連作/輪作をめぐる経験から

 


連作/輪作をめぐる経験から






昨日は寒かった。
東京地方は雪がちらついたそうだ。北東北に来て初めて気付いたけれど、こっちでは「お天気雨」
ならぬ「お天気雪」、晴れているのに小雪が舞っているなんてことはしょっちゅうだね。気温は
1-2度だけれど、風が猛烈に冷たかった。ついでだけれど、「 百姓の智恵袋 」を開いて、その中
の【気象】・一般気象情報を見てもらうと「お天気に関することわざ」をいろいろ集めたWEBを
紹介してある。

さて、僕が入植してるのは県営の開発農地で和野山地区というのは、全体で約60町歩ある。加え
て「機械銀行」といって共同で利用できる大型農業機械は一通り揃っていて、これを時間いくらで
リースしてくれる。
土地も広いし、機械も揃ってる。というわけで百姓(ちなみに百姓は「差別用語」だから使うなと
いう「内規」がマスコミにはあるそうだが、阿呆な話しだ。僕は「家」で農業をやってるわけじゃ
ないから、農家ではない。敢えて言えば農業経営者、これじゃ四角張ってるからひらたく百姓だ)が
その気になれば、輪作をやるに充分な条件が揃っている。それでも他の百姓は輪作をやらないね。
10年前に、僕がこの土地に「新規就農者」として来たとき60町歩の開発農地はほとんど空きが
なくて、最初の年に借りた土地は1.5町歩だった。
それでも生まれて初めて農業に手を染めたときには、「こんな広い土地を一体どんな風に活用した
もんか?」と頭をひねったもんだった。
当時、僕のほかに6人の百姓が開発農地に入植していたけれど、みんなが大根生産をやっていて、
びっちり大根畑にうめられていて空いた畑は、大根を作るには適さないようなところが二三あった
だけ。他にゴホウやら、キャベツやら、少しはあったけれど、ほとんど9割方は大根単作の地帯と
云ってよかった。まあ、大根生産地だということはわかっていたけれど、あんまり細かい事情は知
らないで、「新規就農募集」で僕が飛び込んできたわけだ。
受け入れ側からすれば、開発農地の畑が空いている。この遊休農地を何とかしようと、当時流行の
「新規就農」で埋めようというわけ。ところが大根生産地で畑が空いている、しかも土地の人間が
自由に借りられるのに空いているとなれば、大体は大根生産に適さないから空いているとは想像で
きるけれど、素人の百姓には、中々、そういう事情は飲み込めない。しかも、どっちかといえば、
農業をやりたいの一心というよりも、自然の中で暮らしたいという気持ちのほうが先行していたか
らね。(04/03/02)

僕の入植した前の年の93年は、大冷害で岩手県の米作はほとんどゼロで種籾も獲れない状況だった。
大根は、どちらかと言えば「冷夏」を逆手にとった高原野菜として売り出し、「産地」としての名前
も通っていた。しかしこの大根も獲れなかった。偶々重なっただけで、実は、「冷夏」が原因では
なかったのではないかと僕は想像しているけれど、これは入植する前のことではっきりとは事情が
わからない。
いずれにせよ、この二三年前には大根生産だけで一億円の売り上げを達成し、小さな村の数名の生
産者だけの成果としては「これでいける」と浮き立つ気分に浸っていたとしても不思議はない。
が、これが頂点。あとは、今から振り返ってみれば、県営開発農地への急坂の道を転げ落ちるよう
にガラガラと大根の売上高は減少し、当時は、ほとんど全部を占めていた(従って輪作のやりようが
ない)大根の作付面積も急減していった。
僕も、入植した最初の年は、大根を六反歩作付けした。
実は、この年は新規就農者の研修制度を利用して一年間の予定で県内の代表的な大根生産者のとこ
ろに住み込みで研修に行っていたのだが、ちょっと事情があって、五月に戻ってきた。それから
急遽、八面六臂の大活躍で色々な準備をして、これからタネを入手して作付けできるものというこ
とで、とりあえずは大根、となったわけだ。
いざ夏の収穫の時期になっても一本も大根は獲れなかった。病気にやられ、更にその病巣を虫に巣
くわれ、一本も、それこそ自分の食べる大根も含めて一本の大根も取れなかった。
これで、僕の心はすっぱり決まった、大根はやらないと。
このときの心に受けた衝撃と経験が、僕の百姓生活の原点になっているかな。(04/03/03)

