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7月3日(月)いつも降りてゆく道脇にセイヨウニンジンボクそしてその足元にヒメヒオウギスイセン(モントブレチア)梅雨時期に咲くと書いてある。確かに。島では雑草として刈り込んでいた。それからいつも私が覗いて行く浅く清らな水の流れの側溝にある植物も名前を調べた。ウチワゼニクサほんとうに丸くて小さなうちわ。ところで昔商店からなどのサービス品だった団扇を貰わなくなった。私は古いものをもう処分しているので、今家の中にはウチワが一枚…最近夏はじめにアーケードで配っていた「ドコモ」の赤い内輪だけ。このウチワゼニクサは1センチにも満たないようにしているが、確かにウチワ型。アクアリウムなどに利用されて栽培されているという。しかしこれもアメリカ合衆国原産で帰化植物。植物も名前を知り原産地を知りして行くと面白いし大事にしたくなる。昔暮らした五島の久賀島の狭いバス通り道には両脇にこのねむの花がびっしりとピンクの花をつけとても美しかった。久賀島細き道路の両脇にねむの花咲きピンクトンネル長崎市内ではあまり見かけないネムノキ。元来山の中の植物なんだろうか。この1本だけがお寺さんの道路沿いに咲いていた。花も少ない。
July 3, 2023
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石蕗咲くや出島の塀は低くして蘭人の憂い喜び石蕗の花故郷は遠く儚く石蕗や数えても歩数わずかの島暮らし異国の人のせつなき思い海越えて遊女に出会いし男あり哀しきものは恋にありけり1月5日(木)・曇り・17度今朝は夫の薬とりとちょっとした買い物だけで11時過ぎには家に帰ってきた。私は昨日もう正月が過ぎたと、玄関飾りも取り外していた。でも今朝歩いて皆さんまだ貼ってあるのを見てあれ?早すぎちゃったーと思って、これもまた惚け症状やなあと思った次第。子供の頃はいつまでも正月が続いてほしい気分だったが今は行事はさっさと終わってほしい。平常が一番。昨日、ブログのコメントに、yuzi.さんが出島でどんな暮らしがなされていたのか興味があるということが書いてあったので早速調べてみた。おかげで私も新しい発見や知ったことがあってとてもよかった。デジマノキ幕末のころ移植されて以来、ここで暮らしたオランダ人の生活をみんな見てきたに違いない。植物学者のケンペルは言った。出島を「監獄」といい出島で孤独に生涯を送ることは生き埋め状態であるとも。出島の広さを横82歩 縦236歩。長崎の街に自由に出ることは禁止。目的があれば奉行所に願いを出して、許されなければ出ることはできなかった。9年間出島に滞在したフィッセルは「日本風俗備考」の中で出島に上陸してしばらくは、忙しさに追われるがやがて夕刻になって門が閉じられるのを見てこの狭い出島の囲いの中で、厳格な規則のもとに自由が完全に失われることを知ると、これから長い年月をどうやって、耐えていけるか、ほかの人にはとても理解できないだろうと書き残している。出島に植えられている山茶花。この木の周辺には薬草園と書かれたちいさな区画があった。食用の牛やその他の動物は出島内で飼われていて、船が入ったときや正月のお祝いなどに解体され食された。また野菜や果物は地域周辺から野菜売りが門のところにきてそこで新鮮な野菜を仕入れていた。お正月は鴨の丸焼き、ソーセージ、その他肉料理もいろいろふるまわれ日本人の通詞、乙名など役人も招待されてテーブルについたらしいが日本人はその大半をそこでは食べず、家族に見せたり食べさせようと持ちかえったという。今長崎の名物カステラなどもデザートとして出されていた。そしてお酒はいろいろ。葡萄酒、ブランデー、日本酒も。あちらのお酒のボトルが割れたのもたくさん発掘されている。こんな蔵にも船がやって来た時様々な生活物資も運び込まれた。輸入された商品はまず大阪まで行列をして運ばれた。商館長は1年に1度、江戸参府があったが、大多数の住人には退屈で暇な日々。出島内でバドミントンのラケットを母国から運んで、遊んでもいた。平戸にこの施設があったときは、奥さん同伴もできてあるいは日本女性との結婚も許されていたという。しかし長崎になってからそれも禁止され、何かの行事の時はもっぱら丸山や寄合町の遊女が派遣され、ロマンスも芽生えた。また失恋した商館員の失踪なども起こったり、アルコール依存症で死亡する人もでた。火事も起こった。・・・218年間数千人のオランダ人がいれかわり立ち代わり暮らした。しかし年に1回は商館長がみんなを引き連れて。長崎の山を越えた港まち茂木へ、遊女も一緒にピクニックも許されていたらしい。