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もう1月も終わりですね。僕は今日朝から晩まで、色々な打ち合わせのために時間を費やしました。おかげで、クタクタです。人の話を聞いたり、人に説明したりするのは、普通の診療より疲れますね。ドクターコスメが世に出てきて久しいのですが、僕も自分のブランドの化粧品を開発しています。今日は、その新製品の打ち合わせもありました。僕は、美容の仕事を長らくしてから、また、美容室で働いてから、医師になり、美容外科を開業しましたので、化粧品は昔からすごく身近に感じています。ちょうど、ドクターコスメが流行りだした頃に、僕も自分の化粧品を作りましたので、今もなんとか売れています。でも、こんなにもドクターコスメが増えてしまうと、何がいいんだかわからなくなりますよね。そもそも、ドクターコスメに対する正式な定義なんてありませんから、企業の販売戦略で、さもドクターが開発した、もしくはドクターがかかわっている、ように見せかけているブランドも実際あります。でも、なかなかその実態はわかりませんから、コワイですよね。中には、ドクターの名前だけ借りている場合もありますから、ほんと何がなんだかわかりません。ちなみに、僕のブランドは、僕が考え、僕のクリニックで治験しています。たぶん、だから、今もみんなが買ってくれるのだと思います。やはり、名実ともに本物じゃなくてはダメですからね。
2007.01.31
僕は、今でも「理想」と「現実」の狭間を行ったり来たりしているように感じます。それは、僕が医師を夢見た頃と何ら変わらないように思います。世間の人から見れば、今僕は確かに一人前の美容外科医として世間の一員になっています。しかし、あの遠い過去に抱いていた不安定な気持ちは、今でも消えてなくなってくれてはいないのではないかと思うのです。実現したい夢とは、寝て見る夢ではなく、現実の中で見ている夢なのですから、その夢という理想を実現するのも、また現実においてなのです。だから、理想と現実は、そのどちらもがなくてはならないものなのでしょう。少なくとも、僕にはずっとずっとそうでした。そして、これからもそうなのだと思います。おそらく、僕は、美容師時代には、その美容師という現実の中で、美容外科医という理想を夢に描いたのだと思います。今その理想は、実現したように思われますが、今度は、美容外科医という現実の中で、また別の理想が出てくるのです。僕は、常に夢を実現することが、僕の人生においてのひとつの目標だと感じています。しかし、例えば失恋のように、どうにもならない事態に遭遇することだってあります。それが人生というものだとも思うのです。研修医の頃、当直をして病院に泊まっていて、僕は何人もの死を目の当たりにしました。「死」もまた、人生におけるどうにもならない現実なのです。僕はそのことが少しわかったので、大学病院で研修して良かったと今は思っています。そもそも美容外科医は当直に縁がないと言えばないので、選択の仕方によっては、人の死に一番遠い医者になることもできるのです。でも、僕は今、自分のクリニックを開業し、人の死という、どうにもならないことには無縁になったけれども、「死」という現実を忘れたわけではありません。むしろ、だからこそ強く意識することもあります。失恋や死など、様々な現実は、時には理想というものが入り込む余地を奪い取ってしまうくらい衝撃的かも知れません。それに僕は思うのです。いくら理想というものを持ち続けていても、今日のそして明日の現実が大きすぎて、とても太刀打ちできないことだってあるでしょう。だけど僕はさらに思うのです。何かをやりとげる感性は、いつでもだれにでも、心のどこかにあり続けるのだということを。
2007.01.28
これが自毛植毛前です。
2007.01.23
AGAとは、Androgenetic Alopeciaの略です。日本語では、一般に男性型脱毛症と訳されています。昨年から、爆笑問題がこのAGAに関するテレビCMにも出ていたりするので、かなりこの言葉は認知されてきました。同時に「抜け毛・薄毛はお医者さんに相談して下さい」とか「抜け毛・薄毛は病院で治療できます」みたいなフレーズが謳歌するようになりました。確かに間違ってはいないのですが、現場とはちょっとズレがあるような気がします。まあ、それも仕方ないかもしれませんね。なぜなら、突き詰めて考えれば、AGAのCMは、萬有製薬がプロペシアという飲む育毛剤を売るための戦略なのですから。今日の写真は、自毛植毛後です。自毛植毛は、AGA治療のホープです。(プロペシアではこうはいきません)
