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有名な古典文学の中の琵琶、おもだった物がなくなりました(苦笑)本当はまだあるんですが、「雅楽の琵琶」ばかりですものね?すこし変化が欲しいのは書いてる自分・・薩摩琵琶の練習は飽きないのに、他の事は結構「熱し易く冷め易い」んです。だからでしょうか?若い時から「一目惚れ♪は駄目なケースの人、最初の予感は当らない人(苦笑ですが)」・・・・で、気分転換で~す♪●民話:説話も面白いですよね?「ラフカデイオハーン=小泉八雲さん」くらいの「文才」があればいいんですが・・無理ですから・・ご紹介だけ・・・でもね「各地の琵琶に関係する伝説」読むと「神様?仙人?」と関わる話が多いんですね~勿論「琵琶法師さんがからむと、少し悲しいお話」神様が関係する・・・・雅楽が、宮廷や神社お寺の神事仏事と密接だからかな~音色が「哀愁があり、天然自然の物に近い音」だからかな~~やはり「弁財天様:弁天様=琵琶」だからでしょうかね~~琵琶法師さんがからんだお話・・・・諸国を旅するお坊さまですから、やはり生活の大変さ、昔の旅の持つ危険性の大きさ、お目が不自由ですから、御苦労は、やはり多い・・・かな~~●高尾の山奥の「鳴鹿の谷」の「琵琶滝」のお話です。その名の通り、鹿の群が棲む谷でした。そこは昔から「聖地」と言われ誰も近づきません。自然の豊かな地域には、理由はわからなくてもそうゆう言い伝えの場所ってありますよね?その聖地の奥に洞窟があり、そこから水がコンコンと湧き、ここからの流れは「前沢の谷」となり、「案内川」となり、近辺の山々を潤す、大切な水でした。・・結論先に言ってしまうようですが、案外昔の人は「水源」として守る為?の意味もあって「入らずの地」にしたのかも知れませんね。 ある時、高尾の「俊源大徳」という方が、高尾の山を歩いていました。そうすると、聞こえてきたのが「琵琶の音」♪山の中、それも田舎です・・都の近くではありません。琵琶とは不思議なことだ・・と辺りを見回しますがそれらしい姿はありません。「こだま」でしょうか?北?かと思い、北の方に耳を向けますと、南か?いや違う・・西?・・いえいえ東?・・琵琶の音は聞こえてくるのに、どこから聞こえるのか分かりません。。。。。。。。。。。。。。。。。。俊源と言う方がどうゆう人かはわかりませんが、ここで聞こえてくる「琵琶の調べ」は、どう考えても「雅楽の調べ」ですよね?平家琵琶って感じではありません。薩摩琵琶?筑前琵琶?・・・いえいえ・・ブウブウ・・であります。「方丈記の鴨長明」のイメージ♪(私のイメージですが・・皆さんは何んでしょう?)そうすると、「雅楽:神楽の琵琶」を知っている「貴族や神官ぐらいの教養のある方」なんですね~・・山の中でも、朗々と「響く琵琶の音色」♪名器の条件は?ハ~イ♪「遠音が刺す!」・・このお話では「名器」合格で~す♪ピンポン♪オマケに、弾き手も「優秀」合格で~す。・・いやですね~説話でも直ぐに「何琵琶かな?どんな音色?どんな調べかな?」真っ先にそれ考えて、にやにや・・なんですから~一種の「職業病」~昔は凄い素直にお話読む「お姫様」だったんですが。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。お話戻して・・するとそこに「一頭の立派な姿をした鹿」が登場です。「鹿が立派」というのは、「頭部の角」の事ですから、ここでは素晴しい角の「オス鹿」でしょうね?その鹿は「俊源」の前に立ち、「さあお出でなさい」と言うように誘います。多分少し進んでは「振り返り」って感じでしょうか?鹿を大切に思う土地ですから、人を恐れずこうして姿現わせば、不思議に思います。導かれるままついて行くと?どんどん琵琶の音が近づいてきます。・・前沢の谷を上り、・・・ここはどこ?・・そうです「鳴鹿の洞窟」近くです!そこには、琵琶の音の主がいました。白髪の老人です♪(まるで、中国の説話!どうして美人じゃないんでしょう?女性では、久米の仙人と同じで、修業の妨げかな?・・・そうだな~男性ですものね~??)が、大きな岩の上で、琵琶を弾いています。清らかな調べ、山々にこだまする琵琶の音。俊源は、瞬時に理解しました。その美しい琵琶の調べの主に、深く一礼し、「悟りの道」の教えを請います。俊源が教えを請うや否や、どこからともなく大岩の回りに、鹿が集まりました。驚く俊源!、そして不思議な事に、その大岩の中にスーと、鹿の群と老人が消えてしまいました。それだけでなく、その後に不思議不思議???「琵琶の形をした滝壺」が現れ、水が湧きだしました。何がなんだか分からず、目を見張る俊源。しばらく経ち、やっと正気に戻り聞こえてきたのが、水の音・滝が奏でる音色♪ジット耳を澄ますと、先ほどの老人が奏でていた琵琶の調べのようでした。この不思議な有様を体験した、俊源はこの地が神聖であり、修業者を歓迎する地と感じ、「これこそ悟りの道を開く修行の霊場」と喜んだと言う事です。 今でもこの滝は、高尾の山でも大切にされ、修行霊場だそうです。信仰の対象でしょうか?数多くの信者さんが、琵琶の音色のする滝で修行をするそうです。。。。。。。。。。。。。。。多少、私なりの脚色してしまいましたが・・・「高尾の琵琶滝」の説話では、なぜ琵琶滝と言うのかを、滝の流れ落ちる形、滝壺の形から呼ばれると言う説もあるそうですが、ご紹介の話の方が「ロマン」がありますよね?★又主人公が「琵琶法師さん」の物もあるそうです。気分的には、こちらの方が少々現実的な感じしますが・・、この場合は「平家物語の琵琶の調べ」でしょうね♪琵琶法師さんが、この地を「修練の場」とする為、小さな谷川の流れに琵琶を立てたら、岩が現れ、滝が出来た・・・んだそうです。この場合「弁財天様=水:川の神様」に「琵琶」を献げた・・んでしょうか?・・・・だって「献げる」と言う意味の凄い決意がなければ、「水に濡れたら、琵琶は使い物になりませんから」絶対やりません(と思う)・・?小泉八雲さんなら、どっちとるのかな~~嬉しい感じと共に、琵琶を大切にしなくちゃな~と、改めて思うのが、こうした説話です。昔から「霊意が宿る」そんな感じもいたします。今日は「琵琶ちゃん、ピカピカに研きま~す♪」●私(?)に、文学の事ご質問♪有り難うございます♪勉強しま~す。古典曲の中に、さりげなく?比喩や例えやなどで出てきたりしますものね。直接関係なくても、基本知識として、知ってるか、全然知らないかは、大きな違い・・・本当にその通りだと思います。・・・今失でこそ、博学多識?的ですが、始めの頃失敗の連続!・・白楽天・・別名ありますでしょう?シラなんだ・・別人?なんちゃって(汗)又は、「月下の陣」・・負けて読んだ歌かと思いました~~(汗・・涙・・・)薩摩琵琶の名だたるプロ琵琶奏者の方の演奏お聞きしてますと、ちゃんと「歴史とか、時代背景とか、関連すること・・(ちゃんとちゃんとです♪)研究して、独自の解釈しておられるのを感じます。おまけに「上手」♪フアンが付いて来るの納得で~す♪・・・でも「研究」って大変!・・言うは易く行うは難し・・であります。同じ日本語でも、「外国語」より?難しいのが「古文」?日本語難しいですよね?●日記文学:女性(女官)作者が多いですよね・・土佐日記が筆頭でしょうか?日記の名名称: 作者「土佐日記」: 紀貫之 「蜻蛉日記」: 右大将道綱母 「和泉式部日記」: 和泉式部 「紫式部日記」: 紫式部 「更級日記」: 菅原孝標女 「讃岐典侍日記」: 讃岐典侍藤原長子 「弁内侍日記」: 弁内侍 「中務内侍日記」: 伏見院中務内侍 「十六夜日記」: 阿仏尼 「御堂関白記」: 藤原道長 「明月記」: 藤原定家 「玉葉」: 九条兼実 「とはずがたり」: 後深草院二条
2005.12.13
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昨日のはめちゃくちゃ地味でしたから、気分入れ替えて?楽しい物ご紹介♪和歌の中に「琵琶」がちゃんと出てくる・・ヤッタ♪・・・待ってました♪この頃研究が進みだしたらしい?「弁内侍日記」です。新編日本古典文学全集(48)作者は「弁内侍・・この方の姉妹みなさんが歌人」後深草天皇の女房です。1243年ころから14年?17年?間の記述。内容は宮廷の公的行事と日常での奉仕生活の様子の記述のみ。この日記の変わっているのは、4才で天皇(!)となった「後深草天皇」に仕えた女房が、宮廷であった事を大変に短い文で記述。私生活はまるで記述なし。そして最大の特色が、終わりに必ず「自分又は姉妹の作った和歌で締めくくる」文と和歌で構成。で日本で日記文学呼ばれる古典文学は結構あります。人気が凄く或ものから、地味な物まで。ま~「貴族の生活:宮廷(皇室)の生活」は庶民とはまるで違い?「前例」が大きな意味を持つんだそうです。何かするときの「基準」や「言い訳?」みたいですが・・・それで「日記」が大変需要?重要?なんだそうです。後世になれば、歴史の検証になるし、当時の生活が分かる・・んですね。平安日記の表象ただ、この日記の「全編・規模」は不明なんです。130段あたりから本文に欠落欠損がみられ、最後の方は判読できないんだそうです。これから新しい発見とかありそうで?研究待ちかもしれません。●琵琶に限れば、交友関係が「琵琶人」が多いんです。勿論「雅楽の琵琶:楽琵琶」ですが、当時名手と名高い人が回りにいるんですね・・だから・・この日記知りました(苦笑)どちらかと言えば「和歌:短歌」の世界の人が好み研究しそうな「日記」です。それに、和歌の中に「琵琶」が読みこまれている・・珍しいですよね?どなたか「琵琶歌」にしてくださ~い♪・・でもあまり「主流の日記じゃないですものね~ドラマチックとは言えないしね~??昨日の「徒然草:吉田兼好さん」と少し関係あるんですよ~!和歌・・でつながるんです。吉田兼好さんは和歌では「四天王」でした。その四天王の一人に吉田兼好の友人でもある「頓阿(とんあ)」と言う人がいました。凄い長生きした人らしいんですが、「井蛙抄」と言う本を書き、その中で弁内侍とその姉妹を「みなよき歌よみ」と褒めています。女房三十六歌仙の抒情時の歌壇(和歌の世界)の四天王に、褒められるんですから凄い人気者?勿論、この姉妹の父親も祖父も、歌人や画家として有名だそうです。(父:藤原信実・祖父:藤原隆信)★弁内侍 生没年未詳。推定では、1227~29)頃?寛元元年(1243)後深草天皇(4才)即位の時出仕。正元元年(1259)退位まで17年間女房として宮廷生活。以後は宮仕えは退いたらしい。1265年妹少将内侍の死により出家。父信実・姉藻璧門院少将とも死別。お子さんは女子。。宮廷文学のひそかな楽しみ清少納言さんの「 定子(皇后)賛美」に徹した「枕草子」の系統の作品です。幼くして即位・青年期で退位の後深草天皇とその宮廷生活の、明るい面のエピソードを記録した形です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★「文机談」と言う本によれば、大宮の大納言(冷泉の大納言)[西園寺公相〕・勾当内侍博子(藤原孝時の女:のち刑部卿局)はともに「琵琶の名手」で、とてもトンチ?のある人物らしいようです。その二人がこの日記にも登場して、面白い会話をしています。それでいて、当時の女房:貴族の持つ教養や生活が出ているようです。。。。。。。。。。。。●(二四、清暑堂の御神楽)卯の日は清暑堂の御神楽なり。中宮の御方へ参る道にて 人々きかばやとありしかども、摂政殿 候はせ給ひていとくちをし。清涼殿のかたへ たちいでたれば 職事どもたちならびたり。又きぬかづき重なりてさらに道なし。常の御所の御帳のもとに、人々の禄どもに薫物(たきもの)などして、ほのかにききしかば、大宮の大納言 琵琶、花山院の大納言 笛兵衛督 拍子おもしろし ともいへば なかなかなり。弁内侍、 雲ゐより なほはるかにや きこゆらん 昔にかへす あさくらのこゑ ことどもはてて 大宮の大納言殿常の御所へ参り給ひて 勾当の内侍殿に「牧馬(ぼくば)のねはいかが侍りつる」とありしかば「かの大極殿の琵琶のね とかやのやうに いづくまでも くもりなくこそ」と申し給ふも、げにかぎりなくて弁内侍、 いにしへの 雲井にひびく 琵琶の音に ひきくらべても なほかぎりなし 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★ 皇室の御物の琵琶「牧馬」。玄上(げんじょう)と並ぶ琵琶の名器です。「大極殿の琵琶のね(音)」・・昔琵琶の名手「兵衛内侍」という人が「大極殿で琵琶を弾きました」楽器もよいけれど、腕も良い・・で宮廷の外はるか羅城門まで聞こえたと言うお話の事を指します。★楽器としての「琵琶の名器」の絶対的条件が「遠音が刺す・・遠くまで聞こえる事」 でも、どんなに良い楽器の琵琶でも、弾く人の腕が悪ければ「響かない」・・・これは、楽器をなさる方なら「実感!」ですよね・・★ちなみに薩摩琵琶でも、初歩の人が撥で琵琶を弾くと、琵琶の裏側からも「音」がきちんと、はっきりと聞こえるのですが、これが「はっきり聞こえない」んですよね・・・教えていて気づきました。これが「お三味線」で言う「音が裏へ抜ける」状態なんですね。撥が絃にきちんとあたり、琵琶の中やいろいろな部分へ伝わり反響し・・・ができて無い・・・充分に反響しない弾き方・・・難しいものですね・・基本の大切さを改めて思いました。琵琶の場合、ギター等の洋楽器と同じく「穴」があります・半月(2ケ)と陰月と呼ばれる計3ヶ所。それに木製ですから、琵琶の前面から音が最も出てますが、そのじつ「いろいろなところから出ている」不思議な感じです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★お次はもしかしたら「絶対音感」の持ち主?・・なんて思う感じの記述です。冷泉の大納言は琵琶の名手です。「雷除けに、魔よけに弓の弦を打ちました。そうしたら?雷の音と弦の音が目出度く?調和♪で、これは何の調子?壹越調♪」笛で調べたら「当り♪」自然界の音を、直に音階として、判読してしまうのが「絶対音感」・・・昔からいたんですね~~それに応えて「読んだ和歌」の最初「ものの音」・・・昨日のところにも出てきましたが「音楽:音色」と受け取って良いようです。♪●「九六 弦打の調子」雷鳴りて いとおそろしかりしに、御所は朝餉に渡らせおはします。六位の弦打(つるうち)めすほど、滝口の供役が弓めして、冷泉の大納言殿つるうちし給ふ。雷の鳴るおとにいみじく調子の合ひてきこゆる唯今は壹越(いちこつ)調ならむ と、すけやすに 笛ふきて ならさせて きかせ給へばまことにその調子なりけりとて勾当の内侍殿も興じ給ふ。いとおもしろくて弁内侍、 ものの音を ひきもならさで 梓弓 おしてしらべを いかでしるらん 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。参考:小学館新編日本古典文学全集48.中世日記紀行集「弁内侍日記」より
2005.12.12
