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博物館の子供向けイベント。昭和の昔遊びのお手伝い。はぴりゅうも来てなかなか盛況だった。帰宅してから、地下入り口のデッキのフラードームを工房に移動して場所をあける。工房は少し窮屈。入口デッキのパンチングメタル、ゴムシート、コンパネを外してフレームだけにして採寸。計算したら1.8立米だ。すでに補強として入っているのが60リットルあるけど誤差の範囲だ。明日はコンパネで囲ってみる予定。
2026.05.05
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週末の創作の森のクラフトマーケットの準備。サンプルケースにとりあえずある程度詰め込んだ。段ボール箱に入れて運ぶことになるか。金封の箱に3個入るのだけど、ユニットが大きくなると積載性が低下するので、一つずつ小さい箱に入れるほうがいいか。大きいサンプル用のケースも欲しいな。ホームセンターでセメント、砂、砂利の容量と価格を確認。少し強度の高い比率で必要量を積算してみた。63600円。生コンの福井の相場は1立米あたり3万円程度なので、圧倒的に生コンのほうが安いな。最低単位が0.5立米なので、発注可能だ。現状の軽量物品棚用のアングルのフレームは、そのまま補強として使うことになるので、たぶん鉄筋以上の強度になると思う。連休明けだな。
2026.05.04
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セピア20小学校の夏休みは、手放しでは喜べない足かせがあった。ひとつは「夏休みの友」という学習ドリル。そして絵日記と工作などの提出物の宿題があった。毎日少しずつやっていれば問題ないのだけど、そんな律儀な子供は珍しく、お盆が終わったころから親に尻を叩かれて、堆積した課題を前に机の前でなかなか手を付けられずにうなっているのが常だった。当時はまだクーラーはあまり普及していなくて、それでもまだ涼しい午前6時に起こされて柴田神社へ、町内のおじさんが高いところでお手本。トランジスタラジオから放送が流れる。みなさんおはようございます、オハヨーゴザイマース、きょうはふくいけんはふくいし、ちゅうおうこうえんにおじゃましました、くもひとつないさわやかななつのそら、さあ、げんきいっぱいにはじめましょうなんて調子でラジオ体操第一のイントロが景気よく始まり、お手本のおじさんのキレの悪い動きに合わせて、上級生よりワンテンポ遅れた体操を始める。ぴょんぴょん飛ぶところでは、身体能力を自慢したい男の子は、不相応に高く飛び上がるためにタイミングが微妙にずれたりして、それでも統率されたマスゲーム。こんなところを円盤から宇宙人が見ていたら、あいつら何をしているんだと思うんじゃないか、なんて考えながらの深呼吸。二度目の深呼吸のあたりで、腕を交差させたままわらわらとハンコもらいに走りだす男の子もいたりして、まるでしょっぴかれる下手人みたいなフィナーレ。日曜以外毎日のラジオ体操、出席率の良い子には最終日に商品がもらえたりして、ずるして昨日の分のハンコも押せというやつもいたりした。家に戻ると、「涼しいうちに勉強しなさい」と言われて開く夏休みの友。一日一ページずつ消化していけばなんという事もないのに、そんなのは女の子くらいしかいなくて、男子は外に出かけていくのだった。夏休みは学校のプールが解放されていて、泳ぐ練習のつもりの水遊び。底に沈んでいる塩素のタブレットを潜ってとったり、水面にうつ伏せで浮かんで水死体の真似をしたり、唇が紫色になるまで遊んだ後は甲羅干し。サンオイルなんてなくてもみんなゴボウのように茶褐色に日焼けしていった。選択制の宿題の昆虫採集か植物採集、「昆虫採集セット」には、殺虫剤と保存液のホルマリン、それを注射する本物の注射器が入っていた。トンボやちょうちょを採集網で採ってきて、腹部に針を刺して殺し、さらにホルマリンを注入するという虐殺行為を、たぶん男子は全員体験してきたわけだ。植物採集のほうは平和で、引っこ抜いた植物を新聞紙にはさんで重ね、おもしを乗せて乾燥させて、八つ切り白ボールの台紙に和紙の粘着テープで貼って硫酸紙のカバーをかける。夏休みの終わりころに足羽山の上の博物館にみんなで持ち寄って「同定」をしてもらってラベルを張って提出するだけの平和な宿題だった。ハードなのは「絵日記」。夏休みの間の新聞を探して毎日の天気を記入して、海水浴や映画などのイベントディは早く埋まるものの、平凡な日々の記憶などもはやどこにもない。アサガオの観察日記はほぼ毎日つけていたので、それをネタにさしさわりのないエピソードを捏造していた。始業式も終わったある日、宿題もすべて提出して安心していたところへ先生の鋭い指摘、あんた、絵日記を毎日書かずに後で書いたでしょうと言われた。うう、天気を間違えていたかな、なんて考えつつ提示されたわが日記には、こう書かれていた。「〇月〇日、町内でかいすいよくに行きました。三国かいすいよく場の岩場でカニ釣りをしました。たくさんとれてバケツで家にもって帰りました。あくる日死にました」いや、どこもおかしくないが。。。。。。
2026.05.04
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庭のバラが咲いた。コンディションは悪くない感じ。山椒も金木犀もナンテンも百日紅も元気になった。地下の入り口のデッキ、コンクリートでやることにしたのだけど、ざざっと計算したら1.3立米ほどのコンクリートが必要。セメントと砂と砂利をホームセンターで買って舟を買うと、この量だと生コンを運んでもらった方が安いかもしれない。明日、もうちょっと正確に測ってみる。しんかい2000、完成。
2026.05.04
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セピア19家が文具屋だったので、いろいろな商品が段ボールで送られてきた。用が済んだ段ボールはたたまれて、店の物置スペースに貯められていた。商品としての白ボール紙や画用紙、工作ニスや割りピンなんかもあったので、わりと工作の素材は身の回りにあった。道具も、当時は普通の家にも「大工道具箱」にいろいろなツールが準備されていたので、環境には恵まれていたのかもしれない。砲塔が壊れてどこかへ行ってしまったリモコン戦車のボディに、平たくて大きい箱を接着して、そこへミサイルや司令塔や飛行機などをそれらしく配置した陸上空母みたいなものを作ったのが、たぶん最初の、本格的な「工作」だったと思う。馬鹿でかいものがリモコンで動くのは、なかなか楽しかった。次にトライしたのは、段ボールハウス。都会の浮浪者が実用のツールとして活用しているアレだ。段ボールに切り込みを入れてドアを作り、窓を切り開き、二つ折りにした段ボールで三角屋根を載せて、窓やドアの周りはクレヨンで枠を描いただけの小屋は、こどもには十分満足できる出来で、これも楽しかった。自動販売機も作った。段ボールの本体に硬貨投入口と商品取り出し口の穴をあけ、硬貨を受けるガイドを割りピンで装着してピタゴラスイッチみたいなローテクのメカを組み込み、包装をほどいてバラにした板ガムを一枚ずつ取り出し口に落とす構造。出来上がったら、飽きた。段ボールコスプレのロボットも作ってみた。小学校の社会科の時間は、数学や理科と違って考えることが何もなく、ただたんたんといろいろなことを覚えるだけで全く興味がなかったので、授業中は退屈で仕方なかった。そこで、画用紙で自動車を作り出した。普通の自動車は四角い箱の組み合わせなので簡単だったけど、霊柩車になると屋根の三角の長さが少し問題になって、バキュームカーはさらに課題が出てきた。楕円を描く方法はわからないので、円を二つに割って、直線でつないだ。問題はタンクの側板だ。直径に円周率をかけて、そこに直線の長さを足して、長方形を描く。組み立てが楽なように一部を前後の疑似楕円にくっつけた作画は、ようするに初めての「立体の展開図」だったわけだ。このころから、必要に迫られて、立体を構成する平面の寸法の算出のため、三角定規限定ではあったけど、サインコサインタンジェントの、実務的な知識が身に着いたのだと思う。数学は、物を作るときに試作して実寸を得る代わりに、簡単な作図でズルができるリーズナブルなツールだと思った。たとえば三角定規を使えば、18.6センチ、みたいな半端な長さを5等分したいとき、その線の端っこから適当な角度で1センチごとに印をつけた5センチの線を引いて、端っこ同士に線を引いて、1センチごとの点からそれに平行な線を引けば5等分できるというようなテクニック。反面、社会科の教科書は、とっくに死んでしまった人の名前となんかやった年を覚えても使い道がない。知らない国でどんな金属が取れるかわかっても、そんなの関係ない(^^)。そんな幼少期を過ごしてきたので、知識がアンバランスだった。学校では特にばれることがなかったのは、特に努力しなくてもそこそこの成績だったからで、近年賢そうな人たちに開発されたアルファベット数文字の精神疾患の人たちと、そんなに変わらないのだろうと思う。ベースラインが標準値をクリアしていただけのことだ。
2026.05.03
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子供歴史文化館でワークショップ。シリコン型に石膏を注入して動物を作る工作。昔からあるローテクの工作だけど、たぶん小学校ではやらないし、普通の子はあまり経験したことないだろうから、きっと楽しいと思う。本来はレジン用の型だけど、少し硬めに調合すれば石膏でも行けるので、精密な奴を用意してみた。硬化時間を40分とみて、その間に事前に配った完成品に着色してもらって時間つぶし。塗りあがったところで型から出すという手順で無事完了した。なかなかセンスのいい子もいた。明日は、家の地下のスロープにコンクリートを打つ準備をする。天気が悪いので、施工は6日になるかな。
2026.05.03
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足羽山の自然史博物館まで届け物。近くを少し走っていたら、仏舎利塔のところへ出た。これ、小学生の時に遠足できて、外宇宙から攻めてきた地球侵略軍を迎撃する、高周波破壊光線砲みたいでかっこいいなあと思ってたやつだ。ちなみに森田の給水塔も、光子力研究所の迎撃タワーみたいで好きだ(^^)クラフトマーケット用のサンプルケース、とりあえず、積層して開放しても扉を水平に保てるようにしてみた。
2026.05.02
