清貧な生き方
正月早々この寒波で咲いていた花は元気なく雪交じりの風雨に一網打尽。
シンボルである花は私と同じで元気印で有るのです。
昨日とは打って変わって穏やかな晴天日、ドライブを兼ねて、早速土と花を買い楽しんだのです。
サクラソウ、可憐なとりどりなパンジーを一杯。
鉢の土を掘り起こせばそこにはミミズが一杯生まれている。
自然の状態で育てているのでびっくりした。
きっと花も喜んでくれるに違いない。
自然をこよなく愛しているので何をしても幸せを感じる。
マイ畑には自然の野菜が実に良く実っている。
自然なオーラー、生あるものと共存する。
誰かに指図されるわけでなくの自らの心が人を照らし、気をほぐし、癒を与え続けているのです。
毎日一つ一つの石垣を積み上げるような人生であるかもしれません。
人を思う心を創り生きて悔いがない。
いつの時も変わらず、横道にそれることも知らず、迷いもなく一本道しかない、たとえ何がしの事があって寄り路をしても軌道修正は出来ている。
どんな困難な状態でも、未塵にも人には手の平を見せない生き方をしたのです。
親であってもすがることもなく弱音や泣き所を見せたことがない、常に受け身で商売をさせて貰ってきた。
自分が決めたこと大変であることは始めから分かっている、愚痴はこぼさない。
困難や喜びも含めてすべてが人生。
お客さんが主体である仕事。
来てもらえるように仕事をして当たり前、自分勝手な生き方はお店は今や存在しないもの、昔に潰れている。
辛くてあたりまえ生きることに断じて甘えはない。
いい気のエネルーギーに徹している。
いかなる問題があろうとも常に変わらぬ気のコントロールする平常心が必要なのです。
耐える、やる意志、相手の気持ちを一番察する気はお客さんに来て頂いていることに感謝することからくるのです。
日々繰り返しの中から、如何に喜ばれるか自問自答し多くの事を学んでいく。
信用を第一で如何なる事態であっても不本意に休業をしないように気を付けてきた。
険しい道を選んだことが人生の始まりですが何があっても変わらぬ心を持つことが大切であると思っている。
行きたいところも見たいと思うこともない、怠けたいとも思ったことがない。
時間との戦いの毎日しか知らないし他を知ることもない。
それが不幸か幸せか分からないが何も疑うことを知らないゆえ生まれたままの心を持って勘ぐらず、すべて肯定することことが出来たのです。
元々心配する性格でないので暴走することあったかもしれないが、心配性の旦那が歯止めになっているのかも知れない。
でも長い年月一緒に暮らしてきて思いは分かっているので、彼ならばこうするだろうと思う心が働き戒めとしてなしている。
今は限られた空間の中だけですが思いは果てしなくおおきい。
事を荒立てることもなく、争う気もなく平穏に無理のない生き方をしていくそれが最高の生き方だと感じられるのです。
心拍数が上がることがない、平常心を持つことに尽きると思うのです。
日々の小さい出来事の中に大きな喜びを感じ、誰とも壁を持たず、会話は相手の目線を上に感じて話を聞く。
朝昼夜毎日変わりがないのに、時という刻まれた限られた時間をメー一杯果たしている、無駄にしないことに感謝する。
訪れてくださる方々の僕となって、心を入れ注文に自分を発揮する芸術作品を創らせてもらっているのだ思いを入れている。
その中で人として織りなされる事がらすべてどんな小さな些細な事で良い日々の数々の問題に心を傾けて、生き方の相違を見つけて語り励まし、少しでも人様の手伝いが出来る喜びを知る。
優しさ、美しさ、微笑み、慈しむ愛、うけとめて母性愛を差し出す瞬間は幸せの坩堝です。
この世に生を受けてすべてを受け止め何物にも動じない生き方を知ることは仕事から編み出された賜物以外にないと思うのです。
この世に存在することの意味は人を癒しにすることにあるのかも。
怒り、不安、恐怖、無縁、いや、この世の苦しみ嘆き、痛み、はどこかに置き忘れ、今ある日々を懸命に明るく人の幸せを願って生きている。
生きるすべてを愛してやまない。
有り難うの人生。