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又暗いニュースでした。今の日本はどうかしてる・・年末年始のざわめきの中、親戚との会話は「気をつけないと」と孫へは厳戒態勢的です。類似事件が必ず出てくるから・・こんな社会情勢ですと「徒然草」の吉田兼好さんの気持ちですよね・・本当に、こうゆう事件の時は正直言って、運不運でかたづけられません・・・でも、お国で安全が守れないなら、親として我が子の安全祈るしかないのかな~~だったら万分の一でも祈ります・・・てな気分です。●で、気分変えまして、話題は「徒然草:第16段」・・・めちゃくちゃ短くて、吉田兼好さんは本当は?何言いたいんでしょう?どんな御気分?・・・そんな感じなんです。勿論「琵琶」が出てきます。パソコンソフト ホロン【税込】声に出して覚える 音声認識 ことわざ・四字熟語~ことわざ・慣用句。。。。。。。。。「徒然草」第十六段 作者:吉田兼好 神楽こそ なまめかしく おもしろけれ おほかた ものの音には 笛 篳篥 常に聞きたきは 琵琶 和琴 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ソレゾレ訳せば★「神楽こそ」・・分かり易く言えば「雅楽のこと」で、雅楽が一番♪吉田兼好さんはお生まれは「神官:卜部家」です。ただの「神社の神楽」かも知れませんが・・・経歴から言えば19才頃、後二条天皇に仕え「六位の蔵人」になり、6年後「左兵衛佐」に昇進。(他の説では、諸大夫(家令))26才頃宮廷を退き、30才前後で出家だそうです。そして、「徒然草」の成立(執筆)の時期もいつくか説があるのだそうですが、48~49才頃(1330~1331年)が有力なんだそうです。・・ただ新説も出ているそうです。これからドンドン解明されるみたいですね。有力説より以後に成立した?とすると1~30段の最初の方は、早い時期に書かれ、それ以後と「19年位?」の差があるみたいです。どうして吉田兼好さん「いつに書いた」ってはっきり書かないんでしょう?これだけの「名文」♪文章の才能をみると「不思議???」・・だから色々な説が出るんですよね・・・でも作品そのものが、一見なんの脈絡のないような雑文にみえながら、各段に緊密な脈絡があり、一貫性がある、連歌的構成であるので、死後他人の手で纏められたのではなく、吉田兼好自身の編集であろう・・と言うのが今日の定説だそうです。古典に学ぶ・・ジャン♪・・何時書いたのか?必ず?メモしましょう!・・でも?アリバイ工作が必要な場合は「マズイ&ヤバイ」ですね~文筆家なら、普通書きますよね~古典ッてそうゆう所が不思議なんですよね・・で、話戻し・・だから「宮廷の神事の神楽」も含むのかな~「神楽」でも演じられる場所で、「格」も規模も華やかさも違いますものね~どちらにしても、出家なさってから書かれたのでしょうから、「想い出の物」なんでしょうか?★「なまめかしく」・・・これが今では「色ぽい(色気過剰の?)艶っぽい」感じの言葉ですが、この時代はもっと格の上の感じ「上品だ、優雅だ」・・雅楽の音楽も舞もどう見ても?別世界?の格式を重んじる感じですよね?★「おもしろけれ」・・興味深い物だ。・・・だから吉田兼好さんにとって「最高のもの」・・・私にとっての「薩摩琵琶」みたいなんですね~~文法のことになる?とややこしいですから止め時まして。。でも。回想?思い出みたいだな~~★「おおかた ものの音には 笛 篳篥(ひちりき)」・・・雅楽が日常生活に溢れていた「宮廷生活:貴族の生活」それから連想すれば本当に「一般的によく聞こえてくる音楽:調べ」は笛・篳篥(笛の一種)・・・雅楽では「主旋律」部門ですし、男性奏者ですものね。一番身近に聞いていたんですね~★そして嬉しくなるのが「常に聞きたきは 琵琶 和琴」・・いつも聞いていたいものは琵琶、和琴。。。。。。。。。。。。。。。。。。。雅楽こそ、この世界で一番優雅で、美しくて興味を惹くものはない 最高♪よく聞こえてくる音色は、笛や篳篥、でもいつも聞いていたいのは、琵琶(雅楽の琵琶)と和琴。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★源氏物語で出てきましたけれど、光源氏の絶頂期の「女楽」では、天皇家の姫君の「女三の宮」が琴(きん)、紫の上が和琴(わごん)、娘に当るが宮廷に上がっているやんごとなき「明石の中宮」が箏(そう) 、一番身分が低い「明石の君」(明石の中宮の母)が琵琶でした。絵入源氏(若紫巻)・・・・・・・・いろいろな表現があり、こんがらがります。「お琴」の世界の人が言うのが正しいんです。興味有る方調べて見て下さいませ。ちなみに「源氏物語」では、「楽器の種類、曲の名前」が出てきますが、「琴」の技術的な「奏法」も具体的に記述されてるので、専門家だと「音色」も想像できるんだそうです。凄いですね♪紫式部は「それを知っていた」とゆう事ですから・・専門とする楽器奏者の解説する古典・・おもしろ~い・・・でも「琵琶」は雅楽の琵琶なので・・間違いがあるかも・・・ごめんなさい・・・・・・・・・・・・・・・●琴(こと)・・日本固有の絃楽器の総称。「弾き物」ともいう。七絃琴・・・琴の琴(きんのこと)・・古琴(こきん)、楽琵琶(がくびわ)・・・琵琶の琴・・・・琴の仲間なんですね~~絃楽器ですから十三絃・・箏の琴(そうのこと)六絃の琴・・・和琴(わごん)・・・(あづまごと:やまとごと)琴(こと)は何を指すか?平安当時では、「琴(きん)」を現在では「箏」を一般に「琴(こと)」と呼ぶ。 。。。。。。。。。。。。。。。 ★源氏物語では「理想的スタイル」ですから、それに絃楽器では「琴(きん)」が中心的楽器で、他のものはそれを引きたたせているのだそうですから・・・ここでは「少し地味目な絃楽器」?が良いとおっしゃられてるんですね~。●順番が「琵琶」が先ですから・・・琵琶の名手と言われた「源博雅さんの皇室の御物(宝物)を弾く」と言うイメージもあるような気がしませんか?貴族が最も貴族らしく、(貴族にとってだとは思うけれど)・・時代が安定してて、文化が華やかで、高尚で、生活の不安がなかったから、精神性の高い物に集中できる・・・それが琵琶という絃楽器の音色・・・吉田兼好さんが書いた時代は、多分それが「ない」だから・・憧れ・懐古・希望・望み・・・現代に似てるな~心の落ち着きのない時代、心の救い欲しい時代・・雅楽は今で言えば「オーケストラ:合奏」ですから人数が揃わなければ出来ません。でも「いつも聞きたい」ですと「単独演奏」ですものね・・琵琶の秘曲と言われる曲などを、宮廷生活や交友関係の中で聴いていたんですね、方丈記の鴨長明さんと違い「本人が演奏する」という記述でないのが、本当に残念!願望なんですよね・・・でも楽器では名手ではなさそうですが・・・歌人としてはもう20代のころから頭角を現わしていたんだそうです。藤原為世門の四天王と言われ、足利氏の時代の晩年でも、歌会に出たり、自選歌集執筆だそうです。だから?第十四段は長い文章です・・・「和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、ふす猪の床と言へば、やさしくなりぬ~~(注:まだ続きます~)・・・吉田兼好さんって、苦笑誘うユーモアも隠れてま~す。琵琶の事も書いて欲し~~い★方丈記のような書き方ですと、時代背景や、書いた人の気持ち、が分かりやすいんですが・・・こと「徒然草」の場合は「予備知識」を他から仕入れて読まないと?・・「あっそう♪」で終わっちゃうんですよね(私の感想)女性:清少納言の書いた「枕草子」と並ぶ随筆文学なんですが、学生時代の試験の為に没頭部分を暗唱して終わり、日本に生まれたのに自国の「日本の素晴らしい古典」を読まないのは、残念無念・・だから「本」としては、最初「どんな気持ちで書いたのかな?・・・みたいなのを解説してくれている本」がお薦めの気がします。歌人でもあった有る面「当代一流の文化人が、わざわざ書いた」・・・ですもの「何かを伝えたかったんですよね?」・・・・え~私の三文文のこのブログでも「一応伝えたいな~」って気持ちありま~す・・・言いたいか伝えたいかでは少々違うけど・・・で、時代背景がポイントみたいです。●吉田兼好さんが書いたと言われている40~50才の頃、皇位継承でもめ、後宇多天皇崩御、東宮邦良親王も死亡、後醍醐天皇は元弘の乱に破れ隠岐へ。それからまたまた北条氏を滅ぼして、建武の中興。落ち着くかと思いきや・・足利尊氏さんが出てきて、後醍醐天皇は吉野へ。南北朝と言われる「二つの皇室」の時代です。この間主人公の「吉田兼好」さんは、京都に在住。心は南朝に寄せながらも、政治には無関係にいて、それでも「歌人」としての活動をしていたそうです。屈折した思い?も垣間見られますよね?生きて行く為にはしかたないのかも・・・で「連歌的」な構成だそうですから簡単にご紹介、第十七段 山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。 第十八段 人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の 富めるは稀なり。
2005.12.11
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やはり楽器が好きだと同じ趣味の人と会話が多いですよね・・長い長いバスの中、どこかの「神社?寺?」の神職のかた?らしいです。「ある宗教」で「笙」を儀式で担当なさるんだそうです。「薩摩琵琶」はご存じなかったのですが、「雅楽の琵琶と同じですか?」とのご質問・・・嬉しくて延々おしゃべり・・でした(苦笑)雅楽界の貴公子「東儀さん」のご活躍で以前より、知名度上昇♪神社さんやお寺さんでも「雅楽の演奏」が街でも聞ける機会が増えました。身近なところで聞くのが一番良いですよね・・素人である私達には、どの曲を聴いても「同じ」に聞こえます。とても清少納言さんのように「弾きものは。。。が良い」なんて言えません。この「清少納言さんの枕草子」の記述につき「東儀秀樹さんも、現在プロですらも聞き分けが難しいのに聞き分けていた・・」と本で書いてました雅楽の本はどうしても「専門用語」のオンパレード?音階だって漢字ばかりです(苦笑)こちらの本はエッセイに近く軽く読めます。音で聞く、写真で平安王朝の装束を楽しむ・・・ここから「雅楽」に入るのがやはり身近の気がします。東儀秀樹『雅楽 天・地・空~千年の悠雅』何しろ「雅楽の曲の出だし?」笛でも何でも?みんな似たフレーズですよね??演奏する人途中で「うっかり・」なんてないんでしょうか?・・薩摩琵琶だとありま~す(苦笑)それを誤魔化す?のも「芸のうち」だと「大先輩」のお小言で~す。でも?聞いてる人には分かりませんです・・絶対♪清少納言さんの時代の音楽的環境の良さ?雅楽が溢れてたんですね・・もしくは「耳が良い」♪今は伝統的な物は何にかかわらず「珍しい♪」ですが、どんな感じで「雅楽:舞楽」が貴族の生活に生きていたか・・ご紹介です・・こうゆう「生活史」的な物も「古典文学」は証明してくれるんですね~~「弦楽器:管楽器」は前にご紹介したので、今日は「舞」のところです。薩摩琵琶曲でも、明らかに「雅楽:舞楽の場面」を描いてる・・ありますよね~これ知らないと「戦」みたいに弾いてしまう・・・反省・・。。。。。。。。。。。。。。●「枕草子:205段」・・清少納言作舞は駿河舞・求子いとおかし。 太平楽、太刀などぞうたてあれど、いとおもしろし。 唐土に敵どちなどして舞ひけむなど聞くに。鳥の舞。抜頭は髪振り上げたるまみなどは、うとましけれど、楽もなほいとおもしろし。落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる。狛がた。舞は駿河舞(するがまい)求子(もとめご)がとっても良い。太平楽(たいへいらく)は、太刀が嫌・・でも派手で面白い。唐の国では、敵同士が一緒に舞った舞なのだと聞くと余計に面白い。迦陵頻(かりょうびん)(も良い)抜頭(ばとう)は髪の毛を振り乱して目つきが不気味。でも、楽はとっても面白い。落蹲は二人で膝を踏むようにして舞っている(のがおもしろい)狛龍(も面白い)・・・・・・・・・ ※駿河舞・求子=>「東遊(あずまあそび)」という組曲の舞。京都の葵祭で有名。上品な舞だそうです。東遊は、一歌・二歌・駿河歌・求子歌・大比礼歌の五曲の歌で構成。駿河歌の後半に、4人~6人の舞人が舞う。駿河舞の後、舞人は一度舞台から下がり、袍の右肩を脱いで再び登場。そして求子舞を舞います。※太平楽(たいへいらく)「史記」の故事を舞にしたといわれている。漢の劉邦:楚の項羽のエピソード鉾や太刀を手に持ち舞う。大変に雄壮な舞と言われている。装束がこの舞独特のもの。「甲冑装束」:いわば武装した姿。舞楽の中でも豪華絢爛な装束。※迦陵頻(かりょうびん)童舞。天竺の祇園精舎供養の日に迦陵頻伽という霊鳥が飛来。そのさまを舞にした物といわれている。※抜頭(ばとう)猛獣に父をかみ殺された胡人の子の、敵討ちのさまを舞にしたもの。別の説では、后が嫉妬に狂うさまを模したものともいわれる。楽は軽快な曲。※落蹲(らくそん)二人又は一人で舞うらしい。双龍舞ともいわれる。二匹の龍が舞い戯れるさまを表現しているらしい。※狛龍(こまりょう):原文では駒形廃絶曲との事。五月節会で、天皇の輿の前で演奏されたらしい。。。。。。。。。。。。。。。。。★薩摩琵琶曲「羽衣(はごろも)」に出てきますでしょう?「かりに あづまの駿河舞 霓裳羽衣の一曲も ゆたに吹くなる春風に 誘われ顔の舞姫が 霞に匂ふ花の雨 雪をめぐらす雲の袖 左右さ颯さつと たなびきたなびく 三保の浦 ~~」★お正月のお馴染み曲:「春の調べ」もあります♪「~新玉の年の初の寿や 昔かはらず吹きあぐる 笛と鼓の音迄も 春の調べに聞こえつつ 玉だれゆらぐ風たちて 舞の袂も長閑なり~~~枝もならさぬ御代の春 千秋楽には民をなで 萬歳楽には命を延る楽しみも~」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。●古今著聞集:243段・・・鎌倉時代成立: 橘成季作(清少納言の夫:橘則光の末裔「大宮右府俊家(の)唱歌に 多政方(が)舞を仕る事」「いつれの此の事~」と始まり、「古人申し伝へて侍り」と話は終わっている。大宮の右大臣「藤原俊家」と言う人・・藤原道長の孫に当る・・がまだ殿上人(四位、五位相当)の頃のお話。この方が、ひとり桜を眺めていました。はらはら舞い散る桜の花・・良い心地になり・・「桜人(催馬楽の曲名)」を歌い始めました。朗々と響く声・・そこに声を聞きつけ?やって来ましたのが「多政方(右舞の名人)」です。「地久の破」を舞い始めました。多政方が「破」を舞終りますと・・・「俊家」は「蓑山(同じく催馬楽)」を歌ひ始めました。…またまたそれを聞いた多政方は・・続いて「地久の急」を舞いつづけます。「阿吽の呼吸」でしょうか・・多分「月明かり」の皎々と輝く「夜桜の下」・・楽器は出てきませんが「歌声」の美しさまで想像できる、「平安王朝の雅」を伝える話ですね。・・・やはり「歌」は声が通るからこそ・・・舞楽の名手を引寄せる・・んですよね・・・舞楽曲としては「 地久(舞楽の曲名)」は破と急から成り、破は桜人・急は蓑山に合わせて舞う事が出来る物なんだそうです。私の夢も、「桜の舞散る木の下で、薩摩琵琶弾きたい」な・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。●地元神奈川「湘南」のご紹介NO。2です。いよいよ始まりま~す。行こう行こう「江ノ島」へ・・途中で寄り道しても・・来て下さ~い♪江の島ファンタジー が見れます♪江の島のシンボル「江の島展望灯台」がイルミネーションでライトアップ です♪おまけに夜空に花火がドーン。★ライトアップ:12月10日(土)~12月25日(日)毎日17:00~21:00まで点灯。入場は19:30まで☆花火打ち上げ:12月23日(祝)、24(土)、25(日)18:00~約10分間、境川河口※ミニコンサート:12月10日、23日~25日 16:00~、江の島サムエルコッキング苑☆オリジナルピンバッチプレゼント:12月23日~25日 18時30分~1日限定1,000個、龍恋の鐘入口★江の島岩屋無料開放:12月23日~25日 17:00~19:00※海上自衛隊掃海艇「すがじま」「のとじま」艦内一般公開: 24日(土)~9:00~11:30・13:00~16:00・江の島湘南港ヨットハーバーにて問い合わせ先:片瀬江の島観光案内所 0466(24)4141http://www.kanagawa-kankou.or.jp/source/odekake/tokusyu/tokusyu.htmhttp://www.cityfujisawa.ne.jp/~fkanko/交通:「江の島」:小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅、江ノ電江ノ島駅、湘南モノレール湘南江の島駅下車 江ノ電:義経号江ノ島妖怪伝湘南のみなさ~ん、頑張って下さいね♪御客さまは「かみさま」でございます・・は~い(#^.^#)にこ♪あの~この場合「地元:湘南」で絵の書いてあります「お札」をお使い下さった方に限定ではありますが・・・でも「DVD]でも良いで~す。少し珍しくて、凄い楽しい湘南地方を紹介している「DVD」のご紹介♪●「新湘南伝説:天女と龍とぼたもち」 問い合せ先:株式会社デイリーワーク:神戸伸郎 TEL/FAX 03-3409-0808 メール:kanbe@dailywork.co.jp株式会社デイリーワークさん:自主企画にあります
