日々始まり

日々始まり

2018年06月19日
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梅雨も本格的に突入ですね。
蒸し暑いです。。。


コノハナサクヤ姫


【宜しくお願いします。人の魂は、幾つもの魂の切片の集合になっているとも言われますね。魂のカルマは遺伝子に特徴が顕れ、遺伝子の鏡として経験となる。切片は多くの人が共有しており、一つの切片のカルマが解消されれば、他の人のカルマも解消される。切片同士ネットのように繋がっていれば、それも可能でしょう。ですが、遺伝子に起因するのであれば、切片を共有する人の遺伝子も同時に変わっていくとなりますが、それは聞きませんね。そう考えるとカルマは本当はないのかもしれません。】


ほほほ、遺伝子を共にすると言えば、民族、家族であろう。
家族は共に過ごし、思い出も一緒に残していくものよの。


思い出の品々、写真、そのどれもが、思い出す道具じゃ。
品々を眺める時、目の前に思い出が膨らんでいくことであろう。


忘れておる遠い経験も、品々、場所、匂いなどの印により蘇るよの。
長く過ごせば、それだけ印が増えていく。
傷ついた心というが、傷ばかりが印ではない。


印を手がかりに己とは何か、どのような存在であるのか知る。
鏡のようなものよの。その者の代名詞じゃ。


そなたたちは、前世、今世と気にするが、カルマなど普段考えぬであろう。
良くない出来事があれば、カルマの所為などという。
身に降りかかったことを、他人の所為にする、その心がカルマなどと言うのじゃ。


カルマは前世の宿題と申すが、前世の事柄など前世に任せておけばよい。
期日を越えた宿題は受け取れぬな。


次から次に宿題は現れ、残していくほど、学び直す機会は減るのじゃ。
学び直す機会を得るため、転生するわけではないよの。


カルマの種を消し、機会を増やそうとしても、そのような相談には誰も乗らぬ。
魂に時間などない、引き継がれるカルマなどないのじゃ。


故に、何事も今世限りの経験というのじゃ。
刹那というもの、瞬時のことよの、魂にとっては今世とて刹那じゃ。
時間の切片と申してもよい、が、量などで計れるものではない。


切片がぽつぽつとあるのであれば、一粒づつに目を凝らすであろうが、
たくさん集まれば、全体はくっきり見えても、粒は見えぬな。その違いじゃ。


前世、今世、来世の経験が魂に集まれば、印も増えるであろう。
前世、来世が見える者は、魂にある印を通して景色を見る。


見ようと思えば、誰でも見えるものでもあるな。
それには過去のカルマなどと言わぬことじゃ。カルマは品々、粒そのものじゃ。


【ありがとうございます。】








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Last updated  2018年06月19日 10時14分50秒


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