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いいもの頂いちゃいました。秋田の嶋田ハム特製の肉製品詰め合わせセット。Koma2さんからの贈り物。子供達も大喜びで、今晩早速頂きました。ハンバーグってあんなにいい香りがしておいしいものなんだね。素敵な贈り物本当にありがとう。そういえばこの日曜日はカエルウオ先生が登場。この11月にようやく結婚することになったと報告を受けた。今度は上手くいくといいね!(笑)お土産のウナギごっつあんでした。やっぱり東京はなんでもおいしいものがあるねぇ。
2010.09.02
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8月は今日で終わり。記憶の中で8月はとても印象的な月。大学3年 自転車担いで一人で北海道を1カ月旅した。初めて野宿もした。最北の利尻島を 登頂した。大学4年 卒論のフィールドワークで教官と一緒にタイ北部の山岳地帯の村に1カ月滞在。 初めての海外でこの経験は人生観を大いに揺さぶった。28歳 当時独身の妻と京都の大文字の送り火を見た。翌日大阪でたこ焼きを食い、夜は 神戸の六甲山から夜景を見ながらプロポーズした。ここまでやったら上手くいく とは思っていたが、万一玉砕したら彼女を六甲山頂に置き去りにするつもりだっ た(これが本当の六甲おろし)。30歳 パキスタン駐在を命じられ、初めての夏。農業資材のマーケティング活動のため に気温50度の綿作地帯を這いずり回った。38歳 メキシコ駐在を命じられた。スペイン語が全く話せず、会社命令でまずメキシコ の地方都市の大学に語学習得のため3ヶ月間放り込まれた。全く喋れないのに、 会社の運転手に学生寮の前に連れて行かれ、荷物と一緒に置き去りにされた時は 泣きそうになった。現在41歳。ある意味一番印象的な8月だったかも。 (写真はパキスタンにて。右の後姿が仕事中の筆者。)
2010.08.31
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土曜は都内のメキシカンレストランへ遠征した。お世話になってるPTさん達が、僕の介護で頑張ってる家族の慰労と気晴らし目的で連れ出してくれたのだ。一年振りのメキシカンに僕ら夫婦もそうだけど子供達も大喜びだ。できれば原宿にある有名店に行きたかったのだが、電話したら入口に階段があってスタッフは手すきじゃないと手伝えない、とのこと。車椅子はお呼びでない?仕方なく断念し、下町の小さいけどアットホームな店にした。実際到着したら入口は車椅子で入ったのだが、入ってすぐ右に曲がってて、角の冷蔵庫がつっかえて入れない。これやばい、って話してたら、メキシコ人のスタッフのおばさんが、おそらく創業以来一度も動かしたことがないであろうその冷蔵庫をわざわざどけて、僕を入れてくれたのである。やっぱアットホームだね。「Salud!(サルー = 乾杯)」のあと、たっぷり久々の各種タコス、ワカモレ、ケサディージャなどアタックしたのだ。だいぶ日本風だが十分うまい。ぼくも調子に乗ってマルガリータをストローで痛飲!サプライズが。みんなから家内には花束が、僕には激励の手紙が。うれしいけど、かなり照れくさいな・・・・・・。本当にありがとう。僕を支えてくれる人たち。この病気を発症しなければ知り合うことのなかった人たち。僕は皆さんの厚意を受けるに足る人間なのか?そうありたいし、そうあるべくもがき、ベストを尽くしたい。
2010.08.28
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「旅行はどうでしたかぁ?無事に帰れてよかったですねー。」今日は訪問リハの日。やってきたのはY医院のPTさん。旅行の準備でいろいろと協力してくれ、とにかく旅行を後押ししてくれた。あれこれ報告話に花が咲く。ところでY医院の患者さんで僕みたいなBiPAP常用者の人はみなさんどんな旅行してるの?「さぁ、BiPAPを24時間使える人が限られてることもありますけどあんまり聞いてないですねー、特に泊まりはね。あっ、次回は診断書もっていきましょうね。」えっ、おいおい、そんなレアなこと僕にあんなにガンガン煽ってたの!?だったらそう言ってよー、覚悟もあるし・・・・・・。何かあったら単に無謀なアホやで。「いいじゃない。おかげで私は他の患者さんにも紹介できるし。Y先生も無事と聞いて喜んでましたよ。」そーゆー問題かいな(笑)。でも、NAGたまさんは京都に行ってるし、気切してもあちこち行ってる人もいる。アクティブな人は多い。僕もそうありたいけど、病状考えるとママにおんぶにだっこももう限界。やり方考えないとね。しかし、PTさん、旅行帰りの僕を診て、むくみの状態、顔色、胸の音など良くなってると。確かに疲労はあったが体調は良い。やはり適度な負荷は必要だ。そして外に出ることによる精神的なリフレッシュはなにものにも代えがたい。早く涼しくなってほしいよ。
2010.08.24
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8月18~20日の2泊3日で家族旅行に行ってきた。旅行といっても近場の千葉県内の鴨川シーワールド。それでもこの猛暑の中、首から下がほとんど麻痺して24時間BiPAP使用の僕にはちょっとしたチャレンジだ。でも夏休みなのにパパの病気のせいでどこにも行けず我慢してる子ども達のためにも頑張らねば。僕もいつまで旅行に行けるかわからんし。まず下準備。呼吸器はTrilogy100を使用。内蔵と外部取り付けの両バッテリー合わせて8時間持続するという優れもの。そして安全対策。結構山道多し。 通常のシートベルトに加え、頭・胴を縛られ、更にネックカラーで首を固定。片道休憩を入れて4時間のドライブ、これは苦しい。(腹が・・・・・・・・これは腹筋が無いからポコッとでちゃうの)宿はシーワールド徒歩圏のかんぽの宿。質素だけど、バリアフリーの部屋があって料理もおいしかった。特にあわびの陶板焼き。シーワールドは平日なのに結構な人出。木曜は猛暑ってほどでもなく助かった。 いろんなショーに子供達も大喜びだけど、僕も好きなんだよね、これ。特に鴨川のって一番レベルが高いと思う。 楽しい時間はあっという間。無事家に生還。これも運転から介助まで引き受けてくれたママのおかげ。本当にありがとう。また連れてって・・・・・。
2010.08.20
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今日の往診時に血ガス測定。PCO2 32.6mmHgPO2 105.7mmHg良好な値を維持(ただし常時BiPAP装着)。あれだけ進行の速い僕がである。これも応診医である吉野先生とPTの先生方の懸命の理学療法のお陰だ。早期にカフアシストを導入し、いつも新しい機器や作業療法の提案や、相談に応じて下さる。この病気になってイヤというほど絶望を味わったけど、先生の往診圏内に自宅があったことは本当に不幸中の幸いだ。何かの媒体でALS患者が、「見捨てられた人々」と称されてるのを聞いたことがあるが、こうして寄り添ってくれる人もいる。僕としてできることは少しでもこの恩寵をシェアできるよう、出入りの訪看さんや事業所の人に、「この機械、よろしゅうおまっせぇーっ」てな感じでカフアシなどを実演付きで宣伝することくらいだけど。先生は「安心しましたよ。」と、笑顔で去って行かれた。こんなさりげないひと言で、体調が良くなった気がするから不思議だ。今朝、関西の兄貴から宅急便が届いた。中身は霜降り牛肉だ。う~む、あの兄貴から霜降りとは・・・・・・・・・病気にもなってみるもんだ。「今夜は久しぶりにすき焼きだね!」と、はしゃぐ娘。おい・・・・・・・久しぶり、は余計だよ。
