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例年節分には心願成就・厄除開運の縁起達磨が授与され、寺内ことごとく達磨で埋まり大勢の参詣者で賑わいます (だるま寺、9年前に簡単ですが一度UPしています) だるま寺 臨済宗妙心寺派・法輪寺、通称「だるま寺」で親しまれます 500年代天竺(インド)から中国に渡り、手と足を無くすほどに苦行・忍苦の修行により禅宗の開祖となった達磨大師、日本ではその忍苦の精神を慕い日本独特の七転八起の起き上りだるまに姿を変え寺院や仏壇に厄除け縁起の神となり、また子供には玩具ダルマさんとなり活躍されることとなります 法輪寺は、1718年大愚宗築(ダイグソウチク)禅師を開山とし、万海慈源和尚が創建された寺院で、創建には十年の歳月を要したとされています昭和8年第十代伊山和尚により大書院が建立され、起き上り達磨を鼓吹し禅の大衆化が図られてきました、戦後になって起き上り達磨堂・衆聖堂や本堂の諸堂が建立されその名は広く知られる事となります ↓衆聖堂の天井図「不倒・だるま図」です 戦後世に達磨三福人の内、描いて日本一と讃えられた樋口文勝老師83歳の筆で、不倒の文字は近時の臨済宗名僧・山田無文老師雄渾の一筆です (天井までが近くなかなか全体を撮れません) ↓法輪寺・だるま寺山門です 右には三国随一の起き上りだるまでら・法輪禅寺と彫られた宝塔が立ちます 左は門前左に立つ門標です ↓境内、庫裏から諸堂が立ち並びます ↑寺内に置かれた達磨大師石像 ↑山本兆揚画伯の達磨大師です↓右は新年の挨拶記事に載せました軸、仏画を描いて昭和・平成の第一人者、山本兆揚画伯の筆です、左右の達磨大師見比べて下さい ↓「十二支干支達磨像」石像です 達磨坐像を囲み十二支の像が安置される動物愛護供養塔です ↓「七転八起」の額が架かる「起き上がり達磨堂」です 起き上り達磨の本質は、倒れても自力で起き上がる力だと説かれます 達磨像は、人が生きてゆく中で多くの忍苦に耐えて生き、そして立ち上がる力強い姿そのものと教えて呉れているのでしょう ↓入り口より大きなだるまさんが並びます ↓堂内8,000体の寄進されただるまさんが収容されています ↓正面奥は、ご本尊「三国随一の起き上がり達磨」です ↓だるま堂の天井は「不識・だるま図」です 絵は同じく樋口文勝老師筆によるもので、「不識(ふしき)」とは一般的にはしらず・しらないとの意ですが、禅での解釈は聖とか凡・生とか死の対立する二念に拘らず捨て去った境地での表現とされている様です ↓「衆聖堂」鮮やかな朱色が映えます ↓山田無文老師による命名の衆聖堂 見上げるとうっすら最初写真の天井画が見えます ↑本堂の上活眼達磨棟瓦です ↑階下衝立に描かれた不動心達磨 ↓衆聖堂正面は檜造り達磨像や十六羅漢木像が祀られています 下がるユニークなだるま提灯、その表情と共に和みます ↓二階には桃山時代の金箔等身寝釈迦木像「仏涅槃木像」が祀られています、またここはキネマ殿とも呼ばれ日本映画界に功績のあった140人余の位牌を祀り過去帳には600余名の霊が納められます ↓映画界に名を残す牧野省三・市川右太衛門・小津安二郎・森繁久彌・森光子・渥美清・高倉健各氏らの位牌が並びます ↓方丈へ回ります 取り付けられた窓もだるま並びます ↓庭に面する方丈入り口「転法輪」の山額 車の輪が廻るよう仏法を説く法輪寺建立の意が込められた額と謂れます 月羅山和尚名筆と書かれています ↓方丈正面 ご本尊・釈迦如来を祀ります ↓赤書されただるまの屏風です ↓方丈前庭 枯山水庭園「無尽庭」です 西方には牛を型どる大きい貴船石が置かれています 禅の悟りに至る十の段階を表す十牛図(ジュウギュウズ)をモチーフにされていると謂われます ↓庭東方です 三尊石を模する岩と豪快な石組み下は苔で覆われています 岩もまた苔生しています ↓正面です 大きなもみじの古木が枝を張っています ↓「庫裏」正面です ○△□衝立は禅宗思想を顕す様です、地(□)・水(○)・火(△)を象徴しているとのこと 以前の御朱印です ↓一昨年の「節分大祭」の模様です 友人が撮ってくれ残していた写真です ↓沢山のだるまと大勢の人で埋まっています こんな中出掛けるのは今の自分には到底無理です ↑例年出店がでています ↑¥100.