2007.01.23
知らないことは、それでいいのでしょうか、それとも罪なのでしょうか?今日僕は、久々にマッサージに行ってきました。そこは、日本人の女性が経営しているお店なのですが、スタッフは全員、中国人の若い女性です。僕は、時々このお店にマッサージを受けに行きます。僕がここを気に入っているのは、完全個室なのと女の子の質とマッサージの上手さです。(決して変な店じゃありませんよ)このお店で、僕はいつもアイコちゃんという女の子を指名していますが、今日は休んでいました。どうも、僕がしばらく行かないうちに辞めてしまったようです。彼女は確か2年くらい、この店で働いていたと思います。もともと、中国の田舎から日本に来て、ここで働きながら日本語学校に通っていました。僕がアイコちゃんがお気に入りなのは、日本人の若い女性には薄れてしまった純粋さがあったからです。でも、どうもママ(経営者)の話だと、このマッサージの店を辞めた後、飲み屋さん(たぶんキャバクラみたいなところなんでしょう)に勤めるらしいのです。僕もたまに行くクラブに中国人の女性もいますから、そうしたことなのだろうなと思うのです。でも僕は、少々考えさせられます。もしアイコちゃんが、キャバクラの存在に気が付かなかったら、もしくは、気付いても自分とは縁のない所だとして無視したならば、彼女は、今もマッサージの仕事をしているのでしょうね。たぶん、あいこちゃんの良さは、日本語学校で一生懸命に日本語を勉強し、寝ずにマッサージのアルバイトをしていることにあったのだとしたら、これからキャバクラで働くようになると、その良さは少しずつ失われていくか、マスクされてしまうかするのではないかと思うのです。だから、僕はわからないでいます。無知は、そのこと自体で罪なのかどうかということを。
2007.01.20
さすがに2週間も日本を離れ、仕事もまったくしないでいると、少々感覚がずれてしまいます。僕は、今日ようやく普通の状態に戻れたような感じです。今やまつげパーマは、女性の美容になくてはならないもののひとつと言えます。今日は、昨年末に新しく作った「まつげパーマ液」を試してみました。施術中けっこう目に沁みてしまいましたので、これでは市場に出すことはできませんが、一応まつげはきれいにカールしました。ちなみに、「まつげパーマ液」と言うカテゴリーは正式には存在しません。一般的には、頭髪のパーマ液を代用して使用しています。まつげは目に最も近い毛ですから、そこにパーマをかけるのは、かなり危険なのですが、今のところ、コールドパーマでしか上手くパーマがかかりませんので、こうするしかないようです。実際には、クリニックでまつげパーマをかけることに問題はありませんが、エステサロンや美容室でまつげパーマをかけることに対しては、お国は正式には許可していません。でも、これだけまつげパーマが市民権を得てる以上、それを禁止してしまうことも非現実的ですので、うやむやになっているのでしょう。もちろん、誰も女性を全員敵に回すようなことはしたくないのも事実でしょうから。
2007.01.19
僕は、今日が仕事始めです。これから、また忙しい毎日が始まるわけですが、僕は今のところ、色々やらなければならない仕事がありますので、そんなに苦にならないのです。それに、もっと能率的な生き方をまだ獲得していませんので、とりあえず先に進むしかありません。今や「美容外科」は認知されたのでしょうか。少なくとも僕が医学生の時に美容外科医を志望していた学生を僕は僕以外に知りません。そして、当時のイメージでは美容外科医は悪徳以外のなにものでもなかったように思います。確かに、僕も当時僕が知っている限り群馬県で唯一美容外科を標榜しているクリニックに見学に行ったことがありますが、それは間違っていないような気がしました。そこの美容外科の院長は、僕が知っている多くの大学病院の医師とはかけ離れていました。一言で言えば、胡散臭い、のです。だからと言うんじゃないのでしょうが、僕にとって美容外科医の印象はあまりいいものではありませんでした。ところが、時代も流れ、僕も変わり、僕の美容外科に対する感覚も違ってきました。幸い僕は美容外科医として今生活しています。美容外科が昔より認知されてきたことは確かかもしれません。だから、僕もこうやって堂々と美容外科に関する文章も書ければ、美容外科を標榜し患者さんの診療にあたっているわけなのです。今年はもっと美容外科医として羽ばたけるような年になればいいな、と思っています。