2010.08.15
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最近ちょっと精神的に低調。これといった特定の原因がある訳ではなく、強いて言えば諸々総合か。確実に進行する病状への恐怖。なかなか希望するようなヘルパーさんが見つからないこと。仕事の詰めが甘いケアマネ。子供達と虫取りや魚釣りに行けない父親である自分。将来の不透明な経済設計。すぐにでも欲しい新しいシャワーキャリーの納期が1ヵ月半。最近すっかり僕にそっけなくなったうちの犬......etc,etc......でもこんなのが理由か?・・・・・・・違うよネ。庭のブルーベリーがいつのまにか熟してきている。季節だけは確実にめぐる。
2010.08.13
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今日は自宅で業者さんがリフトのデモを実施。あんまり強い必要性は正直感じてないがケアマネがしつこく奨めるので。以前、床走行式のを試したが、吊り具のシートに体が入りきらず。今回はやぐらを組んで吊るすタイプ。確かにスッポリ入るな。多分、使用するのは車椅子への移乗か、トイレ(大)へ行くためのシャワーキャリーへの移乗。でもベッドにシート敷いて、その上に僕を転がして、アームに吊るして・・・・・・結構時間かかるなぁ。うんちチビッちゃう。まだとりあえず、えいやっ、の方がお手軽みたい。採用は当面見送りかな。ヘルパーさんのアレンジもやっとこさって感じ。まだまだこれからだな。
2010.08.06
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医師の往診のあとまどろんでたら、前に紹介した前自治会長のEさんが汗をふきふき立ち寄ってくれた。手には差し入れの新鮮な生卵を持って。いいなぁ、こういう気遣い。大好きだ。なんでも駅前にちょっとしたパブリックスペースがあって、そこでご隠居さんたちが、コーヒー店兼おしゃべりコーナーを立ち上げたとか。さらにここからメンバーのいろんな特技を活かして、街の案内所みたいなのを立ち上げたいそうだ。うちの街も急に人口が増えたからそういうニーズも少なくないだろう。僕も一度おじゃましよう。どこかから祭ばやしが聴こえてきた。早速でかけよう。
2010.08.02
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「直接、手渡したいものがある。訪問してよいか?」突然、本部長から連絡があった。正直嫌な予感がした。実は僕は、在宅勤務、という形でまだ勤務を継続している。もともとうちの会社にも同業他社にもそんな制度や前例は無く、人事部からも拒否されたのだが、関係者の支援を得て、数ヶ月かかって交渉し、再検討してもらった結果、いろいろ条件は付けられたものの4月に会社初の在宅勤務を許された。このご時世、今回の本部長訪問はその打ち切りの宣告ではないかと・・・・・。「コレ、預かってきたよ。」と手渡されたものはなんと社長からの手書きのメッセージだった。驚いたし、全くの想定外だった。社長といっても僕らは滅多に会えないし、TVや新聞に登場するような雲上人だ。「先日GO君が設立に尽力してくれた○○○社を訪問してきました。これからの大きな飛躍を期待しています。貴君の熱い気持ちが必ずや成功に導いてくれるものと信じます。安直な言葉はかけたくありませんが、“どんなに苦しい状況でも絶えず前向きに”という私自身のモットーを受け止めてもらえればと願います。誰もが100%サポートしています。(署名)」もちろん病人相手の気遣いやリップサービスもあるだろう。100%サポートといっても当然、働ける間は、の話だ。会社は福祉団体では無い。 在宅勤務とはいえ、無条件で降格になったし、急に冷淡になったヤツもいる。仕事内容だって所詮脇役だし、僕がいないと回らない仕事なんて有り得ない。金のためとはいえ、正直気持ちは萎えつつあった。そんな中でこのメッセージは嬉しかった。入社以来いろんな喜怒哀楽があったが、これが最もうれしかったことかもしれない。金ではなく、しかるべき方々から認識され、リスペクトされること。それで人間は生きられるし飢えている。この病を持っているかぎり、やがて社会人である自分とも別れが来る。その時まで走りきるためには、大切な言葉が必要なのだ。
2010.07.31
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「夏の旅行はもう計画されました?」往診医から世間話でそう聞かれた。この話からしてとりあえず、この先生が当面は容態が急変しなさそうだと考えていることがわかる。ちょっと安心。BiPAP使用下ではあるが呼吸も割りと安定してる。コレも5月から使用しているカフアシストのおかげだろう。今のところ、吸って吐いてを5サイクル、コレを1回に5セット。1日にこれを2~3回実施してる。僕の場合、排痰より、無気肺の防止や胸郭の柔軟性維持に重点を置いてる。訪看さんからも「胸の音が良くなった」とか「胸柔らかいね」とか言われてホントうれしくなった。なんせ発症してから何かが良くなったなんてこと皆無だったから!この機械原理は単純、ハッキリ言ってローテクだろう。でもどんな薬も効果なかったから、今や唯一頼りにしてる相棒だ。 今日はついに娘が自転車に乗れるようになった。甘やかしてきたので飽きっぽさが玉にキズだったけど、ここ数日の猛暑の中、最後まであきらめずよく頑張ったな。そのことがパパはうれしい。お祝いにケーキ買っといたよ。ママはパパが食べたかっただけでしょっ!!なんていってる・・・・・・その通りや、悪いか!?(笑)
2010.07.19
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わずかに動いてた右腕の機能が更に低下、電動車椅子の操縦ができなくなった。業者とレバーをあれこれ検討したが結局断念。外出時の移動の自由を奪われた。電動を導入して大喜びしてからわずか4ヶ月。この喪失はちょっとこたえた。今週子供達に自転車を買い与えた。幼稚園児の息子は補助輪付きのを疲れも知らず延々とこぎつづけてる。娘は小学2年だが引越しが続いたため練習しそびれ、まだ補助輪なしで乗れない。べそかいて何度も転びながら必死に練習してる。パパは道端でただ見てるだけだが、何かを必死に得ようとしてる二人を見てると、僕が無くしたものを拾ってくれてるようで、落ち込み気味な僕も少し再生する気がするのだ。
2010.07.17
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今日は珍客が来訪。僕のメキシコ時代の部下。もちろんメキシカン。日本へ出張中、忙しい中時間をやりくりして立ち寄ってくれた。彼は戦友。2007年の赴任後ヘッドハントした彼と、それまで支店の中でやってた小さなビジネスを、組織作りから始めて徐々に拡大し2年で事業会社設立にこじつけた。しかし同時に僕は発病して強制帰国へ・・・・・・。最初は変わり果てた僕を見て戸惑ったみたいだが、直ぐに仕事の熱い議論になって「なんかメキシコで仕事してるみたい」なんて爆笑した。その後事業も好調みたいでうれしかったけど、同時に時計の針はもう元には戻せないことを再認識して少し寂しくなった。でも最後は「絶対あきらめない、もう一度メキシコで」と約してアディオス。今日はうっかり記念撮影を忘れたので、代わりにお土産のテキーラチョコレートの写真を。これって、美味しいっていう人とマズイっていう人と賛否が分かれるんだよね・・・。
