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第41回大宅壮一ノンフィクション賞に川口有美子さんの「逝かない体-ALS的日常を生きる」が選ばれたとのこと。本当におめでとうございます。日曜のお花見会でたまたま川口さんとお会いしたのですが、僕も家内もいろいろ有益なご助言を頂くと共に、子供達も含めて家族全員に暖かい励ましの言葉を頂いた。受賞されるといいですねぇ、なんて話してたので僕らも感激ひとしおです。なんせこの病気、患者数も日本で7~8000人だから殆どの人はその存在さえしらない。僕も最初会社の人に説明するのに漢字の読み仮名から説明しないといけなかった。難病なんです、っていったって、なにがどう難しいのか、だれもぴんときやしない。まぁ、かつては僕もその無知な一人だったのだから何をか言わん、だけども・・・・・・。この受賞によって少しでも多くの人々が「気付き」の機会を得られんことを・・・・・。
2010.04.05
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今日はりゅう♀さんから声をかけて頂いた、東京にお住まいの同病の皆さんのお花見会に家族で参加しました。僕自身、こういう同病仲間の集いに出席するのは全くの初めて。だから実はかなり緊張してました。でも僕も家内も参加させていただいて本当に良かったです。ブログで拝見してた諸先輩の皆さん、ご家族の皆さん、関係者の方々、今回ご挨拶させていただいただけでも今の僕にとってはsomething specialでした。本当にありがとうございました。特にうちの家内はご家族の皆さんから貴重な情報やアドバイスを頂きました。これまで告知を受けてからというもの右も左も分からない樹海に放り込まれたようなものでしたから、先輩が切り開かれ踏みしめられた道を垣間見させて頂き、本当に励まされました。今日はまだまだ戸惑ってばかりの若葉マーク患者の僕(+家族+犬)でしたが・・・・・・今後とも何卒宜しくお願いします。おいしいケーキやお菓子ご馳走様でした!子供まですっかりお世話になってスミマセン・・・・・・。
2010.04.04
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自分が7歳の4月1日に道から飛び出して車にはね飛ばされたことがあった。10メートルくらい吹っ飛んで意識不明。一緒に遊んでいた2歳年上の兄貴が家に飛んでいって親に報告したが、エイプリルフール?ってなことで誰も信用してくれなかったそうだ。兄貴はへらへら笑いながらしゃべっていたそうでよけいウソっぽかったようだ。幸い脳震盪と打撲ぐらいですみ、しばらくして意識が戻ったら、おばぁちゃんが、ナンマンダブ~とお経を唱えていたのを覚えている。轢かれた瞬間のことなんてぶつかった痛みも含めてなんにも覚えていない。仮にあのまま死んでたとしたら何の痛みも記憶も感慨も無いまま闇に消えてたんだろうなぁ。今回の生命の危機はじわじわ~っとお越しになってる。味わう時間はたっぷりとある。勘弁して欲しいわ、ホンマ。今日も近所の公園にぶらっと外出。昨日の強風にめげず桜満開。開花っていうより、どか~んと爆発~っ、というような趣きでした。
2010.04.03
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桜のつぼみもようやく、と思いきやまた肌寒い日が続く。近所の公園では桜はまだ咲いてないけど早くも人出が。屋台もずらーっとならんで華やいできた。焼き鳥、から揚げ、そしてなぜかトルコ風ケバブを食す。体重は下降線一方なのに食欲はまだあるなぁ。土曜の夜は大学時代の友人2人と築地の寿司屋で旧交を温めた。大学時代の学科が同じ仲間だが、この二人は卒業後医学部を再受験し、現在は立派なチョット歳を取られたお医者様。診断をしてもらったK医師も同じ仲間ゆえ、医者の友人が沢山いることは万一のときなんと心強い、と思っていたのだが、まさかこんな治療法の無い病気にかかってお目にかかることになるとは皮肉なものだ。発病後もいろいろ情報を頂いたし、二人とも死ぬほど忙しい中なのに時間を取ってくれて励ましてもらい言葉もありません。話した話題は昔と同じ他愛も無いネタだけど、それが一番の薬です。ありがとうございました。寿司もうまかったぁ~。しかし、かえるうおさんよ、そろそろ幸せになってね、わたし祈ってます~♪(ちょっと古いか)
2010.03.28
