自分の視点で解説してたのが、たまたまラジオのデレクターの目にとまって、メール来てそれからラジオ局に出向いてそれではって感じで始まったんよね!ぶっちゃけその当時(素人)今でもたいした差はないけれど、楽曲を選ぶ耳はかなりセンスあると思う!ただミックスのテクはまことに皆さん申し訳ありませんって感じですね!約足掛け5年ぐらいやらせてもらいましたが、1970年代のソウルからDisoco&AOR&ジャズにオールジャンルで俺の耳に心地いいって感じる曲を紹介してきました!レコードにCD合わせると何千枚あるか自分でも把握してません!ただ自分のミックスした曲が電波にのって、リスナーの耳に届く責任感と遊び心の楽しくもありたまにはストレスでもあり、番組の為に選んだ曲まだ消化しきれずMixしたCDが50枚以上選曲したのが約650曲!まだまだ新しいCD手にいれ現在進行中・・・・・!ぶっちゃけ音楽のすばらしさをいろんな人に知ってもらいたい・・・・・もっとジャンルなんて関係なく聴いて欲しい・・・・・そんな気持ち込めて”聞いて損のないCD”紹介してます!
2007.12.05
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Seek/journey into day 2003年 曲目1 Open The Way 2 Rise 3 Talk About It 4 Jorney Into Day 5 Last Night 6 Something Real 7 The Dj Song 8 Taken 9 Belleve Me 10 Right Here (Seekronized Remix) 11 Everafter (Tauriva Remix) Donnieを輩出したジャイアント・ステップからヒット・シングルを出したアトランタ・シーンの顔役、Seekが1年半ぶりに新作を完成!友人のアンジェラ・ジョンソンも参加した素晴らしいアルバム。メロウさと心地よいグルーヴに感動的な歌声。彼らが影響を受けたアイズレーやキャロル・キング、シャーデーらの持つメロディーの良さと親しみやすさを併せ持った1枚となった。ぶっちゃけソウルやR&Bのヒットチャートを賑わす作品ではないと思いますが、ヒューマンな暖かさが感じられる作品ですね!ドニーとかクーリーズ・ホット・ボックスが好きな人達にはかなり”やばい”のでは!シャーディー好きにはたまらない1枚でしょう!まさしく大人が聞くClubSoulですね!
2007.12.05
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Donnie/Colored Section 2003年 曲目1 Welcome To The Colored Section 2 Beautiful Me 3 Cloud 9 4 People Person 5 Big Black Buck 6 Wildlife 7 Do You Know? 8 Turn Around 9 You Got A Friend 10 Heaven Sent 11 Rocketship 12 Masterplan 13 Our New National Anthem 14 Colored Section, The遂にDonnieがメジャー・デビュー!しかもあのモータウンから!元々Donnieはケンタッキー出身・アトランタ育ちなので、本国でのデビューは当たり前なのですが、彼の場合、Gilles Petersonらに気に入られ、先にイギリスで人気の火がつき、日本でも大型ソウルシンガーとして注目されていました。待望のデビューアルバムであった本作は、昨年ジャイアント・ステップからリリースされ、大ヒットを記録。ようやくアメリカでもその才能が認められ、映画「Brown Sugar」にファースト・シングル”Cloud 9”が使われたりしました。第ニのStevie Wonderと言われるDonnieがモータウンからメジャー・デビューするというのも何かの縁なのでしょうかね。これから本格的にメインストリーム・シーンに進出していくDonnieがどうなっていくのか本当に楽しみです。ぶっちゃけ最初の方はかなりヒップな感じのソウルでぶっちゃけそんなにいい感じではないけど、7曲目の”DoYouKnow”この曲メチャいい!ソウルタッチのボサノバ!この1曲の為にこのCD買ったといってもオーバーじゃないよ!
2007.11.29
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バーサンバ/4 2005年作 曲目ディスク 1 1 Portguese Love (Album Version) 2 Soul King 3 Everybody Get Up 4 Let The Drums Speak 5 Have You Got Your Bootz On? 6 Doober 7 You!You!You! 8 Portguese Love (Phil Asher's Restless Soul Mixディスク 2 1 Inner Soul 2 Calma 3 Don't Let Them Get You Down 4 Just Want To Love You 5 So Many People 6 Intermission (Bonus Track) 7 Coming Home 8 Far Aawy 9 Morris 10 Portguese Love (Seamus Haji MIx) (Bonus Track)ラテン、サンバを取り入れたハウスサウンドで人気の高いBah Sambaの3年ぶりのアルバム。すでにヒット中のシングル“Portguese Love”を筆頭に今作でもその期待を裏切らない仕上がり。2枚組になっており、メロディアスな楽曲の多い1枚目と、彼ららしいブラジリアン・テイストの強い2枚目と、Bah Sambaの魅力をあますところなく味わえる作品になっている。バーサンバとはジュリアン・ベンデルとアリス・ラッセルを中心に洋々なミュージシャン達が集まったユニットです!ちなみにBAHろは、ジュリアン・ベンデルと友人のケヴィン・アレクサンダー&ジェフ・ホルロイドのファミリーネームをとったそうです!昔で言うクロスオーバーとはフュージョン的アプローチを今的なクラブミュージックのアプローチでラテン・ジャズ・ハウス・ソウル・ファンクを心地よくミクスチャーさせた音を生み出すここちよいアーティスト軍団です!
2007.11.13
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Raw Artistic Soul/ユーガット・リズム・トゥ 2007年 曲目1 Miami Theme 2 Zaab 3 Keep On Shining Feat. John Gibbons 4 The Light Feat. Ursula Rucker 5 Oya O Feat. Wunmi 6 Bayahibe 7 Abanico Feat. Rafael Cortes 8 Pa La Loma Feat. Edisney Portales Vega 9 In Their Eyes Feat. John Gibbonsドイツの人気ハウスレーベル”GoGoMusic”の看板アーティスト!ロウ・アースティック・ソウルのセカンドアルバム!ハウスの要素にクラブオリエンタルなR&Bにアフロなビートにラテンミュージックをうまくミックスしたおいしい音だしてくれますね!基本的にはダンスミュージックですが、打ち込みと生楽器の融合!アフリカやラテンのおいしいグルーブ感をメチャお洒落にした音ですね!全体的に70年代のオリエンタルな音に近未来をミックスしたみたいな音!ジャミロクワイのあくの強いとこをなくして、お洒落にして少し哀愁が漂う音!俺的に大好きな音ですね!これも小僧より大人のハウスミュージックですね!歌入りとそうでない音が半分半分って感じですね!
2007.11.08
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Rasmus Faber/B.i.: ブラニフ インターナショナル 2006年 曲目1 Ladies & Gentlemen (interlude) 2 Do You Know / Donnie 3 Pure Surprise (Alex Senna Latin Bossa Mix) 4 Pay Attention / Rafa 5 A Procura Da Batida Perfeita (Sao Benitez Bossa Mix) / Marcelo D2 6 Can’t Do Without / Peven Everett 7 The Sun Will Shine / Blak Beat Niks 8 Quem Vai Devolver Meu Dia / A Bossa Elétrica 9 Consolação / A Bossa Elétrica 10 Sapporo / BLAZE 11 Missing You / Tiger Stripes 12 Prism (Sun Orchestra Remix) / Château Flight 13 Son of Dragon / Liquid People 14 Ever After (Samba Reprise) / Rasmus Faber feat. Emily McEwan 15 Come With Me [Cello Interlude] / Rasmus Faber feat. Melo 日本でも大ブレイクを果たしたおしゃれハウス界一の人気者、Rasmus FaberのセレクトCD。コンセプトは「伝説の航空会社"ブラニフ"が21世紀の今もフライトしていたら、こんな音楽が機内で流れている」という画期的な内容!その高いデザイン性とスタイルで現在もグッズが売れ続けている"ブラニフ"と、キャッチーでメロディアスなハウスの"Rasmus Faber"というオシャレ×2な組み合わせで贈る、ダンス/ラウンジ・コンピレーションの決定版!Rasmus Faberの未発表新曲やEver Afterの未発表Remixも収録!機内アナウンスからDonniの2曲目にはいりなんか、かなりお洒落ですね!この曲は俺かなり好きですね!スティービーがボッサタッチで軽く歌ったらこうなるでしょうって感じ!とにかく曲選がいいですね!ジャズミュージシャンの父の元に生まれた彼はジャズって言う無意識な音楽性がベースにあり、とにかく今ハウス・ガラージ系では一番趣味いいと思います!小僧ではなく大人が聞くハウス・ミュージックってこんなのじゃ!
2007.11.07
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Lemuria/Lemuria 1979年作 曲 目1 ハンク・オブ・ヘヴン (04:21) 2 オール・アイヴ・ガット・トゥ・ギヴ (04:54) 3 ドリームス (04:11) 4 ミスターU (05:53) 5 ゲット・ザット・ハッピー・フィーリング (04:10) 6 ムーンライト・アフェア (05:09) 7 ミステリー・ラヴ (04:07) 8 メイキング・オブ・ユー (03:46) 9 レイディ・アンド・ザ・デュード (03:39) 10 ドント・セイ・ゼア・エイント・ノー・ヘヴン (04:30) 11 サムバディーズ・トーキン (03:06) 12 フ・ドゥ・ユー・ラヴ (04:56)カラパナの元キーボード奏者でインストの名曲”BlackSand”作曲者カーク・トンプソンが主宰する黒人・白人混合の大所帯バンド!ソウルとジャズをミックスし70年代の雰囲気をかもしだしながら、ハワイのエスプリを味わいたければかなりお勧めなCDですね!6曲目のメローさはまさしくハワイ好きでAOR好きなら絶対はまりますね!2曲目のグルーブ感もまさしくハワイのソウル・グルーブですね!ハワイ在住のアーティストの中では一番好きですね!メロウでソウルフルで”ハワイの風の感じが漂うグルーブ感好きですね!
2007.11.06
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Pages/Pages 1981年 曲目1 ユー・ニード・ア・ヒーロー 2 テル・ミー 3 O.c.o.e. 4 カム・オン・ホーム 5 セサーシア 6 オンリー・ア・ドリーマー 7 オートマティック 8 フィアレス 9 ミッドナイト・エンジェル LA発のAOR名グループ、ペイジズが二人組として再出発し、1981年に発表した傑作の誉れ高い一枚。ロック、ジャズ、ソウルといった多彩なスタイルを溶かしし込みつつ透明感と広がりのあるサウンドが構築されている。 ほとんどの曲をJグレイドンがプロデュース!アダルトな音を完璧にまで美しく仕上げた極上のアルバムですね!時代背景とうまくいかなくて売れませんでしたが、夜にきくには最高のアルバムでは!
2007.10.31
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マイケル・フランクス/Sleeping Gypsy 1977年 曲 目1 Lady Wants To Know, The (04:45) 2 I Really Hope It's You (04:54) 3 In The Eye Of The Storm (05:55) 4 B'wana--He No Home (04:57) 5 Don't Be Blue (03:28) 6 Antonio's Song (The Rainbow) (05:03) 7 Chain Reaction (05:14) 8 Down In Brazil (04:33)デビュー作『アート・オブ・ティー』と並ぶ名作で、1977年発表のセカンド・アルバム。実際、『アート~』よりもこちらを最高傑作とする声も多い。前作で展開された新感覚シティ・ミュージックがここで更に磨きがかかったかのよう。ラリー・カールトン、ジョー・サンプル、デヴィッド・サンボーンらが参加。マイケル・フランクス、彼の名を聞いて多くの人が頭に思い浮べるのは75年に発表されたアルバム『スリーピング・ジプシー』だろう。この作品は、AORの幕開けをニック・デカロのアルバム『イタリアン・グラフィティ』で築いた男として名高いトミー・リピューマーをプロデュースに迎え制作された、ソフト&メロウな名盤だ。この一枚によって彼のイメージ--そして音楽スタンスは確立されたといっても過言ではなく、以降、シーンに与えた影響は計り知れない。インテリジェンスな香りが漂うなか、ボサ・ノヴァとジャズをシェイクし、都会のネオンに注がれた音のカクテルは、多くのシャレっ気をもった大人たちを魅了した。そして、男の色気をクールに醸し出すフランクスのウィスパー・ヴォイスがエレガントな音空間をより一層引き立て、味わい深いものにしている。なかでも、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた「アントニオの歌」は誰もが一度は耳にしたことがある屈指の名曲といえよう。また、アーシーなサウンド・スタイルへのアプローチなど、既存のAORイメージと違った作風を併せもつアーティストでもある。
2007.10.30
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Heat/Heat 1980年作 曲 目1. JUST LIKE YOU 2. ITS UP TO YOU 3. BABY (THIS LOVE THAT WEVE FOUND) 4. DONT YOU WALK AWAY 5. PICKIN AND CHOOSIN 6. WHATEVER IT IS 7. SIDE STEPPIN 8. BILLET DOUX 9. JUST LIKE YOU (SINGLE EDIT) 10. JUST LIKE YOU (DANCE MIX) 11. BABY(THIS LOVE THAT WEVE FOUND) (SINGLE EDIT) サックス奏者でコンポーズ&アレンジも手がけるトム・サヴィアーノが嫁さんとジョー・パズロのツインボーカルをフィーチャーしたファンキーなグループ!ジャズ好きでEW&Fからも大きな影響受けたというトムが指向するサウンドは豪快なホーンセッションを前面に押し出すシティーファンク!ジャリー・ヘイ・チャックフィーリーを初めとする名手8人がひと組となるホーン隊は、決してノリだけでは終わらない、音楽的に裏づけされたハーモニーを聞かせますね!特にお勧めは4曲目!この曲歌ったジョーパズーロは本作後に脱退!セルジオ・メンデスのアルバムに参加!4曲目はまさしくアーバンで心地いい名曲ですね!
2007.10.18
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クリストファー・クロス/南から来た男 1980年 曲目1 セイ・ユール・ビー・マイン 2 愛はまぼろし 3 スピニング 4 もう二度と 5 哀れなシャーリー 6 風立ちぬ 7 ライト・イズ・オン 8 セイリング 9 ジゴロの芸人 A.O.R.名盤中の名盤として名高い"ミスター・フラミンゴ"ことクリストファー・クロスのデビュー・アルバム『南から来た男』(1980年発表)。全米ナンバー・ワン・ヒットの「セイリング」をはじめ、「風立ちぬ」、「愛はまぼろし」などを収録。グラミー賞5部門受賞。流麗なメロディとクリスタルなハイトーン・ヴォイス、そして完成度の高いサウンドが一体となって、独自のA.O.R.美学がデビュー作にして完成された。 ギターリストもジェイグレイドン・カールトンにエリック・ジョンソンのギター等しびれますね! クリストファークロスクリストファー・クロス(Christopher Geppert Cross、1951年5月3日 - )は、アメリカ合衆国 テキサス州 サンアントニオ生まれのシンガーソングライター。 トレードマークはフラミンゴ。1979年、アルバム『Christopher Cross』(邦題『南から来た男』)でデビュー。 天使のようなハイトーンボイスで一躍AORを代表する歌手となる。 同アルバムとシングル『Sailing(セイリング)』は1980年のグラミー賞の5部門を独占。この曲は、ビルボード(Billboard)誌で1980年8月30日に週間ランキング第1位を獲得。1980年ビルボード誌年間ランキングでは、第38位。翌年にはスチーブ・ゴードン(Steve Gordn)監督・脚本の映画「ミスター・アーサー(Arthur)」の主題歌「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme (Best That You Can Do))」でアカデミー歌曲賞をバート・バカラック、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンとともに受賞。「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」は、ビルボード(Billboard)誌で1981年10月17日に週間ランキング第1位を獲得。1981年ビルボード誌年間ランキングでは、第12位。この曲は日本でも馴染みの深いナンバーである。 幼少期に父親の仕事の関係で日本(東京代々木に)住んでいたことがある。
2007.10.17
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アルジャロウ/Breaking Away 1981年 曲 目1 Closer to Your Love (03:54) 2 My Old Friend (04:26) 3 We're in This Love Together (03:44) 4 Easy (05:23) 5 Our Love (03:53) 6 Breakin' Away (04:12) 7 Roof Garden (06:19) 8 Blue Rondo a la Turk (04:44) 9 Teach Me Tonight (04:13)ジェイグレイドンが4作続けてプロデュースしたうちの2作目!グラミー賞でJazzボーカル部門は2度受賞したことあるアルですが、ポップチャートではいったシングル曲は1曲もないですね!それがジェイグレイドンを招くことによって、3曲目が15位!6曲目と9曲目もチャートイン!ベストPOPボーカルも受賞!8曲目でジャズの楽曲に独自の歌詞をつけた曲でBestボーカルパフォーマンスも受賞!4曲目のステーブガットのドラムにペイジス参加の2曲目!幸せな気持ちになれる3曲目!9曲目今夜教えて!恋のABCメチャメローです!間違いなく歌上手すぎ!天才!