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セピア18街の中に住んでいたので、百貨店の屋上遊園地は、わりと馴染みのあるお出かけ先だった。いろいろな乗り物が動いていて、おおぜいの人たちでざわざわしていた。10円玉ひとつで体験できる装置が多くて、こども用の踏み台に乗って、箱に取り付けられた双眼鏡を覗くと、その奥に大きな世界が広がるパノラマ絵本。いわゆる3Dの電気紙芝居で、「ピノキオ」とか「白雪姫」なんかのディズニーものだった。10円玉を投入すると真っ暗だった画面にタイトルが映り、やがてナレーションと共に立体画像が浮かび上がる。語られるストーリィに従って画像はカシャンと切り替わり、あざやかな総天然色の静止アニメだった。漫画雑誌に時々ついてくる立体漫画とは比べ物にならない鮮やかで明るい立体画面は、不思議できれいな世界だったな。ドライブゲームというのもあった。スマートボールの台みたいな縦長のステージの中央にブリキの自動車がバーの先に取り付けられていて、実物大の自動車のハンドルを左右に動かすと、その車が左右に動く。道路はベルトコンベアーになっていて、向こうからこちらに流れてくる。その道路は時々左右にカーブして、それに合わせて車をうまく道路に乗せていくと、センターに取り付けられたゴムのブロックが車体の下を通過して、そのたびにポイントが加算される仕組みだった。屋上から降りると、大食堂。子供向けにはワンプレートの「お子様ランチ」が定番。電気アイロンみたいな形に固められたご飯に、ちっこいエビフライやハンバーグや卵焼き、スパゲティや野菜サラダが盛り付けられていて、つまようじの日の丸の旗が刺さっていた。プリンなんかもついていたかな。だるま屋(当時の福井唯一のデパート)を出ると、電車通りの歩道には、テントの露店がずらっと並んでいて、いろいろなものが売っていた。二本の細いパイプの出たブリキの小さなボートに、パイプから水を入れて、船内に火の付いたローソクを差し込むと、やがてぽんぽんと音がして、ジェット推進で進むポンポン船や、タンスの虫よけの樟脳を挟んで進むしょうのう船、インクで着色したカラフルなひよこ、ペンキで塗った綺麗な亀の子などを売っていた。夏になると陸ヤドカリがたらいで売っていて、割りばしで作ったはしごを登ったり、キュウリやナスの輪切りをつついたりしているのを見て飼ったこともある。ヤドカリは大きくなると殻を入れ替えるため、少し大きい巻貝の貝殻を入れたら、ハサミで縁をつまんで、体操選手のように器用に引っ越していたな。こどもの目には群衆の背中しか見えなかったほど混雑していた歩道も、今はキャッチボールができるほどにさびれてしまった。
2026.05.01
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午前中は工房ショップ。お昼からフットワークのスタッフと打ち合わせ。帰宅していろいろ準備。ツインにナビを取り付けた。会計事務所に商店街の資料の不足分を届けてから空港道路のアルトリーベへ。しばらく見ないうちに、なんか、すごいショップになっていた。アーリィブロンコや330セドリック、z31のby2、初代セリカなど、リアルタイムで触れていたモデルが大量在庫。楽しくなってしばらく雑談。芦原までペパクラを納品してから金津技研へ。フレンチトーストピクニックの打ち合わせ。70台に減らす予定だったけど、そこまで絞り切れずに80台を選出。明日はまちづくり株式会社と打ち合わせ。
2026.04.30
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工房ショップ1階のNゲージのレイアウト、進行中。新幹線と在来線に加えてHOゲージも持ち込まれてきた。午後から県立歴史博物館へ。連休のイベントの準備のお手伝い。注文しといた透明ケースが届いた。クラフトマーケット用のペパクラサンプルの運搬と展示に使用する。扉を開いたままでホールドするように、少し加工することにした。
2026.04.29
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セピア17小学校では図工の時間というのがあって、美術教育として図画と工作ん゛メインの時間だった。ある時、給食のポスターを描くという課題があった。学校給食は、戦後の食糧事情が悪かったので、こどものために学校で栄養バランスの取れた昼食を提供するというシステムで、ネットなんかではアメリカで不要になった資料の餌である脱脂粉乳の処分のためだとかパン食を進めて日本を弱体化させるのだとか、ゴルゴ13にでてきそうな陰謀論みたいな解説が多いのだけど、とにかく「給食」というシステムがあった。クラスには給食当番が二人いて、配膳室までみんなの給食を取りに行き、アルマイトの容器に人数分を小分けして分配していた。昭和30年代の給食のスタイルは、妙に背が高くてこけしのスライスのようなプロポーションの食パンと銀紙に包まれた3センチくらいの四角いマーガリン、色あせた金色みたいな色のでこでこしたアルマイトのお椀のおかずとミルク、スプーンの先っぽがネプチューンの槍の先のように三つに割れた万能カラトリーで構成されていて、一人ずつアルマイトのA3判くらいのお盆に載せられていた。おかずは、クジラ肉の竜田揚げやカレーやシチューのような「あたり」と、なんだかよくわからない「はずれ」があって、完食することが求められていた。変なにおいの香料のついたマーガリンが苦手で、いつも残していたのだけど、クラスに一人はいるようなおせっかいな女の子にそれをとがめられて、無理して食べて、ざいごのおばさんの香水のような匂いに我慢できなくなって吐いたことがある。懐かしんで過大評価する老人もたまに見るけれど、個人的には、特に美味しい記憶はない。まあ、いつものマーガリンが透明なひし形フィルムに入ったいちごジャムだったり、マカロニで増量されたカレーシチューだった日はそれなりにうれしかったけど、所詮はその程度のものだった。街で暮らしているこどもには、たいしたもんじゃない。給食当番は、頭に三角巾をかぶらされたことが、なんか、特別な任務に就くみたいな感覚で、少し誇らしかったな。その給食で一つだけ、ほぼ全員が嫌いな食材があった。それは「脱脂粉乳」で、まっとうな牛乳からバターを取った搾りかすを乾燥して保管したものを、調理室で湯にといて提供するのだけど、これがもうまずくてまずくて、生ぬるいアレがアルマイトの容器から口に入ってくるときの感触と味と匂いは、話に聞くロシア軍の拷問かとおもうほどだった。そして図工の時間。ポスターのテーマは給食。机の上に載せられた給食の絵は、みんなそこそこに描けたけど、キャッチコピーに難儀していた。とにかくみんな完食しましょう、が訴求点になるわけで、つよいからだをつくる、とか好き嫌いをしないで、みたいな平穏な(インパクトのない)もののオンパレードだった。そんな中でひとり、実務的な提案をテーマにキャッチコピーを書き込んだ、「まずいミルクも残さずのもう!!」なぜか先生に怒られたわ。。。。
2026.04.29
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午前中、午後の準備。石膏を計って袋詰め。天気が良いのでベランダに出て庭を見下ろす。猫たちもやってきてベランダでくつろいでいる。バラが咲き始めた。午後からこども歴史文化館で石膏造形のレクチャー。ただ水で溶いて型に入れるだけの簡単な作業。水の料だけ計って、袋詰めした石膏を静かに入れてかき混ぜるだけ。シリコン型は石鹸水塗ったりしなくていいので、便利だな。夕食後、エミーナがすり寄ってきたので、くしで毛をとかしてやる。ある程度たまるとくしからはがすのだが、手が止まるとウガァって文句を言う。たくさんとれた。「しんかい2000」のペーパークラフトを作ることにした。海洋研究開津機構のやつだ。
2026.04.29
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セピア16小学校の3年生のころ、あるいは4年生だったか、ある日、男子は教室からでて下さ~い、と言われて追い出された。女子だけの授業みたいなのをやるらしい。物知り顔のやつが、あれは女子トイレの使い方が悪いので指導するんだ、みたいなことを得意そうに言っていた。そういう事にはひとかけらの興味もなかったので、ラッキーと思って遊んでいた。妹がいるので、家の中で母親とおんなどうしの何かがあって、男にはないしょ、みたいな空気があったもので、内容はまったくわからなかったけど、基本的に他人にはまるで興味のないこどもだったので、わからないままを認めていた。あのころからそうだったけど、基本的にうそや隠し事があると気が付いていても、本人が黙っていることは「代数X」としてそのまま認める生き方をしている。他人の事情なんぞどうでもいいという冷淡な性格だ(^^)当時、こどもの周りの人たちは、会話が途切れたりしたときによく「○○ちゃんはお父さん似」みたいなどうでもいい話題でしらけ鳥を退散させていたのだけど、当時のこどものアタマでは、こどもが母親に似ているのは当然としても、なぜ父親に似てるのかというのは不思議な現象だった。こどもが母親のおなかから産まれるというだけの知識では解明できない大きな謎。ある日、その疑問を何かの機会に父親に尋ねた。どうして子供は父親に似るのか、と。昭和30年代の父親にとっては、返答に困る質問だ。もちろん微に入り細に入り明確な説明は可能だろうが、凡人には困難な課題。苦肉の策で提示されたのは「同じ家に住んで同じものを食べて同じような暮らしをしているので似てくる、という子供だましの説明。だが、物理的な疑問については子供のレベルを突き抜けたおたっきぃな子供は、質問に二の矢を継いだ。「それなら、同じアパートに住んで同じ食堂で食べていたら、そのアパートのお母さんはとなりの男の人に似た子供を産むの?」小学校中学年のこどもには、期せずしてその質問が、可能性を否定できない不穏当なケースを指摘していることなど気づくはずもなく、純粋に必要条件の抽出とそれを達成する可能性の考察による、ひたすら相似形達成の条件の洗い出しという純粋な知的好奇心のために、今にして思えば父親を窮地に追い込む非情な質問をしてしまったのである。悪意がないということは、始末に負えない(^^)
2026.04.28
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石膏ワークショップのスタッフレクチャーの準備。石膏の比率1.11でサンプル製作。流動性は1.25より劇的に向上したので初心者でもきれいなものができるだろうけど、硬化時間と硬度に少し不安があるので、明日のレクチャーでは1.18でやってみる。型の容量の測定が完了したので、分配のチャートの製作。一人当たり110cc分で実施したい。硬化時間が短縮すれば2回まわせそうだな。型は42個準備した。
2026.04.28
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セピア15小学校のころ「少年」という雑誌だったと思うけど、「エジそんた君」というのが主人公の漫画があって、いろんな工作をするという一話読み切りの連載があった。毎回、こどもでもなんとかトライできそうな面白そうな工作が載っていて、それでもなかなか手が出せなかったものがあったのだけど、一度だけ作ってみた工作があった。今でも鮮明に覚えているそれは木製のゴーカートで、幅10センチくらいのどこにでもある杉板をT字型に組み合わせてフレームを作る。接続部は太いねじでワッシャーを噛ませてフリーにしといて、前二輪の三輪車で両足をフレームに乗せて足でステア、前輪は戸車で駆動輪は台車用の割と大きなゴム車輪を調達するという指示。動力はマブチ65モーターという当時もっとも強力な奴に練り歯磨きのキャップを打ち込み、後輪のゴムに押し付けて駆動するという設計だった。イメージとは遠かったけど、もそもそと動いた。我が家では「少年クラブ」をとっていて、「少年」のほうはとなりの年上の三兄弟がとっていたので、よくとなりの三階、というか屋根裏の部屋に遊びに行っていた。となりの次男はこういう工作が得意で、当時の鉄道模型の主流の「Oゲージ」のでっかい車両(43分の1)を白ボールと木材で作っていた。スキルが段違いなので真似などできなかったけど、自分のしょぼい工作の目指すべき目標みたいなお手本だった。Oゲージの鉄道模型は、現在主流のNゲージの4倍ほどのサイズで、ミニカーの国際的なサイズはこのOゲージに合わせて作られた情景だった。レールは2本でなくて3本で、両側とセンターで給電するシステム。これはポイントを介して閉じた回路での配線の困難さがなくて、見た目以外はとても良いシステムだったと思う。一緒に遊んでいてレールに手を突いた時にピリッときて、それでプラスとマイナスをつなぐとショートするという電気の基礎を学んだ。同時に、なぜ2本レールで給電せずにセンターに1本設定したのか、理由もわかった。こどもは痛い目にあって学習する(^^)模型工作の教師である燐家の次男は「ボーイズライフ」という雑誌を取っていて、これは少年漫画雑誌とは別ジャンルの青年情報誌みたいな感じだった。紹介するのは主にアメリカの大人というか青年の工作で、ホバークラフトやオートジャイロ、自作のウルトラライトプレーンにボンネビルの速度記録車やカタマランヨットなど、テレビや新聞では全く得られないすごい記事が満載だった。まだ石鹸箱のようなコルトやコロナが走っている時代に、宇宙船のようなシトロエンDSの写真も載っていて、外国の凄さを心に刻み込んでいた。強く印象に残ったのはホバークラフトで、これならいつか自分でも作れそうだと思っていた。後に1976年だったかな、晴海の船の科学館で第一回の自作ホバークラフトの講習会に参加して、営林署などのプロの人たちに混じって、スカートの構造やシングルファンの小型艇などを学び、ハンドブックを手に入れた。実際に作るのは、もっと後になったが、もともとは小学生の頃のボーイズライフの記事だった。
