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ほおずきの透ける衣に秋日陰 風子 兄妹ひとりの母を取り合えり 秀風 父のいない前大戦時、幼い私ら兄妹の母との交わりの光景を詠んだ叔父の句。母は幼い妹にホオズキ笛を作ってやり、ならしていたのを、私がよこから掠め取っては、兄妹喧嘩?している様子を見かけて、おそらく詠んだのであろう。ホオズキが色づくとそんな頃を思い出す。だから、今も枯れても鬼灯を仏壇に供える。
2015.09.02
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頃合いを計りかねたる落とし文 風子 落としぶみとは、落としぶみ科の昆虫が卵を産み付けた葉を巻いたもので、落としぶみの揺りかごとも言われる。みずから葉を切り落として卵を外敵から守るといわれ、思いを巻紙に認めた文を、わざとおとす付け文に似ていることから名付けられたという。必ずしも落ちるというか、落とすわけでもないらしい。 季語は夏であり、落とし文を探していたわけでもなく、待ってたわけでもなく、偶々見かけたにすぎないのだが…。
2015.09.01
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ふるさとへ帰るむくろに秋の雨 風子 つとめ終え空を仰げば八月尽 風子 落ち蝉に別れを告げてつくつくし 風子 夏蝉の骸があちこちに見られるようになり、替わって、もう、つつくほうしの声が聞こえるようになった。僅かな地上での時間に子孫を残す、という大役を果たし終えて秋空を仰ぐすがたに仏性をみる、如是。
2015.08.31
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この道はどこへゆくのか秋の風 風子 安保法案はどうなるのか、自民党総裁選は対抗馬なしだというし、維新の党はすったもんだしてるし、言えるのはいずれも国民不在のままである、ということだろう。民主主義国家では国民が主権者だと言うことがまったく忘れられてる。違うか?森の花に問うてみる。
2015.08.30
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新涼や尽きることなきさざれなみ 風子 新涼や微かに薫る後れ髪 風子
2015.08.28
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野分あととんで灯に入る虫の魂 風子 嵐のあとには、被害はなくとも何か異変があるものだ。どこからやってきたのか、ガラス戸を何か打つ音がするので、開けてみるとこんな昆虫の闖入者。対決のあと追われて来たのか、脚が一本かけている。救いを求める知恵があるとも思えないが、灯りをたよりに来た以上保護せねばなるまい。訪ねた家を誤らなくてよかったね、と小さな魂を讃えてやる。
2015.08.26
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爽涼や待てば甘露の日和かな 風子 颱風本体は既に日本海へ抜けたというのに、昨日から今朝方にかけて三重は激しい風雨に見舞われた。南部では一日で700ミリ近く、風子の棲む地域でも250ミリを超えた。一日で8月中の平均雨量の約1.6倍強の雨だった。地域の被害のほどは把握してないが、雨が上がったからといって、まだ油断はできぬ。そんな今朝の玄関脇で、互いの生命を懸け死闘を繰り広げるシーンが目に入った。嵐の中、網を張ってじっと待った小さな蜘蛛の糸にしっかり脚を捕られた形のカメムシ?。助けて逃がしてやるべきか、はたまた、艱難辛苦準備おさおさ怠りなく待った方に軍配をあげるべきか、僅かな思案中に、待てば甘露の日和あり 、勝負あった!。
2015.08.26
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野分雲いそいそと客帰りけり 風子 今年は颱風が多いという。颱風の被害は圏内にとどまらないから油断がならない。本体のかなり西側でも巻き込まれる雨雲がもたらす豪雨が心配だ。備えは当然だが、被害のない事をひたすら祈るのみ。
2015.08.25
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谿谷(たにあい)を山へ流れて処暑の風 風子
2015.08.23
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身じろがず三角貌の拝み虫 風子 身に入むや好機逃さぬ根性魂 風子 この三角貌の愛嬌者、華奢な身から想像もできない俊敏さと驚くほどのどう猛さをみておどろく。沈着冷静にして、果敢。これでなきゃ~いかん、とも思う。韓詩外伝に、斉の荘公が猟に出たとき、一匹の虫が前足を構え、一歩も引かず跳びかからんばかりの勢いに、こいつが人間だったらきっと天下を取ったであろうと感服し、避けて通ったとある。いまでは、己の力量も顧みず立ち向かう愚か者の喩えになっているが、 どうか。肉色で、ときに蛙や蛇さえ襲い、喰うというど根性には舌を巻く。ときに、雌は交尾中にもオスを喰うときくと呆然とするばかり。前足を構える様子が拝む様子ににているので拝み虫ともいう。
2015.08.23
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きちこうや昔偲びて明日に生く 風子 雨上がりもの言いたげに桔梗咲く 風子 万葉の時代、朝顔と詠まれた日本の桔梗、生粋のにっぽんっ子。きちこうは漢名、乾燥した根が硬い事に由来する。気品のある花色、星のような端正な花びら、袋のような蕾が古来愛され、武士の家紋にもとりいれられた、秋の七草の一つ。花言葉は、永遠の愛、誠実、清楚、従順etc.
