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January 21, 2004
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カテゴリ: 映画
この間の日記を書いて、テーマのページに行ったらなかなかの盛況のようだ。私と同じような感想を持った人、スルドイ意見の人、裏まで深く読む人、賛否両論色々いておもしろい。

今回は、すこーしまじめにこの映画について書いてみようと思う。今度はラストシーンにまで触れているのでご注意ください。

他国の映画に日本や日本人が使われるとき、典型的で分かりやすいものが求められる。それは日本に限ったことではないだろうが、これまで「笑える日本像」というのは多かった。それは、あまりに時代錯誤で笑えたり、あまりにあり得なすぎて笑えたり、逆に的を射すぎていて自分でも笑える、というのもあったと思う。

ほかには「雰囲気」作りに使われる例。これは日本より、中国の使われ方が顕著かもしれない。前の日記でも書いたけれど、単なる他文化の人々のエキゾチック趣味を満たすような使われ方。別にそこが日本や中国でなくても内容に全く関係ないと感じてしまうと、急激に白けてしまう。
その一方で、うまく使うと絵としてすごくセンスのよいものになるようだ。「ブレードランナー」なんかの漢字が多用された多国籍というか無国籍な雰囲気は、緊張感があって好きだった。外国人女優がさらりと和風な浴衣のような、ガウンのようなものを羽織って出てきたりすると、「お目が高いっ」とか思ってしまったり。

せりふの中で突然「日本」や「東京」が出てくると、つい穿った見方をして日本人へのサービス?とか思ってしまうこともある。

別に私は、悪意を持った表現でなければ、どんなんでも別にいい。がっかりするとか、そういう感情は沸くだろうが、そういう風にとらえられているのね、というのが分かるのは興味深い。それを、実はそうじゃないんだよと言うのは現実に生きる私たちの役目かもしれない。

さてこの「ラスト・サムライ」で「武士道」というテーマが選ばれた。そうそうたるメンツの映画だったが、予告編を見ている頃はまったく期待できなかった。「あり得なすぎ」映画に見えたからだ。トムが忍者をやる位のトンデモ的なにおいがあった。

でも、見てみてよかったと思う。今回日本を描くにあたって歴史家に検証してもらったり、真田広之が細かく意見したり「笑われない」日本作りにかなりの努力が払われたらしい。ストーリーは確かにハリウッド的だったが、驚いたことに私は「作られた日本」を見ている気がしなかった。日本の時代劇でもそうであるように、もちろん脚色や絵的に手を加えるところは多々あったろうが、それほどのけれん味が感じられなかったので、椰子の木事件はあったものの(笑)すっと映画の世界に入れたのはラッキーだった。(とか言って、小雪が髪を洗っているときのタオルが、きちんと縫製されたタオルだった!とか突っ込んでる私。)

しかし、別にこの映画は正しい日本を紹介する映画じゃない。
トムが鎧をつけて戦に出るなんて、想像するときっと誰もがとっても可笑しく思えると思うのだが、それを乗り越えてどうして「日本」か、「武士道」か、と考えたとき、「武士道」の精神は別に日本や侍固有のものではなくて、普遍的なものが含まれているからこそ、このテーマが選ばれたんだろうな、と思った。

たとえばそれは他人(敵だとしても)に対する礼だとか、誠実に生きることだとか。もちろん、昔の日本にもの珍しさもあったろう。異国情緒は絵として美しいというのもあったろう。それは当然あると思う。普遍的な精神だが、日本ではそれが「道」として研ぎ澄まされているので、表現としても美しくなる。そういうものを利用して、普遍的で、もう一度伝える価値のあるものを、あるいは思い出してもらいたいものを様々な切り口から映画にしているのだろうと思った。

「武士道」が普遍的だろうか、と疑問を持つかもしれない。切腹なんて絶対理解されない、と思うかもしれない。でも「武士道」を、「自分の誇りや信念に忠実に生きること」と読み替えたらどうだろう。やましいことのない生き方をすること。トムは南北戦争中に自分の心に反することをしてしまったがために苦しい夢を見る。でも、いつまでも後悔は消えないだろうが、その後の生き方を変えることはできる。正しいと思うことを貫くことによって取り戻すことができる。

そして、「信念に忠実に生きること」が日本文化では逆説的だが「名誉ある死」として表現され、桜の花に自分を投影しつつ渡辺謙が満足して死を迎える一方で、トムが体現する西側世界では「生き抜くこと」で表現される。これは表現の仕方の違いであって、武士道としてどちらを選ぶべきかなんてのは、ない。些末なことだ。あの戦で、トムが俺も・・と切腹しちゃったら、なんじゃそりゃ、で終わってしまう。死に意味を求める異文化を尊重しつつ、自分は信念に忠実に生き続けることを選んだ、それが彼なりの武士道だったんだろう。けっしてたかにチューするために生き残ったのではない。

侍が体現する「武士道」は確かに彼らだけのもので、美しい。だけど、その精神は彼らだけしか持っていないわけではない。「プチ武士道」だって、アリだと思う。それを、伝えたかったのではないだろうか。

ただ~し!
テロはだめよ。それは名誉ある死ではなく、自己チューな死。





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Last updated  March 7, 2005 07:34:31 PM
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