もうだいぶ経ってしまいましたが、SLオホーツク号関連行事について、ご紹介していきたいと思います。
SLオホーツク号の日程に合わせて、6月22日と23日の両日、「鉄道遺産を巡るセミナーツアー」がSL運行関連行事として開催されました。日帰りコースを2日間開催し、北見駅周辺の保存車両、佐呂間、計呂地の交通公園、温根湯森林鉄道の跡地、常紋トンネル殉職碑などを回るコースを設定しました。
このコースの中に、一見、鉄道と関係なさそうな見学ポイントがありました。
国道39号線端野から国道333号線に入り、仁頃の交差点を右に曲がって道道7号を常呂方向へ向かうと、途中に不思議な名前のバス停があります。
鉄山
周囲に民家がほとんどない、谷間の地に降り立って見ると、不思議な光景が目に入ります。
山が赤い。
地面も赤い。
ここが、かつて「国力鉱山」という鉄鉱石を産出する鉱山があった場所です。 この周辺には、マンガンを含む良質の鉄鉱石が埋蔵されていて、旧常呂町内では、国力の他に常呂、北見東亜、報国と計4つの鉱山が操業されていました。
当然、ここには鉄鉱石を産出するための設備があり、従業員がいて、住宅、商店などの施設がありました。しかし現在ここには、たった一軒の住宅しか残っていません。
その一軒の住宅に住む方から、お話しを聞くことができました。秘蔵の写真を見せていただきながら、この場所の栄枯盛衰に想いを馳せます。
もうひとつ、鉱山の存在を後世に残すものがありました。この鉱山の開祖とされる、芳川寛治の顕彰碑です。
国力鉱山が最盛期を向かえたのは、第二次世界大戦後です。産出した鉄鉱石の運搬手段に苦慮していましたが、1952(昭和27)年に湧網線(湧網西線)が常呂から浜佐呂間(下佐呂間)まで開通し、北見共立駅が開設されたことで、一気に生産量が上昇しました。湧網線延伸の最大の目的は、実は鉄鉱石の運搬だったと言っても過言ではないでしょう。
輸入される鉄鉱石に押されて、常呂の鉱山は次第に閉山に追い込まれます。
産業遺産が鉄道遺産と密接に関連している事例を見ると、現代史の奥の深さと、遺産を残し伝えていく努力の大切さを感じずににはいられません。
なお以前、「神のお告げ」で鉱床が見つかったとされる鉱山があると申し上げたのは、常呂鉱山のことのようです。