2026.04.27
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午後から作業開始。家庭向けのセメント、20kg入りを4袋、小さなバケツでちまちまとこねてスロープのデッキフレームの補強。静荷重なら数トン持ちそうだけど、たとえ600kgのクルマでも発進時には水平方向のモーメントが発生するので、念のため。夕方から倉庫へ。補強材に防腐塗料の塗布。邪魔になっていた巨大なルーフボックスを上に乗せた。でっの下をきれいに掃除。家側の一段高いところにはタイヤを置く。帰宅して夕食後、5月のワークショップ用の石膏を小分けする。以前に美術館かどこかのワークショップの時に購入しといた30kgのパックを開封した。化学の実習を思い出したぜ(^^)
2026.04.27
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セピア14昔のこどもにとって、年末は楽しみな時期だった。秋のお祭りが終わり、ぼちぼちセーターが必要になるころから、わくわくのイントロが始まる。11月発売の雑誌はクリスマス特集の12月号。いろいろなおもちゃの宣伝がわんさか。精密そうなモデルガンとかエポック社の野球ゲーム、家庭用のレーシングコース、女の子向けは絢爛豪華なドールハウスやサリーちゃんバッグにお化粧セットとか。個人的にはマルサンのゴジラやエビラ、イマイのサンダーボーイなんかが頭に焼き付いていた。12月に入ると、雑誌はすでに新年号。着物を着た可愛い女の子がにこにこしておめでとうの表紙。いや、まだクリスマス前なんだけど。街の中はジングルベルがガンガン流れて、商店街では福引の抽選コーナーが開店。特賞は温泉旅行で金色の玉。電気こたつとかトースター、髭剃りみたいなのが多かった。外れは、まだポケットティッシュの無かった時代なんだけど、憶えていないな。なんだったんだろう。そこそこのあたりが出ると、からんからんとベルを鳴らして景気づけていた。お菓子屋には銀色の長靴に赤い縁取りをして、はみ出さんばかりにお菓子を詰め合わせて白い網タイツみたいなのがかぶせてあるセット販売。長靴のサイズは何種類かあった。一度は履いてみようとするのだけど、無理だったな。こどもだましのアイテムだったけど、こどもなので騙されていた。いよいよ年末が近づくと、洋菓子屋さんの前には布をかけた会議テーブルが置かれて、銀紙を張った箱が積み上げられて、アルバイトの女の子がクリスマスケーキの販売。店内のショーケースには白いバタークリームのケーキにサンタクロースのろうそくが載せられて、チョコレートで筆記体のメリークリスマスが書かれていた。今思えばたいしたものじゃなかったんだけど、当時はとても楽しみにしていた。いや、となりのお菓子屋なんだけどさ。テレビの番組もクリスマス対応。「みんなのうた」でも「雪の降る街を」や「赤い鼻のトナカイ」なんかが流れる。大人の歌番組だと英語の「きよしこの夜」や「ホワイトクリスマス」といった静かな夜の歌。いろんなドラマもクリスマスネタがぶっこまれて、24日の夜は絶頂期で布団に入る。25日の朝は、親も子供も現実は無視して、サンタさんにありがとうの予定調和。リサーチが不十分なご家庭では、空振りの気まずい沈黙もあったりして、それでもまあ、こどもたちは幸せな1日だ。平日の年は、放課後はまっすぐ帰宅して、近所の友達と見せ合いっこ。そしてやがて大晦日、蕎麦屋の前ではテーブル出して生のそばとだしのセット販売。交代でそばを食べに行って、テレビの前で紅白歌合戦を最後までみんなで観る。村田英雄と美空ひばりが終わったら、大人たちは柴田神社へ。こどもは明日の収支計画を皮算用しながらこたつで眠る。正月は、町中がお休みだった。起きるとおめでとうのあいさつとお年玉。お雑煮とおせちの朝食。ファンヒーターもエアコンもなかった時代は練炭火鉢とこたつだけなので、こってり着込んで炬燵に潜る。当時のこたつは和室の畳をめくるとブリキの箱が仕込んであって、その中に火鉢みたいな感じで灰と炭があった。足が直撃しないように、少し上の段差に、金網の張った木枠がセットされていたな。練炭火鉢は、陶器で紺色のペンキをだらだらっと垂らしたような模様で、下の方に小さな引き戸があって、それを開け閉めして火力を調整した。練炭というのは拳銃のリボルバーのような形状で、巨大なレンコンの輪切りみたいな炭。ガスコンロに乗せて火をつけて、先の細長いペンチみたいなやつで穴をはさんで火鉢まで運んだ。火鉢は朝顔の花のように上の方が広がって縁がついていた。金網を乗せて、餅や干し芋を焼いて食べながら過ごした。
2026.04.26
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午前中、工房ショップでジオラマベースにフェルトを固定する作業。ガンタッカーで固定していく。鉄道友の会の人たちが線路の設置開始。午後から県立歴史博物館へ。サポーターズクラブの会合。今年から時間の余裕ができたので、博物館の方も少し活動してみたい。終わってから倉庫へ。デッキの補強を追加してから床板というか天井のコンパネの装着。明日時間があったら、防腐剤の塗装と荷物の移動をする予定。
2026.04.26
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セピア13昭和30年代、こどもの世界は狭かった。多くの商店は大人のためのもので、こどもが一人で立ち寄れるのは駄菓子屋さんくらい、お菓子屋さんやおもちゃ屋さんでも、日常的に行ける場所ではなかった。自由に使える広場は、公園や神社の境内で、天気の良い日はみんなそういうところでうろうろしていた。時々、そういう場所に紙芝居屋さんが来た。ごつい実用車の荷台には木箱が積まれていて、紙芝居のステージと一緒に販売用の駄菓子が搭載されていた。ロウ紙に包まれた甘辛く煮しめたスルメや、一斗缶に入った白い麦芽糖、これはカチ割って小分けで販売、チョコレートやキャラメルといったまっとうなお菓子は無くて、ハッカを染み込ませた紙切れや、アイスクリームについてくる木のしゃもじに甘くて硬いものがこびりついているやつとか、いいとこの親が顔をしかめるようなのばっか(^^)そういう駄菓子はたいてい5円か10円で、それを買った子は最前列で観ることを許され、でも、金を払えない子も後ろの方で観ることが許されていた。紙芝居の絵は、漫画のように絵で語るというよりは、小説の挿絵のようなポジションで、講談師のような語りがメインのアトラクション。途中に子供向けのクイズなんかあったりして、駄菓子を買った子だけに解答権が与えられていた。正解すると駄菓子の商品。暗号文の横に狸の絵が描いてあってひらがなの暗号文から「た」の字を抜くと意味のある文章になる、みたいなぬるいクイズ。大きい神社の境内では、年に一回くらいは見世物小屋が来ていた。モンゴルのパオを巨大化したみたいな分厚い布張りのテントが杭で固定され、入り口ではおっさんがだみ声で客引きをする。なんか、世にも恐ろしいものが見られるような怪しい雰囲気。中は薄暗くて、へんなうめき声なんかがしていて、ショッカーの怪人が登場するときのような不穏な空気が充満していた。実際に出てくるのは、気味の悪い化粧をしたおばさんが青大将やシマヘビを身体に巻き付けて変な声を出す「蛇女」や、仰向けに寝たおばさんが生足を高く上げて大きなおけをぐるぐる回す「牛おんな」、これはよく見ると足の指が少し奇形みたいだった。大きな板に真っ赤なペンキがべしゃっと塗られた「オオイタチ」など、今なら訴訟ものの見世物だったけど、お化け屋敷ともども、そういうアトラクションだと受け止めていたな。順化小学校のそばにはお堀があって、御廊下橋の下へ入れるようになっていたので、いらなくなった水切りざるを持っていろんな生き物を捕獲していた。「がこんぼ」と呼んでいた淡水ハゼみたいなのやちいさいエビなんかがよく採れた。他にはトゲトゲのついた真っ黒の木の実みたいなのが流れ着いていて、これは携帯して、追跡してくる敵に向かって投げつけて遊んだ。忍者の使う「マキビシ」のたぶんオリジナルだったのだろう。似た武器に、毛の生えたアーモンドみたいな「オナモミ」もあって、これは毛糸のセーターなんかによくくっついた。養浩館庭園はお泉水と呼ばれていて、ぼろっちい板塀だったので簡単に侵入できた。あそこには巨大なオタマジャクシがいて、どんくさいので簡単に捕まえられた。持って帰ってテレビの上のアラレの平たい缶に水を入れて飼っていると、やがて後ろ足が生えて、次に前足、そしてしっぽがだんだん短くなっていって、姿を消した。次に見つけるのは、年末のタンスの裏だった。。。
2026.04.25
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庭の木がみんな芽吹いてきて、一気ににぎやかになってきた。植物には興味がないのだけど、何もわからないなりに、うれしい。去年池に入れたメダカとどじょうは冬を越せなかったみたいで、ことしは野生のものを採ってこようと思う。午後から配達。終えてから倉庫へ。物置デッキのフレーム補強。かなりしっかりしてきた。日曜あたりにフロアを張りたい。
2026.04.25