2010.07.15
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無事先週からの右わき腹痛が治まった。今日は午前中から歯科医の訪問診療を受けた。結構気軽に来てくれるもんだ。歯もすっきりしたので、懸案であったお取り寄せ麺類を今日は食べたのであった。名古屋名物、山本屋本店の味噌煮込みうどん。昔上司に連れられて名古屋に出張に行った際に連れて行ってもらった。それ以来病みつきに。独特の濃い味噌とコクのきいたダシスープの美味しいこと。肺の力が弱いので、つるつるっとはいかないが、特有の固い麺を汁に絡めてモグモグといただく。この日のために購入した土鍋で美味しく調理できたぜ。しかし真夏の味噌煮込みうどんは体にはきつすぎて、検温の時に訪看さんから体温が高いから気をつけてねと注意される始末だった。
2010.07.14
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昨晩夜半から急に右脇腹に鈍痛が。朝になっても収まらず訪看さんに急遽来てもらった。胆石の疑いもあるがまず昨日から出てない便を出そうということに。えっ、それって・・・・?「摘便しまーす。」あの、ボクはじめてなんですけど・・・・・「それじゃまず浣腸いきまーす。」えぇっ、あっ・・・・あぁぁっ ・・・・・・・・はらはらはら (花びらが散る音)・・・・・・う~ん、まだちと痛むぜよ。
2010.07.08
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イオンに鍋焼きうどんに使う一人用土鍋を買いに行ったが売ってなかった。なんでやねん、あんな広い売り場で。「この暑い夏場に売ってなくてあたり前」とあきれるカミサン。しかし、一人かま飯釜とか、たこ焼き鉄板とかは売ってるのに。俺もアホやな・・・・・こんなことに執着して・・・・・・。
2010.07.05
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7月になった。発症を自覚してから一年経った。去年の今頃は夏休みをとって家族で念願のカナディアンロッキー。車でカルガリーからバンフ、ジャスパーへと大自然の中を疾走。本当に最高の旅だった。脚に感じた違和感以外は。そして1年後の今。首から下はほとんど動かせず、鼻から空気を送り込む機械にホースで繋がれ、僕はベッドに転がっている。何たる変転。と気の毒がられるのだが、本人は結構順応してしまっている。友人は言う。「歯を食いしばって闘病してるんだね」「普通に振舞えるのは精神が強いからだね」「たくさんのことを教わったよ」・・・・・云々、などと祭り上げられ、悲劇の闘病患者としての振る舞いを期待されるが、そんなのとは笑っちゃうくらい対極なのほほんとした毎日だ。食欲旺盛で太り気味で、毎日晩酌し、薬のおかげで快便で、毎晩ぐっすり眠り、TVのお笑い芸人にバカ笑いし、阪神が勝ったら狂喜し、パネルクイズ アタック25を見て出演者と真剣に解答を競い、雨が降ったらお散歩中止を犬と二人で嘆いている。なんと脳天気な日々や・・・・・。そんなこんなで1周年。もちろん生き延びられたことをよろこんで。
2010.07.03
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今日我が家に柿の葉ずしが届いた。海の無い国、奈良の名物お寿司の宅配。差出人はEさん。僕がこの町で自治会の役員をしてた当時の自治会長。わが町はまだ歴史が浅くて、雑木林を切り拓いて5年ほど前に造成された。だから草創期のメンバーだった。役員を選ぶとき、ご多分に漏れず誰もやりたがらない。僕も正直仕事できつかったが、よき市民でありたいという自分なりの思いと、Eさんの人間力に惹かれ引き受けたのだった。Eさんのポリシーはハッキリしてて、まずコミュニティーで工夫して解決してみよう、どうしても自分達だけで困難なときは役所にお願いしよう、というスタンス。街開きのイベントだって公民館が無くても、オペラコンサートを駅の改札ホールで開いてしまう。今度はチャリティーコンサートをゴルフ練習所でやるそうだ。こういう仕事以外の人間関係はかけがえの無いもので、自分の視野を底上げしてくれた。実際、土日のボランティアはしんどかったけど、ワーク・ライフバランス的には充実してたな、この頃は。今もご夫婦で会の事務局や民生委員を務めておられる。当時一緒にゴミ問題を担当した副会長も今は社会福祉協議会の理事としてご活躍とか。「自分が社会に何ができるか」を今日も実践されている。僕はこんな姿になってこの町に還ってきたが、こういう善き人々に受け入れてもらえることがうれしい。しかし、噛み締めるほどに旨い鮨だ、これは・・・・・・。
2010.06.28
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うちのセレナちゃん。古いモデルで去年11月に中古で買った走行距離7万キロのおばあちゃんだ。よく見ると上塗りした塗装の下に介護施設の名前が透けて見える。座席は2列で4人。荷台に車椅子1つ。良いところは電動リフトなので積み込みが簡単。スロープタイプもあるけど、運転するのはカミサンなので、女性にはね。それとミニバンだから比較的操作性がよい.イマイチなのは車椅子スペースの狭さ。特に頭がギリギリ.問題なのは近い将来ハイバックの車椅子を導入する際。最近首があやしいのでハイバックをレンタルで試したのだが、奥行きも高さも入らず。結構意識してコンパクトなサイズの車椅子を試したのに、ダメでした。以前おなじミニバンでトヨタのノアにハイバックで乗っている人を見たような気がするのだが、トヨタのミニバンはどうも車椅子スペースを除くと座席が3席だから入るのかもしれない(もし違っていたら教えて下さい)。うちは子供二人に最近おばあちゃんもよく来ているので、どうしても4席欲しい。そうなると近い将来また買い替えか・・・トホホ。色々調べてみると、ハイエースみたいな大きなバンしかだめなのかなぁ。中古でも結構高いみたいだ。それになんといってもデカイよね。トヨタのノアよりちょっと大きいアルファードも中古の出物があるようだが、これもスロープだけみたいだし。そうなっちゃうと介護タクシーか、レンタカーしかないかな・・・?? (まだパンクしたタイヤが積んであります・・)
2010.06.27
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うちの車は中古で買ったセレナ。リフトで荷台に車椅子ごと乗るタイプの介護車両。昨日は米八合さんとタニーさんが来訪、バリアフリーの鮨屋で魚をエンジョイ。さぁ帰ろう、というときにトラブル発生。なんと車のタイヤがパンク!カミサンは一人で修理できないし、業者対応も時間がかかる。そして僕はBiPAPのバッテリーの残量が・・・・・・・。結局、ケアマネさんに電話して夜にもかかわらず事業所の車で救出、自宅搬送してもらった。業者対応は二人にまかせっきり・・・・・・ごめんね!!呼吸器つけると、トラブルに弱くなるよ~。しかしパンクするかー。生涯初めてだよ・・・・。あっ、米八合さん、てんいちラーメンのお土産ありがとねー!
