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「サイコパス」という言葉を初めて知ったのは、「サイコパス」というタイトルのアニメだった。とにかく残酷な犯罪者のことらしいと思いつつ、その言葉は、最近少しづつ、普及し始めていて、この本が目についた。他人の痛みのわからない人間が本当に存在するのである。人間社会は、他人の痛みがわかることが大前提でなりたっているのに、時に驚くほど残酷な犯罪者がいる。また、そんな犯罪者の登場する小説や映画に、なんでこんなことできるのかと、思わされてきた。けれど、サイコパスは、脳の一部分が欠けているために、他人の痛みを認識することができないらしい。それが、遺伝によるのか、突然変異によるのか、数パーセントの確率でどうしても生まれてしまう奇形のようなものなのか。それは、まだ、わからないらしい。東野圭吾の小説『白夜行』や、『幻夜』にでてくるヒロインの恐ろしいまでの残酷さが、サイコパスとしてみれば納得できる。私たちの社会に100人に一人存在する彼ら。怖いなあと思う。けれど、サイコパスにも色々いて、何とかうまく紛れ込んでいたり、自分の特性を認識して、犯罪をせずに生きていたり、その特性を生かして、普通の人間にはとてもできないような良心の痛みの伴う決断や行動をこなしているサイコパスもいるらしい。はっきりと認識されなかっただけで、昔からいたサイコパスは、それなりに必要な存在でもあったらしい。織田信長とか、ヒットラーとか、歴史をみれば、もしかしてと、思える人たちもいる。そして、ドラマや映画に出てくる死刑執行人や、首切り役人なんて、サイコパスでなければとてもできない。痛みがわからないから、人を殺す、うそをつく、残酷なことをする。けれど、共感を持たない彼らはとても孤独でつらい存在でもあるのではないかと著者はいう。とにかくすごく面白い一冊だった。サイコパス (文春新書) [ 中野信子 ]サイコパス【電子書籍】[ 中野信子 ]
2018年03月10日
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日があいてしまいました。あんまりきれいでたくんさ写真をとったので、一日ではアップしきれませんでした。今日もガーデンのつづき。これ、ねむの木だと思うんですが、いまいち不明。でも、ねむの木のさいているのを見られるのはめずらしくて。なかなか見事でした。ガーデンの人がせっせと手入れほしているところ。こんな道具を使ってるんだなと思いまして。園内ほんとにいろんなところに椅子とかテーブルとかありまして。ほんとにのんびり。ただ、園内はそんなにひろくないので、それほど座って休む必要もあんまりなかったのも、事実。ちなみに、中の売店がすごく充実してまして、バラ模様、花模様の、服、バック、帽子、お盆、お菓子、ケーキ、木製の椅子、テーブル、ガーデングッズなどなど。高いんですけどね。でも、すてきなので、ついつい買ってしまいました。帽子と、ブラウスと、お菓子を。さて、ここまでやったところで、楽天ブログのフォトが満杯になってしまいました。これ以上写真をアップできません。課金をする気もありません。なので、ブログを引っ越す予定です。詳しくは次の記事で。
2011年08月14日
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「一生を変えてしまう愛がある」『THE NEW WORLD』 この映画の宣伝コピーです。でも、私はこの二人の出会いは運命の出会いだったんだと思う。ヒロインのポカホンタスはジョン・スミスに出会うことで、みずからの故郷を追われてしまう。そのことにジョン・スミスはとても、悔やんでいる。けれど、本当にそうだろうか。 17世紀初頭、新しい土地を求めてアメリカ大陸にたどり着いたイギリスの船に乗っていたジョン・スミスと、現地に住むネイティブ・アメリカンの長の娘ポカホンタスが出会う。異文明の壁を乗り越えて惹かれあう二人の物語である。 ポカホンタスはとても、好奇心と、知識欲の旺盛な女性なので、たぶん、自分の生まれ育った村の中で一生を送ることに息苦しさを感じていたのではないだろうか。村を訪れたジョン・スミスに彼女はまず、言葉を学ぼうとする。