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セピア12こどものころのマンガ週刊誌の特集で、科学では理解できない超常現象、みたいなものが良く取り上げられた。ツタンカーメンの呪いとかブードゥの秘儀みたいなのや人間が突然燃え出してしまうとか、前世の記憶を持つ子供や空から魚やカエルが降ってきたというもの、神隠し、ネス湖の恐竜に雪男、バミューダトライアングルにサルガッソー海、空飛ぶ円盤やエンゼルヘヤーといった不思議な現象や生き物についての特集。中でも人気なのは空飛ぶ円盤で、宇宙人の乗り物という説が最有力だった。飛行機械という解釈でその推進理論みたいなのもいろいろ解説されていて、形状から回転することで浮力を得ているみたいな原理の解説。多かったのは、地球の磁場と反応する浮上システム。例のフレミングの右手の法則のイラストとともに、地球の磁場に対して反重力方向に力場が発生して何たらかんたらという似非科学(^^)マイナーなものではイオンとかプラズマという言葉が出てくるかなりマニアックなものもあって、講談社のブルーバックスですぐにプラズマについて読み漁った。プラズマって、超高温になると原子から電子が引きはがされて原子核だけになるという説明。イオンは分子が帯電した状態。どちらもものを浮上させる原理には結びつかなかった。そもそも、円盤がぐるぐる回るのでは、中の宇宙人は洗濯機に迷い込んだネズミみたいに内壁にへばりついて宇宙パイロットの訓練みたいになって身動き取れないだろ。興味をひいたのは、4次元からの侵入者であるという理屈だった。「ふしぎな少年」の解説で、この世界とオーバーラップした別の世界という概念にはなじみがあったので、これまたブルーバックスで基礎知識の習得。二次元の正方形を6枚折りたたむと三次元の立方体になるように、三次元の立方体を6個四次元空間で折りたたむと超立方体になるという、多分書いている人も良くわからないだろうと思う説明。いろいろこどものアタマで考えを反芻しているうちにたどり着いたのは、午後1時に立方体を組み立てて、午後2時に分解したら、その立方体は三次元の幅と奥行きと高さを四次元空間の午後1時から2時までの間占領しているという理解。人間も同じで、生まれてから死ぬまでの時間、赤ちゃんから大人になって老人になってしぼんでいく空間にあるひとかたまりの存在だと認識した。そして、四次元があるなら、四次元の存在が時間とともに変化していくものをまるっと抱え込む五次元もあるだろうから、この自分たちの世界の過去を変えて現在や未来を変えるのは、この世界の川の上流に石を投げて、下流の流れが少し変わるのと同じで、外からの干渉もできるんじゃないかと思った。三次元のわれわれが、二次元の世界で動き回る人たちのセル画の好きな場所に円盤の絵を描くのなら、それは時間とともに次のセル画の世界を観続けるわれわれには、すべての物理法則を無視して動き回る未知の動力によるものだとしか理解できないわけだ。そんな、こどもなりの納得。べんとらー、べんとらー・・・・・・
2026.04.24
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Nゲージジオラマのベースにフェルト施工。何年か前に響きのホールの解体にあたって、欲しいものがあったら何でも持って行ってくれと言われて引き取ってきたフェルト。ほかにもパンチングメタルを20枚以上とか、ドアノブや蝶番、死ぬほど重いテーブルなど、電動工具持参で数日掛けて解体して引き取ってきた。こういうのは手を挙げる人は割といても、実際に引き取りに行く人はほぼ皆無なので、遠慮なく解体してきた(^^)。すでに、大部分は自宅と倉庫の改築に使用した。捨てるのはおとましい。夕食後はシリコン型の容量の測定。石膏をひとり200cc分配して、その容量で自由に選択できるようにしようと思うので、全部の型に容量を記入することにした。20人の定員なので4000cc分の型が必要になる。余裕を持たせるために少し追加注文した。ワークショップが終わったら、モルタルなんかでも作ってみようと思う。
2026.04.23
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セピア11自家用車が普及するまでは、観光バスと汽車が旅行の手段だった。町内会や商店街の旅行は、管理のしやすい貸し切りバスが便利だったけど、家族の旅行では汽車が使われた。当時の汽車は、まさに「汽車」で、C62とかD51とかいう呼び名はまだ知らない、名もない蒸気機関車。床は木造で客席は固定のボックス席、木のフレームの垂直の背もたれで、座面と背当ては紺色のベルベットが貼ってあった。ベルベットのシートは逆なですると起毛して色調が変わるのが面白くて、爪でひっかいて遊んだりしたな。窓は上下二分割で両サイドの下端に真鍮のマッチ箱くらいのロック金具がついていて、レバーを親指でつまむとロックピンが後退してフリーになるシステム。窓を開けるときは、両手で両側のつまみをつまんでロックを解除、そのまま上にあげて窓を開ける。開口部は下半分がMAXで、何カ所か途中にロックポイントがあった。当時の汽車は、暖房はついていたものの冷房は無くて、夏は窓からの走行風が必要だった。蒸気機関車にとっての鬼門は、トンネル。大量の黒煙を放出する装置が車両の最前端にあるため、後ろに続く客車はそのエリアに突入する。平地では煙は上にあがるのでセーフだが、トンネルには空がないため、もろにそこへ突入する。トンネルが近づくと、車掌さんがまわってきて、おとなたちは窓をそそくさと閉め始める。中には渋い金具もあって、顔をしかめて必死に奮闘する、見ている子供まで一緒にきばって顔をゆがめていたりした。それ、意味ないんだけど。当時の汽車のトイレは、車外開放型で、駅に停まっているときは使用禁止。踏切で通過を待っていると、白いちり紙がひらひらと宙を舞うこともあったりして、なかなかワイルドな装置だったが、これもまたトンネルが鬼門。突入時には空気のかたまりの中に高速で進入する形になるため、圧力が列車の開口部を襲うわけで、落下する物体の重力ベクトルを制圧して噴水が上がることになる。合掌!冬は、シートの下に暖房がまわって、じっと座っていると熱すぎるくらいだった。冬になるとセットで思い出すのは「冷凍ミカン」。なぜか冬に販売されていて、カチカチに凍ったミカンをてのひらでじわじわと温めて薄い皮をむき、シャーベットみたいな感覚でしゃりしゃりと食べていた。駅弁のお茶は、プラスチックが普及していない時代は、素焼きの容器だった。あんなもの、他に使いようがないのだけど、そのまま捨ててしまうのは惜しくて、家に持ちかえって眺めていた。旅の思い出のアイテムだったけど、すぐにどうでもよくなって、たぶん親が捨てていたと思う。
2026.04.23
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午前中は工房ショップでデータの整理。お昼から噴水の解体作業。近所の人と雑談。こういう作業をしていると、みんな「大変ですね」と同情というか心配してくれる。考えてみれば、店の前でマンホールにはいつくばって下水管の洗浄したり、地下の汚水をポンプで排水したり、しょっちゅうハードな作業を公開しているな(^^)経費節約のために可能な限り自分で作業していると、プロの工賃が妥当だなあと感じる。ネットにあふれている「どこそこの店でぼられた」みたいな話、注意して読むと、ほとんどすべては無知なための中傷になっているのがよくわかる。自分でやったことがあるなら、これを自分ならいくらで引き受けるかと考えれば理解できるはずだよな。同意するコメントを無責任に書く人たちの多さにも驚く。もちろん、何の技術もなく見様見真似でいい加減な修理や加工をするごみのような「プロ」は、確かにいるよ。洗濯したセントバーナードが乾いた。おお、真っ白になった。別に要らないのだけど、何十年も家にいたので、このあとも家に置いておく。
2026.04.22
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セピア10家の後ろが中央劇場という大映の映画館だった。妖怪百物語とか座頭市、大魔神、ガメラなんかをやっていたので、夏休みにはガメラの歌が毎日聞こえていた。裏庭に面していたのが便所だったので、毎日のようにその窓から空の財布が庭に捨てられた。当時の映画館は真っ暗で、スリというか置き引きパラダイスだったようで、子供心に社会の暗部を見せつけるような環境だったな。映画館は真っ暗で、出入り口のドアを閉めると隣の人の顔も見えないくらいだったので、画面に集中できたのだけど、時々後ろのドアが開いて、カーテン越しに外の光が呼び出しのおねーさんのシルエットを浮かび上がらせた。おねーさんは良く通る声で映画の世界を破壊しながら叫ぶ。「やぁあまぁだぁさまぁぁぁぁああああ!」映画を観ている人に用事のある人は、映画館のおねーさんに頼んで呼び出してもらうことが出来るシステムで、当時はあまりわからなかったけど、待ち合わせの時間調整なんかに映画館を使う大人が多かったのだろう。あのころは入れ替え制ではなかったので、入場すれば何度でも見ることが出来て、英語の勉強をするために字幕の外国映画を一日中観ていたおにーさんなんかも珍しくなかった時代。福井の駅前には、東宝や東映、松竹に大映といった系列のほかに、ディズニーの得意なピカデリーや外国映画の放送会館、とってもいやらしい映画をやっていると噂のメトロ劇場なんかがあって、ほかにもすごいタイトルとキャッチコピーの映画館なんかもあった。小学校では、授業の一環として「団体鑑賞」というのがあって、学年単位でぞろぞろと映画を見に行く行事もあった。たいていは「バンビ」とか「ダンボ」みたいな、いかにも大人が考えそうな「子供向き」のふわふわしたやつで、たまに「ラブバッグ」みたいな大人っぽいものもあったけど、授業をさぼれる以上の魅力は全くなかった。ただ一度だけ、「海底軍艦」を観に行くことになった日は、男の子たちは大興奮。なんとか新聞ニュースという白黒の映像で芸能人の誰それの誕生日がどうのこうのみたいなのが流れた後、画面の前の緞帳が左右に開いたり閉じたりしてサイズ調整の後、伊福部昭大先生の荘厳なイントロが一発、そしてエッチなおねーさんの水着写真撮影、海から出てくる銀色の水棲人みたいなの、海に飛び込むプリンスのタクシー、そしていよいよ海底軍艦のテーマミュージックがスタートして、男子たちはこぶしを握り締めて画面に没入していくのであった。
2026.04.22
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30年以上前に買ってきたセントバーナードのでかいぬいぐるみ、本棚の上に置きっぱなしでどす黒くなっていたので、ふろの残り湯に一晩漬けてから、すすぎのためにもう一晩漬けて、今朝、水を切った。風呂につけておいたときは水死体みたいだった。重力だけでもわりと脱水した。色はかなりきれいになったな。午前中は電話番。午後からこども歴史文化館へ着色サンプルを届けて、それから駅前へ。噴水の解体。バスの運転手さんとか、話しかけてくる。現場系の人たちとの雑談は楽しい。まともな学者さんとの雑談も楽しい。半可通の自慢話は返答に困ることが多いな。5月中には解体完了してアスファルトで埋め戻せそうだ。通行人は、工事の一環だと思っている感じ。再開発の理事会。いろいろ解決すべき手続き関係が勃発。完成したら無関係になると安心していたのだけど、なんか、隠居させてもらえなくなりそうな予感。別に苦手ではないのだけど、できたら趣味に専念させてほしい。もう72だぜ。ホームセンターで素人用のセメント購入。地下スロープのとこのデッキの補強に使う。セメントと砂と砂利のパッケージを集めた方がローコストなんだけど、ちびちび作業したいのでブレンドされた奴でやる。
2026.04.22
