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はオーストラリア原産です。日本製のナットクラッカーと日本でローストした豆を買って、苦闘。これだとなかなか食べられないので、メタボには良い。2袋を1週間奮闘の末、最後の11個中3個完全取り出し。だから完全な形のビンはかけらより高いのだとナットク。
2010年09月16日
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先週の日曜よりWashington市の近郊の子会社に出張中。いろいろあって来週まで滞在延長となり、金曜の夜ボルチモアの外注先にでかけて仕事のあとちょっと気の利いたレストランに案内された。ワイン評価で有名なのRobertParkerも20分のところに住んでいるそうで、このレストランにも個人用のワインセラーがありその前に座っておりました。数十本あるかと思いきや、10本くらいかな。まあほかにもたくさん置いてあるのだろう。
2009年11月15日
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以下テキサスの友人より送られてきました。Q: My wife is going through menopause. What can I do?A: Keep busy. If you're handy with tools, you can finish the basement. When you are done you will have a place to live.Q: How can you increase the heart rate of your 60+ year old husband?A: Tell him you're pregnant.Q: How can you avoid spotting a wrinkle every time you walk by a mirror?A: The next time you're in front of a mirror, take off your glasses.Q: Why should 60+ year old people use valet parking?A: Valets don't forget where they park your car.Q: Is it common for 60+ year olds to have problems with short term memory storage?A: Storing memory is not a problem, retrieving it is a problem.Q: As people age, do they sleep more soundly?A : Yes, but usually in the afternoon.Q: Where do 60+ year olds look for fashionable glasses?A: Their foreheads.Q: What is the most common remark made by 60+ year olds when they enter antique stores?A: 'I remember these.'
2008年07月15日
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PolishJokeというのを、アメリカでよく聞いていたので、ポーランド人はアホだと思わされていた。しかしオーストラリアで体験したことはオージージョークとしか言いようはないことが沢山あった。先月ポーランドのクラコウに2泊の仕事(着いた夜と、一日半の会議のための宿泊)で、行った。この人たちはよく働く、民族に誇りを持っている。言われなき誇りだけで仕事をろくにしないアングロサクソンや、それに抑圧されていたケルト人の末裔達を見てきた小生にとっては目から鱗。古くはコペルニクス、キューリー夫妻、最近では前ローマ法王ヨハネパウロ2世を生んだ国を馬鹿にしてはいけない。飛行機が飛ぶ前の2時間ほど観光地を駆け足で見ただけなのだが、シドニーやコペンハーゲンとも似ているな。暮らしてみるとまたあらが見えるかもしれないが、美しい古都クラコウは定年になったら勉強してからまた訪ねたい。マーケット広場。13世紀くらいからの市街地。パノラマでつないで見たので露光バランスがばらばらなのを我慢してくださいな。遠くの尖塔は、お城の中にあるいろいろな建築様式の混じった教会。ヨハネパウロ2世が法王になる前に司教として勤めた。右側の建物は猊下が若かりし日に学んだ下宿だそうだ。
2008年05月01日
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停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木--------------------------------------ビッグサイトでナノテク2008豪州館に出展中ということで、社長宛に豪州大使館より招待状が来て代理出席をした。なつかしのオージーアクセント、ちょいと田舎じみた顔に会うと妙にホッとする自分が居た。ナノテクと言いながら酪農研究の博士もいて、なんで豪州のおいしいバターやチーズを日本で売らないのだとかの与太話をしてきた。豪州大使館に7時に来てくれというので、日本人招待客寒風吹く中、大使館の門は堅く閉じている。やっと見つけた守衛室のおじさんに聞くと、居館入り口に廻ってくれ。そこにはオージーかした日本人のおねいさんが、3人も居る。表に張り紙するなり、一人くらいはそちらで待ってなさいよと言ってしまった。いや地図に居館入り口って書いてありますよね。と言い訳。でもパーティをどこやるか書いてないよ、招待状には。No worries mate.It should be all right.「日本では猿でも反省するが、オーストラリアではコアラでも言い訳をする。」5年は無駄に過ごしてこなかった。社長が来なくて良かった!!!