2015.08.22
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行灯に祈りささげてちちろなく 風子 わっぱらのはしゃぎをよそにちちろむし 風子 遅がけの盆行事は子供達の最後のたのしみ。太鼓の音と音頭に踊りの輪、祈りの行灯、賑わう夜店。蔭では騒ぎをよそにちちろがなく。この行事がおわれば、一気に秋めく。多くの虫が集く声が静寂を包むのもまじか。
2015.08.21
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構わんでくれと意地張る生御霊 風子 父が早逝したので、母が亡くなった時の歳と合わせて133、親より先立つ不幸もせずにいる自分ら夫婦の歳合わせて155、感謝し、今年も送った親の盂蘭盆会、自らも子らの世話にはならん、と意地張っている
2015.08.20
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露草にこぼるるほどの泪かな 風子 儚さはしばし忘れてほたる草 風子 露草は、可憐で控えめな一日草だ。花に泪を見るなんてことは、あまりなかったが、想像力をはたらかせると、世界が広く見えてきて物語もひろがる。
2015.08.18
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国のため死ぬ意味を問う敗戦忌 風子 植民地支配、侵略、反省、お詫びなど先の大戦の歴史認識に関わるキイワードが入るか、どうか、メディアが注目した阿部総理の70年談話。村山談話や、小泉談話、河野談話に縛られる必要はない、と強気だったが、自分の思いは封印して、側近にさえ、あんなものならわざわざ今出すことはなかった、と言われるほどの空虚な談話。自分達のお願いが、盛り込まれた、と得意げなのは公○党幹部、片腹痛い。複数枚舌の一枚に過ぎなかった70年談話は、あらためてどうのこうの言う値打ちもない。ただ、次の世代にまで謝罪はさせないようにしたい、という総理の本音がちらり出ており、頭隠してなんとかで可笑しい。 それよりも安保法制をめぐる強引な安倍政治を巡り、ここに来て俄に国民の間に議論が高まって来たことに注目したい。先の大戦の参加者、被災者など戦争を知る人たちが、口を開き始めたことだ。メディアも沢山とりあげて、戦争の悲惨さ、悲哀を訴えている。それはよい。そして、何の疑問もなく、みなお国のために働き、純粋な気持ちで死地にも赴いた、という。それも事実である。私の少年時代もそうだった。年端がいかず特攻機には乗れず終いで迎えた敗戦後も、好奇と欲で群がる友人達に、ガムやキャンディを投げて笑って居る昨日までの鬼畜米兵に、唾を吐きかけたくなるほど憎悪の念が染みこんでいた純粋な愛国少年だったからだ。そんな純粋で一途だった私も、純粋であったことで起きた多くの悲劇に泪するだけで済まして良いのかと、いま考える。純粋だった行為を美化するだけでは、再びの過ちを防ぐ事は出来ないのではないか。戦さとは、敵も味方も、お互いが、国のため家族のためと、誰かに信じ込まされて行うもの。純粋さに泪するだけでは、戦さの悲劇はただの悲劇で終わる。戦さをなくし平和を維持することは出来ないのではないか。悲しい事実を語り伝える事はもちろん大切だが、いったいお国のためとは何だったのか、だれが‥、何のために、そう信じこませたのか、なぜ、疑問を抱いた者を非国民呼ばわりし、獄に入れたのか、 今年の夏は、一人一人が考えるときではないかと、つくづく思う。 過ちを二度と繰り返さないためにも、責任をちゃんととる国であるようにするためにも‥。 ご案内です 私の所属する雪舟国際美術協会 特別展 SESSHU ART AWARD 2015 が東京美術館(上野)で 8月22日(土)~29日(日)9:30~17:30 開催されます。拙作も出品しています。会場ではお気に入り作品一般投票も行われます。お近くの方はぜひ、お出かけ下さい。
2015.08.15
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棚行や呈茶ことわる若き僧 風子 これは悪口ではない。今年は熱中症対策として「水分、塩分補給を欠かさないように」とよく言われる。そうでなくても、呈茶は客人への礼儀の常識、まして棚行の僧にたいしては、当然と思う。が、近頃は辞退される僧が多いときいてはいた。理由は簡単、一軒一軒戴いていたらおなかがゲボゲボになる、汗が出てしかたがない。律儀な老僧などは、それでも丁寧に口をつけられるが、若い僧は、はっきり仰る。「せっかくですが‥」と、遠慮される。善し悪しは個人の判断だが、若い人は、はっきりしていて、面白い と思う。帰られたあと、自分が飲んでおけばよい、納得である。 ご案内です私が所属する雪舟国際美術協会の 特別展 SESSHU ART AWARD 2015 が、8月22日(土)~29日(土) 9:30~17:30 東京都美術館で開催されます。私も、出品しています。会場ではお気に入り、一般投票もおこなわれます。お近くの方はどうぞ、お運び下さい。