2007.01.16
長い休みもいよいよ終わり、明日僕は日本に帰ります。ここハワイはまだ1月13日ですが、日本は既に1月14日になっています。ほんとうに時間が経つのは早いものです。このまま海岸にうちよせている波のように、ザザッと時間が過ぎて行ってしまうのではないかと思うとちょっと不安です。もう今日から僕は仕事モードになっています。今の心境を正直に言えば、早くまともに仕事がしたい、というような感じです。こうしたバカンスは嫌いじゃないし、年に1回しかないのだから大切にしたいのですが、特に僕の奥さんにとっては、もしかしたら1年に1度だけの楽しみかも知れないのですから、それこそ大切にしなければいけないのですが、僕がまだ仕事に対して完全には自信がないものだから、こうした感覚に陥ってしまうのでしょうね。きっと僕は、すごく貧乏性で、ゆっくり休むことができないのです。でも、そんなことにならないように、海外に来ているのですが、どうしても帰国がすぐ近くまできてしまうと、こうなってしまうのです。それこそ、終わり行くバカンスを惜しむ身分に早くなりたいものです。まあ何を考えようと、明日日本に帰れば、僕の1年がまた始まるのです。今年は、何とかしたいものです。ハワイで黄金の魚も見たことですし。写真は、僕の奥さんのお気に入りのブーツのお店です。アラモアナ・ショッピングセンターの1階にあります。今年は、僕もここでブーツを買いました。
2007.01.14
今日は、ハナウマ湾に行ってきました。ハナウマ湾は、ワイキキから車で30分くらいのところにあります。ちょうどコの字型をした湾で、波も穏やかで遠浅になっていて、水もきれいで魚がたくさんいるので、シュノーケルンをするのには絶好のスポットです。僕は何年か前からここの存在を知り、ハワイに来ると必ず1回は、訪れています。それまでは、どうせくだらない観光スポットの1つだろうと思って見向きもしなかったのですが、今では、このハナウマ湾は、僕のハワイ滞在になくてはならないものになっています。今日は、特に全身黄金の魚を見ましたので、今年は金運がよくなるかも知れません。
2007.01.13
まだ僕はハワイにいます。1年分の休みをまとめて今とっている感じです。一人の医者が開業することのメリットは、色々とあります。しかし、あらかじめ休暇や家族サービスを考えないで、ギリギリで開業してしまうと、僕のようにほとんど休めない状態に陥ってしまいます。ほんと、何事も最初が肝心なのです。僕の場合、あと少しして日本に帰ると、たぶん山のように仕事が待っていて、その勢いで今年1年を働き続けるのだと思います。ただし、今年は少し違うようになる気もするし、違うようにしたいと思ってもいます。どういう風にかは具体的にはわかりませんが、あえて言えば、結果として、もう少し先を見据えた仕事にしたいという感じです。ところで、ワイキキのカラカウア通りには毎晩のように大道芸人などがエンターテイメントをしているのですが、(僕は、その中で実はある絵描きさんが一番気に入っています。一度僕も書いてもらったことがあります。)その中に今年初めて見たマジシャンがいました。今日は、夕食の時にそのマジシャンの芸を見てきました。主にカード(トランプ)を使用するのですが、なかなかたいしたものでした。写真は、そのときのものです。
2007.01.12