連作障害の病理は充分に解明されていない、なんて植物病理学では云うけれど、連作の一番の問題
は「偏る」ということだね。
作物は、土壌から自分の成長に必要な養分を「選択的」に吸収している。だから、特定の作物を連作
すれば、通常はその作物に必要な養分が「選択的」に収奪されるから、ますますその作物を栽培する
には不都合な培地になるね。
仮に、三大栄養素と云って、窒素・リン酸・カリが必要だということは分かっているけれど、これ
だけで作物が出来るわけではない。その他の色々な微量要素が参加して、その働きで大根なら大根
が出来る。
人間で言えば、三大栄養素はカロリーだ。しかしカロリーさえ足りていれば、それで充分だとはいえ
ない。バランスよく食事を取れ、というのはカロリーにはならないけれど、さまざまな調整機能や
媒介機能を果たしているビタミン類や金属元素(例えば血色素のもとになる鉄分ほか)が不可欠だ
からだ。
作物にしても同じこと。更に大根だけを続けることで土壌条件が偏ってくれば、そこに棲息している
微生物にも、その微生物の働きによって作られている土壌環境も、従ってそこに生えてくる雑草も、
その雑草によってくる小動物や昆虫や、またそれを当てにしている動物と、さまざまな連鎖の関係
が片寄ってくる。
大根が育つ、という生命の営みは、肥料をやって、タネをまいたら、それで出来るという単純なもの
じゃない。大きく云えば、この地球上のすべての営みとのかかわりの中で、大根という命が育って
いる。嘘だと思ったら、タネの力に頼らず、科学の力だけで大根ができるかと考えてみれば良い。
一本の大根が育つ、いのちの営みのすべてが解析されていれば、追跡試験が出来るだろうけれど、
そんなことは出来ない。
科学の科学たるゆえんの一つは、その再現性にあるけれど、土壌で大根一本が育つ過程も、自然の
力に頼らなければ再現できない。何故再現できないかと云えば、大根が育つ過程で働いている命の
営みの無数の連鎖関係が、解析されていないからだ。今後とも解析されつくすとは思わない。
だから我々には見えない連鎖の中で育つ、その環境を人為的に偏らせてしまうような行為は出来る
だけ避ける、少しでも偏りをなくすように努力を続けるというのは、作物栽培の基本だと考えている。
(04/03/04)

