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私が蜷川幸雄の演劇を初めて見たのは、「ハムレット」でした(1995のものをNHKの衛星放送で)。主演・真田広之、オフィーリアは松たか子。戯曲を読んだのは中学生の時でしたが、よくわからなかった。演劇を見たことないのに「戯曲」を読んでしまったから、戯曲の向こう側に広がる空間を想像することができなかったのです。 私は、真田ハムレットを見て、初めて二つのことを理解しました。 1.ハムレットのセリフは「狂人のふりをしている」時のものと、 本心を独白もしくは傍白している時のものが混在している。 2.戯曲を読むと、そのセリフを言っている人のことしか頭に浮かばないけど、 セリフを言わなくても存在する人物が同じ舞台に立っている。 この時蜷川が作った舞台は二階建てになっていて、隣の部屋で盗み聞きする人物とか、全体がよくわかったのです。 そうしたセリフを言わない人たちのリアクションが、実は劇を動かしている。だから、ひとつもセリフを変えなくても、まったく違う物語にできるということを、実感しました。真田ハムレットの見どころは、父を殺したクローディアスへの復讐心の強さでしょう。クローディアスが独りで祈っているところに、ハムレットがでくわし、千載一遇のチャンス! と後ろから刺そうとするんだけど、「祈っているところを殺したら、天国に送ることになる。それじゃ復讐にならない」といって剣をおさめます。 ここは、キリスト教徒でない私には、わかりにくいところでしたが、けっこう大事な伏線があります。 ハムレットの父親は、武人としてたくさんの人を殺しているので、死ぬ前に懺悔をしたかったのに、急に殺されちゃって懺悔できなかった、だから地獄に落ちて亡霊になって成仏できない、という背景があるのです。 とはいえ、殺人を先延ばしにする「言い訳」にも思えます。そう見えないところが、真田ハムレットの激情。ほんとに、ほんとに、復讐したい気持ちが表れていました。 むき出しの憎悪。心の傷から流れ出る血にまみれ、もがき苦しむ姿が、切ない。真田ハムレットは、本当にお父さんを尊敬し、愛していたんだと思います。この劇は98年に再演されています。(母妃ガートルードは三田和代から加賀まり子に替わりました)ロンドンでも上演されました。 *2006年5月24日のMixi日記をもとに、加筆しました。
2007.01.17
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最高のパートナーシップともうたわれる熊川哲也とヴィヴィアナ・デュランテ。熊川の怪我以来初めての共演を楽しみにしていたが、なんと降板!ツアー初演の5/9、大宮の舞台・1幕途中で東野泰子に入れ替わり、そのまま東野が代役。ふくらはぎの故障で全治3週間と診断され、昨夜のタイトルロールは東野泰子にキャストが変更された。(オーチャードホール)去年の「海賊」で熊川の開幕直前降板を経験しているし、今度は熊川ではなかったので、少なくとも「あの怪我」について心配することはなく、その意味では平常心で観劇できた。が、やはり片翼を失った傷は深かったといえる。一言でいって、「そこに愛はなかった」熊川の「ジゼル」が高く評価される理由のひとつは、常に舞台に「ドラマ」が存在する点。その「ドラマ」はキャストの生のキャッチボールによって日ごと変化し、同ツアー同キャストであってさえまったく違う印象を与えることすらある。王子のアルブレヒトはどうしてジゼルに惹かれたか。アルブレヒトはジゼルとどんな恋をしたいのか。花占いの結果に気を落とすジゼルを、アルブレヒトはどう励ますか。許婚があることをジゼルに知られてアルブレヒトはいかに弁解するか。許婚に対し、アルブレヒトはジゼルの目の前でどんな態度をとるか。死んでしまったジゼルに、アルブレヒトは何を感ずるか。一幕の幕切れ。ジゼルの母親に追い払われ、いったんはジゼルのもとから離れたアルブレヒトは、でも離れがたく戻ってきた。戻ってきたが、倒れたジゼルを掻き抱きはしない。触ることもできない。遠巻きに立ち、そしてひざまずいて、祈る。「ジゼル~!」ではなく、「神よ!」なのだ。熊川は、正直だ。ジゼルをかわいいと思う、かわいがってやりたいと思う、しかし、心がよじれるほどの愛ではない。失って、自分が壊れてしまうほどの恋でもない。一幕を演じた結果、「アルブレヒト」として熊川はそう生きたのだ。あの「神よ!」は自然な流れだったと思う。タイトルロールを初めて踊る東野を狂乱の場では抜きん出たオーラを発する名優ヴィヴィと比べるのはあまりにかわいそうではあるが、技術はともかく、ジゼルの心の起伏がつかめていないので一つひとつの動きが「型」のなぞりになってしまっている。畢竟、熊川もそんな東野の演技を受けているうちに、段取り芝居になっていくのだ。いつもの舞台で見られる、感情の旋風が吹き荒れるような愛の疾走は感じることができなかった。何か重大なミスがあったわけではない。コールドもよくそろっていた。一幕、ペイザンのパ・ド・シスもよかった。とくに、神戸里奈と橋本直樹のパ・ド・ドゥとソロ。橋本の重心がどっしりしながらベクトルが上へ上へと向く安定感、神戸のピクリとも動かないバランス。二人の演技は特筆に価する。まったく踊らない役だが、許婚である公爵の娘バチルドを演じた松根花子も目を引いた。「公爵令嬢」という上品で、箱入りで、無垢だが残酷な美しい貴族を彼女は居住まいと仕草と、顔の表情のちょっとした変化で表した。