マッキーの「君への愛の唄」を聴いてる
結婚式エンドローグだって
いいな。言われてみたいし、思われてみたいし、思ってみたい。
な~んて無理だよ。素直じゃないんだから。
小さい頃から思っている事を素直に言えなかった。
だからこんな歳になっても意地を張ってしまう。
さみしい→1人でも大丈夫!
こんな感じに。。。
やりたくない事もそう思いつつやり遂げて これでいいのでしょう!
と思ってしまう。
その素直じゃない原動力は常にモンスターに位置づける人を作り
その人には絶対に負けない!と決めつけ、勝手に自分の中で戦う事だったと思う。
小さい時はそのモンスターは兄だった。
3歳しか違わないのに威張る兄が大嫌いだった。今でも嫌い。だから負けたくなかった。
そしてそれから一昨年まである人が長い間のモンスターだった。
でも、エンディング後の戦いも終了し、意味のないモンスターの存在を作るのを止めた。
止めたらきっと肩の荷が軽くなって少しは素直になれるかも・・・
そんなこと思ったりして。そんな甘いこと思ったりして。
で、実際にはそうなれなくて現在につながる。
怪我して泣きながら連呼した人の名前はもうこの世にいない人のみ。
猫のミィーちゃんまで呼んだのに、元気に生活している人の名前は一度も声に出さなかった。
頼めば手を貸してくれる人がいてもお願いが出来ない。本当に可愛げなど欠片もない。
人との関わりを遮断して引きこもりした日々。病院の往復だけで体力も無くなって。。
こんなんで仕事復帰なんて出来るのかな。とても不安で怖い。
最近大きな地震が続いて起こり、そのたび従妹のお兄さんから心配メールが届いていた。
怪我して仕事していない事が言えずに、頑張っていると返事した。
「いつでも長野に帰っておいで。お前が住む所なんていくらでもあるんだから。
お前の骨は本家の墓にちゃんと入れてあげるからな。」そう言ってくれる。
とてもうれしく有りがたい。「ありがとう^^」と返信するけれど泣き言言えない。
誰かに寄りかかって自分の思いを伝えて甘えられたらどんなにいいんだろう。
寄りかからせてもらった分、その人に同じ時間一緒に過ごせてうれしいと思ってもらえるよう
努力出来たらどんなにしあわせを感じられるんだろう。
1人では生きていけない事分かってるのに、1人でも平気と言い切ってしまうんだから
その誰かなんて寄りついてくれるはずなんてない。
マッキーの素直という曲も大好きだ。
その歌に出てくるような人になれたら素直の曲のように思ってもらえるのだろう。
いつも素直じゃない私はこうして歌と漫画と小説に出てくる人に憧れ、酔いしれて終わってしまうのだ。
あー。。