2010.06.26
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僕が告知を受けた当時、ときどき拝見してた同病の方の奥様のブログがあった。しばらく更新が無かったので忘れてたのだが、久しぶりに見に行ったらすでに亡くなっていたとのことだった。かなり進行が速い一方、最後まで呼吸器の装着は拒否され、泣き言は一切口にすることなく逝かれた、とある。ご冥福を祈ることしかできない。僕は今ボーダーに立って今日をより良いものにしたいと生きることを。
2010.06.24
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父の日か。去年までは、ナントカの日、なんて無縁の生活だったな。こういう習慣も悪くない。 というのはケーキを食べれて、好物の近所のケーキ屋のモンブランを買うことにしてるから。すぐ太るからしょっちゅうとはいかないのだ。しかし今日はモンブラン売り切れでガックリ。 今日は往診で動脈血の血ガス測定。PCO2値は33.6と良好。まぁNPPV装着してだけど、きちんと換気できてるということで良かったノダ。
2010.06.20
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前々回のメキシコ料理ネタを引っ張って。メキシコにいて本当に実感したことの一つは「メシがホンマにうまい」ということ。種類が多く、奥が深い。食材も肉、野菜、海の幸ととにかく豊富。めったに外さないはず・・・・・・だった。行ったばかりの頃、メキシコ人に「うまいもん食わせてー」ということで連れて行ってもらったレストランで見た写真付きメニューで美味そうなの発見「モレ・ポブラーノ」。いわく、「メキシコ家庭の味、もっとも有名な一つ」と。見た目もシチューか名古屋味噌カツのタレみたい。見た目重要、迷わず注文!出てきたらご飯とチキンに味噌ダレたっぷり。食いしん万歳よろしくさっそくほおばったら・・・・・・・・有り得ない衝撃。この味噌ダレに見えたもの、実はチョコレートに香辛料がベース。ご飯とチキンにチョコの甘さが絡み・・・・・・そして後味でスパイスが・・・・・・。恐るべしアステカの神秘。でもコレだけよ、2度目いらないと思ったのは。
2010.06.17
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カミサンの口述タイプは卒業し、オペナビ導入までの間、とりあえずHearty Ladderを使用。マウスでちくちく文章を紡いでいる。でも最近腕の動きが悪くなってマウスを上下左右にうまく動かせない。OTさんに教えてもらった新しいマウスを購入。親指でボールをコロコロするタイプ。いろいろあるもんだ。
2010.06.15
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現在、24時間BiPAP使用してることは以前書いたが、僕の場合呼吸機能が落ちるのが本当に速かった。VC%値と肺活量ccの推移。 11月 120% 4700cc 2月 99% 3980cc 3月 70% 2950cc(BiPAP導入開始) 4月 43% 1750cc 5月 25% 1010cc(BiPAP 24時間使用開始) 6月 もっとボロボロ。往診化により検査なし。ちょっと肺活量は記憶があいまいなところもあるが、おおむねこんな感じ。リルテックやエダラボンしててもコレでした。前にも書いたとおり僕の場合、体全般の病状進行が速いので、あくまで多様な病態のなかでの一例です。同病の方を不安にさせたらごめんなさい。ただ僕自身、落ち始めた時に、今後のためにこれからどうなる可能性があるのか知りたくて、いろんな方の体験談を探しまくったので自分のも掲載しようと思った次第。あくまでご参考。当時いろんな例を拝見しましたが僕のような速いケースはあんまりないようです。ただ症状の進行が速いと感じられてる場合は、下落率には注意して手を打ったほうが良いようです。僕もBiPAP導入してからは好調で食欲が回復し、体調がかなり改善しました。マスクつけたままメシ食って酒飲んでます。外出もほぼ毎日。僕の知ってる人では、もっと進行してるのにBiPAPつけたまま海外出張してる人もいらっしゃる。尊敬しちゃうし、見習いたい!海外、とまではいかなくても、まずメキシコ料理を食いに行くぞー!これからもNPPVとカフアシストで頑張るのだ。
2010.06.14
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今日は夫婦でALS協会千葉支部の交流会に参加した。参加者は患者本人は20人くらいに見えたが、家族の方々やその他関係者合わせて総勢140人と大盛況。けっこう驚いた。3月に放映されたNHKスペシャルが社会的関心を惹起した影響もあるのだろうか?照川さんご夫妻も見えられていた。しかし、患者の中ではやっぱ僕が一番若くて目立っちゃう・・・・・。今回の最大の成果は、弾丸トラベラーのNAGたまさんご夫妻とお会いできたこと!ブログの先輩方にお会いできるのはこの上ない喜びだ。奥様も運転お疲れ様でした。またお会いできる日を! 講演は吉野医院の寄本先生らによる呼吸リハとカフアシストについて。カフアシストの理論的背景を理解した。関係の皆さんのご努力による保険適用。普及しないと取り消されたら大変だ。意外と知らない方が多かったみたいだ。その後交流会があって、みんな円座になって自己紹介などを。 群馬から来られた、自ら医療従事者で患者、自分のご体験を著書「支えられて」に記された牛久保結紀さんが話された。一言一言が心に沁みる。僕も急にマイクを渡されてしゃべったのだが、なんか本意ならず悲壮に響いたのか、後で関係の方から、「聞いてて大変そうだったけど、何かあったら相談して」と何人かの方から声をかけていただいた。うれしかったが悲壮なのは基本的に苦手な関西人。これじゃいかんのだ~。そしたら、円座の向こうから一人のご婦人が来られて、「なんだろう?」とおもったら、「あの・・・・おへそが見えてますが・・・・」はっ・・・・・・最近食欲旺盛で太り気味。しまった・・・・・・・。これじゃ赤塚不二夫の漫画だニャロメ~!そんなこんなでいろいろな出会いがあり、今回も行ってよかったと家内と家路に。もう一つ収穫が。最近車椅子に座ってると尾てい骨が痛くて1時間くらいしかもたなくて外出の大きな制約になっていた。今回あれこれ試した結果JAY-2クッションのいちばん分厚いのを採用。それと従来のざぶとんと二枚重ね。ほとんど笑点。車椅子も普通の電動だけどリクライニング可能なのに変更。これで今回連続7時間乗り切って、しかもまだ痛くない!これで行動範囲が拡がりそうだ。
2010.06.12
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公園にあじさいが。もう梅雨だな。学生時代京都に住んでいて、何もすることがない休日にふらっと出かけたお寺の庭に咲いていたあじさいを思い出した。オフシーズンで妙に静かで、音も無く降る雨の中、とてもきれいだった。場所が思い出せないんだけど、確か大原の三千院だったような。京都はおもしろいところ。古典や歴史で聞く名前がそこらにあって、いろんな発見が。京都人が「さきの大戦で家財が燃えましてねー・・・・・」というときの「さきの大戦」って太平洋戦争じゃなく応仁の乱を意味するのだ。奥が深い町だった。
2010.06.11