2015.08.14
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鷺草や御巣鷹事故は謎のまま 風子 風そよぎ鷺草ゆらり翔つ気配 風子 日航機東京~大阪123便が御巣鷹山に墜落し、520名が亡くなった事故から30年が立つ。事故原因はその後機体不良とされ決着したかに見える。しかし、当初から専門家の間でも疑問の声があがり、真偽を疑う話も含め、未だに諸説飛び交う。事故現場の不審な目撃情報や、救援活動の遅れと不審な情報。あの時代背景から察せられる陰謀説、軍事機密、外交機密などがからみ、未だ真相は闇の中である。責任もあいまいなままである。これでは、犠牲者の霊も浮かばれまい。こうしたことは、フクシマ原発事故にも通じる。それでも、電力不足ではないのに、原発は再稼働をはじめた。安倍総理は長崎での挨拶では非核三原則の遵守を言ったが、本音はどうなのか。政官財一丸となって再稼働を急ぐ動きに疑念が深まるばかり。原発で核兵器製造は可能なのだから。 本館HP「ギャラリイ硯池庵」のコンテンツ一部更新しました。あちらも、是非おたずね下さい。http://mon.shifuu.net/
2015.08.13
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よそ行きの装い羽黒蜻蛉かな 風子 悪させぬ吾と分かりし蜻蛉哉 風子 蜻蛉や蛍が少なくなって久しい。河川の堤のコンクリー化で彼らの居場所、繁殖場所がなくなったのと、農薬の所為もあるだろう。季節を問わず田園周辺が遊び場だった我々には、昆虫なども可哀想ではあったがあそび道具のひとつでもあった。蜻蛉だって例外ではない。塩辛蜻蛉やオニヤンマの羽根をちぎって飛べなくするのは、誰もがやったこと。いまは、蜻蛉も減ったが、蜻蛉相手に遊ぶ児もいない。少ない塩辛とんぼも、爺いが悪さなどするはずがないと高をくくってのんびりしたもんだ。 蜻蛉の古名を秋津という。秋津とは秋津島、大和の国のこと。神武天皇が国見のとき山上からの眺めを蜻蛉の臀なめ(交尾しながら飛ぶようす)のごとし、だといったとか(古事記)。結構粋なお方だったと見える。
2015.08.11
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昼前のお天道様さえおののきぬ 風子 許さじと天を指さす長崎忌 風子 9日は長崎の原爆平和祈念の日。式典で市長は平和の理念が揺らいでいる、安保法案は慎重に、と政府と国会に釘をさした。被爆者代表は法案は許せない、と怒りの声をあげた。安倍総理は被爆地の声をどのようにきいたのか。70年平和が続いた国の人々よ、70年前の大空襲や、被爆や、戦争にかかわる教育や、言論統制などなどを過去のことと思わず、自分を含めた周りの明日のことと考えよう。ヒロシマも、長崎も、沖縄も、フクシマもみんな一緒なのだ。あの悲劇の責任を誰もとっていない。そのことにも気付けば、安保も、原発再稼働もみんな見えてくるはず。悲痛な一日。
2015.08.10
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欠伸して庭に水打つ今朝の秋 風子 エアコンをかけて寝ろ、汗をかいて寝ててはだめ、などとしきりに言われるが、なんんと寝苦しき夜のつづくことよ。朝起きて外の空気を吸って身体を動かすことは脳の活性化に欠かせない、とテレビで言ってた。鉢植えの花や、植木の水やりをかねて、打ち水をする。気休めにもならないが、もう今日は立秋だとか。
2015.08.08