2007.10.16
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ジノ・バネリ/Brother To Brother 1978年 曲 目1 Appaloosa (04:43) 2 River Must Flow, The (03:49) 3 I Just Wanna Stop (03:36) 4 Love And Emotion (03:49) 5 Feel Like Flying (05:17) 6 Brother To Brother (07:18) 7 Wheels Of Life (04:14) 8 Evil Eye, The (04:12) 9 People I Belong To (04:00) レコーディング/ライヴにおいて一切の妥協を許さない事でも知られる完ぺき主義者、ジノ・ヴァネリの78年発表作品。タイトル通り、兄のジョー、弟のロスもアルバム制作に関わり、熱き兄弟の絆から生まれた彼の最高傑作。当時まだ無名だったカルロス・リオスのギターを前面に押し出し、それまでのシンセ中心の音作りから一転、ハードかつドラマティックな作品となり、堅物なロック・ファンからも高い評価を得た。カルロスのギターが炸裂するM1は何気なく聴くとシンプルだが、シンセ・ベースとの絡みが物凄いことになっている。ヴァネリ一家の故郷モントリオール夜について歌ったロマンティックなバラード・ナンバーの“I Just Wanna Stop”はシングル・カットされ大ヒットを記録した ジノ・バネリ ジノ・ヴァネリ(Gino Vannelli、1952年6月16日 - )はイタリア系カナダ人のシンガーソングライター。 [ 略歴ケベック州モントリオール生まれ。父親がビッグバンドのミュージシャンという音楽一家の環境で育つ。高校卒業後、カナダで最も権威のあるマギル大学で音楽を専攻し、その後ロサンゼルスに移り、A&Mレコードと契約。1973年にアルバム「クレイジー・ライフ」でデビューする。ジノの情熱的でソウルフルなボーカルと、キーボーディスト兼アレンジャーの兄・ジョー・ヴァネリが作るボサノバ、フュージョン色が濃いサウンドとの取り合わせは独特の世界観を持ち、時にはプログレッシブ・ロック的なコンセプト・アルバムも発表した。圧倒的な歌唱力に加え、高いサウンド・クリエイト能力を合わせ持ち、"ミュージシャンズ・ミュージシャン"と賞される程の評価を得る一方、セールス的にはあまり恵まれなかった。しかし、1978年に彼の最高傑作とも言われる「ブラザー・トゥ・ブラザー」を発表し、「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」が全米4位、アリスタ・レコード移籍後の「ナイト・ウォーカー」からは「リビング・インサイド・マイセルフ」が全米6位を記録している。1981年の「ナイト・ウォーカー」発表以降はジャズよりの音楽を探求し始め、現在でも精力的に活動を続けている。
2007.10.15
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ビルチャップリン/Single 1978年作 曲 目1 ホワット・グッド・イズ・ラヴ (03:38) 2 アイ・ドント・ウォント・ユー・エニモア (03:56) 3 ウィ・ボウス・トライド (04:54) 4 ヨ・ママ (04:08) 5 フライ・ウィズ・ミー (04:00) 6 ラヴ・イズ・フォーエヴァー (03:45) 7 ケアレス (03:53) 8 イレイン (03:30) 9 キーズ・トゥ・ザ・キングダム (05:06) 伝説のAORアルバムが今、ここに復活!サンズ・オブ・チャンプリン~シカゴなどのヴォーカリストとしてAORファンから圧倒的な支持を受けるビル・チャンプリンが1978年に発表した意欲的なソロ・アルバム。プロデュースをデヴィッド・フォスターが全面的に手がけ、参加ミュージシャンもフォスターの他、ジェイ・グレイドン。スティーヴ・ルカサー、レイ・パーカー・Jr、デヴィッド・ハンゲイト、ジェフ・ポーカロ、マイケル・マクドナルド、ダリル・ホールなどといった超豪華なアーティストたちをそろえた、良質のAORアルバム。ビル・チャンプリンの数ある作品の中でも特にファンからの人気が高い一枚が待望の再CD化。ぶっちゃけシカゴのボーカルもやってるこの人!声が渋いよね!
2007.10.04
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イーグルス/LongRun 1979年作 曲 目1 ロング・ラン (03:42) 2 言いだせなくて (04:56) 3 イン・ザ・シティ (03:46) 4 ディスコ¥ストラングラー (02:46) 5 ハリウッドよ永遠に (06:28) 6 ハートエイク・トゥナイト (04:26) 7 ゾーズ・シューズ (04:56) 8 ティーンエイジ・ジェイル (03:44) 9 グリークスはフリークスお断り (02:20) 10 サッド・カフェ (05:25) 解散説が流れる中、前作『ホテル・カリフォルニア』から3年ぶりの新作として発表された1979年の実質上のラスト作。イーグルスは本作によって4作連続の全米ナンバー・ワンを獲得した。本作でランディ・マイズナーに代わり、ティモシー・B・シュミットが参加。またボブ・シーガー、J.D.サウザーが作者として名を連ねる6曲目で再びグラミー受賞。作品全体としてはやはり解散が影響したかのような暗いムードが漂う。この後、イーグルスは82年に解散するが、94年に4曲の新曲とMTVのスペシャルコンサートの模様を収めたライヴ音源から成る『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』を発表した。 ぶっちゃけホテルカリフォルニアよりこっちがAORぽいんで、俺的に2と10曲目!10曲目はデビットサンボーンのサックスが泣けますね! イーグルス結成:1971 in Los Angeles, CA解散:1982 70年代の人気をピークとして現在でも再編バンドとして人気を博している イーグルス。ウエスト・コースト・サウンドの代名詞的存在だった彼らは、現在もある種の世代においてアメリカ的なるものを最も代表するバンドであり、その象徴としての役割をまっとうしているように見える。イーグルスがスタートしたのは1971年頃のこと。そのメンバーは――少年時代をディキシーランド・ジャズ・バンドに費やし、ビートルズ旋風をきっかけにロックに目覚め、ブルー・グラス風のロック・バンドや1970年にレコードを発表したショイロというグループに在籍したドン・ヘンリー――いわゆるトップ40バンドに籍を置いた後、ボブ・シーガーのバンドに加入して作曲を始めつつ、J・D・サウザーとのロング・ブランチ/ペニー・ウィッスルをやっていたグレン・フライ――スコッツヴェル・スクワイレル・ベイカーズ出身でハーツ&フラワーズ、 ディラード&クラーク・エクペディション 、リンダ・ロンシュタットのバック・バンド、コーベッツを経てフライング・ブリトー・ブラザーズに加入したバーニー・リードン――バッファロー・スプリングフィールド、ポコ、リック・ネルソンのカントリー・ロック・バンド、ストーン・キャニオン・バンドに参加した経歴を持つランディ・マイズナー――という4人だった。それぞれにキャリアを持つ彼ら4人を纏めたのが、当時リンダ・ロンシュタットのプロデューサーだったジョン・ボイランだった。彼らはアルバム リンダ・ロンシュタット に参加した後、自分たちのバンドを結成。バーズやフライング・ブリトー・ブラザーズらのカントリー・ロックをよりハードにプレイするといった形をコンセプトとして、デヴィッド・ゲフィンが立ち上げたばかりのレーベル、新興のアサイラムと契約する。ジャクソン・ブラウン 、ジュディ・シルらとともにアサイラム一期生となった彼らは、コロラド州でリハーサルを兼ねたショーを行い、その後渡英。そこでストーンズやザ・フー等を手掛けたグリン・ジョーンズのプロデュースでデビュー・アルバム イーグルス・ファースト(Eagles)を制作。1972年にリリースした。本作からフライとジャクソン・ブラウンとの共作“テイク・イット・イージー”がヒット。爽やかなウェスト・コースト・ロックでその名を知らしめた。その後リンダ・ロンシュタットをモデルにしているというシングル曲“魔女のささやき”、ジャック・テンプチン作“ピースフル・イージー・フィーリング”が立て続けにヒットした彼らは早くも重要な地位を得るようになっていった。ツアーで人気を増幅させていったイーグルスは、1973年にセカンド・アルバム ならず者(Desperado) を発表。これもグリン・ジョーンズのプロデュースほか、前作も参加したジャクソン・ブラウンや、「もうひとりのイーグル」と呼ばれるJ・D・サウザーらが曲作りで参加。初期の名作となった。ドン・フェルダーをギタリストとして加え、またプロデューサーをジョーンズからビル・シムジクに代えてレコーディングされたサード・アルバム オン・ザ・ボーダー(On The Border) を1974年に発表。よりヘヴィなロックンロール風味の作品となった。ここからはジャック・テンプチン&ロブ・ストラドリン作“過ぎた事”とドン・ヘンリーの渋いヴォーカルをフィーチャーしたバラード“我が愛の至上”などがシングル・カット。特に後者は彼ら初の全米ナンバーワン・ヒットとなり、人気を更に幅広いファン層に広げた。そして1975年に発表された通算4作目 呪われた夜(One Of These Nights) が、初の全米ナンバーワン・アルバムに。この作品からはタイトル曲や“いつわりの瞳”、“テイク・イット・トゥ・ザ・リミット”と3曲のヒットも生まれ、彼らはもはや当代アメリカを代表するバンドと呼んで差し支えなかった。ただこの後1975年末に、バンドの方向性に疑問を感じたリードンが脱退するという事態も起こっている。1976年の初頭に初のベスト盤 グレイテスト・ヒッツ1971-1975 をリリース。これも全米ナンバーワンとなり、更には正式に制定されたプラチナ・ディスクの第一号にもなった。脱退したリードンの穴を埋めたのは、ソロ活動を展開していた元ジェイムス・ギャングのジョー・ウォルシュ 。ウォルシュ加入後1976年2月にイーグルスは初来日を果たす。そして1976年末に発表された ホテル・カリフォルニア(Hotel California) 。これはロック界に大きな波紋を投げかける作品となった。象徴的なのが、翌年にグラミー賞を獲る表題曲の“ホテル・カリフォルニア”。建国200年に沸き立つアメリカの現状に鋭い視点を投げかけた同曲は、いわば「アメリカン・ドリーム」の崩壊をテーマにしたものといえる。このアルバム自体は全米ナンバーワンを獲得、また全世界で1100万枚を売り上げるという驚異的なセールスを誇ることになった。また同1977年春からツアーを開始したイーグルスだったが、ツアー生活に疲れたマイズナーが脱退。代わりに同じくポコのティモシー・B・シュミットが加入している。 ホテル・カリフォルニア(Hotel California) の大ヒットからくるプレッシャーもあったのか、メンバーはバンド外での課外活動にも多くの時間を割くようになっていた。最後のスタジオ作 ロング・ラン(The Long Run) を1979年に発表。これも四作連続となるナンバーワンを獲得したが、結果論だがやや彼らの苦悩を滲ませた作品の出来ともいえた。この後1980年に二枚組の イーグルス・ライヴ (Live)を発表した彼らは事実上の活動停止状態に陥った。イーグルス解散後、グレン・フライやドン・ヘンリーはソロとしてヒットを飛ばし、ウォルシュも引き続きソロ活動を、またドン・フェルダーはソロ一作とセッション活動、シュミットもソロ作をリリースしている。そうした80年代~90年代初頭を経て、イーグルスの復活が実現したのは1994年のことだった。フライ、ヘンリー、ウォルシュ、シュミット、フェルダーの5人が、4月にバーバンクのワーナー・スタジオでMTV番組用のライヴ・ステージを行ったのだ。更に5~10月にかけて全米ツアーを行った再結成イーグルスは、MTV用のライヴ・テイクに新曲も加えた14年ぶりの新作 ヘル・フリーゼズ・オーヴァー(Hell Freezes Over) を発表。これが全米ナンバーワンを記録し、日本含むワールド・ツアーを廻った彼らは翌年の音楽賞を獲得するなど、それまでの業績も含めた高い評価を得た。この後イーグルスが再び一緒に姿を現したのは1998年1月のことだった。ロックンロール・ホール・オブ・フェイムの席で、現メンバー5人にリードンやマイズナーを加え、パフォーマンスを披露した。またミレニアムを控えた1999年の大晦日にロサンジェルスのステイプル・センターでライヴを敢行、その模様がボックス・セット イーグルス・ヒストリー(Selected Works1972-1999) (2000年リリース)に収められたことはまだ記憶に新しい。そして2003年、「Farewell I」と称したツアーを敢行し、待望の新曲Hole In The Worldと新作アルバムを自身のレーベルからリリ-スする。 70年代という時代を華麗に駆け抜けたイーグルス。記録だけでなく記憶にも残る活動を遺した彼らには、やはりオッサンくさいイメージが付きまとうのは仕方のないことかもしれないが、彼らが単なる恐竜バンドに終わらず、アメリカ大衆の最大公約数的な部分を代表しながらも当時ある種のスマートさを有していたことは語り継がれなければならないのではないか、と思う。(抜粋)
2007.10.03
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ToTo/宇宙の騎士 1978年作 曲目1 子供の凱歌 2 愛する君に 3 ジョージー・ポージー 4 マヌエラ・ラン 5 ユー・アー・ザ・フラワー 6 ガール・グッドバイ 7 ふりだしの恋 8 ロックメイカー 9 ホールド・ザ・ライン 10 アンジェラTOTOが1979年に発表した記念すべきデビュー・アルバム『宇宙の騎士』。TOTOはロサンゼルス周辺のセッション・プレイヤーとして名の知れたデヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロほか6名により結成。ソウル、ジャズ、プログレなど高度な器楽演奏を見せながらも、この種のグループとしてはかなりポップな感覚、歌重視の姿勢を持っているのが彼らの特徴だ。M9がシングルとして大ヒットしたほか、アルバム自体も全米最高位9位をマークやっぱDJ的に3曲目は今もカバーし続けるメローチェーン! 現在のメンバーデヴィッド・ペイチ David Paich (David Frank Paich) - Vocals & Keyboards オリジナル・メンバー。初期からジェフと共にTOTOの音楽的方向性をリードしていた最重要人物の一人。現在、ペイチは家族の病気を理由に、ツアーには参加しておらず、レコーディングのみの参加となる。ペイチのヴォーカル曲はグレッグが殆どを代行している。尚、2003年のペイチのツアー活動休止の際にルカサーが「性転換手術を受けた為。生まれ変わったDavida(Davidの女性形)を紹介出来るのは嬉しい」等と冗談を交えた声明を発表した事がある。これはルカサーのいつもの悪ふざけであり事実ではないが、公式サイトでの声明であった為に世界中にメディアが事実として報道してしまった。ルカサーは4日後に「まさかメディアが信じるとは思ってなかった。申し訳ない」と謝罪し、ペイチが性転換手術を受けていない事と、ツアー不参加の本当の理由を明らかにした。この後、一時的にツアー復帰したが、その後改めて休止。ツアー復帰の具体的な時期は全く未定の状態である。 スティーヴ・ルカサー Steve Lukather (本名:Steven Lee Lukather) - Vocals & Lead Guitar オリジナル・メンバー。『キングダム・オヴ・デザイア~欲望の王国~』以降の作品から現在まで、彼がTOTOの実質的なリーダーと言える。TOTO以外での詳細は彼の項を参照のこと。スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートでエドワード・ヴァン・ヘイレンとも同じ高校である。デヴィッド・ペイチやジェフ・ポーカロ マイク・ポーカロ エドワード・ヴァン・ヘイレンの兄アレックス・ヴァン・ヘイレンは高校の先輩である。 ボビー・キンボール Bobby Kimball (本名:Robert Troy Kimball) - Vocals オリジナル・メンバー。1984年『Isolation』制作中に脱退。1999年『MindFields』より復帰。メンバーチェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なヴォーカリストであり、脱退後は多くのファンから復帰を望まれていた。 マイク・ポーカロ Mike Porcaro(本名:Michael Joseph Porcaro) - Bass ジェフの弟。セッションとしては『TOTO IV』からの参加であるが、正式加入は『IV』リリース直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から。故に、『TOTO IV』に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオでは、彼が参加している。TOTOに留まったポーカロ兄弟最後の一人。 グレッグ・フィリンゲインズ Greg Phillinganes (本名:Gregory Phillinganes) - Vocals & Keyboards 2005年より加入。マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどのツアーメンバーとしても知られる名手。以前よりツアーでのサポートメンバーとして参加していたが、その力量を買われて正式加入。メンバー交代ではなく、追加という珍しい形である。レコーディング参加は2006年1月現在最新作の『Falling in Between』から。TOTO初のアフリカ系アメリカ人。 サイモン・フィリップス Simon Phillips - Drums 死去したジェフの後任として『Kingdom of Desire』のツアーより参加。レコーディング参加は『Tambu』から。イギリス人であり、現在唯一の外国人メンバー。ジェフ・ベック、マイケル・シェンカー・グループなどのレコーディングやサポートをはじめ、ザ・フーの再結成ツアー(1989年)にも亡きキース・ムーンの代役として参加している。TOTO=ジェフというイメージが非常に強い為か、旧来のTOTOファンからは酷評されることもしばしばあるが、TOTOのメンバーとして適しているか否かは各リスナーの感覚に委ねるとして、ミュージシャンとしてのキャリアは決してジェフに劣るものではなく、ポピュラー音楽界の最高峰に位置するプレイヤーの一人である。 [編集] 過去に在籍していたメンバージェフ・ポーカロ Jeff Porcaro (本名:Jeffrey Thomas Porcaro) - Drums オリジナル・メンバー。結成から死去まで、事実上のTOTOの中心人物。1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布中に殺虫剤アレルギーによる心不全で死去。しかし、死因があまりにも疑わしい面が非常に多く、また、コカインが検出されたため、ドラッグ中毒による死因だと言う説もある。「ジェフこそがTOTOである」「TOTOはジェフとペイチのバンドだ」等の声も非常に多い。実際、現在においても現メンバーは彼をメンバーとして扱い、依然としてTOTOの権威としてリスペクトし続けている、過去のメンバーの中でも特異な存在である。小田和正のソロアルバム『K.ODA』(1986年)など、日本人アーティストの作品にも幾度となく参加している。 スティーヴ・ポーカロ Steve Porcaro (本名:Steven Maxwell Porcaro) - Keyboard & Vocals オリジナル・メンバー。ジェフ及びマイクの弟。80年代TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザーサウンドは彼によるもので、TOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものとも言える。『Fahrenheit』を最後に脱退するが、次作『The Seventh One』でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる。最近ではスティーヴ・ルカサーがインタビューで「俺はスティーヴには実際、正式に復帰してもらいたいと思っているんだよ」と語っている。(脱退とはいうが、『The Seventh One』以降の作品でもほぼ毎回、正式メンバー並に活躍しているので、単にクレジット表記を変更しただけとも言える)。ルカサーとは高校のクラスメートである。マイケル・ジャクソンのモンスターヒット・アルバム『スリラー』収録の「ヒューマン・ネイチャー」はスティーヴの作編曲である。無論このアルバムの他の曲も含め数曲でキーボードも演奏している。 デヴィッド・ハンゲイト David Hungate - Bass オリジナル・メンバー。商業的成功が故に多忙となり、家族と過ごす時間の為に『TOTO IV』を最後に脱退。未だに彼の根強いファンは多く存在している。 ファーギー・フレデリクセン Fergie Frederiksen (本名:Dennis Hardy Frederiksen ) - Vocals 元体操選手という経歴を持つ、TOTOの歴代ボーカリストの中でも異色の人物。TOTO加入前は、トリリオンやル・ルーに在籍。『Isolation』のみの参加で脱退したが、「Fahrenheit」にはコーラスで参加している。 ジョセフ・ウィリアムズ Joseph Williams - Vocal ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズやスティーヴン・スピルバーグの作品等、映画音楽作曲家として有名なジョン・ウィリアムズの息子。オリジナルメンバーのボビー・キンボールと並ぶ、TOTOの代表的ヴォーカリスト。正式メンバーとしてはたった2作の参加にも拘らず、彼をTOTO史上最高のヴォーカリストと言う声も大きく、復帰を望む声もある。TOTO『The Seventh One』を最後に脱退したが、現在でもTOTOの作品に作曲やゲスト・ヴォーカルとして参加している。 ジャン・ミッシェル・バイロン Jean-Michel Byron - Vocals ベスト盤「グレイテスト・ヒッツ」で彼を売り出そうとしたレコード会社の意向により新曲のみ参加(本来は、この作品からキンボールが復帰する予定だった)。Past To Present Tour直後に脱退。南アフリカ出身。バンド初の外国人メンバーで唯一のアフリカ人
