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最近は、こちらのブログに書く時間がなくて、すみません。こちらへ引っ越しましたので、引き続きお読み頂けると嬉しいです。宜しくお願い致します。ひろなか
Dec 10, 2008
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先日の日曜は妹のダンス発表会だった。いやぁ~、感慨深いものがある。妹とボクは9つも離れているので、小4くらいのときにいきなり妹ができたのだった。で、よく子守をさせられていた。(笑)当時は友達も多かったので(笑)皆も面白がって、よく遊んでくれた。今でも語り草になっているが、妹は腹を立てると、とりあえず手当たり次第に物を投げつけていた。そのときあったのは、削りたての鉛筆やフォーク。それを投げつけられた友達は、「あの時は死ぬかと思った。」と真顔で語った。(笑)それに、ケンゴと同じ年位の子も、みんな一生懸命に踊っていた。上手下手はあるかもしれないけど、でも、一生懸命に踊っているということが、本当に素晴らしい。一心に何かに打ち込んでいる姿が、涙を誘う。それはきっとそこに「小我な自分」がいないからだろう。妹よ。直接会って言うのは照れくさいから、こんな形になるが、「良かったよ。頑張っている様子が、よく分かったよ。お前はお前の道を一生懸命に頑張っているのだね。私も私で、待ってくれている子どもたちのために、一生懸命に頑張るよ。」と伝えておこう。(笑)照れずに話すには、あと10年くらいかな?(笑)
Oct 21, 2008
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先日、こっちのブログにこんなことを書いていた。その後日談。翌々日だったか、ボクが家で少しPCを使って種類を整理していたときのこと。「とうちゃ~ん!」とケンゴの声。「ん? どうしたん?」「あんな、ケンゴな、父ちゃんみたいに、水鉄砲でケガしたん。ここ。」と左手の親指の付け根を見せてくれた。何かで挟んだらしい。ちょっと切り傷のような感じで血がうっすらと出ていた。おそらく、ケンゴにとっては、それが慰めのつもりだったのだろう。「ボクも同じくらい痛い思いをした」という痛み分けで許して欲しい、なんて幼心に思っていたに違いない。ボクは椅子から降りて、床に両膝を付き、ケンゴと同じ目線になった。両手でケンゴの肩をがっしりと持って言った。「ケンゴ。父ちゃんと、母ちゃんは、ケンゴのことが本当に大切なんだよ。ケンゴは父ちゃんと母ちゃんと、居なくなったら困るでしょ?」「うん。困る・・・。」「ね。父ちゃんと母ちゃんも、ケンゴが居なくなったら、本当に困るよ。本当に寂しいよ。ずっと泣いちゃうよ。ケンゴのことが大切なんだよ。わかるかな。」「うん。」「そしたらね、ケンゴはケンゴを大切にしてね。ケンゴがケンゴを大切にするということは、ケンゴを好きなお父さんやお母さんを大切にするってことだよ。覚えていてね。忘れないでね。父ちゃんは、ケンゴのために、父ちゃんを大事にする。だから、ケンゴは、父ちゃんのために、ケンゴを大事にしてね。わかった?」「うん!」ちょっと涙目になっていたケンゴ。少しは意味がわかったのかな?
Oct 14, 2008
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今日、体験授業に来てくれた小5、小6の姉妹。お姉ちゃんはチャキチャキした感じ。妹さんは、おっとりした感じ。本当に、年子の姉妹なのに、こうも違うのかと思うような姉妹。(笑)とにかく、お姉ちゃんは小6のどんぐり問題も計算式でドンドン解いていく。そのときは、体験だったので、学力診断用としてのプリントしか準備できていなかったけど、こんなときのために、図を描かないと解けない問題を準備しておくべきだった。でも、小6用の問題で、CDを飛ばす問題ができていなかった。「図に描いてみたらどうかな?」「描いてみた。」線分図だ。「もう少し、工夫してみる?」「わからん。意味解らんし。」う~ん。取り付く島もない。とにかく、自分の解ける問題はやるけれど、3分以上考えても解けない問題は、簡単にあきらめてしまう。「こっから『考える』」という状態に入る手前で、あきらめている感じだ。本当に、もったいないのだ。つまり、「答え」ばかりに縛られて、「考える」ということを楽しめない。楽しむことができないのだ。勉強が作業になってしまっている。これは大げさではなく、こういう子は生きることが作業になってしまう傾向にあるのだ。妹さんは、いわゆるジックリ派の子。でも、どんぐり問題をさせていると、ときどき「あっ!」と、とてもいい表情をして、気づいてくれる。そう、目で見て閃くのだ。それが、この時期の子どもたちの、一番の宝物だろう。じっくりと、時間を気にせずに考えられること。これは、そのまま人生を楽しむことに繋がっていく。体験授業後に、お姉ちゃんと少し話をした。「あのね、勉強って、答えを速く出すこと、じゃないんだよ。今まで、そうやって勉強してきたのかもしれないけど、それは、本当の勉強じゃないんだよ。本当の勉強って、答えを出す過程を楽しむこと。それ以外にないんだ。今は信じられないかもしれないけどね。」少しダルそうに聞いていた。う~ん。色々と、考えられることはある。妹さんと一緒にきたことで、このお姉ちゃんは、個人としてではなく、「お姉ちゃん」をここでも演じなければならない状況だったのか。であれば、一人で授業を受けてもらう方が、心を開いて、自分の弱点と向き合えたのかもしれない。今まで、「デキル」と言われた子ほど、変な「プライド」が邪魔をして、素直になれない。それは、ボクが小さい頃もそうだったから、本当によく解るのだ。でも、それを乗り越えない限り、その穴から自分で出てこない限り、自己の成長というものは、ありえないのだ。だから、大きな愛で見守るしかない。だから、そのお母さんにもこうお伝えした。「今、お姉ちゃんには塾は必要ないと思います。でも、困ったことがあったら、いつでも相談に乗りますから、遠慮せずに、来させて下さいね。」とりあえず、妹さんは入塾されるようだ。それはそれでありがたいけど、心のサポーターを必要としてるのは、むしろお姉ちゃんの方だろう。しかし、それは無理強いするものではない。心が乾いて、渇望するまで、手出しはできない。そういう苦しみもあるのだ。今日も、一日、心を込めてお勤めさせていただきました。「ありがとうございます。」
Oct 7, 2008
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なかなか更新できなくて、すみません。 とりあえず、生きてます。 もう一つの方のブログは更新していますので、そちらも良かったら見てやってくださいね。それにしても、アダルト系のコメントやTBの多い事!その削除だけでも、相当の時間が取られます。う~ん、なんとかならないですかね・・・?
Oct 2, 2008
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帰って参りました~。お会いできた皆さま、本当にありがとうございました!新しい出会いも沢山ありましたね。また、ボチボチ、書いて参りますので、宜しくどうぞです。
Sep 22, 2008
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ごめんなさいね。 こっちには、頑張って書いていますので、宜しければどうぞ。先週末は、「味惣」でオトンのお祝いでした。還暦と退職です。また、料理の写真はアップしますね。(笑)ここは、いつも食べきれないほどの料理なのです!しかも、美味しい!明日は、講座。頑張りましょ~!(笑)
Sep 16, 2008
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昨日の9月9日は、父の60回目の誕生日だった。朝、オカンから、「お父さんに、お誕生日のメールでも送ってあげてね」というメールが来ていた。仕事が終わって、8時半。オトンにメールを考えていた。「オトン、60回目の誕生日、おめでとうございます。今だから言えますが、ボクは子どもの頃、オトンが大嫌いでした。1つしか違わない弟がいるのに、何かと言えば、『兄貴なんじゃけぇ、お前の管理が悪い。』と容赦なく殴られていました。同じことでも、弟ができれば、スゴイ褒められるのに、ボクができるのは、当たり前。子どもの頃のボクは、それが消化できずに、本当に苦しい思いをしていました。『なんで、なんで』と思いながら、何度も泣きました。今、あの頃のオトンと同じくらいの歳になって、少しはあの頃のオトンの気持ちが分かります。仕事が終わって、自分も疲れているだろうに、ボクラと一緒に5時半や6時に起きて、トレーニングをしていたこと。そんな、1つ1つが、不器用なオトンの愛情表現だったのでしょう。愛の反対は無関心と言う言葉がありますが、殴るということでしか、コミュニケーションが取れないオトンは、あの頃のボクにはわからなかったけど、無関心でなかっただけの愛情を持っていてくれていたのだと今ならわかります。今まで、本当にありがとう。家族のために仕事ばかりの60年だったから、今度は、ゆっくりと自分のために時間とお金を使って、楽しい時間を過ごしてください。オカンとボク等が羨むような夫婦を見せてください。いつまでもお元気で、ボクラに親孝行をさせてください。今一度、お誕生日、おめでとうございます。さとる」 メールを送信した。ちょうど9時だ。999が並んだ。(笑)5分後、すぐに返事がきた。「ありがとう。親が思うのは、いつでも子どもの幸せです。生まれてきてくれて、ありがとう。」ちょっと泣けてきた。
Sep 10, 2008
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会社の情報提供&雑感を書いているブログを別で立ち上げるようになりました。 こちらも宜しければ、読んでみてくださいね。頑張って、「ほぼ毎日」書いていますので。(笑) 『こちら』です。
Sep 6, 2008
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今日、急にToshiさんが来られた!(笑)会場の下見ということで、来られていた。色々とご案内をさせては頂いたけど、どうだったかな?「いい風が入るね~!」がボクとしては一番のほめ言葉かな。(笑)10月15日のコンサートはボクも本当に楽しみにしているのだ!もし、お時間あれば、是非、ご参加くださいね。さて、本家のほぼ日記も、最近は本当に充実している。(充実しているのは、いつものことだけど。(笑))8月25日の日記に、江原先生がさださんと大笑いをした、(正確には、さださんが大笑いさせたのだろうけど)というコメントがある。ボクは、これを読みながら、涙が出るほど嬉しかった。いつか、江原先生とさださんと対談をしてもらいたい。しかも、さださんのペースでしてもらいたいとずっと思っていたからだ。まさに、この2人をつなげたのは『かささぎ』なのだ。「喜び」とは、突然にやってくる。いつか、コップに1滴1滴溜めていた水が、表面張力の限界を超えて一気に水が零れるように、苦労も悲しみも一気に喜びの涙で洗い流される。喜びとは、爆発だ。爆発とは、魂の誕生だ。かつて宇宙がビッグバンによって生まれたように、振動を変えることで、波長が変わる。そう、心境とは心の振動だ。悲しみは悲しみの振動を出し、喜びは喜びの振動を出す。振動は波だから、似たようなリズムは同調する。人の心は科学では解明できない。なぜ、人は悲しむのか。なぜ、人は喜ぶのか。なぜ、同じことが起こっても、悲しむ人がいたり、喜ぶ人がいるのか。記憶とは、「物質化」できるのか。なぜ、「音」という空気の振動を鼓膜が共振して電気信号に変換し、脳に届いて、「感情」に変換されるのか。美輪さんがオーラの泉などでもよく仰る「霊は電気系を良く使うからね」というのは、電気というものの性質(波)と霊のもつ波が、似ているからだろう。あれ?ボクはどこに着地したら良いんだ?(笑)とりあえず、喜びがいっぱいのさっとんでした!(笑)まだ、頑張れるっていうのは、引け目に感じることではなくて、明日の希望なんですね。