2008年02月13日
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Howard首相が、落選。Bushに迎合しすぎた咎め、辞めどころを間違えた悲喜劇。コステロも長すぎた春のまま出番がなくなった。経済状況が良いだけでは、首相の地位を保てない。日本の有権者もこのような選択を考える時代なのに。今ロックの統治論を読んでいるが、17世紀に書かれた書物の斬新さは21世紀でも感心する。
2007年11月24日
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旧宅あたりを散策、近所の公園はジャカランダが見ごろであった。主なくとも春な忘れそ。この古ぼけたアパートに4年8ヶ月住んでいた。フェリーのこの航路も随分乗ったものだ。21ヶ月ぶりに来てみると、そんなに長くこなかったとも思えないが、また5年弱もここに住んでいたということもまた夢のような心地こそすれ。終わってしまった!ノスタルジックツアー。またひとしきり働いて牡蠣を食べにこよう。
2007年10月24日
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久方ぶりのシドニー湾クルーズ唯一高名なオペラハウスとサーキュラーキーの波止場船内というか船外と言うかヌーディストビーチ。陸からは見えないが海からは見える。エルトンジョンの別荘この隙間の外は太平洋一転静かなミドルコーブ。この森の中にゴルフ場もあるが、まあ住宅地というか。
2007年10月23日
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Hunter Valleyにワインを買いに出かける。少々怪しげな天候なれど、どうにか晴天が続く。夜はここにて一泊。部屋の電気がつかないので、文句を言いにいくが、やっと来た係員がわけのわからん理由にもならない言い訳を言うのみ。ぐるりと見渡しヒューズボックスらしきものを発見、ブレーカーが落ちていただけ。役に立たない従業員をやとっているなあ。
2007年10月21日
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土曜日なので、知人夫妻の案内で海岸べりのThe Entranceと言う町へ。砂州が延びて外洋とわずかな隙間でつながっているところから名づけられたらしい。写真はその”入り口”ペリカンが優雅に泳ぐ内海実は餌付けをやっているので、時間になると大量に集まってくる。これだけ集まると、不気味と言った感じとなる。Sunny Boyの名に恥じず、よい天気であった。
2007年10月20日
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というわけで日記(忙しくてバックデートですが)の続き相変わらず天気が良いので、昼飯を外で食べている豪州人。この人たちは何時から午後の仕事を始めるのだろうか。結構高めのホテルを予約していたのだが、ホテルに着いたら、蛾の群舞。ちょうど番うシーズンらしく寒い南から王立植物園あたりで何するらしい。その通り道にあるこのホテルは廊下と言わず部屋の中まで蛾だらけ。チェックイン後10匹以上はたたき殺した。こんなことは5年間なかったと思うが、ノースシドニーにいたが見たことない。部屋を変えろとか騒いだが、今年は多いのよねでおしまい。蛾はハーバーブリッジは渡れないから。相変わらず言い訳上手なオージー達よ。シェフは代わったとはいえ、相変わらずWestinHotelのMosaicレストラン。懐かしい味で涙でそうでした。牡蠣の旨さはたまらん、ステーキもパーフェクトにミディアムレア。何人か残っていたウェイターに、久しぶりと言われて到着一日目は昼食と夕食をここで堪能しました。レストランマネージャーにどこか良いレストランあるか聞いたら、私の考えていたところをぴたりと推薦。商売敵なのに、この辺が豪州の良いところ。彼は韓国人でしたけど。オージーマネージメントの枢要を話して大いに盛り上がる。
2007年10月19日
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大分サボってましたが、帰国後1年以上経ったので今後は以下に引っ越します。長年のお付き合いを感謝いたします。http://plaza.rakuten.co.jp/upabove/しばらくまじめにやっていなかったら、楽天さんもいろんなやり方を変えてしまったようでこのページ並みの完成度にするのにしばしかかりそうです。徐々に移転しますが、日本の勤め人生活では、あまり充実できるとは思えません。よろしく。
2007年05月10日