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ここに引っ越してきて一ヶ月半がたった。相変わらず車椅子で出かけてるのだが、あることに気付いた。公園やスーパーなどに行っても車椅子に乗った人にまだ一度も出会わないのだ。以前住んでた東京都K区。そこで車椅子に乗り始めたのだが、どこでもたいてい人の集まるところでは車椅子をみかけた。しかも老人だけでなく比較的若い人も。こういう体になったから意識するようになったのかもしれないが、世の中には一定の割合で同じ境遇の人がいることに妙に安心したものだった。ところがこの街はどうしたのだろう?偶然なのか。近所に障害を持ったお子さんがいるお母さんがいるのだが、彼女曰く、「同じママさん友達でも東京に引っ越す人が多い。千葉は障害関係の諸手当がよくないから。」なのだそうだ。このことと僕が感じたことが関係あるのかは分からない。でも皮膚感覚って当たらずとも、ってとこもあるのだ。地方分権の時代だから自治体によって競争力に違いが出てくるのはある程度仕方ないのかもしれないが、知覚できるくらいの現象になってるとしたら、もうすでに質の違いといってもよいだろう。生物学的にも多様性という言葉はその集団の健全さや強さと同義なのだ。昨日も近所の公園にでかけた。娘に言わせるとパパは「ぞうさん」なのだそうだ。BiBPAPのホースが、にゅーっと鼻から伸びているからだそうだ。ぞうさんか........いいねぇ、気に入ったよ。でも絶滅危惧種だな・・・・・。
2010.06.09
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昨日は隔週の主治医の往診だった。特に問題は無く、当面BiPAPで引っ張る方針は変わらない。ただ、現在BiPAPの設定は14hPaであるが、これが18~20に設定する必要が生じてきたら、気管切開を考慮するよう言われた。なんとか粘りたいものだ。その後、友人のカエルウオ医師が来訪。ひとしきり話をした。色々と気を遣って様子を見に来てくれる。僕からのお願いとして、「旅行に行きたい。うちの家内はこの前の温泉旅行で懲りちゃたみたいだから、カエルウオさん、一緒に行ってくれない?」と、厚かましいお願いをしたところ、快諾してくれた。ありがたや。本当は冗談抜きでメキシコまで行きたいんだけど、近所の温泉で勘弁してあげる(笑)。庭のブルーベリーが実をつけだした。これからだんだんと色をつけていく。初めて収穫したときは、鳥に殆ど食べられてしまった。それに懲りて防鳥ネットを設置したら、毎年ほぼ完璧な収穫。今年も楽しみである。
2010.06.07
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口から食べられるうちに食べたいものリスト上位に入るものを一つ実現した。天下一品のラーメン。通称てんいち。京都に本店があるラーメンのチェーン店。学生時代住んでいたアパートが本店に近かったのでバイトの帰りや夜遅くまで飲んだ後よく食いに行っていた。このラーメンの特徴はこってりスープ。まるでポタージュのような粘度のドロドロスープ。かなり賛否両論に分かれる。最近は関東にも進出してきている。確かに東京には色々有名店はあるのだが、どれもこれも上品過ぎるというか、美味し過ぎるというか。僕にとってはラーメンはジャンクフードであり、無性にフィレオフィシュが食いたいときにフランス料理のスープは欲しくないのだ。ネットを見ていたらたまたま天下一品のHPを見つけた。しかし千葉には店が無い・・・。でも宅配をやっていることを発見!早速注文して3日連続昼飯はこってりラーメンと相成り、至福の時を過ごしたのであった。また注文するぞー!
2010.06.03
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今日は娘の8歳の誕生日。久しぶりの日本での誕生日だね。いつも天真爛漫。でもだんだん動けなくなっていくパパを見てどう思っているんだろう?この病気になってパパはたくさんのものを失くした。でもどんなことになっても変わらないこと、それは君のパパであること。パパはいつでも君のそばにいる。お誕生日おめでとう。(写真はまだ少し歩けた頃。昨年末お台場にて。)
2010.06.01
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最近は一日中BiPAPに依存している状態であるが、呼吸機能が落ちてくるといつも危険と隣り合わせであることを思い知らされる。先日のこと。トイレに行くときは移動中BiPAPを外して運んでもらい、便座に移乗した後コトをじっくり構えるためにカミサンがBiPAPを取りに行って持ってきて装着してくれる。この時は移乗後カミサンがいつものようにBiPAPを取りに行ったのだが、直後に便器に取り付けた肘掛から左ひじが外れ、体勢が大きく崩れてしまった。肺が圧迫されて息ができないし、声も出ない。いつもは直ぐにカミサンは戻ってくるのに、その時は何故かちんたらして戻ってこない。苦しくてだんだん意識が遠のいてくる。もうだめだと思った瞬間カミサンが登場。でもどうしたの?と問い掛けるだけで、なかなかBiPAPをはめてくれない。ようやく装着してくれて助かった。便器の上で死ぬかと思った一瞬であった。もう一件。夜寝るとき僕は1階で寝るのだが、家族は2階の寝室で寝ている。緊急時の連絡は携帯電話を使用しているのだが、最近手が動かなくなって携帯電話の操作が上手くできなくなっていた。そろそろナースコールを注文しようと思っていた頃だった。12時ごろ一人で寝付こうとしていたら、おもむろに首を横に振った瞬間、BiPAPのホースが突然外れた。腕が動かないから自分で直せない。たまらずカミサンに電話しようとしたが、携帯が上手く操作できない。あせりと共にどんどん息苦しさが増していく。朝までまだ6時間ぐらいある。ああ~こりゃ死んだな、と思って携帯をまさぐり続けていたら、たまたまリダイヤルのボタンを押すことができてカミサンに繋がり、救出してもらった。心臓バクバクで本当に怖くて涙が出た。この2件は実は同じ日に起きた。かなりショックで、それ以来BiPAPを外すことや一人になることに相当臆病になってしまった。それ以来、ナースコールは購入したものの、夜はカミサンに1階で寝てもらっている。またBiPAPに不具合が発生したときのためにアンビュバックを手配した。これから緊急時の対応マニュアルを整備せねばならないと強く感じている。
2010.05.29
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右手の機能がどんどん低下して、これまでは何とか指一本でキーボードを叩いていたのだが、それもついに難しくなった(よってカミサンに口述筆記依頼)。そういう訳で最近日記を書こうという気が萎えてしまっていた。今OTさんと対処策につき検討中である。そうこうしているうちに、介護認定変更申請の結果が来た。結果要介護5。言うまでもなく最重度の介護度。嬉しいのか悲しいのか複雑である。発症から1年経っておらず半年前はまだかろうじて歩けていたのに、今は早くも要介護5で首から下は使い物にならない。進行の速さと介護環境整備や心の準備の追いかけっこである。昨日は理容師さんに家まで出張散髪に来てもらった。久しぶりに顔剃りもして貰い爽快であった。眉毛も理容師さんお勧めのイケメン眉毛にしてもらった。
2010.05.27