2007.10.02
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ToTo/聖なる剣 1982年作 曲目1 ロザーナ 2 メイク・ビリーブ 3 ホールド・ユー・バック 4 グッド・フォー・ユー 5 イッツ・ア・フィーリング 6 アフレイド・オブ・ラブ 7 ラバーズ・イン・ザ・ナイト 8 ウイ・メイド・イット 9 ユア・ラブ 10 アフリカ 1982年度グラミー賞で7部門受賞という快挙を成し遂げたTOTOの大ヒット作、通算4作目の『聖なる剣』(1982年発表、全米最高位4位)。パワフルでハードな部分も交えたポップ感覚溢れるサウンドが印象的。M1 "ロザーナ"(全米2位)、M2 "メイク・ビリーヴ"(全米30位)、M3 "ホールド・ユー・バック"(全米10位)、M10 "アフリカ"(全米1位)といったヒット曲を収録ToToの場合どのアルバムにするかは、かなり悩みますが俺的に4枚目のこのアルバムに決定しときます! ToTo TOTO(トト)は、1976年にロサンゼルスのスタジオミュージシャンであるデヴィッド・ペイチ (David Paich) とジェフ・ポーカロ (Jeff Porcaro) を中心に結成されたアメリカのロックバンドである。メンバーによって、またその時によって説明が異なっている為、正確には不明であるが、ボビー・キンボールの本名、ロバート・トトースを捩ったもの、「全てを含む」を意味するラテン語を英語風に捩ったもの、日本の企業、東陶機器(現・TOTO)のブランド「TOTO」からとった[1](来日したとき、TOTOの便器を欲しがった)等、複数の説、及びメンバーの説明がある。但し東陶機器からとったという説明はデビュー当時は日本での人気が先行していたので日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとしてミュージック・ライフ誌インタビューで語ったのが真相である。また、ボビー・キンボールの本名も、実際には芸名と同じくキンボール (Kimball) がファミリー・ネームであり、トトース (Toteaux) ではない。従ってこれもメンバーによるジョークであると思われる。なお、現在、公式ウェブサイトでは次のような説明がなされている。バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『オズの魔法使い』を見たばかりであったジェフが、映画に登場する犬の名前「toto」をデモ・テープに書いてすぐ判別できるようにした。その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ、「toto」はラテン語で "total" 、あるいは "all-encompassing (網羅的な)"を意味することがわかった。これは数々のセッションに参加していたバンド・メンバーの経歴やどんな種類の音楽にも対応できるバンドの演奏能力にピッタリであるということから、デビュー・アルバムのタイトル及びバンド名として採用された。 音楽的特徴一般的には、典型的なAORサウンドと評されている。また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有している事から、産業ロック等と表現される事がある。実際にそういった趣が色濃い曲も数多く、それゆえヒット曲が多いのも事実である。ただし作品全般を通して聴くと、ハードロックからプログレッシブ・ロック、ジャズ/フュージョンといった様々なスタイルを内包しており、商業性を優先しているとは言いがたい幅広い音楽性を持っているという意見もある。専任のヴォーカリストがいるにも関わらず、ギターのスティーヴ・ルカサー、キーボードのデヴィッド・ペイチがリード・ヴォーカルをとる事が多い(実際、TOTO最大のヒット曲「Africa」はペイチのヴォーカルである)。デビュー当時が丁度、汎用IC、LSI(ICの高度集積化されたもの)の低コスト化が本格的に加速し始めた次期であった故、サウンド・エフェクター、シンセサイザーという音楽関連テクノロジーも飛躍的に発達、普及した時期となり、これとぴったり重なっていたこと、及びこういった先進技術の恩恵を潤沢に受けられるロサンゼルスのスタジオミュージシャンからキャリアをスタートさせたことから、当時「スペイシー (Spacy) 」と音楽雑誌が称していた空間的広がりに散乱するような華やかなサウンドで、ほぼ同時期にデビューしたボストン (Boston) と並んで、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの雛形となったサウンドを提起した。より具体的には、全体のエフェクトにリバーブやゲート・リバーブ、ギターにはコーラス等を多用し、アンプに通さず直接ミキサーのインプットに入力したクリスタル・クリーン等と形容されるギターサウンド、ペイチのジャジーなピアノやオルガン、エレクトリックピアノ、そしてスティーヴ・ポーカロのブラス系を含む煌びやかなシンセサイザー・サウンドは正に1980年代サウンドのお手本と言える。しかしながら、初期TOTOにおいて一番その特徴といえるのがバンドの中心人物でドラムスのジェフ・ポーカロのリズムである。基本的に16ビート調の曲が多いのだが、通常の8ビートや16ビートでも独特のハネとウネりがあり、それが初期のTOTOをTOTOたらしめていると言っても過言ではない。特に顕著なのが「Rosanna」に代表されるような3連ゴースト・ノートを多用する16ビートのハーフ・タイム・シャッフルである。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムやスティーリー・ダンでプレイしたバーナード・パーディから影響を受け、独自にアレンジしたというこれらのリズムは未だに多くのドラマーの課題となっている(実際ジェフ自身もスティーリー・ダンでプレイした経験がある)。バンド・メンバー結成のきっかけは、ボズ・スキャッグスのアルバム「シルク・ディグリーズ」制作時に集められたメンバーが母体になっている。TOTOはメンバーチェンジを繰り返しており、時代ごとにラインナップが異なる。2006年1月、現メンバーでは初の作品がリリースされた。
2007.10.02
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スティーリー・ダン/Aja 1977年作 曲目1 ブラック・カウ 2 彩(エイジャ) 3 ディーコン・ブルース 4 ペグ 5 安らぎの家 6 アイ・ガット・ザ・ニュース 7 ジョージー ソウル・ミュージック、ジャズなどを都市感覚溢れる抑制の利いた緻密なアレンジと演奏で聴かせる彼らのスマートな魅力が全面展開された超名盤!!長時間スタジオに篭り作り上げられたそのハイ・クオリティ・サウンドは、注意深く聴くと非常に細かい計算によって成り立っていることが判るが表面的にはムズかしくなく誰もが楽しめるAOR/ポップスにしあがっている所が凄い! M4はラップ・グループ、デ・ラ・ソウル1stのネタの一つとしても有名。 ちなみに4曲目のソロパートはリトナー・カールトン・トムスコットら早々足るメンバーのテイクが駄目だしで、7番目にトライしたJ・グレイドンのトリッキーなギターが採用されたのは有名な話でこれでJグレイドンの株が上がり、いろんな方面で活躍していきますね! スティーリーダン Steely Dan プリファブ・スプラウト、ケイン・ギャング、ダニー・ウィルソン、実際にウォルター・ベッカーをプロデューサーに迎えたチャイナ・クライシスやフラ・リッポ・リッピ、そしてその名をスティーリー・ダンの名曲からとったディーコン・ブルーなどスティーリー・ダンからの影響を感じさせるグループは挙げればきりがない。スティーリー・ダンの中心メンバーであるドナルド・フェイゲン(key , vo)とウォルター・ベッカー(b , g)は’67年ニューヨークのバード・カレッジで出会い、ジェイ&ジ・アメリカンズのツアー・メンバーなどの仕事を経て、ABCレコードのスタッフ・プロデューサーのゲイリー・カッツに見出されソングライターとして活動していたが、その特異性からか受け入れられず、デニー・ダイアス(g)、ジェフ・バクスター(g)、ジム・ホッダー(ds)、デイヴィッド・パーマー(vo)を加えスティーリー・ダンを結成。バンドとしての活動がスタートする。’72年プロデューサーにゲイリー・カッツ、エンジニアにロジャー・ニコルスという布陣で、デビュー作 キャント・バイ・ア・スリル(Can't Buy A Thrill) をリリース。ラテン・ビートを取り入れた「ドゥ・イット・アゲイン」(全米6位)などのヒットが生まれ、一躍脚光を浴びることになる。<p>続く’73年には早くもデイヴィッド・パーマーが脱退するが、ドナルド・フェイゲンがメイン・ヴォーカルとなりセカンド・アルバム エクスタシー(Countdown To Ecstacy) をリリース。’74年にはサード・アルバム プレッツエル・ロジック:さわやか革命(Pretzel Logic)をリリースし、そこから「リキの電話番号」が全米4位の大ヒットとなる。アルバム・クレジットに目をやると エクスタシー にはリック・デリンジャー、レイ・ブラウン、プレッツエル・ロジックにはチャック・レイニー、デイヴィッド・ペイチといった一流ミュージシャンが参加しており、既に将来の姿への兆候が見え始めていた。ジェフ・バクスターがドゥービー・ブラザース加入のために脱退、ジム・ホッダーに代わってジェフ・ポーカロ(ds)、そしてバッキング・ヴォーカルでマイケル・マクドナルドが加入して’75年 嘘つきケティ(Katy Lied) 、’76年 幻想の摩天楼(The Royal Scam)をリリース。どちらも5人のメンバー以外に卓越したゲスト・ミュージシャンが多数参加し、細部に渡って完璧なスタジオ・ワークにこだわった作品となった。こうしたフェイゲン&ベッカー体制はいよいよ強まり、’77年リリースの 彩(Aja) ではオリジナル・メンバーだったダニー・ダイアスの名前がとうとう消え、ジェフ・バクスターに続きマイケル・マクドナルドもドゥービー・ブラザースに正式加入(但し、数曲にバック・ヴォーカルで参加)、ジェフ・ポーカロもボズ・スキャッグスのアルバム参加を経て、スーパー・グループTOTOの結成へとむかっていた。代わって起用されたバック・ミュージシャン達は、ラリー・カールトン、リー・リトナー、トム・スコット、ウェイン・ショーター、スティーヴ・ガッドといった超一流どころで、こうしてフェイゲン&ベッカーが作り出したメロディーを完璧なまでに解釈したミュージシャンを起用してリリースされた彩 はかつてないベスト・セラーを記録、アメリカン・ロックの金字塔となった。ここまで年一枚のペースを保ってきた彼等だったか、その完璧さゆえ次作 ガウチョ(Gaucho) は’80年にリリースされた。マーク・ノップラー、ブレッカー・ブラザース、デイヴィッド・サンボーン、パティ・オースチン等豪華ミュージシャンの参加も話題となり、今作も大ヒットを記録。彩と並ぶ彼等の代表作となった。しかしながらこうした絶頂期の中、彼等は突然活動を休止。’82年にはゲイリー・カッツ・プロデュースによるドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム ナイトフライ がリリースされた。その後何度となく再結成の噂は上るものの、何のリリースもなく10年もの月日が流れ、’93年ようやくドナルド・フェイゲンの2作目のソロ・アルバム KAMAKIRIAD がウウォルター・ベッカー・プロデュースによりリリースされ、スティーリー・ダンとしてのリユニオン・ツアーもスタート。’94年にはフェイゲン&ベッカー共同プロデュースによるウォルター・ベッカーのファースト・ソロ 11の心象 、’95年にはリユニオン・ツアーの模様を収めたスティーリー・ダン初のライヴ・アルバム アライヴ・イン・アメリカ(Alive In America) がリリースされた。いよいよ今度はスティーリー・ダンとしてのオリジナル・ニュー・アルバムへと期待が膨らむ中、レコーディング作業はじっくり進められ、2000年遂に20年ぶりの新作 トゥ・アゲインスト・ネイチャー(Two Against Nature)がリリースされ、何とその年のグラミー賞最優秀アルバム賞を見事獲得したのは記憶に新しいところ。20年のブランクを微塵も感じさせない独特のテイストは健在で、その深みのあるサウンドには改めて敬服させられる。この誰もが認めた素晴らしい作品をリリースしたことでスティーリー・ダンの評価が高まり、2001年には「ロックの殿堂入り」を果たし2002年には彩(Aja)が「グラミー殿堂入り」を果たしている。そして前作から3年という彼らにしては短いブランクで届けられることとなったのがエヴリシング・マスト・ゴー(Everything Must Go)だ。前作やツアーを共にしたというメンバーとスタジオに入ってからは約1年間で録音を終わらせたこの作品では、バンド形式で演奏したものをそのままライヴ・レコーディング形式で録音したというから驚きだ。ジャズ、ポップス、ソウルなどが融合された極上のポップ・サウンドがこれでもかとばかりに溢れ出していて心地の良い空間を作ってくれている。大人のためのポップ・サウンドを創り出してくれるこの二人がこの先どんな方法でリスナーを喜ばせてくれるのか楽しみだ。
2007.10.01
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レイケネディ/RayKennedy1980年作 曲目1 閉ざされた心 2 イズント・イット・タイム 3 ジャスト・フォー・ザ・モーメント 4 恋のラスト・ページ 5 マイ・エヴァーラスティング・ラヴ 6 ロンリー・ガイ 7 セイル・オン・セイラー 8 スターライト 9 涙で綴るラヴ・レター 元KGBのヴォーカリスト、レイ・ケネディがプロデューサーにデヴィッド・フォスター、バックにはスティーヴ・ルカサー、スティーヴ・ポーカロ、マイク・ポーカロ、ジェフ・ポーカロ、さらにはビル・チャンプリン、トミー・ファンダーバーク(エアプレイ)、トム・ケリー(フールズ・ゴールド)といったメンバーと制作。ヒット曲「ロンリー・ガイ」やブライアン・ウィルソンとの共作「セイル・オン・セイラー」など都会的な中にR&Bテイストを感じるAORの代表的傑作。 SUPER ROCK 84でMICHAEL SCHENKER GROUPEのフロントマンとして超杜撰なパフォーマンスをしたのは有名RAY KENNEDY (レイ・ケネディ) YOU OUGHTA KNOW BY NOW ロンリー・ガイバリー・ゴールドバーグ(グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「I'VE GOT TO USE ME IMAGINATION(つきせぬ想い)」の作者)、マイク・ブルームフィールドとともにKGBというバンドを結成(KGBってソ連の秘密警察のようだ)。解散後ソロでは80年に「JUST A MOMENT」という曲が82位を記録した。ところで、八神純子の「パープル・タウン」という曲ご存知ですか?「パープル・タウン」はサビの『パープル・タウン、パープル・タウン』というところから、曲はボロボロになっていくが、前半の部分は実にすばらしい曲でした。まるで、前半と後半の作者が違うような・・・。今でこそ八神純子のアルバムを見てみると、「パープル・タウン」は八神とレイ・ケネディの共作というような形になっているが、筆者の知人によると、このパクリがバレて以来八神純子は消えていったと言っていた。真偽のほどをご存知の方はご連絡ください。(No.214)P.S.情報をいただきました。最初は八神純子は自分のクレジットだけ入れていたのですが、当然のごとくレイ・ケネディー側は激怒し、訴訟になりそうになったのです。で、八神サイドとしては、(全く同じメロディーですから訴訟に勝てるわけがないので、)レイのクレジットを入れる線で折り合いをつけたということだそうです。また、リリース当初は「君のいない部屋」という放題だったらしい。
2007.09.27
