ちゅうしょおう きゅうきょ なんぐうたいしゅう
中書王の 旧居
南宮 大湫
まんざんしゅう あつ はくうんう すうじん はる のぞ けいすい なが
万山 秀 を鍾めて白雲 浮かぶ 数仞 遥かに臨む桂水の流れ
し ちゅうしょおう さ のち なにびと ち せいゆう りょう
識らず 中書 王 去りて後 何人かこの地に 清幽を 領 す
詩文説明
美しい峰々が連なり空には白雲が浮かんでいる。きり立った高い崖の下に桂川の流れが望まれる。中書王が亡くなって後、この地で世間の煩わしさから離れ、静かな暮らしを欲しいままにした人が他に一人でもいただろうか。
1、美しい峰々が連なり空には白雲が浮かんでいる(嵐山の度月橋…
2、崖の下を流れる保津川(川下りをしたかったのですが時間がなく残念)
1、2 、嵯峨野の竹林(静寂な処で薄暗い) 3、画に見る昔の度月橋(葛飾北斎画)
●中書王の山荘=小倉山荘、大堰川のほとり常寂光寺の辺りにあり、雄蔵殿と称されたとあります。しかし現在山荘があるのか、碑があるのか時間がなく、解りませんでした。
( 中務卿が唐名で中書王にあたる為、後に具平親王が中務卿となり兼明親王を前中書王と呼ぶ)
● 中書王 =兼明親王 ( 平安中期 ) 。天延3 (975) 年小倉山荘「雄蔵殿」に住む。
醍醐天皇の第 16 皇子として延喜 14(914) 年に生まれる。 7 才で源氏の姓を賜って臣下に下り、播磨權守、参議、權中納言と昇進し、天禄 2 年 (971) 左大臣に至るも当時の朝廷では藤原氏の権勢が強く菅原道真・源高明など左遷、他氏を排斥した摂関政治。左大臣という高官に達した親王も思うに政治が出来なく、失意の内に隠遁、亀山に山荘を営んだ。しかし藤原氏の横暴は更に親王を耐えがたい境遇へと追い込む。今度は藤原一族の権力争いが始まり、親王もその渦中に巻き込まれる。藤原兼通の謀略で貞元 2 年 (977) 皇族の身分に戻され、官位剥奪、閑職の中務卿の役目を受ける。ここに至って親王は「執政者に枉げて陥れられる。君昏く臣諂ひて、愬ふるに処名無し。命なる矣天なる也」と渾身の憤りを込めた長編詩「莵裘賦」を読み、嵯峨亀山の地に隠棲する。
延元元年 9 月 6 日( 987 年 10 月 1 日) 薨去
作者 南宮大湫
大湫は尾張の人で、名は岳、字は喬卿、号を大湫・烟波釣叟などと称し、幼にして父母を喪い、業を中西淡淵の門に学び、尾張・伊勢次いで江戸で講説に従事した。儒者。