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セピア9昭和30年代は、まだあまり自動車が普及していなかった。駅前の商店でも、多くは自転車で配達をしていた。黒くてごついフレームのガッツのある自転車で、頑丈な荷台に荷物を積んだまま停めておくために、スタンドは左右連結タイプでR2D2の足のようなごついのが後ろに跳ね上げられていた。ブレーキはロッド式で、ハンドルと平行に並ぶ鋼鉄の棒でブレーキゴムを引き上げてリムに押さえつける構造。米屋さんの自転車は、リヤが二輪の三輪車だった。米俵をいくつか積むにはスペース的にも重心の高さからも、これがベストなのだろう。デフなんてついてなくて、たいていは左後輪だけの駆動で、ハンドルをフルロックさせるとけっこう小回りが効いた。坂道をクリアするためにクランクギヤは小さかったので、スピードはあまり出なかった。ブレーキは、前輪のフォークの前後に二つ付いていた。両手で掛けた。畳屋さんの自転車にはサイドカーがついていた。リヤカーを左側に装着したみたいなサイズ。車軸の上に広い荷台が低くついていて、たたみを立てて積んでいた。荷台の幅は結構あって、10枚以上積めた感じ。畳の長さが180cmなので、リヤカーでは車体が長すぎるか幅が広すぎるかになるので、サイドカーになったのだろう。カーブを走る姿が、なんだかレーサーみたいでとてもかっこよかった。魚屋さんは、前が二輪の三輪車を使っていた。リヤカーを前後逆にしたものに自転車の下半身を取り付けた感じ。リヤカーの持ち手の部分をハンドルにしていた。ブレーキは後輪だけだったと思う。前に荷物を積んだのは、きっとカラスにとられるのを見張るためだったんじゃないかと思う。ハンドルをいっぱいに切るためには、少し無理な姿勢になって、あまりかっこよくなかった。あのころはまだ大八車も道路を走っていた。リヤカーを引く自転車もいた。自動車もオートバイもまだ少なくて、たまにしか通らなかった。オートバイにはサイドカーがついているのもたまにいて、「側車」と呼んでいた。サイドカーなしで単体で走っているオートバイは「単車」と呼んでいた。やがて、医者や坊さんがスクーターに乗るようになった。電気屋さんはオート三輪、ミゼットとかケイサブローとかを使いだして、そのころから売れ出したテレビや電気冷蔵庫、電気洗濯機なんかを積んで走り回ってた。道路はまだ舗装されていなくて、雨が降った後はでこでこの道のあちこちに水たまりができて、車が通るたびにバシャバシャ跳ね上げていた。中学生のころ、サニーとカローラが発売になった。普通の人が買えそうな値段で、かっこいいクルマ。商売していない人でも買えるように、自動車の支払いのための「マル専手形」というので月賦販売が出来るようになって、街の中にどんどん車が増えた。商売しているところはライトバンが多かった。成田山のお守りをつけて、正月にはフロントグリルにしめ飾りをつけて、鳥の羽のはたきでワックスのきいたボディをいい子いい子していた時代。
2026.04.21
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1階のNゲージレイアウトのベースに敷くフェルト、書道の下敷き用のロールが売れ残っていたので、持って行って敷いてみた。必要量の半分しかない(ーー)午後から配達一つ。終わってから倉庫へ行ってジェットスキーを引き出して作業しやすく配置。物置デッキを所定の位置に移動して、フロア固定用の2X4を装着。接続金具だけでは強度が不満なので、1X4で補強を入れることにした。夕食後、こども歴史文化館のワークショップ用のサンプルに着色。石膏は発色がいいな、面相筆が手元にないので大雑把な着色。レジンより石膏のほうが楽しいかもしれない。
2026.04.21
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セピア8小学校に上がる前、便所は汲み取り式だった。家の端っこにうんこを貯めておく水槽みたいなのが地下にあって、その上に小屋を建ててある、みたいな感じ。便所は板張りの部屋で、床に穴が空いていて、その上に白い陶器の便器があった。便器には取っ手の付いた木製の蓋がしてあって、臭いやハエの侵入を防いでいた。臭いを大空に開放する煙突もあって、てっぺんの装置はカラカラと音を立てて周囲に臭いをまき散らしていた、煙突の途中には、リング状の電熱器がついていて、そこで空気を温めて、上昇気流でてっぺんの装置を回すのだと教えてもらった。うんこの水槽には屋外に丸い蓋がしてあって、年に何回かうんこ屋さんがバキュームカーでくみ取りにきた。バキュームカーは紺色の三輪車で、後ろにタンクがついていて、蛇腹の白っぽい半透明のホースが、上にある低い司令塔みたいなところにぐるぐる巻きになっていた。便所はたいてい家の後ろ側にあるので、家の前の道路に停めたバキュームカーからホースを伸ばして、となりの家との境目にある細い空間を通して汲み取り口までアクセスしていた。汲み取りを開始すると、エンジンの音が少し大きくなって、ホースがぷるぷると振動した。怖いもの見たさでホースを見ていると、黒っぽいものや白っぽいものが通るたびにホースは痙攣し、少し暴れた。小学校に入ると、「検便」という行事があった。背の低い小さな円筒形のアルミニウムの容器に、うんこを少し入れて提出する行事。まだポリプロピレンが普及する前だったので、少しきつめとはいえロックなしの蓋は心配だった。それを収納するのは病院でもらう薬の袋のようなミニチュアの白い紙袋で、学年と組みと名前を書くようになっていた。提出するまで、中身がこぼれないか少し心配だったけど、こぼした子は誰もいなかったな。問題は、うんこの採取法にあった。汲み取り便所では排泄した瞬間に地獄に落下していくので、床に新聞紙を敷いてそこにしろと言われたけれど、心理的にロックがかかるのか、なかなか出ない。出したい気持ちは全開なのに、まるで自動ブレーキで暴走を制止される老人のように、アクセル全開なのにじわじわとしか出ないもどかしさ。やっと出たものを容器に少しとるのには、不二家パラソルチョコレートの傘の柄のプラスチックのやつがちょうどよかったな。クエスチョンマークの直線の先が悪魔の尻尾の先のように三角に平べったくなっていて、固いうんこの時でも採掘できた。検便にはもう一つバージョンがあって、透明なシールをお尻の穴に当てて、そこにある物質を採取するというやつ。両面を二日で使用して、仕切りのセロハンを外して二つを張り合わせて提出する。森永製菓のマークのような小さい子がしゃがんで後ろ手に採取活動しているイラストがあったけど、親が目視作業していた。一週間くらい後に、授業の前に、名前を呼ばれた子は教壇に積んである薬をもらってた。
2026.04.20
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午後から作業。進のところから届いたスタッドレスタイヤを積んでから工房ショップへ行って、不要になった道具や材料、 FTPで販売する商品と撤収するメルクリンのパーツを積んで倉庫へ。荷物を整理して降ろしてから、ジェットスキーの解体。船体内部の燃料タンクや各種ケーブル、ダクト類を外す。自動車と違って知識がないので、手ごわい。まあ、所詮人間が作ったものなのでなんとかなった。帰宅して庭の掃除。草むしりと落ち葉拾い。ワークショップで使う石膏の成分のチェック。200ccに250gだと、少しタイトかな。230gでもう一度テストして、それでよいようなら、チャック付きポリ袋に小分けして準備する。とにかく、人にやらせるのはどんなことでも大変だな。
2026.04.19
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セピア7昔の冷蔵庫は銀色だった。自衛隊のジェット機みたいな銀色の箱。上の方に小さなドア、下には大きなドアがあって、右側が蝶番で左にハンドルがあった。ハンドルはレバー状で、回すとロックが外れて、そのまま引っ張って開ける。上のドアには大きい氷が入っていて、食べ物は下の大きいドアから入れる。中はかなり狭かった。まだサランナップやタッパーの無かった時代、新聞紙に包んだ魚や、茶碗に入れてふたをした煮しめなんかが入っていた。台所は一階にあって、土間だった。ご飯は大きいおかまで炊いてた。かまどの下に薪を並べて竹筒でふうふうしてからうちわで扇いで燃やした。流し台は、小さい長方形のタイルがきちんと並べて貼ってあるコンクリートの流し台。水道はあったけど、庭には井戸がまだ残っていて、ポンプがついていた。ポンプの所に水を少し入れてからがちゃんこがちゃんこすると、水が上がってきた。もう使う必要のない装置。面白くて時々動かしていた。家が改築になって、台所が二階になった。流し台はステンレスになって、古い流し台は庭に置かれた。いらなくなった流し台は、栓をしてオタマジャクシをそこで飼ったりした。足が生えるといなくなったな。かまどの代わりに二階の台所にはガス炊飯器があった。冷蔵庫も電気冷蔵庫になった。冷蔵庫がやってきた日は、みんなで代わりばんこにドアを開けて顔を入れて、すずしぃ~って楽しんだ。電気冷蔵庫では、氷を作ることが出来た。アルミニウムの容器に水を入れて上の方の製氷室に置くと、氷が出来た。弁当箱のおかずのほうについているぱっちん金具みたいなのを押さえると、くっついていた製氷皿がはがれて、取り出して裏返しにして水道の水を当てると氷のかたまりがことっとはがれる、まだ仕切りがついているので、続けて水で洗うとゆるんでくるので、ぎっしぎっしとしごいてやっと氷がはがれる。仕切りはバラバラになるので、もう一度組み立ててからセットする。電気洗濯機が家に来た。それまではギザギザの洗濯板で、でかい石鹸でごしごしとたらいの中で洗っていた洗濯物は、白い綺麗な洗濯機の中に粉せっけんと一緒に入れて洗うようになった。そこのほうに黒いゴムでできた渦巻の羽根があって、洗濯物を勢いよく回していた。洗い終わると、左の下から上に延びて留められている蛇腹のホースを外して下に置き、溜まっていた水を流す。洗濯機の上、奥の方にはゴムのローラーが2本並んでいて、そこに洗濯物を挟んで右のハンドルを回すと、水を絞り出された洗濯物が送り出された。毎日使ういろいろな道具が、どんどんと新しくなっていった時代だった。
2026.04.19
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工房ショップの地下に、ジオラマ設置。本格的な奴。これで地下にはNゲージとプラレールとレゴの展示がそろった。一階も、これからNゲージとHOゲージを設置する。当初は一階に簡易レイアウトだけの予定だったのだけど、なんか、だんだん本格的になってきたな。これから発展させていって、老後のライフワークになりそうな気配。帰宅して、秋の岐阜のクラフトマーケットの申し込み。金沢にも出店するか。
2026.04.19
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セピア6昔の模型は、紙と木でできた組み立てキットだった。わりと最後まで残ったのは、模型飛行機というやつで、千歳飴の袋みたいな細長い袋の中に、設計図と一緒に細い角材と竹ひご、プロペラとビーズ玉、いくつかの金具、アルミニウムのパイプである「ニューム菅」と薄い和紙が入っていた。「タイガーエース」とか「ブルースカイ」みたいな英語のかっこいい名前で種類はたくさんあったけど、和紙の模様が違うだけでみんな一緒だった。設計図に合わせて、短く切ったニューム菅で竹ひごをつないでいく。翼の両端の丸くなったところは、ろうそくの火であぶりながら曲げなさいという園児には無茶な指示。親や近所のおにーさんに手伝ってもらうしかない(少し後になると曲げたパーツになった)。ニューム菅に差し込んだ部分はペンチでつぶせと書かれていて、これは自力でできた。あのころにはまだ木工ボンドは無くて、その前のニカワから、近代的な「セメダイン」に移行していた時代。ホッチキスや味の素と同じく、最初に普及したブランドがそのアイテムの代名詞になっていて、接着剤は全て「セメダイン」と呼んでいた。黄色い箱に入った「セメダインC」の時代。おもちゃ屋さんには戦艦や自動車の模型も売っていた。初代クラウンのパトカーの模型なんかだと、側面の形にくりぬいた板を、四角い棒で連結して、屋根やボンネットなどのボディパネルの印刷されたボール紙を貼り付けて車にした。ゴムでできたタイヤには薄いブリキのホィールキャップがはめられていて、ギヤボックスから出ているシャフトを刺した。ギヤボックスには、付属のゴムをわっかにして束ねて前のほうにある金具とつないだ。ゴムには名前を忘れたけどグリスみたいなのを塗って手でもむと高性能になると教えられた。ゴムを巻くクランクは逆回転しないように、一回りすると段差ができるパーツに通されていて、車輪を押さえてゴムをぐりぐり巻いて、着地させて手を放すと走り出した。戦艦の模型なんかは座薬を平たくしたみたいな板にスクリュー金具とクエスチョンマークの金具を両端につけて、水面上にはいくつかのブロックをセメダインで貼り付ける感じ。パッケージの絵は小松崎茂タッチのリアルだけど、まあ、インスタントラーメンの中身と「参考写真」みたいなもんだった。銭湯で走らせると、傾きながらモーターボートのように速かったな。やがてプラモデルが出てきた。最初に作ったのは50円の戦艦大和。とても精密でうれしかった。接着剤は、ひし形の、今だとパック寿司の醤油みたいなのに入っていた。小学校になったころ、親戚のおじさんのお土産で、パブリカのプラモデルがとてもうれしかった。マイナーチェンジ前の700ccのやつで、薄いピンク色をしていた。マブチ13モーターと単三乾電池で動いた、まだ、紙巻の乾電池だった。