そういう観点からすれば、作物を作るというのは、同時に畑を作る・土壌をつくるという行為であっ
て、タネをまいて作物を獲ってくれば、それでいいという収奪的行為とは別次元のことだと考えて
も良い。ところが、実際の姿を見ていると、いかに沢山獲るか、いかに儲けるかという目先だけの
収奪的な行為に走っている場合が少なくない。
作物を作って、それを販売して生活している以上、もち論、赤字続きでは百姓仕事は続けていけなか
ろうし、また百姓が労働人口の数%しかいない状態では自給できればそれで結構というだけでは、
百姓としての社会的な責任も果たせなかろう。
この地球上のすべての営みは、結局は、太陽と水と土の恵みに依存していて、工業にしてもこの点
は変わらないけれど、農業に比較すれば、より迂回的・間接的だ。その分、自然に対する考え方は、
より不遜で、人間のために自然を恣に改造できるかのような傲慢な錯覚に陥りがちだ。
一方、農業や畜産も工業化するにつれて、自然との協働作業という本質的な点を忘れて、肉や卵を
生産するだけに特化したような鶏を作ってみたり、肉や乳だけに特化した牛を飼うようになってきた。
鶏にしても牛にしても、太陽と水と土との協働作業で作られてこその いのち だ。そのいのちの恵み
を通して人間の命も育まれ、やがて土に返り、土を肥やしているという基本を忘れて、逆に人間を
中心に世界が回転しているかの錯覚に陥っている。
その最たるものが収奪的な畜産である。鳥インフルエンザの蔓延にしても、BSEにしても、単に
その結果に過ぎないように思う。窓なしケージにして自然の陽光を遮り、自然から隔離することで、
ある種の無菌状態で飼育しようとする考え方そのものが、まったく逆立ちしているのだが、実はそれ
が奨励されている。あるいはもともとの草食動物に骨肉粉を与えて即席に肉を作ろうという考え方
自体に不自然な作為があるのに、工業的・企業的にそれを推進する。これを収奪的畜産といわずに
何といえば良いか。
農業は、いろいろな制約から、簡単には自然からの隔離が出来ない。畜産ほどではないにしても、
やはり工業化し、それに比例して収奪的農業に陥っている。僕は、「産地化の推進」という各地の
農協・普及所、農政当局の勧めている政策も、この収奪的農業への傾斜を促進していると考えている。
簡単に言えば「ばっかり」生産だ。大根ばっかり、人参ばっかり、ホウレン草ばっかり、....。
こういう「ばっかり」生産の背景には、生産の効率化・合理化という生産者側の考え方もあれば、
スーパーの市場支配への対応という出荷対策もある。
大根産地、キャベツ産地、ゴボウ産地などの、いゆる産地制度というのがあって、「産地」に指定
されれば高値で取引されるけれど、「産地」に指定されなければ、どんなに品質が良くても二束三文
にしか取引されない。
しかし「産地」に指定されるためには、継続的かつ大量に出荷しなければならない。となれば、どう
しても地域こぞって同じものを生産し、順繰りにこぞって出荷できるような体制をとらなければならず、
農協の指導のもとに百姓は「ばっかり」生産に励まざるを得ない。共同選別・共同出荷体制が整えられ、
それに応じて県・国の補助事業が導入され、大規模な設備投資も実施される。
一旦、大規模な設備投資が実施されれば、その資本回収のためにもますます「ばっかり」生産に拍車
がかかる。こうなれば百姓とて、大きな地域ぐるみの計画生産体制の枠組みに組み込まれた工場労働者
みたいなもんだ。
というわけで、僕が百姓になって二年目、前年の苦い経験から大根生産をきっぱりやめてジャガイモ
その他の生産に踏み切ったときには、あいつはなんで大根生産をやらないで勝手なものを作っている
んだ、という声があがっていた。
そのくせ普及所なんぞは、時折、思い出したようにいい加減な「輪作」体系を口にしてみたり、農政
当局は地域特性を生かした特産品による地産地消などと中味のない一般的スローガンを掲げたりして
いる。(04/03/12)

開発農地では、僕が入植する前の年から大根の連作障害(萎黄病)ははっきり現れていた。これはフザ
リウム菌という土壌病菌による病害で、これに犯されると大根の維管束に病変が現れ、大根を一皮むく
とガーゼ状の硬い組織が現れる。まず大根葉に黄色く萎縮した病変が現れるので萎黄病といっている。
土壌病菌だから、土と共に菌は運ばれる。開発農地ではトラクターなどを共同利用していたから、一
箇所の圃場で発生すれば全体に広がる可能性は強い。使用後は、各自洗浄して土を落としてからトラ
クターは返却するということになっていたけれど、僕が入植した年には、もうみんなかなりいい加減
な洗浄しかしなくなっていたな。そんなわけだから土壌病菌の蔓延は避けられない。
そうは云っても、実際に発病するかどうかは、菌密度によっても違うし、天候気象条件、土壌条件
(酸度や湿度、水はけ等)によっても違う。何割かは犯されるけれど、何割かは助かる。確実に出荷歩留
まりは低下するけれど、何割かは出荷できるというわけで、大根生産を続ける。しかし、仮に発症しない
としても大根生産を続ければ、確実に菌密度は増殖する。
僕の入植したとしには、ざっと見たところ二割から三割の大根は捨てていたな。一般的には、こんな歩
留まりでは利益がでる筈はないのだけれど、農協・役場・普及所が一体になって、あれこれの対症療法
でごまかしていた。
しかし、もう大根は駄目だなという"兆し"は、ごまかしようがなかった。というのは僕が入植して、
わずか二ヵ月後には開発農地で一番目と二番目に大きな百姓が二人離農してしまった。僕が入植した
当初は2町歩そこそこしか畑が空いていなかったのに、一挙に20町歩以上の畑が空いてしまった。
大根生産への依存度が強い分、それだけ打撃が大きかったわけだ。
さて、それではどんな対症療法がとられたか、この点を次に見ていこう。(04/03/15)

対症療法として出されてきたものは、
順番から云うと1.緑肥の導入、2.価格安定基金の創設、3.抵抗性品種の導入、4.土壌殺菌などだ。
必ずしも順番に実施されたというわけではないし、また同時並行に実施された場合もあれば、一回限り
でお仕舞いになったものもある。
対症療法とは、そんなもんだが、どれもみな「大根の連作を続けていく」という前提での対策だ。単純
に考えれば、直ぐに分かることだが、大根を連作していろいろ問題がでてきた。病気が出た、品質は悪
くなる、製品歩留まりは低下する、取引価格は低下する。市場評価は落ちる一方だ。こうなれば「産地」
といっても、たちまち買い叩かれる。生産者は、出荷しても出荷しても赤字すれすれ、箱代・市場手数料・
運賃などの間接経費が出れば良しとしなければならず、肥料代・種子代・機械代などはもち論、自分の
労賃もでない。こんな状態で大根つくりを続けるバカが何処にいるかと思うかもしれないが、ところが
どっこい。理由はいろいろあるにしても、実際にはこんな状態になっても、なお6年以上にわたって
大根生産を続けてきた。

こんなふうに問題点を整理して、きっちり書いてしまえば、誰がそんなバカなことをやるかと思うけれど、
実際にはああでない、ここうでないと思い惑いながら、だんだん深みに嵌っていって、気付けば引き返せ
ないほどの回復不能な状態に陥っている。しかもひとりでない。周りからは農協・普及所・試験場など
がよってたかって「対策協議会」なんかを作って、ああだこうだと云ってくる。
しかも、お笑いみたいなもんだが、この「対策協議会」のメンバーたるや、村長・農協組合長・普及所
所長・県農業試験場野菜部長・振興局畑作振興課長などの十数名+大根生産者2名、要するに保護者然
の「農業関係」のお偉方に「主役」農家が付録のようにくっついているという図だ。
農業関係の会議なんて、開けばみんなこんなもんだ。主役の農家はちょぼちょぼ、いわゆる農業関係者
という農業にぶら下がって食っている連中がその何倍も集まって、「農業を振興するにはどうしたら
いいか」なんか真面目くさった顔で論じている。農業振興を真剣に考えるなら、まず自分が率先垂範、
農業関係者などやめてしまって農業をやったらいい。これは余談。

「連作」そのものが問題なのか、別に原因があるのか。「連作」そのものが問題なら、連作をやめる。
別に原因があるなら、それを取り除いた後に「連作」を再開する。
問題は、いつだって出来るだけ簡単に、単純明快にして対策を考えるのが、一番の良策なんだけれど、
実際にはその逆をやる。そして益々ややこしいことにしてにして深みに落ち込んでいく。