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雲ひとつなき空の重さよ原爆忌 風子 70年前の今日8月6日8時15分広島に一発の原子爆弾が投下され、その年14万人の市民のいのちが失われ、その後後遺症に苦しむ生存者も年々亡くなった。核廃絶を切望する声も世界の為政者達の理解合意を得るに至っていない。むしろ、核の脅威は増している。「安らかにお眠り下さい、過ちはにどと繰り返しませんから」と慰霊碑に刻んだ唯一の被爆国である日本は、平和憲法のもと、積極的に世界の平和構築のリーダー になるべきだ。理想通りにはいかぬものというが、理想にむかいチャレンジし進化して来たのが人類ではないか。あくまでも青い広島の空が、重たくのしかかってくるように思える今朝。 宰相の空しき言葉原爆忌 風子 国民にしっかり説明し理解を得たい、と言いつつ、未だ多くのおかしい!憲法違反だという声をも無視し、或いは恫喝して、戦争の危険性のある安保法制を、国会の数をたのんで強行しようとしている安倍総理。今朝の広島における式典での挨拶が注目されたが、核廃絶に向けてのあたりさわりのない挨拶のみで、安保法制にはひとことも触れずじまいでありましたなあ。なぜ、胸をはって、アメリカの核の傘のもと、どこかで一端ことあるときはアメリカのケツにくっついて行くようにする、この法整備こそが、核戦争の抑止力になるのですと、ほんねを言わんのかい。姑息でないかい。 それよりも、式典ライブの黙祷の折撞かれた平和の鐘の響きに、稚児が泣きやんだのが胸に沁みた。 隣の児泣き声止めり原爆忌 風子
2015.08.06
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う よ ね は ん あ す は の こ ら ず ち り ぬ べ し有余涅槃明 日は残らず散りぬべし 風子蓮華は佛花でもある。泥のなかから清浄無垢な花を咲かせる蓮は、障害を乗り越え辛苦に耐えて、煩悩(こだわりの心)を捨てたとき、こころが解き放たれると言う仏の教えを体現しているのだといわれる。 有余涅槃(うよねはん)とは、煩悩を解脱して涅槃に入ってはいるが、まだ肉体は残っている、ことをいう。蓮の花のいのちは四日、三日目の昼時全開の花は、明日の午後には、花托を残してすべて散る。仏そのものに見える蓮の花も名実ともに涅槃に入る。
2015.08.05
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花合歓に抱かれ天女の舞に酔ふ 風子 夕方には互生の葉を閉じるのでねむの木、ねんねの木と言われる合歓の木。 天女の扇、紅捌けとも言われるこの花は、なんとも優雅でけだるい趣きがある。花言葉には、歓喜、ときめき、夢想、やすらぎ、繊細などがある。 晩節を穢すことなく合歓の花 風子 人並みの栄誉にも無欲で、いかほどの蓄財も成せず、その気もなくて八十路に入る。昨日を見返ることもせず、夏の夕べの風に身をゆだねる無想のひととき。 けだるい夜をハルシオンの世話にもならずにいる仕合わせ、明日は明日の風が吹くんだもんな。 志風のサイト・本館「ギャラりい・硯池庵」一部更新しました。こちらもお訪ね下さい。http://mon.shifuu.net/
2015.08.04
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なまくらをせせら笑ふて蝉時雨 風子 この連日の猛暑、働く人は大変であろう、それは分かる。年寄りで元気に出歩く人、これはもう羨ましいが、なまくらと言われようが、こう暑いとナニもしたくない。じっとして、ただぼ~としているだけである。窓のそとは、ひもすがら蝉時雨、なまくら爺いをせせら嗤うかのように、短い命を燃やしている。
2015.08.03
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天上の風吹き止みぬ遠花火 風子 近年は脚が不自由になって夜のお出かけが億劫になり、浴衣がけで花火見物にゆくこともなくなった。独り一杯やりながら二階のまどから、隣の屋根越しにながめては、連発の花火の音に会場のどよめきの様子などを想像していたりする。天上の風もやんだのか、夜になっても蒸し暑さは変わらず、花火の流される様子もない。遠い日のきみのうなじがふと思いだされて…。 これがまことの遠花火か ふっ。
2015.08.02
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炎帝も憚る此処は最北地 風子 宗谷岬を紹介する稚内市のパンフレット 旅の最終目的地は、いまの日本の最北端「宗谷岬」 北緯45°31′22″の地。夏とは思えぬ涼しい気候にともかく安堵。北極星をモチーフにしたモニュメント、中のしるしは北をさす。地元の人も驚くほどの快晴。43キロ先の樺太の島影もはっきり見える。間宮林蔵の像も立つ岬の公園。記念に最北端到着証明書を買い、高台の広大な公園の各種の施設や一帯の風力発電施設、24時間放牧の牧場をゆっくり見物して、帰路につく。豊かな自然の彩り、新鮮で美味な魚介類に舌鼓をうち、国境の町の歴史と文化に触れた、4日間の旅、エゾカンゾウや、渚のさぎや高原の黒牛たちに見送られて北の最果ての旅を終える