Sep 3, 2008
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ええ、ミスチルの曲です。(笑)ボクの今のヘビーローテーションですね。知らない方は『こちら』をどうぞ。なんて言っている間に、もう9月!8月も本家に里帰りできず、申し訳ないな~なんて思っている。先週から、塾の方にも、生徒が来てくれた。小2の女の子。市販の算数の教材を買ったのだが、殆ど繰り下がりで間違えていた。聞くと、算数が苦手ということだったので、とりあえず、10の補数の練習をさせてみた。「はい、両手を広げてみて。いい、今、全部で何本指があるかな。」「え~っと、10本」「そうだね。(笑)じゃあ、2本曲げてみて。そう。さ、今、何本だ?」「え~っと、(数えている)8本。」ああ、この子は、数は数えられても、数が量として定着していないのだ。これでは、数だけ見ても、イメージがわかないだろう。しばらくは、一緒に、指を触りながら、「3本曲げたら、残りは7本」などと、ゆっくりと丁寧に練習していく。そして、慣れた頃に、「じゃあ、10は、8と?」「2」「3と?」「え~っと、7」「5と?」「え~っと、5」という感じで練習させていく。練習をさせるときは、指も使わせていく。まだイメージが上手くできない様子なので、何度も「指を良く見てね。」という言葉を使う。トントントンと出来る様になった頃、「じゃあ、もう一回、あの問題をやてみようか?」と提案。本人はちょっと不安顔。でも、あっという間に解いてしまった。これには、本人が一番驚いていた。「うわぁ~! 全部、簡単に解けちゃった!」「うん、そうだね~。スゴイネ~!でもね、本当に頭が良くなりたい人の勉強の仕方があるんだけどなぁ~。(笑)・・・やってみたい?」「うん!」と元気よく応えるので、「どんぐり倶楽部」の年長さんの問題を解かせてみた。(画像は、後でアップしますね)問題をまずはボクが読む。読み終わったとたんに、その子の口から出た言葉は、ちょっとボクを驚かせた。「ねぇ、センセ。これって、足し算? 引き算?」「あのね、今は、それは考えなくてもいいよ。とりあえずね、今、カタツムリさんが出てきたでしょ?だから、それを絵に描こうか?」「うん・・・。」やや不安げな表情を見せたが、すぐにお絵かきに熱中。(笑)「あぁ~、色鉛筆も持ってくればよかったなぁ~!」等の独り言も出てきた。ボクは、内心、「シメシメ」(笑)30分も集中して描いて居ただろうか。「できたぁ~!」と元気良く見せてくれた。ここまでトータルで1時間ほど。「じゃあ、今日は1時間も勉強したから、これで終わろうか?」「ええ~! センセ、問題はやらんのん?」「ええ~!(笑) やりたいん?今は、やらなくて良いよ。もし、どうしてもやりたくなったら、また明日もおいで。」「うん。分かった」翌日も、ちゃんと来てくれた。(笑)そして、その日の帰り際。お母さんが迎えに来てくださっていた。その小さな女の子は、お母さんの腰に抱きつきながら、こう言ってくれた。「私、この塾じゃないと嫌だ~!」思わず、目頭が熱くなった。お母さんも突然のことに少し狼狽されたようだったが、「とりあえず、今の塾が9月いっぱいまでありますので、10月からお願いしたいと思うのですが、よろしいですか?」と仰ってくださった。「ええ、いつでも結構ですよ。楽しみにお待ちしております。」そう応えると、その子は、本当に良い笑顔で微笑んでくれた。そんなこんなで、今はてんてこ舞いだ。社長から、20ページに渡る英文の日本語訳を頼まれているのを早く仕上げないといけないし、10月15日のイベントのことでHPなどの作成をしていたし、土曜には、そのTOSHIさんがライブをするので、伺いに行かせて頂いていたし、(こちらの感想はまた書きますね)色々とHPがらみの更新をしないといけないし、来週は、オトンの退職記念のパーティをするので、その準備などもあるし、そうこうしているうちに、江原先生の大阪講座もあるので、その準備(?)もしないとなぁ~。そうだ、次の土曜は知り合いの人がライブに出るので、ツレと一緒に見に行く約束をしているのだった。なんて、嬉しい悩みがいっぱいなのだ!(笑)今日もありがとうございます。一生懸命生きました。明日も頑張ります。あなたとあなたの周りの全てが幸せでありますように
Sep 1, 2008
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今の子どもの問題は、子どもだけの問題じゃない。もう、社会全体の問題だ。だから、「子どもだけをどうにかしよう」なんていう対処療法を打ち出したところで、見当違いの解決法になってしまう。戦後の価値観を引きずるのは、もう止めにしなければならない。戦後の何もなかった時代。物があることが幸せだった。それは、『家族が一緒にいる』ということが、当たり前だった時代の話だ。夕方になれば、お父さんが帰ってきて、一緒に夕餉のちゃぶ台を囲む。冷蔵庫があれば、それが幸せ。テレビが家にくれば、それが幸せ。洗濯機がくれば、それが幸せ。そんな時代は、親子の触れ合いが自然にあり、時代のスピードが今とは比べ物にならないくらい緩やかだった。現代は、物が溢れてしまった。文明だけが先に進み、人の心を置き去りにしていった。人と人の触れ合いよりも、ゆっくりと話しながら、お互いを理解することよりも、家族で一緒にご飯を食べることよりも、お金を稼ぐこと。それが幸せになれる道だと教えられてきた。世間的にいう「良い子」とは、親の言うことをちゃんと聞く子であったり、勉強を自分からする子であったり、どちらにしても、「親の期待」に応える子に限定される。しかし、親と子は、心が違う。魂が違うのだ。だから、例え自分の産んだ子であっても、性質は全く違うこともある。自分が育てられたように育てても、自分のように育つ保証もない。また、もっと深刻なのは、親が自分に無価値感を抱いている場合だ。子どもは、お母さんが大好きだ。お父さんも大好きだ。それは無条件なのだ。なのに、親が自分のことを価値がないと思っていたなら、子どもは、価値のないものを愛しているという考えを親から押し付けられる。しかも、そういう親御さんは、本当は心から愛して欲しい気持ちが根底にはあるから、矛盾した2つのメッセージを同時に発している。だから、子どもは混乱するのだ。価値があるとか、価値がないとか、そんな考え方は、「幻想」だ。「死」に直面したときに、人は何が一番大切なのかを痛切に知る。子どもが事故に遭って死にそうだというときに、何を思うのか。自分の寿命があと1ヶ月だと言われたときに、どう生きるのか。ボクは「幸い」に、何度も死のうと思ってきた。そして、今がある。この命は、もうボクの命であって、ボクの命でない。毎朝、仕事に出かけるときに、子どものケンゴの頭をなでる。「今日、これで会えなくなっても、元気で生きていくんだよ。」という思いを込めて。毎晩、寝掛けに嫁の頭をそっと撫でる。「今日も一緒に生きてくれて、ありがとう」という思いを込めて。その一瞬が、ボクにとっては、「生きる価値」そのものだ。お金がいくらあっても、その瞬間は買えない。そういう経験と感動、そして、人生を彩る全ての瞬間が、「価値」そのものだ。聖なる一瞬だ。神が与えた時間だ。今、こうして生きていること自体が、「奇跡」なのだ。子どもと出会えたことも、友達と出会えたことも、愛すべき人に出会えたことも、腕時計をネジの1本までバラバラに外して、海の中に放り込んで、自然の営みの中で、「偶然」に腕時計に再び組みあがるくらいの「奇跡」なのだ。あなたがここにいるということは。ボクが、あなたの向かいにいるということは。そんな、奇跡の塊のような「魂」を、高々100年ほどの価値観で縛り付けるなんて、モッタイナイ!大海の一滴でも、大河のはじめの一滴になるかもしれない。子どもを子どもらしく育む教育を続けていきたいと思う。
Aug 22, 2008
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最近は、塾のプチ営業。(笑)午前中は会社の経理事務をこなしてから、午後から営業に出たりしている。その先々で話し込んでしまうのが難点だ。(笑)でも、話すほどに『どんぐり倶楽部』のことを自分が理解していかなければならない状況になる。そして、相手を「説得」ではなく、「納得」してもらうように心がけて話している。教育は「結果」を求めるのではなく、「過程」を大切にすること。先日は、塾の教材屋さんに会った。その方は、すでにボクのホームページ、塾のサイトも見てくださっていたようで、「あの、教材屋としては、言ってはいけないことかもしれませんが、今の塾の教材は確かに、本当の意味で『考える』ようには作られていませんね・・・。教科書の改訂もありますが、それは以前削られていた内容が復活するだけで、目新しいものもなさそうです。もし、家が近かったら、ここの塾に子ども預けたいのですけどね・・・。」と仰ってくださった。もし、お時間あるようなら、こちらも読んでくださると幸いです。今は書けないけど、本当に人のつながりも感じる。今後も楽しみな企画がいっぱいだ。応援してくださる方々が、こんなにもいてくださる。radio CamnetのH編集長!『くんぺる』の代表のSさん。そのほかにも、今日、色々とお話を聞いてくださったみなさん。本当にありがとうございます。心から感謝しています。とりあえず、9月には、江原先生に会える。そのときに、恥ずかしくない自分で会いたい。さぁ、まずはそこの「電柱」まで走ってみよう。
Aug 20, 2008
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あっと言う間のお盆休みだった。涙今年の平日の休みは、ケンゴは保育園があるし、嫁は仕事ということで、ボク一人家で活動できたという絶好のコンディションだったのに、パソコンの写真を整理していたり、HDDの動画を整理して、DVDに焼いていたりしてたら、あっという間に時間がなくなっていた・・・。後半は姫路へ。そこの市民プールへ出かけた。ケンゴは、浮き輪デビューだ。(笑)ここは、波の出るプール。ボクも楽しんだ。(笑)(ああ、色の白いのがバレるな・・・)そして、その晩は花火。最近の花火は、ものすごく明るくなるのがあるのねぇ~!ボクらの時代は、ねずみ花火を投げあったり、ドラゴンの上を飛んだり、打ち上げ花火を打ち合ったりしていたものだ。(良い子は絶対にマネをしないでください!)線香花火も、ヤケに潔く「ぽとっ!」って落ちていった。(笑)う~ん、散り際の美学だ!(笑)しかし、姫路は涼しい。夜寝ていると、あまりに寒くて夜中に窓を閉めた。岡山の暑さが異常なのかな?でも、盆が過ぎると、緩やかに秋が近づいてくる気配がする。そんなこんなで、しっかりと家族サービスができました!さぁ、今週も頑張ろう!