彼女は今ツアー中にミルタも踊るので、期待したい。決定的に悪い、というほどのものはないが、息をのむほどの緊張感が保てない。音楽も凡庸だった。素人の私がいうのはおこがましいのは百も承知で書くが、指揮者の井田勝大には、もっとバレエを知ってもらいたい。せっかく音楽の変化を場面や表情の切り替わりに合わせているのに、同じペースですらすら流れていくのみ。旋律にもリズムにも表情がなかった。舞台に求心力が生れない。そのため、劇場全体の空気が弛緩する。二幕、アルブレヒトと白いジゼルのグラン・パ・ド・ドゥ。恋するジゼルの魂が精霊にもなりきれずアルブレヒトの近くをさまよい、それにアルブレヒトが気付いて喜びそして失ったものの大きさに改めて気付く最高にせつなくドラマチックな場面なはずなのに、客席のあちこちから咳、ものが滑り落ちる音。気の毒なくらいであった。熊川の足は不安なく見ることができた。しかし、場の雰囲気を盛り返そうとする分もあるのか、多少荒れ気味だったかも。つくづく、パートナーシップというのは大切だとわかる。熊川とヴィヴィとの切り離せないほど濃密なコンビでなくてもSHOKOとの「放蕩息子」、荒井祐子との「白鳥の湖」、ほかにも康村和恵、吉田都など素晴らしい舞台はたくさん見てきた。東野の精進と成長がKバレエのまた新たな求心力を生む原動力になることを願う。こうなると、熊川以外のキャストの日は割安感が増す。S・A・B席が安いだけでなく、C席6000円という価格設定もある。
2009.05.13
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Kバレエprezents「青島広志の夏休みバレエ音楽コンサート」に行ってきました。まずはオーチャードホールを満員にしたことが、すごい。「バレエのおかげ」と青島さんが言っていました。青島さんのトークはちょっと駆け足で時々スベることも。でも、わかりやすかったし、笑いもあって親しみやすかった。入門編としては、コンパクトなのにレベルが高く幅も広く、優れたプログラムだったと思います。小学生連れの親子がたくさんいましたが、公演中、拍手意外、ずーっと水を打ったように静かでした。なんて素晴らしい集中力なんでしょう。子どもたちのマナーもすごかったけれど、それを助けるプログラムがよかったですね。バレエつきのものも、バレエなしのものも、有名な曲が多く、耳馴染みがよかったです。入門編としては抜群。バレエつきは、リヒャルト・シュトラウスの「春の声」(神戸里奈/伊坂文月)パッヘルベルの「カノン」(遅沢祐介、山田蘭)チャイコフスキー「眠れる森の美女」から「ローズ・アダージオ」(佐々部佳代ほか)ボロディン「イーゴリ公」から「韃靼人の踊り」(池本祥真ほか)チャイコフスキー「白鳥の湖」から「情景」「第二幕のパ・ド・ドゥ」(田中利奈/浜崎恵二朗)そして、ラベルの「ボレロ」(宮尾俊太郎)でした。アダンの「海賊」は、バレエなし、とありましたが、舞台用の正式衣裳をまとったキャラクターたちが登場して一人ひとり紹介、そのリアクションも堂に入っていて、楽しかったです。「序曲」冒頭は、ちゃんと踊りながら退場していきました。バレエの中で光っていたのが、佐々部佳代。彼女のかわいらしさと気品とは、オーロラ姫にぴったり!もちろんテクニックも。安定感があります。彼女で「眠りの森の美女」全幕を、ぜひ観てみたいと思いました。久々に観た「カノン」にも感動。初演の頃は、最愛の御母堂の死を乗り越えようとする熊川氏の思いがいやおうなく胸に迫り、作品そのもののみを純粋に感じることが不可能だったんですが、今は穏やかに眺めていられる自分がいます。遅沢さんは、登場したときの後ろ姿からして威風堂々。その筋肉と立ち姿だけで、プリンシパルってわかります。「韃靼人の踊り」の池本祥真もよかった。演じる力と跳ぶ力。軽やかさがありました。「春の声」は神戸さんと伊坂さんでソツなくこなしましたが、伊坂さんは少し印象が重かった。「白鳥の湖」は、8/4に「Kバレエユース」で全幕踊る二人。これに関しては、8/3に別ペアで観るので、感想はそのときに一緒にしますね。一つだけ、選曲に関してだけ述べておきます。「白鳥の湖」のどこを見せるか。そこにセンスが問われるわけで、あの一番有名なフレーズをもってこなかったことがまず一つ。今回のようなガラステージでは、白鳥より黒鳥のパ・ド・ドゥのほうが見栄えがするけど、それも選ばなかった。この第二幕のパ・ド・ドゥは、作品全体のキモにあたる。それをちゃんと見せた熊川氏に拍手。そして、「白鳥の湖」の次に、「カルメン」が演奏されたんだけど、ここで「間奏曲」が来るの。つまり、バレエ「カルメン」での寝室のパ・ド・ドゥ。ここではバレエはないんだけど、観たことある人は、ヴィヴィアナと熊川の光景が、脳内に繰り広げられたことでしょう。「愛」2連発!「愛」だよ、「愛」、の構成でした。そして、トリは宮尾俊太郎が挑む「ボレロ」。当然だけど、宮尾ボレロは、熊川ボレロとは別物です。だから、「熊川のように」を期待していた人には、ちょっとインパクトに欠けたと思います。でも、私はね、プティの「ボレロ」を観て、初めてエロスを感じた。熊川の舞台では、一度も感じたことがなかったのに。キリっとした印象の熊川版に対し、宮尾ボレロはしなやかというか、流れるよう。手足長いし。椅子をね、とっても丁寧に扱うの。「椅子は女性の象徴」っていうけど、ほんとにそうなんだなって思った。椅子とのからみに男女のそれを感じるようになると、椅子なしであっても、振付の一つ一つにこめられたメタファーが浮き彫りになり……。