2005.12.08
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子供の悲しい事件が続き、暗い気持ちになると同時に怒りを感じます。早く解決されることを祈ります。年末の忙しさの中でも、回りで気をつけてあげるしかないんでしょうか・・・日本も安全とは言えない?・・・でもスポーツ関係は楽しいですね♪今日は寒くなりそうです・・日本海側は雪でしょうか昨日の「薩摩琵琶曲:桶狭間」です。いつ頃の作詞かはわかりませんが、昭和2年の琵琶全集には収録されております●日本音曲全集第5巻「琵琶全集」昭和2年発行より「桶狭間(おけはざま): 中村秋郊作詞」轟くいかづち 篠つく雨 あやめも分かぬ闇の夜を 神のたすけと岨(そば)づたい轡(くつわ)を包み草摺(くさずり)巻て 攻め入る必死の三千騎沓掛大高笠寺の野にも山にも充ち満ちたる 四万五千の駿河の軍勢明日は清洲を攻落し決河破竹(けつかはちく)の勢にて 尾張の国を定めんと 心奢りの酒のうたげ松の嵐は琴のしらべ 鳴神(なるかみ)の音は鼓の響き 世に心地よき夕べやと佩きたる太刀の緒うちときて 歌ひつ舞ひつ興(きょう)も夜も いと酣(たけなは)なる折りしもあれや四面(しめん)に起こるときの声 素破(すは)夜討ぞと云わせもあへず雨より繁き寄せての鎗先(やりさき) 嵐をしまく敵の太刀風 天たちまち覆り 地みるみる裂け閃く電光のひまに二千余人の玉の緒は 草葉の露と消えにけり ああ定めなき人の世や 頼まれぬ人の身や さもいかめしく轟きし名をただ夜半(よは)のはたた神夢の名残の松風も昔の跡やたづぬらん 五月雨(さみだれ)寒き桶狭間・・・・・・・注:あやめもわかぬ・・・物の模様もわからない・暗い事岨伝い・・険しい崖道を伝いながら行く轡~草摺巻て・・・音がしないように「馬の轡を包み」「鎧の裳を巻く」をした嵐をしまく・・・嵐のように「押し巻くる」・・凄い勢いで攻めるさまはたた神・・・烈しいかみなり。。。。。。。。。。作譜(作曲)は事実上、岩崎玄龍先生だと思いますが?・・随所に独特の節があり、岩崎玄龍先生らしく?凝っておられます。この原作に詩吟を入れておられました。又少しずつ?意味がわかり易いように、読み方や、言葉を変えてらしたようです。詩吟はすみません、原文資料ありませんでした。★「琵琶全集」は筑前:薩摩両方の琵琶歌が収録。漢字のフリガナがあり、簡単ですが語句の解説、曲の解説があり、若い人には重宝かも知れません。発行部数が大変多かったらしく古書としては、比較的入手し易いです。現在フリマに2冊出てます。「琵琶全集」で検索して下さい桶狭間の解説でのラストの部分ご紹介:★「~~この歌小篇ながら、崩れ物としての要を掴み、短時間の弾奏に適する。」・・・普通は、長い曲を短時間の物にするんですが・・反対に短いのを長くなさいましたものね~~「崩れ」の見せ場を確保して曲にする・・これが大変なんですが・・・岩崎先生のこの発想良いですね!・・・頂きましょうね♪・・入れる「詩吟」は好きな物、お得意の物を入れて、時間調整♪・・・・良いアイデアを岩崎先生ありがとうございました♪。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。●「源博雅」さんの逸話はたくさんありますが、今日は鎌倉時代成立の「古今著聞集」をご紹介・・どちらか言えば「話の内容は有名」で、この本そのものは?知らない?・と言う感じ??しょうがないですよね・・平安時代の他の物から?題材を取った感じしますもの面白いのが作者・・・清少納言さんの旦那様の「橘則光の末裔」さんなんです。いや~~家系ってあるんですね~~伝統ですね~~「橘成季」さん。やはり「琵琶:和歌:管弦:絵画」がお得意で其れで書いた・・らしいです。王朝を賛美した、懐古的な物といわれています。古今著聞集(上)古今著聞集(下)「二十巻三十編:726話の説話集。成立は建長6年(1254年)」 ★●源博雅さんが生まれた時から「神秘的?」だったらしいと言うのは、映画等でお馴染み・・この「博雅誕生の話は、244段」です。「博雅卿は~」から始まり、「源博雅三位が生誕の時、東山に住む 聖心上人が天から 素晴らしい音色?微妙の音楽が聞こえてきました。不思議に思い外に出ます。音楽に惹かれ導かれ着いたところが?博雅が誕生した所でした。」と言う説話です。原文に「~~天上に音楽ある事並びに信義双調の君と呼ばれたる事」・・難しいですね??雅楽の曲の名前?調律の調子?想像ですが、後年「雅楽の天才」の源博雅さんですから、芸の継承者や弟子や敬愛する人が、様々な伝説を博雅に結びつけたのでしょうか?伝説ですね~「聖徳太子様」の誕生を思わせます。マンガ的ですが、源博雅は、・阿部清明と同じ能力を持っていた???・・ ●★「源博雅さんと篳篥(ひちりき)」429段「盗人・博雅の三位篳篥を聴きて改心の事」これが「ひちりき」ですある日盗人が博雅の家に侵入!その時博雅さん、凄いと言うか、お公家さんらしいと言うか?「板敷の下に隠れる」無事。盗人さんは悠々とお仕事。どろぼうさんが、お帰りの後、な~んにも残ってません。ただ一つ「篳篥(ひちりき)」がありました。多分どろぼうさん、何だか分からない?その後の博雅さんの行動!・・・私これを読むと「笑いこけま~す」・・・どろぼう=>騒ぐ==>泣くか?怒るか?わめくか?==>又は怖くて?家から逃げどこか友人・知人の所へ駆け込む・・・ですよね??でも、博雅さん、「一つ残された篳篥を吹き始め」ました。それで、この話の伏線なんですが、この知識がないと「この話もなんて事ありませんが・・」★雅楽の楽器の中で「篳篥(ひちりき)の演奏は難しく」「音色そのものも音程も非常に不安定」な物だそうです。・・で、「余程熟練者でないと、他人の耳に心地よいものには聞えない。」やっかいな楽器なんだそうです。また、楽器を弾ける事が貴族の重要な教養ですが、「篳篥が非常に難しい楽器」の為、非常な修行修練を要する篳篥は扱いかねる物・・それで「専門家が吹く楽器」とされ、「地下人の扱う楽器(貴族ではない、専門家)」という考えだったそうです。その、普通の貴族が吹けない「篳篥の音」・・遠くまで美しい音色で響きました。その篳篥の音を耳にした盗人は、この博雅の音に感じ入り改心して盗んだ品々を博雅に返しに戻りました・・とさ。・・・・・・・・・・・・・・音の文化誌増補現代は音の洪水・・昔の人は?そんなこと考えさせてくれる本です。。。。。。。。。。。。。。。楽器の特徴もさることながら、こうゆう感じの「周囲が大変な状況なのに??音楽」・・・これ、琵琶の世界でも良くありまして(笑い)、楽器が心を落ち着かせ、自分を取り戻す「お友達」「心のよすが」・・・好きではない人に理解は難しいかも・・・私の周囲は多いです。(笑い)親戚「お三味線」♪一人暮らしでしたが、それが危険になり、高級老人施設へお引越し。で、荷物運び部屋中「荷物」が散乱・・御当人「三味線出して・・」と「べっトの上に腰掛け」「ベン♪ベンベン♪」・・・姉の怒ること怒る事・・・両者見て?私「ゲラゲラ」笑い・・姉又怒る・・伯母「又ベンベン素知らぬ顔」・・・だって、御当人(80代)やれること三味線しかないじゃないですかね~~ もう、一つお笑い?ある琵琶の会の裏舞台。琵琶の練習に余年のない「若手」・・・そこに「顔はきかすが、琵琶はダメ?のかた」登場。演奏の後の「お料理に情熱燃やす??当日は演奏せず?」・・「開口一番」「五月蠅い、うるさい、琵琶なんかやって」・・招かれた某友人、これ聞き「びっくり」「琵琶弾くグループ???」帰るなり即電話・・・「その人、琵琶嫌いなんだね~だから上達しないんでしょうね~」お料理で頭一杯?で、楽器好きな人の心理とは少々異なるのかも。このグループ上手くゆくのかな~??・・違う意味で少々心配してしまいましたが、琵琶弾くほうがこの場合は「普通」なんでよね??・・あの~「琵琶の愛好会」ですから・・・難しいですね~~ご家庭ではいかがですか???★お話を博雅に戻しますと、上流貴族なのに、「琵琶、横笛、大篳篥之上手」(「懐竹抄」)・・・この表記のうち、「大篳篥の上手」が凄い変わりもの?的で、特異な音楽家であった事の証明になるんですね。だから「琵琶」が「おちゃのこさいさい」軽々と?こなせた、のはもう簡単に想像できるんですね~。凄い人です。追伸:4日、5日と関西に行きますので、お休みさせて頂きます。友人のお墓参りです。鵯越えにあるんですよ・・・お墓参りしながらいつも「あ~のむこやま、ゆずるはがたけより ふきおろすあらしに・・・」と大きな声で山道を登り、お参りです。寒いそうです。帰りは「四天王寺さん」「清荒神さん」に寄る予定です。・
2005.12.03
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琵琶:琵琶法師さんに関する事調べてると、面白いな~不思議だな~と思います。読んで直ぐに「凄~い専門的!」「ええ~??」?なんて驚いたり・・・本もホームぺージも楽しいです。琵琶に関して間違いの多くは「雅楽としての琵琶」と「平家物語を語る琵琶」が同じだと思われてるんですね?・・特に「蝉丸」さんです。確かに「蝉丸さんは盲目」ですが、こちらは正真正銘の「雅楽」なんですよね、曲名で判断できますしね~・・・・同じ盲目でも「生仏さん」は雅楽じゃありません・・・でもま~平曲の勉強では「楽器の構造は同じで、駒の位置」が違うだけですから、時代がくだれば、平家琵琶(平曲)も時の政権や幕府の保護受けてますから、偉い人:貴族:富裕な商人でもなさったかもしれませんし・・・分かりませんが・・・★ですから「琵琶法師」と言われると、蝉丸さんがとても「微妙」な所におられます。・・・蝉丸さん以後は「平家物語を語る、盲目の琵琶法師」さんのようですが。一説には「平曲等を語る集団が、自分達の出所を高めるため?箔を付ける為?」に「蝉丸さん」を根拠にしたのではないか・・・だそうです。又蝉丸が住んで居た「逢坂」という土地にそう言う芸能者が既に住んでいたんだそうです。「目が見えないとか障害を持たれた方」は、残念ながらこの時代やはり「異端視」されていて、住む場所も限られた名残でしょうか?歴史的なこの事情から「お能」中に少々の変わった感じの演目があるんですね~~「バリアフリー」じゃなかったんですよね・マンガ能百番・・・そう言う時代考えますと「盲目の人達の琵琶法師集団」・・・一面「救い」の感じがいたします。●芸能としての発祥が似ているのが越後(新潟)に多く存在した、「盲目の女性の方達の集団」の「瞽女(ごぜ)」さんです。私の母方の祖母の実家は「新潟県:柏崎」ですから、馴染みがあるみたいです。★☆瞽女とは、三味線を携えて、農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人さん。「ゴゼサン・ゴゼサ」とお呼びします。一年中旅の生活です。「瞽女宿」と呼ぶ家に宿泊。団体内で厳しい掟があり、違反した者が「離れ瞽女」・・宿泊地のその近辺の家々を「門付け」して「段物や口説(物語の一部と言う事でしょうか?)・民謡」等を演奏し、米やご祝儀を収入とします。(参考:新潟県県民百科事典より)新潟県内では「高田瞽女」「長岡瞽女」の2つが大きな組織。柏崎近辺では「刈羽瞽女」がありました。小林ハル最後の瞽女さんです(人間国宝)いかがですか?「琵琶法師」と似てますよね?・・★詳細は専門家の研究にゆだねるべき「大変な研究」でしょうから、簡単に言うのも凄い乱暴なんですが・・各地に残る「遊芸」を生業とした集団ですから・・もとをたどれば方丈記の時代の「平家物語」の「盲目の琵琶法師」さんと似てますよね・・・「門つけ」「ボサマ(坊様)・・こちらは盲目の男性です」がありました。●追伸:あの素晴らしい津軽三味線の名手「高橋竹山」先生も「ボサマ」でいらっしゃいました。高橋竹山(初代) 高橋竹山・名演集~魂が哭き響く~【KIBM-5002】=>18%OFF!高橋竹山(初代) ...本です。「光は東方より」ラフカデイオハーン著●平曲に焦点合わせた「盲目の琵琶法師さんの集団:当道座」鎌倉の始め頃?に整い、「平曲が現在に近い形へ」となったらしい?室町時代、お公家さんの保護のもとで「当道座」の制度が整えられました。★室町時代の初期「明石覚一」先生(平曲の演奏家)が、仲間を組織。「当道座」を創設。眼の不自由な人はこれに所属。幕府よりの保護です。検校(けんぎょう)・別当(べっとう)・匂当(こうとう)・座頭(ざとう)の四官です。「職屋敷」もあり「平曲を表芸とする盲人集団」が統括されていました。 今思えば凄い組織力です。大先輩の御尽力の賜です!政治家にもなれそうなくらいの実力者♪想像ですが・・平氏は朝敵でも、なんといっても「安徳天皇」さまのお話です。供養すべきお方ですもの・・ゆかりの方々だってご存命・・それに平家が亡んだのを聞けば、気持ち収まる人もいる?はたまた「負けた人々」を可哀想に思う民衆の心?・・・・★江戸期に入り「平曲」は将軍家の保護も受け、寺社奉行の管轄です。階級が細かく18に分かれていたそうです。たしか、江ノ島の神社に塚がありましたが、「鍼」を発明された「杉山和一検校」という方は、将軍綱吉の病気を鍼術で治療したのだそうです。この功績により「宅地や禄を与えられ、関東惣録検校」になりました。・・・・つまり、凄く栄えたわけです。勿論平曲の名手続々誕生・・やがて平曲は全国的に・・でも、江戸の文化が華やかですから、音楽の当然の流行として、「平曲を捨てて、三弦や箏曲」に向かう「盲人」の演奏家が増えました。・・・そりゃそうだ「賑やか:華やか:華麗:お酒に合う」・・・平曲は「お酒」の席では、「酒盛り中:饗宴中の演奏は禁じられ」、「飲み食いが始まる前しか、演奏してはいけない」と決められていたんだそうです・・・・御客さまにしてみれば「不便」・・・★平曲の衰退です。この時、前田流と秦野二流の平曲を伝承した「荻野検校知一」先生が登場です。「平曲中興の祖」と呼ばれています。この方の功績としては「平家正節」の編纂です。専門的な事は「平家琵琶」のHPでご覧いただきたいと思いますが・・簡単に言えば「習う人の為の事を考えた、平家物語の教本の整備」の感じがいたしました。「口伝」であっても、教本を整備する。凄い功績ですよね♪・・・薩摩琵琶もそうあって欲しいな~・・それが「平家琵琶の勉強」の最大の感想でしたが・・勿論「尾張家の庇護の元の大事業」でした。 で、注目すべきはこの盲目の法師さんが職としたのは「琵琶・三弦・箏(そう)・鍼灸(しんきゅう)・金貸し」等の職業なんですね・・考えてみると凄い多才ですよね~・・・何を習い生きてゆくか・・・親御さん、本人、真剣な人生の勝負・・なんだか意気込みが現在と違う?名手が出るはずです?反省・・・★もう一つ特殊?なのが「津軽藩」・・薩摩琵琶の薩摩藩みたいだな~なんて思いましたが・・・幕府の「当道座」の支部みたいなのがあったそうです。