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ボズ・スキャッグス/ミドル・マン 1980年 曲目1 Jojo 2 Breakdown Dead Ahead 3 Simone 4 You Can Have Me Anytime 5 Middle Man 6 Do Like You Do In New York 7 Angel You 8 Isn't It Time 9 You Got Some Imagination ボズ・スキャッグスが1980年に発表した人気作。チャート的には『シルク・ディグリーズ』に次ぐヒットとなった本作。これで『シルク~』、『ダウン~』、本作と3作連続のミリオン・セラーとなった。TOTOのメンバー、デヴィッド・フォスター、レイ・パーカーJr.などが全面参加。従来よりもロック色の濃いところを見せている。M1”ジョジョ”ほかがシングル・ヒットしたやっぱ俺的に1曲目でこのアルバム決定!4曲目の間奏のサンタナのギター泣けますね! ボズ・スキャッグスボズ・スキャッグス(Boz Scaggs, 本名:William Royce Scaggs, 1944年6月8日 - )はアメリカのミュージシャン。1970年代後半から1980年代にかけて流行したAORサウンドを代表するシンガーである。オハイオ州生まれ。少年時代をテキサス州で過ごす。12歳のときにギターを始め、セント・マークス・スクールでスティーヴ・ミラーと出会う。彼にギターを習いながらヴォーカリストとしてバンド活動を始めた。二人は共にウィスコンシン大学に進み、大学時代もブルース・バンドを組んだ。1960年代前半、白人によるリズム&ブルースが盛んだったイギリスのロンドンへ渡る。いくつかのバンドでプレイした後、ソロとしてヨーロッパを遠征中スウェーデンのポリドール・レコードの目にとまり、1965年にデビュー作『ボズ』を発表する。帰国後、サンフランシスコを拠点に活動し、スティーヴ・ミラー・バンドのファーストアルバムに参加。これで好評を得たボズは1969年にアトランティック・レコードからアメリカでのデビュー果たすが、しばらくはセールスに恵まれなかった。R&B色が濃い泥臭い音楽を続けていたボズだが、1976年、ファンキーでクロスオーバー的な洗練されたサウンドの『シルク・ディグリーズ』を発表。これが全米2位を記録し、500万枚以上を売り上げた。アルバムからも「ロウ・ダウン」(全米第3位)、AORのスタンダード曲「ウィ・アー・オール・アローン」の大ヒットを放つ(このアルバムに参加したセッションミュージシャンたちは後にTOTOを結成)。次作の『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』、『ミドル・マン』も続いてヒットした。その後、ヒットチャートからはしばらく遠ざかっていたが、1988年の『アザー・ロード』でカムバックを果たし、健在ぶりを見せつけた。ボズのヒットをきっかけに大人向けの洗練された音楽が流行し、AORというひとつのジャンルを形成するに至る。なお、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)は日本独自の呼び方で、アメリカではMOR(ミドル・オブ・ザ・ロード)、AC(アダルト・コンテンポラリー)などと呼ばれる。特にAORの人気が高かった日本では未だに根強い人気を誇っている。
2007.09.25
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ドゥービーブラザース/Minute By Minute 1978年 曲 目1 ヒア・トゥ・ラヴ・ユー (04:03) 2 ある愚か者の場合 (03:47) 3 ミニット・バイ・ミニット (03:31) 4 ディペンディン・オン・ユー (03:49) 5 轍を見つめて (03:30) 6 オープン・ユア・アイズ (03:22) 7 スウィート・フィーリン (02:45) 8 スティーマー・レイン・ブレークダウン (03:28) 9 ユー・ネヴァー・チェンジ (03:33) 10 ハウ・ドゥ・ザ・フールズ・サーヴァイヴ? (05:15) マイケル・マクドナルドが一番輝いてた仕事したアルバム!グラミー賞受賞!1-3曲目聞いてみて!1970年にトム・ジョンストンを中心に結成、翌1971年にデビュー。1972年に「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」のヒットを放つ。この後のメンバーチェンジでリズムセクションはファンキーさを増し、サザン・ロック色の濃い音楽性を確立する。1973年のアルバム「キャプテン・アンド・ミー」からは「ロング・トレイン・ランニング」、「チャイナ・グローブ」、1974年のアルバム「ドゥービー天国」からは「ブラック・ウォーター」といったヒット曲が生まれ、一躍アメリカン・ロックを代表する人気バンドの一つとなった。1974年、スティーリー・ダンを脱退したジェフ・バクスターが加入する。ところが、その頃からバンドの顔であるジョンストンの健康状態が悪化し、バンドを一時脱退してしまう。間近に控えたツアーのため、ジョンストンの代役としてバクスターの紹介で加入したのが、スティーリー・ダンのツアーメンバーだったマイケル・マクドナルドだった。マクドナルドはその個性的な歌声とともに、バンドに洗練されたAORの強い影響をもたらす。それまで野性味あふれる快活なギターロックを奏でていたドゥービーの音楽性は一変した。AOR路線への転向はファンの間で大きく賛否が分かれたが、商業的には大成功を収める。1978年のアルバム「ミニット・バイ・ミニット」とシングルカットされた「ホワット・ア・フール・ビリーブス」はともに全米1位を獲得、その年のグラミー賞でアルバムタイトル曲は最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、「ホワットフールビリーブス」は最優秀楽曲に輝いた。もはやマクドナルドのワンマンバンドとなったドゥービーにかつてのロックバンドの面影はなく、メンバーは次々と脱退。キース・ヌードセン、ジョン・マクフィーら一部のメンバーはアメリカに活動の場を移した矢沢永吉のバックミュージシャンを務めるなどしていた。マクドナルドにとってもドゥービーの看板は不要となり、1983年に初期のメンバーが集まって「フェアウェル・ツアー」と銘打ったライブを行なった後、解散した。1987年にチャリティーコンサートのために一時再結成したドゥービーは、1989年に復活作となる「サイクルズ」を発表。初期のロックサウンドを蘇らせた。その後もマクドナルドが参加したライブアルバムを発表するなど、近年はメジャーレーベルからのリリースはないものの地道に活動を続けている。なお2005年2月10日に死去した主要メンバーのキース・ヌードセンら、かつてバンドに在籍したメンバーのうち四人がすでに死去している。
2007.09.21
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ビリージョエル/Stranger1977年作 曲目1 ムービン・アウト 2 ストレンジャー 3 素顔のままで 4 イタリアン・レストランで 5 ウィーン 6 若死にするのは善人だけ 7 シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン 8 最初が肝心 9 エブリバディ・ハズ・ア・ドリーム ビリー・ジョエルの最高傑作の誉れ高い名作(1977年発表)。フィル・ラモーン・プロデュースとNY一流のジャズ系ミュージシャンとで、ロックとポップスの理想的な融合がはかられており、これまでにない秀逸なサウンドに仕上がっている。今でもよくラジオなどで耳にする永遠の名曲”素顔のままで”など収録。同曲はグラミーも受賞し、ビリー・ジョエルは一躍スターダムにのし上がった(抜粋)俺的には3曲目!当時LP買うお金なかったのでEP盤買いにいきました!今聞いても最高!歌詞カードみなくてもカラオケ歌えまーす! ビリージョエル<ニューヨークへの想い> ビリー・ジョエル、今やニューヨーク市民の愛唱歌のひとつになった「ニューヨークへの想い New York State Of Mind」の作者です。彼はまたウディ・アレンやポール・サイモンらと同じく典型的ユダヤ系ニューヨーカーでもあります。しかし、生まれも育ちもニューヨーク郊外の新興住宅地、ロング・アイランドだったということが、彼の音楽性に他のニューヨーカーとは異なる影響を与えました。 それは彼が個性のない生まれた街をきらい、ニューヨークの雑踏をより深く愛したからだけではなく、それ以上にニューヨークという巨大な街を一歩離れた外からの視点でとらえることにつながったからです。(当時最新型だった住宅地は、ロング・アイランドの自然をつぶし、区別のつかない同じ型の家を並べて作られ有名な街です。このことは、彼のアルバム「リバー・オブ・ドリームス」の中の曲「ノー・マンズ・ランド」にも書かれています) この「外からの観察者」という彼の視点は、デビュー当初の「路上の観察者」から、しだいに「アメリカ合衆国の観察者」(「ナイロン・カーテン」など)へとその視点を広げ、その後はもう一つの視点「心の観察者」(「リバー・オブ・ドリームス」など)という内なる視点へと変わってゆきました。<ビリーの青春> ビリーが生まれたのは、1949年5月9日。ちょうど戦後のベビー・ブーマー世代にあたります。ヒトラーによって、危うく処刑されるところだったユダヤ系ドイツ人移民の父親のもと、ロング・アイランドで少年時代を過ごしましが、あまりに無個性な街とそこでの平穏無事な生活に嫌気がさしていた彼は、いつしか不良少年たちの仲間入りをし、ついには逮捕されるところまでいってしまいました。 しかし、その後はビートルズなどロック・ミュージックとの出会いから、その怒りを音楽にぶつけるようになり、ロック・バンドを結成。初めはロックン・ロールを演奏していましたが、ヤング・ラスカルズを目指して、ブルー・アイド・ソウルに転向。さらには、ジョン・スモールというドラマーと二人組のバンド、アッティラを結成し、クリームなどの影響を受けたサイケデリック・ロックを演奏したりしました。これらの多ジャンルにわたる音楽活動は、後に大いに役立つことになります。<ほろ苦いデビュー作> 1972年、彼は当時、時代の主流になりつつあったシンガー・ソングライターとして、デビュー・アルバム「コールド・スプリング・ハーバー ~ピアノ詩人~」を発表しました。ところが、このアルバムは、あきらかな録音ミスのために最悪のできになっていました。おまけに著作権をほとんどプロダクションに売ってしまっていたため、彼は身動きがとれなくなってしまい、一時ロスへと逃げ出すことにもなってしまいました。この過ちは、この後も尾を引き、セカンド・アルバム「ピアノ・マン」(1973年)が100万枚以上の売上を記録したにも関わらず、彼の手元には1万ドルも渡らなかったということです。 その後、マネージャーを勤めていた彼の妻が解決にあたり、なんとか事態は収まり、彼は再スタートを切ることになりました。(しかし、後にこの妻と離婚訴訟で泥試合を演じることになるというのは、皮肉なことです)<時代の波に乗る> この後彼は、やっと順調に作品を発表できるようになり、シンガー・ソングライターとAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のブームにも乗ってヒットを連発して行くことになりました。 「ストリート・ライフ・セレナーデ」(1974年)、「ニューヨーク物語 Turnstiles」(1976年)(「さよならハリウッド」、「ニューヨークの想い」収録)がヒットした後、1977年に発表したアルバム「ストレンジャー The Stanger」が世界的なヒットとなり、一躍彼は世界的なスーパー・スターの仲間入りを果たしました。 彼がかつて演奏していた多彩なジャンルの音楽は、いよいよそれぞれのアルバムにおいて生かされて行くことになります。ロックン・ロールやソウルはもちろん、ティンパン・アレー時代のなつかしいポップスの要素から最新のパンク、ニューウェーブまでを取り込んだ幅の広い音楽性と路上詩人としての彼の観察眼が生む優れたストーリーが新しいのに親しみやすい素晴らしいポップスを生み出したのです。<バラエティーに富む作品群> 彼が凄いのは、「ストレンジャー」という完成度の高い大ヒット作を発表していながら、その後のアルバムにおいて守りに入るということをせず、新しいチャレンジを続けていったことにあるでしょう。「ニューヨーク52番街 52nd Street」(1978年)では、マイケル・ブレッカー、デイブ・グルーシン、フレディー・ハバード、マイク・マイニエリなどを起用することで、ジャズ・テイストを導入。「ビッグ・ショット」、「オネスティー」、「マイ・ライフ」などのヒットを生みました。「グラス・ハウス Glass Houses」(1980年)では、それまでのAOR路線からニューウェーブ系のパワフルなロックにチャレンジ。「ロックン・ロールが最高さ」、「ガラスのニューヨーク」、「真夜中のラブ・コール」、「ドント・アスク・ミー・ホワイ」がヒット。「ナイロン・カーテン」(1982年)では、それまで取り上げたことのなかった社会問題、それもベトナム戦争と帰還兵の問題、それに右よりレーガン政権の愚かな政策にスポットを当て、彼のもうひとつの傑作として記憶に残る作品となりました。このアルバムからは、「プレッシャー」、「グッドナイト・サイゴン」、「アレンタウン」などのヒットが生まれています。「イノセントマン An Innocent Man」(1983年)は、前作とは気分を一新、彼にとってのルーツ・サウンドでもあるフォー・シーズンズやリトル・アンソニーらのオールディーズ・ポップスをアカペラも交えて展開してみせました。このアルバムからは、「あの娘にアタック」、「イノセント・マン」、「ロンゲスト・タイム」、「アップタウン・ガール」などのヒットが生まれました。「ザ・ブリッジ The Bridge」(1986年)では、レイ・チャールズ(ビリーの娘の名はレイといいます、これは彼が尊敬するピアノ・マン、レイ・チャールズにあやかっています)、シンディー・ローパー、スティーブ・ウィンウッドらとの共演を実現させ、その後彼にとって最も重要なライブとなったソ連ツアーをライブ・アルバム「コンツェルト」(1987年)として発表。この時の体験から生まれた曲「レニングラード」を収録したアルバム「ストーム・フロント Storm Front」(1989年)では、これもそれまでなかった自分自身の心情を表現するということを積極的にし始めた。これは以後の作品で、さらに明確になって行きました。 そんな彼の90年代を代表する傑作アルバムが「リバー・オブ・ドリームス River Of Dreams」でした。このアルバムの収録曲「見えない真実 Shade Of Grey」にこんな歌詞があります。「若い頃は、世の中が完璧にクリアーに見えたものだ 疑いも恐れもなく、真実のみを追究していた 近頃じゃ、自分が何を相手に戦っているのかさえ確かじゃない 僕の信念は揺らいでいくばかり もう確かなものは何もない・・・」 対訳:山本安見<路上の観察者から心の観察者へ> ニューヨークの街の「路上の観察者」としてスタートした彼ですが、人生は観察者でばかりはいられません。かつては、彼とともに人生を歩んでいた妻のエリザベスとの離婚訴訟やその後彼のマネージャーとなった義理の弟による使い込み事件などは、特に彼の人生観に影響を与えたようです。自分の中にある大きな心の不安という巨大な川の存在に気づいた彼は、しだいに「心の観察者」へとなっていったのですが、それは多くの大人たちも同じように気づいて行くことなのかもしれません。<成長し続けるアーティスト> こうして、自らの人間的成長とともに、彼はその音楽性も変えていったわけですが、こういうタイプのアーティストは、考えてみると以外に少ないのかもしれません。もしかすると、これはもの凄く困難な道なのかもしれません。 ぱっと思い浮かぶのは、ブルース・スプリングスティーン、それにボブ・ディラン、日本なら佐野元春。彼らは、未だにパワーが衰えないだけでなく、その音楽スタイルや歌詞の内容は常に変化し続けています。ジョン・レノンも、もし1980年に暗殺されなければ、きっとそんなアーティストたちの仲間入りをしていたでしょう。そうそう、ニール・ヤングもいました。でも、彼の場合は、年をとるごとに若返り続けている特殊な例かもしれません。 もちろん、他にもいっぱいいますが、こうして変化を繰り返して行く中でも、けっして変わることのないそのミュージシャンならではの確固たる個性が存在するかどうか。それこそが、天才の天才たる所以なのかもしれません。そうそう"Just The Way You Are"です!<追記> 2002年6月28日の新聞にビリー・ジョエルがアルコール依存症治療のための病院から退院したという記事が載っていました。相変わらず、彼は心の中の川と悪戦苦闘しているようです。
2007.09.20
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BobbyCaidwell/ Cat In The Hat1980年 曲目1 Coming Down From Love 2 Wrong Or Right 3 To Know What You've Got 4 You Promised Me 5 It's Over 6 Open Your Eyes 7 Mother Of Creation 8 I Don't Want To Lose Your Loveぶっちゃけ俺が洋楽LPレコード買ったかなり思い出のアルバム!正直当時テープにいれて聴きまくってた作品ですね!収録時間短すぎてテープが余って1と3曲目はヘビーローテー!A面4曲!1曲目の美しさ!3曲目の哀愁感!俺的に一番好きな作品のひとつですね! ボビーコールドウェル 1978年「イブニング・スキャンダル」とそこからのヒット曲「風のシルエット」で突然頭角を現した謎の人物。そのお洒落なサウンドと、謎に包まれたシルエットのアルバム・ジャケットで、静かなブームを呼んだ。 日本では翌79年に発売され、ちょうどカフェ・バーが流行り出した頃でもあり、都会の夜の雰囲気によく合うボビーのサウンドは、たちまち大ヒットして、毎晩のように店で流れていた。 ボビーの姿は、当初このファースト・アルバムのシルエットのイラストと、雑誌で見かける、ハットを深くかぶりサングラスをした写真しかなく、黒人なのだろうかとも思わせるソウルフルな声のため、まったく謎の人物だった。しかし、つづくセカンド・アルバムの顔写真アップのジャケットで、すべてが明らかになった。日本では、このアルバムが発売になったのが、まだ衝撃デビューの興奮醒めやまぬ80年(ファースト・アルバムの翌年)だったこともあり、もちろんのことよく売れ、つづく3,4枚目のアルバムも好調なセールスを記録していった。 本国アメリカでは、このセカンド・アルバムがリリースされた直後にレコード会社(T.K.)が倒産。新人にして2年という長いインターバルを開けた末、満足なプロモーションもできないまま世に出てしまったのこのアルバムは、当然売れ行きも鈍く、作品の出来の良さから考えると不運な結果となってしまった。ボビーにとっても、それだけ時間をかけた力作で、仕上がりも申しぶんのない自信作だっただけに、かなりがっかりしたことだろう…。 ポリドールに移籍してリリースした、つづく3作目(82年)と4作目(83年)は、自らプロデュースし、バックにTOTOのメンバーを加えるなど、ますます気合い十分でAORサウンドに磨きをかけ、日本での人気を不動のものにしたが、やはりアメリカではパッとせず、ボビーは失意のまま、シンガーとしての活動を停止してしまう。 その後ボビーは、85年頃からコンポーザーとして多くのアーチスト達に数々の名曲をプレゼントしている。コモドアーズ、ピーター・セテラ&エイミー・グラント、シカゴ、ボズ・スキャッグス、アル・ジャロウ、ジェームス・テイラー、マイケル・センベロ、ニール・ダイヤモンドなどなど、数え上げたらきりがないほどだ。中でもネクスト・タイム/ピーター・セテラ&エイミー・グラント(全米1位)、ホワット・カインド・オブ・マン・ウッド・アイ・ビー/シカゴ(全米5位)は大ヒットを記録したが、ボビーをシンガーとして再起させるきっかけとなったのは、ボズ・スキャッグスに贈ったハート・オブ・マインの大ヒットであった。同じAORシンガーとしてのボズ・スキャッグスの復活は、大いにボビーを勇気づけたようだ。 そして89年、6年ぶりに自らのアルバム「ハート・オブ・マイン」をリリースし、ミュージシャンとしてカンバックを果たした。 しかし、このアルバムはほとんど全曲、そのコンポーザー時代のものを自分でセルフ・カヴァーしたものの寄せ集めだったので、次にリリースした「ソリッド・グラウンド」が内容的には実質の復帰作と言えよう。 91年にリリースしたこの通算6枚目のアルバムは、昔と変わらずソウルフルな声と名曲の数々が収録されていたが、1曲だけ「スタック・オン・ユー」という異色のジャズ・ナンバー(自作)を入れたところ、これが全米ジャズ・チャートで大ヒット! これに気をよくしたボビーは、その後サウンド路線を変え、ジャズ・シンガーとしての道を歩み始める。90年代にリリースした以降3枚のアルバムは、いずれもフランク・シナトラ風のビッグ・バンド・ジャズが中心の内容だった。 彼の生い立ちを知れば、この成り行きも納得できるのだが、「ミスターA0R」がロックシーンから消えたのはたいへん残念だ。今後また気が変わってAOR路線に戻ってくれることを願いたい。(抜粋)