東野圭吾さんの小説「手紙」ではありませんが、時々僕たちはとんでもないことに巻き込まれることがあります。そのとんでもないこととは、多種多様です。でも、僕が最も恐れていることは、僕の言葉や施術や手術が患者さんにとって、とんでもないこと、であることです。たぶん、過去に僕は知らないうちに誰かを傷つけてしまったことがあるかも知れません。それが、僕の患者さんだったこともあるだろうと考えると、とても恐くなります。僕の言動が、その患者さんの人生を左右してしまっている可能性だってあるのです。それも悪い方に。僕は、もちろん、そんなとんでもないことをするつもりはなかったはずなのですが、結果として、患者さんにはとんでもないことになってしまったわけです。もちろん、僕もとんでもないことをされてしまったことはあるはずです。しかし、もしぼくにとんでもないことをしたのが、僕の患者さんだった場合は、我慢する以外にありません。(まあ、我慢にも限界というものもありますので、その時は適切に対処するのですが。)当然、僕と患者さんでは立場が違うのですから、同じ土壌でものを考えてはいけないのです。僕は、美容外科医ですし、自分のクリニックを持っている開業医なのですから、患者さんのクレームやワガママには、プロフェッショナルとしての対応をしなければいけないのです。ですから、「とんでもないこと」に対する閾値は、患者さんより高くなくてはいけません。同じ人間なんだから、なんでそこまで我慢しなければならないんだ、なんて考えている医者がいるとしたら、少なくとも開業医には向かないし、まして、自費診療の美容外科医とは言えないので、自分の仕事をもう一度見直した方がいいと思います。僕たち美容外科医は、患者さんにとんでもないことをしないようにしなければいけません。そのためには、まず美容外科医としての技量を高めることです。次に、開業医としての立場を理解することです。そうでなければ、「とんでもないこと」は、美容外科の世界から減らないと思うのです。
2007.01.11
ほんとうは何が一人前なのか難しいのですが、一応ひとり立ちできる技量をもった美容外科医ということにしましょう。それでは、その技量をを身につけるにはどうしたらよいのでしょうか。どんな世界でも一緒ですが、腕を磨くのに、こうでなければならないという決まったやり方があるわけではありません。美容外科の世界も同様なのです。では、僕の場合はどうしたかというと、まず、医学部を卒業し大学病院の形成外科に入局しました。(現在とシステムが違っていましたので、医師になってすぐに形成外科を選択できたのです。)2年目で、他科研修もしましたが、僕の場合は、麻酔科・皮膚科・一般外科・整形外科をローテーションしました。それが終了し、開業するまでは、大学病院とその関連病院の形成外科を行なってきました。僕の所属していた医局では、美容外科をほとんど行なっていませんでしたので、僕は時間を見つけては、他の美容外科のクリニックに見学やアルバイトに行っていました。もちろん、大学病院の勤務には絶対に影響がないように、大学病院の勤務がない日や勤務が終わった後に行っていました。幸い、僕は大学病院の仕事と美容外科の見学とを両立してこなすことができました。そんなことなら、大学病院をさっさと辞めて美容外科クリニックに就職すればいいじゃないかと言われそうですが、確かにそうかも知れません。ただ、辞めるにしてもタイミングが必要なのです。大学病院を首同然で辞めるのと、円満退職では、後々かなりの差がでます。僕は、そうしたことも考え、また自分の年齢も考え、医局を辞める時期を決定しました。たぶん、遅すぎず早すぎずではなかったかと思っています。医局を辞めることは、色々な意味で大変ですが、僕が医者になった目的のひとつに美容外科を開業することがあったのですから、仕方のないことです。もちろん、医局にいた時には、そうした自分だけの目標や目的は、決してむやみに公言しませんでした。それらは、あくまでも僕の目標であって、他の医師の目標でも無ければ何でもないからです。僕は、大学の形成外科にいた時は、常に与えられた仕事と受け持った患者さんに集中するようにしていました。そして、その集中力は今でも僕の財産になっているのです。
2007.01.09