人間には、現状維持型と開拓型の二つのタイプがいるんじゃないかなと思うんだけれど、彼女はまさに開拓型のタイプで、外の世界へ出ることを自ら望んでいたのであろう。そして、たった一人で未知の地へ乗り込んできたジョンの勇気と異文明の社会にすんなりとなじんでしまうその柔軟性と素養に、自分と同じものを感じ取ったのだろう。だからこそ、あんなにもジョン・スミスに惹かれたのだろう。自分を外の世界へ連れ出してくれる人だ。と。 けれど、ジョン・スミスはポカホンタスが自分と結婚することで、彼女をヨーロッパ社会に取り込んでしまうことにためらいを感じた。ヨーロッパ文明の社会の中で、彼女が持つ輝きが失われてしまうことを恐れたのだ。 けれども、ポカホンタスが持つ人間的魅力と輝きは決して西洋世界によって失われることはなかった。後年、イギリスに渡った彼女はイギリスの文明や次々と目に入る新しい知識やモノに目を輝かせてはいても、その勢いに気おされることも尻込みすることもない。女王との謁見にも臆することなくその気品と高貴さで、自らの種族のことを女王にそして、西洋に伝えることもできる。 死んだと思っていたジョン・スミスは実は生きていて、イギリスの地で再会することが出来る。西洋人(ジョン・ロルフ)と結婚し、西洋の洋服を着て、イギリスという西洋文明の中にあっても自らの輝きを失わず、毅然としているポカホンタスを見ることではじめて、ジョンは自分の決断が過ちだったこと、彼女の本質を見抜けていなかったことに気づく。ポカホンタスもまた、自分という人間の本質を本当に見ていたのは夫ジョン・ロルフであったことにきづく。 ジョン・スミスは自らの運命から逃げたのだ。ポカホンタスは身一つになっても、人質という立場になってもそれでも、ジョン・スミスの元へやってきたのに。もしも、二人が結ばれ、二つの文明の緩衝材となることで、二つの文明の橋渡しの役をすることで、あるいは、この後のアメリカ開拓における二つの文明の激突を和らげることもできたかもしれない。そして、イギリスに渡ったのち、帰路でその命が途絶えてしまったポカホンタスとともに二人でなしえたかもしれない歴史的業績を思うと、あまりにも惜しい。 二人の出会いは早すぎたのだろうか。もしも、二人が出会った時、ポカホンタスがせめて二十歳くらいなら、あるいはジョン・スミスにもポカホンタスの持つ可能性を見抜くことが出来たかもしれない。 自らの人生をかけたはずの恋を失い、廃人同様であったポカホンタスの中になお、彼女のもつ輝きを見つけて妻としたジョン・ロルフこそは実は本当にいい男なんだけど、(しかも、そののち、ポカホンタスがかつての恋人ジョン・スミスに会うことも許してくれてるしね) 惜しいかな、作中では今ひとつ人間的魅力で、ジョン・スミスにかなわない。なにしろ、前半部分でのポカンホンタスとたわむれるジョン・スミスはすんごくセクシイなんだもの。 できればやっぱし、ジョン・スミスと結ばれて欲しかったです。絶対この二人が結ばれると思っていたのに、映画を見ていたら、途中でジョン・スミスは死んじゃって、他の人つまり、ジョン・ロルフと結婚しちゃうんだもん。がびーんて感じでしたかね。見に行く前に公式サイトも見てたし、二人の結婚式も見てたのに、スミスとロルフを見分けていませんでした。なんてこと。 17世紀以降世界へと進出していった西洋文明が、果たして良いことだったのか。悪いことだったのか。その是非はわからないけれど、それでも、その歴史はやはり必然でもあったのだろうか。 この作品内では、アメリカ大陸にやってきたイギリス人はかなり紳士的に原住民のネイティブ・アメリカンと接触していて、それなりに平和的にかかわろうとするのだけれど、それでも、双方の価値観のずれによってやはり衝突はさけられず、うーんこんな風にして、西洋文明とそのほかの文明の衝突は起きてしまうものなのかなと思いつつみてましたけれど。そして、現地のネイティブ・アメリカンの長はいずれ争いになるであろうことも予見してジョンスミスを殺そうとする。それでも、ポカホンタスは彼を助けてしまう。どちらが正しいというより、男の感覚と女の感覚ってこんなフウにちがうんですね。男は危険を感じて自分達を守る事を優先するけれど、女というのはちっょと違う。危険を承知で別の選択をしてしまう。両方の絶妙なバランスがあって初めて世の中って言うのは上手くいくのじゃないですかね。 近年ヨーロッパ文明が行ってきた事の一つ一つを検証し直すような映画が結構作られていて、十字軍遠征とか、植民地開拓とか、いろいろ考えさせられますね。 それにしても、相手のためを思ってした行動が逆効果になることもある。ポカホンタスのために身をひいたジョン・スミスだけど、その後のポカホンタスの喪失感はすごかった。親としてわが子のためにする行為が子供にとって逆効果になったり、本来目指すものとは別の方向に子供を誘導したりなんてありうるよな。むずかしいものです。 さて、ディズニーの『ポカホンタス』も見てみないとね。
