代償


 駅近ではありましたが、深夜ということもあって、客は広い店内に私を含めて二人しかいませんでした。私も彼も黙々と豚丼(つゆだく)を食しておりました。働く人と食べる人が同数というきわどいバランスと静寂を破ったのは、作業服を着た初老のおじさんでした。
「豚丼弁当大盛で!」威勢良く注文したおじさんは、お茶を差し出したお姉さんの顔をぶしつけにまじまじと見つめました。
 お店のお姉さんは、深夜というのに若いお嬢さんで、私の見る限り二十歳ぐらいに見えました。彼女はおおよそ深夜の吉野家にはそぐわないくらい、緻密なお化粧を施していました。
 さて、出来あがった弁当を持ってきたお嬢さんは、おじさんの刺さるような視線を気にも留めずに「420円になります」とだけ告げました。おじさんはそれに返事もせず、まじまじと彼女の顔を見つめながら不器用そうな手で(余計なお世話ですね)、小銭入れのファスナーを開き、小銭を取り出して彼女に手渡しました。おじさんは代金を手渡しながら、
「なぁ、おねえちゃん。それ、つけ睫毛か?なぁ?つけ睫毛なん?なぁ?」
 5人しかいない広い店内に響き渡る声で、そう尋ねました。しかも執拗に!誰もが気付きながら(店長さんも)、誰も言わなかったことを、彼は事も無げに言い放ちました。それは、チャックの開いている先生に対して誰も指摘できずにいた、その緊張状態をぶち破って「先生、チャック開いてるで!」と指摘した、高3のクラスの同級生上野君を思い出す、ある意味においては勇気ある行動と言えましょう。
 しかし、その後彼女をその店で見かけることはありませんでした。あのおっちゃんは、普段話してももらえないような若いお嬢さんと、せっかく真夜中の吉野家で接点が持てたのに…。彼は些細な好奇心を満たしたかったが為に、大切なものを失ってしまったのではないでしょうか?それとも、リストラされたおっちゃん店員さんの方が好みなのでしょうか?それはそれで恐ろしい話ですが…。


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