日々始まり

日々始まり

2014年12月18日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
コノハナサクヤ姫

【怒濤の年末進行の12月、漸くピークが過ぎました。集中力も途切れ途切れになる程の一週間でした。
今月は、まだまだイベントが残っていますが、何とか切り抜けたいと思います。
その忙しさの「状態」というエネルギーが、現実化しているのを感じていました。自身に流れて来るのですね。
激流の波がのしかかってくるような感じ、久しぶりですね。感情も押さえが効かなくような状態もありましたが、
おかげで、自分自身、新しい「変化」を学びました。

学んだとたん、忙しさも質を変え、前回の問答にあった「見た目、少ししか変化がないとしても、
意味が変われば大きく変わっている」ということが、体感できたような気がします。
強くもなく賢くもない者が生き残っていくには、変化しかないということは、何度も聞くことですが、
「変化」という概念は本質であり、固有状態として加工されない概念だと、改めて分かりました。

今回は「忙しいという状態」のエネルギーが自分を通し、仕事の成果という形になりましたが、
人というのは、「状態」をインプットして「状態」をアウトプットできる存在であり、
その状態が「本質」であれば、「本質」を体感できる、そのような機能を持つ存在となります。
意識、魂が「本質」を持たなければ体感することもできないでしょうけれど、そこに至るまでが厳しく、
またその先も別の「本質」に出会うまで、生き続けていくのでしょう、そう感じました。】


ほほほ、無論、「本質」は一つ限りのことではない、故に、「本質」を探し求めていくそのことが、人の「本質」とも言えよう。
「本質」に出会った時、人の心は安寧じゃ。「本質」で無ければ、胸が騒ぐであろう、それを無意識に感じるのが人よの。
その感じる心こそ、人の原点とも言える「本質」なのじゃ。

何も体感、体験だけが、手段でもないであろう、知り得ぬことは、足掻きようもない、その機会すら気づかぬということじゃ。
感じる心が違うのであれば、「本質」も素通りしてしまうものじゃ。感じるか否か、その違いは天と地ほどの違いじゃ。
どのような魂を纏うのか、表の心は、服と同じじゃ。服が汚れていれば、その者の生活、性格も想像するであろう。
どのような人物なのかとな。小綺麗であれば、心も清々しいと感じるものじゃ。
表は、隠れているものがにじみ出ているものじゃ。

【人は見かけではなかなか判断することは難しいですね、小綺麗でも心が汚い人もたくさんいますよね。
 体感は、魂に直接働きかけるものだとも思います。知識だけではなかなか気づくこともできないですね。】

それだけの力を持った言霊に出会うことも少ないというだけのこと、体験とて同様であろう。
人の生き様、どれだけの「本質」に出会ったか、それで語られることも少なくないよの。
人の深みとは、そこから生まれ、出て行くもの、故に、深みのある者は「本質」に反応し、
言霊、思考、動き、「本質」が表に現れてくるものとなる。

そなたも、今回のような機会そうそうないと思うことじゃ。
機会とは、幾つもの出会いが重なり、現れてくるもの、望んでも、出会うとは限らぬ。
いつでも、気づけるよう、己を磨いておくことじゃ。素通りさせぬことじゃ。


【ありがとうございます】





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014年12月18日 23時02分19秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Comments

コメントに書き込みはありません。

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: