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母が自分のことを話始めました
母は昭和16年生まれ、終戦の時は4歳
小さかったため、あまり記憶はないようですが
妹(叔母)が生まれたばかりで母親(祖母)は大変だったようです
父親(祖父)は戦争に行ったのだそうです
海軍で戦艦に乗っていたようですが
青森で終戦を迎え、突然上官から
「アメリカ兵がやってくるので、ここで解散」と言われ
船を降り、帰郷したようでした
母は母親(祖母)と赤ん坊の妹(叔母)と勝浦の親戚を頼って疎開していたようですが
そこでの生活が合わなかったのか自宅(東京・葛飾区)に戻っていたようです
空襲警報が鳴り、避難しなければならなかったのに
母がイヤがり、妹(叔母)を隣の人に預け
母親(祖母)と真っ暗な中、家でじっとしていたのですが
ヒューという音が上空を横切った時は「死ぬ!」と思ったと
後になって母親(祖母)が話していたと言っていました
幸い、空襲を免れて家が残ったようで
親戚が身を寄せてきたり
闇米を食べたり、庭に小さな畑を作ったりもしたそうです
母の記憶もあまりさだかではないので
祖母が亡くなる前に話を聞いておけばよかったと言っていますが
おそらく、祖母は話をしたがらなかったのではと思います
戦争を知っている人たちが少なくなっている近年
過ちの歴史もちゃんと後世に伝えたいものです
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