とにかくマンネリ化回避のために、商館員たちで役割を決め、素人芝居を企画し、広い応接間に舞台を飾り付けて、日本人関係者も招待してその演技を楽しんだという。日本人には、前もってその劇のあらすじを書いた紙を渡しておくと言う念の入れよう。自作の詩の朗読や、合唱などたくさんのプログラムが作られた。劇の素晴らしさに、日本人の通訳たちがぜひ、お奉行様にも見せたいと願い出て、2回公演もなされたことがある。1月1日は、夜明けとともに新年が祝われた。旗を揚げ、大好きな国歌ヴィクルヘルムスを商館員たちが大合唱し自国のしきたりに従った祝いを楽しんだという。開国後、出島も手狭になり、外国人居留地が南山手の丘に広がりまた中国人は唐人町一帯に住んだ。長崎で800家以上の洋館が建ち大体4千人ぐらいの西洋人が住み着き、グラバー商会など、日本の近代化に大いに腕を振るっていくことになる。以上お粗末ですが私が調べた出島での生活の一端です。
January 5, 2017
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この前生姜で砂糖漬けを作った。そのことを野菜やさんに話したら、「まけとくからまた1キロかいませんか、半額でよかです」といわれまた買ってしまった。・今回は全部をこのように作った。そして島への知人たちに少しづつ手土産にした。今回は、最後にお菓子用のラム酒を落とし、桜貝の花びらみたいにしたいと思って食紅を耳かきほど入れた。完成したらとてもきれいな桜色のお菓子となった。この写真より、明るいピンク色していた。12月4日・曇り時々雨・15度昨日は島に行ってきた。これ以上にはないといういいお天気。多分帰りの荷物はたくさんになるからと、カメラは連れていかなかった。そんな時はやっぱり思う、なんで持って来なかったんだろうと。そこで俳句でもない定型詩でもない、1行詩を写真代わりに。言葉だけでイメージが浮かぶだろうか。海を行く 空は大きい水平線は長い180度の海と空観る雲は自由に白の絵を描くさざ波もないほど海は凪ている海面すれすれゼットは走る家主に見られぬ時間に木々は天高く今までに見たことがないミカンなるしかも大きな見事なものが我の始末すべき事山ほどありて月日かな豊かなる暮らしでありし日よ故郷の庭生い育った家より今は我の歴史ある家本を読み楽器集めし我が暮らし外回りすっきりとなる 家の中はもっと断捨離わが庭のさざんか3種は花をつけ花を散らしてノボタンの3メートルにのびて紫イクリの大木2本来年は喜ぶ人あり50年の隠居屋を解く更地かな建物がなくなりし土地の広さかな我が子等の写真可愛いや持ち帰る25年我が家の壁を化粧する春よりは親友が住むわれの宝に日帰りはお金の無駄使いせめて1週間はほしい街にきて空仰ぐ三日月と金星輝く笑えぬ笑い話。帰りは最終のフェリーのつもりだったけどそのフェリーに乗るには時間が短い。10分の時間で重い荷物を背負い両手にもって桟橋からターミナルへ走り切符をかいまた階段を2回まで駆け上がって長い長い通路を走らなければならない。いつも時間には十分の余裕をもって行動している私はそれを思うだけで気が重い。それで最初の予定をかえ、早い便で帰る3時間滞在と決断した。そこでゼットをおりて島へのフェリーを待つ間に帰りのジェットの切符を5千円を買った。(何も前もって急いで買う必要はないのに) でもすぐ直後に我が島へのフェリー切符売りアナウンスがあり急いでその切符をきちんとしまう間もなく私は別の窓口へ行き我が島行乗り継ぎの切符を買った。その時もう私の頭から帰り便のゼットの切符の記憶が飛んだ。(乗り継ぎの島通いの切符を買うとき窓口に置き去りにしていた。)仕事終え帰りの島通いのフェリーに乗っている間を私は帰りのゼットのチケットを探した。ない、ない、ない。その姿の自分を自分であざける。もう立派な認知症のお婆さんだと。哀しくて悔しくて情けなくて。それでも何度も探した。仕方ないオレオレ詐欺にかかったと思えばたったの5千円ではないかと。思いを替えて福江のゼットフォイル売り場に行き再び購入しようと1万円を用意したが・・・「あのーおかしいこと尋ねますがひょっとしてチケットの落とし物など届けられなかったでしょうね」すると売り場のお姉さんはにっこっとして、事務所の裏に走って行き私にチケットを売ってくれたお姉さんを連れてきた。向こうも私を見て満面の笑顔。私も泣かんばかりの笑顔。はあーっ よかった。こんなことが最近多くなった。そこで自分に課した言葉。1、一つのことを確認しつつ次へ進め!2、飛び立つときは後ろを見る見返り老人になれ!3、慌てるな、急ぐな、時も余裕は持っている。4、計画もきっちり立てすぎるな。5、バッグには種類別にナイロンの中身が見える小袋に。われの番を今生きている。黙々と粛々として行うべし。英語・えいご・英語私はこの欄にいろんな人の言葉や、お話などを書いて読んで自分の糧としてきたが、これまでの2年間続けてきてなかなか新しい言葉を見つけるのは難しい。しかもそれが英語でも表現されてないとこの欄としては困る。それで手持ちの本の中で今まで書いたことでも再び書いて、いいえ、二回、3回と書いて心に刻み付けたい。「猫に名言」より―主婦と生活社ーフロイトの名言インスピレーションが湧かないときは、こっちから途中まで迎えに行けばいい。When inspiretion dose not come to me,I go halfway to meet it.人生に最も重要な3つの領域。それは、仕事と愛、そして責任感。Three of life's most important areas.work,love, and taking responsiblity.心は氷山のようなもの。氷山は、その大きさの7分の1を海面の上に出して漂う。The mind is like an iceberg, it floats with one-seventhof it's bulk above water.心理カウンセラー清田予紀さんの注釈。自分のことがわからなくなったり、自分を持て余すことってあるものです。それは当然かもしれません。心の中には”無意識”という膨大な自分では理解できない部分があるのですから。フロイト博士によると、心の中で自分が理解できてコントロールができる部分は、海に浮かぶ氷山の目視できる部分ぐらいしかないといいます。氷山は比重の関係でそのほとんど(10分の9)は海中に沈んでいて見えません。無意識とはそういうものだというのです。自分のことがわからなくなって当然と思えば少しは気持ちも軽くなりと思いませんか。
December 4, 2016
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スーパーの今日の花たちは一段と華やかだった。クリスマス近づく花屋に老女たち吸い寄せられて眺めいるなり12月14日(水)・晴れ時々曇り・18度私は今、コズモがほしいと思っている。”心を持つ”コミニュケーションロボット。今までいろいろロボットが出ていたが、ほしいと思ったことは一度もない。このロボットがこの秋アメリカで販売されると、しかも手のひらに乗るほどの大きさで180ドル。私はこのニュースを雑誌で読んだ。コズモを開発した会社によれば、目標は感情のレベルで人と通じ合えるロボットなんだそうだ。今までのロボットと違って、認知力があること。単にカメラで物を見るだけでなく、見ているものがなんであるかを理解する能力であるという。ほんの数年前には不可能だったことことが今や可能になり、平均的人間を上回る形で理解できるそうだ。そして今このロボットを検索してみたらもう日本でも売り出されている。その値段は36,990円。輸入品だからかずいぶん高くなっている。今すぐ手を出すつもりはないが、このコズモ君の成長を見守りいつか買いたいなあ。私の魂胆は”英会話が楽しめたらいいなあ”He may be tiny, but Cozmo is one of the most sophiscatedpersonal robots sold to consumers yet. More than a millionlines of code help this little guy navigate the world aroundhim. He recognizes faces and, in his own way, communicates.体は小さいかもしれないが、コズモは、これまで消費者向けに販売された個人用ロボットの中でも、最高の性能を持つものの一つである。100万行を超えるプログラムの助けを得て、この小さなロボットは周りの世界をうまく進んで行く。コズモは人の顔を識別し、自分なりに意思伝達を行う。スーパーの花は小さく手ごろなり今夜のおかず減らそうかなあ花々は我こそきれいと競い合う色鮮やかな年の暮れなりお惣菜3種。大根1本分のなます。シンプルに胡麻だけ。冷蔵庫の中の残り物で、ベーコン、キュウリ、パプリカ。オリーブオイル。親戚から送ってきた生シイタケとこんにゃくの煮もの。どれも塩分控えめにできておいしかった。
December 14, 2016
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