ふね やしま す まさおかしき
舟八島を過ぐ
正岡子規
ばんり ふ きた はろう かぜ おうじ ついし すで くう な
万里 吹き来る波浪の風。 往事を追思すれば已に空と成る。
せいざんいったい ひと み ただ たんのう えんむ こ あ
青山一帯 人 見えず、 唯 淡濃 烟霧の籠むる有り
詩文説明
屋島を望みながら瀬戸内海を舟で通り過ぎようとすると、この辺りは風が強く、波がしらが怒濤の如く打ち寄せてきて、かっての源平合戦の激しさが想像されるのだが、ふと我に返れば、戦いの後などは何処にも見当たらず、青々とした山並みの屋島の辺りは人影も見えず、ただ靄が濃くあるいは薄く立ち籠めるている。

1 、正岡子規は舟旅で瀬戸内海を通りかかった。(瀬戸内海 屋島)
2、八島の近くを通り過ぎようとすると昔の源平の屋島の合戦が思い出されてきた。
(屋島の合戦図)

-屋島の合戦図ー
1、那須与一(扇を射る)。 2、
徳島から屋島へ進む源義経。
3、佐藤継信 義経の身代わりとなって戦死した。
1.正岡子規横顔と 2、結核を患っていた正岡子規画像。
3,昭和も終わる頃四国を旅した時の、子規堂の入場券 (当時50円でしたが現
在は如何程?
4 、正岡子規17歳頃の当時、入ってきたベースボールに夢中になり、自分の幼少名の「のぼる」をアレンジして「野球」と命名したベースボール。
作者 正岡子規(1867~1902)
日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。