Aug 18, 2008
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ふぅ~。いよいよ、来週の月曜から、新しい塾が始まる。ホームページも、何とか盆前に完成!チラシも頑張って作った!8月の17日の日曜と、24日の日曜に新聞の折込に入る予定だ。文章も、相当長い。でも、ボクなりに楽しく読んでもらえるように工夫したつもりだ。こういう文章を読んで、来てくれる生徒でいいと思う。塾のホームページも、このブログの過去ログから、塾関係のことを引っ張ってきて、加筆再構成したものを載せた。とにかく、「どんな人がしているのか」を知って頂きたいな。来年の今頃までに、生徒が70人になったら、福岡から糸山先生をお呼びして、講演会で話をしていただこう。ええ、もちろん、ギャラもお支払いします。(笑)というか、そういう講演会を、「ショー」にしてしまいたいのが、ボクの1つの夢でもある。そう、講演会を軸とした、総合エンタテイメントなのだ。感動を提供したい。そのためにも、頑張ろう。何度目の仕切りなおしか分からないけれど、生きていれば、これだけの仕切りなおしのチャンスが与えられるという、生き証人となろう。(笑)苦しいこともあったし、悲しいこともあった。もちろん、これからも沢山あるだろう。でも、その1つ1つを味わっていきていこう。来週月曜から、『個別指導のフイユ』始動です!(もし、ご覧になっていたら・・・)糸山先生、どんぐりのホームページから沢山素材を拝借しました。もし、著作権に引っかかるなら、仰って頂ければ有難いです。ボクとしては、このサイトは、誰でも簡単にホームページが作れるための「雛形」の1つとして提供する心積もりもあります。また、ご連絡させていただきます。
Aug 12, 2008
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昨日は、夕方からお墓参りをして、晩は、後楽園の幻想庭園に行った。1年毎に、お客さんが増えている感じ。(笑)今年は特にガソリン代の高騰もあって、レジャーが近場になるのも仕方ないかな?日頃は入れない芝生の辺りも開放してあって、芝の感覚が裸足に嬉しい。そして、日が暮れると一気に気温も下がる。ボク等は、お弁当を持っていった。結構、アチコチでお弁当を食べているグループもある。ちょっとした夜間ピクニックだ。(笑)ただ、難点は、日が暮れると何を食べているのか分からないことだ。(笑)食事も一段落して、ゴザを用意していたところに寝転ぶ。あ~、岡山でもこんなに星が見えるんだ~!と暫し、星空を見上げる。そこに聞こえてくるのは、岡山出身のアーティスト「まきちゃんぐ」の歌声だ。子どもの頃の、愛を感じにくかった時代を思い出して、なぜか、寝転んだところから涙がこぼれる。暗闇なので、嫁にも気づかれなかったようだ。(笑)この人の歌声は、なぜかボクの琴線に触れる。心の奥底で、抑えていた感情の蓋を、ふっと開ける。もちろん、嫌な感じはしない。懐かしい頃を思い出させる不思議な声だ。
Aug 11, 2008
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タモリさんの弔辞は、you tubeでも見れるので、関心のある方は、是非どうぞ。非常にタモリさんらしい、弔辞だと思う。淡々と、しかし、愛情を込めて。お客さんを白けさせないように。あくまで淡々と。しかし、最後のところで、感情が揺れてしまうところがある。ボクもそこで胸が詰まった。この弔辞は、タモリさんの芸人としての心意気と、ジャズをこよなく愛する心との融合だ。そして、もちろん、根底には赤塚さんに対する深い尊敬の念、感謝の念が、敷き詰められてある。ネットで騒がれている「白紙の弔辞」も、タモリさんがジャズを愛していることを、そしてベートーベンを嫌っていることを思えば、「タモリさんなら、されるかもな」、と思える。>でもね、わたしも何べんもやりましたけど、ものすごいテクニックが要るんですよ・・・それ。奇しくも、タモリさんが、フリージャスを語っているシーンで、こんな言葉を言っている。楽譜なしで、好きなように演奏をすること。即興の演奏で、お客さんを楽しませ、さらに自分の可能性を探ること。小脳と大脳の無限回のキャッチボールの中で、突然、雷に打たれたようなフレーズが湧き上がってくること。こういうと不謹慎かも知れないが、そんな、ライブ感を一番「楽しんで」いたのは、他でもないタモリさんだろう。そして、もう一人。赤塚さん、その人。そう、見方を変えれば、この「ステージ」は、赤塚さんがタモリさんに送った、最後のハレ舞台だ。赤塚さんに、仕事が来なくなった時、物心両面で支えていたのは、タモリさんだったそうだ。しかし、赤塚さんはタモリさんの援助してくれたものには、一切手を触れず、「タモリ基金」として貯金していたと言う。「芸人はいつ売れなくなるか、わからないから」と。売れなかったときがあったからこそ、相手の痛みが分かる。そんなお二人の「仲の良さ」が、色々なエピソードで浮き彫りになる。ボクは、そんなお話を伺って、温かい気持ちになれる。タモリさんは、朝、この弔辞を読んで、その日は「笑っていいとも」の仕事をいつも通り笑顔でされたそうだ。本当に、「プロ」だ。でも、その晩は、そっと一人で涙を拭っておられたのかもしれないな。お好きなジャズを聴きながら・・・。ボクは、この歌が頭の中で流れてきた。 以下は、タモリさんが読まれた弔辞です。最後に、赤塚先生。お疲れ様でした。ありがとうございました!弔辞 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きに亘る闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。我々の世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代と言って良いでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。 10代の終わりから、我々の青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はアガルことすらできませんでした。 終わって私のトコにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、 私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。 暫くは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、色んなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。色んなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のことも色々とあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に活かしております。 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のとき、たこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう、逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。 あなたの考えは、全ての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。 すなわち『これでいいのだ』と。 今、2人で過ごした色んな出来事が、場面が、思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが 本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりの素晴らしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、 お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせて頂きます。 赤塚先生、本当に お世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。 平成20年8月7日森田一義
Aug 9, 2008