それこそ、同じプティが振り付けた「カルメン」の寝室のパ・ド・ドゥなんて、「そのものズバリ」な動作だから、かえってエロスなんかふっとんじゃって、どちらかというと、その中心にある愛の歓びだけが溢れてくるような印象だけど、この「ボレロ」のほうがもっとエロかったとは、15年間、プティさんにおちょくられていました~って思わせてくれた、宮尾さん。だからこそ、そこにあったのは、熊川ボレロではなく、宮尾ボレロだと、私は思ったのだ。中盤、ちょっと息切れしたかと思われる場面もあったけれど、そこからもう一度立て直し、次々と見せ場をクリアし、決めるところはきっちり決めて、最後まで持っていきました。これを観ていて、私は思わず「初めての『鏡獅子』みたい・・・」とつぶやいてしまいました。誰にでもできるものではなく、だから、誰にでもやらせてもらえるものでもない。「やれ」と言われる人には、それだけのものがある。今まで15年間も、彼しか踊ったことのないボレロを、なんで今、なんで宮尾俊太郎を、熊川は指名したのか。そこには、熊川が考える、バレエとの対峙のしかたが見える。「一生懸命努力する人を見ていると、応援したくなる」と熊川は言った。「(監督にはダンサーの)好き嫌いは、当然ありますよ」とも言っている。私は、ファンクラブに入っているが最近のファンクラブの会報で、ちょっと気になる変化があった。芸術監督になって様々な振付をするようになってから、熊川はずいぶん「オトナ」の発言をするようになり、若かりしころよくやっていたような、ヤンチャ発言は影をひそめていたのだけれど、「ぶっちゃけ」な文章を敢えて載せるようになったのだ。Kバレエで期待されていた若手メンバーの退団が続いたころだった。私は、退団後の彼らの活動も追っているけれど、それらは熊川氏が彼らに臨んだ「もっと高みへ」とは異なるものが多い。ライフスタイルに対する考え方の違いだろう。熊川氏は、知らない人にはチャラチャラ見えるかもしれないけれど、とてもストイックにバレエと向き合う人だ。自分の掲げる理想に届くまで、自分に妥協しない。それが、熊川だ。昔は、そうと自覚しないまま。今は、しっかり自覚して、彼は人生をすべて、バレエに捧げている。そして、プロのバレエダンサーは、そうあるべきだ、と思っている。少なくとも、「一流」「超一流」それも「世界標準」を目指すのであれば。彼が持てなかった大きな体躯、長い手足。それがなかったために、一体自分はどれくらい人より努力しなければならなかったか。だから、生まれつき、それを有している人が自分と同じくらい努力すれば、もっともっと高みに到達できるはずではないか。なぜ、それをやらない?! 君らにはそれらが備わっているというのに!?そんな苛立ちが、彼の文章から読み取れた気がした。翻って、宮尾俊太郎。バレエを始めたのが14歳。10歳と、普通より遅めの熊川より、なお遅い。はっきり言って、彼より跳べる人、彼より回れる人多数。それでも、バレエと愚直に向き合い、師匠の背中を追い続け、今に至る。熊川哲也を追いかけて追いかけて走り続けてきた彼は、いつのまにか熊川とは異なる自分らしいバレエを身に着け始めた。1ミリずつでも進化するバレエダンサー、宮尾俊太郎。師匠の熊川と弟子の宮尾は、そのバレエスタイルは異なるけれど、バレエを愛し抜くその精神性を、彼は師匠から正統に受け継いだ。そう師匠が感じたからこそ、「ボレロ」免許皆伝となったわけだ。その愚直さの中の崇高さを、皆に感じてほしいと思う。
2013.07.31
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私は震災前の10日のチケットを持っていたので、見ることができました。「真夏の夜の夢」のパックを熊川哲也が日本で踊るのは、1992年以来のことです。なんと、ほぼ20年前、ということですね。私は熊川哲也が舞台で大きな怪我をしてからというもの、そろそろ40歳を迎えようという年齢もあって彼のダンサーとしてのこれからを考えたときに、そしてKバレエのこれからも視野に入れれば、こういう配役がいいのでは、と思っていた部分がありました。彼がかつてロイヤルバレエでソリストとして主役ではないけれど大きなインパクトを残した役、たとえばこの「真夏の夜の夢」のパックとか、「ラ・バヤデール」のブロンズ・アイドルとか、そういう役で舞台に立って主役はほかの若手に譲る、という形です。全舞台かけまわるというのは、だんだん難しくなるかな、と。それなら爆発的な踊りをどこかでバンッと見せてくれたら舞台も引き締まるし、熊川哲也の踊りを見たい、という人も満足するし、彼が主役を踊り続けてしまうことで若手の出番が少なくなることもない。熊川主演の日とそれ以外の日で金額を変えることもない。そんなふうに考えていました。だから今回は、そんな思いが届いたか、という感じで、とても楽しみにしていました。でも舞台を見てみて思った。やっぱり熊川哲也というダンサーは、センターに立つべくして生まれたんだ、と。貫禄が違う。オーラが違う。それなのに「主役」を引き立てるために、熊川が自らのオーラを消そうとする。だから、舞台上にこの人、あの人、といった突き抜けるようなエネルギーが感じられず、ぼんやりとした印象を受けてしまいます。彼がソリストとしてパックやブロンズ・アイドルで光ったのは、若さや上昇志向や、やっと手に入れた役への挑戦や、そういったもろもろのものがあってこそだったのではないでしょうか。