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去年の今頃何してたっけな?とベッドで寝転んで考えていた。そうだ去年の春分の日は家族で世界遺産テオティワカンにいたっけ。ピラミッドといえばエジプトが有名だがこれはメキシコにあるもの。祭祀に利用されたと考えられてる。人間の生贄も捧げられたとか。優れた天文技術で太陽の運行も分かっていたようで丁度春分の日はお祭りですごい人で、失敗したなぁ、なんて話してた。でもこの頃はまだ何の症状も出ておらず、写真の中央に小さく、娘と手をつないで歩いてる自分が写ってる。この頃は楽しかったなぁ~。このテオティワカンを作った人々のことはよく分かってなくて6世紀頃姿を消したそうだ。その後やってきたアステカの人々がこれを発見してびっくり!神々の都市とあがめたという。建物も精巧に配置されており回廊の真ん中で、ポン、と手をたたくと、時間差を置いてあっちゃこっちゃで反響が連続する。壁画のデザインもユーモラス。どんな人々だったのだろう。実はメキシコのあちこちにピラミッドがある。今は草木が生えて小山にしか見えないものも。印象深かったのはプエブラ近郊チョルーラのピラミッド。チョルーラに住んでいた人々の先祖が営々と築き上げた小山のようなピラミッド、その頂上に征服者スペイン人が作ったカトリックの教会が、ど~んと乗っかっている光景。征服とはどういうことなのかを象徴する光景として有名。写真はテオティワカンの月のピラミッド。何年か前に観光客が滑落死したそうで今は頂上には登れない(太陽のピラミッドは登れる)。このあと名物のサボテンにつく虫の幼虫入りタコスを食べたがまずかった・・・・・。
2010.03.25
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3連休は那須高原へ家族旅行にいった。もう車で自由に旅行に出かけられるのも今のうち。そして家族との思い出作りに。僕の趣味の一つは温泉めぐり。しかし足腰が立たなくなったので、手すりがついてる程度のバリアフリーでは最早風呂に浸かることが出来ない。車椅子(シャワーキャリー)でそのまま湯船に入れるスロープがなければ。ということで今回はそういう露天風呂を擁した数少ないペンション「ガストホフ・エール」さんにお世話になった。さて露天風呂(家族風呂)。脱衣所で車椅子からシャワーキャリーに移乗しスロープを伝い湯船の中央へ・・・・・。ところがなんとお湯がお尻の下のところまでしか来ない。その日天気は大荒れで粉雪が舞い寒くて死にそう。思い切って湯船に飛び込んでしまった(ずり落ち?)。何ヶ月ぶりの湯船だろう。いつもシャワーだった。筋肉が溶け落ちた両足は密度が低いせいか浮力に負けてプカプカ浮いて体が不安定。でも....妻に体を支えられ、娘とは手を握り合って見上げる露天風呂の真上の小さな漆黒の夜空。そこから舞い落ちる粉雪。雪見露天風呂。思いがけないPerfect world.......。小さいけどこんなに幸せで穏やかに満たされた時間ってこれまでにどれくらいあったろうか?こういう体になったからそう感じるだけなんだろうか。しかし案の定、風呂から上がるときに風呂の底から高さのあるシャワーキャリーへの移乗に大苦戦。家族にはホント申し訳ない(僕はまた連れてってほしいんだけど.....)。あと同じ栃木県にもう一つシャワーキャリーで温泉に入れる那珂川苑という宿があるそうだ。ふむふむ。もっと調べてみるべし。
2010.03.23
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お気に入り電動車椅子にのってすっかり春っぽくなってきた河原の土手をトロトロ疾走していたところ、陽だまりに野良猫がいた。この猫、僕をじ~っと見つめて尻尾をピンと立てて寄ってくる。そして我が電動くんに体をすりすりと擦り付け始めた。なんじゃ、この行動は?猫って車椅子好きなんかいな?そこで僕が猫の鳴き声を「にゃ~お」とやると、彼も「ぅにゃ~」と応えてくれるではないか。この後、鳴き声交換を数回して満足そうに去っていた。この光景を見ていた娘(7歳)、尊敬のまなざしで「パパ、すご~い!猫とお話できるなんてー!!」と大絶賛してくれた・・・・。単なる得意の物マネなんだけど「いゃ~まぁ、英語に比べたらちょっと簡単かもねぇ~」なんて一応もっともらしく説明したら、これまた「へぇ~、すご~ぃ!」娘よ、いいやつだ、お前は。
2010.03.18