2007.09.19
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渡辺 香津美/TO CHI CA1980年 曲目1 リキッド・フィンガーズ 2ブラック・カナル 3 トチカ 4 コクモ・アイランド 5 ユニコーン 6 ドント・ビー・シリー 7 サヨナラ 8 マンハッタン・フルー・ダンス NYに渡りM・マニエリプロデュースの最大のヒットアルバムNYのバリバリミュージシャン対等に張り合うタイトなサウンドと研ぎ澄まされたギターソロが一つになった理想的なギターフュージョンアルバムの形ですね!たしかベースはマーカス・ミラーじゃなかったかな?渡辺香津美(ギタリスト・コンポーザー・プロデューサー) 1953年東京渋谷生まれ。弱冠17才でデビュー作『インフィニット』をリリースし、天才ギタリストの出現と騒がれる。今田勝、渡辺貞夫、鈴木勲など国内のトップ・グループに在籍し、79年には坂本龍一、矢野顕子、村上秀一等と伝説の「キリンバンド」を結成。更に同年秋には「イエロー・マジック・オーケストラ」のワールドツアーに参加し、「Kazumi」の名は一躍世界的なものとなった。80年代には大ヒット・アルバム「トチカ」を皮切りに、「Mobo」、「Spice Of Life」といったフュージョン史上に残る伝説的作品を次々と レコーディング。自己のグループで全米&アジア・ツアーも行い、トップ・ギタリストとしての地位を確立する。90年代からはアコースティック・プロジェクトに力を入れ始め、ジャズ/クラシックの境界線を乗り越えて世界中で活躍。91年バルセロナ、ローマ、95年ブルガリア、リスボン、97年のパリなど、ヨーロッパ各地で絶賛を浴びた。21世紀に入り《ギター生活30周年集大成》として発表されたギター組曲『ビヨンド・ザ・インフィニット』では、インプロヴァイザーとしての側面を活かした作・編曲で独自の世界を展開し、ギタリストとしての可能性をさらに極めていった。2003年2月にはキャリア初の完全ソロ・パフォーマンス・アルバム『ギター・ルネッサンス』をリリース。バッハの「無伴奏チェロ組曲」やラベル、スカルラッティなどのクラシック作品、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」等を取り上げ、幅広い層から大きな反響を得たことは記憶に新しい。さらに同年5月にはNYでNew Electric Trio(ベース:リチャード・ボナ、 ドラムス:オラシオ・エル・ネグロ・エルナンデス)による 『Mo’Bop』をレコーディング。 8月のリリース記念に「東京JAZZ 2003」のステージでワールド・プレミア・ ライヴも行い、全国のエレクトリックギター・ファンに強烈にアピール。 2004年からはこの2つのアルバムを軸としたツアーも行い、2005年にはそれぞれの第2弾となるアルバム、ライブDVDもリリース。2006年に入り活動はさらに密度を増す。2本柱のアルバムはそれぞれ第三弾をリリース、その合間をぬってローマ~パリでのソロ・パフォーマンスと現地ミュージシャンとのコラボレーション、さらには自らのアイデンティティーに根ざした新プロジェクトとして韓国のジャック・リー、香港のユージン・パオと共に【エイジアン・スーパー・ギター・プロジェクト】を立ち上げ、マレーシアの国民的打楽器奏者ルイス・プラガサムも加えた4人で8月より日本、韓国を皮切りにアジア各地のジャズ・フェスティバルに参加。アルバムもアジア各地でリリース。これらはかねてより、ジャズというコミュニケーションツールを活用し日本はもとよりアジアの伝統楽器、さらに世界中の民族音楽とのコラボレーションを展開することを目指した21世紀の文化交流の一環としてジャズ・フュージョンの分野におけるアジアのコラボレーションを模索したもの。一方、ギターコンチェルトのフォーマットをクラシックから解放することを目指した活動として2006年金聖響指揮による大阪シンフォニカー交響楽団とオリジナル【ギター組曲/ビヨンド・ザ・インフィニット】オーケストラヴァージョン(猿谷紀郎・編曲)を初演するなど、その創作エネルギーは留まることを知らない。 2007年5月から6月にかけては、アトリエダンカン・プロデュース公演『血の婚礼』(白井晃/台本・演出、森山未來/主演)において音楽プロデュースと38公演にわたる生演奏で参加。『大地の熱さ、血の暗さがたぎる音楽と巧みな演奏』と絶賛され読売演劇大賞・スタッフ賞にノミネートされる。先駆けて4月には劇中のサウンドスケープを含むスペイン(アンダルシア)へのオマージュをテーマにしたアルバム『ギタールネッサンス4~響』もリリースし、自己のソロ公演においてもギターにおけるジプシー精神溢れる自由奔放かつ縦横無尽な演奏を展開する。 2003年にはNHK教育テレビ《アコースティックギター入門》の講師を務め『いち国民いち楽器』構想で音楽文化の草の根運動を展開。2005年より2007年春までNHK FM 《ジャズ・トゥナイト》のパーソナリティー としても活躍。洗足学園大学ジャズコース客員教授。全ての音楽ファンに評価される実力と人気でギタリストとしてのみならず音楽文化に貢献
2007.09.15
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大滝 詠一/ALongVacation1981年 曲目1 君は天然色 (キリン生茶 「春」篇 CM曲(2004年 )) 2 Velvet Motel 3 カナリア諸島にて 4 Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語 5 我が心のピンボール 6 雨のウェンズデイ 7 スピーチ・バルーン 8 恋するカレン 9 Fun×4 10 さらばシベリア鉄道 11 君は天然色(Instrumantal) 12 Velvet Motel(Instrumantal) 13 カナリア諸島にて(Instrumantal) 14 Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語(Instrumantal) 15 我が心のピンボール(Instrumantal) 16 雨のウェンズデイ(Instrumantal) 17 スピーチ・バルーン(Instrumantal) 18 恋するカレン(Instrumantal) 19 Fun×4 (Instrumantal) 細野晴臣、松本隆、鈴木茂ら4人で結成されたバンド、“はっぴいえんど”を解散後、ソロ活動を開始した大瀧詠一。今作は、邦楽のCD化リリース第1号の大名盤が、発売20周年を記念して再リリース!全編リマスターな上に、なんとボーナス・トラックとして一万枚のみの限定発売だった幻のインスト・アルバム『Sing A Long Vacation』をまるごと収録。今で言うカラオケ・アルバムが幻になる程の有り得ない大名盤ってこと。1981年に発売されたこの『ロング・バケーション』のセールスは、これまでの記録を打ち破るもので、このアルバムのヒットにより、大瀧詠一の音楽活動が以後も続いたと言われています。それまでの日本にはなかったドライでクールな情感を漂わせるメロディ、素晴らしいジャケのイメージ通り精密に構築されたカラフルな音作り、松本隆の手によるファッショナブルな歌詞が生みだすサウンドイメージは当時センセーショナルに受け入れられました。それまでマニアックな知識を総動員しながら、ポップスを構築していた大瀧氏が、他言もあり、王道ポップスの製作を軽い気持ちで始めた結晶が今作。なお、70年代のはっぴいえんど以降、彼の多数ある関連作品はどれもがきらめくメロディーとおもしろい仕掛けサウンドが楽しめる最高傑作ばかりです。ちなみに1982年には世界初CDとして今作が選ばれている(ビリー・ジョエルと一緒に)。今作は日本ポップミュージック史の歴史的名作! 大滝 詠一20世紀の日本ポップス史に名を残すアーティスト、大瀧詠一。フジテレビ系ドラマ『ラヴ・ジェネレーション』の主題歌として起用された‘幸せな結末’(1997年)で復活し、ファンを喜ばせてくれた。またモデル出身の市川実和子へ提供した‘ポップスター’(1998年)など、プロデュース活動も記憶に新しい。 大瀧の音楽活動全盛期であった70年代~80年代当時は、そのサウンドを批判するリスナーが多くいたのも事実であり(セールスも芳しくなかった作品もある)、キャロル・キングから幕を開けた伝説のラジオ番組『Go Go Niagara』を、楽しみにしていたリスナーがいたのも事実。情報が豊富な今と比べ、当時の情報量を考えると、『Go Go Niagara』は、一部の洋楽ファンのツボにはまったのは間違いないであろう。 また大瀧詠一という存在を知らず、幼い頃に‘出前一丁’や‘三ツ矢サイダー’などのCMソングを口づさんでいた、という人も多いはずだ。 細野晴臣、松本隆、鈴木茂ら4人で結成されたバンド、“はっぴいえんど”を解散後、大瀧はソロ活動を開始する(このソロ活動が、はっぴいえんどの解散にも繋がっている、という説もある)。そしてその後、『ナイアガラ・レコード』を立ち上げ、そこから、シュガーベイブ(山下達郎、大貫妙子らが在籍していたバンド)の“Songs”を第一弾としてリリース、以後、大瀧のソロ・アルバム、プロデュース作品などをリリース。中でも、1981年に発売された“ロング・バケーション”のセールスは、これまでの記録を打ち破るもので、このアルバムのヒットにより、大瀧詠一の音楽活動が以後も続いたと言われている。 ちなみに、1982年には、世界初CDとして、大滝詠一 “ロング・バケーション”が選ばれている(ビリー・ジョエルと)。 以後、1973年から74年までのコロンビア時代、1980年からのソニー時代の音源がCD化され、以後、大瀧のサウンドは、ナイアガラの生き字引との異名を持つ萩原健太ら評論家筋や、山下達郎を筆頭にするフォロワーらにより、次世代へと語られているのである。それはよく、「再評価」と言われるが、そんな事はどうでも良いのだ。単純に、‘幸せな結末’に感動したという、現代のリスナーの率直な反応が、大瀧詠一の素晴らしさを物語っているから。 作曲家、プロデューサー、ヴォーカリスト…と、どの肩書きも彼には物足りない。しいて言えば…とも言えないまでの、どれに至ったても多彩な魅力があるのだ。シリア・ポールの“夢で逢えたら”や、沢田研二の“あの娘に御用心”、小林旭の“熱き心に”、森進一の“冬のリヴィエラ”…と、その提供した楽曲は、どれも日本の音楽史に残る名曲である。 幅広い裏方仕事はもちろんだが、ヴォーカリストとしての大滝詠一(歌手)というのも絶対に捨てられない部分だ。彼は作家、歌手、により名前を使い分けている。大瀧詠一は作家としての活動を表すときに、そして大滝詠一は歌手としての活動を表すのに用いている(その他、多羅尾伴内などもある)。以下からは、ヴォーカリスト大滝詠一と記す。 1977年に発表したアルバム“ナイアガラ・カレンダー“の名曲‘青空のように’や‘五月雨’でも感じられるが、決定的にスタイルを確立したのは、恐らく“ロング・バケーション“(1981年)であろう。”ロング・ヴァケーション“以降の彼のヴォーカル・スタイルは、澄んだ柔らかな声質からしっとり&ネットリと歌い上げ、全編に施されたリッチなリバ-ブ処理により、そのネットリ感が強調されたとてもソフトなもの。 “A面で恋をして”(1981年)で聴ける、優しさ溢れる、弾むようなヴォーカル、 “君は天然色” (1981年)、“ハート仕掛けのオレンジ”(1982年)、“カナリア諸島にて”…と、楽曲の良さもさることながら、そのしっとり&ネットリとした声に惹かれて聴き入ってしまうのだ。丁寧に正確な音を拾い、優しく、…まるで、花を摘むように歌う…。軽くさえも感じるCDの綺麗なサウンドではなく、彼の歌声は深く温かみを帯びた、丁度、レコードから流れ出る響きに例えたい。深く温かく響くのだ。 これに比べて 、‘三文ソング’や‘ロックン・ロール・マーチ’などで聴ける『ナイアガラ・ムーン』あたりの初期の頃は、ドライな感じ、楽曲についても同様のリズムを重視したヴォーカルと言えるかもしれない。 “ロンバケ”以降のソフトなヴォーカル・スタイル、そんな、彼のヴォーカルが最大の魅力に感じてならない。2001年には、20周年記念として”ロング・ヴァケーション-20th Anniversary Edition”として現在のテクノロジーによって全編リマスターされて復活、ヒストリー完全本All About Niagaraも発売され、ファンにとっては嬉しい年となった。
2007.09.14
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角松 敏生/Wekend Fly To The Sun 1982年 曲目1 Office Lady 2 Rush Hour 3 Brunch 4 Space Scraper 5 Friday To Sunday 6 Crescent Aventure 7 I’Ll Never Let You Go 8 4 A.M.角松敏生の2枚目のアルバム!山下達郎と並ぶ、リゾート&アーバンな作品ですね!俺当時24歳でこの手の音がすきで1曲目5曲目はめちゃ聴きましたね。その当時バックが誰かなんて気にもしてませんでしたが、EW&Fのアルマッケイにクインシーの愛のコリーダに参加してたジョンロビンソン(ルーファスのドラマー)とルイスジョンソン(ブラザースジョンソン)にクインシーのツアーでギター弾いてたカルロス・リオス(Sルカサーの替わりを努めてた)それにドン・グルージン!それにEW&Fのアレンジ等で有名なトムトム84!まじですげーメンツ!今聞くとボーカルはまだ若いので??ですが楽曲のレベルはかなり凄いですね!さすが角松敏生すごい音楽に対する造詣の深さ感じますね! 角松敏生日本大学文理学部哲学科在学中に、ギタリストとして作成したテープがきっかけで、ボーカリストとして1981年にシングル「YOKOHAMA Twilight Time」ならびにアルバム『SEA BREEZE』でデビュー。デビュー当初のスタイルは当時流行していた大瀧詠一・山下達郎直系のリゾート・ポップスであったが、その後渡米し、NYファンク/ヒップホップをリアルタイムで取り入れた独自のダンスミュージックへと発展させ、日本のAORの先駆者的存在となり都会的で洗練されたサウンドでOLを中心とした熱烈に支持するファン層を生み出してゆく。しかし、自己の体験を切り出す様な創作スタイルを続けてきたため、1990年代初頭の作品から徐々に内省的な作品が増え、インタビューでも思想的・哲学的な内容が多くなっていった。そして自身の音楽に対する絶望感を訴え、1993年をもって歌手としての活動の「凍結」を宣言し、休止してしまう。休止中はベスト版のリテイク&リマスタリング作業をはじめに、ビデオ音楽の担当、作曲・プロデュース活動、新人ボーカリスト発掘のレーベル「vocaland」の立ち上げ等の活動を行う。中でも際立つのは長万部太郎名義ユニットAGHARTA(アガルタ)として1997年に発表した「WAになっておどろう~イレアイエ~」である。NHKみんなのうたにて放送され、当時のNHK番組プロデューサーに絶賛され、平和を象徴するメッセージ性から翌年に開催された長野オリンピックでテーマ曲として抜擢される。閉会式ではAGHARTA(アガルタ)としてライブ演奏を行い、世界へ配信放送された。なおこの閉会式は天皇・皇后が観覧して挙行されていたため、非常に貴重な「天覧演奏」となった。この演奏は「アフレコではなく生演奏」であったが、あの寒さの中の演奏クオリティーとしてはまさに突出していた感があり「聴く人が聴けば分かる・・」素晴らしさであった。 また当時ノルディック複合の代表選手であった荻原次晴氏は「角松敏生」のフリークである事が広く知られており、この日の演奏を聴いてどれ位感激したかは想像に難くない。 後に植竹公和氏による作品「Jumper(フジテレビSKITVテーマ曲:角松敏生:歌唱)」に繋がって行ったことは容易に想像できる。 同曲はV6によってカヴァーされる。凍結時は「活動中」よりも多忙な活動を続けていた。そして、1998年に5年間のブランクを経て「解凍」を宣言、自身の歌手しての活動を再開。その後はほぼ年に1作のペースで新作をリリースしている。近年の作品は、以前のような内省的なものを含みながらも、より前向きで明るい作風へと変貌している。また、沖縄音楽やアイヌの民族楽器トンコリを取り入れるなど、民族音楽とのフュージョン(角松本人は「音楽的交易」と表現)といった実験的な作品にも取り組んでいる。2004年発表の「Fankacoustics」は、スタイルの異なる2種類のバンド構成での2枚組CDという形で、各バージョンでのLive Tourを全都道府県で敢行するなど、新しい試みを続けている。こうしたひとつの枠にとらわれない試みは古くからのファンの賛否両論を巻き起こしているが、若い世代のファンへの継承や音楽ファンの発掘、なにより音楽的なチャレンジにどん欲でありたいという角松自身の強い意志によるものである。ファンクラブ会員の増加やチャートへのランクインなどセールス面は順調で、この世代のミュージシャンとしては十分に健闘しているといえるが、決定的なヒット作には恵まれておらず、一般的な認知度という意味では未だ「知る人ぞ知る」といったところである。角松の大きな特徴として、自身のミュージシャン活動以外に、他アーテイストへの楽曲提供や編曲など音楽プロデューサーとしての活動があげられる。杏里の「悲しみが止まらない」(プロデュース・アレンジを担当。作曲は林哲司)のスマッシュ・ヒットを皮切りに、中山美穂、ジャドーズらをプロデュース。1988年2月には、オリコン・アルバム・ランキングにて、フルプロデュースした中山美穂のアルバム『CATCH THE NITE』が1位、自身のアルバム『BEFORE THE DAYLIGHT』が2位と、1・2フィニッシュを飾るなどいまだ他の誰もが成し得ていない偉業を達成している。その他にも元BARBEE BOYSのKONTAや布施明、岩崎宏美、ジャッキーチェン、西城秀樹(『TWILIGHT MADE』)のプロデュースなど、新人・ベテラン、海外有名人問わずに積極的な活動を行っている。また、ミュージシャンに対するリスペクトを常に標榜。名うてのミュージシャンを起用すると同時に、若い世代のミュージシャンも発掘し、ミュージシャンシップの紬手としての活動も行っている。スタジオミュージシャンでもあるトランペッター数原晋が中心となって結成したフュージョンバンド「トーキョー・アンサンブル・ラボ」のデビューアルバム「BREATH from THE SEASON」(1988年7月21日発売、既に廃盤)の作曲・プロデュース、 ジンサク(JIMSAKU)の作曲・プロデュースなど、フュージョン系での活動も行っている。角松自身も過去2枚、インストゥルメンタルアルバムも発表しギタープレイヤーとしての才能も発揮し、同アルバムがインストゥルメンタル(フュージョン系)であるにもかかわらずオリコンベスト10以内にランクインするのは大変稀である。(SEA IS A LADY 1987/7/1 最高位4位、Legacy of You 1990/7/25 最高位4位)デビューして20年以上経つがデビューアルバムから、発売されているアルバムは一枚も廃盤になっていない。但しシングル及び12インチシングルはCDが普及する以前に発売されたEP盤(ドーナツ盤)は一枚もCD化されておらず、尚且つ全てが廃盤となっている。 シングルでもアルバムに収録されている事もあるが、シングル盤とアルバムに収録されている曲とではバージョン違いも多数あり、シングル盤、12インチシングル盤がネットオークションなどで高値で取引されることも多々ある。 シングルCD(8センチCD)は全てが廃盤となっている。いまや主流となったマキシシングル盤であるが、「OKINAWA」(1990年発表、現在は廃盤)をリミックスバージョンとしてマキシシングル盤スタイルをいち早く取り入れた。角松敏生のライブはターンテーブルなどをいち早く採用したことでも有名だが、一流ミュージシャンによる完成度の高さも特筆すべきであろう。なお、自己の思想信条に悪口雑言を交えつつ延々語り続けるMCは、時には観客との口論になってしまうこともあった程だが、これもまたある意味、彼のファンにとっては楽しみの一つであったりする(もっとも、最近では長いMCは見られなくなったが)。25周年記念として発表したシングル【SMILE】(2006/05/10)では、沖縄で活動を拠点としているグループ【しゃかり】のボーカル千秋とデュエットしスマッシュヒットを記録。後にしゃかりのアルバム【ゆるり】(2006/10/26)で角松自身のシングル曲Always be with youをカバーをしており、英語詞部分を沖縄方言で歌っている。1982年よりツアーはもとより、殆どのアルバムに参加しているベースの青木智仁が2006年6月12日、急性心不全のため死去、享年49。これに関連して、この年に発売されたアルバム【Prayer】(2006/07/26)では、青木智仁への追悼の意を込めて「初恋」のライブバージョンが収録された。また、2007年4月20日には、同じく長年サポートを努めてきたギタリストの浅野祥之が死去。盟友を2人続けて失った角松の今後の活動が注目される。フジテレビ系水曜日PM10時放送オリキュン(MC:オリエンタルラジオ)の1コーナー胸キュン東京タワーのコーナー説明の際、Tokyo TowerがBGMとして流れていた。 フジテレビが河田町からお台場に移転する際、河田町最後のフィラー映像でRamp Inが流れていた。放送作家の植竹公和と親交がある