2026.04.18
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鉄道ジオラマの展示台に、風景写真を貼ってみた。コンパネのままだとビンボ臭いので布の端っこの方で隠したけど、昔京都の山の中で撮影して、ペパクラ展示の背景に使った画像を反復して背景にしてみた。樹木なのでスケールはあまり考えなくてもよさそうだし(^^)工作が一通り終わったので、お掃除。ビルやプラットホームは邪魔なので、展示スペースに置いてみた。悪くないな。コントローラーの台を増設。具合が悪ければ必要なサイズのものを作る。再開発組合の方から急な呼び出し。突発事項か。いざというときにしか役に立たない人材なので、5時から打ち合わせ。
2026.04.17
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セピア5昭和30年代は、みんな忙しかった。今のようにお気楽な人たちが法律を作る時代じゃなかったので、みんな朝から夜まで働いていた。早く帰るのは市役所や県庁に努めている人たちくらいで、商売をしている人たちは日曜だって働いていた。お客さんが買い物に来るのに店を閉めるなんてもったいなくでできない、そういう時代。そんな時代のこどもたちは、あまりどこかに連れて行ってもらうこともなかったし、今のようにスマホもゲームもDVDもなかったので、特に夏休みのように毎日が休日になると、楽しいことに飢えていた。親も、仕事を休むなら家でゆっくりしていたいわけで、元気いっぱいの子供を連れてどこかに行く馬力は無かった。そんな時代なので、町内会はいろんな企画をたてて、子供たちをまとめて遊びにつれていくようなことも割と多かった。夏休みの朝、神社の境内でラジオ体操の最後の深呼吸が終わるころ、そろそろとハンコもらいに走りよった後は家にかえって海水パンツに着替え、そのうえから服を着て荷物を持って、中央劇場の前でバスを待つ。やがてやってきた2台のバスに分乗して、元町一の組町内会は鷹巣海水浴場へと出発。バスは2号車が先で、すれ違う車の運転手に、あと何台続いているかを知らせるためだそうだ。走り出してしばらくすると、ガイドのおねーさんが挨拶。べつにどこでもいいくせにどこの小学校ですかぁと聞く。最初に歌うのは「われは海の子」。マイクを回しますので順番に歌っていきましょうねといって、長いコードの付いたマイクを前の方から手渡していく。後ろまでは届かないので、途中でジャックを外して、真ん中へんの窓枠のあたりにあるところへ差し込む。差し込む時にガリッという音を立てて、手渡されたおっさんは、あ~あ~ほんじつはせいてんなり~女の子は真面目に順化小学校の校歌、じぃさんは王将、おばさんはああ北ノ庄なんかが定番だ。ハイカラなおかーさんなんかだとテネシーワルツ、ケバくないおかーさんは下町の太陽とか。こどもたちは教科書の歌かみんなのうたのナンバー。ミミズだってオケラだって友達だ。オケラはミミズ食べちゃうけど。。。。。山道に入ると、真ん中へんの席からしゃっくりの音が聞こえる。近くの大人がポリ袋を渡す。ひっくひっくのあとに音とも声ともつかないうめき声と共に酸味の強い臭気が近くを漂う。それをきっかけにあちこちで二次災害発生。やがてバスは無事に海につき、着ている服を脱ぎ捨ててスーパーマンのように一瞬で海水パンツに早変わりした子供たちは、鉄板で訓練されると言われるネコ踊りのようにあっちっちと砂浜を海に向かって駆けていく。お昼は、海苔で真っ黒のまん丸いおにぎりと、牛肉の大和煮の平たい缶詰。エンジ色でちょうちょみたいな形の持ち手の缶切りでキコキコ開ける。ミニチュアの昆布巻きと薄茶色の大豆、こんにゃくの細いやつを縛ったの。食後は氷水、頭キーン。4時ころになると帰りの合図、持ち手のついたベルマークみたいなのをカランカランとおじさんが鳴らして回る。冷たいシャワーでパンツの砂を落として着替える。帰りのバスは、みんな熟睡だ。
2026.04.17
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ジオラマベースに車両落下防止の側壁の取り付け。高さ約11センチ。いいままではフロアに布を敷いていたのだけど、黒く塗装して直置きにすることにした。布があるとNゲージだと線路が浮き気味になりそうで。余った布は、周囲を囲むのに使用。側壁の内側は、明日飾り付ける。帰宅して自転車の整備。タイヤ交換した前輪を取り付けて近所を周回。駆動輪のラチェットが渋いので洗浄して油を差した。前輪のブレーキを引きずっていたので調整。ディレイラーも洗浄して注油。ミニ茶利と違って長距離向きだな。ただ、やっぱりいらないな。いろいろパーツ交換したから売れないけど。近所の足には、荷物積めるやつがいい。池のウォーターベルのメンテ。ポンプが変な音がするのでばらして掃除。うまく水が出ない。回転音がするのに出ない。おかしいな。
2026.04.16
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セピア4小学校の冬の暖房はコークスのストーブだった。コークスというのは石炭からガスを抜き取ったものだと教えられた。石よりは軽くてごつごつしていて、スポンジのように穴が細かく開いている黒い燃料。火力が高くて、今でも製鉄に使われているらしい。クラスにはふたり、ストーブ当番というのが交代であって、みんなより少し早く登校して、ふたりでブリキのバケツを持って渡り廊下へ行った。校舎間の渡り廊下はコンクリートの上に目皿が敷いてあって、内ズックのままで歩けた。その渡り廊下の途中にコークス小屋があって、映画で見る炭鉱町のように、コークスがうずたかく積み上げられていた。当番の二人は、スコップでコークスをバケツに積み込む。なるべくたくさん入るように、細かいのを先に詰めて、上にはくずれないようにでかいのをこんもりと盛り上げて積んで、教室まで二人で運ぶ。エージェントが捕獲した小さい宇宙人を連行するようにバケツを二人でぶら下げて、教室まで運ぶ。教室の前の入り口から入ると、L字型の金網にガードされて鋳鉄のストーブが置いてある。ストーブは教室の前のほう、黒板のすぐ手前の右側にあって、冬は、そこの二列は一人分だけ後ろへ下がる。輻射熱の遠赤外線でミディアムレアに焼けてしまうからだ。ストーブの正面中央には、右ヒンジのドアがあって、開けるとスリットの入った鉄板の上に新聞紙をくしゃくしゃにして敷いて、その上にスカスカにコークスを少し載せる。マッチは、10センチ四方の四角い箱に大量に入ったやつで、側面は全部茶色い擦り紙で、上面中央が四角く開いて、中からマッチを取り出して火をつける。上面には、つば付きの帽子をかぶった渋いおじさんがタバコに着火しているアメリカンコミックテイストの絵が描いてあった。ストーブに敷いた新聞紙に火をつけると、その下の灰を貯めるところの開口部を、うちわであおぐ。なんとか商工会、とかキンチョールとか書いてある竹の羽根に紙を張ったうちわだ。燃えやすい紙を燃やして下から風を送ると、上に載せた燃えにくいコークスは、割と簡単に火が付いた。種火がついたところで上に燃料を追加すればもう安心。音楽の時間と体育の時間は教室を空けるので、出る前に燃料を追加しておく。ストーブは、全開で燃えると赤く透明みたいになる。天板に火掻き棒で消火バケツの水を一滴たらすと、ちりんちりんと高い音を立てながら球体になって走り回り、だんだん小さくなって消滅する。通気口を絞って教室を出て、一時間後に戻ったら直ちに追加しないといけない。コークス当番の一日は、ミッション遂行で気の抜けない一日だった。
2026.04.16
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レイアウトベースの工事。長い垂木3本でコンパネ4枚を固定し、連結部に隙間ができないように短いやつで4か所補強した。さらに周囲も垂木で囲ってパネル状にした。脱線した車両が転落しないように、幅15センチのコンパネで周囲を覆う準備。垂木と3センチの幅で接合するので、壁面高さは12センチになる。40年ほど前にビルの階段に作りつけた本棚の棚板がちょうどあって、それだけでできることが分かった。レゴ、なんかすごいことになってきた。午後は配達。夕食後、レイアウトの壁面をカバーする画像を印刷してみた。
2026.04.15
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セピア3蕎麦屋とお菓子屋まで行ってみていたテレビが、家にやってきた。灰色の少し丸みを帯びた画面のブラウン管のテレビ。回すとかちっとスイッチが入って、さらに回すと音が大きくなるつまみと、右端にはセンターに衝立の入った大きい円盤状のチャンネル、チャンネルの周りには透明の微調整用のリングがついていた。裏側には固めたボール紙の蓋がしてあって、下の方には筋彫りで覆われたエンジ色の円錐形の調整つまみがあって、それぞれの下には「垂直同期」「水平同期」と書かれていた。スイッチを入れると、しばらくして画面がほんのりと明るくなってきて、やがてしっかりと映った。当時の福井はチャンネルが三つだけで、NHKは9チャンネル、福井放送は11チャンネル、教育テレビは3チャンネルだった。子供の手には少し歯ごたえのある「チャンネル」をガチョンガチョンと回して切り替える。映像が少しぼやけて音声がビビると、透明のリングを左右にじわじわと回してすっきり移るように調整した。無事にお目当ての番組が始まる。ビデオなんてないから見逃したら永遠に見れないので、柱時計とにらめっこして、開始時間にはテレビの前でスタンバイしていた。一個しかないスピーカーから、ややくぐもった声で主題歌が始まり、やがて本日のストーリィ。物語が少し進んだ頃、画面が電光ニュースのように、少しずつうえに上がり始める。最初はじわじわと、やがて加速して流れるように。ここで、テレビの裏にある「垂直同期」のつまみを少し動かすと、流れを止めて正常な画面に戻すことが出来るわけだ。左右に流れることはほとんどなかった。当時のテレビは、ちゃんとしたレストランのように、営業タイムが決まっていて、お昼の放送が終わるとしばらくお休みだった。ピーという音が出てやがて、画面が砂の嵐になってしまってた。再開は夕方、たしか大相撲の時間帯だったと記憶している。ピーという音とともに画面には十文字のストライプと同心円の画像の中央に放送局名の入った「テストパターン」が映る。それを見て、直線が直線に、円が正円に見えるように調整つまみでトライするわけだ。当時はまだまだコンテンツが不足していて、アメリカの子供向けの番組が多かった。三馬鹿大将、ちびっこギャング、スーパーキャット、ジャジャ馬億万長者、ブラボー火星人の真似をして耳をぴくぴく動かすのが流行ったりしていた。手塚治虫の「ふしぎな少年」の実写ドラマでは、サブたんが時間を止めると悪者が全部その場で止まるのに、遠くの方で犬がとっとっとっと歩いていたりしてたのどかな時代。土曜の夜は夜更かしできたので、大人の番組が楽しみだった。「夢で逢いましょう」は特にお気に入りで、「雪の降る街を」や「銀色の道」、「遠くに行きたい」といった、「みんなのうた」とはレベチの大人の雰囲気が大好きだった。日曜は、歯を磨いて寝る準備をした後で見た「私だけが知っている」という推理ドラマにクイズ番組がくっついたみたいなのもお気に入りで、筋道立てて矛盾点を検証する思考形態は、たぶんこのころに身についたのだと思う。幼稚園の先生が出すクイズはつまんなかった、こまっしゃくれたガキだった。