2006年05月18日
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一瞬の出会いが人生を決めてしまうことがある。けれどそれは、本当にたまたまの偶然だったのか。出会うべくして出会うものだったのか。主人公外村は、高校で、調律にやってきた板鳥の調律に魅了されて、調律師を目指す。調律の専門学校を出た外村は、板鳥の勤める楽器店に就職し、調律師を目指す。調律の道は厳しく、音の世界は果てしなく深い。ピアニストになることをあきらめた秋野(会社の先輩その1)は、楽器の音の中で育ち、楽器の音をみごとに聴き分ける。人間の決めた音階だけを聴き取ることができるから、それが仕事の速さにもつながっている。公衆電話の黄緑色さえ気持ち悪いと感じるほどの柳(会社の先輩その2)は、音や色、ものに対しての感度がとても高い。ものすごい感性をもっている。それは、彼にはつらいもので、都会の中の人の作る音に囲まれて、つらい青春を送らなければならなかった。けれど、そんな感覚がプラスになる仕事というものがあるもので、彼の感度の良さが調律の道につながっていく。そして、山村に育ち、多くの時間を北海道の大自然の森の中で過ごしてきた主人公の外村は、世界のすべての音を聴き分けることのできる感性と聴力を持っていた。楽器に触れずに育ったことで、楽器の音だけに縛られない。街で育たなかったことで、人間界の音にも縛られない。人為的な音の一切ない森の中で、微妙な自然界の音、世界のすべての音を聴き分ける力を身につけて育つ。それゆえに、感度がよすぎて、普通の人が聞き取れない、聞き漏らしてしまうような微細な音も聴き取ってしまうことが、調律にマイナスに働いてしまう。機械すら読み取らないような微細な音まで聴いてしまう故に、音が決められず、調律に時間がかかってしまうのだ。ピアノと同じ部屋に中に、布が一枚入るだけでも変わる音の微妙な差と変化を、彼は聴き分けてしまう。それは、絶対音感よりさらに深い、究極の音感なのではないかと思う。最初は初心者ゆえに、戸惑い、音を決められないのは、自分の能力の低さだと思っている。けれど、たくさんの経験をつむ中で、微妙な調律の設定の差が、音の差を生みだすことを知り、望まれる音の見つけ方を少しづつ理解していく。都会の空では、星座になるような大きな星しか見えないけれど、北海道の自然の中の、人界の光の一切ない真の闇の中に浮かび上がる星空が、星座になる大きな星すら埋め尽くしてしまうほどの細かい小さな星々まで見られるそんな夜空を見るように、外村は、音の世界を聴き取ってしまう。普通の人間では聴き分けられないような音の世界の、まるで森のように、ピアノの音の世界を深く深く、限りない美しい世界を、ただ、彼だけが視ることができる。森の中ではねるシカのように、光を放つ木々のように、草と葉のあいだをぬける風のように。そして、今まで誰も聴き取れず、誰も作れなかった音の世界を、誰もが聞き取れるピアノの音として、再現できたとしたら、それこそが、究極の調律なのかもしれない。それができるのが、外村だとしたら、それはとても素晴らしいこと。そんな彼を、見つけたのが、板鳥さんで、天才(外村)は天才(板鳥)にしか見つけられない。のだと思う。普段なかなか出会うことも知ることもできないような仕事を、紹介してくれるような小説やドラマが、最近増えたなあと思う。この作品も、調律というあまりかかわることも知ることもできない仕事を、実にみごとに実に細やかに教えてくれたありがたい小説です。◆◆羊と鋼の森 上巻 / 水谷愛/漫画 宮下奈都/原作 / 小学館
2019年08月29日
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