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おととい新車が到着した。といってもレンタルの電動車椅子。最近、腕の筋力低下が激しいのでついに導入することにした。ちょーーー楽しいぞ、これ。車椅子に座るようになって3ヶ月、無意識のうちにストレスを感じてたのか。行きたいところに誰の力も借りず自由にいける。極々当たり前のことが何と爽快で愉快なことなんだろう。ビジネスマン時代は世界を飛び回った。それがこんなチョットの移動が楽しいなんて。この二日ほど乗り回しすぎて、今日はちょっとグロッキーだった。疲れました。ここのところ病気にまつわる嫌なことばっかりで心も下向きベクトルだったけど、これは久々の爽快な出来事でした。空を見上げながら春の風を思いっきり感じました。でもだんだん欲も出てくる。もっとスピード出ないのかな。オラ~っ、ジロジロ見んじゃねえ~、見世物ちゃうぞ~、と、ベビーカーを抜き去る41才であった。
2010.03.14
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今日はKoma2+親方ご夫妻とGO家族でお茶した。久しぶりだ。家族で会うのは。Koma2とは会社の同期入社で同じ独身寮に住んでた。親方さんも同期。彼は親方さんと結婚するとともに会社を辞めマレーシアに渡る。そして今は日本で自ら起業、著作も多数、その業界では有名な第一人者だ。年に一度くらいだろうか、仲間であって旧交を温めていたが、一昨年だったかメキシコに登場した時はびっくりした。相変わらずの行動力だなぁと感心したものだ。今回、こんな形で会うことになろうとは夢にも思わなかった。僕だけでなく家族へのきめ細かな配慮、言葉もない。ありがとうございました。今後とも友人として、時にメンターとして、闘病を見守って欲しい。Muchas gracias.話は変わるが、今日はこれがALSの強制笑いか?、という体験をした。喫茶店で入店待ちしているときに見かけた、ホッペが真っ赤な福福しい赤ちゃんの面白い表情。別になんてことない普通の光景なのだが不思議なことに何故かこれがツボにはまった。笑いが止まらない。周囲の目もあるから必死に笑いを止めようとするのだがコントロールできない。止めようとする力が体にこもらない感じ。息が出来ず窒息しそう。涙ボロボロ・・・・・死ぬかと思った。なんとも奇妙な感覚だった。これがそうなんだろうか・・・・。
2010.03.13
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左腕が肩から上に上がらなくなったと思ったら今週は右腕も重くなってきた。頼みの綱の利き腕なのに。しかし、進行速いやんけー、ワレー。まだ指は全然動くのでパソコン操作は全く問題ないのだが。車椅子を押すのがちょっとしんどい場面も出てきた。腕を前に出す動作もつらいな。会社で電話を取るとき、回転すし屋で注文の皿を受け取るとき、手が伸ばしにくかった。首はまだしっかり据わってるが、腹筋劣化による体幹のふらつきが更にひどくなってきた感じがする。多分、肘掛のない椅子に座ったらかなり危ないかも。呼吸は日による。寝てるときは大丈夫だけど、状態を起しているとき、日によって息苦しさを感じるときがある。重力で上半身がぺしゃっとなって肺が圧迫されてる感じだ。今週初めてBiPAPを使って呼吸リハビリを受けた。30分以上問題なく使えたので割と相性は良いかも。PTさんにはかなり肺に空気が入ってるのでまだまだ大丈夫、といわれて一安心。確かにその午後は調子良かったし。がんばって続けるつもり。まだまだ食欲は人並みある。これくらいかなー、まだ比較的健在なのは・・・・。
2010.03.10
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車椅子を使い始めて3ヶ月。あっという間に立てなくなった。最近どんどん足も動かなくなってる感じだ。よく夢を見る。しかも夢の中でよく歩いている。時に病気を意識せず、時にしっかり意識して。夢の中でも、あれーっ、まだ歩けるじゃん、ってすたすたと。筋肉を動かす感覚も地面を踏みしめる感覚も実にリアル。と思ったら目が覚めて、どよーんと落ち込む。まだ自分の脳は歩けた時のまま、そのままの意識でいるようだ。ロボット型の歩行補助装置を研究開発している大学があるそうだ。筋肉の電位を検知して動かすとか。ある先生曰くまだ実用レベルじゃないそうだが日本の制御工学の実力からすれば、僕なんかが試させてもらえる日も近いんじゃないだろうか?それまで自分の脳が歩く情報を消去しないようにせねば・・・・。
2010.03.08