2026.04.15
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工房ショップ1階のレイアウトを全部撤去してベースのコンパネもはがし、垂木を配置してコンパネを固定していく作業。コンパネ4枚をワンピースにして段差ができないように強固に連結するため、接合部には7か所の固定を施す。さらに、周辺部からの車両の落下を防ぐために、縁には2X4のベルトを固定する予定。精密な計算をするのが面倒なので、丸鋸を持ち込んで現場合わせのカット。実験に勝る理論はない。テレビのイラン戦争の解説、なんか、ものすごく幼稚に見える。ワイドショーのはほとんど白痴。
2026.04.14
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セピア2小学校に上がったころ、昭和30年代の中ごろか、小遣いは一日20円だった。使える場所は主に駄菓子屋。くじ引きが5円。新聞くらいの大きさのボール紙の台紙に、甘納豆の入った小さな袋が整列してぶら下がっていて、一つ買って外すと、内側にハズレとか2等とか書いてある。当たりが出ると、上の方にぶら下がっている大きな袋の甘納豆がもらえる。袋の絵は、鉄人28号や鉄腕アトム、赤胴鈴之助や少年ジェットといったマンガのキャラクターで、一等は主人公やメインキャラ、二等三等と下がるにつれて、敵のボスやサブキャラ、下っ端戦闘員とダウンしていったな。チューインガムのくじ引きもあって一枚ずつのパッケージが手前に整列、ひとつ5円で買って包み紙を広げると、内側にハズレとかアタリが書いる。一等はでかいケースに入った、平たくした糖衣錠みたいなガム。このくじのセットは、開封時には右端に一等から順に当たりが収納されていて、てなわんおねーちゃんが開封するときは、あたりをごっそり抜いて後でちびちびと混ぜるので、最初に買うと損をした。たまたまおばちゃんが店番の時に新品を開封すると、そのまま出してしまうため、素知らぬ顔で右端のをつまんで一等ゲット。次の日に行くと、なぜかもうないはずの一等のガムが並べられていた。こどもたちはこうやって、おとなの社会の仕組みを学んでいったもんだ。駄菓子屋さんには貸本コーナーもあって、その場で読むなら一冊5円、持ちかえって翌日返却なら10円だった。その場で読む方が安上がりなんだけど、三人以上の友達で家で交換して読めばリーズナブルになる価格設定。友達が多いほどお得だった。コミックのタイトルは、怪談ものが多かった。読み切りの短編。漫画雑誌に載っているような有名なものではなかった。おもちゃでは、2B弾と銀玉鉄砲がポピュラーだった。2B弾というのは、コンパクトな紙筒のアタマがマッチになっている爆竹で、シュッと擦って投げつけると爆発する手りゅう弾として、兵器に使用された。銀玉鉄砲は50円する高級玩具で、一箱5円の銀色の球を発射する。これは近代のBB弾の元祖で、粘土を固めて銀色のラッカーで塗装してあったため、神社の境内に大量に廃棄されても、一雨降れば土にかえるというSDGS規格だった。
2026.04.14
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配達を終えてから、倉庫で作業。水上バイクのボディの分離、前後二か所に接着箇所があるので、その周りをカットする作業。少しカットしてエリアの確認。Nゲージの一階のレイアウトのベースを作り直すための垂木とコンパネを積んで、丸鋸と一緒にショップへ運んだ。明日は午後まで作業する予定。帰宅したら、ヤフオクで落札したプラレールの新幹線が届いていた。動力車は3台。今までは機関車トーマスばかりだったけど、これでいろいろできる。庭のもみじ、去年の暑さで枯れていた枝も復活した。
2026.04.13
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セピア1幼稚園は、キリスト教の教会の幼稚園だった。毎週土曜日は「献金」というのがあって、園児は5円とか10円とかを回されてくる献金箱に入れていく習慣。特に金額の指定とか強制とかは無かったと思う。家を出るときに小銭を渡されて、それを届けるというミッションだ。あるとき、親が渡し忘れて、手ぶらで登園してしまった。献金の儀式が始まって、献金箱がだんだん近づいてくる。まわってきても入れるお金は無い。ピンチ! そのころ、園児たちはみな、首からハンカチを下げていた。ゴムひものループにテルテル坊主のような形でハンカチを吊るされて、それがいつも胸の前にぶら下がっている状態。手を洗った後はそれで拭くシステム。献金箱が直前まで来た時に、そのハンカチに気が付いた。テルテル坊主のアタマの部分を指でしごいてみたら、真ん中に穴の開いたシルエットが浮かび上がる。ニワトリじゃないほうの5円玉だ。すぐにゴム紐をほどいて5円玉を発掘して事なきを得た。クリスマスのころには、クリスマス会という学芸会の下位コンパチのイベントがあった。ステージの上で園児たちがお芝居をするのだけど、テーマは当然、キリスト教のお話。憶えているのはイエス様のお誕生。とはいっても、救世主の出現を防ぐためにその地域の新生児を皆殺しにした、なんて血なまぐさい話はオミットで、馬小屋でイエス様がお誕生、そういうほのぼのしたシーンのお芝居。リーダーシップの得意な子が空を指さして流れ星を確認、引っ込み思案の子たちはセリフのないモブ。砂漠の小さな村の馬小屋でのお産。舞台は熱帯の砂漠地帯。このさい、くそ暑い赤いコートでトナカイが引くソリに乗ったサンタはおかしいんじゃないかなんてことは言わない素直な5歳児だった。幼稚園の庭にはジャングルジムという鉄パイプでできたスケルトンのフレームがあって、男の子も女の子もそこによじ登って遊んでいた。砂場もあったかな。60年以上前は、今では考えられないほど物が不足していて、子供のおもちゃなんて限られていたので、ガラクタを何かに見立てて遊んでいた。工事現場で拾ってきた木片に五寸釘を二本打ち込んで、「行け、鉄人!」というと身体のでかいやつがひじを曲げた両手を上にあげて「がおっ」と叫んで、がにまたでのしのし歩いてたりとかさ。
2026.04.13
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アドビのサブスクを解約した。イラレとフォトショを使いたいので続けてきたのだけど、何度も値上げして、5月からはついに9千円を超えてしまうようになるので、解約した。単純に月額ではなくて、年間契約の分割払いというシステムのため、今ならきれいに解約だけど、5月からの年度に入るとすっきり解約という形にならないもので、仕方ないので今月の手続き。もともと、XPの時代に買いきりで使っていたのだけど、OSが更新されていくうちに、サブスクにするしかなくなってずっと使っていた。更新するたびに新しい機能が増えて、作業がオートマチックにできるのはいいんだけど、なんというか、MTのキャブ車がCVTでアイドルストップついて自動ブレーキで雪道で駆動の抜けるTRCまでついてきた、みたいな感じの居心地の悪さ。見慣れたツールがどこかに隠れたり、やりにくい。そんなんで、ウィンドゥズ10のパソコンにXPをインストして、ネットにはつながない仕事オンリーにして当時のフォトショとイラレを入れて使うことにした。これでできる作業しかしないんだしさ。XP用のドライバーのない新しいプリンターは、PDFにして11のシステムで印刷すればいいだろう。ほんとは、11用に買い切りのCSが売ってたらその方が便利なんだけど。軽トラが欲しいのにタコマしか売っていない気分だ。午後から倉庫で水上バイクのボディ分離作業。とりあえず、サンダーで全周をカットした。一部、プライ数の多いとこがあるので歯が届き切らなかった。夕方、用事があって時めぐるカフェへ。待つ間、幾久のグラウンドをぼーっと眺めていた。そういえばすぐ隣にあるのに、足を踏み入れるのは小学校以来だ。体力測定でここを走らされた。まてよ、中学校かな。歩いてきたと思うので、明道の時だろう。それでも、もう60年くらいたつなあ。ひがしにたかきはくさんの しゅうほうひごとあおぎみる こここしのののただなかに・・・・・・
2026.04.12
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思考遊戯18物心ついたころ、家にある黒い箱が不思議だった。扉を開けると中はキンキラキン。ミニチュアの家のようになっていて、ろうそくを灯して、金色の茶碗を棒で叩くとチーンと鳴って、よくわからない飾りの詰め込まれた物体。ときどきスクーターに乗ったお坊さんがきて、呪文を唱えてみんなも繰り返していて、なんとなくサタンの爪の集会みたいなこともやってた。「宗教」というものの存在がおぼろげながら分かったのは、もう少し後、小学校にあがってからだった。正直言うと、今でも、宗教に夢中になる人の気持ちは理解できていない。哲学としての経典や聖書には興味があって軽く読んではいるけれど、信仰して拝むその心理には全く共感できないでいる。外野から見ていると、みんな「死」というものについて恐れていて、その恐怖を克服するためのまじないみたいな感じで呪文を唱え、手を合わせて瞑想しているように見えるのだけど、死んだら消えてしまうのだから、怖がってもしょうがないと思う。死んだら天国に行くとか地獄に行くとか、いろんな話を語る人を見てきたのだけど、そんなもん、死んでみなくちゃわからないわけで、たとえ死にそうなめにあったとしても、それは所詮生きている間のことに過ぎなくて、それはどこまで行っても、生きている人の想像する未知の世界でしかないわけだ。死ぬことが怖いと思うのは、死んだ後にも意識があると信じているからなのだろう。生物学的には、生命活動が停止すれば大脳内の神経電流はすべて消滅して、すべての演算が止まるわけだが、それでも「意識」が存続すると考えていることになる。人の心は大脳にはないと信じていることになる。では、彼らは自分の心がどこにあると思うのか。肉体から離れて独自に存在する「魂」という存在があると思うからこそ、肉体が滅びた後の自分について心配するのだろう。そのような世界観を前提に「死」を考えるならば、大脳は意識と現実のインターフェスということになるので、それが作動を停止したなら、われわれは五感のすべてを失って、何も見えず何も聞こえず、触ることもできない無音の闇の中に取り残されることになる。今までいたこの世界からぷつんと切り離された、孤独の闇の中だ。覚めることのない眠りのようなものか。なるほど、それは怖い。見てきたように嘘を語る宗教屋の創作童話にすがりつきたい気持ちにもなるだろう。南無と頼めば阿弥陀仏さまが助けてくれると本気で信じることが出来るなら、死のその瞬間まで、来ると信じている来世までを、穏やかな気持ちで過ごすこともできよう。信じるものは、救われる。そんなお買い得な教えなんぞ信じられないバチアタリは考える。死んだあと、この世界のすべての情報を断たれて、自分だけの中に閉じ込められるというのなら、自分の心の中に、必要な物全てを抱えていくことだけが、生きている間に人間ができる唯一の対策だ。この世のすべてのものには価値がなくなる。生きてきたすべての財産は、心の中に携えて逝くしかない。なんだ、外野から見れば同じだな。