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昨年帰国以後、手ごろな価格で、なおかつおいしいレストランをさがして、漸く見つけたお店に出かける。ウエートレスも親切で、定食が割安でかなり凝った料理を作るシェフなので、お任せということで特別作ってもらった。メインは鶉。おいしくて写真を撮るのを忘れていたので、最後のデザートのみ。
2007年01月27日
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カナダトロントに出張してきました。景色と風情がどこかシドニーに似ています。町はXmasムード。3日間滞在の結論レストランのできはシドニーのほうがレベルが高く、値段も安い。そのせいか、寒さのせいか超肥満人口はシドニーのほうが多い。(体温維持にエネルギー消費大)カナダ人曰く、カナダ人も働かない(日本人や米国人に比べ)が、オーストラリア人よりはよく働く。----未確認
2006年11月28日
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豪州帰国後6ヶ月経ち、最近のアクセスは楽天にエロサイト開いたほぼワンパターンの特定者らしき所の自動アクセスが大半だし、こちらも帰国後はそんなに楽しい話題もないし、何はともあれ15000ヒットまできたので、潮時かと。また改めて記入発信事項が増えるような境遇になったところで、別なサイトを立ち上げますので、そのときは改めて本ページにリンク張ります。一期一会でおとづれていただき、又訪れさせていただいた老若男女の皆様のブログサイトのご発展とアフィリエイトでお稼ぎの皆様の商売繁盛を念じてひとまずDownunderOzのサイトを終了させていただきます。蛇足ですがDownunderはオーストラリアをあらわし、Ozは本来Aussieといって豪州人のことでした。長年つまらぬ独(毒)言にお付き合いいただいた、相互リンクを張らせていただいた数名の常連様にはことのほか厚く御礼申し上げます。若干の寂しさを感じつつさようなら。
2006年08月02日
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都心の某百貨店に出店しているD官山で有名、有名シェフH松系列らしきイタリア料理店にて昼食。びっくりするほど高いわけじゃないから、あまり文句を言えないかもしれないが、調度や見てくれだけで、ひどいものであった。サーキュラーキーの観光レストランでも、パスタだけはアルデンテというわけにはではないが、よっぽどましなかんじ。油がちょいとしつこいなと思っていたが、使っているオリーブオイルがよくないのか未だに胃もたれ気味。別な百貨店のフランス料理は、シェフが一生懸命なせいか、おおきさこそシドニーには及ばないが、値段の割にはなかなかの味を出しているのだが。みんなが行かなければ、淘汰されるのであろう。シドニーではレストランだけは競争社会なのかもしれないなと改めて感じた。
2006年07月17日
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10年ほど前、日本発の技術を国際標準にしようということで、日本の各社の課長・主任クラスの人々と任意団体の活動を5年ほど続け、IEEEの規格化を完成させた。(2001年)呉越同舟というか、全員が日ごろの仕事を抱えつつ、業界活動に従事していた。もっともこんなことに現をぬかしていたせいか、5年ほど豪州流刑されていたわけだが、小生の帰国と、久しぶりだという懐かしさから7社16人ほどでオフサイトミーティングを行った。関西メーカーの人たちも含め、本日海外出張から帰国し成田から駆けつけてくれた、当時の主力メンバーが各社で活躍している様を見て、もうひとしきり仕事をしなければいけないだろうなと思った。このような会社の枠を飛び越えた活動に、それぞれ資源を振りまいていけないというのが、いろんな側面から日本バッシングから日本パッシングになってしまう。日本の企業の弱さは、経営の弱さだと思う。
2006年07月12日
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豪州より後任社長以下、昔の部下が6名ほど来日中で会議。何か遠い昔のような気がする。この間の豪州日本のサッカーも、始まる前から豪州が2:0で勝つと思っていたが、それに近い線で終わった。まあどちらが強いのか客観的に見ることができるようになったのかもしれないと思う、ITインダストリーで日本に勝ち抜くためには、生半可なことではできないだろうと思う。注文をもらう立場から、出す立場に変わったので、相手も戸惑っているかもしれない。シドニー湾の景色とおいしくてリーズナブルプライスのレストランだけは、忘れられない。
2006年07月05日
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2006年07月02日