おもしろいことに日本では標榜科目(病院やクリニックの専門の科)には法的な制限がありません。ただし、麻酔科だけは勝手に標榜できないことになっています。ちなみに僕のクリニックの標榜科目は、美容外科と形成外科です。ですから、例えば、僕がクリニックの標榜科目に皮膚科や内科や外科や耳鼻科や眼科などを掲げてもなんら差し支えないのです。とは言っても、実際に診療できない科を入れても意味がないので、そういうことはしないのが普通です。で、このことと無関係ではないのですが、医師免許さえあれば、美容外科医と自分が言えば、その医者は美容外科医なのです。ですから、すごく簡単に言えば、美容外科医になるには、医師免許を取ることが必要です。そして、そのためには、大学の医学部に入学し、卒業することが必要です。次に、医学部を卒業した後ですが、具体的には大きく2つの方法があります。その1つ目は、大学病院の研修を終えてから大学病院の形成外科に入局(医局という教授をトップとする科目ごとの医師の専門集団に所属すること)し、腕を磨くことです。現在、日本では美容外科のある大学病院でも、美容外科としての独立した医局はなく、形成外科の一部に美容外科があります。もちろん、美容外科を標榜していない大学病院もまだあります(むしろ、この方が多いのです)。画期的なことに東大病院にも美容外科があります。ですから、東大病院で研修を受け、東大病院の形成外科に入局し、そこで、美容外科も習得することも可能です。ただし、東大の形成外科に限らず、大学の形成外科では、メインは形成外科ですから、むしろ美容外科はほんの一部に過ぎません。ですから、東大にしろ、他の大学にしろ、大学病院の形成外科に入局し時期を見計らって、独立するのです。独立、つまり開業する場合、医局を辞めてすぐに開業するか、どこかの美容外科で何年か働き、資金とノウハウをためこむかは、その人の考え方と状況によるでしょう。ちなみに僕はこの1つ目のやり方で開業したのですが、大学病院を退職後すぐに開業しました。開業資金はすべて銀行からの借り入れ(つまり借金)です。今もその借りたお金を毎月返済しています。このやり方ですと、少々時間がかかりますが、ちゃんと大学病院での研修を受けていますので、医師としての最低限の技量を身につけてから開業することになります。その2つ目は、大学の形成外科とは無関係な立場から開業することです。極端な場合、医学部を卒業してすぐに美容外科に就職するなどです。医学部を卒業し、医師国家試験に合格すれば医師なのですから、こうした選択も可能です。ただし、まったく基礎的な研修を受けていないとなると、ペーパードライバーみたいな感じで、そのままでは実践では何の役にも立ちません。就職した病院やクリニックで基礎を教えてくれるとも思えないので、やはり少なくともどこかの大学病院かちゃんとした病院で研修をしてから、美容外科の門をたたいた方が僕は良いように思います。そんなにあせらなくても開業すればいやでも長々と働けるのですから。おもしろいことに、美容外科医の中には、もと婦人科や眼科や小児科といったドクターも結構います。中には精神科あがりの美容外科医もいるくらいです。日本では、専門科目は比較的自由だし、美容外科自体が大学病院の独立した医局として、まだ存在していないのですから、王道がないようなものです。ですから、自分なりの選択で美容外科医になれるものなのです。
2007.01.08
今日は、エステサロンにマッサージを受けに行ってきました。僕が行ったのは、WAIKIKI GATEWAY HOTELの4FにあるBLOOMというサロンですが、ロミロミとストーンマッサージを融合したような感じで、とても斬新的でした。なんでも、Gray Surta Culverという人が考案した方法で、施術にもその人の名前であるスータという名称がつけられたりしています。それはそうと、結構効きました。僕はもともと(野球で痛めて)腰が悪いのですが、このマッサージを受けた後は、すっきりした感じです。日本人向けにスクールも開校しているようですので、ハワイに来たついでに受講して、本格的なマッサージ・シャンになるのも悪くないかも知れませんね。ちなみに、ここのホームページアドレスは、www.nailbloom.comです。興味と時間のある方は見てみて下さい。写真は、サロンのあるホテルの入り口です。
2007.01.07