2007.09.13
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山下 達郎/ForYou 1982年 曲目1 Sparkle 2 Music Book 3 Interlude A Part1 4 Morning Glory 5 Interlude A Part2 6 Futari 7 "Loveland, Island" 8 Interlude B Part1 9 Love Talkin'(Honey It's You) 10 Hey Reporter! 11 Interlude B Part2 12 Your Eyes 13 あまく危険な香り-Bonus Track 14 あまく危険な香り(Tv用インスト1)-Bonus Track 15 あまく危険な香り(Tv用インスト2)-Bonus Track 16 Every Night-Bonus Track あの夏、街で海で山でこの音が流れない日はなかった。「スパークル」から「ユア・アイズ」まで怒涛の40分!達郎サウンドのエッセンスが凝縮された永遠の名盤!まさに日本ポップス史における最高峰の一枚。今作はRCA時代でのラスト・アルバムとして、1982年1月21日に発売された山下達郎ソロ8枚目のアルバム。「あまく危険な香り」のヴァージョン3種と、竹内まりやへの提供曲だった「Everynight」をボーナス・トラックで収録。好きなだけ時間とお金をかけて作られたというアルバムでもある。心地よく開放感にあふれたポップスの集大成ともいえる仕上がりになっている。鮮やかな色彩のジャケットイラストは鈴木英人氏。※自筆ライナー&曲解説付(1982年作品)。デジタル・リマスター&ボーナストラック4曲*まさしく日本のシティポップスの最高傑作!アルバムから街が見え、風がふきますね!7曲目まさしく夏”いい曲満載!たしか10曲目は、しつこいレポーター(Nさん)を皮肉った歌だと思いますが!クリスマスイブしかしらない人!”クリスマスイブ”は1983年この作品の次のアルバム”メロディーズ”の10曲目で当時シングルカットされた訳でもない曲だったの知ってました?このCDは聴きましょう! 山下 達郎日本のポップス史上、名実ともに最高のミュージシャンであり、シンガーソングライターである山下達郎。彼の描き出す珠玉のメロディーに、ハイトーン・ボイスなのに湿り気があり、流れるような歌声と絶妙なコーラスワークが溶け合う楽曲の多くは、私たちに至福の時間を味わわせてくれます。リスナーの年代によって、思い出深い曲は十人十色だと思いますが、達郎の最も代表的な(セールス的にも)最高傑作といえば「クリスマス・イヴ」になるでしょう。JR東海のクリスマス・キャンペーンのCMソングとして1989年に起用され、爆発的な大ヒットを記録してから、以降クリスマス・シーズンの定盤曲になっていることは、誰もがご存知のことでしょう。2000年のミレニアム・クリスマスにこのCMが復活したとき、勿論CMソングは達郎の「クリスマス・イヴ」で復活したことも話題となりました。山下達郎は1953年、東京に生まれ、中学時代にベンチャーズに影響を受けて音楽活動を開始しました。そして、大学在学中に大貫妙子らとシュガーベイブを結成したのが1973年。この年、はっぴいえんど解散コンサートに参加した彼は、大瀧詠一と運命的な出会いをし、伝説の名盤「Songs」を制作することとなりました。今作は達郎のR&B~ソウル趣向と、大瀧のフィル・スペクター~アメリカン・ポップス趣向との融合されたサウンドを生み出し、「ダウン・タウン」や「すてきなメロディ」など、今もってエヴァーグリーンな名曲の数々が収録されています。しかし発表した翌年、マスコミから黙殺された形となった今作を残し、解散してしまいました。けれども、今作は間違いなく日本のポップスの歴史上に残る名盤であり、原点であったことは今日の評価からも明らかです。シュガーベイブ解散後、1976年に大瀧詠一と伊藤銀次とともにシュガーベイブの延長とも言える素晴らしい楽曲が収録された「ナイアガラ・トライアングルVol.1」を発表。同年「Circus Town」でソロデビューすることになりました。今作ではニューヨーク・セッションによる完成されたクオリティーの高さが海外でも絶賛され、日本ポップスの指標となったのです。1977年にはポップ色が増した「Spacy」、78年の「Go Ahead!」、79年の「Moonglow」と意欲的にリリースしていきました。彼の転機となったのは、1980年にシングル「Ride On Time」がCMソングに起用され、一気に大ブレイクして音楽シーンの中核へと踊り出たことであり、それによって同タイトルのアルバムが初めて好セールスを記録、ポップな楽曲と伸びやかな歌声が旋風しました。そして82年、彼の人気を決定的にした最高のポップチューンが散りばめられた「For You」、続く83年「Melodies」は海外のソフト・ロックに引けをとらない素晴らしいハーモニーを紡ぎ、前述の「クリスマス・イヴ」が収録された傑作盤としてリリースされることになりました。その後も、アメリカン・ポップスを昇華した良質なポップソングをリリースし続ける一方、様々なシンガーへの楽曲提供やプロデュースを行なっています。代表的なものとしては竹内まりやなどニューミュージック系のシンガーへの楽曲提供が多いが、アイドル時代の近藤真彦の大ヒット曲「ハイティーン・ブギ」や、最近では同じジャニーズのKinki Kidsに提供した「硝子の少年」、「ジェットコースター・ロマンス」で彼のポップセンスの健在をアピールしました。そして最近では7年ぶりとなった新作「Cozy」をリリース、作詞に松本隆を起用したことでも話題となりましたが、その普遍的な珠玉のポップソングは和製ポップスの最高峰といえるでしょう。2002年2月には、名盤「For You」などを含む一挙7タイトルがデジタルリマスターされて再発!これはボーナストラックをそれぞれのアルバムに追加収録しているもので、全ての作品がビックヒット!改めて達郎の素晴らしさを確認できる出来事でもありました。2002年のもうひとつのビックリリースは、10月リリースの裏ベスト盤とも呼べる「Rarities」。シングルオンリーの曲や、シングルのカップリング、未発表セルフカバー、新曲など未アルバム化レア音源を集めまくったファン待望作品です。「デリ!スマ」テーマソング「LOVE GOES ON~その瞳はGODESS」や、シングルのみの発売だった「君の声に恋してる」(初回限定生産のため、現在は入手困難)など、気になる曲が多数収録されています。 2003年には木村拓也主演のドラマ「GOOD LUCK!!」の主題歌としてRide On Timeが23年の時を経て待望のシングルカット。続いて2000トンの雨が映画「恋愛寫眞」(堤幸彦監督:広末涼子、松田龍平)テーマ曲としてリリース。世代を越え新たなるファンを増やしつづけています。
2007.09.12
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高中 正義/JollyJive 1979年 曲目1 BLUE LAGOON 2 RADIO RIO 3 EXPLOSION 4 珊瑚礁の妖精 5 TAJ MAHAL 6 BAMBOO VENDER 7 パラレル・ターン 8 RAINY DAY BLUE パイオニアのCMソングなどに使用され大ヒットとなった代表曲「Blue Lagoon」が収録されたアルバム。当時、山下達郎らとともにリゾートミュージック、一家に一枚のアルバム、ラジカセをビーチに持ち出させた男などなど、 数々の公衆名言を世に作り出した、まさに高中ブレークアルバム。 高中 正義ギターを愛するミュージシャン・或いはプレイヤーに詳しいリスナーであれば、日本を代表するギタリストとしてまず名をあげるのが高中正義でしょう。ギターに触れたことが無かったり、プレイヤーにそれほど詳しくない人でも、彼の奏でるフレーズには馴染みが深いはずです。なぜなら、彼の数え切れないほどの作品がバラエティー番組の効果音、BGMなどに使用されているからです。その実力は世代を問わず多くのプレイヤーにリスペクトされ続けています。 高中正義は1953年3月27日生。ビートルズの影響を受け、12才の頃よりギターを弾き始めました。そして18歳にしてフライドエッグのベーシストとしてデビュー。1971年、ギター:成毛茂、ドラム:角田ヒロ(現つのだ☆ひろ)、ベース:高中正義で結成。1972年 ドクター・シーゲルのフライドエッグマシーン、1972年 Good Bye FRIED EGGの2枚のアルバムを発表して、1973年解散。1997年の「虹伝説IIライブ」で、ほぼ四半世紀ぶりに3人揃っての演奏が行われました。 1973年にサディスティック・ミカ・バンド結成。Vo&G:加藤和彦、Vo:加藤ミカ(加藤和彦氏の妻)、G:高中正義、B:小原礼、Dr:高橋幸宏、Key:今井裕で結成。1975年、ベースの小原礼に代わり後藤次利が参加。日本のポップスを代表する名曲となった「タイムマシンにお願い」を含むSadistic Mika Band、黒船、Hot! Menu、Mika Band Live in London、Best! Menuの5枚のアルバムを残して1976年解散。1989年、オリジナルメンバーの加藤和彦・高中正義・小原礼・高橋幸宏に、ボーカルに桐島かれんを向かえて再結成。アルバム 天晴 & ライブアルバム 晴天 を発表。こちらでもギタリストして参加。サディスティック ミカバンドが解散した後、G:高中正義、B:後藤次利、Dr:高橋幸宏、Key:今井裕でサディスティックス結成。1976年の高中氏のソロデビューや、高橋氏のYMOへの参加等、各メンバー個人の活動が忙しく、バンドとしての活動は少なく自然消滅のような形で解散してしまいました。Sadistics、We Are Just Talking Off、Live Show、Last Show、Bestをリリース。今から4半世紀前となる1976年、キティレコードより1stアルバムSeychellsで遂にソロデビュー。そして1977年にTakanaka、Insatiable High、1978年にBrasilian Skies、オン・ギター、1979年に Cha Cha Me、All Of Me、Jolly Jive、1980年にライヴ盤 Super Takanaka Live!、T-Wave、Finger Dancin'と年間2~3枚のハイペースで作品をリリース。高中氏の作品の中で最も注目すべきは、1981年作の 虹伝説でしょう。イタリアの画家ウル・デ・リコ氏の絵本をモチーフにしたこちらの作品は、インストアルバムとしては異例の30万枚を売上げ、1981年の日本レコード大賞企画賞を受賞しています。そのサウンドは今もなお色褪せず輝きを放っています。1982年にはOcean Breeze、Saudade、1983年にはCan I Sing?、1984年には 夏・全・開を発表。 東芝EMIに移籍後もペースは衰えることなく新作がリリースされます。1985年 Traumatic 極東探偵団、1986年にはJungle Jane、Santa-Claus Is Coming To Townをリリース。1987年には Rendez-vouz、Sweet Noiz Magic、1988年には Hot Pepper、1989年にはGaps!、1990年には Nail The Pocket、O'Holy Night、1991年には Ballade、1992年には Fade To Blue、The Lover、1993年にはAquaplanet、Richarad Meet Takanaka、1994年にはWoodchopper's Ball、1995年にはColors、シングルベスト盤 Singles、1996年には Guitar Wonder、リミックスアルバム TAKANAKA Remix The Best、そして1997年には16年振りの第2弾となる 虹伝説 2が登場!同年のライブではフライドエッグのメンバーと共演。ライヴ盤 虹伝説 2 Live At Bdokan 過去へのタイムマシンもリリース。 2000年に自社レーベル『Lagoon Records』を設立。今もバハマ&軽井沢に拠点を置き、精力的に活動中。アルバムH unplugedでは、20年ぶりにリー・リトナーと競演果たしました。そして2001年 デビュー30周年記念アルバム GUITAR DREAMがリリース。ゲストミュージシャンとして、後藤次利・林立夫・斎藤ノブ・EVE・Big Horns Beeが参加。 2001年末にリリースされたリミックスアルバム Remix Lagoon -高中正義remixesのように、近年新たな視点から高中サウンドを評価する動きもあり、世代を越えた幅広いファンが彼の作品に期待を寄せています。テクニカルなギタープレイ、クリエイティヴな音作りは、他の誰にも到達できない高中正義だけのサウンドとして求められ続けていくのでしょう。
2007.09.11
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Char/Char 1976年作 曲目1 Shinin′you, Shinin′day 2 かげろう 3 It′s Up To You 4 視線 5 ネイビー・ブルー 6 Smoky 7 I′ve Tried 8 空模様のかげんが悪くなる前に 9 朝 Charは6歳でピアノ、8歳でギター、15歳ですでにスタジオミュージシャンとして活躍する早熟少年であった。そのため、21歳でリリースされたこのファーストアルバムは、いわばベテランが満を持してリリースした作品といえる。メンバーはCharが渡米して集めた3人に、幻のグループ・スモーキーメディスン時代の仲間、佐藤準が参加。スピーディーでよどみなく湧き出すフレーズ、シャープなカッティングプレイなど、Charのギターはすでに素晴らしい。もう一言で”かっこいい”デビュー当時原田真二と世良公則とロック御三家と言われましたが、まちがいなく前の二人とは明らかに違う匂いがしてましたね!チャーのギター聴いてるとすげー凜としたものを感じますね! Char(竹中尚人) フェンダー・ムスタング」。友人は突然Charに憧れ、一週間もしない内に同じ型のものを買った。いつの時代でも、彼は永遠のギターヒーローであり、かっこいい男である。そしてチョーキング一発でロック・ギターの醍醐味を表現する天才的センスの持ち主でもある。 類稀なる音楽センスと熟練された(彼は若いときから熟練されていた)テクニックにより、76年のデビュー以来、幅広い活動を通して数々の名演を残している。それはストーンズのキースと同じ、いやそれ以上に彼にしか出せない音として、いまなお活躍している。 Char(本名:竹中尚人)が生まれたのは1955年6月16日。東京で生まれ、ギターを弾き始めたのは5~6歳と、かなり早い。早ければいいというものではないが、やはりそこには資質と親の影響というものも見え隠れする。すでにピアノを習い音楽的素養は培われていたが、エレクトリックギターへの憧れは、先にギターを手にしていた5歳上の兄の影響が大きかったらしい。初期の彼のレパートリーは当時のエレキブームの中心的存在でもあった、ベンチャーズ。間もなくヤードバーズ、ドアーズにも興味を向け始め、11歳の頃にクラスメイトと共にロックバンド「フォックス/FOX」を結成。コンテストに入賞するなど、すでに早熟な彼の資質が開花し始めているといえる。その後も、クリーム、フリー、レッド・ツェッペリン、マウンテンなどから影響を受けながら、バンド遍歴を重ねることで腕に磨きを懸けてきた。 中学生にしてスタジオ・ミュージシャンとなりまさに順風満帆に時代を重ねる。そして転換期ともなる伝説のバンド、スモーキー・メディスンへと繋がる。スリー・ドック・ナイトやジェフベック・グループのカバーを十八番にしながら、15ビートのリズムやテンション・コードを効果的に配したファンキーなロックサウンドを打ち出して、黎明期にあった日本のロック・シーンのなかでは独自の個性をアピールした。 そんなスモーキー・メディスン解散後、Charは新たなるバンドメンバーを求めて、渡米する。そこで見つけてきた3人と、フリー・メディスンの佐藤準を加えた日米混合編成で、Charの柔軟な音楽性をきっちり具現化するテクニックを兼ね備えたメンバーを遂に揃えた。Charの持つそれまでの日本にはないスター性と実力、常に何か新しい感覚を与えてくれる彼の存在は、すでにファーストアルバムCharから開花しているといえる。SmokyやShinin'You,Shinin Dayといった代表曲を含む今作は、その後のHAVE A WINE(77年) THRILL(78年) といったコーマシャリズムも含んだ名作に繋がりながらも、その実、芸能界化されてきた自分の存在への違和感から、休養期間を必要としてしまう。その闇から立ち上がった彼が再び姿を見せたのが、79年の日比谷野外音楽堂で開催された伝説的フリーコンサート”FREE SPIRIT"だった。ジョニー吉永、ルイズ・ルイス加部と結成したトリオバンド:ジョニールイス&チャーの誕生である。その後同メンバーで活動しながらKUTKLOUD(82年)を境にバンド名をピンククラウドに改名する。さらに87年には自身の江戸屋レーベルを設立し、同レーベルからソロアルバムPsyche(88年)Psycho2(88年)をリリース。さらにそれに伴うツアー時に集めたバンドを母体に、外国人プレイヤーを揃えたサイケデリックスを結成。さらに石田長生とのアコースティック・デュオBAHOを始動させる。94年ピンククラウドを解散してからは、サイケデリックスでの活動がメインになるが、96年11月に実現した武道館でのデビュー20周年記念ライブ以降はソロ名義が中心になっている。 そして近年、98年のソロシングルToday、Let it Blowでも変わることのない彼のスピリットを提示し、01年の楽器屋で偶然見つけたというアコースティックのシタールギターにインスパイアされて創られたBAMBOO JOINTSをリリースするなど、いまなお現役で活躍する。そこには、完璧にクールに決めたギターワークを披露する彼がいるし、一段とエモーショナルな歌声を聴かすせてくれる姿もみることができる。とにかく小賢いテクニックには頼らず、あくまでロックギター本来のかっこよさを表現しようとするCharのプレイは、時を経ても失わない普遍的なかっこよさに満ち溢れている。
2007.09.10