主役が誰であろうと、相手役とのバランスがどうであろうと、「オレがオレが」の精神が、一部の人々にはヒンシュクものだったかもしれないけれど、ますますの輝きや躍動感を加えていたのでしょう。今や芸術監督も兼務しステージ全体をコントロールする熊川は、舞台上の役を慎重に選ばなければならないのだ、と痛感しました。「ロミオとジュリエット」のマキューシオとか「ドン・キホーテ」のエスカミリオとかこうした出演のしかたは今までもありました。「ラ・バヤデール」なら僧侶とか、踊る踊らないを別として、主役と対峙する役、どっしりと構えた役でなければおさまりがつかないんでしょうね。これは歌舞伎でいう「ニン」にあたります。團十郎とか吉右衛門とか菊五郎とかに、ちょっと出のチンピラみたいな役では違和感が生じてしまうのです。テレビドラマでもあるでしょ。地味な清掃員とか下っ端警察官とかに大物俳優があてられてる時に感じる違和感。逆に「きっとこの人が犯人なんだ!」と思ってしまいますよね。そうじゃなきゃおかしい、という、あの感覚が「ニン」に近いのかも。(「ニン」についてはもっといろいろあるけどここでは割愛)同じようなことをサッカーでも考えたことがありました。1994年のW杯アメリカ大会に、惜しくも出場できなかったカズこと三浦知良。1998年のフランス大会では、メンバーから最終で脱落してしまった。彼のカリスマ性や経験は、絶対に代表チームのプラスになるのに、とカズを応援したい気持ちがわく反面、常に現役、常にフォワードにこだわるカズに、「ポジションにこだわらなければもっと出場機会も増え、きっと違った形でカズのよさが出るのでは?」と思うことが、それから後に何度かありました。しかし。カズは正しかった、と私は思った。年齢や体力や、そんな理由でフォワードがフォワードをやめることはできない。カズはフォワードで輝く人であり、その証拠に彼はJリーグでの最年長得点記録を塗り替え続け、先日の慈善試合でもシュートを決めた。ゴン中山も然り。彼らは、自らの輝く場所を知っているのです。話題をバレエに戻せば。ロイヤル時代、熊川より年上のスチュワート・キャシディがKバレエにあって、常に熊川をサポートする位置にいてくれたのは、Kにとって、そして熊川にとって、まことに幸いなことです。それは、キャシディが常に相手役にそのサポートを賞賛されるように、周りと合わせる才能に溢れ、そのエレガントさこそキャシディの輝きだからでもあります。彼の得意とする役柄が、熊川のそれと微妙にずれていたこともメリットになった。同じ舞台に立ちながら、いずれも長所が際立つ、というよさがあった。だとしても、それだけキャシディの守備範囲は広く、懐が深い、ともいえます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、前置きがかなり長くなりましたが、「真夏の夜の夢」。私が見たときの主役・オベロンは遅沢佑介。「オベロン」という、精霊のなかの王様、という存在感には乏しかった。というより、まだ「真夏の夜の夢」というバレエが体にしみこんでいなかった。「人間ではない」ことを意識して、着地に決して音を立てなかったりという努力は買う。しかし、いかんせん小さくまとまりすぎて、勢いがなかった。難しい演目なのだな、と感じました。それは、遅沢だけでなく、ほかのダンサーにも言えることでした。女王の貫禄が出ないと、ただのやきもちやきのわがままにしか見えないのがタイターニア。パ・ド・ドゥだけを美しく繊細に踊ってしまうとタイターニアというキャラクターが分裂してしまう。タイターニア役の松岡梨絵もかなり丁寧に踊ってはいたけれど、慎重な分、躍動感に欠けた。人間側の三角関係も、精霊側とのコントラストを出そうとしすぎてドタバタを強調したせいか、底の浅いキャラになってしまい、魅力的に感じませんでした。「真夏の夜の夢」はシェイクスピアの喜劇であり、2組のばかげた三角関係が惚れ薬の相手を間違ってしまうパックの失態によって、ますますドタバタになってしまう騒動。これが、深い深い森の中で繰り広げられるという話です。王族の威厳があり、精霊の空気があり、結婚式の祝祭である一方で、痴話げんかであり、とりかえばや物語であり、ロバに惚れたりするおバカな話でもある。これをある場面では観客を笑わせ、ある場面では神聖な気持ちにさせるというのは本当に難しい。シェイクスピアに親しみ、ストーリーや相関図を知っていても難しいのだから、「真夏の夜の夢」初体験の人に、バレエのみ、つまりセリフなしで届けるのは至難の業であることは間違いなしです。ただ、この難曲に挑戦したことには意義があると思います。「挑戦」は大切なこと。その意味では「小さくまとまって」いないで、勝負に出たKバレエには拍手を送りたい。だから私が見た公演の後のステージの出来栄えや他のキャストでの舞台の様子が知りたいと思います。震災による中止や、追加公演など、キャストやスタッフに動揺も大きかったでしょうが、その後の舞台でダンサーたちが徐々に成長し、成功していることを祈るばかりです。「ピーターラビットと仲間たち」のほうは、再演ですが、ダンサーの入れ替えが激しかったこともあり、キャストがガラっと変わっています。結果だけを言えば、私は初演のほうが好みだった。もっと動物たちの輪郭、動物なのに人間臭い所作がくっきりと浮かび上がってパンチがあったと思う。役をつかむ、ということは、本当に難しいもの、とここでも痛感。Kバレエの魅力とは、お行儀のよい優等生バレエではなく、額縁を意識しながら、その額縁をちょっとはみ出す勇気と勢いではないか。私が熊川哲也という人のバレエをそれもクラシックを踊る彼のバレエを好きになったのは、まさにそこなので、余計そう感じるのかもしれませんが。Kバレエの公演は次の「ロミオとジュリエット」がもう5月に迫っています。私はこの前見逃したロベルタ・マルケスとの組み合わせ。楽しみです。