ワイキキは、日本人サマさまみたいです。だから、ここで働いている人のほとんどは、日本人にヤサシイのです。そうした良い循環が日本人の中にもハワイの人たちにも自然と出来上がり、お互いのためになるハワイが存在するのです。僕も1年に1度しか来ませんが、だんだん過ごし易くなってきています。そう、そうした好循環に慣れてきたのです。海外旅行ですから、色々なことが想定されます。しかし、英語と日本語で、ほとんど意思表示できる環境では、明らかに想定外のことは起こりずらいものです。それでも、初めての土地では気をつけるに越したことはありません。ところで、僕はどういうわけか、今年の年明けからいやに落ち着いているのです。それはあたかも大学病院の医局時代に経験した、大きな手術に臨む前の心境の変化に似ています。一般の人はおかしいと思うかもしれませんが、どんな医師でも手術の前は緊張するものなのです。まして、それが大手術ともなれば、もしかしたら手術を受ける患者さん以上に緊張していることだってありうるのです。しかし、その緊張が大きければ大きいほど、手術の直前は落ち着いた心境になります。それは、言い換えれば諦めに近い心境なのですが、これも一般の人に誤解を与えるといけませんので、ちゃんと説明しますが、その諦めとは決して投げやりなものではなく、既に全てを想定し、もはやシュミレーションすることもなくなった状態に達した時に起こる心境です。同じような心境は、スポーツの世界でもあります。ある試合を想定し、自分のできる限りの練習をした後に訪れる感情は、緊張を超えるとまさに諦めです。それは、また潔さでもあるかも知れません。で、僕の今年は、どういうわけか諦めというか潔さをもって始まったのです。手術が成功し、その患者さんにとって最良の術後をもたらすかどうか、また練習の成果が十分に発揮され、そのスポーツ選手が勝利を勝ち取るかどうか、そうした結果は、神のみぞ知ることなのです。しかし、僕の日常からすると、今年が特に特別ではないし、今年に至るまでの経緯の中で、特に大きな事柄があったわけではないのだけれど、ある意味僕は感性を信じて生きてきたのだから、新年のこの感性にも逆らいようがないのです。もちろん、僕は占い師ではないので、僕の運命を知ることもできないので、あくまでも今落ち着いた心境にあるのは、時の自然な摂理と信じる以外ないと思うのです。ただ、その落ち着きが単なる錯覚でないことを願うばかりです。そして、僕がこの落ち着いた心境にあるのは、精一杯考え行動したからだと信じたいのです。
2007.01.06
今日のタイトルの「手紙」は、作家の東野圭吾さんの小説のタイトルです。昨年の11月に映画化もされた作品です。映画化されたのですから、すばらしい小説と言えるのかもしれませんが、もしかしたら、映画化されたから、よりたくさんの人が読むようになったとも言えます。もちろん、僕は東野圭吾さんのフアンのひとりですから、映画化されようがされまいが、この作品は読むことになるのですが。それで、ハワイに来る前から読み始めて、ちょうど昨日読み終わったところなのです。読んでいる時からある種の衝撃があったのですが、さすがに全部読み終わった後の衝撃は、余りにも大き過ぎて、眠ることもできずにちょっと困りました。今もその衝撃はまだ完全には消えずに、僕の体のどこかに残ってしまっています。たぶん、主人公である弟の直貴のどこかに兄の衝撃が残り続けるのと同じように、僕の中にも残っているような感じです。ところで、小説が先か、テレビが先か、と同じことが、この主人公にも言えるのです。つまり、兄の罪が先か、自分の不幸が先か、です。小説では、あたかも兄が罪を犯したので、いつも自分が不幸になっているように捉えられがちですが、僕は、そこに少し割り切れないものを感じます。もしかしたら、弟が不幸でなかったら、兄は殺人も犯さなかったのではないかという疑問です。つまり、弟が普通にすんなり大学にいけるほど幸福だったならば、兄も弟の学費を盗もうとは思わなかったと言えるということです。では、弟と兄はどちらがほんとうは不幸だったのでしょうか。それとも人みな不幸なものなのでしょうか。たぶん、そんなことが僕に衝撃を与えたのだと思います。そして、小説は現実ではないけれど、現実以上に僕をおとなしくさせてしまったのです。たぶんそれは、東野圭吾さんの文章力や話の進め方や登場人物の選択にもあると理解できるのですが、やはり、今は衝撃と言わざるを得ません。
2007.01.05