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鈴木 茂 BandWagon 1975年作 曲目1 砂の女 2 八月の匂い 3 微熱少年 4 スノー・エキスプレス 5 人力飛行機の夜 6 100ワットの恋人 7 ウッド・ペッカー 8 夕焼け波止場 9 銀河ラプソディー はっぴいえんどの名ギタリストからキャラメル・ママ~ティン・パン・アレイのメンバーとして活躍した彼の満を持してのソロ・アルバム。その後のフュージョンともいえる要素を感じさせながら、スライドギターの絶妙な音色、タイトかつグルーヴィーなリズム隊、そしてはっぴいえんどの流れを汲む、甘酸っぱい歌声が音楽の素晴らしさを伝えてくれる。名曲「砂の女」「微熱少年」「100ワットの恋人」をはじめ、インスト曲の「スノー・エキスプレス」や「ウッド・ペッカー」は、現在でもクラブプレイされたり、サンプリングのネタになったりと、昨今のアーティストからのリスペクトも熱い。渡米してリトル・フィートやヴァン・ダイク・パークスとのセッションの影響が多大な、和製ソフト・ロックの最高峰リトルフィート・タワーオブパワー・スライ&ファミリーストーンに元サンタナのメンバー集めてギター1本で(スライドギター)グルーブした作品!そのときはバックがそんなにすごい人達だとはぜんぜん気づいてませんでしたが、やっぱりすごい!バックコーラスにユーミンも参加してますよ!後に原田真二のティーンズブルースをアレンジャーとしてヒットさせたのも彼ですね!俺的には、1978年作の”Caution”の1曲目レイニー・ステーションの軽いタッチも好きです! 鈴木 茂1968年、林立夫、小原礼らとともにスカイを結成。1969年に細野晴臣に誘われはっぴいえんどに加入しギターを担当、「花いちもんめ」などの楽曲ではボーカルを勤め、バンドの解散後に細野晴臣らとキャラメル・ママを結成、ティン・パン・アレーへと発展させる。1975年にはハックルバックを結成し、初めてのソロアルバムBAND WAGONを発表。1992年には尾崎亜美、小原礼らとともに「桃姫BAND」を結成。阪神・淡路大震災の復興チャリティユニットとして声優の神谷明の呼びかけで結成されたWITH YOUに、尾崎・小原らとともに協力ミュージシャンとして参加。1997年に発売されたチャリティCDにも参加している。2000年には細野晴臣、林立夫と「ティン・パン」を結成した。鈴木が他の日本のギタリストと比較して明確に異なる点は、複雑なコード進行を身上とする70年代の日本のニューミュージックに、リトル・フィートのローウェル・ジョージらの影響を受けたボトルネックプレイを展開したことである。その演奏は前述のBAND WAGONだけではなく、荒井由実の『COBALT HOUR』などでも耳にすることができる。ピックだけではなく、指で弦を弾き、つまむ、独特なピッキングスタイルが、他のギタリストにない、粘り気とパーカッシブな響きをもつ音を生んでいる。
2007.09.07
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荒井 由美/14番目の月 1976年作 曲目1 さざ波 2 14番目の月 3 さみしさのゆくえ 4 朝陽の中で微笑んで 5 中央フリーウェイ 6 何もなかったように 7 天気雨 8 避暑地の出来事 9 グッド・ラック・アンド・グッドバイ 10 晩夏 (ひとりの季節) オリジナルは1976年11月20日にリリースされた4thアルバム。荒井由実時代はどの作品ももちろん名盤揃いで、甲乙つけがたいのですが、今作は特にアルバムとしてのまとまりの良い好盤。大ヒットとなった「中央フリーウェイ」をはじめとしたナンバーを収録した76年作品。ユーミンはこの作品で満月になって欠ける前の月である14日目の心境を歌っています。独身最後のアルバムとしてもその想いがタイトルと重なっているのかもしれません。ほか、諫山実生がしっとりとカバーした「朝陽の中で微笑んで」、日本的な詩が美しい「晩夏」、自然風景を切り取った「さざ波」、アルバムタイトルでもある「14番目の月」は、満月になる一歩手前。恋が満ち満ちてくる悦びや期待感が最高潮に達する瑞々しい気持ちを描いた傑作。メロディが美しい作品が多いことで今作が好きなファンも多い作品です。 ユーミンのアルバムでどれが一番いいかを語るのは愚問だと思いますが、これはあくまで個人的な趣味で”俺的には5曲目が入ってるって事でこのアルバムです山下達郎一派のコーラス陣に松任谷さんはティンパンアレーの一角を持ち込み、ベースとドラムにLAの腕利きミュージシャンを起用!今までどとらかと言えば私小説的な彼女の詩の世界をポップのフィールドに引き上げた作品でしょう!アーバンでメロウって言葉(少し古臭いですが)がまさしくあてはまる作品!”中央フリーウェイ”名作ですね! 荒井 由美 松任谷 由美■プロフィール 1954年1月19日 東京・八王子にて誕生 ユーミンの作品を聴くと何故かほっとする、という方は多いのではないだろうか。それはゆっくりと彼女からろ過されたメッセージに強さと愛を感じるからかもしれない。そしてどんな作品にもユーミンを感じるフレーズやメロディーがそこここに散りばめられているからなのである。 特に女性は恋愛の歌詞におもいきり共感できるし、失恋した時にはおもいきり涙が流せる。もちろんそれは人間関係においてだけだなく、ユーミンの歌には春・夏・秋・冬そしてそれぞれの時間、空間という情景が浮かび上がる楽曲が見事に創りだされ、その音楽にただただ身をまかせるだけで良いのである。 スタンダードを創り続けるユーミンは非常に知性豊かな女性であるとともに情緒豊かな感受性も持ち合わせている表現者でもある。恋愛詞については、女性ソロシンガーとして中島みゆきともしばしば比較されるが両者の場合、中島みゆきの描く女性は、一見強いけど実は弱い。そしてユーミンの描く女性は一見弱い、だけど強いという人間像が見え隠れしている。 1973年リリース作品のデビューアルバムひこうき雲では、タイトル曲ひこうき雲を始めとする、瑞々しいソングライティングと、細野晴臣、のちのパートナーとなる松任谷正隆、鈴木茂といった面々が提供した表情豊かなサウンドは、非の打ちどころがない美しさを備えている。キャラメル・ママからティン・パン・アレイの人脈による作品のひとつの金字塔的アルバムである。 続くMislim、コバルトアワー、ユーミンブランド、14番目の月など続々アルバム作品をリリース。これらの中にはやさしさに包まれたなら、卒業写真、中央フリーウェイなど初期の名曲が収録。 紅雀、流線形80、 悲しいほどお天気、時のないホテル、Delight Slight Light Kiss 、Frozen Roses などなどアルバムを多数リリース。 ドラマ主題歌等、ヒットソングをリリース。爆発的なブレイクはないものの、どの作品にも聴く人によって様々な感情を想起させ、親しまれるハイクオリティの楽曲を創作し続ける。 そして1998年、Neue Musik - Yumi Matsutoya Complete Best Vol 1 をリリース。松任谷由実、全251曲から選ばれた究極の28曲。書き下ろし新2曲はティン・パン・アレーによるバック。涙なしでは聴けない作品、全音楽ファンに所有して欲しいコンプリート盤となった。 2000年、ベストアルバムSuper Best Of Yumi Arai をリリース。初期の名曲を30曲収録したスタンダード盤。 2001年、Sweet Bitter Sweet - Yuming Ballad Best をリリース。荒井由実~松任谷由実までの楽曲からセレクトされたオールタイムベストを発表。全作品320曲からバラードを中心にセレクトした初のバラード・ベスト2枚組。2002年、Wings Of Winter, Shades Of Summer をリリース。デビュー30周年を迎える記念すべき年に、32枚目のアルバムをリリース。ユーミンがもっとも得意とする冬の季節感溢れる作品に仕上がっている。 この年、J-Pop界を代表するアーティスト達がリスペクトを込めてトリビュートしたQueen's Fellows - Yuming 30th Anniversary Cover Album がリリースされた。時代を超えて愛されてきたユーミンの名曲の数々がスピッツ、井上陽水、鬼束ちひろ、椎名林檎、クレイジー・ケン・バンド、Aiko、フェイ・ウォンなど豪華アーティストによってカバーされた。 新しいことに自然体でチャレンジし、繊細な観察眼を持った芸術的な作品を創りつづけるユーミンは、まさに日本を代表する女性アーティストの名に相応しい。
2007.09.06
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Casiopea/SuperFlight 1979年 曲 名1 テイク・ミー 2 フライング 3 デューン 4 朝焼け 5 アイ・ラヴ・ニューヨーク 6 セイリング・アローン 7 オリオン 8 マジック・レイ 9 マイティー・マウス昨日シャカタクで名前でたので今日紹介77年にチックコリアみたいなバンドやろうって事で平均20歳の若者で結成された日本最高のFバンド!TVとかにもよく曲かかってたので、商業バンド的扱いでしたが、”スリル・スピード・テクニック”のキャッチコピー通りインストォメンタルユニットとしては日本のトップといっても過言ではないでしょう!特に”2ndにあたるこのアルバムは4曲目をはじめ5曲目やとにかくメローな楽曲ぞろい初期の名作ですね! カシオペア[編集] 歴史1976年結成。ヤマハのアマチュア・バンド・コンテストEastWest出場を足がかりに活動を開始。1979年のアルバム『CASIOPEA』でレコードデビューする。このアルバムにはブレッカー・ブラザーズ(ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー)、デイヴィッド・サンボーンらがゲスト参加。「スリル・スピード・スーパーテクニック」というキャッチコピーを与えられた。当時のメンバーは、野呂一生(ギター)、向谷実 (キーボード)、桜井哲夫(ベース)、佐々木隆(ドラム)。デビュー前から評価は高かったが、同年の日本航空のニューヨーク・キャンペーンのCM曲として使用された「I LOVE NEW YORK」で世間への認知度が広がった。1980年、ドラムを神保彰にメンバーチェンジ。このメンバーのときが黄金期と呼ばれ、数々の名作アルバム、名曲、名演を生み出す。海外進出も果たし、レコード発売ばかりでなく、ヨーロッパ、南米、香港、東南アジアなどではライブも行うようになる。1989年にカシオペアはグループとしての活動を休止し、メンバーの個人活動期間に入る。櫻井と神保はメンバーを集めてボーカル音楽のバンド“シャンバラ”を結成するが、これがきっかけで2人はカシオペアを脱退、翌年にジンサクというユニットを結成する。1990年、セッション・ベーシストの御大“ナルチョ”こと鳴瀬喜博とジャズ・ドラマーの日山正明を迎えるが、1992年に日山が脱退し、当時弱冠22歳の熊谷徳明が加入。メンバーが流動的になりながらも活動状況は安定していて、作品は毎年定期的に作り続けられた。海外でのライブも各国で引き続き敢行されて1996年には日本人のアーティストとして韓国公演を行って話題となる。しかし、この年かぎりで熊谷が脱退。1997年から野呂、向谷、鳴瀬の3名となり、そこに神保がサポートメンバーとして復帰して支えていた。2004年からは、その神保と則竹裕之が結成したツインドラムのユニット、Synchronized DNAをサポートに入れた5人体制で活動を行っていたりもした。2006年8月1日、野呂の「カシオペアとしての一切の活動を休止したい」との意向により、レコーディング・ライブ活動をすべて休止すると発表した。理由については現時点では明らかにされていない。現在、メンバーはそれぞれのソロ活動を行っている状態である。[編集] 概要1970年代半ばに野呂と櫻井で結成したものの、この二人以外に固定メンバーが揃わずに活動していたためバンド名も毎回適当に付けられていた。しかし、あるミニコミ誌の取材を受けた際、「正式なバンド名がなければ載せられない」という申し出に、野呂が自宅に帰って母親に相談したところ「星座の名前なんていいんじゃない?」とのアドバイスに星座の本を広げて選んだのがカシオペアである。 ただ、英字表記はCasiopeaとし、出典元のカシオペヤ座(Cassiopeia)の正式な表記とは異なる。海外での活動の際、初見の人には「キャシオピー」と呼ばれることになるが、既にファンには「カシオペア」と認知されている。ロックやファンクをベースとし、アドリブなどソロプレイでなくアンサンブルを主体にしたインストの音楽性は、黎明期の日本のフュージョン・シーンにおいて珍しかったが、80年代に入るとポップス性を前面に出したザ・スクエア(現・T-SQUARE)とともに主流となり、親しみやすくそれでいてテクニカルなインストの曲には「カシオペアっぽい」という形容詞が普通に使われるようになる。また、商業的にも成功し、アルバムリリース毎にチャートの上位を賑わし、ライブを重ねるごとにファンを増やし続け、日本全国でホール展開のコンサート・ツアーを催していた。しかし、80年代後半になると、全米進出のためにボーカルの導入やアメリカン・ポップ色を強くした音楽性はバンドの方向性に迷いを示し、ファン離れが顕著となる。さらに櫻井と神保の脱退という事態が追い打ちを掛けて人気に翳りが射した。鳴瀬喜博を迎えて以降は方針を修正し、デビュー以来のロックやファンク・ティストのインストに絞った音楽性による継続した活動を行い、時間は掛かったものの旧来からのファンの回帰に加えて常に新しい世代のファンを増やすことにも成功。浮き沈みが激しい今日の日本の音楽業界の中で、2005年まで毎年常にアルバムを制作してリリースし続ける偉業を達成していた。[編集] サウンドの特色リズム面では16ビートを基本とし、またハーモニー面ではジャズ理論をベースとし、テンション・ノートや代理コードを多用した複雑ながらもスムーズなコード進行や転調が特徴のひとつ。また、16ビートの中にはさまざまに工夫されたシンコペーションを取り入れ、一瞬、拍の裏と表が分からなくなるようなギミックも多く、アマチュアバンドにとっては演奏上の難度が高い。リーダーの野呂一生による優れた作曲能力・編曲能力がカシオペアのほぼ全体のアルバムで発揮され、全体のアンサンブルで聴かせるサウンドとも言える。各メンバーの高度な演奏テクニックと一糸乱れぬ精緻なアンサンブルはこのバンドの大きな魅力であり、このことは、特に全盛期の4人(野呂・向谷・桜井・神保)のライブに於いて、メンバー紹介の際の聴衆からの拍手や歓声の大きさにメンバー毎の差が少ない(=フロントマン的な要素が希薄)ことでも証明できる。他のフュージョン系アーティストと同様、カシオペアの曲はテレビ番組やラジオ番組のBGMとしても定評がある。アグレッシブな曲調の曲(「FIGHT MAN」等)はスポーツのダイジェストに、ライトタッチの曲(「SUNNYSIDE FEELIN'」「PRIVATE SUNDAY」等)は天気予報や紀行ものに相性が良い。この他、そのリズムの歯切れ良さから、イントロや曲中のフレーズを短く編集すると番組のジングルなどにちょうどいいことから、TVやラジオの音効担当者には欠かせないものとなっていた。しかしながら、これらの強引な「つぎはぎ」に対して、かつて雑誌のインタビューでこの状況に困惑とも受け止められるコメントを寄せていた。[編集] 代表曲バンドのイメージに即座に結びつき、人気を決定付けた初期の代表曲を解説する。「ASAYAKE」 カシオペアの、というよりジャパニーズ・フュージョンの代名詞的な曲である。「朝焼け」とも表記する。初収録は2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』。その後『EYES OF THE MIND』『MINT JAMS』にもアレンジを変え収録。このMINT JAMSバージョンはこの曲の人気を不動のものとし、今日のライブでも必ず演奏される代表曲となった。ラスト・ナンバーまたはアンコール・ナンバーとして演奏されることが多く、サビでリズムに合わせ聴衆が拳を上げるのが習慣。曲のイントロのギターカッティングのフレーズは、楽器店でギター小僧が試奏する定番でもあった。1995年にはKey of Life(クレジットは「Key of Life + YUKI MORI GAKU」)が『ASAYAKEの中で』の題名でカバーしている。 「DOMINO LINE」 初収録は『CROSS POINT』。その後『MINT JAMS』にアレンジを変えて収録される。後発のこのバージョンには、フレーズを16分音符ごとに一音一音区切って別の楽器で演奏する「音のドミノ倒し」という技が仕組まれている他、テクニカルかつ比較的長い(1分以上)のベースソロ、ドラムソロが収録され、多くのファンを魅了するとともに、コピーバンドのベーシストやドラマーにとっては難易度の高いコピー曲となった。ライブでたまに披露すると、頭の数音で聴衆から「ウォー」と歓声が上がるほどである。 「GALACTIC FUNK」 初収録は『CROSS POINT』。その後『FOUR BY FOUR』にもリー・リトナー・グループと共演したヴァージョンを収録。ベースのリフが印象的な曲。ベースソロやドラムソロを前後に配置しやすく、ライブでは盛り上げるために頻繁に演奏される。 「SPACE ROAD」 初収録はデビュー作『CASIOPEA』。その後『EYES OF THE MIND』にも収録。同じテーマが短3度上に次々と転調していくのが特徴。初期12316;中期のライブで好んで演奏された。ライブで演奏されるときには、ギター・ベース・キーボードによる16分音符のフレーズのユニゾンを中間部に置き、カシオペアらしい超絶技巧の曲である。 「BLACK JOKE」 最初期の代表曲。初収録はデビュー作『CASIOPEA』。その後『EYES OF THE MIND』にも収録。イントロやエンディングで聴ける6連符のユニゾン・フレーズが印象的で、彼らのテクニカルな面を象徴する曲である。 [編集] ディスコグラフィ1979年のレコードデビュー以来現在までに40枚近くのアルバムをリリースしている。ここではオリジナルアルバムおよび、近作のDVD作品を詳述する。尚アルファ・レコード(アルファ・ミュージック)(ALFA)やパイオニアLDC(PIONEER)からのものを、「前後」と分けてあるが、時系列順に並べる為の便宜上である。ALFA時代のものはヴィレッジ・ミュージック/ソニー(因みにT-SQUAREの所属レコード会社である。また、2002年にヴィレッジからALFA時代のCDが再販された際、T-SQUAREも同時期に同社から再販されていた)より、PIONEER時代のものは社名変更されたジェネオン エンタテインメント(GENEON)より再販されている。
2007.08.27
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シャカタク/Night Birds 1982年作 曲目1. ナイトバーズ 2. ストリートウォーキン 3. リオ・ナイツ 4. フライ・ザ・ウインド 5. イージアー・セッド・ザン・ダーン 6. ビッチ・トゥ・ザ・ボーイズ 7. ライト・オン・マイ・ライフ 8. テイキン・オフ シャカタクって?当時おしゃれ系でかかりかかりまくってた1曲目ビルシャープのピアノの涼しげな音絶対みんな聞いた事のある曲でしょう!その当時のジャケットのライナーノーツに書かれてあったのが、フュージョンっていう軽視されがちな、リスニング感覚をエレガントな英国気質でBGMから美・G・Mへと塗り替えた傑作ナンバー!お洒落な愛の夜間飛行に絶対のお勧め曲”ってなるほどって読んでた気がしますが今考えると結構”寒い”表現ですね!ハハハハ!でもブリティッシュジャズファンクとしての本作品の完成度の高さは、この時期のフュージョン界でも遜色ありませんね!先入観なしに聞いて損のない音!ちなみにこのバンド英国のバンドです!当時レコード屋さんには、日本のフュージョンコーナーに置いてあった記憶が蘇ります!カシオペアあたりのとなりにね!