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http://www.sound-c.co.jp/trox/去年ご紹介したトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団の日本公演が6月から7月までやっているそうですので、お金と暇の或る方は御一見ください。抱腹絶倒間違いなし。
2006年06月29日
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村上ファンドのみならず阪神株まで含めて、2億円。女房が1億。もし専業主婦で親からの遺産が0だとしたら、亭主の給与から100万ずつ年間贈与受けていても100年かかるぞ。一般人なら税務署の査察がはいるのではないか。これでもまだ辞めないというのは、日銀総裁の待遇はよっぽど良いのだろう。日本人というのは恥を知る国民だったはずではないか。日銀の内規に反しないなんていう、馬鹿な言い訳はありえない。数字には表されない精神的指針は示されているじゃないか。サッカーに負けるべくして負けた報道の量に比べ、なぜマスコミは徹底的に洗い出さないのか。国辱ものだ、こんなやつが中央銀行の総裁だなんて。こう思う私はただただ僻んでいるだけなのであろうか?
2006年06月28日
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ボーナスも出たことだし日ごろ何かと面倒を見てもらっている上司の秘書・私の秘書・予算管理の3人の美女をレストランに招待した。DINKSの若奥様(私の歳から見れば殆どそうなるが)なので、一人だけ誘うのは昨今の風潮からやばいし、さりとて3人も美女を引き連れていくのを見られてもまずいので、密やかに実行。ほかの美女たち全部にご馳走するほど、給料もらってないから、内緒だよと念を押して。日銀の総裁みたいに年金だけで780万円ももらえれば、みんなまとめて宴会できるのだが、製造会社の給料じゃそうは行かない。もちろん上司の居ない日でありました。日ごろ会社では聞けない給湯室(そんなものは昨今の会社ではないのだが)会話を聞くのもなかなか興がある。男の目線とは明らかに違うものがある。こういう頭も良い、性格の良い方々には早いところ遊びつくして、日本の未来のために、3人で7人くらいの子供を残してねとお願いする。
2006年06月27日
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表題の中公新書 岡田 温司著を読んだ。(ISBN4-12-101781-1)ユダヤ人の貧しい女が聖書中の他のマリアと混同していくのはグレゴリウス教皇の6世紀に始まるとか、15世紀には金髪碧眼色白の美女になる過程がなかなか面白い。明日昔の部下のイタリア人が来日するから、ギリシア人・イタリア人(ローマ人)と金髪碧眼のRatio等々聞いてみようと思う。ルカ書のペテロの代弁するマグダリアのマリアに対する見解は男尊女卑の古代ユダヤ教徒ととキリスト思想を物語り、世界宗教に発展させたローマ人の歴史と重ね合わせるとまたまた好奇心を刺激してくれる。このへんの歴史的事実らしき話が、今流行のダビンチコードを生み出した伏線なのかもしれないと考えるとさらに興は尽きない。フランチェスコ修道会と高級娼婦の関係や、チェーザレボルジアの母なる高級娼婦の存在などは、高校では習わなかったからな。うーん歴史は面白いものだと最近つくづく思う。会社ではそんなこと考えている暇もあるわけないし、製造会社なので日々コーポレートコンプライアンスを守りかつ業容拡大と利益増大のために無い知恵を絞る日々なのでジュリアスシーザーの書いたガリア戦記とか内乱記と現在のヨーロッパ地図を重ね合わせて、プリキリスト教時代のローマを考えるとか、辻邦生の背教者ユリアヌスとか定年退職したらまた読み直そう。
2006年06月15日
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土曜日に突然喉が痛く、熱が出てきて3日間静養。カミサンに看護してもらいどうにか落着。やはりカミサンを大事にしなきゃと改めて考える。
2006年06月06日