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スピリチュアルとは、今、巷でよく言われる、「オーラ」とか、「前世がどう」とか、「ソウルメイト」がどうとか、「運がいいとか、悪いとか」とか、「去年のあなたの面影が~」とか、「ダイサッカイがどうだとか」とか、そんなことは、実は、「どうでも良い」のだ。便宜上、口にすることはあっても(ダイサッカイは全然関係ないけど)、大切なのは、「いかに生きるか」ということに収斂される。夏だからか、「その手の話」については、色々と出てくる。しかし、楽しむ分には良いけれど、それに縛られると、自分を見失ってしまう。「自分を見失いたい人」には良いのかもしれないが、「だったら、死ぬまでずっと寝てなさい」と言われても、その人は納得しないだろう。人は必ず死ぬ。今までに例外はない。では、なぜ必ず死ぬと結果がわかっているのに、人に優しくしたり、他人のことを気遣ったりするのだろうか。話が飛躍するようだが、この話は、現在の教育問題にそのまま当てはまる。今の教育はずばり「短絡的正解追求型教育」だ。簡単に言えば、「正解がでれば、それでいい」教育だ。その短絡さ(お手軽さ)が、人間を、子どもたちを、どんどん考えさせなくしている。考えられなくしている。「正解でなければダメ」という価値観が基調にある世界は、本当に窮屈だ。その窮屈さに嫌気がさした人は、「自殺」に走る。自分を殺す勇気のない人は、人を殺す。(先日の新聞で、「日本人は、死んでわびるという潔さが~」なんて言っていた人がいるらしいが、国がそんなこと認めてどうするんだ~!と言いたい。そんなことを認めていたら、もっと短絡的な考え方をする子が増えるに決まっている。「死ねばいいんじゃろ?」という言葉を軽々しく吐く子どもに、死刑を正当化した大人はどう答えるのか。「無期懲役」は、「先がないこと」ではないのだ。苦しいならいっそのこと、殺してしまおう。なんて考え方は、家族に病人をもったことのないよう人のあまりにも愛情の欠けた考え方のように思う。国家を担うような人が、ここまで人間を物質的に考えていたことに、驚いてしまった。まぁ、医療費が・・・なんて思われているのかも知れないが。自分の子どもが罪を犯しても、平気な顔をして、他人事みたいに「死刑」って言えるのかな?「子どもと一緒に、一生かかっても償います」という方が、どれだけ大変で、どれだけ、子どもに対する愛情がある言葉なのか、想像つかないかなぁ~?)「どうせ死ぬのに、何やってんの」の言葉は、「どうせ正解は1つしかないのに、何考えてんの?」の言葉にかぶる。人間は、単なる親のセックスの結果で、あとは、死ぬだけの存在ではない。算数の問題も、仕事だから作らされて、あとは、答えを出すだけの存在ではない。双方に共通して欠けているものは何か。「楽しむ」ということ。「感動する」ということだ。感動するとは、何度も言うが「喜怒哀楽」の全てを「経験する」ことだ。自分の内側から溢れてくる感情を味わうことだ。(だから、人間としてまだ「感情」が確立されていないときに、大人の感情を押し付ける「普通、こういうときは、悲しむ」とかそういう表現を押し付ける中学入試は、人間として育てるときには、「危険だ」という『どんぐり倶楽部』の論旨は、ボクにはとてもよく分かる。)「ああ、このお店のパスタ。ちょっとローズマリーの香りが強すぎて、私の口には合わないな。残念」と思える時間も、宝物。決して「無駄」ではない。あとから、話のネタになるのは、そういう「失敗談」の方が多いのだから。(笑)もちろん、「ああ、ここのお店のこのオムレツ。もう、言葉も出ないくらい美味しいね。」ということも大切。ここでも「美味しいね」と思えるために「美味しくないね」という経験は活かされている。だから、「無駄」なんて本当にないのだ。「スピリチュアルに生きる」とは、そういう視点を持って生きること。その一瞬一瞬の感動を味わうこと。その一問一問の問題を味わうこと。ここに、非常に「スピリチュアル」に生きた雪絵ちゃんを紹介したい。ご存知の方も多いと思いますが、山元加津子さんの話です。山元さんと言って分からない方は『きいちゃん』で分かりますかね?(笑)最近は、教科書にも載っている有名な話です。授業で生徒の前で読みながら、嗚咽を堪えきれない先生も多いそうですよ。涙もろい人は、人前で読まない方が良いと思います。ボクは・・・、ご想像通りでした。(笑)
Aug 3, 2008
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「携帯変えました!」って、言ったっけ?(笑)そう、今まで、買ったときは最新機種だったP209iだったのですが、さすがに、書きかけたメールが何度も飛んだりしたので、思い切って、変えました。⇒こちらです。今まで>シャメ送ってくれってメールしてくれた人。「けっ! シャメって何だよ! シャカシャカ メザシのことか?意味わかりませんよ。」なんて返答してて、ごめんね。今度からは、シャメ送ります。お頭つきで。「あぁ、どうせ、私の携帯には500字しか、メール受信できませんよ!」なんて返答してた人へ。ごめんね。これからは、分割してくれなくてもいいです。でも、できるだけ用件は要約して欲しいです。ついでに、改行もしてくださいね。ははは。これだけの高機能なのに、まだ、殆ど使いこなせていません。(笑)でも、この間の日曜に、何とか携帯に曲を入れました。すごいね~!100曲近くも入るんですね~!イヤフォンで聞いたら、音質はそのままだし!メールとかも凄いんですね。最近のって!(笑)「け」って入れるだけで、いろんな言葉が出てきて、いちいち全部入れなくていいし。あ~、これ凄い!また、ちょっと色々とこれで遊んでみたいと思います。ああ、塾の準備もしないとね!(笑)
Jul 30, 2008
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朝9時出発。その日は、鳥取へ『どんぐり倶楽部』の糸山さんが来られる予定だ。ホントにボクはツイてると思う。どんぐり倶楽部を知ってから、その内容も十分に吟味したところで、「ああ、この人は、ちょっと言い方はキツイって誤解されるだろうけど、その情熱を止められないんだろうな。ぜひ、会って、お話したいな。」と思ってから、実に1ヵ月半程で、実際にお会いすることができた。12時、鳥取に着いた。せっかく、山陰に着たんだから、美味しい魚を食べたいな。そう思いながら車を走らせても、お店がない!あ、おすし屋があった。と思って、入ってみると、なんだ~、この行列はぁ!というレベル。講演会の時間も迫ってしまったので、近くのコンビニでカレーを食べる。(夕方、またカレーに遭遇するとは思っても見なかった・・・)(笑)さて、1時。会場に着いたけど、まだ扉が開いていない・・・。ホントにあるんだよね・・・?10分待つ。まだ開かない。あれ?コンコン。ノックをしてみる。「はい」女性が出てきた。まだ、準備の真っ最中だった。ホントに手作りの講演会だ。こういう温かい、講演会は久しぶりだ。机には、どんぐり倶楽部で使った生徒たちのノートが並ぶ。どの子も良いノートを作っている。なんと言っても、「楽しそう」だ。見ているだけでも、簡単に想像がつく。このノートは、実に一生ものになるだろう。自分がやったノートを見ながら、また自分の子どもに教えていく。そのときの自分をリアルに感じることができる。そんな素敵なノートを「勉強」を通じてできるなんて、本当に夢のような話だ。学年が終わる毎に、途中でも捨ててしまうノートが多い中、一生持ち続けられるノートは、本当に幸せものだと思う。しかし、そういうノートを1冊でも作り上げていくのが、本来の教育だろう。本来の教育は、色褪せないものだから。そんなノートを拝見していると、「あ! こんにちは~!」と、中肉中背、いや、やややせ気味の男性が元気よく入ってこられた。ブルー系のチェックのシャツが、清潔そうだ。「あ! ひろなかさん! こちらが糸山先生!」主催者のそらまめさんがご紹介してくださった。「どうも、はじめまして。ひろなかでございます。」「どうも、はじめまして、糸山です。」本当に大きなオーラだ。このあと、ボクが岡山から持ってきた糸山先生の本にも、「サインしてくださいますか?」と不躾に頼んでも、本当に気軽にサインをしてくださった。(ありがとうございます!)でも、糸山先生の背中、腰、肩(?)その辺りに違和感を感じる・・・。無理されてなければいいのだけど、という一抹の不安が過ぎる。そして、その後、講演会に。この感じは、久々だ。本当に良い授業を受けている感じ。昼の1時半ということで、早起きもしたから、眠ったらまずいな~なんて心配は、杞憂でした。(笑)それに、あの背中に感じた違和感は、お話されている間は全然感じなかった。皆さんの前で話される糸山先生は、何倍にも大きく見えた。実際に大きく見えるのだ。話はあちこちに飛ぶけれど、でも、ちゃんと最後には、戻ってくる。(笑)おそらく、色々なものが「見えている」からだろうと思う。目で見たら、考えなくても分かる、ということ。それが、「体験」できたのは、本当に大きかった。そして「きちんとイメージできて、感情を保った状態で再現できること」が視考力。絵図も、感情が入っている方が良いこと。ボクにとってのキーワードはそこだった。講演の後に、質問もさせていただいた。「今、本当に色々な家庭環境があって、その中で子どもたちががんばっています。中には、本当に驚くくらいメチャクチャな、メチャクチャってあんまり使いたくないんですけど、そんな中でも勉強している子どももいます。子どもがもう、どうにかできるというレベルではないところで、頑張っている子達に、糸山先生なら、どういうアドバイスをされますか。」「そうですね。僕なら、『キミはキミだから』ということを、言い続けますかね。」仰るとおりだと思う。誰かのせいや、何かのせいにしている子どもは、そこで甘えているところもある。「自分は自分」と足元を見れる子は、強いだろう。それは決して、他人と自分を切り離すということではない。心の自立ということ。海外に出てみれば分かるけど、日本は、恵まれすぎている。手の届く範囲にほとんど全てのものが揃っている。その日本で育った子どもは、与えられることに慣れすぎている。それでなくても「自分で考える時間」を奪われているのだ。ボクがいたオーストラリアでもそうだった。自分が動かないと、何も集まらない。何も動かない。常に「次はどうするのだ」「どうしたいのだ」という選択肢がつきまとう。それでも、オーストラリアの老人たちは、「今の子どもたちは、恵まれ過ぎている。」と愚痴を言っていた。そんなものだろう。(笑)教育は待ったなしだ。子どもらしさ、を大切にしたいと思う。若木だからといって、完璧でないということではない。8月18日、いよいよ『個別指導のフイユ』が稼動します!あ、糸山先生、もしご覧になっていたら、御身体、お大事になさってくださいね。(一応、日曜ヒーラーのボクですが)無事をいつも祈っていますから。
Jul 29, 2008
