日々始まり

日々始まり

2017年01月14日
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雪ですね。北国の方達にとって冬に雪は当たり前かもしれませんが、
私の住む地方ではあまりありません。
当たり前とは言え、雪下ろしや交通など、大変かと思います。
私など転ばないように歩くだけで大変ですが、
慣れている方達もそうでない方達もどうぞお気をつけて。



コノハナサクヤ姫

【宜しくお願います。人には現実を創造する力が備わっていると思いますが、力の強弱というのはあるようで、うまく現実が回っていかない人も、またそのタイミングもあるようです。想念が空間に作用する時に波に乗ると言いますか、空間の持つ検閲機能をくぐり抜けないと現実化は無理のような気もします。皆のためになる貢献などは検閲は素通りできるようなことかもしれません。集合意識がある限り、その場の中で現実は動いていきますが、人の資質によって強く検閲される人と弱い、軽い人がいるようにも思えます。つまり現実を作っているのは一部の人たちであり、その他の人たちは利用しているだけで現実を創造しているわけではないのかもしれません。】

ほほほ、朝昼晩の雰囲気というもの、季節、天候の雰囲気というもの、
皆、現実として感覚を得ることができるであろう。
想像すれば、雰囲気を感覚として再現できるのじゃ。

事実、日の光を想像すれば、その温もりの中に居るような感覚となるであろう。
心も身体も、区別はつけられぬ、雰囲気の同化は現実との同化ということよの。
言うなれば、そなたたちの現実とは、真実という思い込みによりあると言えような。

体感とは、心がある故にあること、心と体は繋がっておるというであろう。
が、同化はそれ以上じゃ。心が現実として創造し続ける故、身体があるということよの。
心がもう身体はいらぬと思えば、身体という現実は薄くなり消えていくであろう。
同時に現実がいらぬということ、心も消えていくとなるのじゃ。

身体と心が消えた後に残るもの、それが魂、真我というものよの。
現実の空間に住むのは心と体、魂、真我はそこには住まぬとなる。
夢の空間に住むのが魂じゃ、真我は更に奥にある空間に住む。
が、真我からは全て重なり、同じ空間に住むと見えるのじゃ。
真我からは空間に遮るものなく透明な水の底を見るようなものよの。

真我が住む場所からは、現実が現れる様が手に取るように見えるものじゃ。
心の動き、魂の動き、何故そう動くのか、全てお見通しじゃ。
心が身体はもういらぬと申したが、真我がそれで良いと魂、心に伝える故に、
心が現実を作らぬように動き始めるということよの。

真我とは人の真実そのものじゃ。
心と体という命さえ、守り切ることができるよう真我は見守り、
魂という命の動力を動かし続けるのじゃ。

現実の空間に住むこと、優先順位はあろうな。
先に住んだもの勝ちというわけでは無論ないが、似たようななものじゃ。
現実と同化し続けてきた者は、存在そのものが現実の空間じゃ。
己の空間に見知らぬ他者は入れたくないであろう、同じことよの。
その者にとって空間が真我に近い、真実の空間じゃ。
同化しておらぬ者は、動力があったとしても動かし切れぬ。
弾かれてしまうのがおちじゃ。

同化すれば空間からは区別はつかぬ、優先順位も消えるのじゃ。
経験も思考も繋がりを太くする過程よの。
同化は繋がりではない、その位置に並ぶということじゃ。

人として心が真我と並べば命と同化し、現実は命となろう。
ほんのわずかでも見えぬ場所があれば、真我の目とは呼べぬ。
人は命を創造できぬのじゃ。

どのように現実に並ぶのか、心は知らぬとも魂は知るであろう。
雰囲気を感じておる感覚を麻痺させぬことよの。
心と魂を離してしまえば、真我からの声も聞こえぬようになる。
真我は一つの出来事として扱うだけのこと、ただ見守るとはそういうことじゃ。
微細で濃厚な雰囲気を感じることよの。得意であろう?

【ありがとうございます】






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Last updated  2017年01月15日 00時04分11秒


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