だるま焼です あとがきです、最近になって新聞・パソコンとみに見ずらく、記事の編集やブログ訪問には”拡大鏡”なるものを使ってはいますが、この際自分のブログ太字での表示に変えました ***************** 京都ええとこ一覧下 京都市の地図をクリック拡大して、各所に付されたNoをお控えのうえ下記 3区分の中のNoの説明をクリックして頂ければ記事にリンクしますのでご覧下さいただ、最近の2018年以降の各所記事については図の中に表示出来ていません、区分3.よりお入りください 「京都ええとこ記事一覧」 1.(No. 1~ 48はこちらから) 2.(No.49~ 96はこちらから) 3.(No.97~143はこちらから) ←2018年以降の記事はこちらからです京都各所について何かお尋ねになりたい事などありましたらコメント欄にお入れ下さい、こちらの判る範囲でご返事差し上げます そしてもう一つ拘っていた「京都ええもん」少しだけですが画像クリックして下さい 京都ええもん
2020.01.29
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記事の内容がコロッと替わります 京都美味しいもののご紹介ですすぐき ご存知でしょうか? また召し上がられた事おありでしょうか? 京都上賀茂地区限定の野菜でつくられているため、京都以外の方にはあまり馴染みのないものかも知れませんが、乳酸菌による発酵作用で味わい深い酸味が特徴の漬物です すぐき漬け 京都冬の三大漬物の一つです 千枚漬けとしば漬けはよく知られていますがもう一つが「すぐき漬け」です、すぐきは桃山時代に始まる300年の伝統を持つ京都を代表する漬物です、原料であるすぐき菜は上賀茂地区に伝承するかぶの一種で、平安時代には他地区への持ち出しが禁止されここだけの特産品となり希少価値の高いものとなりました、漬物となった時特有の風味のある酸味(乳酸発酵)から「すぐき(酸茎)」と名付けられています、伝統の技と塩だけで添加物は一切使用せず漬け込み仕上げる自然食品そのものですもう一つの京都上賀茂夏の名産品「賀茂茄子」と入れ替わり栽培されつくられます ↓「すぐき漬け」仕上り品です おゆずり頂き撮影した写真です ↓「京の上賀茂すぐき倶楽部」というすぐき生産農家の集まりです、会員にお知り合いの農家さんが居られ以下はそちらの説明資料・写真でご紹介します ↓例年すぐき菜の収穫に合わせ行われる「上賀茂すぐき奉納奉告祭」上賀茂神社で行なわれ神主さんの先導で上賀茂地区一円を練り歩きます ↓上賀茂すぐき倶楽部会員さんが祭りを盛り上げます ↓収穫された「すぐき菜」です、すぐきは、8月~9月初旬にかけて種まきが行われ、収穫時期は11月終りから12月で特有の味で他の料理には不向きで使われません、もっぱら漬物用の野菜です ↓すぐき菜の栽培されている上賀茂の畑です 収穫はまだ暫く先の様ですがよく伸びています 収穫されたすぐき菜は、包丁で一つずつ皮を削ぎとり丁寧に皮をむいて洗い、水を張った直径2mもの樽にたっぷりの塩をふり重石を乗せ一昼夜漬け込まれます、 ↓「荒漬け」の工程です 荒漬けを終えたすぐき菜を四斗樽の底から一段ずつたっぷりの塩をかけて渦巻き状に積み上げられる「本漬け」の作業に入ります ↓「本漬け」 塩加減や重し加減は熟練の技となります ↓「天秤押し」 本漬けの樽を3~4mの丸太棒の先に重しを括りつけテコの原理で相当な圧力をかけて漬け込まれます ↓「室(ムロ)」で熟成 本漬けが終わった樽を40℃に熱しられた室の中へ重しを乗せて八日間発酵させます、この室や樽には乳酸菌が長年住み着いていて熱による発酵と合わせコクのある特有の味に仕上がります