2015.08.01
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戦いのむごさを今に乙女の碑 風子 稚内公園は高台の市民憩いの場であるが、悲惨な歴史を伝える場でもある。一角には氷雪の門同様樺太での悲劇を語り伝える「九人の乙女の碑」と言う慰霊碑がある。北のひめゆりとも言われた戦前日本の領土であった樺太の真岡郵便電信局の女子交換手の痛ましい自決事件。それは、ソ連の参戦でポツダム宣言受託後も戦闘が続いていた1945年8月20日、ソ連軍の樺太侵攻の際、当時の真岡郵便電信局で連絡業務に従事していた9名の女子交換手たちが、迫り来るソ連軍の砲撃の中で青酸カリを飲み集団自決した無惨な事件である。一時言われた彼女らの交換業務と自決は、のちに軍の命令ではなく、使命感にもとずく公務の殉職だったとされ、叙勲もされているが、8月15日以降もなぜ戦闘が続いていたのか、なぜ停戦できなかったのか、など、拭いきれない疑問はのこる。いずれにしても、乙女達のレリーフが嵌められた碑をまえに、戦いとはいかに酷い悲しいものかと、戦後70年の今も生々しく、ひしひしと感じさせられるのである。 稚内は国境の町ゆえに様々な歴史の舞台でもある。古くは、江戸時代樺太を探検し島であることを証した間宮林蔵が、アイヌ人とともに小船で こぎ出した地、大正時代に宮沢賢治がここから樺太に渡り、旅した折の体験が「銀河鉄道の夜」に反映されているともいわれる。記憶に新しいのは、南極観測に活躍したタロー、ジローなどの樺太犬の訓練地でもあったこと、公園には帰国出来なかった犬たちの慰霊碑もある。因みに初代南極観測船であった巡視船、砕氷船「宗谷」は、稚内の宗谷岬と樺太の間の宗谷海峡の名に因んで命名された。
2015.07.31
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万感の思いをこめてブロンズ像 風子 稚内公園、北の遙かに嘗て日本の領土だった樺太(現ロシア領サハリン)を望む地に島民の慰霊碑「氷雪の門」がたつ。帰らぬ樺太への望郷の思いと彼の地で亡くなった同胞を悼むために建てられた。二本の望郷の門の間に建つのは彫刻家本郷新作の女性のブロンズ像、下げた両手の手のひらを大きく拡げているのは、郷土や肉親などすべてを失った悲しみを、 大地にしっかりと立つ脚は、それでもめげずに頑張って生きる姿を表す。これは、多くを亡くし傷ついた日本人すべてにも通じるもの、ここに立ち、黙祷をしながら、戦後70年、いろいろ騒然としている今、戦さで失うことの悲しさ、むなしさを改めて考えさせられる。
2015.07.30
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北の海守るしるべや縞灯台 風子 高さ43mの稚内灯台は宗谷灯台とともに、冬の白い風雪で 見えなくなるのを防ぐ為に、紅白のストライブに塗られている。宗谷海峡航海の安全には欠かせない重要な灯台。主題歌「おいら 岬の~ 灯台守り~は♪」 の映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地になったのは、丘の上の前の灯台、今の灯台はその後移設されて、道内一、全国でも二番目に高い。
2015.07.29
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げ げ 解夏間近かノシャップ岬のモニュメント 風子 凪の海隔てて利尻礼文かな 風子 こちらは稚内ノシャップ岬の上に昇ったところ、西に利尻、礼文東へ宗谷岬が見渡せる公園、北に樺太もかすかに望める。空も快晴海も凪いでしずかである。ここで見る夕日がことのほか美しいとか 。
2015.07.28
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青東風や雲を払ふて利尻山 風子 海猫に見送られつつ夏海路 風子 この日の礼文島香深港は快晴、向かいの利尻岳もすっかり雲が晴れて爽快。紺碧の海も穏やかで心地よい海路日和。出航まもなく多くのの海猫の見送りを受ける。船縁に立つ船客のそばまで来てはホバリングをやってのサービスぶり。フェリーは快調に飛ばして約二時間、一路稚内へ。 30分が過ぎてもまだ、船の周りをとぶ海鳥。そのころやっと気付いたのだが、出航後しばらくすると、船内で海猫の餌を販売しはじめ、買った船客が投げ初めると、船の上屋で待機していた海猫たちがいっせいに餌を求めて飛来する仕組みになっていたのだ。口移しほどに海猫を寄せて激写しているおばちゃんもいたりして、船会社の商魂によるやらせには、参ったまいった。