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大学卒業研究でお世話になった先生とその後継者の教授の研究室合同同窓会が開かれたので参加。50名くらいの参加者中弊社社員が2名ほどいた。最長老ということで、そりゃ35年前に卒業だからそうなるのだが、乾杯やらトリの挨拶をやった。やはり日本の工学部出身者はまじめだ。教授助教授も5-6名。挨拶には弊社製品よろしく。バブリーな時代に銀行いったり、リクルートへ行ったやつは、いろいろな変転を経ているような挨拶であった。別にその商売を卑下してるわけではありません。工学部で学習したことと結びつきにくいということで他意はありませぬ。不勉強の私には全くわからなかったこの先生の教えようとしていた理論が、25年位前にようやく自分の仕事に使われるようになったことに驚きを感じた。カーナビの音声ガイドは、この研究室の卒業生の(だけではないが)功績なのだそうだ。一寸先もわからぬこのご時勢に40年以上も研究を続けた教授にただただ脱帽。文部官僚の策謀に乗せられた国立大学法人化の余波で、研究者に研究費・給料削減とか民間資金導入に憂き身をやつさせるような国策は、日本の将来に大きな誤りであると感じる。ゆとり教育一期生を迎える大学で、いままでの技術教育を一気に行う苦労も重なる。こんなことやっていると技術立国はおろか、あの豪州にもワールドカップ野球で負けたように、教育成果・経済成長でも負けてしまうことになる恐れを感じる。沢山とられている税金を道路作りに費やすくらいなら、まともであった大学を世界に通じる、教育機関に、一流の研究ができるようにしてくれる政治家が出ないだろうか。きょうはまじめな日記。
2006年06月01日
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本日はシドニー駐在していた2人が、今月で帰任したので都内某所にて宴会を行いました。米国出張が短期で終わったので無事参加できました。遠い日々となりましたね。
2006年04月26日
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19日から22日まで3泊4日(一泊は飛行機の中)米国出張。着いた日は仕事が無いから、恒例のSpaceNeedleというところに出かけた。おのぼりさん気分でした。1963年くらいにできた施設で、関西で戦前(?)はやった文化包丁、文化住宅というのと同様60年代はSpaceというのがキーワードであったことを思い出す。町は小さく、あまり活気は無い。そういう意味では、シドニーのほうがましかな。ホテルもシドニーのほうが高い。食事はシドニーのほうがうまい。この町は80%雨や曇りのようだが、小雨にちょいとあったがまあ雪をかぶった山々も見えるからよしとしよう。帰りの飛行機アラスカ上空で、氷河まで見える好天。スチュワーデスもこんなに良く見えることは珍しいと感動していた。晴れ男のジンクス破れず。
2006年04月23日
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片道切符でいつ帰れるかわからない出張。昨日の会議が順調に終わり懸案持ち帰りということで、帰国できることとなった。行きの飛行機の中で若干ブラッキーだが"機長の語るヒューマンエラーの真実"という本を読みながら飛んできた。これはさまざまな局面で参考になりました。今回の交渉にも。
2006年04月21日
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日本に帰ってから撮った写真はといえば、月初に来た来客と両国東京江戸博物館に行ったときのスナップと、先週先輩の送別会で携帯電話についてるカメラで撮ったのと2回のみ。桜も今週咲きそうだが、どうも意欲がわかない。
2006年03月26日
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日本の勤務は忙しく、片道90分の通勤もきついし、シドニーよりの荷物も随分沢山後任者に上げてきたのだが狭いマンションに全部入りきらないので、この際会社の近所にねぐらを確保することにした。4月より愚息は就職決まり、いよいよ学費も生活費も仕送りしないので、これからは少し助かる。ねぐらの整備もようやく終わり一段落。でもまた単身赴任か。
2006年03月25日
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土曜に離豪、今日朝8時の会議に出社。日本は忙しいので、しばし更新できないかもしれませぬ。そのうち写真をアップしてこのウエブを終了するかもしれません。
2006年01月30日
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昨晩は、後任者の歓迎、私の歓送ということで、ゲストとマネージャーで夕方から4時間ほどシドニー湾をクルーズを計画してくれた。余興はレーザーシューティングとカラオケ。(プライバシー保護のため、ボカシ入れてます。)天候は曇り一時霧雨ということで、絶景とは行かなかったがシューティングの最中は晴れていたし、出航前には明日のオーストラリアンデーの予行演習で歌あり、ファンファーレありのおまけがあったので、まあ良かったということで。
2006年01月25日
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が出まして、今週末に帰国の運びとなりました。先々週の末に来た後任者に引継ぎを、自分のアパートの片付け、フェアウエルパーティで忙しくしてます。今年は色々な方にお越しいただいていますので、一段落したところで最後の写真をアップします。