緑肥の導入、具体的にはヘイオーツという牧草を播種して、大根-ヘイオーツ-大根-ヘイオーツという
作付け体系にする。村の補助でヘイオーツの種子代を出して、秋作をやめてヘイオーツを播く。菌密度
の増殖を防ぐという点では、多少の効果があったのかも知れないが、製品歩留まりの向上にも、市場評価
の回復にも役立たなかったんだろう。これは一、二年やって、直ぐにやめてしまったね。
まもなく村と農協の合作で大根の価格安定基金を作って、最低補償の価格制度を作った。大根の品質
によってA品、B品と等級があるけれど、A品については800円を基準にして、800円以下の価格
なら800円は補償する。800円を超えて、例えば千円で売れたときは、その超過額の半額の100円
を基金の積立金として留保する。簡単に言えば、そんな制度を作った。
当時、6-7割を製品として出荷すれば、700円程度なら間接経費までは出ると聞いていたから、6割
以上出荷すれば1ケースあたり100円程度の「戻り」がある。そこから種子代、肥料代、労働費などを
出す。多少の黒字が出るという計算かな。しかし出荷歩留まりが落ちてくれば、これも駄目。
しかし大根の「連作」が駄目だというのに、「連作」を続けろという奨励策なんだから、税金を使って、
百姓を深みに追い込むだけで、対策にもなんにもなってない。価格安定基金は最後まで(大根生産がなく
なるまで)続いたけれど、結局は赤字基金で、しかも大根生産者を助けるどころか逆の結果にしかなら
なかった。当村にはなかったけれど、農協合併の際に、それまでの借金の返済を迫られて自殺した大根
生産者までいた。なんだかんだと煽て上げ、引き返せない深みに追い込んでしまったわけだ。

抵抗性品種の導入。大根萎黄病に抵抗性のある品種の大根を播種するというわけだ。その「抵抗性」の
作用機序がどんなものか僕は知らないけれど、菌はあっても菌に犯されないか、菌に犯されても萎黄病
特有の症状が出ないか、要するにそんなものだろう。ところが、「硬くて不味い」と、この抵抗性大根
の評判が悪い。価格は低迷したままで、製品出荷率も上がらない。しかも、そんなものを作り続けて、
「抵抗性」そのものに問題は出てこないのか。なによりも連作障害で次々と大根産地が消えていくなか
で、抵抗性品種を導入して大根産地として生き残ってきた例を聞いたことがない。

土壌殺菌。なんだか適当な事業名をつけて県からの半額補助を受けて、反当り3万円以上もかかる土壌
殺菌をやる。当時、ひとりの百姓に「毎年、土壌殺菌なんかやって、大根作って儲かると思ってんの。
第一、土壌殺菌なんか続けていれば畑が砂漠みたいになっちゃうよ」と聞いてみた。「まあ、金出して
くれるからね。駄目かもしれないけれど、損はないからやってんのさ」との答が返ってきた。土壌の健康
という点から考えてどうかという本質的な問題はさて置いて、大根経営という点から考えて引き合う
はずのない土壌殺菌なんかやらせて、結局、農協としては大根生産を一日でも引き伸ばして続けたい、
その一点であれこれやっているだけで、本質的対策はもち論、先の見通しなんか何もなしに闇雲に大根
生産にしがみ付いてきただけ。(04/03/22)