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午後4時くらい。空にはどす黒い雲が立ち込め、時々、稲光が光る。その直後に耳を劈く音が、空気を切り裂く。久々の夕立かな。そんな空の一大事とは対照的に、事務所から、ポケッと眺める。「竜神が怒ってるね。」頭の中で、またあの声がする。そうなのかな。「ほら。」その声の直後に、ピカっと、大きな稲光が空を切り裂いた。そしてその稲光が発生したその上に、確かに下を覗き込むようにして竜の姿が見えた!うわぁ、そんなことってあるのかな・・・?ボクの理性の部分が反応する。「そろそろ、雨が降るよ。でも、帰る頃には止むから大丈夫。」程なく、雨が本当に降り出す。バケツをひっくり返したような雨だ。窓に大粒の雨粒が滝のように流れていく。「ひろなかくん、どうやって会社に来とん?」社長がボクに聞く。「ええ、今日は原付です。」「うわぁ、そうなん。ちょっとこっち、来てご覧。」ネットの天気予報を見せてくれる。「ほら、23時にならないと、雲が岡山から出て行かんで。奥さんに迎えにきてもらったら?」「そうですね。もう、どうしようもなくなったら、嫁に電話します。しばらくは、お祈りでもしてみます。」午後7時。雨がやんだ。「さ! ほら、今しかないかもしれんよ。早く、家に帰り!」社長が帰り支度をしながら言った。「ほら、やんだでしょ?」頭の中で声がした。ふふふ。ボクは思わず声を出して笑ってしまった。「ホントだ。」一斉に、皆が帰り支度を始めて、会社を後にした。帰り際、原付の調子が良くないのか、直線でスピードが出ない。「あれ?」と思った次の瞬間、「次に止まった時でいいから、両方のブレーキをギュッてひいてごらん。今、ちょっと斜めになってるから、ブレーキパットが当たってるんだよ。」と言う声が、一瞬でした。「え?」と思いながら、その場で一旦止まって、ブレーキを思い切りかける。「直った?」随分と直線でスピードが乗るようになった。ふふふ。ありがとう。思わず、呟いた。「ふふふ。どういたしまして」鈴の音がチリンとなったような声だった。
Jul 28, 2008
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昨日もありがとうございます。今日もありがとうございます。先週末も盛りだくさんの内容だった。日曜は、国際塾の講座。自分たちでスタディツアーを計画して、ネパールに行ってきた岡大の子達。「豊かさとはなにか」を考えに行ってきたらしい。ボクも改めて考えさせられることがいっぱいあった。そのネパールで頑張っておられる「OKバジ」と呼ばれる日本人の方も、紹介してくださった。その方が、岡大の子達に宛てた手紙も読ませてもらった。「To give is to be given.」とそこにはあった。誰かに何かを与えるという行為を通じて、自分は、「幸せ」を心に与えてもらっている。おそらく、物のないネパールで、OKバジはとても満たされた幸せな日々を送っているのだろう。豊かさとは、ひとえにそれを感じる心のことだろう。そして、月曜は、「どんぐり倶楽部」の糸山さんの講演会に参加するために鳥取へ。片道3時間のドライブは久しぶり。(笑)内容も、またまとめていきたい。本当にあっという間の2時間(3時間?)だった。そして今日。そのどんぐり倶楽部の教材を使って塾をする旨をお伝えし、チラシに、こんな風に書きましたが、いいですか。というメールを糸山先生に送った。そしたら、今日の夕方に、 >もじこうしゅうりょう~!なんて、メールが来たのだ。そこには、何とも丁寧に文字校正をしてくださった跡が・・・!感動です。「ありがとうございます。」 こんな優しい波長、そして子どもの教育に関しては一生懸命の波長をもつ「どんぐり倶楽部」だ。今は、点、点、だけど、いつかそれは線になり、面になるときが、必ず来る。どんぐり倶楽部・シュタイナー教育・トランスパーソナル・スピリチュアリズムは全部同じ線上にあるのだと思う。人生は、感動と経験。それを味わうことだ。それを楽しむことだ。あ~、ワクワクしてきたぞっ!
Jul 23, 2008
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今日は、お休み。なぁ~んか、久々のお休みと言う感じがするのは、私だけ?(笑)朝から、ギターを引っ張り出して弾いてみたり、(今、旭化成のCMに使われている「さよならの向こう側」に少しハマッてます。(笑) 良い曲ですよね。)汗をかいたので、シャワーを浴びにいく。その前に、口の中がモシャモシャするので、ちょっと歯磨き。あ、いや、その前にトイレだ!でも、歌ってたから、のども渇いたな。「う~ん、肉体があるって、不便だな~」なんて思っていたとき、ふと頭の中で声がした。「自然な欲求は仕方ないにしても、キレイにしておくのって、他の人のためでもあるんだよ。自分をコギレイにしている人って、少なくとも、他人にも、そのくらいはキレイにしてあげられる、ということなんだ。自分の持っていないものを、他人にはあげられないでしょ?(笑)他人をキレイにしてあげられることができる、というのは、「可能性」だから、そこを「依存」と間違わないように。さっとんは、いつも言ってるよね?自分だけの楽しみ、幸せはない。人が喜んでくれることが、自分の幸せだ、って。だったら、そのためにも、コギレイにしておく必要があるんじゃない?そう、華美に着飾るという意味じゃなくてね。」時々、頭の中で声がする。鈴の音のような、涼しい声だ。昨日は、仕事から帰って、顔を洗い終え、タオルで拭いていたら、2メートルくらい向こうの視界の右側に、青白く光る女性が立っていた。嫌な感じはしなかった。微笑んでいるのがすぐに分かったからだ。一瞬「嫁かな?」と思ったけど、次の瞬間には、その「人」は消えていた。ありがとうございます。今日も、見守ってくださっているのですね。いつも、感謝していますよ。今、そこにいらっしゃるあなたにも。
Jul 19, 2008
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じゃあ、準備はいいかな? 紙とエンピツが必要な人は用意してもいいよ。でも、書いてたら時間なくなるかな? もちろん、電卓使っちゃダメだよ! さぁ、やってみようか。問題は1問だけ。制限時間はたったの5秒です! 今回だけは、時間を計ってやってみてね。 じゃあ、よ~い、はじめっ! ・277+198= はい、5秒です。さぁ、どうだったかな。え? ソロバンやってないから無理? そんなことないよ。イメージがちゃんとできていたら、こんな問題3秒くらい でできるんだよ。なんでだと思う? それはね、筆算が速いかどうかじゃないんだよ。大切なのは、頭の中で絵が思い浮かぶかどうか、なんだ。 この問題はね、こんな風に頭の中に描くことができる。 「右のお皿に277個のイチゴがあるよ。左のお皿に198個のイチゴがあるよ。さぁ、合わせていくつかな。」 合わせていくつ、ということだから、右のお皿から、左のお皿 にイチゴをいくつか動かしても、合わせた数は一緒だよね? だったら、右のお皿から左のお皿に、イチゴを2個動かすよ。 ・277⇒2個動かす⇒2個なくなる⇒275 ・198⇒2個増える⇒200 そうなると、この計算は275+200と同じ計算になるね。答えはすぐに「475」って出るでしょ? (文字だけだと難しい人は、必ず絵に描いてね。277個と198個のイチゴを描くのが大変な人は、17+8でもいいよ。) ほら、今「へぇ~!」って思った?ちょっと他の問題もやってみたいなって思ったかな? じゃあ、ちょっとやってみようか。同じように問題を良く見てやってみてね。 1.96+78= 2.189+524= 3.44+79 答えは下に書いておくね。もちろん、こんな風にうまくいくことばかりじゃないよ。だけど、こういう計算をしているときも、身近な例に置き換えて、そのイメージを動かすことができたら、キミは『天才』になれるんです。 もし、キミが小4以上なら、こんな問題はどうかな。今度は、時間を気にせずに、考えてみて。 4.25×36= 5.32÷0.5= どうかな? 筆算をしてもいいけど、それよりも簡単な方法があるんだ。 4.25×36=25×4×9=100×9=900 5.32÷0.5=64÷1=64 この問題も、文章題に置き換えてみようか。どういう風に考えているかわかるかな。 4.25人入る教室が36つあります。全員で何人入れますか。 ⇒36教室は、1階に4つ教室がある9階建ての建物と考えれば、1階には、25×4=100人。それが9階だから、100×9=900だ。(36が9×4と分かれるのは、25×4=100という考え方が経験的にあれば、見えてくるのです) 5.1日に32キロの草を食べる怪獣ニクキューと、1日に0.5キロの草を食べる子牛のウシオがいます。ニクキューはウシオの何倍の草を食べますか。 ⇒ニクキューは1日に32キロ、ウシオは0.5キロです。2日目なら、ニクキューは64キロ、ウシオは1キロ。割合は何日たっても変わらないから、1の64倍、つまり、64が答え。 ね。こういう数のイメージが頭にあるかどうかが大切なんだよ。それにね、これは練習すれば、みんなできることなんだ。みんな、問題を楽しめる! でも、これは、別に強制することじゃないでしょ? 「おまえ、勉強を楽しめ!」なんて、変でしょ~?ただ、キミが本当に勉強を楽しみたいなら、次の言葉は言わない方がいいね。それは、「わからない」って言葉。別に「知ったかぶりをしろ」っていうことじゃないよ。知 らないことは「知りません」って言えばいいんだから。知らないことは恥ずかしいことじゃない。でも、簡単に「わかりません」って言う人は、自分に「考えな くてもいい」って言っているのと同じ。考えないは、楽しまないと同じだよ。ただ、「時間がかかるから、時間が欲しい」や「質問がある」のとは違うよ。 例えば、『3×14』はいくつ? って聞かれたら、どう答える? 「習ってないから、わかりませ~ん!」って言う? そ れじゃあ、楽しめないよ。だって、この世には学校で習わないことの方が多いんだから。でも、考え方を知ってる人は、楽しめるんだよ。絵図を描きながら、か け算というのは足し算の連続だと言う基本的なことに気付けば、「3×9にあと3を5回たせばいい」とか。「3×10にあと3を4回たせばいいな」って思う はず。そういう人が、本当の意味で分かっている人なんだよ。ね。習ったとか、習ってないとかは、関係ないんだ。 いいかな? 