2011.04.05
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CNN「Revealed」の和訳のラストは、熊川哲也に対するQ&Aです。日本人には、まま結果オーライのところがあって、今の関係がよければ「いろいろあったけど、ま、いいじゃないか昔のことは」みたいな、忘れたフリができるのか、本当にわすれちゃうのか、過去のことをあれこれネチネチとり上げて糾弾することってあまりしません。でも、本当は「やったことはやったこと」として、今、どんな地位にあったとしても、その責任はとらなくちゃいけない。「Revealed」の記事を読んでいると、今や熊川哲也が日本のバレエ界になくてはならぬオトナになったからこそ、インタビュアーは彼の「過去」について、はっきりさせようとしているということを、感じずにはいられません。そして、熊川は、逃げずに、当時を振り返ってきちんと答えています。インタビューの冒頭は、熊川の幼い頃のエピソードや、バレエを始めたきっかけ、ロイヤルに行くに至った経緯などに関してです。このあたりはいろいろなところで言われていることなので、省略します。どんなやりとりかは、原文を見てください。(今月中は見られると思います)ちょっと面白かったのが「ロンドンの第一印象は?」という問いに対しての答え。「想像と、100%違ってましたね。 だって、日本人って、アメリカ映画で育ってるんですよ。 日本の外っていったら、即、アメリカっていうのが僕のイメージ。 だから、想像していたものは、大きなハンバーガーとか、広ーい道路とか、大きな外車とか。 ところが、ヒースロー空港に着いた途端、何か違う。 気候も暗いし、雨だし、道路は狭いし、おまけに日本と同じ右ハンドル! イギリスはアメリカと違うんだって気がつきました。 正直言って、ちょっとがっかりしましたね。でも、最初の一週間だけ。 その後は、本当に楽しいところでした」また、ロイヤルの仲間が熊川哲也のことを「Teddy」の愛称で呼んでいたのは、有名な話。「哲也」が「T」で始まり、「kuma」の意味が「熊」だから、テディベアの「テディ」。命名したのがクラスメイトだった、というところまでは知っていましたが、その友だちっていうのがルーク・ヘイドンだったなんて!Kバレエの「ドン・キホーテ」でその人をやっている、あのお方です!Kバレエというのは、本当に熊川とロイヤルとの友情で支えられているんだな、と改めて思いました。(でも、熊川の著書『メイド・イン・ロンドン』には、ちゃんとルークの名前が書いてある。 この時は“ルーク・ヘイドンというクラスメイト”と言われても、読み飛ばしちゃったんですね)さて、本題に入りましょう。―ロイヤルでの10年間、あなたは素晴らしいキャリアを積んできたわけだけれど、 そこで不満がたまった、ということですね。もっとも大きかったのは何ですか?「別に不満はないですよ。いい時を過ごさせてもらったし、いい仕事をした。 アンソニーからもらった役はすべていい役、大役で、僕にピッタリだった。 僕に合わないような役、彼は一度も回したことないですよ。 だから、彼の部屋に行って 『僕にはこっちの役が合ってるんだ、どうしてこの役をくれないんですか?』なんて、 文句を言ったり注文つけたりしたことはありません。 だから“不満があった”とはいわない。 でも、“飽きていた”とはいえるかもしれない。 だって、ずっと同じ役の繰り返しでしょ。 それに、僕は舞台芸術に関心があったんです。例えば照明とか、衣装とか、舞台装置とか。 そこらへんが、僕がロイヤルを離れた理由かな」―その「離れ方」が、かなり混乱を招きましたよね。覚えておいでですか?「若かったってことです。辛抱が足りなかった。一刻も待てなかった。 出ようと考え出したら、もうすぐにでも出なくちゃ、…と思ってしまったんです。 でも、もっとちゃんとしたやり方がありましたね。 だから、あのやり方は、自分でも誇れたものではないと思っています。 また、あの決断はもちろん、僕だけで決めたわけじゃない。他に5人いましたからね。 みんな一緒になって、まあ、うきうき興奮したというか、 子どもがちょっとイケナイ計画練って、楽しい、みたいなところがありました。 思うに、時期が悪かった。 もう次のシーズンのリーフレットに僕の名前が載っていたし、 そのことを僕は拒否もしていなかった。 『もう戻りません』のFAX一枚ですからね、最悪です。 カンカンだったと思いますよ、みんな」―どうしてKバレエを日本で立ち上げようとしたんですか?「答えは簡単。僕の生まれたところだから。 僕はどの国でも行けた。アメリカとか、ね。 でも日本が一番やりがいがあったんだ。舞台の仕事、ことにバレエの仕事をするには。 ロンドンやニューヨークに比べたら、そうとう遅れてますよ。 まず環境が整っていない。 舞踊というものが、正当な扱いを受けていないし、観客はバレエを知らない。 もちろん、英国ロイヤルバレエもパリのオペラ座も来るし、お客はつく。 でも、それは日本のバレエ団のお客にはならないんだ。―そこで、Kバレエによって築こうとしたものは?「プロフェッショナルな舞台。一切妥協のない舞台。壮大かつ、きっちり出来て隙のない舞台」―現在のあなたの生活は、いかがです? ロンドンと比べて変わりましたか?「ロンドンにいた時は、ただのダンサーだった。 常に誰かにあれやれこれやれと言われて、そのルールの下でしか生きられなかった。 カンパニーに支配されてた。 でも、僕はもっと自由になりたかったんだ。 だから、自分で自分のことを決められてよかったし、そういう事態を自分で起こせてよかった。 この喜びは後から後から出てくる。ただのダンサーであることずっと大きい」自由。自分で自分を決めること。これが、彼のキーワードかもしれません。3回で終わろうと思ったんですが、あと1回、続きを書こうと思います。
