南カリフォルニアの青い空

南カリフォルニアの青い空

2012.05.21
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方は、そちらを先にお読みになってほしい。


ミクシィの書き込みの中に「憎しみは愛があるから生まれるんだそうです」


というのがあった。成るほどと思った。


確かに、愛してもいない人なら、あきれたり、怒ったり、嫌いになったりは


するけど、憎む必要はない。関係加減によって、ヒーリングの時差はあるけど、


「はいさよなら」で終わってしまえば、気分もさっぱりというケースが多いだろう。


だから考えてみると、「憎しみ」の多くは血縁関係の家族、親戚の間とか、


夫婦、恋人、親友の間の誤解や衝突、脱線からはじまるような気がする。



結果から先に書けば、ベティーとレスリーは、まるで何十年も口もきかなかった


のが嘘のような和やかさで再開ができた。もともと、レスリーは物凄いおしゃべり


で、時々私から「あなたの質問に答えてる間くらい黙っていてよ。私の考えを


聞きたいのでしょ?」と、言われるくらいなのだが、昨夜は興奮していたので


「うるさい」と言いたくなるほどしゃべりまくっていたが、黙っていた。



「物事には全て理由がある」という、スピリチュアル的な言い回しがあるが、


まるで、レスリーと家族を繋げるために壊れたのじゃないか、と思いたくなる


タイミングで、ベティーの家のリビングルームのテーブルに飾ってあるピンクの


豆電球が一日中ちかちかしてるクリスマス・ツリーの上半分が消えていた。



「私、これを毎日見るのが楽しいのよ。だから直して」という、ベティーの


ために、弟のロブとレスリーが、頭をぶつけながら挨拶もそこそこにコードを


ひねくり、電球を替え、ロブのワイフのアンは、フラッシュライトをあてていた。


結局は電球を全部替えてもなおらなかったが、30分くらい頭をつき合わせて


いた。



グレッグは、いつものように台所でつまみ食いをしては、ペットのトニーと


一緒にねっころがって我かんせず。私は、ベティーの手をとってじゃまに


ならないように、離れたところから眺めたり、時々立ち上がってツリーの


ワイヤーなどをたぐってみたり。「いつ食べるの~?」と、さいそくしてる


グレッグと一緒に食卓をセットしたり・・・・



あれだけ憎みあっていたのに、肉親とは面白いもので、一旦「仲直りしよう」


「受け入れよう」と決心したら、時間など魔法のようにふっとんでしまう。


食事の最中も、レスリーはしゃべり続け、食後もソファーでベティーと話続けて


30年近い亀裂の穴埋めに忙しくしていた。そっとしておきたかったので、


台所で、アンと私は後片付けをしデザートを食べながらヒソヒソと会話をしていた。



この予行練習もふくめて、また、グレッグに内緒でロスの展覧会のオープニングに


弟夫婦を招待しており、そのときはハグして、数分あいさつしただけだったが、


今回はロブも何十年ぶりに姉と、ゆっくりクリスマス・ツリーを修繕するのを


楽しんでいるようだった。



和やかな数時間が過ぎて、帰りの車に乗ったとき、


「ねぇ、ねぇ、お母さんが最後に言った言葉、聞いた?」と、レスリーが言った。


「これからも、いつでも訪ねて来てね」と、ベティーが言ったのを私は、ちゃんと


聞いていたが、黙っていた。


「いいや?」と、グレッグが答えた。


「いつきてもいいのよ、って言ったのよ。お母さん、かなり変わったわねえ。


ねえねえ、声がイチオクターブくらい高くなってると思わない。。。そこを


左折、まず対向車をさきにいかせて・・・お母さん、ライフボタンを首から


ぶら下げるべきだわ、そこ右折、ギヤーをローにして。。。はい、左折、


そして・・・」と、彼女の家の前でおろすまで興奮気味にしゃべり続けていた。


よくグレッグが怒らないものだと、驚いた。



マイナス志向のグレッグは、悪い結果、悪い結果ばかり想像して、今回もまた


「余計なことをした、人の家族のことに口をだすな。喧嘩でおわったらヒロコの


せいだからな」と文句をいって、実はベティーの家に行く前に大喧嘩になったから


二人とも家につくまで、よそよそしく無言だったのだが、私は、「これで良い」


と思っていた。グレッグもきっと反省していたのだと思う。家につくなり急に


猫なで声にかわっていた。



話変わってというか、もうひとつの物語になってしまうが、ここにレスリーと


ベティーの仲直りを勧めた理由を書いてみる:



私の義妹と実母、つまり私の姑とが、レスリーとベティーの関係ににていて、


やはり私が仲にはいって、あれこれとりもったが、二人の関係が仲直りする前に


マザーはアルツ・ハイマーになって亡くなっている。妹は実母にあうのを避けて


高校を卒業してからはアメリカの東側に移って、住み着いてしまったので、


私が7年間、老後の義両親の面倒をみて、お葬式まで一人で全部オーガナイズした


のだが、妹が両親の家を相続後、家を建て直した。



するとマザーの強いエネルギーが残っていて、日夜出て来て妹を精神的に苦しめた


事件がある。実は、義母の死後、離婚していた私は修士号をとるまでその家に


無料で住まわせてもらっていたのだが、やはりマザーがちょくちょく現れた。


といっても、幽霊とかいう形ではなく、母の香りがしたり肩越しに手紙を覗いたり、


腰に手をまわしたり、肩をつついたりするのが、はっきりと感じられる強い


エネルギーであった。ところが、われわれの仲は愛する親子のようであったので、


私にとってはそれは、彼女の「愛」と受け入れられたので、怖いどころか


「あちらにいっても、まだ愛されてるんだ」と言ううれしさで一杯であった。



しかし、反対に妹の場合は、それを「のろい」と受け取ってしまったのである。


それを私に最初から話せば治し方を説明してあげたのに、内緒でヒーラーに数年


かよったらしい。やっと直った頃、私が、彼女の新築の家を訪ねた時、その事を


白状した。


「マザーのスピリットまだいる?」と、こわごわ私に聞いた。


私には、義母の存在はもうかんじられなかったが、妹を安心させようと、


「マザー、あなたはもう死んだのよ。この家はだいじょうぶだから、もう安心して


あちらの世界にいらっしゃい!」と言ってから、「やっと納得して行っちゃった


みたい。もう完全にいないわよ」といったら、それまでかしこまって、硬い顔を


していた妹が、大きなため息と共に顔も体もふわ~っと楽になったのがはっきり


見えた。



つまり、義母のエネルギーそのものは一定である筈だが、受け入れるほうの


態勢によって、プラスにもマイナスにもなるのだと理解したのである。


ゆえに仲たがいは両方が生きているあいだに仲直りしておくものだと思う。


そうすれば、死に行く人のスピリットも軽くなるだろうし、残された者も


安心して人生を楽しめると思うわけである。実を言えば私はベティーに、


仲直りをしろ、とかは絶対にいわなかったが、この経験話をしただけである。









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最終更新日  2012.05.22 03:51:40
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