実は「答え」なんてものは、「オマケ」に過ぎない。答えがないと、何となく終わらないよね。そうなると人間はいくら好きでも飽きちゃうんだよ。カレーライスが好きでも、1ヶ月毎日3食カレーで、おやつもカレーだったら、さすがにあきるでしょ? はっはっは。だから、大切なのは、あきることなく、その問題を「味わう」ということ。それが楽しむことなんだよ。栄養はあるけど、全然味のないハンバーグってイヤだよね~? 算数の問題を「味わう」ってどういうことかというと、まずは楽しみながら絵に描いて考えるってことだよ。そのためには、楽しめる問題が必要だね。それは、 こちらにまかせて欲しい。今まで何百人、何千人という人たちが、楽しみながらやってきた『どんぐり倶楽部』の教材がキミを待っているよ。 だから、この塾では、計算練習はできるだけやらないんだ。基本的には算数の文章題なんだけど、やっているうちに、国語が得意になっていったなんて人も、たくさんいたよ。それには、ちゃんと理由があるんだ。それはまた今度ね。 さ、ここまで読んでくれて、ありがとう。ここまでで大体4000字くらいあったよ。原稿用紙で10枚だ! 原稿用紙で10枚読むのって大変だって思ってた かもしれないけど、意外にスラスラ読めたでしょ? ほら、やったら案外簡単なんだ。ほら、キミも楽しく勉強できるよ。「面白そう!」って思ったら、連絡し てね。待ってるよぉ~!!! 【個別指導フイユ:さっとん】 計算問題の答え 1.96+4+74=100+74=174 2.189+11+513=200+513=713 3.44+6+73=50+73=123 ※モチロン、これ以外の解き方もあります
Jul 18, 2008
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う~。今、塾の広告を書いている。はっきり言って、人を選ぶ広告だ。(笑)だけど、こういう文章でも、臆せずに読んでくれる人に来て欲しい。塾選びに真剣になっている人に来て欲しいと願っている。もし、宜しければ、コメントくださいね~!***** 「え~? 塾の広告ぅ?」とか思った? 「こんな字ばっかりの広告、読みたくね~し!」とか思った? ははは。ごめんね。 これから、5分か10分ほど、時間をもらえないかな。「え~!」なんて言ってないでさ。 あのね、突然だけど、大事なことを1つ言うよ。いい? 『小学校の間はね、勉強できなくてもいいんだ。』 今ね、学校の勉強ができる、できないってどうやって決まってるかな? テストの結果? 授業中に発表したこと? そんなことはね、これからキミが生きていくうえで、な~んにも関係ないんだ。ホントだよ。今までいつもテストの点が100点取ってた人だって、これからず~っと100点を取り続けることはムリなんだよ。なんでだと思う? 答えはカンタン! 大人になったらテストがなくなるからさ。 あ、いじわるなぞなぞみたいだった? ははは、ごめんごめん。でもね、知ってて欲しいのは、「別にテストでいい点とるために、学校に行ってるわけじゃないんだ」ってこと。 それにね、大人になって「スゴイ!」って言われてる人でも、小学校のころは、バカにされてた人も結構多いんだよ。 アインシュタインって人、知ってるかな? 知らなかったら大人の人に聞いてみてね。『相対性理論(そうたいせいりろん)』って難しいことを考えてた人なんだ。あ! でも「相対性理論ってなに?」って大人の人に聞いちゃダメだよ。困るから。 ちなみに先生(私)も答えられないよ。そんな大人でも答えられないようなことを考えていた人がね、小学生のころは、「のろまのバカ」って言われてたんだって。 エジソンって人は知ってるかな? そう、電球とか発明した人だよね。エジソンはさ、小学校を途中でやめたんだよ。登校拒否をしてさ。 日本でもね、東京大学の薬学博士の池谷裕二さんという人がいるんだけど、この人はね小学校のときにビリから数えて何番目っていう感じだったんだって。それにね、池谷さんはね、小学校の時に九九ができなかったんだって! それでも東大で1番だったんだよ! すごいね~! なにが言いたいかっていうとね、小学校のときに勉強ができなくても、全然「ダメ」でも、それは将来とはなんの関係もないってことなんだよ。いくらでも取り戻せるし、どうにでもなる。だから、今、勉強ができないから、キライだからって、心配しなくてもいいんだよ。ね。ゼッタイだいじょうぶだから。 じゃあ、勉強って何のためにするんだろうね。ふしぎに思ったことない? 大人の人に聞いたことないかな? 勉強をする理由を知りたいかな? ふふふ。 勉強はね、『人生を楽しむ力をつけるため』にするんだよ。ホントだよ。 じゃあ、人生を楽しむ力って、何だろう??? 例えば、ケーキを食べるのは好きかな? ケーキを食べるのが好きな人は、ケーキを食べるときどうするだろう。ひと口で食べちゃう? もったいないよね? できるだけ味わって、ゆっくり食べるでしょ? フォークをゆっくりケーキにさして、まずはクリームをすくってパク! 「ん~! おいしい~!」って感じじゃない? それからケーキにズブってフォークをさして、「ん~! やわらか~い!」なんて言いながらさ、またひと口。「ん~。んまぁ~い!」なんていつの間にか笑顔になってるよね。 他にも、例えばテレビゲームは好きかな? だったらさ、始まったらすぐにラスボスで、ソイツがまたチョー弱くて、すぐに終わり、なんてゲーム、楽しい? 全然、楽しくないでしょ? いい? もし「ケーキを食べる」ということが目的なら、少しでも速くケーキを食べ終わった方がいいんだよ。そこに到達することが目的なんだから。もし、ゲームを終わらせるということが目的なら、できるだけすぐにエンディングになるゲームが良いはずだ。 でも、どちらもそれじゃ「つまらない」んだよね? なんでかな? そう。「楽しんでないから」だよ! つまりね、「楽しむ」というのは、「結果」じゃなくて、そこにいくまでの途中にあるんだよ。 今ね、残念ながら、キミたちには「結果」ばかりが求められているでしょ。「テストの点を上げなさい」とか「通知表を良くしなさい」とかさ。でもね、本当に大切なのは、結果じゃない。その途中を楽しんだかどうかなんだよ。それにね、ちょっと「ん?」と思うかもしれないけど、「楽しむ」と「考える」は実は同じ意味なんだ。もし今、1,000円のおこづかいをもらったら、「うわぁ~、どうしよっかなぁ~?」なんて考えるよね? 楽しいでしょ?ね。勉強も本当はそうなんだよ。新しいやり方を習ったら、「うわぁ、こんなにカンタンにできるんだ! じゃあ、あの問題もやってみよ~!」なんていう風になるのが自然なんだよ。 え!? 信じられない? じゃあ、ちょっと体験してもらおっかな? へっへっへ。(つづく)
Jul 18, 2008
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今日、社長が大学時代のことを少し話してくださった。法学科で法律について学んでいたときのこと。法律とは、読む人で解釈が違う。だからこそ、どう読むかが大切だ。そして、どう読んだか、については『判例』を参考にするのが一番いい。誰が何をどう解釈したのかが、よく分かるから。そんなお話を伺いながら、ああ、これって教育と一緒だと思っていた。判例とは、子どもたちそのもの。法律とは、「子育てそのもの」今は、それこそ、本当に色々な「子育て法」が存在している。例えは悪いけど、泥棒にも一部の理、という言葉があるくらいだから、どれも一理あるのだろう。そもそも、子育てに興味がない人は、そんな本は書けないだろうから。(笑)「判例」も、沢山ある。世間的にいう、「良い例」もあれば、「悪い例」もあるだろう。しかし、どちらも人間だ。「悪い例」も、原因は同じだ。「不安」その気持ちが、怒りや無関心、妬み嫉みを湧き起こさせる。その闇こそが、現世ならではの体験。と言えば、ちょっとせつな過ぎるかもしれない。でも、食べることには不自由せずに、やりたいことを、やりたいようにできて、愛されたい人からは十分に愛されていたなら、何かを不安に思うことはないだろう。「分からない」と言ってしまえば、そこから先に進めなくなる。「分からない」とは、自分の考えを止める免罪符になっている。いや、そうじゃない。分かっているのだ。本当のところは、心がすでに感じている。ただ、認めることを嫌がっているだけだ。全ての攻撃は、心の悲鳴だ。誰かを傷つけなければ自分の心が癒されないと思い込む最後の悲鳴なのだ。だから、それを断罪するのではなく、氷解するまで、添ってあげることこそが最優先。答えが合っていればいい、という教育が、子どもの心を壊していく。バレなきゃいいんだ、なんて心の闇を広げていく。良心の声を踏みにじる痛さを知っているのに。バレなきゃいいんだ、から、バレてもいいから、になったら、本当に、最後の悲鳴になる。大海の一滴だけど、塾を通して、子どもの心を守らなければ。そんなことを考えた今日だった。
Jul 16, 2008