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我が家には小さな庭がある。一応芝生を敷き詰め、花壇も設置してある。もともと庭の管理は僕の仕事、というより数少ない僕の趣味だった。特に芝生は手間がかかって、芝刈り、水やり、施肥、草引きと大変なのだ。花壇のお花はカミサン担当だが、僕はめったらやったら野菜を植えてた。トマト、ピーマン、ナス、甘藷、ブルーベリーと。当時はとにかく仕事三昧の日々で、毎晩午前様か泥酔帰宅。なんというか、ただ一切は過ぎていきます、の日々だった。朝娘には「またあしたねー」と見送られる始末。そんな中でこの前の無精ひげではないが、毎日少しづつ、そして着実に成長を目に見れる野菜は、僕自身が生きてることを映す鏡のようなものともいえなくもなかった。ひそかな楽しみ。でももう自分でできなくなって、芝生に雑草が。特に一番やっかいなスギナがニョキニョキ。これ引っこ抜いても強力な根っこが残る。僕なら芝を痛めないよう浸透移行性の茎葉処理除草剤を筆で塗るところ。しかしカミサンは忙しすぎて手が回らない。毎日毎日はびこって、くそーっ。窓から庭を眺める日々も忍耐が必要なのだ。
2010.05.16
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千葉での生活も落ち着いてきた。新しいケアマネさんもチャキチャキしてて助かる。一週間のプログラムもだいたい出来上がってきた。日曜 隔週で主治医の往診月曜 訪問入浴・訪問看護(点滴)火曜 訪問リハビリ水曜 訪問看護(点滴)木曜 訪問リハビリ金曜 訪問入浴・訪問看護(点滴)土曜 何にもなし同時に現在の介護認定の変更申請中。今の要介護2はまだ歩けた頃のもの。あとヘルパーさんどうするか。今の必要性はそう高くないが、同病の先輩からも、早めに入ってもらって、いろんなことを憶えてもらうべき、との助言を頂いている。将来を見越して。家の改造もちょっと必要かも。玄関の出入りスペースが小さくて将来大きなハイバックの車椅子を導入したら繰り回しができなさそう。症状はこうしてる間にもどんどん進行。右腕、手指も動かしづらくてタイプもしにくい。呼吸もVC25%まで落ちた。外出時もBIPAPを着用している。見た目がゴツいのでジロジロ見られるのがうっとーしいが、まぁそのうち慣れるだろう。今日は初めての訪問入浴を経験。爽快であった。
2010.05.14
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今年の一月にアメリカでALSの患者の脊髄に幹細胞を注入する初の臨床試験がFDA認証のもと実施されたという記事をみて、その後どうなったのか気になってた。今日たまたま、その患者さんの映像が載ってる記事をみつけた。http://edition.cnn.com/2010/HEALTH/05/04/stem.cells.lou.gehrigs/index.html第一相だから目的はまだ安全性の確認のみ。期待できる効果も病気の進行の停止や遅延であり、これで歩けるようになるわけではないようだ。安全性評価のためには12~18人位必要みたい。でもALSに関係する技術の一つがラボレベルから臨床に移ったことには拍手喝采!ブッシュ政権の時は彼の保守的な支持基盤の関係もありこの手の話は殆ど進まなかったが、民主党政権になって堰を切って進み始めたようだ。今後に大いに期待したい!!(ちょっとえらそうだけど)
2010.05.08
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要介護の体になって毎日シャワーを浴びれるわけではないのでよく無精ひげを蓄えるようになった。昔イスラム教国で暮らしてたときは、身だしなみとして生やしてたっけ。ひげを撫でながらあることを思い出す。20代の頃働いていた業界の名物営業本部長。ある日突然無任所に。要は左遷だ。上司と二人で会いに行ったらひげを生やしていた。「そのひげは気分転換?」「いや。毎日ひまでおんなじ明日が来る日々が続いているのだが、ひげだけは毎日すくすく伸びてくる。そのことを発見したからだよ。」「・・・・・・???」その人らしい人を食ったような言い方だったが、要は、「俺はまだ死んでねぇ、生きてるよ」っていうリベンジの意思表示だった。その後、僕は転勤したので、その人がどうなったかは定かでないが。僕もまだ生きてるな・・・・・・。無精ひげを撫でつつ呟いてみる。
2010.05.06
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昨日のことになるがかつての上司ふたりの訪問を受けた。ひとりは夫婦で。今はおふたりとも中国駐在。GWで帰国中わざわざ寄ってくれた。かつては小生意気だった僕に目を掛けてくれ、とことん好きなようにやらせてくれた。ビジネスマンとして自信をつけさせてもらったこと本当に感謝している。特に毎晩遅くまで酒を飲み、アナログなコミュニケーションを通じ、豊かな人間力を涵養してもらった。こういう形での再会は正直複雑な心境だったが、時計の針を戻すのにそう時間はかからなかった。バカ話に花が咲く。こういう話は肺活量が要るから疲れたが。また来るよ、と颯爽と去っていかれたが、お陰で僕は心地よい午睡をむさぼることができた。本当にまたお会いできる日を。はなしは変わるが昨日から話題になってるALS原因遺伝子特定のニュース、すごいなぁと思う。特に原因タンパクのNFカッパーBの阻害剤は他用途でもう実用化されてること。だったらもう人体への毒性は評価されてるってこと?すぐ臨床試験始めて欲しいなー!でもTDP43はどうなったんだろう・・・・・・。
2010.04.30
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ここ数日息苦しさが増した感じで気になってた。今日はリハビリ。そこでPTさんに徹底的に胸郭を攻めてもらい、そのあとカフアシストでとどめをさして貰う。そしてBiPAPを当てるとあら不思議。胸郭が柔らかくなってスーっと胸が膨らむ。リハ前とは明確な差がある。自宅でもカミサンによく胸郭を押してもらってるのだが、やっぱり素人技とスペシャリストの技とは歴然。当たり前だが。今日は鳩山総理が徳田虎雄さんと会談した報道で持ちきり。病状については「難病で療養中」とコメントされるのみ。もちろん報道の主旨とは関係ないから仕方ないけど、同病者としてはせっかくの世間に認知される貴重な機会、病名まで出してほしかったなぁ。もう公開済みなんだし。(4/29訂正:TBS等一部報道機関では病名も報道されたとのこと。失礼しました。)しかし本件は徳田さんが仮に基地を容認する発言したとしても、もはやどうなるもんでも無いと思うのだが・・・・・・・。
2010.04.28
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朝から引越し開始。荷物を搬出し出発。さらば東京。一路千葉へ。最近車椅子に長時間座ってるとおしりが痛い。リフトで車椅子ごと積み込まれるのだが今日は体を無理やり後部座席に滑り込ませ移動。らくちん。しかし降りるのがたいへん。ミニバンの座席って地面からの座高が高いからカミサンがぼくを降ろせない。そこで引越しセンターの兄ちゃん三人がぼくをかついで荷物と一緒に搬入!ホントお荷物パパ。。。。。。みんなせっせと働くが、僕だけ陽だまりにたたずむタンポポ状態。僕のベッドは日の当たる庭が見える窓辺に。6ヵ月半の苦闘の末、やっと終の棲かへ。病状からするとこれがギリギリのタイミングだったよ。ここで生き抜くかぁ!