この工程を経て仕上がったすぐきには豊富な乳酸菌を含み腸の働きを助ける健康食品となります、また植物性乳酸菌「ラブレ菌」は、このすぐき漬けから最初に発見されました、ラブレ菌は、ガンやウィルスから身体を防御する因子インターフェロンの生産能力が高まり、安全で副作用のない免疫能力助長剤としての可能性があることが研究で明らかになっています ↓すぐき漬け、良い色で漬け上がりました 室で熱を加えて仕上げる工程は大正時代に入ってから考案されたものです、それまでは自然発酵で熟成され仕上がりは5月初旬で口に入る時期は初夏となり夏に戴くものでした、従って冬の三大漬物となったのはこれ以降大正・昭和と経て定着したものです↓再度、購入した丸蕪です 大きいすぐきこれで430g、最初の写真ので一つ500gあります、ここからは自前写真です ↓蕪はタテ半分に切り山型や櫛型に切り、葉は切り刻んで一緒に盛り付けします ↓「刻みすぐき」これは家で刻んだものですが、刻んだものがそれぞれの漬物店で味付けされ袋詰めされて販売もされています このすぐき、ほのかな甘酸っぱい香りにコクのある酸味を感じ、また良い塩加減と噛みしめるうちに甘味も広がりまたほろ苦さも感じ、加えて適度な歯切れの良さで、熱いご飯に相性よく酒の肴にもピッタリ合いお酒すすみます
2020.01.19
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私の住まいする地域一帯・大将軍(タイショウグン)の氏神様です、近くにある学校・大将軍小学校やはりタイショウグンと読みますが、大将軍八神社はダイショウグンと読みます また、一般的に○○神社・XX神宮の場合その○○.XXが神社の名を指しますが、ここは大将軍八神までが名を指します、大将軍八神の社(ヤシロ)ということです 今年2日に初詣でしたが、氏神様であり例年のようにお詣りしていますので写真は過去の年のものも含まれています、ご了承お願いします。 大将軍八神社 平安京より千年.京都の北西方・天門を護ります 794年桓武(カンム)天皇による平安遷都の際に陰陽道で祀られる星神(方位神)である「大将軍(ダイショウグン)」のお堂を天門にあたる都の北西に建て、怨霊や災いの侵入を食い止めるとの趣旨で大将軍社が創建されました、初めは大将軍一神でしたがあと七神を合わせ八神とされました、 明治に入り、神仏分離令により神道を国教として「素盞鳴尊(スサノウノミコト)」の御子神を迎え暦神の八神と習合させ正式に「大将軍八神社」とされています ↓本殿にかかる額「大将軍八神」です ↓神社.石の鳥居と神門まえです 鳥居の額は「大将軍社」、先程の本殿の額は「大将軍八神」ここの石碑は「大将軍八神社」です 神社の成り立ちの経由が読み取れます 平安京は”四神相応の地”という風水上最高な土地に創られました、北に丘陵で玄武、東に川で青龍、南に湖で朱雀、西に大道で白虎、により護られています この平安京の四方に都を守護する大将軍社が建てられました左より、北に位置する西賀茂・大将軍神社、東には東三条・大将軍神社、南には藤森神社内の大将軍社ですそして西(天門)には大道に通じて一番重要だった方除・大将軍八神社が守護します、今も大将軍八神社を含め四社とも現存しています 八神社に戻ります ↓神門の向こう参道正面は本殿です ↓社内には三社・五摂社も祀られその幟が立てられています ↓「本殿」正面です ↓本殿の真ん前に立てられたモニュメント 星の下八角形の台座には「乾・兌(ダ)・離・震・巽(ソン)・坎(カン)・艮(ゴン)・坤(コン)」の八文字が刻まれています 陰陽道と八卦からいう方位を指します ↓本殿御前です 正面奥に丸い鏡が光ります、お詣りしましょう ↓本殿の側面、ご祈祷はこちらから上がり承けてお詣りします ↓本殿のすぐ側に立つ御神木「招霊ノ木(オガタマノキ)」、大木で字の通り霊を招くされ本殿のお詣り済ましこの御神木をお詣りしパワーを戴く様にと説明されています ↓吉方の方位神「歳徳神」と凶方の方位神「大金神」が祀られています 吉方の歳徳神にはお力添えを、凶方の大金神にはお許しを願ってお詣りします ↓「宝徳殿」星づくしの神社宝物が収蔵されています ↓星の神様である大将軍神一体の石像が入り口を護ります 宝徳殿一階には貴重な木造の御神像が80体(重文)、陰陽道の宇宙観を顕す星曼陀羅の世界を描くよう立体的に飾られ、二階にはの陰陽道の古天門暦関係資料等が展示されています (宝徳殿は春秋二囘のみの公開で写真は不可、以下の写真は神社と敬神会の資料からです) ↓「天球儀」天空の星や星座を球状で描かれたもので、江戸時代の天文暦学者渋川春海(シュンカイ)作の日本最古級のものとされています ↓「星曼陀羅」前述の立体で保存される御神像の星曼陀羅を平面で描かれたものです ↓平安京を護る「四神」左より、北を護る玄武.西の白虎.南の朱雀.東の青龍です 参拝者に”百均”でふりまわれます 甘酒 と焼きまんじゅう大やきです ↑毎年11月には氏子に配られます 令和二年の天文暦とお札 平安神宮は京都市内の守護神で一緒に ↑北斗七星が縫い込まれる神社のお守りです ←ご利益めぐり子歳守護「西大路七福社」(西大路通りの東西に沿う七神社です)吉祥院天満宮 知恵・学問の神若一神社 開運・出世の神春日神社 病気平癒・厄除けの神 わら天神宮 安産の神平野神社 開運の神熊野神社衣笠分室 延命・長寿の神そして、大将軍八神社です お詣りを終え、今年一年ご利益を戴き過ごさせて頂ける事でしょう ***************** 京都ええとこ一覧下 京都市の地図をクリック拡大して、各所に付されたNoをお控えのうえ下記 3区分の中のNoの説明をクリックして頂ければ記事にリンクしますのでご覧下さいただ、最近の2018年以降の各所記事については図の中に表示出来ていません、区分3.よりお入りください 「京都ええとこ記事一覧」 1.(No. 1~ 48はこちらから) 2.(No.49~ 96はこちらから) 3.(No.97~143はこちらから) ←2018年以降の記事はこちらからです京都各所について何かお尋ねになりたい事などありましたらコメント欄にお入れ下さい、こちらの判る範囲でご返事差し上げます そしてもう一つ拘っていた「京都ええもん」少しだけですが画像クリックして下さい 京都ええもん
2020.01.08
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令和二年 新しい年が明けました 地表いや月表から地球が昇ります 月周回衛星”かぐや”からの地球の出です 2008/04/05 NHK提供の写真です どうぞ.よろしくお願いします 令和になりはじめての新年です 元号は万葉集の梅花の宴からとられていますね 梅の花と云えばこちらから 北野天満宮 紅白の梅 今しばらくで咲き初めるでしょう ***************** 京都ええとこ一覧下 京都市の地図をクリック拡大して、各所に付されたNoをお控えのうえ下記 3区分の中のNoの説明をクリックして頂ければ記事にリンクしますのでご覧下さいただ、最近の2018年以降の各所記事については図の中に表示出来ていません、区分3.よりお入りください 「京都ええとこ記事一覧」 1.(No. 1~ 48はこちらから) 2.(No.49~ 96はこちらから) 3.(No.97~143はこちらから) ←2018年以降の記事はこちらからです京都各所について何かお尋ねになりたい事などありましたらコメント欄にお入れ下さい、こちらの判る範囲でご返事差し上げます そしてもう一つ拘っていた「京都ええもん」少しだけですが画像クリックして下さい 京都ええもん
2020.01.01
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