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「ねぇ、お父さんは、なんで、クリスマスなのに、おむすびを食べているの?」啓吾(ケイゴ)のクリクリとした目は、ボクの手元に吸い付いていた。今日はクリスマス・イブ。ささやかだが、テーブルの上には、フライドチキンとケーキ。あとは、色々と近所のスーパーで買ってきたお惣菜がてんこ盛り。「今日は、クリスマス・イブだから、好きなものを好きなだけ食べよう!」とボクがはしゃいだものだから、保育園帰りの啓吾も一緒に調子に乗って、食べきれないほどパックに詰めて帰ったのだ。それでも、ボクは一人、台所の片隅で、おにぎりを3つ作った。具の入っていない、塩だけのおむすびだ。「ん? クリスマスにおむすびを食べるのが、そんなに不思議かな?」ボクはちょっとおどけて見せた。啓吾は少し笑った。「だって、おむすびはいつでも食べれるじゃん!」ちょっと生意気な口をきく。啓吾はさっきから、フライドチキンと格闘をしていた。「あのさ、啓吾。まだ、お母さんが生きていた頃、お父さんたち、本当にお金がなかったんだよ。でもね、毎年毎年、お母さんは、貧乏が嫌だって言わなかった。むしろそれを楽しんでいるようでね。クリスマスも、ケーキを買うお金がなかったんだ。でもさ、お母さんは、おむすびを作って、その上にロウソクを立てて、『ほら! クリスマスだから、ちょっと豪華なおむすびよ~!』なんて笑って言ったんだ。(笑)でもね、啓吾も知ってるように、お母さんは啓吾を生んだらすぐに死んじゃったんだよ。」「ボクのせいで死んだの?」「そうじゃない。そうじゃないんだよ、啓吾。お母さんの心臓は、もう限界を超えていたんだ。それでも、啓吾。お前を生もうと、頑張ったんだよ。お母さんは、命をお前に託したんだ。命のリレーのバトンをお前に渡したんだよ。」「お母さん・・・・」「寂しいか・・・?ごめんな。でもね、お父さんは、こうしておむすびを食べるたびに、お母さんのことを思い出せる。おむすびってね、漢字で書くと『お結び』って書くんだよ。お母さんとお父さんの心をいつも結んでいるんだ。だから、お父さんは寂しくなんかないよ。それに、悲しんでいたら、きっとお母さんがさ、天国で心配するよ。啓吾のこともいつも見ているから。だから、心配させないように、頑張ろうな。」「うん・・・。ボク、ガンバる。」「そうそう。父ちゃんも頑張るよ。だから、2人で涙を拭いて、笑おう!」「うん!」ボクは忘れない。笑いながら泣いていたキミを。おむすびクリスマス本当は、とても幸せだったと あとで気づいた。さだまさしさん『おむすびクリスマス』を聴いて。
Jul 15, 2008
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タイトルに『自然』と『普通』って書いたのに、そのことを書くのを忘れてた。(笑)『自然』とは、魂の感情をそのままに表すこと。『普通』とは、今までの経験を元に差し障りのない選択をすること。今の時代は、『普通』がもてはやされている。「フツーに」と言う言葉が、躊躇いもなく口に出る。でも、『普通』は、誰かの判断基準を借りているだけだ。魂がストレスを感じるのは当たり前だ。魂はもっと自由だから。子どもの笑顔のように自由だから。もっと、『自然』に生きてみよう。内なる声に耳を澄まそう。今日の私の決断が、明日の私をつくっていく。
Jul 14, 2008
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今は、仕事で『どんぐり倶楽部』のHPを本当に隅々まで見させていただいている。学ぶことが多くて、見飽きないのが、難点だ。(笑)主催の糸山さんは、勉強する理由をこう答える。「人生を楽しむため」全く、その通りだと思う。今の教育は「短絡的正解追求型思考(単に答えがあってればいいんでしょ?思考)」の子どもばかりを育てている。ボクも、それは塾で教えていた頃から感じていた。「で、答えは何なん?」と聞く生徒が本当に多いのだ。こちらが「やり方」を説明していても、とにかく、答えだけを暗記しようとしている子どもたち。そういう子どもと付き会うのは、本当に時間がかかる。まずは、雑談から「人の話を聞く」ということの大切さに気づいてもらわないといけない。「気づく」なんて大げさなことではないのだけれど、要は、話をすることが楽しいと思って欲しいのだ。人生を楽しむこと。これを反対から言えば、「人生の恐れをなくすること」だと思う。これは、江原啓之先生の言葉だ。恐れをなくすこと。病気になることが怖い。誰かから恨まれるのが怖い。事故に遭うのが怖い。破産するのが怖い。究極は死ぬのが怖いだろう。しかし、「死」さえも、「楽しめる」ならば、何にも恐れるものはない。実際、「死」というものはない。あるのは、「形を変える」という現象だけだ。もう少し専門的に言うと、「波動の振動が変わった」だけだ。紫外線や赤外線が目に見えないように、肉体を脱いだたましいは、肉眼で見えない。ただ、感じることができるだけだ。糸山さんも、江原先生もシュタイナーを例に挙げられていることが興味深い。人生において、「哲学」をしたならば、行き着くところは、同じようなところなのだろうと思う。あとは、どういうアプローチをしたか、という違いだけだ。そういう人たちが現世で出会えば、きっと言葉は要らないのだろう。それは、「見えている」からだ。ボクも、生徒たちと話していると、「○○なんじゃない?」と言ったことが、「なんで、センセ、そんなこと知っとん?」と驚かれることがある。そういうときは、その情景が脳裏に見えているのだ。それを共有することで、「あなたの気持ちはわかるよ」と伝えると、子どもは安心するのだと思う。「分からない」・「わかってもらえない」というのは、「不安」なのだ。子どもたちには温かい言葉のシャワーが大切。これも糸山さんの言葉だ。これもそうだと思う。温かい言葉とは、もちろん、「形」ではなくて、「思い」の方だ。いくら「あなたのことが大切なのよ」と言ったところで、心のない言葉は、子どもには通用しない。テレビの前に寝転んで、漫画を読みながらオセンベを頬張って、お尻をかきながら、「あんたのことが大切なのよ。パリ、もぐもぐ」なんて言われても、全然、心に響かないのと同じだ。(笑)その辺りは、子どもは本当に敏感なのだ。特に、評価をいつも気にしているようなこと子どもは、愛に飢えているから、当たり前だ。自分はもう十分に愛されていると安心した子どもは、他人の評価に左右されることはあまりないのだ。だから、やはり、「どれだけ言葉をかけたか」という量ではなく、「どれだけ心を込めたか」というところに行き着く。言葉は結局「容器」でしかない。「思い」を入れるために、あるいは、思いをある程度「形」に固定するための「入れ物」なのだ。長靴のグラスに水をいれたからって、水が長靴の形になっているわけじゃない。それに、何を入れるかは、入れた人が決めることだ。それをどう受け取られるかは、また別の問題だ。だから、何度でも、何度でも、体温を届けるために温かくて飲みやすい飲み物を入れ続けようと思う。砂漠がいつか、草原になるように、疲れた心にも、きっとハスの花が咲く日がくるだろう。
Jul 11, 2008
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最近写真を整理していて気がついた1枚。 場所は、山口県、ムーバレーだ。最初は、後ろが地下道にある滝なので、水しぶきかと思ったが、同じアングルで撮ったものと比べても、同じような「光」が入っていない。う~ん。これもオーブ?(笑)しかし、キレイに入っている。そういえば、船井幸雄さんが、「21世紀は、霊界と現世が地続きになる」と言われていたのを思い出す。ちょっと昔なら「怪光が!」なんて言いながら、神社にお焚き上げ~なんて、思っていたのかもしれない。(笑)でも、今は違う。優しい光は、ボク等をいつも見守っている。その「証拠」になれば良いと思っている。この光の1つ1つが「霊だ」と言ったら、怖がるだろうか。いや、優しそうな光に、きっと癒されるに違いない。現に、ボクは今、良いことばかりが続いているのだから!(笑)あ、「現世的にいいこと」だから、魂的には「悪いこと」なのかな?(笑)どちらにしても、今、ボクの魂は、とても穏やかで喜びや幸せに満ちています。『今日もありがとうございます。』今日も、そこに居てくれたあなたに。
Jul 7, 2008
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今度の月曜は七夕だ。昨日、ケンゴが保育園からもらってきた短冊を、「父ちゃんもお願い書いて!」と持ってきた。しばらく考えて、こう書いた。「みんなが けんこうで たのしく すごせますように」ケンゴはそれを一目見て、嬉しそうにカバンにしまっていた。背中を丸めて、大事そうにカバンに短冊をしまっている姿を見て、「ああ、大きくなったんだなぁ~。」ととてもホノボノした温かい気持ちになる。思わず、そっと近づいて、ケンゴを後ろから「こちょこちょこちょ~!」「ははははは! 父ちゃん、やめてぇ~!」ケンゴもいつかは、七夕の短冊に恋焦がれる人のことを書くのだろうか。ふと、そんなことを考える。思うだけで胸が苦しくなる日を、星空を見上げながら家路につく夜を、そして、思い通りにならなくて、切なくて、苦しくて、星を見ていないと涙がこぼれる時をそんな、何物にも変えがたい宝箱のような大切な時間を迎えて欲しいと思う。「1年に1度会えるなら、なんて幸せな人たちなんだ」と呟く人でいい。自分の内側から溢れる愛をもてあましていれば、その重さに耐えていれば、大切な人が出来たとき、きっと、その有難さが分かるから。かささぎは、いつも、そのタイミングを「今か、今か」と待っているんだよ。上手くいく恋もあれば、もちろん、上手くいかない恋もある。どちらかと言えば、上手くいかない恋の方が、圧倒的に多いだろう。ケンゴ、お前は、お父さんの子どもだから、きっとそうなるよ。うん、残念ながら。(笑)でも、覚えておきなさい。後で振りかえたとき、上手くいかなかった恋の方からは、随分沢山のことを学ぶことができるのだと。自分の心が豊かになっているのは、失恋を乗り越えた後なのだよ。だから、自信を持っていきなさい。父ちゃん、母ちゃんが、子どものころにお前を抱きしめた温もりを忘れないでいてほしい。でも、もし、忘れてしまったのなら、何度でも、何度でも、何度でも、お前を抱きしめるから。もし、父ちゃん、母ちゃんが先に死んでも、お前を愛していたという事実には、何も変わりはない。疑わなくていい。心配しなくていい。不安にならなくていいんだよ。いつもお前を見ている。死んでもなお、お前のことを見ているということを忘れないでいて欲しい。私たちは、お前と未来との間に架かる『かささぎ』なのだから。
Jul 4, 2008