2010.04.26
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朝から兄貴が登場。出張での上京ついで。3ヶ月ぶり。しばらくぶりに見た僕の病気の進行に戸惑っている様子。現状報告と、そろそろ呼吸に影響が出始めているので現時点の気管切開に関する考え方を説明しておいた。「できることがあったら何でもいってくれ」 よくかけてもらう有難い言葉だけど「じゃぁこれを」ってないんだよね。「もしアメリカで新しい治療法が承認されたら連れてって」ということにしといた。午後は幕張メッセの家具展示場へ。引越し用にリビングのテーブルとテレビ台を。でもおしゃれな家具って高いんだよな~。ニトリでいいや、ニトリで・・・・・帰宅。夜はシャワー。シャワーキャリーにまたがって妻と娘が両側から洗ってくれる。至福の時。ありがとう。でも引越し後は訪問入浴開始だね。明日は荷造りだ。
2010.04.24
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指の動きに影響が出てきた。右の中指と左の薬指が動かないときがありパソコン操作に影響が。握力も毎週測定しているが、虎の子の利き手である右が15kgから13kgに落ちた。左は5kgから6kgに! おっ、この病気になって数字がよくなるなんてはじめてかも。五十歩百歩どころか五十歩五十一歩だけど。。。。娘が帰宅。転校前の最後の登校。お別れ会をしてもらったようだ。でも転校なれしてるのか、いろんな意味で注目の的になるのが嬉しくて仕方が無い様子だ。わが娘ながら大したものだ。僕なんて閉鎖的なド田舎出身で、人の動きの少ない町で、高校出るまで徒歩か自転車で自宅から通うところだったから、転校なんてとんでもなくて、想像の外だった。だから初めて都会で暮らしたときはなかなか友人が出来なかった。都会っ子ですな・・・・・。まだ肌寒い早春の頃。時が経てば、あの頃はまだパパも・・・・・・なんて思い出すのだろうか。
2010.04.23
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もしもう一度、どこでもよいから旅行にいけるとしたら、迷わずオーロラを観にカナダへ。オーロラを見てみたい。昔からの念願だった。でも遠い。実は一度チャレンジしたことがある。仕事でメキシコにいた頃、同じ北米大陸にいるのだから安くいけると2008年冬に敢行。場所はカナダ・ユーコン準州ホワイトホース。バンクーバーから飛行機で二時間くらい。ユーコン観光の拠点の町で冬の気温は零下30度。鼻毛ぱりぱり。でも自然現象だから絶対見れるとは限らない。現地情報によると4泊すればほぼ確実(95%)とのこと。でも飛行機の関係で3泊になった。まぁ・・・・・見れるだろう。宿は「イン オン ザ レイク」。なんと日本語HPあり。宿の主人によるとオーロラを有難がって、こんなとこまで見に来る人種は日本人くらいのものだそうだ。確かに定員たった20名ちょっとくらいの宿なのに8割日本人だった。残りのアメリカ人チームはかなり引いてた。僕なんかこんな小さい宿で会社の同期家族とバッタリ一緒になって夜は家族対抗卓球大会やってるし。でもこの宿、造りはおしゃれだし、食事はおいしいし素晴らしいところでした。しかし肝心のオーロラは・・・・・・日頃の行いが悪いのか三日連続ハズレー!!どっひゃぁーでした。金返せ~、といってもね・・・・・。鼻水たらしながら空を眺めるのみ。昼間は、国立公園でなんとかウシやなんとかシカっていう侘びさび系動物を見学。さむかったです。そして未練タラタラ失意のまま帰路へ。こういうの外して、10万分の一の病気が当たるんだからなぁ~。もう一回行きたいぜー!でも雪の中でどうやって車椅子で走るんだろう?やっぱりタイヤはスタッドレス?