2015.07.27
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夏みなと名代のウニが喰いおさめ 風子 離れ島きずなも詰まる旅土産 風子 感動いっぱい、想い出いっぱい、胸にたたんで去る礼文、イイ旅をありがとう。あすは稚内へ。
2015.07.25
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忘れじの あなたへ レブンウスユキソウ 風子 短い夏を、丘から海抜0mの浜近くまで300種もの高山植物が咲き、「花の浮島」と呼ばれ絶景を成す礼文島。短い夏の初め、なかごろ、そして終わりから秋へと、それぞれが短いいのちの花を咲かせる。その一部であっても、とても花の名前は覚えきれないが、小さないのちの営みに癒しと励みを貰う。訪ねたころは礼文島にしかないと言われる固有種レブンアツモリソウは時期はすぎ、群生地にその美しさを見れなかったが、同様にこの島固有種で絶滅危惧種といわれる レブンウスユキソウやレブンキンバイソウは、しっかり心に留めた。レブンウスユキソウは、決して目立たないが、清楚で凜とした風情がある、アルプスのエーデルワイスの仲間である。 花言葉:初恋、想い出、忍耐、勇気、奥ゆかしさなどetc.…。 島の高山植物園では、これら固有種の保存のためのバイオ繁殖もしているようだった。 今年は6月21日が最後だったとのことで、群生地でのレブンアツモリソウは見られなかったが、 此処では鉢植えを見ることができた。ここの活動への貧者の一灯を募金して、花の存続と島の繁栄を祈る。 レブンキンバイソウ レブンアツモリソウ
2015.07.24
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北限のスコトン岬風涼し 風子 スコトン岬は礼文島の最北端の地、海を隔ててトド島という島があるが無人島なので、此処が日本の最北限の地になる。「ああ、最北端にいるわけだな」といったら、「以前最北端と言ってましたが、クレームがついて、最北端はほんの少しの海岸線の差で宗谷岬、此処は最北限の地と称しています」とのことだった。なんでも、潮の干満の差の違いだそうで、干潮時にはスコトン岬の方が少し境界が北になるのだが、満潮時の境界が宗谷岬に少し及ばないため、最北端とは言えない、のだそうだ。 〈補足〉 陸地と海との境界(海岸線)について、領海の基準線は引き潮時の低潮線(干出線)という最低水面できめるが、地図では最高の満潮時の水際線をもって陸と海との境目としている。(昭和61年12月16日最高裁判決でも同様の基準を明らかにした)またひとつ賢くなった。
2015.07.23
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感動の名画をしのぶ青岬 風子 感動の名画とは、三年前に上映され、スタッフ・キャストともに日本アカデミー賞の数々を総なめしてヒットした、吉永小百合主演の東映映画「北のカナリアたち」のこと。そのメインロケ地である小学校分校のセットのある場所が、「カナリアパーク」、 記念公園としてそのまま保存されている。校庭であった岬の草地からは、紺碧の海を隔て、あいにくの雲で正面の利尻岳の全貌は見られないが、限りない水平線と雄大な利尻岳の稜線が望め、彩る花々に気持ちも悠大になる絶好のロケーションだ。絶景とともに、施設の中には、思い出のシーンにかかる様々が陳列されており、サユリストならずとも新たな感動に浸ることが出来る。
2015.07.22
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両の手を合わせて祈る小暑かな 風子 桃岩、猫岩から少し北、元地集落の北に高さ50mもの二つの佇立した岩がある。石層が全く違うのだが理由は分からない、という。右手の浜へ降りると、両手を合わせて祈るお地蔵さんに見えるというので、地蔵岩。海上の安全或いは平和の祈りのシンボルとも思える。二つの岩の間に夕日沈むシーンは、格好のロケーションで多くのカメラマンが集まるという。映画「北のカナリアたち」のロケ地でもある。周りはメノウ浜。運がよければメノウ石が見つかるかも、と言われる海岸である。この日は二十四節気のひとつ小暑、いよいよ暑気にに入るといわれるが、こちらは涼しい。
