だいなんこう こうのてんらい
大楠公
河野天籟
あかさかのしろ ちはや たむろ よううん ばくばく てん ま いた
赤坂之 城 千窟の屯。 妖雲 漠々 天を捲いて臻る。
ゆめ あら かさぎさんとう あかつき はな ち か かお よしの はる
夢は新 たなり笠置山頭 の 暁。 花は散り香は薫る 芳野の春。
なみだ の こ わか さくらい えき わら し つ みなとがわ しん
涙 を呑んで児に別る 櫻井の駅。 笑って死に就く 湊川 の津。
なんぷう きそ ち まみ いえど いせき とこ つと ちゅうれつ かみ
南風 競わず地に塗ると雖 も。 偉績 長しなえに伝う 忠烈の 神。
詩文説明
南北朝時代、南朝の忠臣。楠木正成の居城、赤坂・千早の城に天を蔽うほどの大軍が押し寄せ妖雲暗澹となる。正成は神策奇謀な戦法で北条百万の大軍を散々こらしめた。思えば御醍醐天皇が笠置山頭の明け方、正成の夢を見たのが発端であった。
晩春の吉野山中の花は散ってゆくが香りは(正成の偉績)いつまでも残っている。櫻井の駅で七生報国を子(正行)にさとし、涙を呑んで児に別れ、後醍醐天皇の為に勝算なくも、笑って湊川の決戦場に就いた楠木正成は、南朝の武運及ばず兵庫の湊川の戦いで、終に力つき亡くなるも、その偉大なる功績は、忠烈の神として末長く伝わるであろう。
笠置山の戦い 赤坂城の合戦図 千早城の合戦
左より、下赤坂城址 (以外と狭い広場。) 赤坂城古戦場跡右の広角図。 この千早城登り口の近くにロープウエイの千早駅が有り、6分ほどで金剛山駅に着きます。
左より、後醍醐天皇の夢の図。 楠木正成像。神戸湊川神社。櫻井の別れの楠木父子像( 奈良県吉野如意輪寺)
後醍醐天皇の夢
笠置山での或る日、夢の中で、庭先の南側の木が茂っていてその下に高官が並んでいる。突然童子が現れ「日本国中、束の間も御身をお隠しなさる場所が度ざいません。あの木の葉が茂った陰の南に天皇の玉座がございます」といった処で目が覚めた。主上に尋ねると「木に南と書くと『楠』という字になる、楠という字にゆかりのある人を召して国を治めよと云う事に違いないと解き、楠木正成の登場となった。
作者 河野天籟
熊本県玉石郡長洲町の人。名は通雄。天籟は号。文久2年生れ(1862~1941)昭和16年5月没す。熊本師範学校を卒業後小学校校長を歴任、作詩に志し40年、詩賦自由自在にして、漢詩百余編を収録した孟浪余滴の冊子を著す。