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2005年03月19日
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 そもそも関所というのは異変や人の出入りを監視したりし、外敵から守るために作られたもので、通行税を徴収するために作られたわけではありません。義経と弁慶で有名な安宅の関などがそのよい例ですよね。
 信長も通行税だけを廃し、従来通り関所を残しておけばよかったのですが、慢心というか、いつの間にか驕りができてしまっていたのでしょう。関所すらも撤廃してしまった。
 悲劇は本能寺で起きました。秀吉が備中高梁で苦戦を強いられていた時、明智光秀は丹波へ向かいます。途中、「敵は本能寺にあり!」と明智光秀は踵を返し、一気に信長の寝首を掻きました。
 もし関所があれば、早馬の知らせで信長は易々生き延び、天下統一はもっと早く成し遂げられていたはず。そうなるとおそらくは鎖国もなく、日本の近代化はもっと早く訪れていたはずです。
 すべてを見据えた家康は関所を大事にします。関所での往来は厳しく監視、大川には橋を架けない(大井川などがそうです)、大阪の大和川に架かる橋など文献によると橋の全長200メートル、橋には欄干なし、橋の幅は80センチ、高さは80メートルという凄さです。曲芸師でもない限り、まずは目が回りますし、馬など渡ることすらできませんでした。

 テレビなどでは戦国武将というのはとにかく好戦的で(ボブサップみたい)隙あらば攻め込むとの印象が強いですが、それは全くの誤解、認識不足です。
 そもそも信長以前は農民=土豪や足軽でしたから農繁期には戦さそのものができず(誰も招集に応じない)、大きな戦さは専ら農閑期に限られていました。代表的なのが武田信玄と上杉謙信の時代です。これではいつまで経っても天下統一などできっこない(平和な社会が来ない)と信長は考えた。
 こうして信長は常備軍を編成するわけなんですが、集まってくるのは浮浪者まがいの変なのばかり。要は三度の食事と寝るところと金が欲しい輩ばかり。中村の貧乏百姓のせがれだった秀吉などもおそらくは動機は同様だったはず。 こういう連中相手に戦さに負ければ所領を奪われ、一族郎党飢え死にしてしまうとの危機感を持つ他国の正規軍が負けるはずがありませんでした。
 信長と家康連合軍が三方原で甲斐の武田軍と闘いましたが、数で優るはずの信長軍があまりにも弱すぎ、そのために一命を危うくした家康が激怒したという話は有名です。鬼退治の絵本じゃあるまいし、お金欲しさ、おにぎり欲しさの兵隊集団ですよ、殺されたら元も子もないから、すたこらさったと逃げますよね。
 そこで信長はいろんな戦術を考えます。戦場での盾を考えたのも信長ですし、三間間中(4.5メートル程度)という超特長の槍をこしらえたりしました。秀吉に命じて作らせた墨俣の一夜城(真偽はかなり疑わしいですが)なども逃げないで留まることを意図したものでした。
 三好勢との大阪海戦では船に鉄板を貼り付けました(鉄鋼船)
 鉄砲を真っ先に導入したのも信長ですが、こうした理由があったのです。鉄砲なら接近戦でなくても良いですからね。あっ、鉄砲と言えばこれもまた余談があります。
 信長の鉄砲隊が初めて戦場に姿を見せたのは長篠合戦。相手は竹田勝頼でした。風林火山の騎馬軍団です。当時の鉄砲はまだまだ粗悪な鉄砲です。狙い通りに弾が当たるか、鉄砲の精度も悪いなら腕はもっと悪い。おそらくは狙ったところに当たったのは皆無に近いはず。
 でも鉄砲というのは音が出る。馬というのは臆病な動物で、爆発音にひるんでしまい、馬上の旗手を振り落とし一目散に逃げたそうです。もうこの後はわかりますよね。
 で、常備軍の良さはいつでもどこでも年中、軍を組織、自由に動かせることです。美濃の斎藤道三を攻め立てた時、信長はこれを使いました。
 農繁期の忙しい時を狙って進軍を開始します。敵が武装して立ち向かってきたら、もちろん逃げます。何度かこれを繰り返す。最初の数回は敵も武装をし応戦準備しますが、逃げるのがわかってくるから本気になれない、ならない。
 やがて斉藤側の武士の間には厭戦感が広まってきた。元々戦争など誰も好む者は誰一人としていません。家が大事で家を守るために武装をしているだけのことなのですから。
「もうええ加減してくれや、頼むわ。信長が自分たちの所領を保障安堵さえしてくれるなら、斉藤にみぎりをつけ、信長に寝返っても良いんやで」ということになった。
 戦さというのは士気が一番大事です。士気を失いはじめた斉藤軍、まむしの道三と畏れられた美濃の斉藤家はこうして信長の軍門に下ることになります。





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最終更新日  2005年03月19日 09時07分06秒
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