2007.12.23
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テレビから流れる安全地帯の「蒼いバラ」を聞いていた。これまでは彼の歌い方や楽曲のよさ、印象的なメロディライン、それに加えて「安全地帯復活」の余韻に浸りすぎ、あまりじっくりと歌詞に耳を傾けてこなかった。「蒼いバラ」は作曲だけでなく、作詞も玉置浩二である。ミュージシャンは、どんなときに作詞するのだろう?どんなことをモチーフに詩を書くのだろう?そんなことを考えながら、テレビ画面に流れる歌詞のテロップを追った。というのも、私は詩作が苦手なのである。小学校のころ、「詩を書きなさい」といわれて、どうしたか。文をいくつもの行に散らして書いた。それを、ゆっくり読んだ。「私は朝、牛乳を飲んだ。おいしかった」であっても、「私は、 朝、 牛乳を飲んだ。 おいしかった」と行を分け、NHKの番組「プロジェクトX」のナレーションばりに読めば、それで詩のようなかっこうはつく。でも、同じクラスの男の子に言われた。「中身は普通の文章と変わらないじゃん。 そんなの、詩じゃないよ」男の子の言うことは当たっていた。詩は形じゃない。だって、散文を読んでも「詩的」だと思うことがあるもの。じゃあ、詩って何?詩と普通の文と、何が違うの?私はもう小学生じゃないし、今までにいろいろな詩や、詩的な文章に触れてきたし、まがりなりにもものかきを名乗って日々文章を書いている。それでもまだ、詩とは何か、本当のところはわからない。この「蒼いバラ」を聴きながら、その詩的な世界に震え上がる思いである。*以下、歌詞を引用させてもらいます。 玉置さんの著作権を守るために、安易なコピペはご遠慮ください。*詩と散文との本当に違いを検証するための試みなので、 敢えて改行をしていません。 実際の作品では、スペースか/のところで改行されています。*自分が耳で聴いて理解する部分と、詩として理解する部分の比較のために、 音楽としてのフレーズ(一つのメロディのかたまり)が終わるところに 「/」を入れています。最初のフレーズ=起「誰も触れられない 蒼いバラ/月灯り浴びて 咲いている」ひっそりと窓辺に咲いている1輪のバラにスポットライトが当たっている。そういうものを見ながら、見たものを描写している感じ。続くフレーズ=承「甘い香りがして 降り出した/銀色の雨に濡れるから」歌だけを追うと「甘い香りがして降り出した」とひとくくりに聴いていたけれど、じっくり聴いてみると「甘い香り」がしたのはバラで、「降り出した」のは銀色の雨と知る。さきほどのイメージに雨がかぶる。きらきらした雨。雨は降っているが、「月灯り」も健在。だから雨は「銀色」となる。チェンジ・オブ・ペース=転「星に愛を願う恋人たちは」まったく別のシーンに、私たちはリープさせられる。それまで続いていた翳のある短調(マイナー)のメロディが、一転、開放的な長調(メジャー)に変わる。夜空には満天の星。雨もバラも、そこにはない。愛しあう恋人たちの寄り添った顔にあふれる、優しい微笑み。この世界観の見事な転換が「詩」なのかな、と頭をよぎる。バラ、月、雨、と静物画であり写生だったものが、人間が出てくることでドラマが見え出すのだ。人の息遣い。男女が醸す愛の空気。「サヨナラが聴こえないから」それまでなだらかな斜面を上るように盛り上げてきたメロディがここで一気に頂点の音を迎える。一瞬メジャーになった曲調は、その頂点を突き、そして、またマイナーへと戻っていく。フュージョン=結「哀しいその瞳を見つめていたんだ/離れたくなくて…Wow…/ さみしいその花びらに口づけた/何もいわないで…何も…」「哀しい」「さみしい」はマイナー、「見つめていた」「口づけした」はメジャー、「離れたくなくて」「何もいわないで」はマイナー。言葉の持つ感情と、音が生み出すそれとがぴったりとくっついて、私たちを自然に感性の海へと押し出してくれる。本当によくできた歌だ、とつくづく感心。さて、歌詞の世界に戻ろう。「哀しいその瞳」は、前を受けて恋人たちの女性の瞳で、「見つめていた」のは、男性のほう…というのが曲を聴いている私の最初の脳内イメージだった。ところが「さみしいその花びら」がやってきたときに、この女性と、蒼いバラが唐突に二重写しとなって迫ってきたのだ。女性は窓辺にたたずんで、月灯りを浴びてながらさみしく誰かを待っていてサヨナラにおびえている。満天の星の空の下、笑顔だった二人は遠い思い出で、そのときは聞こえなかったはずのサヨナラに今はおびえている、さみしい横顔の女性。では、「その花びら」とは何?「口づけた」のは、誰?うーむ、ここまでくると、「バラ」がある特定のものの隠喩であることを、考えずにはいられません。単に「女性」ではなく、もっと部分的な…ハイ。ヒジョーに意味深な歌詞であることがうかがわれます。ドキっとするほどエロティック。