あれやこれややって大根生産が続けられてきた。
僕が10年前に入植した当時は、この地域の開発農地の約60町歩のほぼ全部に大根が作付けされていた。
前にも書いたように、入植して二ヵ月後には二人の大根生産者が離農して、20町歩の畑が空いてしまった。
ほかの百姓も大根の作付面積を縮小する、そんなことで僕の入植した最初の年には30町歩程度と半減した。
当時、名前だけの「大根生産者組合」というのがあって、この組合と農協・役場の農政担当の三者の協議会
が定期的に開かれていて、そこで年間の作付け計画をはじめ、連作/輪作(6)で書いたようないろいろな
対策、開発農地にかかわる問題をすべて協議していた。
協議といっても、農協や役場からの提案が中心で、百姓の側から何かが提案されることは、まずない。
また「大根生産組合」だけの独自の協議は一度も開かれたことはなかったし、僕は、二年目には大根生産
はゼロだったけれど「大根生産組合」に入っていた。要するに、大根生産者が独自に作った組合ではなく、
いろいろな補助事業を受ける場合の受け皿であり、農協や役場の下請け機関のようなもんだ。やがて「大根」
は消えて、大規模農家と○○との協議会と名前は変わったけれど、協議の内容や方法に変化はなかった。
ともあれ、当初、その三者協議で大根生産の作付け計画がたてられ、各百姓に割り当てられていた。
「割り当てられた」と云っても、僕のように「断る」といえば、それだけのことで大根生産が強制された
わけではない。しかし、ここが「村社会」のありようの特殊なところで、「断る」と云うには、ものすごい
決断がいる。これが問題の一面。
しかし、これには反面があって、「割り当て」を受け入れることで、百姓もいろいろな恩恵を受けている。
それは補助金であったり、価格安定基金であったり、種子や薬剤の支給であったりといろいろだ。なによりも、
他の連中と一緒にやっているという連帯感とは云わぬまでも安心感がある。それがあるからこそ、口先では、
なんだかんだと文句を云いながらも、結局は引き受ける、その繰り返しをズルズルと続けながら深みに
填まっていく。
要するに、持ちつ持たれつ、もたれ合いの関係で割り当てたり・割り当てられたり。役場や農協は、補助金
や種子・薬剤を支給する側で、一方的保護者のようにも見えるが、実は大根洗浄施設などの大規模な設備
投資をやったり、資材を供給して売り上げを伸ばしたりと、結局は「百姓への補助金」を媒介にして太っ
てきたし、役場は機能権限を拡大してきた。
この頃には、もう大根生産の実質的利益はセロに等しかったはずだ。要するに、裸の状態で大根生産を続け
れば完全に赤字。いろいろな補助金や価格安定基金があって初めてゼロか、わずかの利益(大根10本入りで
1ケースあたり10円から数十円程度の)がでる程度になっていたはず。
それでも細々と続けられ、出荷用としての大根生産がゼロになったのは3年前。

こんな状態では、大根に代わる作目がなければやっていけない。僕が入植して二年目に「原料野菜供給事業」
という県の仲介による事業が導入されることになった。五年間の契約で加工用人参を栽培する、キロ単価で
手取り25円を保証する、50g以上の人参は全部買い取る、という内容だった。
当時、僕はまだやっと2町歩くらいの規模だった。ジャガイモ生産も始めたばかりで5反歩程度。市場価格
しだいで赤字にもなりかねない不安定生産の中では、手取り25円の保証は魅力だった。人参生産による
収益を基本給と考え、五年間の契約期間の間に基幹作目を確立して自立できるようになれば良いと考えて、
さっそく飛びついた。
ところがなんと、不思議なことに、他の百姓は乗り気でない。
25円は安すぎるというのだ。ポーズだけだったのかどうか知らないが、いずれそう云って、誰も乗って
こない。
人参加工会社は、契約は最低5町部から10町歩まで、収穫された人参は全量受け入れる、という条件を
提示していた。栽培面積が5町歩に達しない場合は契約しない、という。当時、畑は、いくらも空いて
いた。「他の百姓がやらないなら、僕が一人で5町歩やる」といって、農協・役場をせっついて契約を
結ばせた。

そうしたところ、いざ蓋を開けたら、他の百姓も「やる」と言い出し、最初の年は僕が3町歩、他の百姓が
1町歩ずつ、合計7町歩の契約栽培が始まった。
当時、人参栽培には、誰も経験がなかった。僕は、人参栽培どころか、百姓になって二年、なんであれ殆ど
何も経験がないから、人参栽培だからと云って尻込みする理由は何もない。しかも最初の年は、大根を
作って...ぐらいしか考えていなかった。その大根は、すっかりやめることに決めていたから、途方に
暮れていたわけでもないが、兎も角も人参を作りながら、これで基本給を稼ぎ、作付け体系を5年の間に
確立すれば良い、と余裕の時間を与えられたように考えていた。
その年の、僕の作付けはジャガイモ5反歩、カボチャ3反歩、加工人参3町歩。輪作も何もない、すっかり
人参におんぶした内容だった。
話では、加工用人参は反当4トンから6トン獲れる、とのことだった。話半分で2トンとしても、3町歩で
60トンなら150万円の手取り。こんな良い話、良すぎるくらいの話なのに、他の百姓が乗り気でないのが
不思議でならなかった。
その後のつき合いで分かったことは、保守的と云うか、警戒的と云うか、退嬰的と云うか、どんな話も
いったんは渋い顔をする。飛びつきたいような話でも尻込みしたような顔をして、相手の反応を窺いながら、
相手があれこれ条件をつけて「どうしても...」と云えば、「まあ、そんなに云われちゃ仕方なかんべ」
という顔で乗ってくる。