城下町・弘前には座頭町がありました。「士・農・工・商」の身分に属する、目の不自由な男の子が対象。14・15歳で「座頭に弟子入り」です。それで、津軽藩の武士にも「平曲」が伝わったわけです。藩の強制なのか?自主的なのか?そこまでは分かりませんが、制度があれば親も本人も利用しますから・・・平曲・琴・三味線・按摩・鍼・灸などの医療などが公認だそうです。そして時代が流れ、盲目の琵琶法師さんの流れと、津軽藩の方の流れが・・残った。そんな感じです。薩摩藩が保護した「薩摩琵琶」より、「庶民の生活」に根ざした政策?だと・・・何となく「津軽藩」に好感を持ってしまいました。★勿論、薩摩琵琶も「町風」「武士風」と2つありましたが・・・「生活してゆけるように」・・なんて感じではないですものね、あくまで、「精神」~~テレビの「一弦の琴」と同じでした・・食べて行く事は大切なのにね~~武士道は不便ですね・・・(主婦でした♪)とは言え、九州の北部では、盲僧琵琶(荒神琵琶)がありました。でも応仁の乱の後、権力者の保護はありません。その後「座頭琵琶」「滑稽琵琶」が出てきました。・・・この当りは「筑前琵琶の発祥」と密接です。そちらのサイトご覧下さい。九州が特殊だったんでしょうか?・・・同じかな~~でも、保護しないは片手落ちですよね~~~武士が威張り過ぎの藩だったのかな~~??・・・でも~~成り行きを追いますと・・九州の盲目の琵琶法師さん達の生活苦:芸道の質の低下・改良の動き・筑前琵琶の誕生・・・歴史は「必然」?この世に起きることは「曼荼羅」?・・・なんでしょうかね・・・なんとなく「仏教的な気持ち」であります・・・、★本来は、「当道座」に属する琵琶法師さんたちは、「門付け」は行いません。寺社奉行への届け出て、興行です。明治の「廃藩置県」後、保護がなくなり、琵琶法師さんも「門付け」するようになってしまいました。・・・●薩摩琵琶に「門琵琶(かどびわ)」というのが伝承されています。特に関東の錦心流系では、伝承されていない会もありますが。あるHPで「薩摩琵琶女流?琵琶演奏」を、お聞きの方?が、「門琵琶ができないのでは、薩摩琵琶できるとは言えない」・・と批判?されてましたが・・・関東の錦心流系の演奏家だと直ぐわかっちゃいますよね~・・もし「師匠」に教えていただけるなら「習う」事お薦めします。地方の方は普通にお弾きになりますもの・・薩摩琵琶の古い形の「器楽曲」です。でも、長野では「歌」も入って演奏でしたが・・・名前の通り、「門つけ」のイメージありますでしょう?九州の村々の家の門に立ち、「チャチャン・チャン~」と直ぐ「覚えられるメロデー」で琵琶を弾きますでも、どうして、薩摩藩の武士道奨励的な「薩摩琵琶」に、この形の庶民的?宗教的?な感じの物が伝承なのか??考えると不思議です・・★このあたり正直言いまして、何も説明なしでしたし、資料は譜面しかなし!理由分かりません。秘曲と言う表示もありましが・・多分「薩摩琵琶正派」の名残では?ご存じのかたおられたら教えて頂けたら嬉しいです。あの~私だって?知らない事分からない事は、沢山沢山ありま~す私の元の師匠は伝承なし。親は忘れてしまった?そうで、長野県の今は亡き「とやどうすい」先生が送って下さったテープで独習でした。・・「門琵琶の譜面」と「演奏録音」があれば「独習も可能な単純な旋律」です。 でも綺麗な音出すには、難しいですよね?へたすると?腹板の音ばかりです・・・「とやどうすい」先生がお元気な時お電話で、指が移る「切り替わる」、その時の指がポイントとご指摘下さいました。間だに挟む「歌」は、「君が代」ともう一つある・・・との事でした。
2005.11.29
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昨日の「平経正の竹生島詣」の追加で~す・・琵琶の名器の話から、いつのまにかなっちゃいましたが・・不十分で申し訳ないです・・・・有名ですから当然でしたね・・「平家物語」今年の大河ドラマ「義経」や学校の教科書で一応みなさんご存じ。経正の話が出てます★一応?作者不明です。最も古い資料で、最有力なのが、鴨長明の「徒然草:第226段」に記述です。この「記述」を完全に信じれば?・・「信濃前司:行長」が平家物語を作り「生仏(しゃうぶつ)」という盲目の者に語らせた・・・になりますが、資料が少なく、「行長」という人物もはっきりしないようです。今後の研究待ちでしょうか★成立年代もはっきりしてないようです。1190年~1219年頃この30年間の間では?と、こんな感じです。でも、一度「原形」ができると、「琵琶法師」の琵琶の伴奏と語りで、広がり「発展:拡大」し、「整えられ:洗練され:格調高い物」へ・・・これは想像できますものね!現在沢山の「異本」が発見されています。でもどの「異本」でも共通する「巻の書き出し」があり、推論では、この「元になる巻」から発展したのではないか?・・だそうです「巻一・巻六・巻九」です。又平家物語の特殊性になりますが、「全体の巻数が異なる」だけでなく、「本文そのものも、異本により」「まちまち」です。これも「琵琶法師による語り物」ですから、自由自在に語られた・・と言う事になりますよね。この当りも、芸道として、初期の頃、最盛期の「薩摩琵琶」が自由な感じ・・と似てますね~平家物語を語りながら琵琶を弾く・・これを「平曲」と言います。学者さんの表現ですと、「琵琶にあわせ平家物語を語る」ですが、「語る」が主なので・・・でも、「弾く琵琶の手の音階」に「語りの節」は合いますから「琵琶にあわせ~」も正しいですね・・・フムフム・・いやいや日本語は難しい~ンン~~●平家物語の諸本の御紹介・・いろいろある・・平曲に限らず?これは「琵琶」をやる人には「耳にタコ」でしょうか?でも、それを前提にしないとですね~・・おのおのがた御注意めされよ・・・なんですね~~本当は「習う方としては、まいっちゃうなかも~~」ですが・・でも柔軟発想が「芸」の原点では?とこの頃やっと「思い」ました・・・・酷い出来の芸にお金払うと?ムチャクチャ腹立ちますが・・「有望:プロです」、なんて書いてあると?その「会:流派」をもう信じられませんが・・・・まあ~本当にいろいろ・・・この平家物語も「学問」として研究すると「やっかい」な物なんだそうです。「本」となっててこんなに有名なのに、いろいろ有りすぎて??「群」と読んだ方ピッタリ!・・・ですから、次ぎのも「参考」だとお思いの方が正しいと思います。何十年後は「ガラリ」と変わる?研究してみません?★平曲は、「一方流」「八坂流」の二つの大きな流派が出来、そこから沢山の流派が出来ました。だから「いろいろ」なんです。これを「知識?とっかかり?」に、どうぞ「平家琵琶」の他のホームページご覧いただければ幸いです。★一方流系統 一方本・・こちらが「流布本・・・最もひろまったんだそうです」一方流の琵琶法師の教本。 覚一本・・覚一検校(琵琶法師)の語った本文 長門本・・山口県(長門の国)の阿弥陀寺所蔵本 源平盛衰記・・諸本の集大成的な本で、48巻。★八坂流系統 八坂本・・八坂流の琵琶法師の教本 屋代本・・平家物語の最も古い形では?・・だそうです 延慶本・・一方・八坂と別れた頃(延慶年間1308~1310年)に書き写された本・・・・・・・・・・・・・・・・・・●平経正の竹生島詣で、都落ち平経正、清盛の甥っ子です。平家物語の一番の美少年「敦盛」のお兄さんです。「木曾義仲」が挙兵した時に、平家は出陣します。平経正も従いますが、途中家臣数人とともに、竹生島に戦勝祈願に向います。神社に詣でると、そこの神主が琵琶の名手経正が来ている事を知り、琵琶を弾いてくれるようにと頼まれます。経正が琵琶を弾き始めると、その美しい音色に誘われ、白龍が現れ(狐という話もありますが・・)ます。龍神が現れるという吉事・・誰もが勝利は間違いないと思い、気持ちよく竹生島から帰って行きます。・・・・これが「竹生島詣」です。物語は「吉事」があったにもかかわらず・・というか当然の歴史の流れと言いましょうか・・「平家は倶利伽羅谷の戦いで大敗」です。そして「平家一門の都落ち」へと流れて行きます。・・・戦勝祈願は「適わず」でも「吉事」ですから、これは「平経正」さんの琵琶演奏への神々の「賞賛」でしょうか?平家は滅びの運命、でも琵琶を愛する人は「別格」?いろいろ想像でき、イメージが湧き、・・・演奏家の腕のみせどころ・・・薩摩琵琶鶴田流さん「塩高さん」の気持ちわかるな~~塩高さんのアルバム「経正」そして、あの有名な「青山」という琵琶の話になります。平家は都落ちを決定し、経正も一門と共に都を落ちます。・・・が、途中「経正」は、御室仁和寺の御所に向いました。仁和寺御所には守覚法親王がおられます。経正は最後の別れを告げに戻ったのです。この時に、経正は琵琶「青山」を親王に預かって貰います。・・・というより「青山という琵琶は朝廷の御物」です。戦火でこれほどの名器が失われるのを避ける為です。日本に伝わるはず?の「三つの琵琶」(御物)のうち、「獅子丸」は、中国からの帰路に嵐にあい、それを鎮めるために海神に献げ没します。あとに「玄象と青山」が残ります。・・・凄い名器です♪琵琶の名手「経正」が音楽家として、いかに大切に思い、わざわざ、戻ったか・・想像できますよね・・・経正は、「一の谷の戦い」で討ち死です。経正の弟達もこの一の谷で戦死です。 筑前琵琶:「経正都落ち」収録です:上原まり/平家物語「春の夜の夢」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。☆平家には、和歌や管弦に長けた貴公子が多いですが、「平経正」は琵琶人には、とても好まれるようです。琵琶を大切にする、愛する・・・「琵琶を生きている物の如く扱う」そんな感じも濃厚で、共感を呼ぶような気がします。勿論「琵琶の名手」と、いうところは「憧れ」でしょうか・・・平家物語絵巻(巻第7):経正さんが出てます。絵巻ものです愛した「琵琶:青山」が残ってますから、「余情」みたいな物もあり、死後の話としてのお能「経正」が生まれたのかもしれませんね。☆お能では、平経正が亡くなった事を聞いた「仁和寺」で、名器琵琶「青山」を仏前に手向け、管弦で供養します。今で言う「音楽葬」です。深夜経正の亡霊が現れ、これを喜び「名器:青山」を取り琵琶を弾きます・・・という筋です。このお能で面白いのが、「扇」を琵琶に見立てて、「琵琶を弾く」事です。珍しいんだそうです。☆地元神奈川の宣伝になりますが、「鎌倉能舞台」という、団体があります。お能、狂言を市民に分かりやすく見せる活動を、数十年なさっておられます。そのホームページがあります。平成17年の公演活動の10/26で、「経正」の映像が見れます。薩摩琵琶もそうですが、お能や狂言も、なかなか「見れ」ません・・・どうぞ「覗いてみて」下さいませ・・・「言いたい放題」とかも「面白い」ですよ・・・「伝承」についての「記述」が「なるほど」でした・・・プロの方です。野村萬斎さんが時々出演なさるので、お気に入りです。リンクは許可制ですので、リンクはしておりませんが、・・でもま~覗いて見て下さいませ。http://www.nohbutai.com/index.htm。。。。平家物語そのものの説明が長くなり、「原文」のせず・・すみません。「琵琶法師」さんの団体のこといつか触れてみますね・・・
2005.11.28
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●古典文学と一口に言っても、とても範囲が広いんですが、音楽が出て来ると、当然「名器」と言われる楽器もずら~と出てきます。それを整理して紹介して下さってる「サイト」があります。本当に良く整理なさった・・と驚きました。雅楽関係のサイトちなみに、皆さん良くご存じの、(博雅さんや阿部晴明さんで)の琵琶「玄上:玄象」は別のもの、いや同じ物・・・の2「説」があります。・・??みたい・・現在実存しないので、永久に「闇」の中かもですね~~・・なぜ?と考えると「想像」はできるんですよね~?・時の天皇さまの前で、名器の琵琶で「腕比べ」なんてありましたし、「芸道」の場合「誰からその芸を継承したか・・」という事は結構、大切?関係者は気にする?・・・「本物」「いや亜流」・・本当は「ご先祖様の腕の良さより、当の御本人の腕」なんですが・・「破門されたり、兄弟間で争ったり、お弟子さんが独立して、そちらの方が才能あったり」・・・で、劣勢になった?方は「巻き返し」?をはかり「やあやあ!我こそ眞の家元なり!」そうすると・・??「いやいや、こちらこそ、正当な後継者なり♪」と「歴史書?」を作り証明?しちゃいます。今も昔も変わらない???・・★皇室関係 琵琶 「玄上 村上天皇」「 玄象 仁明天皇」だそうです。 「 牧馬 延喜帝」「 青山 仁明天皇」「 元興寺 後冷泉院・後朱雀院」 「 孝道 後鳥羽院 」「 大鳥 順徳院」「 千金 鳥羽法皇」「 玄爲 後深草院」 ★お寺神社関係「 仙童 竹生島・興福寺」★武将関係「 虎 佐藤忠信」「 朝千鳥 蜂須賀家 - 東京国立博物館」 ★博物館:美術館に存在するもの・東京国立博物館 「大虎」「 尾花 山高信離 神田重助」 「小獅子 近衛家 」「小虎」 「朝千鳥 蜂須賀家」・徳川美術館 「影向」「郭公 」「禹門」「 松虫」「 小虎」 ・島根県立博物館「小白菊」「箕面」「朝陽」「小嵐」「 美女」「筑夫島」「花園」「文殊丸」「 嘉吉丸」「 千歳丸」「 雲鶴 」「 鶴吟」「 雲上」「 嘯月」「 武蔵野」「 白神」「 野路」「小車」「 満月」「花月」「 白菊」・彦根井伊美術館 「 望月」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★ちなみに私は「ラスト」の「望月」が大好きです。薩摩琵琶演奏家の「望月先生(伊集院流)」にも関係してる私の好み?と苦笑ですが、本当に「気品のある」琵琶さんです。名器の絶対的条件は、音色が「遠音が刺す」事です・・・遠い所まで、音が届く・・でも、姿形の美しさも「幾分ありますよね?」どうぞ「ご覧下さい」===>彦根井伊美術館●チャント、細かく調べれば又違ってくるかもしれませんが、琵琶湖の「竹生島の仙童」という琵琶にまつわるお話も面白いです。お話も「美少年に翻弄された、修行僧の苦しみ。年齢・正体の良く分からない?でも、人間ではない・・管弦の道に長けた美少年と琵琶」・・夢枕さんのネタみたいな不思議な話です。今訳してるんですが・・・難しい~~・・・正体はもしかしたら?竹生島の弁天様??なんて勝手に想像です。弁天様なら「恋」してはいけません!どんなに「美しくても」神様ですから、束縛は出来ません!・・なんて感じです・・理解できたら書いてみますね・・●追伸:直ぐ書けとの事!ジャン・・簡単ですがご紹介琵琶湖の竹生島は日本三弁天様の一つ「弁財天堂」があります。竹生島には、「仙童」という琵琶があるそうです。この琵琶にまつわるお話「伝説」です昔むかし奈良の興福寺の学僧「松室仲算」という人がある日「美しい少年」と出会いました。大変に親しくなったのですが、三年後の8月15日の夜、少年は姿を消します。僧は「少年の美しさ?」に魅せられていたのでしょうか?大変に悲しがります。~~その思いは変わらないのですが~~ある時又少年が現れます・・「私は毎年、竹生島で五百人の仙人達と管弦の宴を催します。・・が、今年は琵琶をひく番なので、琵琶を借りたいのです」????約束の日がきます。美少年は紫の雲に乗って降りてきます。琵琶を受け取り、借りて行きます。三日後、返して貰うため、僧の仲算が湖上に舟を浮かべて待っています。・・と琵琶の音が、どこからともなく聞こえてきます。その琵琶の音が止むと??いつのまにか「舟の上に琵琶が」・・戻っていました。それで、この時からこの琵琶は「仙童」と名づけられ大切にされた・・・んだそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人間でない人・・管弦の神様の「弁財天様」の御前での「琵琶」です。音色も姿も「それなり」の物でなければなりません・・・納得で~す★本当は「湖」・・凄~い湿気です。琵琶が「鳴り響く」のは難しいですよね?・・・それでも、湖上で鳴り響き、聞き惚れ、琵琶が戻されたのも気がつかない・・・やはり「天上の♪」・・凄いですね~~薩摩琵琶のプロ奏者の方は「舟の中の演奏」の時、「絹の琵琶絃」ではなく「テトロン絃」を使用して、演奏に備えるんだそうです。おまけに「揺れる」大変であります。★追伸の追伸「源平盛衰記」に出てきます。「仙童」という「琵琶のいわれ」や、平家の琵琶の名手「平経正」の竹生島詣です。巻第二十八・・・・・・・・・・・~~仙童の琵琶取出なんと宣へば、いと安き事也とて、僧琵琶を懐て但馬守の前に閣く。経正 掻寄給て、楽二つ三つ弾じて後に、上玄石上と云秘曲を弾じ給ふ~~~経正は琵琶を閣て、神明の化現と忝く思給ければ、諸願成就疑なし 和光利物の夏衣 思立けるうれしさよ・・・・・・・・・・・抑仙童の琵琶と云は 昔興福寺の興静僧都の弟子に 松室の仲算とて学生ありき。~~~~或時一人の児童来て同宿せんと望む ~~
