水戸の塾「水戸一高・県立上位高・茨大附属中」合格専門 進学塾プロフェッショナル in茨城
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こんな日本が危機的な状況で書くことではないが 実は あと少し あともうちょっとで 僕の会社員人生が終わる。 就職氷河期時代に何とか内定をいただいた、 某財閥系1部上場企業不動産営業マン。 東京で1人孤独に歯を食いしばりながら 朝7時に会社を出て 超満員電車に揺られながら出勤し 毎日毎月ノルマに追われ、毎日毎日上司の方々にしごかれ、 棒グラフで他の社員と比較されながら 終電間際までガムシャラに働いた。(たまに終電を乗り過ごしタクシーで帰宅したこともありました) ある程度結果は残せた。 でも、満足しなかった。 アルバイト時代にのめりこんだ塾をやりたいと思った。 そして、転職した。 以前の大手塾では、最初授業について基本も何も知らなかった。 声を枯らしながら汗まみれで「授業のイロハ」を超軍隊バリに教えていただいた。 毎日必死で予習をし、毎日1クラス30人、40人を前に授業に明け暮れた。 深夜3時、4時に家に帰り、 早朝から起きて仕事に行くことが日常茶飯事だった。 体力的には厳しかったが 授業は本当に楽しかった。 自分の天職だと思った。 でもそれだけじゃ満足しなかった。 近い将来地元に帰ることは分かっていた。 だから、 どんなに小さくても1校舎の責任者を任されたかった。 雇われでもいっぱしの経営者になりたかった。 今の会社では 初めから勝負に行った。 とにかく人より差をつけたかったので どんな教科でも どんなレベルの生徒も教え、 ガムシャラに勉強し、ガムシャラに働いた。 すぐに責任者になって さらに必死に働いた。 毎年毎年、合格実績も生徒数も強烈に伸ばし、 想像以上の結果を残せた。 複数校舎の統括責任者にもなれた。 新しい校舎もたくさん立ち上げる経験もいただいた。 でも、出世するにつれて 現場から授業からどんどん離れていった。 仕方ないと思っていた。 悩んでいた。 会社には大変お世話になった。 でもやっぱり 我が道を行くことを 自分を貫くことを選んだ。 自分に正直に生きることを選んだ。 そして 今の私がいる。 本当に早かった。 本当にあっという間だった。 地震の被害が尋常じゃないレベルに達している。 今日本が危ない。 今関東が危ない。 何とかしたい。 地元に、県に、日本に貢献できるような 人材を育てたい。 そのために もっと深く深く生徒に関わりたい。 今は心からそう思う。 自分の選択に迷いはない。 あともう少し。 もうすぐ。 ゆっくりできる暇は無くなってしまった。 いつもそうだった。 自分はそういう運命なのかもしれない。 自分にはそれがいいのかもしれない。 まずは、今やるべきことを 手を抜かずにやりきろう。 あと少し。 もう少し。 新しい人生がもう少しで幕を開ける。
2011.03.15
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