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3月になった。2月はひどい月だった。いろんなことが出来なくなった。早く終わってほしかった。そして今日、一ヶ月ぶりの呼吸検査の結果をみたら・・・・・、「なんじゃぁこりゃぁぁ~」、と太陽に吠えろの松田優作最終回状態。手足の機能が落ちていく中で呼吸だけは標準レベルを保ってたのに、今回ど~ん、と落ちてた。久しぶりにALSの恐怖を思い出した。しばらく忘れてたのに。呼吸に関してはあんまり強い自覚症状は無いのだが・・・。胸郭はまだ柔軟で動いているが腹筋の萎縮が更に進んだようだ。確かに大きな声が出しにくくなった。腹式呼吸に難。排便も時間がかかるし。吉野先生からBiPAPを使った肺機能維持リハを奨められた。まぁ明日からまた頑張ろう。とりあえず今晩は家族でささやかなひな祭りのお祝いだ。
2010.03.03
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うちの犬。(画像はプロフィールの写真)。今週で11歳になるイングリッシュ・コッカースパニエルのオス。生まれはパキスタン。パキスタンに住んでるときに近くの獣医さんにブリーダーを紹介してもらって行ってみたら残りものの一匹だった。ビスケットしか食わせてもらってなかったらしくガリガリ。僕らを見るなり「ボクをもらってぇ~」ってな目をしてよたよた近づいてきた。もうイチコロで即決。値段も激安!それからはや11年。三カ国を股にかけた帰国子女。よくついてきてくれたよ。あんまりボクにはベタベタしてこなかったんだけど、病気になってからは、いつもベッドに寄り添ってくる(重い・・・・)。特に悪くなった足を丁寧に丹念に一所懸命なめてくれるんだよね(ベトベト・・・・)。きっと気づいてるんだろうね、昔と違う体になったこと。よっしゃ、介助犬トレーニング、と思って、「新聞とって!.....(し~ん)」。聞こえてるくせに。今日もイビキかいて腹見せて寝てる。野性を完全に忘れとるな。長生きしてくれよ。
2010.03.02
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昨日友人4人が来てくれて焼肉屋で激励してくれた。2人はわざわざ関西から。ホントありがとう。4人は大阪での浪人時代の予備校の寮仲間。かかわった時代は短いがなぜかその後も、飲んだり旅行に行ったりと続いている。久しぶりに関西言語トークを満喫させてもらいました。はぜどん、タニー、米八合、だらしないお坊さん、本当にありがとう。でもお見舞いの品やら何やら頂き過ぎやで。次は手ぶらで来てね。家でご馳走するから。しかし、米八合さんよ。頂いた菓子折りの熨斗紙に書いてある文字が、薄墨で書いてあったぞ。それっておくやみだろー。家で家族で爆笑しました。相変わらず冗談きついでぇ~。またきてね。
2010.02.28
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今後の記録として病状の推移、現状をメモります。2009年 7月 左足を引きずり始める。10月 引きずりの程度が激しくなり杖を使い始める。徐々に右足も動きづらくなってくる。11月 特に変わらず。杖を使用してだが一日5000~7000歩は歩けた。電車やバスも乗れた。 (この頃はエダラボンが効いているんじゃないか?と感じた頃)12月 上旬に急に歩行がつらくなってくる。中旬ごろからよく転倒しだした。 家の中では歩行器を使用しだす。かなり歩行が危なくなって転倒の危険が増大、 勤務を続ける関係上しかたなく下旬に車椅子導入する。2010年 1月 中旬ごろから体幹が厳しくなりふらつき始める。つかまっての歩行も困難に。 肩などのやせが顕著になる。 下旬にトイレからの立ち上がりができなくなり、トイレに捕まり棒を増やす。 車椅子から車、歩行器などへの乗り移りができなくなる。 2月 中旬には捕まり棒を用いてもトイレからの立ち上がりができなくなる。 足がさらに動きづらくなり歩行器を使用しての歩行もできなくなる。 呼吸の息苦しさを徐々に感じ始める。 下旬には左腕の筋力低下が顕著となり、肩から上に腕をあげる動作ができなくなる。 寝返りもかなり困難となる。 現在の症状:・両脚ともまともな動きはできない。常時車椅子。・左腕があがりにくい。右腕は力は落ちてきているがまだ上に上がる。 握力は左の落ちが顕著16kg。・呼吸は息苦しさを感じる日があるがまだ肺活量は4000cc弱ほどある。 しかしこれでも10月比20%ダウン。・嚥下は若干の違和感を感じるが、むせる症状はなく特に問題ない。・舌は若干の重さを感じるが、周囲から聞いて構音上の違和感はないとのこと。 とりあえず問題なし。・その他では腹筋の著しい衰え、首の痛みを感じる日が多い。座位での体幹保持も 最近怪しくなっている。・着替え、シャワー、用便は一人でできず介助が必要。・食欲は前ほど大食いではなくなったが人並みには食べられている。