いずれ、そんな調子で、加工人参の栽培が始まった。(04/04/01)


加工人参の栽培は、僕が入植して二年目に始まった。現在も、規模を縮小して細々と続けられているから、
最初の五年間の契約期間が終わった後も、なお四年間にわたって続けられ、今年度が五年目ということに
なる。
最初の契約期間が終わってから、いろいろと変わった。まず契約期間が、長期契約から単年度契約に変わっ
た。契約量が減らされ今年度は最初の五年契約が終わった時点に比較して四分の一以下になった。契約価格
が下げられ、百姓の手取り価格は一昨年はキロ23円、去年はキロ18円。今年度は、いろいろ事情が
あって単純ではないが、一応、キロ23円に戻った。
最初の五ヵ年契約の期間の契約量は、総量で500トン、上限は600トンまで、となっていた。
キロ25円の手取りとすれば、上限の手取り価格は1500万円。5-6人の百姓でやっていたから、
均等割りに考えても200-300万円の手取りになった。これに対して今年は125トン、上限
150トン、手取り総額で250-300万円程度に縮小した。要するに魅力がなくなった。

僕は、最初から、加工人参の収入は5年間の基本給。この間に、自分の作付け体系を確立して自立
できる経営が出来るようになったら加工人参はやめる、と決めていた。理由はいろいろあるけれど、
最初は、単純に「この契約は長くは続かない」と考えていたからだ。
契約の最初の年に、説明会に訪れた加工人参会社の担当者は「人参ジュースが飛ぶように売れている。
前年比25%という勢いで伸びており怖いくらいだ。どんどん作って欲しい」という話をした。それを
聞いて、「いまがピークで引き時だな」と思った。根拠はない、単純にそう感じただけだ。
そういうわけで、結局、僕の加工人参の作付け規模は、最初の年が3町歩、その後2町歩、1町歩、
5反歩、3反歩と減らして、最初の5年契約が終わったあとは、加工人参は基本的にやめた。
いまでも3反歩程度は、作付けしている。これは近在の百姓が「欲しい」と云ってくるので、「自分
で掘り取っていくなら、1コンテナ(25キロ程度入る)千円、屑人参はタダで持っていって良い」と
いう内容で、種まきと管理だけをやっているからだ。これにかかる僕の総労働力は、延べ4日。最大
見積もっても1週間はかからない。
宣伝もなにもやったことはないけれど、結構、これが人気がある。「スーパーの人参とは比べものに
ならない。匂いが違うし、甘くておいしい」と評判で、一人で2-3コンテナを掘っていく人もいる。
「あれは、あんた、他所で高く売ってるんだよ」とワザワザ教えに来てけれる人もいる。
「いいじゃないの。自分で掘って、洗って、選別して、袋詰めして売ってるんだよ。売れ残ったら引き
取らなけりゃならない。それをみんな自分で引き受けてやってんだから、儲けて当たり前じゃないの。
そんな人が百人もいれば、僕は一週間も働けば充分だ」

他の百姓は、僕と正反対の動きをした。2年目にみんな2町歩に拡大し、それからズルズルと3-4町歩
と拡大し(上限が10町歩だったけれど、総引き受け量の500-600トンに達しなかったため作付
面積が広がった)、最初の契約期間の5年目が終わったときには、加工人参の収入が「ほとんど唯一の
確実な収入源」という状態になっていた。(04/04/03)




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