2015.07.21
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豊漁の見果てぬ夢や番屋跡 風子 礼文にかぎらず北海道の日本海側では、嘗てニシン漁が盛んで各地に長者が生まれた。やんしゅうと言われた出稼ぎ漁夫達が住まい過酷な労働に従事した番屋と呼ばれる小屋跡があちこちに残る今はニシン漁はさっぱり。嘗ての栄華の跡は、民宿やユースホステルになって、いまも海辺にへばりつくように建って残り、時代の移り変わりの様をまざまざと見ることができ感慨深い 礼文島の旅 もう少しつづきます
2015.07.20
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桃台・猫台より桃岩を望む 北の丘飛ばされまいぞ夏帽子 風子 礼文島西海岸は断崖絶壁で上部は丘陵地帯丘の上には桃に似たという桃岩、(筆者には女性の乳房か、目深に被った帽子にみえるけど…)眼下には背をまるめた猫のような猫岩が見晴るかす日本海を向いて座す 快晴だが、風はかなり強い、帽子を飛ばされそうになり思わず押さえる。こんなのは強い風とは言わないと、ガイドさんは笑うが…
2015.07.19
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七月の礼文彩る花畑 風子 礼文島は島民約2,700人が住む日本の最北端の島、490mの礼文岳を中心に、西は断崖絶壁、東はなだらかな山並みが海岸に接する丘陵状の南北に長い島。夏の丘陵地帯は海岸までが高山植物で彩られ花の浮島と人はいう。一方通行の一車線を車で一気にのぼっていくと、様々な花が咲き乱れる丘陵地帯がひらけ、気分爽快。そこかしこにハイカーの列が見られるが、ときに狭い車道を歩くハイカーの列に出くわしたりして、運転手さんは苦笑いしている。黄色いエゾカンゾうの群れの歓迎を受け、元気を貰う。風は少しあるが今日の礼文は、快晴。 2015/07/07
2015.07.17
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利尻山は深田久弥さんの「日本百名山」に一番目にでてくる日本最北端の山である島全体が山で、遠望すると、いかにも利尻富士との呼称にふさわしく整ってはいるが雲や霧の晴れ間から見せる山頂の様相は男性的で猛々しい 静かな湖に映る逆さ富士は全容がみえず残念。ほかに歴史的な事跡などをめぐり、あすは礼文島に渡る、花の浮島・礼文島、霽れますように! 2015/7/6
2015.07.17
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苔清水鎖となりて滴れり 風子 利尻島には各地に湧水が見られる実に美味い島の人口5,000人、ほか観光客の飲料水は利尻山の地下水 それだけではないこの山の栄養豊富な地下水は周りの海底でも湧水となり、プランクトンを生み美味な昆布を育てる利尻周辺以外の海で取れる昆布も 利尻昆布として出荷されているが、旨みは格段に違う、と島外の人に聞いたその昆布を食べて育つ名物のウニもまた格別美味い
2015.07.16
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エゾという名の付く花や北の夏 風子 北の国には、エゾカンゾウ(内地の高山に咲くニッコウキスゲ)の他に、エゾと冠のつく花が数十種類はある。これはエゾニュウ、あれはエゾシシウド、これはエゾノヨロイグサなどと教わってはメモしても、さて移動すれば、もう区別がつかない。高地でもないのに、緯度のせいで高山植物が海岸まで群生しているのが、北の果てのひとつの特徴だろう。
2015.07.15
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熊の居ぬ北の岬の寝熊かな 風子 むかし 泳ぎついた熊がいたと言う伝説はあるが、いま利尻の島内には一頭の熊も 鹿も 猿などがいない、蛇もいない、というよりも、餌となるものがないから棲めない、というのが本当のところだろう熊の寝姿に似た岩「寝熊岩」が島を守ってくれているのだ、と島の人は言う利尻の散策はつづきます
2015.07.14