2006年01月22日
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元日の記録的暑さは、幸いに一日で終わり涼しい日々が続いている。まだ休暇中の人々多く、交通事情もそれほど悪くない。正月らしい行事としては餅を食べたくらいで、日本食レストランは正月休みが多いこともあり、最近行きつけの中華料理屋に行くしかないかと。2日3日と電話するも誰も出ないのでつぶれたかと思いきや、漁師もオージーなのでこの期間中仕事しないからろくな魚が無いので休んでいたとのこと。取って置きの海老があるので、これを食べろということになり、紹興酒に酔っ払った海老を食べることになった。 新年の抱負のかなりの割合が痩せることだそうで、TVコマーシャルもやせ薬とか体操とかが多い。他人事ではないのだが、ひたすら食べまくった正月であった。今日から仕事。
2006年01月05日
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31日のシドニー名物の花火。今年は珍しく橋の近く迄行って、仕掛け花火を見ることにした。BestLocationはすでに人が、アルコールを一杯呑んでいるやつら、が一杯なので近づかないことにして橋の見える辺りに居たせいで打ち上げ花火はよく見えなかった。去年見たからいいやということで。1日は気温45度、夕方になっても40度ととんでもなく暑かった。ベッドルームにある唯一のエアコンをフルにまわしても涼しくならない。窓を開けると熱風が入るだけ。ブッシュファイヤーがあちらこちらで起きていたらしい。今日は打って変わって、最高気温25度といわれている。昨日と20度も違う。涼しいので助かる。夜中に雨も降りブッシュファイヤも沈静化したらしい。
2006年01月02日
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いろいろ片付け仕事。いるかと思って取っておいた各種届出コピー書類、思い切ってシュレッダーにつっこむ。大掃除だよね、日本なら。午後は休暇にしておいたので、いつ帰ってもよいようなものだが、職場巡視一してから帰ろう。
2005年12月30日
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無人の荒野を走るがごとく、15分で会社に着いた。休暇をとる社員が多く、各フロア10人程度しか出社していない。マネージャーが3人程度しかいないというのが、この国らしいところ。
2005年12月29日
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Martin Placeのクリスマスツリー。ホテルはこの隣。お菓子の家アントレとデザートは、カウンターのの向こうに並べてあり、各自好きなものを好きなだけ持ってくる。なくなった分を補充するシェフたち。手前はドリンクを準備するウエイターたち。アントレを2回取りにいった。メインのアンガスビーフのステーキメインのターキーデザートの種類はこの皿の5倍くらいあるのだが、もうおなかが一杯で食べられなかった。
2005年12月26日
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外がやっと静かになった。昨日はやたらに暑く、ひ弱なエアコンを回しても室内が28.5度。夕方から、冷たい南風が吹いてきてようやく窓を開けて室内の熱気が去った。きょうはシティのホテルにクリスマスディナーを予約したついでに、この暑さから逃れるため一泊することとしたので、(カミサンとです。)帰宅後にでも画像をアップする予定。
2005年12月25日
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今年はクリスマスが日曜日なので、月曜が代休となり、BoxingDayが火曜にシフトで4連休。金曜は日本の天皇誕生日なので仕事の連絡は来ないということで、事実上の年末休暇が始まった。この間はスピード違反、シートベルト未着用などの際の罰金と、点数が倍になるので慎重に運転する必要がある。静かになったシティでのんびり過ごす予定。
2005年12月24日
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誰が考えたのか、昼間競馬場でやるという。想像通りパーティにならず、みんなが勝手に馬やっている。付き合い上行かないわけにいかないし。演奏者がどうせそんなうまくないせいもあって、聴いている人はあまりいない。夜は弊社のパーティ。連荘で疲れたが、ストリングエンジェルス(実力はともかく見映えが重要のようだ)とかパーティらしくなった。メインの後は恒例のダンス。30分ほど参加して、あとは若者に任せて帰館。