2005.11.27
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寒~いです。小鳥達の声が賑やかです・・庭の「紫式部」完全に無くなりました・・(苦笑)・・赤い実のなる季節。ネットを掛ける家もあります。でも、食べ物は「共有」ですから、お正月用に少し保護してるだけです。「源氏物語や方丈記やらで、琵琶(雅楽の琵琶:楽琵琶)が男性:女性の両方に「弾き演奏される楽器」であった・・という事はもう、ご理解頂けましたよね?・・で、「男女双方が琵琶を弾く」場面の出てくるお話のご紹介」!「花桜折る少将」:堤中納言物語です。特別に「面白い」という話ではないんですが、主人公の「少将が琵琶を弾く様子」の描写が「なるほど」・・と言う感じなんです。「堤中納言物語」ユニークな短編集です。平安後期から鎌倉時代に作られた・・らしいです。10個のお話がありますが、成立年代は「ばらばら」・・というのが定説みたいです。だから作者も「ばらばら」・・文体?が違うみたいです。学者により「南北朝時代」という説もあるそうです。成立年代:作者が、はっきりしているのが「逢坂越えぬ権中納言」で、「小式部」という女房が作者。「虫めずる姫君」「はいずみ」の平安時代?の変わった?女性像が出てくるお話の方が「笑えそう」?・・「虫めずる姫君」なんて、やはり「夢枕さん」のネタみたいです。物語史の解析学貴族の世界を描きながら、平安朝の「みやびさ」「あわれさ」だけではなく「おかしさ」「意外性:一種の猟奇性」が出てきます。この頃は「通い婚」でした。男性が「女性の家」に通います。一夫多妻制ですから、自然と足の遠のく?「婚姻解消」もありましたし、源氏の君のように「お金」があれば?男性は自邸に「女性を迎えたり」・・そんな「時代」を背景に「ある男性が、宮廷に上がる予定(入内)の姫君を横取りしようとして・・・違う人を連れてきてしまった」と言うメチャクチャな失敗談相手の姫君の「正体:身分:家柄を知る?「手がかり」が「琵琶」・・・こんなところが、「単なる教養とか、趣味とか」とかたづけられない程に、貴族にとり、「管弦の道」が重要であり、自己主張?自己の存在?をアピール・・・してたんだな~なんて感心♪です。昔昔だったら?私も少しは「アピール」できたのにな~~~●「花桜折る少将」:堤中納言物語ある日、主人公の少将は、ある女性の家にお泊まりです。月の明るさで目がさめます。夜明けと勘違い。起きて女性の家を出ました。途中で気づきますが、「~~あの女にも飽きてしまった」ので、そのまま家に向います。月明かりで、桜が綺麗な夜です。桜に惹かれ、とある家の近くへ・・そこは「この家に、以前、情を通じた女がいたが・・」でも、もう居ません。又家来がこの家に出入りしていたのも思い出します。 少将は、いたずら心でしょうか?透垣のススキの陰に隠れ、のぞき見です。・・・昔「美人」が居ると噂を聞きつけると・・・こんな感じで、「のぞき見」です。だから、気の利いた女房が居れば「女主人の姫君に、良い夫を探すため」いろいろ努力です。通常では、姫君自身ではなにも出来ませんから・・・反対に悪い人から「姫君を守る為にも注意」です。顔や姿を簡単に「のぞき見」させない、近づけない・・・んですね・・・この物語では、残念見られてしまいます。みんな揃ってどこかにお参りに行くらしい様子です。その様子をみながら「階段を下りるのもつらそうな女性」を発見!・・このつらそう=身分の高い人・・姫君は当然「正装」です。・・なんだそうです???元気な「ギャル」は身分が低い??対象外・・・・・で、少将は「これが女主人だろう」と思います。そうしましたら・・・よ~く見ると、着物を肩脱ぎしている様子が「小柄で、たいそう子供っぽい、話し方も可愛らしく、気品がありそう」・・・でお気に入りです。少将は次ぎなる恋人を探してた?「うれしいものを見たなぁ」と大満足です。ようやく夜が明けたので帰ります。少将は、夕べ見た姫君の正体を知りたいと思っています。 少将は、夕方父の邸宅を訪れます。桜がはらはらと舞う夕暮れ、御簾を巻き上げ、それを眺めます。少将の容貌も、桜の花をしのぐほど美しい。・・・とまるで「源氏の君」のような感じですが・・琵琶を弾いている手つきも素晴らしい。管弦の遊びです。音楽に優れた人を集め、合奏です。少将の琵琶も素晴らしかったのでしょう・・昨夜女性の家に居た所を、少将に見られている「家来」が思わず「陽明門の近くに住んでいる、由緒ありげな女も琵琶をうまく弾く。その女が聞けばきっと絶賛するでしょう」と仲間同士で話してしまいます。これを待ってましたとばかりに?少将が聞きつけます。・・・というより又のぞき見?もしくは密偵さん?・・・「亡くなった源中納言の姫君です。本当に美しい女性で、伯父の大将が引き取って、帝に差し上げようとしています」と・・。大将が、姫君のいるお屋敷で姫君の入内の話をしている時、家来は、お付き合いしている女童に、無理に手引きを頼みます。「横取り?人さらい?」少将は喜んで、少し夜が更けてから目立たないように、家来の牛車でお出かけ。女童は、少将を姫君の所へ・・中は、ほの暗く、母屋で寝ていらっしゃったのを、抱いて車に乗せ申し上げ、車を急いで走らせます。 姫君の家では?・・・乳母が、「祖母が誘拐のお話をお聞きになり心配なさって、替りに姫君の部屋でお休みでした。もともとお小さい方で、出家なさったので、頭が寒くて、着物をかぶって寝ていたのを、姫君と間違えたようですが・・」???? 少将は屋敷に帰り、姫君を降ろそうとすると、年よりの声?、「ここはどこじゃ」・・・。そのあとは???ただ、その方の(祖母の)容貌は、それなりに美しいかったそうですが~~。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・話の筋が分かりやすいように・・と言う感じの「訳」なんですが・・この物語「文法」とかでは「難しい」みたいですね・・・・なんとなく「源氏物語」と同じ構成ですよね?年の幼い姫君と尼君「源氏物語」の「若紫」です。源氏の君が若紫を行列の途中で略奪する場面です。こちらは「成功」。源氏物語の影響は否定できないんですね~。。。。。。。。。。。。。。。。。。●で、楽器演奏する「人」にとって気になるところ・・少将が琵琶を弾く場面の原文です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・琵琶を黄鐘調にしらべていとのどやかに をゝしく弾き給御手つきなどかぎりなき女も かくはえあらじとみゆ(意味)琵琶の調べは「黄鐘調」とてものどやかに 琵琶を「をゝしく」弾くその「手つきなど」が「かぎりなき女」よりもすぐれているとみえる。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。そのままですと、意味分かるようで?分からない?何じゃらほい?・・です。もう「源氏物語」とかの「理想的男性像:女性像」がないと・・・★で、「をゝし」がキーワードなんだそうです。「源氏物語」では、「をゝし」い人物は「頭中将・髭黒・夕霧」さんです。「朱雀院:薫」さんは「をゝしく」ない人物。「をゝし」は、人物がきっぱりしてる、しっかりしてる、見るからに立派、華やか、人目をひく、際立った姿、漢学の才能が備わっている・・・・なんだそうです。だとすると、凄い優秀な人物の少将さん・・・それでも「意中の人」を帝から「横取り出来ない」・・そこが面白いのでしょうかね???古典文学ッて、考えると不思議な世界です。でも「琵琶を、ををしく弾く」・・・なんだか良い言葉だと思いません?・・・薩摩琵琶みたい♪・・・キャハ今日の「山下晴楓先生」みたい♪・・ルンルンルンルン・・・行ってきま~す。
2005.11.26
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古典文学と琵琶・・勉強兼ねて書いてます。よ~く知ってる事もあれば、始めて分かる事、いろいろです。いつも思いま~す。日本語は「よみかた」が難しい・・(苦笑)本読むとほとんど?「何通り」かある・・・まるで、薩摩琵琶の奏法や技法みたい・・・「楽琵琶:雅楽の琵琶」これの読み方だって「らく:がく」2種の本が?考えてみると「琵琶」で通じてたんですものね~まだまだ「研究」が私にも必要なんですね~そんなツモリでどうぞお付き合い下さいませ・・・☆で、「好きと勉強」でやりだしたら???新しい読者の方?「アフィリエイト」のアクセスが急増?現在6.5万(650)・・文学好きの方は「高収入」?・・いつかの「アフィリエイトを成功させる為には?」のご質問の答え・・変更で~す!・・「文学好きの方にサービスを♪」・・・実のところ本当に?まるで?分かりません・・・気まぐれ風まかせ・・・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。●先日の「蝉丸」さん、こちらも読み方は「 せみまろ」が古い形の読み方のようです。でも、「せみまる」が今では?みなさん普通のようで~す。薩摩琵琶の世界でも良くありまして、演奏の審査で、「日本語」の古い読み方に拘る方がおられますと、その時だけ「古い読み方」で歌います。その会場を一歩出ますと、御客さまには通じませんから、通じる読み方で歌います・・・アホみたい・・と私なんかは、思いますが・・プロを目指すなら・・器用さも必要かも・・・「学校の中の文学の世界」も似てますよね。。。●蝉丸: 生没年未詳:伝不詳。後撰集では、逢坂の関のあたりに庵があったという。「今昔物語」「平家物語」では、盲目で琵琶の名手であったという。後世、音曲・芸能の神として祀られる。後撰集で初めて出てくる。勅撰入集は計4首。小倉百人一首に歌を採られている。以上なんです。身分が低かったからでしょうか?詳細は不明・・でも文化人!超有名・・不思議な方ですね?・・・だから色々な想像を掻き立てられ「伝説」になるんでしょうね・・・「勅撰入集は計4首」・・・これは凄い事なんだと思います。だから「蝉丸」さんの歌に触発されて?似た感じの歌を、その後の歴史的な有名人が、詠んだのでしょうか?・学生時代もう少し真面目に「付き合う」んでしたね~~~琵琶をやってから「凄い人」だと思いましたが・・・この和歌の解釈は「もう」引用です。これだけで、凄い「卒論?論文?」になりますものね~~みなさんも、お正月間近・・・百人一首でも、そらんじて文学青年:乙女・・・でもいかがでしょうか?よくわかる百人一首「勅撰入集の4首」◎秋風に なびく浅茅の 末ごとに おく白露の あはれ世の中(新古) 秋風になびく(丈の低い)チガヤよ、 その葉の末に乗っている白露のように また果敢ないこの世なんだな~◎世の中は とてもかくても 同じこと 宮もわら屋も はてしなければ(新古) この世は、どう過ごそうと同じことだよ 華やかな宮殿も、粗末な藁屋も 最後にはなくなってしまうのだから。(昨日の訳より、こちらの方が良いみたいですね~~)◎逢坂の 関の嵐のはげしきに しひてぞゐたる よを過ぎんとて(続古今) 逢坂の関の嵐は激しい 目が見えないこの身には 無理をして動かずにいたよ この夜(世)を過ごそうとして注:今昔物語では末句「よをすごすとて」としている。◎これやこの 行くも帰るも 別れつつ しるもしらぬも あふさかの関(後撰)(百人一首) これがまさにあの有名な所か (東国へ)旅立つ人も (その人を見送って)引き返す人も ここで別れを繰り返すという 知っている同士も、知らぬ同士も (ここで出逢い別れを繰り返すという) 逢坂の関なのだなあ☆注:素性集にも有ります。 これやこの ゆくもとまるもわかれては しるもしらぬもあふさかのせきその他:「古来風躰抄」「近代秀歌」「定家八代抄」「八代集秀逸」別本八代集秀逸(家隆・定家撰)」「時代不同歌合」「六華集」・・・・凄いですね~~この、ラストの歌が好まれたと言う事でしょうか?桜なんかが咲いていたら・良いですね~でも、桜ですと「勿来の関」になっちゃいますから~蝉にしときましょうね!・・・....................................和歌も詠むし琵琶も弾きます。そしてどれもが、管弦の道では「名手」。おまけに、殿上人(貴族)の「博雅」さんの師匠・・身分の低い人がこれほどの実力と実績です。憧れますよね~あやかりたい・・・でも、博雅と逢ったあとの事は分かりませんが~~~●だからかもしれません、方丈記でも「サラリ」と出てきます。ご紹介!............................................................(方丈記:原文) 歩みわづらひなく、心遠くいたるときは、 これより峰つゞき、炭山をこえ、笠取を過ぎて、 或は石間にまうで、或は石山ををがむ。 もしはまた、粟津の原を分けつゝ●蝉歌の翁があとをとぶらひ、 田上河をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。 かへるさには、をりにつけつゝ、桜を狩り 紅葉をもとめ、わらびを折り 木の実をひろひて、かつは仏にたてまつり かつは家づととす。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★(口語訳)足が軽く、遠くの地にまで心が はせるときにはここから峰を伝い 炭山(すみやま)を越え、笠取山(かさとりやま)を通りあるときは岩間寺(いわまでら)、またあるときは石山寺(いしやまでら)を参詣する●もしくは 粟津(あわづ)の原に分け行って、蝉丸(せみまる・・注:琵琶・和歌の名手)ゆかりの地を訪ねる田上川(たがみがわ)を渡り 猿丸太夫(さるまるだゆう・・・注:歌人)の墓に参る 帰り道には 季節の移ろいごとに 桜狩りをしたり(見たり)紅葉を眺めたり 蕨を取ったり木の実を拾ったり それらを仏様に供えたり家への土産としたりする・・・・・・・・・★「蝉歌の翁」・・・素敵な表現ですね~~蝉丸ー和歌ー琵琶の音・・・蝉丸翁の歌・・・どことなく「天上世界の人として、あがめる」のではなく「親しみを込めてる」感じもしてきますが・・・鴨長明の「管弦の道」で、思うように行かない「挫折の人生」を知ると ・・・複雑な心も見えてきそうです。他人事・絵空事・人ごと・ではない、のも50代過ぎますとわかるな~~~でも、みなさん精進♪精進♪・・焦るな、慌てるな、諦めるな・・ね!・・・棄てる神あれば拾う神あり・・・「鴨長明さんの方丈記」、今では「世界的なエッセイ」ですからね~凄いですよ・・外国語にも翻訳で~す・・・やったね♪イエイ♪蝉からの連想ですが、映画の「蝉しぐれ」良いですね♪~~ああゆう男性にお近づきいただきた~い・・・現実は大変?