「バラ」が銀色の雨に「濡れる」わけで、……ハイ。別れを予感しながらも、男を待たずにはいられない女。もう終わりだと思いつつ、また来てしまった男。二人とも「そのこと」は「何もいわない」で、また一夜、褥をともにするのでした。ここでもう一回、最初に戻ってみましょう。誰も触れられない 蒼いバラ 月灯り浴びて 咲いている甘い香りがして 降り出した 銀色の雨に濡れるから蒼いバラは、最初から静物ではなかったですね。ストーリーを持ったバラでした。「誰にも触れられない」バラ。孤独だということでしょうか。嫌われているということでしょうか。恐ろしいということでしょうか。神聖だということでしょうか。いいえ、「触れてほしい」と瞳で、体で訴えながら、何も言わずにたたずむバラなのでした。その哀しい瞳をみつめながら、触れたいのにもう触れてはいけないバラに想いを告げる、男のラブレターなのでした。そしてこの曲のすごいところは、2番が1番の心象を引き継いで発展するところです。それについては、また明日。
2010.04.13
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ここまで、ヤマトタケルについて、何回かにわけて書いてきました。その身に触れただけでケガをしそうな、殺気立った少年期、恋も知り、悩みもあり、それでも西に東に一生懸命戦い抜いた日々。それらの記述は非常に活気があって、時にはユーモアも感じられ、読んでいてとてもわくわくする文面です。けれど、ヤマトタケルが草薙剣を置いて山へ入るあたりから、急に話は暗くなります。「山の神なんか、素手で殺せる」といって山に入ったヤマトタケル。その山で、白い猪に出合います。牛ほどの大きさ、というから、「もののけ姫」に出てきたオッコトヌシみたいな感じ?それを見たヤマトタケル、「これは神の使いだろう。今殺さなくても、帰るときに殺そう」と口にしました。言葉は言霊(ことだま)。口にすることは、呪(しゅ)をかけること、と「陰陽師」で野村萬斎さん扮する安倍晴明も言っていたが、それよりずっと昔のヤマトタケルの時代、「おまえの名前は?」と聞かれて女の子、本名を言っちゃうと、そのオトコのモノにされちゃうっていうくらい、「口にする」ことは力をもっていました。この場面、古事記には「言挙げして詔りたまひしく」と書いてあります。そして註には、「自己の意志を言い立て」る「コトアゲ」は、タブーであった、とあります。白い大猪の姿になっていた山の神は、ヤマトタケルのコトアゲを聞いてしまいます。自分のことを「使い」としか見なかった無礼者のコトアゲ。そこで、山の神は冷たい大雨を降らして、ヤマトタケルを動顛させます。ほうほうの体でようやく山から下りて清水にさしかかったころ、パニクっていたヤマトタケルも、ようやく正気を取り戻します。そこから当藝野(たぎの)というところまでたどり着いたのですが、ヤマトタケルはどんどん弱っていきます。「心は常に、空を翔けているのだけれど、足が前に行かない。 まったくはかどらない…」なんとか出発するものの、とても疲れるので、杖をついて歩きました。「私の足は、三重に折れまがったようで、疲れている」と言っています。それで、三重県の「三重」になったと書いてあります。鈴鹿の峠のあたりに来たとき、「あともう少し」と思ったんでしょうかね、いくつか歌を歌っています。ひとつは、ものすごく有名な歌で、「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる やまとしうるはし」望郷の念をこめて歌いました。そして「なつかしい我が家よ。我が家の方角に雲が湧き上がっているよ」と歌の半分を歌ったところで、容態が急変。ヤマトタケルは「ミヤズヒメの枕元においてきた草薙の剣、その太刀は…」と言い残して途端に息を引き取ってしまったのです。駅使(はゆまづかい=はやうま=飛脚)を飛ばして、都の家族に知らせると、大和にいた后や子どもたちがやってきて、お墓を作り、その地の田んぼを這いまわって、おいおい泣きました。すると、大きな白鳥が空を翔け、浜のほうに向かって飛んでいきました。古事記には「八尋白智鳥に化(な)りて」とあるので、ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいった、というのです。「あ! お父さんだ!」悲しみにうちひしがれていた妻や子どもは足元が、竹の切り株に当たって傷になるのもかまわず、痛いのも忘れてわんわん泣きながらその鳥を追っていきました。「篠原を掻き分けていくと、腰まで篠がまつわって身動きがとれません。 鳥のように、空を飛んでいくというようにはいかない…」そこから海を行き、浜を行き、白鳥は河内の国にとまったので、そこにまたお墓を作って「白鳥の御陵」と呼ぶようになったそうです。しかし、白鳥は、またどこかに飛んでいってしまいました。ヤマトタケルに、安住の地はないっていうことでしょうか。日本各地をぐるぐる巡る運命にあったということでしょうか。それにしても、どうしてヤマトタケルは、草薙剣を置いて出て行ったんでしょうかね。それは、驕りかもしれません。自分の力で日本を平定したのだ、と思いあがっていたけれど、伊勢神宮で賜った霊験あらたかな衣や剣がなければ(つまり、天皇家の威光という後ろ盾がなければ)一個人としての力など、知れたものだったということなのかもしれません。「親父はボクが死ねばいいと思っているんだろうか」というつぶやきが、ここで大きな意味を持っているかもしれません。父を越えて、一人だけの力で生きてみたい、と思ったのかもしれません。もしかしたら、ミヤズヒメを守りたかったのかもしれません。「ボクは一人でも大丈夫。この剣がおまえを守ってくれますように」そんなつもりだったのかも。「剣」はモノではなくて、「剣を持った軍隊」という意味だったのかも。いろいろなことを考えます。足を泥だらけにし、傷がつくのもかまわずに白鳥を死んだ人だと思ってどこまでも走って追いつこうとする遺族の気持ちにはぐっと迫ってくるものがあります。だからこそ、このとき詠まれた4つの歌は、代々、天皇の葬儀で必ず歌われたのでしょう。悲劇のヒーローは、タタミの上では死ねないのです。