2026.04.12
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思考遊戯18物心ついたころ、家にある黒い箱が不思議だった。扉を開けると中はキンキラキン。ミニチュアの家のようになっていて、ろうそくを灯して、金色の茶碗を棒で叩くとチーンと鳴って、よくわからない飾りの詰め込まれた物体。ときどきスクーターに乗ったお坊さんがきて、呪文を唱えてみんなも繰り返していて、なんとなくサタンの爪の集会みたいなこともやってた。「宗教」というものの存在がおぼろげながら分かったのは、もう少し後、小学校にあがってからだった。正直言うと、今でも、宗教に夢中になる人の気持ちは理解できていない。哲学としての経典や聖書には興味があって軽く読んではいるけれど、信仰して拝むその心理には全く共感できないでいる。外野から見ていると、みんな「死」というものについて恐れていて、その恐怖を克服するためのまじないみたいな感じで呪文を唱え、手を合わせて瞑想しているように見えるのだけど、死んだら消えてしまうのだから、怖がってもしょうがないと思う。死んだら天国に行くとか地獄に行くとか、いろんな話を語る人を見てきたのだけど、そんなもん、死んでみなくちゃわからないわけで、たとえ死にそうなめにあったとしても、それは所詮生きている間のことに過ぎなくて、それはどこまで行っても、生きている人の想像する未知の世界でしかないわけだ。死ぬことが怖いと思うのは、死んだ後にも意識があると信じているからなのだろう。生物学的には、生命活動が停止すれば大脳内の神経電流はすべて消滅して、すべての演算が止まるわけだが、それでも「意識」が存続すると考えていることになる。人の心は大脳にはないと信じていることになる。では、彼らは自分の心がどこにあると思うのか。肉体から離れて独自に存在する「魂」という存在があると思うからこそ、肉体が滅びた後の自分について心配するのだろう。そのような世界観を前提に「死」を考えるならば、大脳は意識と現実のインターフェスということになるので、それが作動を停止したなら、われわれは五感のすべてを失って、何も見えず何も聞こえず、触ることもできない無音の闇の中に取り残されることになる。今までいたこの世界からぷつんと切り離された、孤独の闇の中だ。覚めることのない眠りのようなものか。なるほど、それは怖い。見てきたように嘘を語る宗教屋の創作童話にすがりつきたい気持ちにもなるだろう。南無と頼めば阿弥陀仏さまが助けてくれると本気で信じることが出来るなら、死のその瞬間まで、来ると信じている来世までを、穏やかな気持ちで過ごすこともできよう。信じるものは、救われる。そんなお買い得な教えなんぞ信じられないバチアタリは考える。死んだあと、この世界のすべての情報を断たれて、自分だけの中に閉じ込められるというのなら、自分の心の中に、必要な物全てを抱えていくことだけが、生きている間に人間ができる唯一の対策だ。この世のすべてのものには価値がなくなる。生きてきたすべての財産は、心の中に携えて逝くしかない。なんだ、外野から見れば同じだな。
2026.04.12
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ハビテラスでイベントをやっているせいか、立ち寄る人多数。常連メンバーに加えて初見のお客さんがいろいろ来店。考えてみれば、福井市の一等地で利益の出せないこんな空間が存在することは普通ならあり得ないな。再開発のための隙間の利用だからできる施設だ。でも、公共施設の予算と比べたらとてつもなく小さい経費で維持できるんだよなあ。地下のレイアウトの変更。ユニット式のジオラマのためのスペースを、奥の方のメンテのために20センチ移動した。そこに展開していたプラレールは、もう一つのスペースを拡張して移設、さらにガラスのフロアを上に二層増設して三次元の展開とした。レゴの展示も進行中だ。一階のNゲージのレイアウトのほうは、ベースがコンパネを載せただけのため、ギャラリーが体重をかけると動いて脱線するため、一度作り直すことにした。レイアウトも、メルクリンを撤去して国産のHOと入れ替え、NゲージはHOの内側に展開して、ポイントの多いレイアウトにする予定。この場所での試行錯誤は、新しいコンテナショップのレイアウトに反映させる。
2026.04.11
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配達を終えて倉庫へ行ったら、ヤモリのちっこいのが床でじっとしている。死んでいるのかと思ってつんつんしてみたら、もそっと動いた。気温は動けなくなるほど低くはないので、脱水かな。つぶさないようにペーパータオルですくって、外の草むらに放しておいた。連れて帰ってイモリウムに入れといたほうがよかったかな。水上バイクのボディの分離。雨の合間にサンダーでカットしてみた。かなりごついな。日曜は天気が良いみたいなので、一気に分離することにする。工房ショップの地下の展示台を広げるために、ビールケースとコンパネを積んで駅前まで運んでから帰宅。夕方から時々かなりの雨。池の水は満タンだ。
2026.04.10
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思考遊戯17獣医の大学をやめてから美大に入るまでの1年間、都内の予備校に籍を置いていた。工学部に入るつもりでいたのだけど、自分のやりたい事とは違うことがわかってきて、籍だけの幽霊予備校生でクルマ屋さんのバイトなんかしていた、かっこよく言うとモラトリアム期のはなし。ある日渋谷の街角でアメリカ人の女の子に声をかけられて誘われた二泊三日の研修旅行、富士五湖のほとりで交通費と宿泊と食事付きで、たしか5千円だった。ユースホステルより安い旅行だ。面白そうだったので参加した。これが最近、にわか評論家があてずっぽうの評論で盛り上がっている原理運動(統一教会)の勧誘だった。バス2台に同世代の若い男女を満載して、河口湖畔の宿泊施設に到着、食事の後は3人ずつのグループに分かれて、すこしだけ哲学的なスパイスのテーマについての話し合い。議論というよりは想いの吐露みたいな、まあ、パジャマパーティだな。11時になったら寝なさいと指示されたものの、一切の強制がないので1時2時まで盛り上がる。3人のうちの一人がサクラで、会話が途切れそうになると干渉することに気づいた。翌日は6時起床で爽やかな湖の遊歩道を軽いランニング、睡眠不足と軽い疲労での朝食では、カルピスを薄めたみたいなスープに薄いキュウリが浮かんでいたのを今でも憶えている。気分としてはすっきり爽やかなんだけど、睡眠不足と疲労と満腹のために、生物学的にはもうろうとしている状態で、「講義」を受ける。自信たっぷりに断言する教義は、まるでそれが宇宙の真理のように素直に心に入ってきて、そのうち、一人が奇声を上げてケアを受ける。「悪魔が入った」との説明。遠足のバスでげぇをしたときみたいに、連鎖的に数人が奇声を上げていく。触媒役はサクラだなあ、なんて冷静に観察している自分がいた。そんな日が二日続いた最終日、広場のキャンプファイアーでひとりずつ、自分の懺悔文を書いた紙を炎にくべての宣誓、次々とみんな、「私はこの会に入会することを誓います」と宣言していく。結局、「私は入会しません」と宣言したのは自分一人だけだった。なんでたかが人間風情を拝まなきゃいけないんだと心で思って、詰め寄る全員に向かっては「自分の心を偽ることはできません」という優等生の回答(^^)その後バスは渋谷の大きな家に到着、そこが「教会」だという。こういうところはいいなあと思った。権威の象徴みたいな建築で威圧するのは、キリストが毛嫌いしていたごみくずのような宗教屋だもんなあ。で、入会を宣言したものは、アパートの鍵を渡して、契約解除の書類にサインさせられて、教会のスタッフはそれを持ってアパートの荷物を回収、一瞬で彼らは退路を断たれていた。でも、間違いなく自分の意志で入会したということになるんだなあ。すごいなあと思ったのは、入会を否定した自分に対しては、何の強制もせずに、そのまま自由に教会への出入りを許可していたこと。その後もアパートに帰って、彼らの「講義」を無料で受けていた。講義の内容は、まあ、理科系ならだれでも思いつくような、科学の限界から巧みに造物主の存在へ導いていくという、SFマニアならおなじみの手法で、特に目新しいものはなかった。ある日、「この教義を世界に広めるために一番重要なものは何だと思いますか」という質問。何人かの後に名指しで問われたので「お金」と即答したら、みんなに笑われたけど先生に褒められた。そう、それが正解です、力のない正義は勝てない、この文明社会での力はお金ですという、当たり前の説明。ああ、まともだな、ここの人たち。その後、給料払うから宣教師として仲間にならないかとまで言ってもらえたけれど、そのころにはもう、武蔵野美大なら自分の好きなことを4年間自由にやれるなあと確信していたので、入らずに受験した。あの時確信したのは、学生運動や宗教に入ることのできるのは、犬型の性格の人だという事。犬だとイメージが悪いので、オオカミ型とトラ型と言い換えよう。自分の上下を確認して組織の一員として所属することで安心するタイプのオオカミ型の性格は、スポーツの世界や宗教や政治活動の組織とは親和性が高いが、自分のようなネコ型の性格は、心の主導権をたかが人間風情に渡すのは、死んだほうがましだ位の嫌悪感が強烈なので、団体競技もマスゲームも宗教も政治活動も、全部無理(^^)
2026.04.10
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朝、庭に出てみたら、こないだまでただの枝だったのが、いろいろと芽吹いていた。百日紅や山椒もちゃんと生きていた。バラも全部元気。街の中も春。コンビニには一人で演説しながら入ってくる老人もいた。頭の悪い子のバイクもぶりぶり。鉄道模型の展示のとこにいると、やたらと喫茶店をやればいいのにという人がいて閉口する。なんか、そういう商売を舐めているなあと思う。事務室で来客にお茶を出すくらいのことでお金をもらえるという感覚なんだろなあ。洋服を並べて置いておくだけでは洋服屋の経営がうまくいかないように、見た目だけを真似て成立する仕事なんてないわ。原稿用紙やるから小説家になってみろ(^^)。A1サイズのカードケースをカットしてみた。ペパクラのサンプルケースに当ててみた。めんどくさいけど、これで行くか。タイラップを通す穴は、熱で空けるよりミニドリルのほうがいいかな。
2026.04.09
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