2007.08.26
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チャカカーン/Chak 曲 目1 I'm Every Woman (04:05) 2 Love Has Fallen on Me (04:52) 3 Roll Me Through the Rushes (04:42) 4 Sleep on It (04:21) 5 Life Is a Dance (04:20) 6 We Got the Love (03:27) 7 Some Love (05:50) 8 Woman in a Man's World (03:56) 9 Message in the Middle of the Bottom (04:15) 10 I Was Made to Love Him (03:23) 個人的にChaka Khanは、Aretha Franklinの後を継ぐディーヴァであると思うし、未だChakaを超える後続の女性シンガーには未だに巡りあったことがない。彼女の魂を揺さぶるような豪快でエモーショナルな歌声を耳にするといつも鳥肌が立ってしまう。本作はRufusと二足のワラジを履きながらリリースした78年発表の初ソロ作品。まず初っ端の"I'm Every Woman"で度肝を抜かれ、スロウ"Roll Me Through The Rushes"でじっくり聴かせたかと思えば、ファンキー・ナンバー"Life Is A Dance"でどこまでも奔放なChakaに魅了される。アリフ・マーディンプロデュース!俺的には一番お勧めは8曲目!この1曲聴く為にこのアルバム買っても損なし!少し哀愁のある曲がたまりません! チャカ・カーンボリュームたっぷりのヘアスタイル、ミックジャガー顔負けの唇、そして、大空に裂け目も入りそうなパワフルな歌声。往年のSoulディーバたち、アレサ・フランクリン、ダイアナ・ロス、デイオンヌ・ワーウィックなど、そしてヤングディーバたち、ジャネットジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、アニタ・ベイカーなど、チャカはその世代の間に位置するシンガーで、あらゆるミュージックシーンに影響を与え、まさにチャカカーンという音楽ジャンルがあるようなボーカルスタイルを作り上げた、すばらしいシンガーであります。 チャカカーン、本名はヨベッタ・マリー・スティーヴンス、1953年3月23日、イリノイ州で生まれます。ブルースのメッカ、Windy City 、シカゴ育ちのチャカは、普通の女性R&Bシンガーとは音楽背景も違うようです。R&Bシンガーはゴスペル出身の人が多いのですが、チャカは「どちらかというと、オペラ蝶々夫人なんかを好んで聴いていたわ。それに、ブルースは悲しくつらい気持ちにさせられるから、あまり聴かないの」と語っています。子供の頃のフェイバリットは、ビリーホリディの「Layd in Satin」、チャカのおばあちゃんのフェイバリットだったそうで、彼女がJazzに精通した歌を好む背景のひとつなのでしょう。 14才の頃から、シカゴ周辺の小さなクラブで歌いはじめました。いくつかのグループを渡り歩いたのち、1972年、あの「ルーファス」に出会うことになります。ルーファスはすでに別のバンド名でヒット曲を出していたグループでした。ポレット・マックウィリアムというリードシンガーがいましたが、チャカはこのポレットと友達で、よくツアーに同行していました。そして、このポレットがルーファスを脱退する際、チャカがその後を継いだわけです。 当時、黒人は黒人色の、白人は白人色の強いサウンドというのが普通でしたが、ルーファスはそんな人種の壁を超えた、いわゆるクロスオーバーされたサウンド作りをします。1974年にはスティービーワンダーがルーファスのために作った「Tell me Something Good」をヒットチャートに送り、スティービーのツアーにも同行しました。この時代、女性Soulシンガーは、やや保守的なイメージが多かったのですが、チャカのように自分の全てを表現豊かに歌う、型破りなスタイルは、新しいオリジナルスタイルとして、脚光を浴びます。ティナ・ターナーと比べられることもありましたが、「私は誰とも争う気はないの、だって、自分だけのオリジナルスタイルで歌っているんですもの」と語っていたそうです。この後、Rufusの活動とソロとしての活動の間で悩んだ末、1978年ソロアルバム「チャカ」をリリース、正式にソロ活動を始めます。もちろん、ソロ活動のオファーは多々あったわけですが、本人の音楽的にJazzの要素の強いものをやりたい、という気持ちがソロに踏み切る理由となったようです。チャカはソロ活動のキャリアの中で、プリンスプロディースの「I Feel For You」など、ダンスミュージックが大きな成功を収めることになるのですが、本人としては、もっとJazzテイストのものをやりたかったらしく、ヒットを求めるレコード会社との折り合いがつかず、いつもストレスを感じていました。 ジャズのテイストを好むヨーロッパおけるツアーは、チャカにとってとても楽しいものだったようで、現在はその活動の中心をロンドンに置いています。そして自分のレ-ぺル(Earth Song Entertainment) を設立、一時はパワーダウンしたともいわれていましたが、プリンスとの共同製作による「Come 2 My House 」など、チャカ・カーン健在ぶりを発揮しています。少しずつですが、彼女自身の自伝も書いているのだそうです。 アルバムを紹介します。ルーファス時代では、「Rufus Featuring Chaka Khan」。ピンク色のジャケットで、チャカの唇のイラストがコミック風に描かれているものです。このアルバムの「Sweet Thing」という曲はよくSoulシンガーたちが好んで歌っています。最近では、Queen of Hip Hop メアリーJ.ブライジがカバーしてヒットさせました。そのルーファスのライヴアルバム「サボイでストンプ」。これを聴けばルーファスがどんなバンドだったのかよくわかります。 チャカのファーストソロアルバム「Chaka」、日本語タイトルは「恋するチャカ」。数年前にホイットニー・ヒューストンがリバイバルヒットさせた、"I'm Every Woman" が入っています。ある情報によると、特にクレジットはされてないのですが、このチャカカーンのオリジナルバージョンには、まだローティーンのホイットニーがコーラスとして参加しているとのことです。 そして、「What Cha' Gonna Do for Me」日本語タイトルは「恋のハプニング」。常々チャカがやりたいと思っていたジャズのテイストを持つ曲があり、特に「チュニジアの夜」のボーカルすごいです。その後プリンスやマーカスミラーなど大物プロデューサーによるアルバムが続きます。その流れからは「I Feel for You」と「C.K.」。アルバムタイトル曲「I feel for you」はプリンスのプロデュース。プリンス本人も自分のアルバムで歌ってます。そして、デイビッドフスタープロデュースによる「スルーザファイヤー」名曲です。アルバム「C.K.」の方はブレンダラッセルプロデュースのヒット曲「Soul talkin」、そしてルーファスのオリジナルメンバーやあのマイルスデイビス、もゲストで参加し、また子供の頃よく聴いていたビリーホリディの曲もカバーしています。チャカカーンは、よくブラックムービーのサントラ盤にも参加しています。映画「シュガーヒル」のサントラ盤。ここでは亡きマイルデイビスに捧げる、「マイルスブローイン」というクールなジャズ曲、そしてスパイクリーの映画クロッカーズのサントラからは「Love me Still 」。「Epiphany (エピフォニー)」というBest盤にも入っていますが、ピアノ曲のミディアムバラ-ド、とてもきれいな曲です。(抜粋)
2007.08.23
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マービン・ゲイ/What's Going On 曲 目1 ホワッツ・ゴーイン・オン 2 ホワッツ・ハプニング・ブラザー 3 フライン・ハイ 4 セーブ・ザ・チルドレン 5 ゴッド・イズ・ラブ 6 マーシー・マーシー・ミー 7 ライト・オン 8 ホーリー・ホーリー 9 インナー・シティ・ブルース すでにモータウンの看板シンガーとして君臨していたマーヴィンが、70年代初頭の公民権運動の盛り上りや、ヴェトナム戦争の泥沼化という社会情勢にプロテストすべく作り上げたアルバムが’71年発表の本作である。後にアメリカの音楽史上不朽の名作と謳われる事となる本作品がきっかけとなって、所謂”ニュー・ソウル・ムーヴメント”なるものが一気に火を吹き、ダニー・ハザウェイ、スティーヴィー・ワンダー、カーティス・メイフィールドといったアーティスト達が次々にコンセプチュアルなアルバムを発表する様になっていった。皮肉にも、商業主義に反発して制作された本作が、タイトル曲を始め、「Mercy Mercy Me」、「Inner City Blues」3曲のR&Bチャート・ナンバー・ワン・ソングを生む事になったのは、そうした彼のメッセージが人々の心を捉えたというばかりでなく、そこに音楽家としての意匠が反映されていたからであろう。唯一無二の偉大なるシンガー、マーヴィン・ゲイの最高傑作は、20世紀最大の遺産と呼ぶに相応しいアルバムでもある。 マービン・ゲイ誕生:1939年04月02日 in Washington, D.C.死亡:1984年04月01日 in Los Angeles, CAモータウンが生んだ音楽史上、最も偉大なアーティスト、マーヴィン・ゲイ。1939年、4月2日、キリスト教ペンテコステ派の牧師の息子としてワシントンDCに生まれた。因みに本名はGayeではなくGayである。幼少の頃から父親の所有する教会の聖歌隊で歌い始め、8歳の時に弟のフランキーとゴスペル・デュオを結成、同時にオルガン、ドラムスといった楽器類を独学で習得し始める。’54年、地元のハイスクールに進学したマーヴィンは、オーケストラでピアノとドラムを担当するようになるが、やがて退学し、マーヴィンが志す世俗音楽を快く思わなかった父の勧めで、強制的に軍隊入りさせられてしまう。しかし、そこでの生活に疑問を抱いたマーヴィンは1年足らずで除隊し、’59年頃にはハイ・スクール時代の友人とマーキーズなるグループを結成、本格的な音楽活動を開始した。その後、ムーングロウズのハービー・フークワに認められ、同グループに参加したマーヴィンは、’61年、DCからデトロイトに移住、モータウン傘下のタイム・レーベルとソロ・アーティスト契約を結ぶ。デビュー・アルバム「The Soulful Mood Of Marvin Gaye」を発表するも、スタンダード系のナンバーを集めてジャジーな歌唱を聴かせるこのアルバムは商業的に失敗に終わってしまった。’62年、ハードなR&B色を打ち出した「Stubborn Kind Of Fellow」がR&Bチャートで最高8位となる初の大ヒットとなったマーヴィンは翌年、同曲を含む2ndアルバム「That Stubborn Kind Fellow」を発表、マーサ&ザ・ヴァンデラスを従えたシングル曲「Pride And Joy」はポップ・チャートでも初のトップ10に入るビッグ・ヒットとなって、マーヴィン・ゲイの名はたちまち有名となり、私生活でもモータウン社長、ベリー・ゴーディJr.の姉アンナと’61年に結婚していた彼はその後レーベルのプリンス的存在として君臨する事になる。シュープリームスとの共演も経て、マーヴィンは’64年,当時モータウンの看板女性シンガーだったメアリー・ウェルズとのデュエット・アルバムを発表、これを期に、’66年にはキム・ウェストン、そして’68年にはタミー・テレルといった女性達と組んで一世を風靡、マーヴィンは押しも押されぬ人気者となり、名実共にスターとしての地位を築き上げた。ソロでも’65年発表の「Moods Of Marvin Gaye」からは初のR&BチャートNo. 1となった「I'll Be Doggone」、「Ain't That Peculiar」といったシングルをtリリース、また、彼が最も尊敬するシンガー、ナット・キング・コールに捧げたアルバム等、スタンダードへの拘りは忘れず、他にも2枚のスタンダード集を残している。’68年11月、グラディス・ナイト&ザ・ピップスのカヴァー「悲しい噂(I Heard It Through The Grapevine)」で初の全米No. 1を獲得、続く「Too Busy Thinking About My Baby」も大ヒットとなった。’70年3月、タミー・テレルが脳腫瘍のため死去、その悲しみから1年間は一切の音楽活動を中止し、対人恐怖症に陥り、内省的な日々を過ごした。そして、彼にとってまさに決定的な転機となったのが、’71年2月に発表したモータウン初のトータル・コンセプト・アルバム「What's Going On」だ。ヴェトナム戦争や公民権運動など、当時の社会問題をあらゆる視点から捉え、訴えたこのアルバムは興行的にも大成功を収め、ソウル史に燦然と輝く名作として今尚音楽ファンの胸を熱くさせ、後世のアーティストに歌い継がれている。タイトル曲に加え、「Inner City Blues」、「Mercy Mercy Me」等、誰もが耳馴染みの深いナンバーだ。当時流行だった”ブラック・シネマ”のサントラ「Trouble Man」を経て、’73年には、「What~ 」とがらりと趣を変え、セックス”をテーマにしたもう一つの傑作「Let's Get It On」を発表。タイトル曲は5年振りの全米No.1となり、セックス・シンボルとして世の女性達の視線はマーヴィンに釘づけとなった。のちのライヴ・アルバムでも熱唱する「Distant Lover」での彼のヴォーカルもやはり忘れられない1曲だ。同じ年、久しぶりのデュエット・アルバムを発表、そのお相手ダイアナ・ロスと「You Are Everything」、「You're A Special Part Of Me」等の名唱を残した。'76年、「Let~ 」路線を極めるアルバム「I Want You」を発表。名ソング・ライター、リオン・ウェアが自分自身のアルバムのために書き下ろした曲を、モータウンが買い取ってマーヴィンに歌わせたという経緯ながら、結果的には本作も彼の代表作として位置付けられる傑作に仕上っている。R&Bチャート1位となったタイトル曲でのマーヴィンのヴォーカルはまさにセックス・シンボルを体現するものだった。2ndシングル「After The Dance」もまたその極み。しかし、実生活においては、アンナとの離婚問題やモータウンとの不和といった事が取り沙汰され、悩み苦しむ日々が続いた。’78年、その印税が全てアンナへの慰謝料となるアルバム「離婚伝説」を発表後、ハワイ、ロンドン、ベルギーと移り住み、一時、音楽シーンから姿を消してしまう。見かねたモータウンが制作進行中だったアルバム「In Our Lifetime」をマーヴィンの意向を無視して発表した事から、両者に決定的な亀裂となり、遂にレーベルを離脱。’82年、CBS/コロンビアに移籍し、再起第1弾シングル「Sexual Healing」をリリース、R&BチャートNo. 1,ポップ・チャートでも3位を獲得する久々のヒットとなった。同年、同曲を収録した「Midnight Love」を発表し、完全復活を遂げ、翌’83年には始めてグラミー賞を獲得する。しかし、まさにこれから第2のマーヴィン時代到来という時に、あの悲劇は起こってしまう。’84年、マーヴィンの45歳の誕生日の前日の4月1日、両親のL.A.の実家に帰ったマーヴィンは、口論の末、父親に射殺されその短い生涯を閉じる。昨年、彼の生誕60周年を記念して制作されたトリビュート・アルバム「Marvin Is 60」を取り上げるまでもなく、死後もマーヴィンの魂(Soul)を継承するアーティストは後を絶えない。それほどマーヴィンの残した遺産は大きいのだ。(「Deluxe EDition」)となり、ファンを狂喜乱舞させた。
2007.08.22
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