2005年12月17日
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ここ一月ほど喉と鼻がおかしい状態が続き、熱が出ないからアレルギーかなと軽視していた。昨日胃カメラを飲んだあと、夜間高熱を発しダウン。この国の胃カメラは全身麻酔なので、何をされたかはわからない。救急医に往診してもらい、処方箋をもらう。カミサンの持っていた日本で処方された薬を飲んだら、朝までに直った。処方薬はペニシリンなので、買っては見たものの使わなかった。会議のキャンセル等で来週が忙しい。
2005年12月15日
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You bcan erase on the drafting table, or a sledge a hammer on the contrraction site.工事現場どころではなく、建ててしまったビルディングを壊すことになったことを聞いたら怒るだろうな。役所が届けを受理していたとすると、この人たちは何の価値を以って給料がもらえていたのだろうか。不正を見抜く仕組みを作らないで民営化するととんでもないことになるという例証か。
2005年12月06日
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外は33度くらいと思われる、シティが霞んでいるので湿気も多そうな感じで寒いところから帰ってきた身には少々堪える。日本に行く前からのどが痛かったりしていたのは、熱も出ないからアレルギーかなと思っていたのだが、日本でも痛かったので、どうやら風邪らしい。天気が良いせいで、今朝はラッシュもいつもよりは空いていた。こんなときくらいは早く帰って休もう。
2005年12月05日
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今晩は恵比寿の近くの比内鶏の焼き鳥屋に、Aussie4名、日本人顧客8名で出かけた。9月にAussieだけ出張させたら新橋の焼き鳥屋に行き、刺身を注文した奴が居て、気の利かない店員が何を間違ったか、焼き鳥のレアを持ってきた店があった。そのあと強烈なサルモネラ菌にやられて、仕事に行ったのか入院しに行ったのか判らなかった。今日来た連中にここなら鳥わさくらいを食べられるが、他の安いところで鳥の生を食わないように教えた。
2005年12月02日
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Stephen GouldのEver Since Darwinの翻訳、「ダーウイン以来」という文庫本を読んでいるのだがこれは面白い。Evolutionという言葉で表される進化という言葉をダーウインは使っていなかった、なぜならその言葉の持つProgressの概念と結び付けたくなかったからなのだそうだ。この著者のような人を碩学というのだろうな。これだけ難しい本は英語で読んだら、きっと判らなかっただろうと思うが怖いもの見たさに原著を読みたくなったような気がする。
2005年12月01日
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日本に到着。
2005年11月29日
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夏だというのに、今朝は12度しかない。昨日はサンダーストームでゴルフも流れ、正確にはゴルフ場まで出かけてティーショットしてから、雨がひどくなり雷も鳴ってきたのでギブアップ。今日も朝から雨。おかげで例年のブッシュファイヤーも今のところおきていないし、貯水量もようやく増え始めたようだ。今朝8時から来るはずだったカメラマン、雨のせいにして来たのは9時。そういう口実を言うくらいは、事前に予測できていたが。
2005年11月28日
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こんなところまでカラオケは進出している。昨晩は若い(相対的に、本人曰くいつも27歳)美女3名と、カラオケに出かけた。韓流にはまっている二人は、一生懸命ドラマ主題歌を探し、これもないあれもないと怒りのモード。私ともう一人はひたすら古い歌を適当に。ネット配信のBoxはまだ進出していない。
2005年11月25日
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ちょいとばかり残酷ですけれど、秘書がどこからか拾ってきたものです。
2005年11月16日
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