2010.04.19
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今日はALS協会東京支部東部ブロックの交流会に初参加した。お花見でお会いした橋本さんや、わくらばさんとも再会できてうれしかった。多くの同病の患者さんやご家族の方々、そして支援者の皆さんとお会いすることができた。最近自分の病状もかなり進んだなぁと感じていたが、ここにくるとまだまだ自分がひよっ子であることがわかる。同時に若年での発症者ということも思い知らされるが。とにかく早く引越ししてじっくり体制を組む一方、徐々に外にも目を向けていこう、そう思って参加した。自分はまだまだこの病気を知らなさすぎるのだ。現実としっかり対峙せねばならぬ。いろんなお話を聞いた。出口の見えない家族の辛い悩み。底知れぬ明日への不安。一方で様々な挑戦と励まし。特に、患者さんだったと思うが、西東京市においてALS患者が入院できる50床の病院の設立に向けたお話など、それを遂行されようという精神力に心が震えた。偉大な先輩方。自分も自己紹介したが、かつては自慢だったハードロックボイスが跡形も無くて全然声が響かずショックだった。やっぱり呼吸がなぁ。でももう2年半もBiPAPで、現在は24時間使用とのことだが、気管切開せず仕事も継続されてる先輩とお会いして大いに勇気付けられた。最後に往診帰りの吉野先生登場。超忙しいはずなのに常に患者の側に居ようとされる姿勢には頭が下がる。姿を見るだけで心強さを感じたのは自分だけではないはず。これからももっと知らねばならない。自らそこへ手を伸ばさないと。そしてその結果、僕らがどこにたどり着くのか、まだ見えねども。今日は僕も家内も、行ってよかった、そういう思いを共有して家路についた。
2010.04.17
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今月の呼吸機能検査でVC%が50を切った。急下落。2月は100%近かった。この下落率はかなり危険で1~2ヶ月内の気管切開の必要性が視野に入って来ると。まだこれからようやっと引越しで療養体制も組めてない。告知からまだ半年で心の準備だって。こんなに進行が速いなんて想像もできなかったし。確かに息苦しさは増してる気がするが、昼間はBiPAPなしでも長時間外出も出来てる。出来る限りBiPAPで引っ張りたいのだが・・・・・・・。取り合えず引越しを急遽再来週に前倒しした。不安だなぁ。
2010.04.16
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うちのカミサン。運動神経抜群。ぼくはどっちかといえば、どんくさいほう。ほとんどのスポーツで勝てない。初めてデートでゴルフしたとき、20打差くらいで負けた。それ以来一度も勝ったことが無い。子供が出来る直前は80台で回ってた彼女。スキーに行っても、ぼくは緩斜面をパラレルで地蔵のように硬直したままトロトロ落ちていくが、カミサンはウエーデルンで豪快に雪を蹴り下りて行く。卓球、ボーリング、一度も勝てない。この病気になって、僕はもはや骨ホネの体。一方でカミサンは僕の介助を通じどんどん筋肉質に。肩がシッカリ、逆三角形のシルエット。ちからコブは盛り上がり青い血管が浮いてる。惚れ惚れしちゃう・・・・・。ちょっと分けてよ、筋肉。車椅子からの移乗介助もたくましい。ぐっとモロ差しから一気に豪快な釣り寄りで僕を土俵の外へ。往年の千代の富士ばりの釣りだ。もう一生かなわないね。頼りにしてるワ・・・・・。
2010.04.12
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更に呼吸機能が落ちてきた。しかも急激。体のつらさも増してきてる気がする。家にいるときは出来るだけBiPAPをつけることにしている。マスクがあたって鼻の両側にあざの様なものが出来て痛い。そこでチョッと違う仕様の鼻マスクも使用してみたら痛くない。と思ったら今度は鼻柱の上の辺にあざが・・・・・うまくいかんな。しゃべりや飲み込みはまだしっかりしているのに。何でも食ってるし、むせることも無いんだけど。最近では両腕がもうかなりヤバイかな。今日は娘が田舎から出てきたばぁちゃんとキッザニアにいってきて大興奮だ。最後の桜が妙に名残惜しいこの頃である。
2010.04.11
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連休明けに千葉の自宅に引っ越せることになった。今の東京のマンションは賃貸の仮住まい。バリアフリー改造も出来ず、療養体制確立も中途半端だった。海外に住んでいたので千葉の自宅は人に貸していた。でもこの病気で急遽帰国。契約も2年近く残っていたが交渉して頼み込んで退去頂いた。本当に申し訳なかった。家族で緊急帰国。住む所が無くて狭いホテルの一室でコンビニ弁当をかじりながら家族で肩を寄せ合って過ごした。そしてこの江東区のマンションに転がり込んだ。そして少しづつ家財も揃え車も買い、この病気の勉強をしながら少しづつインフラを整備した。部屋で歩行練習してたら下の階からクレームされたりしたが。やがて犬も検疫を終えて到着し、全員揃ったことを喜び合った。娘も学校に馴染んだ。僕も病気の進行と戦いながら会社に通い続けた。その間、家内は各種手続きに走り回ってくれた。しかしここに来たときは左足だけだった症状が、今や下肢、体幹、上肢に及び呼吸にも影響が出だした。病気の急激な進行におびえ続け幾日も眠れぬ夜を過ごした。仕事では僕がここ数年心血を注ぎ主役であった海外プロジェクトは、新しい男がその席に座り、新聞発表がされた。久しぶりに日本の季節の移ろいを感じながらクリスマス、お正月、誕生日、ひなまつりをささやかに祝い、家族の絆を確認した。都内の博物館や美術館、多くの広い公園やショッピングモールも近くにあり、しょっちゅう週末は気晴らしに出かけ病気を忘れた。友人達との久しぶりの再会。そして同病の皆さんや医療関係の方々との出会い。激動の半年だった。多くのものを失ったがその中で得たものもある。これからももっと多くのものを失うだろう。でも何かをつかむ努力はしたい。新しい生活に向けて少しづつ引越し準備を始めよう。これまでを棚卸しながら。
2010.04.09
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汚い話で恐縮ですが真剣な悩み。便秘。もともと頻便体質で一日3~5回くらいも出てた。昼間にしょっちゅう行くので友人からは、犬みたい、といわれていた。下痢気味があたりまえ。特にご飯食べると必ず一時間以内。だから会社行くときも家で朝食が食べられず、朝早く出て会社でパンをかじって、トイレで用を済ませた後、席に戻ってコーヒー飲みながら業界紙に目を通しつつ朝の満ち足りたひと時を過ごすというのが日課だった。ところがこの病気になって急に来なくなった。しかも腹筋が弱り押し出しにくい。もともと耐性が無いから1日こないともうしんどくて辛くなる体質。吉野医院でマグミット330を処方してもらったら改善したが最近効かなくなった。昨日一日「天使」はこず。今朝ついにドアをノックしてきた。よっしゃー、とトイレへ直行したが不発。固太りのエンジェル。今日は5回も天使が激しくドアをノックして来たがいずれも不発でエンジェル降臨せず。5回目はイチジクをも動員したがどうしても固太り天使が出せない。涙・鼻水ボロボロ・・・・・・・。痛くて苦しいぞー、拷問だー。・・・・・・結局お越しにならず。今はホセ・メンドーサとフルラウンド戦った矢吹丈状態。真っ白な灰・・・・グッタリ。便秘体質の人から言わすとたったこれしきで、と笑われそうですがこれまで全く無縁の体だっただけに・・・・・。これからが思いやられる。あっ、ラジカット点滴お願いしてる近所のクリニックが胃腸科だった。相談しよう。
2010.04.08
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最近うちの娘(7歳)が「ひみつのノート」なるものを持ち歩いている。表紙にデカデカと「ひみつ」と自分で書いてる。さらに自分が描いたのであろう手書きの女の子のマンガがあり、彼女の口から「うふ~」なんて思わせぶりなセリフが書いてある。中には一体何が・・・・・・?見てみたいがこっそり娘のノートを覗くなんて親父のプライドが。なんて思ってたらあっさりコタツの上にひろげておいてあった。「パパ見てもいい?」「いいよ」どれどれ・・・・・・。そこには昨日スーパーで買った夕食の食材の値段が記されていた.......!!なんでこれが「ひみつ」で「うふ~」やねん。乙女心は・・・・・・よーわからん。
2010.04.06
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