2010.02.26
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(つづき)どうやってこの病気と向かい合えばよいのか?-もちろん闘いたい。どうやって?大学病院での説明:+ 薬は?- 唯一厚労省に承認されているのはリルテック。でも劇的には効かず、何年も飲み続けて数ヶ月延命可能というモノ・・・・。+ リハビリは?- データがない。神経が変性していく病気なのに少なくとも強く負荷を掛ける筋トレが良いとは思えない。普通に生活する範囲で動かす程度が良いだろう。要するに積極的に闘病する薬も手段も無いのか?病と闘う方法が無い・・・・、座して破滅を待つなんて精神的にも耐えられないぞ? 何だ、この病気は。そんな中、会社の友人が連絡をくれ、ネットにALSに効く薬があるという情報があると。脳梗塞治療薬のエダラボン。調べると市川市の吉野医院で点滴してくれるようだ。早速電話し紹介状を持って受診した。吉野先生にお会いして診察を受けたが、患者の話にしっかり耳を傾け聞いてくれるお医者さんだと感じた。きっと僕ら患者が言う話なんて診断上何の役にも立たない情報も一杯含まれているんだと思う。でも時間をかけて一言一句逃すまいと聞いて下さる。聞き上手な先生だ。僕も仕事柄、コミュニケーションが大切な職業だけど、自分が話すことのスキルにより重心を置いていたような気がする。聞くことの大切さを再認識する。早速エダラボンの点滴。但しALSには未承認なので保険がきかず高額になること、効かない人もいること、効果は進行抑制であって根本的な治療でないこと、定期的なモニターは行うが副作用の救済が無いことが前提と理解。点滴の翌朝、それまで重かった肩がすーっと軽くなってるのに気づいた。効いてるんじゃない?これ。期待が膨らんだ。それ以降、今まで週3回の点滴を継続している。でも、病気の進行自体はとめられていない。本当に効いているのか、そうでないのかは、もう一人の比較対照である無処理の僕が存在しないので誰にも分からない。でも毎週吉野医院に行って点滴を受けること、そしてリハビリを受けることが僕の大切な生活の一部となった。
2010.02.24
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(つづき)Kには感謝している。告知にあたっては僕がおなか一杯にならないよう何回かに分けて丁寧に対応してくれた。またある意味失礼とも言えるセカンドオピニオンの要請に際しても快く応じてくれ、一流の他病院を紹介してくれた(結果は変わらなかったが)。さてこれからの自分どうする? 家族は駐在地の海外。まずあっちへ戻るか?いや、でも入院中のわずかな間でさえ脚の不具合は進行してる、移動も危険だ。これから日本でいろんな行政対応や療養体制の整備、それに今後のことを家族でじっくり話し合う必要がある。会社と相談の上、赴任地に戻ることなく帰国辞令の発令、そして家族の緊急帰国が決定。しかし住居もないし住民票もない、特定疾患受給票も申請できない。何とかしないと。会社の人事部と打ち合わせ、療養の為の休職制度などの説明を受ける。でも体がまともなうちは出社しないと。つい2~3週間前までバリバリ第一線で働いていた自分が何で休職の説明を受けてるんだ?みんなからの哀れみの視線がつらい。なんで俺が哀れみの対象に・・・。数日後、家族が成田に到着、言葉もない。翌日妻が新型インフルで倒れる、疲れがたまったのだろう。田舎から出てきた母は取り乱してるし。・・・・・・修羅場だった。家内には本当に苦労をかけた。引越し作業や現地学校の退校手続き、幼い子供とペットの犬を抱えての脱出、大変だったと思う。引越しを手伝ってくれた同僚、業務を引き継いでくれた同僚、そして家探しに奔走してくれた同期、励ましの声を掛け続けてくれた会社の諸先輩、そしてK医師。修羅場だったけど人の情けの暖かさ、有難さが心に沁みた日々だった。
2010.02.21