2009.02.14
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この前、CNNのドキュメンタリー番組「Revealed」で、熊川哲也が特集されたことをお伝えしました。Webサイトでは、放送されなかった部分も含めてインタビューの全容が、「Q&A」という形で載っています。とっても内容が濃いので、ご紹介したいと思います。(英語の得意な方は、サイトを見てくださいね)熊川哲也、アンソニー・ダウエル、モニカ・メイスンの3人について、それぞれインタビューが行われていますが、インタビュアーがもっとも力を入れて質問しているのは「熊川哲也の英国ロイヤルバレエ団退団事件」についてです。(以下、アンソニーの言葉はweb上の英語を私流に訳しました。地の文は私の言葉です)あえて「事件」と書くのは、これは日本人が考えるよりずっと、大変なことだったから。当時イギリスの新聞「デイリー・テレグラフ」は、第一報を一面トップで報じたくらいです。当時の芸術監督アンソニーはいいます。「地獄に突き落とされたかっていう気分だったね。だって、シーズンの途中だったし、その上彼は数人のダンサーを一緒に連れて行ってしまったから。あの時の傷は、まだ完全には癒えていないよ」とアンソニー。よっぽどショックだったんでしょう。でも、彼はオトナ。こう続けます。「もちろん、私とテディの間では、すべて許してるけどね。彼が自国でカンパニーを立ち上げることがどんなに重大なステップアップだったかは理解している。しかし私に言わせれば、メジャーなカンパニーと契約中で、もう踊るスケジュールが決まっている時にやる決断じゃない」そうでしょう、そうでしょう。彼のファンである私だって、その年10月から「Mr.Worldly Wise」に出演すると決まっているのを蹴って直前に退団するって、どういうこと?…と思ったくらいですから。「Mr.Worldly Wise」は、トワイラ・サープが熊川のために振付けた、というくらい、彼なしでは成り立たない演目なのです。「ここが自分に合わないと思ったら、出るのは自由だ。それは私もわかる。 でも、やり方っていうものがあるでしょう」たしかに「まだ傷は癒えてない」感じ。でも、そんなアンソニー、どうして今、Kバレエの名誉総裁をやったりして熊川と仲がいいんでしょう??「最初彼が立ち上げたKバレエと今とでは、実際かなり形が変わっています。 現在のKバレエ団は、正直賞賛に値するし、私は彼が成し遂げたものが誇らしい。 彼は今、(ダンサーだけでなく芸術監督として)逆の側からもバレエ団を見ています。 そして、かつて私が芸術監督として経験した「問題」も、経験しているでしょうから、 (自分がやらかしたことの重大さにも)気がついているでしょう。アンソニーは、名誉総裁を引き受けた経緯を、こんなふうに説明しています。「彼が私に名誉総裁になってくれと頼んできた時、 私はKバレエにとって、マーガレット王女のような立場なんだ、と思いました。 ロイヤルバレエはずっと王女を名誉総裁に戴いていましたし、 テディはそういうものがほしかった。 私はとてもうれしかった。「出奔騒動」のあんな怒りの後で、こんな光栄なことが起こるなんて。 アドバイザーとして関わってくれ、という頼みだったけど、 今じゃ舞台に上がることもあって、これがまたとっても楽しいんだ」インタビュアーは、熊川のケガについて、次のような質問しています。「ケガしたダンサーが戻ってきたとき、パフォーマンスに影響がありますか?」「これは彼にとってはじめての大きなケガです。 彼のバレエキャリアにおいて、ものすごく遅くに訪れた。 大きなケガの後、どんなふうにカムバックするか。そこに、たくさんの「調整」があります。 どうやって戻るか。たくさんのことが頭をよぎるでしょう。 きっと彼はうまくやりますよ。私は、「禍転じて福となす」と考える方なんでね。 これはバレエ団にとっていかに観客が大切かを知るチャンスなんだ。 いつか熊川も主役を踊れなくなる。 Kバレエはとてもいいプロダクションをもっているのだから、 (ダンサーとしての)熊川がいなくても、このカンパニーのクォリティが観客を魅了し、 それがずっと続くことを願っています」 他にも、アンソニーが彼を見初めた時の話などが載っています。詳しくは、Webまで。明日は、自身も高名なダンサーであり、アンソニーが芸術監督時代、その片腕として熊川を指導したモニカ・メイスンのインタビューの概要をお届けします。アンソニーよりずっと身近で熊川を見てきたモニカの意見には「なるほど~」と思うこと多々あり。また、アンソニーとともに組織の苦悩にもつきあっていたので、「電撃退団」の裏側がもっとあらわに「Revealed」です!
2007.12.19
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