2005.11.25
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昨日は「琵琶楽協会の演奏会」お越し下さり有り難うございました。田中錦煌先生の出る後半?なんだかお客さまが多い?嬉しいです♪行楽シーズンですから、日本橋から東京駅への界隈も人が多く、祭日って感じでした。珍しい曲でしたね!●聞き逃した皆様・・11/26の山下晴楓先生率いる「薩摩琵琶晴風会:定期演奏会」でお楽しみ下さい!田中錦煌先生「神威岬」を演奏なさいます。岩崎玄龍先生も「桶狭間」・イヨ~拍手♪♪・・・両雄(勝手にライバルにしちゃってますが・・当ってる気しません?・・どっちにしても聞く方としては楽し~い。お2人とも仲は良いんですよ~会場で良くお話されておられますもの。芸の上で、新しい物をバンバンとなさり、一騎打ち・・でも、どうして、マスコミの方お2人に、義経物依頼しないんでしょう・・「凄く上手いし、独特の物があり、定評あるのに・・」薩摩琵琶5絃:筑前琵琶とは違う魅力が、薩摩琵琶4絃にありますもの・・まア~御本人達は「飽きてるのかも??」でも、聞きたいですよね~~山下晴楓先生の晴風会の情報、詳しくは「フリーページの演奏会情報」ご利用下さい♪山下先生も「凄いサービスです」山下先生サービス有り難うございま~す♪会場で見とれておりま~す♪今月の琵琶演奏会情報あまり誰が出る・・と書くと御迷惑かな??なんて思ったんですが~・・やはり皆さんのご興味は?そこにあるようですね~~これ内部でも「声なき声」では??・・それともどうせです「無料」をお薦め?ですね~~・・・演奏者のレベルを高い物にする・・?協会にも努力をお願いしたいものです。有料の場合は厳しく選考を!ですよね~~お温習い会とは違いますから~御客様の事を第一に考えて欲しいです。これでも集客努力一応しましたのよ~ん奥さま!某男性「~~聞く価値ある人いれば・ですね~仕事で疲れてますから~」即座に「田中錦煌先生♪」来てくれました~文句言うけど?協力はしておりま~す。・・・始めてお聞きくださった方に、リピーターになって頂く・・その為には、演奏者の「質」ですものね~看板は正直であって欲しいな~・デイズニーランドを見習おう♪・・でした(毎回同じ事想いますが~~)●で、とうとう登場!「今昔物語:源博雅」と出てきますと・・・当然==>「蝉丸」さんです。薩摩琵琶:筑前琵琶:雅楽の琵琶なさる方の「憧れ?理想的人物?」みたいなんですよ・・「百人一首」でも必ず出てきますよね?薩摩琵琶をなさり、晩年になると?「蝉丸」の心境になる・・そうです。良き後継者に恵まれる・・とても難しいんです。師匠が名人であっても、教え方が上手くても、最終的な物は「お弟子さんの個人の資質:才能」ですものね~~この「残酷さよ・・・」私の敬愛する「福島の琵琶仙人:樋口主水先生」も、お弟子さんには、恵まれない・・でしたね~~一度ゆかりの方?だと言われる方の演奏拝聴・・・およ~先生嘆く・・・水号をお持ちとは信じられないメチャクチャですは~交通費そんした!・・お温習い会なら文句いいませんが、お金払いましたので・・少々辛口で申し訳ないですが・・・メチャクチャ腹たつ~~を感じました・・・ああ~疲れたでしたが・・・もし樋口先生が本当に「水号」??、先生のお人柄は耳にタコできるほど・・とすると?「個人の性格を見抜き、形を与えれば努力するタイプかも・・と百分の一の確率で掛けた」んでは?本人が望むので?武士の情け??・・ときどきありま~す・・「奥伝」を真面目に受止め、「水号」頂いてから「上手」になった先輩おられますから・・・でも樋口先生の優しさは無駄でしたか残念・・努力の跡なしか~~・・でも、心配すること無いですね・・誰でも聞けば分かりますから・・・御客さまはお耳肥えてます。樋口先生のことご理解なさいましたもの・この方の演奏聞き「お弟子さんは甘やかさない」を好み?心に?銘じました。サンキュウ・・・蝉丸さんの話を読むと、教える側:教わる側の「心」凄く感じます。●今昔物語巻二十四 源博雅朝臣、会坂(逢坂)の盲の許に行く今はもう昔のことであるが、源博雅という人物がいました。この方は「醍醐天皇の御子:兵部卿の親王」の御子様。管弦の道を究めた事で有名。琵琶や笛が上手。殿上人です。その頃「逢坂の関」に一人の盲が居り、名前を「蝉丸」と言いました。この方は、「式部卿の宮の雑役」です。式部卿の宮は、宇多法皇の御子。宮が琵琶をお弾きなさるのを常に聞いていました。それで、蝉丸は身分の低いにも関わらず、琵琶を見事に弾くようになりました。博雅は、この逢坂の関の盲(蝉丸)が琵琶が上手と聞き、その琵琶を是非とも聞いてみたいと思いました。直接訪れるのは、身分から無理。で、使者を使って蝉丸に「どうして、そんな思いもよらない場所に住んでいるのか。」と問います。この答えが実に「風雅」、 世の中は とてもかくてもすごしてむ 宮もわら家も はてしなければ (この世は、どのように過ごそうと同じことです。宮殿も藁家もずっとそこに 住み通せませんから)博雅は、この歌で蝉丸を師匠と直ぐ理解しました。(凄いです。身分の差は凄まじいのに・・)「必ずこの盲に会おう。それにこの方がいつまでも生きておられるか・・自分もまたいつ死ぬか・・。琵琶に流泉・啄木という曲がある。これらの素晴らしい曲は、やがてこの世から消えてしまう・・この盲だけが、この秘曲を知っているのだろう。琵琶を極める為には、何とかしてこの曲を聞いてみたい・・」と、それから、自分から「逢坂の関」に通います。けれども・・・三年の間、蝉丸は弾きません。夜になると逢坂の関の庵の側に身を潜め、その曲が弾かれるのを待ちます。三年目の八月十五日の夜です。月にほんの少し雲がかかり、風が少し吹く夜でした。博雅は「今夜は何と、趣の深い晩だろう。こんな夜こそ、流泉・啄木の曲が合う。きっとお弾きになるだろう。」蝉丸は、しみじみとした様子で琵琶を掻き鳴らしています。あふさかの せきのあらしのはげしきに しひてぞゐたる よをすごすとて (逢坂の関に吹く嵐のこの激しさに耐え、盲つつ日々の生活にも耐えている。 この世を過ごすそのことのために。)と歌を詠み、琵琶を弾きます。「あぁ、なんと趣の深い夜だろう。自分以外にも、物の哀れを理解する人はいないのだろうか。今宵、管弦の道に通じた人が来てくれたなら 共に語ろうものを。」とつぶやきます。博雅はおもわず、「都に住んでいる博雅という者がここに来ています。」いいます。蝉丸は驚き、身分を訪ね、博雅は三年の間通い続けた事を話ます。そして、博雅は蝉丸と直接会い「流泉・啄木」の秘曲を伝授されます。博雅は、口伝えでこれを習ったそうです。口伝でも一晩で習得!・・博雅ほどの人なら出来る技ですよね・・・普通は無理ですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・又物語では、「これよりのち、盲の弾く琵琶が世の中で始まった」結んでいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・琵琶をお稽古する者にとっては「上手くなりたいです」。これ、本当の願いです。人になんと言われましょうとも、活躍したい!上手いと言われたい・・・気持ちわかるし・・悪口は言いたくないんですが・・でも、琵琶が盛んになるには?お聞き下さる方の事も考慮に入れないと・・・芸の厳しさは「覚悟」頂きたい・・で、最後は神頼みです 蝉丸を祀った音曲芸道の神社 関蝉丸神社下社です。 関蝉丸神社は、上社、下社、分社の3つがありますが、普通は「関蝉丸神社」といえば、この「下社」です。説明より抜粋「~~もともとの祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、嵯峨天皇。後に蝉丸も歌舞音曲の神として合祀されるようになり、音楽に関わる人々の信仰を集めています」との事です。 --------------------------------------------------------------------------------小学生用マンガ
2005.11.24
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昨日はびわ~んさんの復活?に刺激され、1日じゅう「薩摩琵琶のサワリ取り」でした。本数が高いと、絃の張りは強いです。それに薩摩琵琶は・朴木の駒に・直接絃が当りますから、駒の表面が「絃の食い込みで」「ギコギコ」になります。すご~く嫌!・・でも、忙しいと毎日手入れできないし・・失敗すると?・・鳴らない・・お稽古できない。もう一面、薩摩正派さんの使っていた琵琶があるんですが、友人より譲られましたが・・なんだか音色が可笑しい?単純な音?薩摩琵琶の表面を「コンコン」と叩くと・・内部構造が違う?それに木の材質が悪いみたいです?・音色が嫌い・・なんです。友人もそうらしかった?総桑の薩摩琵琶に較べると・・もうまるで「おもちゃ」みたいなんです。見た目は綺麗。でも軽いので持ち運びは便利。でも、今度から交互に使ってみます。筑前琵琶の小振りな「4絃」もあります。以前は「お三味線」も!・・・楽器屋さんみたいです。家が部屋数だけは多いから良いけれど・・・「サワリの取り方」以前・・「必ず、どこかに、有名人の書いたメモがあるはず」・・・ありました~!やはり「インターネット」は凄いです。お知らせ下さり有り難うございます。少しずつみなさんに御紹介指せて頂きます。・・でも、ただ今「解読中:実験中」・・私が噂として、耳で聞いたそのままの記述でした。書いた方は知る人ぞ知る「薩摩琵琶の名手」なんですよ♪それだけは、古い話ならおまかせ!で保証です!でも~残念・・レコードとかはないようですが~?明治:大正時代生まれの琵琶人なら、誰でも知っている薩摩琵琶の演奏家です。我が家にはこの方の「門琵琶」の譜面があります。最初の師匠から「噂」はお聞きした事あります。琵琶楽の研究:普及に力をお入れ下さったそうです。書くのがお好き?なのでしょうか?それも珍しいですが・・この「メモ」で、昨日「サワリ取り」・・・私所有の薩摩琵琶、ある薩摩琵琶の大先輩に「駒」「糸口」等付けて貰ってから・・音色が悪くなりました~~ひびか~ん!~~~苦情言えず、琵琶屋さんに持ち込んで、もしも?「噂」なったら申し訳ないし・・・数年間悪戦苦闘です。独学で?サワリ研究・・・ま~これが「研究」の始めですから・・・感謝です。我が家に琵琶が複数あるので、「ばれ」ませんでした・・薩摩琵琶の演奏は素敵な大先輩でも、琵琶の修理:サワリ取り失敗!・・・それほど、微妙なんです。偽物ではありませんです。もう、特殊技術!薩摩琵琶の音色で、琵琶の状態を聞き分ける、耳の良さが必要。(耳が少々遠い先輩でしたから・・)薩摩琵琶全般の知識がいる・・・で、分った原因「干の柱」その下の「上段の柱」が高すぎる。・・ま~「下段の駒」を当時は良く使ったので、(調弦:一水会方式:4の糸を合わす時、下段を使う・・・これが一般的)下段の駒がすり減り、低くなってしまっていた。・・・この低い駒をそのまま使うなら・・理論的にも、他はみんな全体的に、「低く」しなければ、釣り合い(=新品の時の状態)が取れない。・・・・だのに、「そのまま」でした・・・・「干の柱」に「糸」が当る・・・これは琵琶がもどった時に気がつき、セッツセッと削りました。音が「ビッシ!ビシイ」って感じで、「充分に微振動してない」んで、直ぐ分ります。でもまだまだ「高~い」でした。上段の駒が高すぎる・・・「中段の駒を押さえていると」「駒を擦る?」感じがしました。先ず第一に、上段の音色が「響かない:とても弾きにくい」・・・ま~「駒の表面が硬いかどうか、正目かどうか」でも「擦る」感じはするそうです。私の琵琶の駒は両方のようです。お金貯めたら「交換」して貰う予定で~す。この「駒」も頂きもの・・・「ただ」ほど「高い」物はない!・・でした・・・ここまで書いたら「知りたい?」一応少しご紹介●「鈴木流泉先生著:昭和52年記」「~~下段の駒上に 絃を圧えて 中段も上段も その絃が スレスレに さわるように コマ(注:木製の駒)の高さをきめるのが大切な事です。大干のコマ(注:干の柱・・象牙製が多い)は 開放絃で・・一の絃との隙間を 1ミリから1.3ミリ ぐらいにすれば良いと思います。~~」・・・・・・・とても貴重なメモです。どうぞ大事になさって下さいませ。そして、実践なさることをお薦めします。優秀な薩摩琵琶演奏家が「文字に書いて」伝える。とても稀なんです・・・きっとどこかに「まだまだ」ありますよね!・・出てきたら?「ご紹介」させて頂きま~す・・・「みんなで、一緒に♪ 薩摩琵琶を上手になりましょう♪」・・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。映画とかテレビの影響って凄いですから、あなどれません・・薩摩琵琶人は「少々偏屈?頑固?」な面ありますから、「流行とか風潮」を嘆く人もいます・・・が~「琵琶」は今、上げ潮だけれど、まだまだ「大変に知られていない楽器」ですもの・・知名度上昇大歓迎!で、本でブームになり、それから映画の「陰陽師」は、「琵琶」を知らしめて下さいました。夢枕獏さんの作品です。多少「創作」されてますが、大もとの「ネタ」は凄い「今昔物語」という「由緒正しき?古典文学」なんですよ・・凄いでしょう?「琵琶」に限って言えば、今昔物語では、「無くなった琵琶を探した」のは「源博雅」さん。夢枕さんの本では「阿部清明」さんになってますが・・そして、2人が出合ったと言う、歴史的記述は「ない」んだそうです。が、「友人」になってます。でも2人とも実在。古典を大変良く研究しておられるのには尊敬!本は余り好きではないんですが・・舞踊も創作凄いですね~~・・この話は「分り易いですし、想像できて、面白い」ので、ほぼ全文ご紹介!●今昔物語巻二十四 玄象の琵琶、鬼の為に取らるる今となっては昔の話であるが、村上天皇の御代に玄象という琵琶が急になくなってしまいました。この玄象という琵琶は、皇室伝来の宝物。天皇はとてもお嘆きになります。「このような高貴な宝物が私の代でなくなってしまった・・・。」長いなが~い歴史を持つ皇室です、責任もお感じのようです。お嘆きになるのも、もっともなことであります。天皇は「人が盗んだのであろうか。いやいや、人が盗み取ったのであるならば、(これだけの名器)隠しおおせる方法もない・・天皇に悪意を抱く者がいて壊してしまったのだろう」と疑われました。そこに、「源博雅さん」登場です。この方は管弦の道を究めた人で、この玄象という琵琶がなくなってしまったことを嘆いていました。ある日・・人が皆寝静まった頃に、清涼殿にいますと~~~南の方から「あの玄象の琵琶の音」が!不思議?管弦の道に長けた「博雅」です。琵琶の音を聞き違えるはずはありません。「あの音は!」と驚き不思議に思います。誰にも告げづ、一人で、お供に子どもを一人伴って出かけます。音を頼りに南の方へ。琵琶の音をたどり着いたところは?朱雀門です。でも、まだ?なお南の方から音が聞こえます。朱雀大路を南に向かいます。でも?たどり着いてみると、なお南の方です。今度は近いです。そこで、なお南に歩いて行き、とうとう「羅生門」にたどり着きました。羅生門の下で耳を澄ますと、門の上から聞こえます。紛れもなく「玄象という琵琶」の音色です。弾いています。(と、言う事は音楽になっていた・・と言うことでしょうか?・・・この玄象と言う名器は、気位が高く?下手な人ですと・・鳴りませんから・・・・)博雅はこれを聞くと不思議に思います。「これは人が弾いているのではない。きっと鬼か何かが弾いているのであろう。」と思いました。弾くのが止まりました。しばらくしてまた弾き始めました。博雅は声をかけます。「これはどなたがお弾きになっているのか。玄象がこの間から見えず、天皇がお探しになっておられる。今夜、清涼殿で聞くと、南の方からこの音が聞こえてきた。よって尋ねて来たのです。」と言いました。すると・・・・琵琶の音が止み・・・上から何か下りてきます。見てみると、「玄象」です♪そこで、博雅は恐れながらこれを取って内裏に戻り理由を申し上げます。天皇は大変に感動され「鬼が取っていたのだな。」と仰せでした。めでたしめでたし・・・・・・・・・・・・・・・・・・後半には、この玄象という琵琶の不思議さ?にも触れています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この玄象はまるで、生きている物のようである。未熟な者が弾き、弾きこなせないと分ると、腹を立てるらしい・・で、鳴らなくなるそうだ。また、琵琶に附いた塵を拭いて、清めない時にも腹を立る・・鳴らなくなるそうだ。その様は、実にはっきりしている。ある時、内裏に火事があった。その時には人が取り出さなかったのに、玄象が自分で出てきた?のか庭にあり、消失を免れた。これらは不思議なことだとして、今に伝えられているのであろう。・・・・・・・・・・・・・「今は昔~~」で必ず始まるのが今昔物語の特徴です。この中の「遙か離れたところからも、琵琶の音が聞こえる」・・・これが「名器」の条件でした。「遠音が刺す」・・とうねがさす・・と表現されます。凄いですね・・平安の昔は「漆黒の闇」夜の静かさは「今」とは較べ物になりませんが・・・博雅の「耳」聴覚の良さもありますが、それでも凄いです。★追伸:陰陽師2での「須佐」「幻角」が弾く琵琶は「田中之雄先生」が演奏です。本来は「楽琵琶(雅楽の琵琶)」なんですが、この時は「四弦の筑前琵琶」を使い演奏だそうです。田中先生は薩摩琵琶:鶴田流です。ホームページで「音」が試聴できます。とても、やさしく優雅な音色です。田中之雄先生のホームページ・・・・・・・・・・・好みが極端に別れますが、古典に取材が良いですよね~~・・・>●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)(オムニバス)/侍 SAMURAI COLLECTION