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じ り海霧の果てより聞こゆ防人のうた 風子 海霧を ここでは、じり と呼ぶ 万葉の時代の防人は東国のひとが西方の警備にあたったが、幕末の北方の警備には会津藩士があたり多くの犠牲者がでた 此処利尻には三カ所ほど彼らの顕彰碑や、ふるさと会津の石で作られた墓石が並ぶ 当時藩士たちにどれほどの国防の意志があったか どうか分からない 幕府の命、藩命とあらば逆らえず、辺境に赴き、故郷の愛する者たちを思いながら、北の果てにいのちをおとしたことであろう 悲しみはいつの世も同じ、あの頃と変わらぬ海霧の向こうから、わだつみの声が聞こえて来るようだった
2015.07.13
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昆布採る姥をはまなす見て居りぬ 風子 はまなすや岬彩り香り立つ 風子 到るところにハマナスが咲き 鮮やかな彩りと芳香が漂う実はジャムにするとか断崖の下、浜近くの小屋に独り住むと言う90歳を超える老婆が 流れ来る昆布を竿で引き寄せては採っている三等品だが結構な稼ぎにはなるらしい少し曲がった背をながめていると、逞しい浜の女性の生き様に亡き母の姿が重なってみえた
2015.07.12
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海猫や並びて迎ふ浜街道 風子 海猫とカモメの見分けかた簡単なのは脚の色、カモメはピンク、海猫は黄色
2015.07.11
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わが旅の終わりとならむ蝦夷は朱夏 風子 大げさと思われかねないけど、体調からおそらくこの旅が 人生最後になるのでは と思われ 思い切って、今の日本の北の最果ての地へ行ってきました 行き先は利尻、礼文、稚内、一行は姉妹会の6人 早朝に家をでて、津のなぎさ街から高速船で中部空港へ、そして千歳~利尻へと空の旅 心配された天候もよく、利尻空港では名峰利尻富士も鮮やかにお出迎え、幸先よい夏の 旅のスタートとなった
2015.07.10
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新居の居心地が今イチなので、ちょこちょこ改装中。 しばらくは、旧宅と行ったり来たりです。 TPP行方気になる青田みち 風子 伊勢田には伊勢の風ふく青田かな 風子
2015.07.05
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ふうこ 改め Mr.fuko 移転準備 改装中です この国の明日を確かむ蝸牛 風子 ででむしや怒りの角の有りっ丈 風子
2015.07.04
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ふうこ 改め Mr.fuko のブログ 移転準備テストです 荒梅雨の夜は独りで笑うべし 風子 これは「だるまさん が」 という絵本の表紙 笑 い の 効 能 いくら笑いが健康にいいといっても 笑い教室ならばともかく 家で なにも可笑しくもないのに やたら笑っているわけにはいかない 月が変わったのを契機に 気分一新しようと いまヒットしている絵本を買った それが この絵本 0歳から3歳向けとのことだが、なかなかどうして じつにシンプルで ユニーク とくにストーリーはなく わずか20ページほどの本だけど 絵も面白いが 作者の発想の斬新なことに舌をまく なによりも ダルマなんて何も知らない赤子でさえ笑うという宣伝どうり 大人でさえ すなおに笑える 味わい深い絵本 だ ホンマ これが面白くないひとは いちど病院へ行った方がよい 「だるまさん が」「‥‥の」「‥‥と」の三部が出ていて、一冊 918円(消費税込み) 断っておくが この記事はCMでもなければ 購入本のレビューでもない 画像は無断掲載なので 著作権に触れないよう絵の真似などしないで ネ だ・る・ま・さ・ん・が とくれば ころんだ とくる と思って ページをめくると‥ ‥と まあ こんな調子 かがくい ひろし 作 「だるまさんが」「‥の」「‥と」 三部作 ブロンズ新社出版 一冊 918円(税込み) 昨日テスト公開したのに ジャンルを明記しなかったので、大失敗(?_?) 今日は大丈夫かな?
2015.07.02
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