この日記の直前は、母が健在(?)で、弟(と父)が奮闘していたころだね。
今や、父が旅立ち、母も旅立った。(この順序もね、驚きよ)
蚊帳の外なりに、帰省した時に目にしたこととか思いを添えて書いてたね。
うん、大事。とても大事。
たとえば、前に書いていた 母からの貴金属類。
妹宅から実家に持ち帰り、置いていったんだよね。
母らしいんだよね。二重にしたビニール袋に、インゴットペンダントとか、ダイヤの指輪とか、じゃらじゃらゴチャゴチャで 袋口は一つ結びっぽい感じで閉じられていて。
母が亡くなる前からだけど、いつの間にか 無くなっていた。
弟に聞いても、妹に聞いても「知らない」だって。
「娘二人で分けるように」と言われていた 貴金属類は、実家を探してもどこにもなかったし、二人とも「知らない」で終わった。
母の思いは 無いものにされた。
母の婚約指輪のブラックオパール。大好きだったけど、それも消えたよ、お母さん。。
二人で分け合ったのならそれでもいいんだ。近くにいて父母を支えていたんだから。
そう言ってくれればいいんだけど、どっちも「知らない」で終わったから、ずっと引っかかってるよ。。
この体験を反面教師に、とりあえず、娘二人には ちゃんと生きてる間に渡そうと思っています。
で、記録。
母は、父の二か月後に旅立った。
施設をいくつか変えたけど、最後にいた施設は そんなに悪いところじゃ無かった様。
コロナの制限もあまり厳しくなかったし。
旅立つ3週間ほど前に会いに行って、話をして(というか、顔を見て)、 足をさすって なんてやってた。
帰りの弟の車の中で「室内は暖かいし、食事は胃ろうでとってるし、絶対死なない」とか話していたばかり。
そんな母が何故そんな急に? 死因を聞いたところ「誤飲性肺炎」との事。
胃ろうで誤飲性肺炎。
ああ納得。なかなか痰を取ってくれなかったものね、あそこの人たち。
自分でできるようになろうね、とか言ってて、絶対無理でしょ。パーキンソンだぞ。
手厚いフォローは難しかったのかもしれないね。痰が喉に絡んで辛かっただろうな。
昨日、ニュースで聞いた。
治験に参加したがっていた母ならこんな話を聞いたら真っ先に手を挙げただろうね。。
世界初のiPS細胞治療、対象は少数でも患者が抱く「かすかな希望」世界初のiPS細胞治療、対象は少数でも患者が抱く「かすかな希望」
https://www.asahi.com/articles/ASV3531BHV35UTFL007M.html
【話題】iPS細胞を用いたパーキンソン病治療 ― 新たな細胞移植治療の条件および期限付き承認
https://pd-center.hosp.keio.ac.jp/news/news-271/
また 忘れたころに思い出して書いていこうと思う。