今日、ここハワイは1月3日です。今日から、別のホテル(コンドミニアム)に移りました。少々滞在が長いせいもあり、僕の奥さんは、電子ピアノを持ってきています。それで、ピアノのレッスンを気兼ねなくできるように、このコンドミニアムにしました。実際には、3家族計6人が泊まれるような広いスペースに2人だけで滞在します。ちょっと贅沢ですが、これも年に1回のことですから、いいことにします。それに、ここのコンドミニアムは初めて利用するので、どんな感じか来てみないとわからないので、日本で広めの部屋を予約しておいたのですが、本当に広かったようです。ここに今から11泊しますので、そのうち慣れるでしょう。ここには、プライベートビーチはないのですが、窓からビーチが良く見えます。むしろ、昨日までいたホテルより、その眺めは良いほどです。それと、自分で(と言っても僕の奥さんがするのですが)料理ができるように、ほとんどのものが揃っているのが魅力です。ハワイは、食べ物にも不自由しないのですが、さすがに白いおいしいご飯が食べたくなります。ですから、今回は、わざわざ日本からお米を持ってきました。ハワイで白い暖かいおいしい(ココが大事)ご飯が食べられるなんて、ほんとうれしい限りです。ここは、WAIKIKI BEACH TOWERという、日本人にも人気が高いコンドミニアムです。僕の部屋は5階ですが、そのバルコニーから撮った写真です。夕方で夕日がきれいです。
2007.01.04
2007年1月1日ハワイにて(写真は、Royal Hawaiian Hotel から撮ったワイキキ)今僕はワイキキのホテルにいます。つい数時間前にハワイに到着したばかりです。毎年お正月をここハワイで過ごすことは、僕にとって、また僕の奥さんにとって、恒例になりました。今回は、日本を元旦の20時ころに出発し、ハワイには朝早く着きました。ホテルのチェックインまでの時間をハワイ特有のロミロミマッサージを受けたりしていました。実はこれもハワイ到着後の恒例みたいになっていて、フライトの疲れをマッサージで癒そうとしているのですが、だいたいすぐに眠ってしまって、ほんとうに癒されているかどうかはわかりません。日本がハワイより19時間早いので、たぶん日本は今は1月2日の11時30分頃です。(僕は数字がとても苦手なので、タブンです)考えてみると、去年朝から晩まで一日中休んだのは、ハワイでのバカンスを除くと、おそらく2日か3日だったのではないかと思います。だから、たぶん日本では、ほとんど休まなかったということでしょう。確かに、これでは、僕だけでなく、僕の奥さんにもストレスが溜まるような気がします。その罪滅ぼしというわけではないのですが、今ここハワイに来ているのです。実のところ、最近は休まないで働くことが、以前より少しつらくなってきています。それは、主に体力的な面よりも精神的な面のような気がします。思えば、医学部に合格した時には、これで自分の夢はもう完全に実現したかのように感じました。また、医師として大学病院の有名な医局に入局した時には、明るく確実な未来が開けると信じて疑いませんでした。そして、自分のクリニックを開業した時には、誰もが羨むほどの富と名声が手に入ると錯覚していました。そう、確かにそれは錯覚に過ぎません。今僕はようやく、僕の奥さんを年に1回だけハワイに連れて来れる力を持ったに過ぎません。僕が美容師だった24歳の時に、医学部に合格した時に、描いていた自分の未来とは、かなりズレていると言えるかも知れません。たぶん、だからこそ、少々つらくなってきているのだと思います。いつか現実を受け入れなければならないこともあります。それが、どんなに崇高な理想や夢だったとしてもです。ぼくは、想います。理想と現実は、常に若者の心の奥深くに息づいていて、時々若者を勇気づけ前進させたり、あるいはまた悩ませ無気力にさせたりするものなのです。そして、ついには若い人たちの夢を粉々に砕いて跡形もなくしてしまうことだってあるのです。夢を失った時に、現実が残ってくれる、もしくは見えてくれるのならば、それもいたしかたない事かも知れませんが、無力感しか残らない場合は、ちょっと困りものです。でも、人間には色々な感性がありますから、無力も時には必要な場合だってあります。いつも元気はつらつの人ばかりが肯定されるのではないのです。時には、暗い人だって必要なのです。別に僕は今暗いわけではありません。たぶん、現実とうまく向き合おうとしているだけなのかも知れません。だから、おそらく今年は、また違う僕を発見し育てなければならないのかも知れません。
2007.01.02
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