よしのかいこ やながわせいがん
芳野懐古
梁川星巌
こんらい こおう こと ぼうぼう せきば こえ な ほうど あ
今来 古往 事 茫々。 石馬 声 無く 抔土 荒る。
春は桜花に入って満山 白し。南朝 の 天子 御魂 香 し。
詩文説明
ここ吉野山の塔尾の陵に来てみれば、昔から今に至るまでのことは、ただ漠然としてまるで夢のようである。陵の前の石馬は声もなく、何も語ろうとしない。この辺りはひっそりとして荒れ放題でまことにおいたわしき限りである。今は春、桜花の季節になって山全体に咲き乱れてる花は真白で真に美しい。花だけが、
静に眠り給う後醍醐天皇の御霊を御慰めしているかのようで、御霊もさぞかしご満足されていることであろう。

詩文では梁川星巌が吉野を訪れた時は、荒れ放題の吉野塔尾陵とありますので右の今回写してきた塔尾陵を基に荒れ果てた陵を想定して石馬も配置してみたのですが、荒れ果てた姿は作ってもこんな立派な陵ではなかったと思います。
昔のことでコンクリートの石段、鉄製の門構えが有る筈もなく、墓石の周りは草木に覆われていたことでしょう。石馬は昔はあったのかどうか知りませんが
見当りませんでした。昔あったのなら取り除くことはないように思います。中国では墓陵に石馬を立てる風習があったらしく、楊貴妃墓前にあります。北京のい和園には伝説の麒麟の石像がありました。他に銅製の獅子などあり日本ではお墓には石馬(狛犬)などは見かけないように思われます。
日本ではお墓でなく、神社ではどこでも狛犬を見かけます。先日下関の高杉晋作の像がある日和山や厳島神社(山口県下関)にも立派な獅子の狛犬さんを見かけ撮影して来ました。

掛け軸は如意輪寺像 俗に芳野三絶」
とあります。 右は梁川星巖画像
芳野懐古という同じ吉野を詠った題名の詩が沢山あり、その中で特に素晴らしいと思われる作者「梁川星巌」「藤井竹外」「河野鉄兜」の詩の事を三絶と云って如意輪寺に展示されてありますが、日本漢詩には、梁川星巌を省いて「頼杏坪」を加え、芳野三絶に加えてあります。芳野4絶といっても良い位、甲乙付け難いものと思われます。

芳野山は、ほぼ山全体が桜に覆われています。桜名所も下千本・中千本・上千本などが有り、右は今峯寺横の通り道でこの辺りを下千本といってるようです。

作者 梁川星巌
寛政元年(1789)~安政5年(1858)
美濃(岐阜)安八郡曽根村に生る。名は孟緯。字は伯兎・公図。号は星巌、天谷。15歳で江戸に出て古賀精里、山本北山に師事する。後、妻紅蘭(詩人)を
連れ共に各地を漫遊20年。天保5年(1834)に玉池吟社を作り名声四方に聞こゆる。門人に菅茶山、広瀬淡窓、大沼枕山、小野湖山、森春涛等多くの逸材を出す。文の山陽、詩の星巌と唱われ、山陽も詩について教えを乞うたという。
常に尊王愛国の志篤く漢詩を以て時弊を諷し、王政復古の基をなしたという。
尊王倒幕に狂奔した為、幕吏に捕えられんとしたが、幕吏が来る3日前に急死
したそうです。妻紅蘭は捕えられたが、直ぐに釈放されたようです。世人は「星巌は詩に上手、死に上手」と評したという。
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