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(つづき)一日の検査が終了。友人のK医師より「もっと詳しい検査が必要だから1週間程度入院できるか?」と告げられる。この際だからイチも二もなくOK。生まれて初めての入院でちょっと浮ついていた。超痛い針筋電図をはじめ一連の検査を消化していく。でもそれぞれの検査がどんな感じだったのか全然コメントがない。Kに「一回中間報告してよ」とお願い。すると「わかった。結果だけど...僕から聞きたいか?」という、明らかに結果がやばそうなコメント。「なんで?」「いや、別に・・・・・」。明らかに挙動が変!その夜のこと、小部屋でKと向き合う。これまでの検査のサマリーと見解の説明。そのあと、「今のところもっとも可能性が高い病名はこれ.....」と紙に書き出した。読むとやたら画数の多い漢字が。要はALS、何度かネットで見たことあった。「ヤバイやんけ、これ」「・・・助けてやれなくてごめん・・・」。こら、こんな早くごめんは無いやろ、何もせんとあきらめんなよー。まだ全部終わってないし決まったわけではないやろーが!「いや、ほぼ間違いない...」「........」そして原因不明で治療方法がないこと、徐々に体が動かなくなり車椅子→寝たきりという経過をたどること、物が飲み込めなくなる→胃ろう、呼吸困難→延命するかどうかの判断、呼吸器選択しなければ死、というお決まりの説明。そして周りの介護力がとても必要な病気であることも・・・・・。意外と冷静な自分。涙も出ない。なんとなくヤバイという予感はあったけど、まぁ最悪更に入院加療くらいが最悪の心積もりだった。それがイキナリ死刑宣告???明らかにギャップに頭がついていってない。子供はまだ7つと3つだぜ....,トホホ。
2010.02.17
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明確な自覚症状として認識しているのは昨年(2009)の7月頃。でも海外の標高の高い都市に住んでて、空気が薄く普段から誰でも体がだるい症状を持ってるし、自分自身いつもは犬の散歩くらいしかしない慢性運動不足でもあった。本当はそれ以前に症状が出つつあったのかもしれないけど、そんな生活の中での出来事なのではっきりしない。7月にちょっと脚が前に出しづらいなぁという感じがあったが、いつものことで運動不足と仕事疲れの蓄積が原因だろうと考えていた。ちょうどその頃家族で旅行に行ったのだがホテルの庭にある芝生広場で地面のくぼみに足を取られ挫いた。かなりきつい捻挫で足を引きずって歩くようになった。数週間して痛みはすっかりとれて治癒したはずなのに足を引きずる動作は改善せず、数百メートル歩くのにも汗だくになるようになり、引きずりの程度も徐々にひどくなった。現地の整形外科医を受診したら「ギランバレーかも」なんて単語を発してた。同時に左足太もものヤセと筋力低下を指摘される。とりあえずMRIを撮影した。後日結果を聞きに行こうと思って電話したら「先生はアメリカに行ってます」とのことで不在。そうこうしているうちに日本へ出張することになったので事前に友人の医師Yに相談するとたまたま同じく友人のKが大学病院の神経内科で勤務しているとのこと。神経内科というところがどんな病気を扱うところかさえ知らなかったが、まぁこれ幸い一時帰国中に大学病院で検査をしてもらうことになった。日本に着いたのが9月最終週、順調に仕事のスケジュールも消化し10月1日に検査。翌々日には家族の待つ駐在地に帰る予定だった。この頃はまだ自分で脚の屈伸もできた。でも左足のつま先が上がらないので麻痺っぽくて、仕事のほうもプロジェクトが重要な局面を迎えている中、入院なんてことになったらマズイなぁ、とイヤ~な感じはしていた・・・・。
2010.02.14
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今日は吉野医院へ通院。朝から雪だから今日はすいてるだろう、と思いきや激混みでした。いつも通りラジカット点滴とリハビリへ。筋力測定もしてもらったけど肩周りを中心にこの一ヶ月で筋肉がかなり落ちてるなぁ、という印象を裏付けた結果となりました・・・。他の同病の方のブログを拝見して、体験談として書いてある病状進行と比べると、自分のこの3ヶ月の進行は一年分かそれ以上に相当する感じです。速いよなぁ・・・。両脚はもうほぼ駄目、先週くらいから左腕が重くなってきました。健在なのは口。今日もリハ中、PTさんにオッサンネタ連発でウルサかったろうなぁ。ホント、いつも付き合って笑ってくれてありがとう。
2010.02.13
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ブログって初めてなんですが、ALS発症し診断・告知のあと、あれよあれよという間に激動の毎日が過ぎ去り、時間に流されっぱなし・・・・。少し落ち着いてペースをつかもう、ってなキッカケにしたくて始めることにしました。ホント、病状の進行に心の準備や家の中の対応やら全然付いていけないって感じ。馴れない日記だけど少しづつ。
2010.02.11
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