2005.11.23
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神奈川も寒いです。無事平曲のお勉強終了♪平曲にちなみ「珍しいCD」ご紹介!9番目の物が「 平曲「訪月」:(ヴォーカル:金田一春彦、琵琶:金田一珠江)」です。好みもありますから、なんと言えませんが珍しいんですよ♪♪オムニバス)/越天楽のすべて:平曲(訪月)いろいろな事を考えさせられました。良い事も悪い事も・・でも、一つだけ理解できました♪古典伝統芸能の中で、普通は「子供の時から修行・・でプロ」洋楽のクラッシックでもほとんど?そうですよね?それなのに、なぜ薩摩琵琶では、20台後半から琵琶修行で、プロ演奏家になれるのか?不思議です。琵琶の世界では、「アマ:プロ」ミックス状況です。★で、気づいたのは「発声」でした。「語り」はまぎれもなく「高音域であろうと、低音域であろうと、腹から出す声が基本」!これ「子供の変声期の前、では無理ですものね?」・・子供にこれやらしたら「喉」痛めさせますから・・・大人の体になってから「鍛えられる」・・楽器は子供の体の柔らかさが必要、記憶する・節を取るは子供の頭脳がメチャ良い・・・師匠が「これ」に気づいていて、変声期過ぎてから、「きちんと、声質が変化するのが、人間の体」と指導されていれば・・・そう言えば古い琵琶関係の物読みますと「始めた子供の頃・・超有名薩摩琵琶士」・・・大人になったら?「あら?不思議・・普通?」晩年「まるで??」没後「全然???」・・でした。昨日の「琵琶仙人」と逆現象???楽器だけだったら、子供頃からやればみんな?天才なのにね・・薩摩琵琶の難しさと、中高年でも可能性を持つ・・・そんな自信も頂きました。中高年の琵琶修行のみなさ~ん、頑張れば(声を錬れば)若い人に負けないかもよ~ん!・・でした。カルチャースクール的関わり・・体験:手始め?としては、凄く良い方法のようです。カルチャースクール等でも、先生とはいえ法律により、「習いに来ている人」の情報は「入手」できなくなりましたから、師弟関係が希薄?で、気楽です。。。●絵に御関心をお持ちの方もおられるようです。薩摩琵琶奏者山下晴楓先生の「素敵な薩摩琵琶のチラシ」こちらで、見れます。もう「プロ」の方のような気もしますが?でも、御名前出てませんから「アマ?」====>実盛の切り絵?のチラシ(山下晴楓先生)あの~ついでに、11月26日の「薩摩琵琶:晴風会演奏会」も宜しくお願いいたします。ゲストに岩崎玄龍先生出演です。これに「田中錦煌先生」が出たら(出ると思いま~す・・詳しくはお問い合わせ下さい)・・・多分お二人は良きライバルでは?・・・凄く楽しめますよ!どちらが「龍か虎か?」、はたまた「謙信か信玄か?」・・サービス精神が凄く出て「得意技」の連続かも?そこに、何があろうと?誰がいようと?独自の薩摩琵琶の世界を繰り広げる?「山下晴楓先生」登場!・・・あれ~?「小椋佳さんは?」本業が忙しいのかな~?・・・・・・・・・・・・・・・・・追伸:岩崎玄龍先生「桶狭間」です。 入場無料、予定17時?演奏と言うことは16:30頃から客演の方が2~3名演奏でラストに山下先生の演奏でしょうか?平成17年11月26日(土)13時30分開演:東京:中野駅下車なかのZERO小ホールです・・・・・・・・・・・・・・・●芸術の秋♪・・小椋佳さんの音楽♪が、あのオンラインショップ「アマゾン」で購入できます。一度ご覧下さい。便利になり嬉し~い。どうして、楽天は「アマゾン」だめなんでしょうね?不便で~す。でもいいけどさ、楽天使わなきゃ良いだけの話・・・ファンクラブでないと買えない物もあったので、大変でした。東京新聞で小椋佳さんが音楽関係「執筆;連載」らしいです。当然「琵琶」も出てくる?新聞変えようかな~~と迷う私であります・・でも?本になるかな??。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。また「枕草子」に戻りま~す。省くとまずそう?・・教科書で見たことありますでしょう?楽器が大好きだと面白い話なんですが、そうでないと何言いたいのよ?。。。と言う話枕草子に出てくる赤米むしろ、「玄奘(玄上)」という琵琶なら、「陰陽師」の映画や漫画やらでご存じですよね・・琵琶に愛された「源博雅」で出てきます。・・・宮中には「面白い名前」の附いた楽器が沢山あり、宝として大切に保管されていました。勿論「主上=時の天皇さま」御所有品。その近くに居る人しか触れる事はできませんが、そんな楽器の名前にちなんだ「逸話」なんです。絵巻物でご存じかも・・・★●「無名といふ琵琶」で、ある日一条帝が「無名といふ名の琵琶」を持ち「中宮定子(のちの皇后)」のところにお渡りになった(いらした)・・・と話がはじまります。楽器についている「名前」をもじって「とんち遊び的」、上品な「おち」のある会話:言葉遊びですよね・・そんな会話が遣り取りされます。その遣り取りが「中宮定子」の教養の高さ、頭の良さ・・だと、清少納言さんは「褒め称えて」いらっしゃるわけです。・・・後世の平安の文化の研究者が注目するのは、現在現存しないが、別の説話等に出てくる「伝説的な楽器の名前」が沢山出てくる事のようです。こうゆう「文化史」の解明みたいな役割もはたしているんですね~~まず、楽器の整理・・これを知らないと「僧都の君」みたいに??になります~~★琵琶(琵琶の御琴) 「玄上(玄象)」(げんじょう) 「牧場」(ぼくば) 「井手」(いで) 「渭橋(為堯)」(いきょう) 「無名」(むみょう)☆和琴「朽目」(くちめ)「宇陀の法師」(うだのほうし)「塩釜」(しおがま)「二貫」(ふたぬき)★横笛「水龍(大水龍)」(すいりょう)「小水龍」(こすいりょう)「釘打」(くぎうち)「葉二」(はふたつ)★笙「不々替」(いなかえじ)・・・・・・・・・・・●「無名という琵琶」に掛けて・・・・「これが名よ、いかにとか」とお聞きになりますと、「ただいとはかなく、名も無し(=>無名)」とおっしゃられました。●「不々替(いなかえじ)という笙」に掛けて・・・・笙をほしがる僧都の君が、「それを下さい。私のところにある素晴らしい琴と交換しましょう(それに 替へ させたまへ)」と言いますと、~~それを聞いた中宮さまは「いな替へじ(<=交換したくない)と思っているのにね」とおっしやられました・・・・・・・・・・・・・・・なんとなく、なるほど??と言う感じでしょうか?・・では、私も・・学生時代は「別にどうということは、ふたつ(葉二)ともな いで(井手)したが、・・・」貴族にしか通じない「しゃれ」ですよね~~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆後半の名器が出てくる部分ご紹介!御前にさぶらふ物は、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄上、牧馬、井手、渭橋、無名など。また、和琴なども、朽目、塩釜、二貫などぞきこゆる。水龍・小水龍、宇陀の法師、釘打、葉二つ、なにくれなど多くききしかど、忘れにけり。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2005.11.22
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昨日は華やか過ぎておばさんには少々・・・で、今日は地味~~な「方丈記」を取り上げてみました。●「鴨長明(かものちょうめい)」が58歳ごろに書いた作品。(1212年成立)、この「方丈記」という呼ぶ書名は、晩年に住んだ日野山の草庵(京都の南東)からきています。ほぼ8000字(400字詰めの原稿用紙で20枚弱)本当に短い「エッセイ」なんですね・・鴨長明さんがどんな生い立ちで、どんな生活して、どうしてこれを書いたか・・ちゃんと書いておられます。先に結論を言うのもなんですか・・・出家して、草庵にひきこもったんですが・・・仏道に徹した生活とはいかなかった・・みたい、が定説のようです。どこまでも、歌と琵琶とエッセイを愛した「音楽家・文化人」・・・なんだか「ここに同感?愛着?」身近な存在って感じがしています。学生時代の感想?・・は「根暗のおじさま」・・・すみません・・・●「鴨長明」は「雅楽の琵琶の流れの桂流」を修行なさっておられます。この桂流とは、あの映画陰陽師で出てくる、琵琶の名手「源博雅」の流れです。博雅の4名の子供のうち、信明(のぶあきら)、信義(のぶよし)が琵琶を受け継ぎ、(他の話もあるようですが?)信明は跡継ぎが無く絶え、信義の弟子の代で、2つに別れます。西流と桂流鶴田錦史/横山勝也/宮内庁式部職楽部/武満徹:秋庭歌鴨一族は神社の関係ですから、身近でもあったのでしょうか?勿論「雅楽の琵琶」です。凄く良い先生に就きました。~~うらやまし~い・・琵琶が中原有安、和歌も師匠がおられ源俊恵だそうです。当時大変に著名なお師匠さん達です。生まれが京都の賀茂御祖神社(現:下鴨神社)の正禰宜(しょうねぎ)という身分の高い家柄です。しかし、お父さんが亡くなり急速に没落、大波小波の運命にもまれ、ときどきは身分の高い宮中の「中宮」から目をかけられたり、歌人としての才能が認められ「千載集」に入選とか、あったのですが・・・隠遁生活です。なぜ?と言う世の人への答え?でしょうか、自分の心の整理でしょうか?・・そのいきさつ、が方丈記には記されています。世はまさに「源平合戦」の頃、貴族に替り、武士がのさばってきました。京都をおそった大火・地震・飢饉・・和歌・琵琶にたけた繊細な鴨長明さんでなくても?虚無感・厭世感・無常・・・~~なんだか、今の時代にも似てるよう・・?。。。。。。。。。。。。●本文:(世界的に有名なので、省くと悪いものね~です) ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは かつ消え かつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。~略~東のきはに蕨(わらび)のほどろを敷きて 夜の床とす。西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮篭三合をおけり。すなはち、和歌・管絃・往生要集ごときの抄物を入れたり。☆★かたはらに琴 琵琶 おのおの一張をたつ。 いはゆる をり琴 つぎ琵琶これ也。 仮りの庵のありやう かくの事し。。。。。。。。。。。。。。。。・・・・・・・・・・・・★やっと琵琶登場!琵琶は薩摩琵琶では「一面」というのですが、ここでは「張」ですね・・琴は、雅楽の楽器では「大変に大切にされた楽器」ですから、琴にあわせたんでしょうか?★「をり琴」「つぎ琵琶」は、折ったり、継いだりできる物。折りたたみ、組み立て式と言う意味です。今では余りないようです。でも筑前琵琶にはあります。組み立ててから、木が落ち着く?まで音色が不安定なんだそうです。だから、直ぐに弾く事はできないので、プロ演奏家が好まないみたいです。でも、最近は「携帯に便利」が見直されてきてます。一つ欲しいですよね・・。。。。。。。。。。。。。。・・・・・・・・・・・・・・・~略~ もしあとの白波にこの身を寄する朝には、岡の屋にゆきかふ船をながめて、満沙弥が風情を盗み、☆★もし桂の風、葉を鳴らす夕には尋陽の江を思ひやりて 源都督のおこなひをならふ。 もし余興あれば、しばしば松のひゞきに秋風楽をたぐへ 水のおとに流泉の曲をあやつる。 芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。 ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから情をやしなふばかりなり。。。。。。。。。・・・・・・・・・・★またまた「尋陽の江」です。昨日の源氏の君の思いと似てますね~。白楽天が、たまたま聞こえて来た、その地の女性の弾く琵琶の音色に聞き惚れ、友を送った「琵琶行」のことを思う・・「源都督」とは「源経信」で、やはり琵琶の名手ですから・・琵琶の名手の演奏をマネする・・・・松の風の音に合わせ「秋風楽」という雅楽の曲を弾こう流れ行く水の音に合わせて「流泉の曲」を演奏しよう●ここの記述で、鴨長明さんの「琵琶の腕前」がはっきりわかるんですね~~凄い・・今は「秘曲」といっても?ほとんど?みなさんなさります。或程度習熟すれば?教えてもらえます・・かな?・・・この当時は「秘曲」といえば大変です。後継者としての資質が大変に問われます。で、「流泉の曲」は琵琶の秘曲なんです。秘密に(他の人に聞こえたりしないように)ほんの一部の人だけに伝授です。・・これを「あやつる」んですもの・・薩摩琵琶の世界では、榎本芝水先生が御活躍のころ、「秘曲」存在してたようです。「勧進帳」「恩讐の彼方に」がそうだったようです・・・今はどこでも聞きますが・・・上手い人は本当に「秘曲」として師匠からきちんと伝授されたんだな~~ッて思い乍ら聞いてます。。。。。。。。・・・・・・・・・まだ後半に「蝉丸」さんが出てきますが、、、なんだか「福島の琵琶仙人」思いだします。琵琶の音色では「塩高さん」の演奏を思いだします。やはり「悠久の歴史:音色」でしょうか・・★福島に居られた「琵琶仙人:故樋口主水先生」の琵琶演奏、最近聞く事ができました。晩年の演奏の物で、地元では「後援会」があったそうです。そこでCD等も出された由。残念ながらご遺族の意向をお聞きせず・・・で、一般的には入手できないそうです。とても聞き惚れました。「薩摩琵琶錦心流の精神性の高さ」を感じさせて下さる「お手本にしたい演奏」なので残念!今薩摩琵琶4絃を、しみじみと、こんな感じで聞かせて下さる琵琶演奏家の方は何人いますか??・・・・もしかしたら、薩摩琵琶4絃は「年を経るほど味が出る」そんな「琵琶音楽」なのかも・・・・地味で・深く・浄く・人生の黄昏を知る人の心に届く・・・コンクール不向き??♪ケーキほおばりながら、聞いてたのですが、途中から「ちゃんと正座して拝聴」・・・同じ薩摩琵琶ですし、同じ流派ですし、弾法も最初の師匠とほぼ同じですし、ご活躍時期も同じ、曲も習った物で聞き馴れております。☆★真っ先に驚きました。凄いです。独自の工夫:改良を沢山なさっておられます。昔の錦心流は「自由闊達」それをほうふつとさせて下さいました。永田錦心先生のお考えがちゃんと「生きて」たんですね~~節廻しも良く聞くと「難しい技」使っておられるようです。榎本芝水先生を思わせる感じもあります。それなのに、少し低めの良く通るお声のせいでしょうか?凄く自然に響きます。●薩摩琵琶では通常は「歌」=>「琵琶」と交互に行なわれます。最近はコンクール等でも「歌いながら琵琶を弾く:歌と琵琶の演奏が重なる」のが多くなりました。筑前琵琶さんでは「流し」というのでしょうか「技法として、きちんと存在してますが・・それを樋口先生は自由に使いこなしておられます。一応「歌と琵琶が重なる・・・声を消さないようにやる」ので、どうしても「声にボリュームの無い人」は逆効果を招いてしまうようです・・から・・やりません。又歌に節がついてますので、「琵琶の手」は単純でないと、普通は失敗。。。なのに樋口先生・・そんなの関係なさそう?に自由になさっておられます。すご~~い・・★多分ご遺族の方が「御不満」なのは「琵琶の音」が時ドキ「少しずれたかな??」と感じるからでしょうか?・・御高齢になりますと、声がどうしても、「低い調子」・・見方を変えれば「少し中性的な声」です。低い調子の琵琶で絃が弛むと・・・超~~難しい音締めになりま~す・・・若い女性なら、とても「音程」取れないかも・・・で演奏中の「音締め調整」が少々遅れ気味になります。又大先輩のお話を聞きますと、「達観して?全体の仕上がりは全神経を使うが、少々の事では、たじろがない」んだそうです。「上手い:下手」という人のするであろう評価・・ではないんだそうです・・・・そう言えば「少々の琵琶の音の狂いや咳や雑音があっても・・・すご~い・・と言う賛嘆の感じなんですもの・・・・モウ、レベルが違いますよね~~~ウン凄い・☆何歳の時の演奏・・と注釈あれば「そうか人生の思いを沢山詰め込んでるんだ:テクニックだけじゃない」・・・じわ~~ん~~~ですよね樋口先生のCDもっと沢山の人に聞いて貰えたら好いな~・演奏家の年代により、聞く方からすれば、自分と同一の哀しみや苦しみの表れてる物を好む時もありますから・・・★若い人には若い人しかない「まだ、人生と後半で感じる?苦労や絶望のみじんもなくすがすがしい琵琶の良さ」★脂の乗った今を時めく人の演奏には「きらめき輝く、前途ようようとした、華やかで、不可能のかけらもない琵琶芸術の良さ」★それぞれありますよね?だったら人生の黄昏に居る50台以降の人へのメッセージを込めた「テクニックだけじゃないんだよ!・・心の歌なんだよ」もあると好いな~~・・って・・・だからお若い時:脂の乗ってた時・・て年代を追える構成で収録できれば最高!
2005.11.20
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もうすっかり寒くなり、日が昇ると、裏山から鵯が来て、「むらさきしきぶ」の実をついばんで行きます。もうすっかり「紫の実はどこ?」状態です。高台だから真っ先に狙われます。源氏物語に「植物」も登場しますが、同じ名前なので植えていますが・・・イメージ少し違いますよね~~~、★源氏物語の中では楽器の名手が多いのですが、「琵琶」の第一の名手に挙げられるのは、明石の入道(父)に習った「明石の君(御方)」のようです。源氏と会った最初の頃、もう素晴らしい腕でしたが、この「女楽」では一段と上手く、源氏はまるで、自分が教えたかのように話す・・そんな感じの上手さです。やはり、琵琶が出てきて、華やかで、王朝らしい「管弦の遊び」・・名場面は昨日の「若菜下」の帖の「女楽」なんですね。(物語としては、この後「紫の上」が病に倒れる・・んですが)王朝貴族の衣装にこだわる人にも楽しめる場面です。甘~い源氏物語?●これを再現したサイトのご紹介忘れてました。京都に「風俗博物館」というのがあります。風俗博物館を楽しむお人形で再現です。琵琶や琴、も再現です。大変に凝ってます。月~土の朝9時~夕方5時まで。日曜・祝祭日はお休み。学生の方や観光客が多く今は混んでるかも、お昼の食事時が穴場です。平安王朝の衣装を着て写真とれますので、女性に人気があります。・・西本願寺さんの近く、井筒法衣店さんのビルの5階です。紫式部こちらのサイトは個人の方でしょうか?写真の良い写り方:混んで無いとき・・丁寧で面白く紹介されてます。どうぞご覧下さい。画面下から「トップ」のほうに戻りますと、地図や行き方や今やっている「催し」物の紹介があります。この「女楽」の場面はある学者さんの解説では「源氏の私邸、六条院の生活が上手く調和している様子を示す」・・というもの・・確かに今テレビで人気?の「大奥」と似た状況でも、女性の生まれた家の身分で、完全に上下関係があり、源氏の君はそれを重視した・・・あの~テレビで人気?の「眉」のない「怖い女性」はいないですものね・・反対に「お鼻の赤い:末摘花」さんがおられます。源氏十八歳の春から十九歳のお話・・・この方も故常陸宮の姫君で「琴の名手」・・・楽器の上手さで「美人かも・???・」と男性がお近づき・・照明設備もなく、室内も暗いですから・・・今じゃ女性は大変です。携帯で写真撮られちゃう・・メークばっちりしませんとアップは難しい???でもでも、ね~楽器をなさる若いみなさ~ん・・お相手が楽器の好きな方なら・・・平安王朝の効果あるかも???・・・琵琶に頑張りましょう♪・・・昔若かった?独身の琵琶なさる「みなさ~ん」・・「平安王朝的、楽器の効果」無きにしもあらずなんでございます・・・・確かに「ジーパン:Tシャツ姿」の余り?頂けません殿方の「袴:紋付き:琵琶」素敵であります。女性もしかり・・・難点は「琵琶の話題しかない」・・・このブログみたいです(苦笑)楽器が高価なので、「浪費家?付き合いにお金かかりそう?」とお逃げ遊ばすようですが・・・友人が「結婚相談所」に登録したら・・・「お金持ちと思われて??」のへんてこ現象だったそうです。「稼げますか?」という方もおられたそうですが・・・「儲かりますか?」ね~~~はあ????~~~~江戸時代の大奥は、楽器や演奏があまり出てこないから・・つまんない・・と言う少数派の私で~す。この点、平家物語を題材の「義経」さん。。。配役は気に入りませんが・・琵琶もあり「バンザ~イ」どうもすみません。私みたいな視聴者を気にすると・・視聴率は上がりませんが・・・合奏の場合は、「琵琶」は、他の楽器の引き立て役なんですけれどね~●女楽の華やかさはなく、寂しいのですが・・他にも琵琶を弾く場面があります。源典侍(げんのないし)が琵琶を弾く場面・・「紅葉賀」です少々茶番劇みたいな場面です。帝の髪のご用を勤める美しいけれど年取った(57~8才という解説もあるんですが??そんなに長生き?もしかして、30~40代???・・・現代人からすれば・・ひど~い・・)源典侍(げんのないし)が光源氏と恋仲になります。この女性多情だそうで、頭中将とも深い仲・・どうも、男性はいろいろおられても?この時代では、評価は違うようです・・現代ではどうなりますか??みなさまお気をつけ下さいましね・・・どっちもどっちですよ~~で、よりにもよって、3人が鉢合わせ・・と言う、最悪の事態へ!なのに・・刃傷さた・人身事故もなく終了・・・悲しくもあり、可笑しくもありなんです。・・・私邸でないのに、こんな色恋ざたあっても「懲戒免職:罷免」にならない・・良い時代ですね~~男性も女性も憧れる・・・なんだかわかるな~~今なら「即!失業への道まっしぐら」・・・あ~でも源氏の君さん「朧月・・」では失脚でしたね・・相手が曰くのある身分高い人、敵になる一族・・・うかつでしたね~~ま~相手が誰かも解らずが理解できませんが・・宮中の世界では「女性の身分:若さ:美貌のみ?」・・相手の女官さんが、身分も低く、若くなかったから??と複雑な気持ちもしてきます。でも、琵琶をやってますと、この帖で・・やはり?違う意味で?興味惹くのが「琵琶を弾くその女性には少々嫌気・・でも琵琶の音色に趣があり、遠ざかっていたはずの恋人の元へ、引き寄せられた~」・・・凄い、吸引力ですね~~あやかりたいです(・・・苦笑)場面のご紹介~~夕立のあった晩、夏の夜の涼しさに誘われ源氏の君は、温明殿あたりをふ~らふ~ら(本当はお目当て?あったらしいんですが、隙がなく断念・・~~)すると、典侍さんが「琵琶」弾いてました。この方、清涼殿の管弦の遊びの時には、男の殿上役人の中へも加えられ、琵琶の役を申しつけられるほどの腕。源氏の君から疎まれ、でもでも源氏の君がNO・1ですから、恋に悩みながら弾いております。・ン?・・新発見!・・「恋わずらい」でも「琵琶」が合う・・・んですか???・・知りませんでしたで、琵琶の音色に源氏の君、心を惹かれます。歌も謡ってたようです。この歌の歌い方には反感感じておられるようですが。「白楽天が聞いたという 鄂州の女の琵琶 ・・もこんな感じの趣があったのかな~~」と、どこまでも、音楽的?文学的?学識の高さ?で源氏の君は聞いてらしたようです。ロンチスト?美化しちゃうタイプ?で、事件に巻き込まれま~す。この「白楽天」は、あの有名な「琵琶行」でしょうか?薩摩琵琶曲名では「じんようこう」ですが・・田舎に暮らす、元都会人の身の憂い・・・と私は解釈してたんですが・・・恋も加わるんですか???ま~そうですよね・・・管弦の遊び:お国は違え「経済的には裕福:若い:華やか」当然「色めかしい」事は附いて回る・・・これ又、世の常・・「木石にあらず」ですか~~・・・・・・・・・・・・・・・・●昨日は最新のパソコンを使い「筑前琵琶のお稽古」如何でしたか?沖縄の三線演奏家「るんたruntaさん」が、一昨日「英語の歌」を翻訳機で訳してご紹介・・・私「逃げろ~~」でしたが・・・昨日のコメントで「(便利になった・・けれど)~~職人芸が・・・」確かに「個人の努力」が無い感じですが、薩摩琵琶:筑前琵琶では、マニュアルは無し、解説書無し、先生によっては?解っているのや?否や?(すみません)・・・状態ですから・・・有名な?者さんの琵琶に関する解説も、「間違ってる」という演奏家の方もおられます??・・・だから・・??が多いから??未熟で、有名でもないこの「日記」にお出で下さる・・しかるべき人(音楽の解る方:きちんとした琵琶演奏家)のかたの解説が出るまでは、しょうがない・・・・あの~段々恥ずかしくなってきました・・・ある邦楽の大会で優勝した方が、このブログお褒め下さいました。それ聞きましたの~~~。もう「穴」があったら頭をつっこみ、隠れちゃいま~す。少しはお役にたったのかな~~本当は、途中で「重く」なりましたんですよ~~義務感だと苦しいですね~、楽しいが最高!もう復活してます♪~どうも立ち直りが早い???キャハ~~明日はず~と地味に「方丈記」にしたいな~~すらすら読める方丈記
2005.11.19
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もうすぐお正月です。今やっとこさ?頂いたメールに全部お答え済み!完了で~す。力なくて完璧な、お答えはできなかったのですが・・・きっといつか薩摩琵琶の研究やマニュアルやら登場して、楽々お稽古・・になりますように・・途中「ハラハラ、どきどき」もありました。どうしようかな~まいったなあ~~なんて思いました。勉強させて頂きました。有り難う♪お正月明けまで、少し琵琶にまつわる「文学」をぽちぽち書きたいな~て思います。自分の勉強にもなるし気分転換も必要ですよね・・と言いつつ、やはり「琵琶」が出てきてます(・・苦笑)・・~~古い文学だと、「雅楽の琵琶:楽琵琶」が登場です・・・オウ~薩摩琵琶奏者塩高さんの音色に魅了されてますね~~家の薩摩琵琶のお兄さん琵琶・・焼き餅焼きです・・怒ってるかな???・・私は直ぐ影響されますね~~神奈川は11月25日に港が見える公園であるんですよ・・・行こうと・・皆様は「枕草子」派?それとも「源氏物語」派?・・桃尻語訳枕草子(上)・すらすら読める源氏物語(下)ほぼ同じ頃の宮廷の女官:女流作家の有名な「平安文学」ジャンルは「随筆」「架空の物語」凄く対称的な面ありますよね~「清少納言」対「紫式部」バトルみたい?ライバルみたいですね~事実「それらしき事?」あったらしいですよ・・・共に「琵琶」をちょこっと「取り上げて」下さってます。・・というより「貴族社会では、音楽は常識で、雅楽が必衰科目」だったんですよね~★筑前琵琶では「上原まりさん」が源氏物語を取り上げてます。上原まり「源氏物語~筑前琵琶・語り~」冨田勲/源氏物語幻想交響絵巻どうっしてでしょうか「枕草子」はないですね~~歌にしにくいのかな~~★薩摩琵琶では「山下晴楓先生」が江戸中期の上田秋成の「雨月物語」を取り上げてCD出しておられます。★平家物語はテレビの応援?もあり沢山取り上げてます・・今年はNHKさんが、琵琶に活躍の場を下さいました。追い風です。内緒の話ですが・・・ま~~一部「偏屈?変り者?反骨精神?で、義経嫌いの諸先生が出て?」頑固で、意地ぱりの?薩摩琵琶・・を立証した?みたいですが・・・活躍させていただきましたから・・・当たり前ですが、平家物語と琵琶は仲良し子良しなんであります。★つい先日、若手薩摩琵琶演奏家「首藤久美子さん」が「赤いろうそく」「与謝野晶子」を取り上げファーストアルバムを出しました。「与謝野晶子」は女性好みのようです。首藤久美子/美しい言の葉アマチュアの方が演奏したのを、10年ほど前聞いた事があります。作曲は「こちら」の、アマチュアの方のほうが私は好きです。薩摩琵琶4絃を生かした演奏でした、多分その方の師匠が作譜でしょうね。世に出ず残念・・でも、演奏技術はさすが「コンクール優勝」です。首藤さんもお若いので、どんどん変化して行く楽しみな演奏家です。噂では「体力作り」も頑張っておられるそうです。体力がつけば当然「声」も変化して・・どんな素晴らしい演奏になるか・・・楽しみにしてま~す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今のところ、ぱあ!っと浮かんだ物の羅列でした。もっとあると思います古典文学は、現代琵琶の宝庫かも知れませんもの・・●で、枕草子の作者が「大変に好みがはっきりして、歯切れの良い」のはもう、世界的に有名!「春はあけぼの~」の最初がもう「ゆ~う~め~い」・・現在いくつかの(例:能因本: 三巻本)物のが存在していて、「第何段」と言った場合、本により異なります。でも、最初の3段は「共通」なんですね・・昔は「コピー機」ありませんから、イメージスキャナありませんから、携帯電話でこっそり「写す」できません。どうしたか?・・・ちゃんと「紙に墨で、模写」です。だから順番が違う物があるんですね・・・好みありますもの・・凄い数の「段」です。清少納言★その中にちゃんと「弾き物は」っていうコーナー(段)があります。あまり「テスト」には出てこないところかもご紹介!・・・・・・・・・・・・●弾き物は 弾き物は(なんていっても)琵琶(が好い)調子は、風香調・黄鐘調(が優る)(曲は)蘇合の急鶯のさえずりっといわれる春鶯囀という曲(が大変に好い)。箏の琴も(本当に凄く)好い曲は想夫恋(に決まり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう完全に例の如く「断定」です・・(苦笑)褒められ・認められた?楽器に琵琶が入ってるので、文句ありませ~ん♪・・が「選外」だったら・・・「枕草子」大嫌い・・・になってたかも褒めてる物しか出てませんから良いんですが、「笛は」の段なんて「ひど~い」と怒る人だっているかも(・・・・・)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笛は笛は横笛が好い。遠くから聞こえてくるのが、だんだんと近づいてくるのも好い。~~(略)~~笙は、月明かりの時に、車に乗り聞こえてきたりすると、好い。~~(略)~~篳篥は、とてもうるさい。秋の虫でいえば「くつわ虫」。嫌な感じ、聞きたくない。まして、上手くない(へたな)ふきかたなら憎たらしい~~略~~・・・・・・・・・・・・・・芸術や音楽は完全に「好み」ですから・・・本能的な好きか嫌いか・・(まあ~恋愛に近いですよね~~理屈は後からですから・・・)、私も結構?好みが激しい?・・から気持ちはわかりま~す。でも、「くつわ虫」は凄い・・「がちゃがちゃ~~」でしたっけ??鈴虫か松虫にしてくれませんかね~~でも、もう数千年の由緒正しき文学だから・・・・清少納言さん、まさかこんなに有名で、国宝級になる「悪口」だとは思わなかった??私も気をつけま~す。でも「国宝級」は関係ないのは「決まり!」・・・・・・・・・・・・・・・ ちなみにここでの「琵琶(びわ)」は雅楽で使われる「楽琵琶(らくびわ)」です。まだまだ「薩摩琵琶:筑前琵琶」は生まれてませ~ん。絃は4本(4絃)構えは「横抱き」です。「箏の琴」そうのこと・・と読みます。今の「十三絃の琴」とほぼ?同じ形のものらしいです。絃や爪が少し違うそうです。「蘇合の急(そごうのきゅう)」「春鶯囀(しゅんのうでん)」は、有名な「想夫恋(そうふれん)」と同じ曲名です。雅楽の曲の中に現存だそうです。同じかどうかは??・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2005.11.17
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