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今は、塾を立ち上げる準備をしている。会社で経理事務の仕事をこなしながら、それでも十分に時間を頂きながら、準備をしている最中だ。現在やっているのは、『どんぐり倶楽部』の趣旨の理解だ。膨大な掲示板の過去ログを自分なりに整理して、さらに、社長に説明をしなければならない。その過程で、自分の分かっていること、分かっていないことが浮き彫りになる。本当にありがたい時間だ。それにしても、この糸山先生と仰る方は、本当に示唆に富むというか、もちろん、掲示板だと断片的なことしかわからないけれど、きっと、温かい方なのだろうと思う。子どもたちをどうにか守りたい。その一心がヒシヒシと伝わってくる。「人間は自分の幸せのために生きるのではない。人間が幸せを求めるのは、他人の不幸に我慢がならないからである。」と灰谷健次郎さんは言った。そんな熱さを感じる人だ。そして、ボクは幸いに、その糸山さんにお会いできる日が決まった。今月の21日に鳥取に来られるというので、参加表明をしたところ、本当に丁寧なご返答を、主催される方から頂いた。ああ、こういうことって続くなぁと、本当に感謝ばかりだ。思えば今から4年前の12月。ブラウン管の向こう側で公開カウンセリングをされていた「江原啓之」という人に会いたいなと思っていた。翌年の「大阪講座」の通しのチケットが取れ、その年はほぼ毎月お会いすることができた。もちろん、個人的なお付き合いというわけじゃないけれど(笑)掲示板で江原先生にイジってもらったりして、本当に楽しい時間だった。サポーターとして、江原先生に喜んで頂ける事がしたい。と思っていたことも、みんなの思いがギュッと詰まった「ハッピ」を贈って、本当に喜んで頂けて、僕らの方が嬉しかったのだ。国際塾も、ある日、新聞で見かけて、「ああ、岡山でも、こんなことをしているんだなぁ~。参加してみたいなぁ。」なんて思っているうちに、会長から声を頂いて、今は、世話人もさせて頂いている。そのご縁で、本当に社会的に地位のある方とも、お話させていただけるなんて、本当にありがたい。そして、今度もこんなに早くに叶うとは、思わなかったな。(笑)これも、導かれているのかな?(笑)うん。頑張るよ!
Jul 2, 2008
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マザーテレサは、毎朝、コルタカの礼拝室の一番後ろで、この祈りを捧げていたという。聖フランチェスコの祈り 私をあなたの平和の道具としてください 憎しみのあるところに愛を 諍いのあるところに許しを 分裂のあるところに一致を 疑いのあるところに信仰を 誤りのあるところに真理を 絶望のあるところに希望を 闇に光を 悲しみのあるところに喜びを もたらす者としてください 慰められるよりは慰めることを 理解されるよりは理解することを 愛されるよりは愛することを 私が求めますように 私たちは与えるから受け 許すから許され 自分を捨てて死に 永遠の命を頂くのですから Prayer of St. Francis Lord,make me an instrument of thy peace. Where there is hatred,let me sow love; Where there is injury,Padon; Where there is doubt,faith; Where there is despair,hope; Where there is darkness,light; And where there is sadness,joy, O,Divine Master,grant that l may not so much Seek to be consoled as to console; To be understood as to understand; To be loved as to love; For it is in living that we receive. lt is in pardoning that we are pardoned, And it in dying that we are born to eternal life.中2の英語の教科書にマザーテレサが取り上げられていて、 今、習っている最中だと昨日聞いた。ここは、新出単語が多くて大変なところだ。(笑)「Don't only give your care, but give your heart as well.」の訳に困っていた家教の子。でも、一番考えて欲しいところだったので、宿題にしておいた。マザーを聖女に祀り上げるのは、簡単だ。でも、それでは、何時までたっても「素晴らしい人」で、「自分とは関係ない」で終わってしまう。 できるだけ、ボクは生徒に「人間:マザーテレサ」を伝えていこう。ユーモアを忘れなかった、小さなおばあちゃんを伝えていこう。「Always have a cheerful smile.」と言いながら、ニコニコしているマザーが、今日も写真立ての中にいる。
Jun 27, 2008
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あ~、ホントにご無沙汰です。すみません。ここのところ、バタバタしております。というのも、どうやら『塾』部門を立ち上げるようになります。今までは、色々なしがらみがあって、自分の思うような「塾」はできなかったけど、今度は、「好きにしてみたら」という感じで、楽しみにしているのです。やっぱり、子どもたちと関わっていくのは、楽しいなと毎日、色々な準備で追われています。とりあえず、まだどうなるかは分かりませんが、ボチボチといえることから、報告しますね。
Jun 20, 2008
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男は愛犬を連れて長旅に出ていた。しかし砂漠の真ん中で心臓発作に襲われ、男はそのまま死んでしまった。 *再び目覚めたのは暗闇。そばで愛犬が見つめていた。男はちゃんと気づいていた。自分が死んだこと。そして死んだ自分に何日も寄り添って、愛犬が息を引き取ったことを。犬と一緒に暗闇を歩き出すと、やがて、まばゆい光の門が、目の前に現れた。奥には金銀に輝く、巨大な城が見える。男は門番に尋ねた。「すみません、ここは何処なんですか?この門はいったい?」門番は厳かに答えた。「ここは天国です。」「おお、ここが天国!感激だ!!僕は天国に導かれたのか。ところで、のどが乾いてしょうがないんですが、水を1杯いただけますか。」男は待ちきれず、そうたずねた。門番は言った。「どうぞ、どうぞ。城の中によく冷えたミネラルウォーターがあります。ごちそうも、食べたいだけ食べて頂いて結構です。」「さすが天国! ありがとうございます!」男が愛犬を連れて入ろうとすると、門番は急に態度を変えた。「ちょっと待った!ペットはここより中には入れません!!」門番は大きく手を広げ、男を制止した。「え...!」男は立ち止まり、愛犬を見た。愛犬はいつもと変わらず、無垢な目で男を見ていた。男は、愛犬を置いて自分だけが天国の門を入るのをためらった。しばらく悩んだが、自分に寄り添って死んでくれた愛犬を、孤独な夜に温もりを与えてくれた親友とも言うべきこの愛犬を、門の外に置いていくわけにはいかない。結局、男は門に入らず、犬とともに、光の門を後にした。再び暗闇を歩いていると、今度は古ぼけてガタガタの、木で出来た小さな門が見えた。そばに門番だろうか、本を読んでる人がいる。「すみませんが、水を1杯いただけますか?」門番らしき男は、本から顔を上げ、微笑みながらこう言った。「中に手押しポンプがあるから、それで飲むといいよ。」男は続けて、少しためらいながら、こうたずねた。「それであのう...。犬を連れて入ってもいいでしょうか?」門番は笑顔で答えた。「もちろん!」「ありがとう!」男は犬といっしょに門を入り、ポンプで水をくみ上げて、犬と一緒に心ゆくまで水を飲んだ。「水をどうもありがとう。ところで、ここはどこなんですか?」門番らしき男は、微笑んで言った。「天国だよ」「え! 天国?! でも、この向こうの、光の門の中が天国だと...」男は、戸惑いを隠せなかった。門番らしき男は、微笑を絶やさずにこう続けた。「ああ、あれは地獄だよ」「え! 地獄が勝手に天国を名乗ってるんですか?怒らなくてもいいんですか?」門番らしい男は、ゆっくりと答えた。「いっこうにかまわんさ。 おかげで、親友を置いていくような人間かどうかを、見分けられるんだから」(「アメリカンジョーク」より)
Jun 11, 2008
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喜捨 文字通り、「喜んで捨てる」という意味だ。 元々は、仏教の言葉でお寺さんが托鉢をしているときに、米や野菜、現代であればお金を差し上げることを「喜捨」と呼んでいる。 でも、何かを人にあげるとき、 「人に何かをあげられる」という経験を通して、豊かになっているのは、 自分なんだろう。 豊かさとは、実は、 「自分の中にどれだけのものを取り込んだのか」 ではなく、 「自分以外の命に対して、どれだけのものを取り込ませたか(与えたか)」 ということなのだと思う。 自分を捨てて、 誰かの幸せのために何かしようと思ったとき、 すでに自分は幸せの中にいるんじゃないか。 そして、その幸せは、 水面に広がる波紋のように、 少しずつではあるかもしれないけれど、 その人の周りに静かに広がっていく。 そんなことを考えさせられた話を 以下にご紹介したい。 涙もろい方は、ハンカチをお忘れなく。笑 ええ、ボクはボロボロでした。 笑 サキちゃんのママは重い病気と闘っていた。 あるとき、自分の死期がそろそろだと分かったのか、パパを枕元に呼んだ。 その時、サキちゃんはまだ2歳。 「あなた、覚えておいて欲しいことがあるの。 私はもう長くはないわ。 だから、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。 2本目は小学校の入学式に。 そして3本目は……○○の日が来たら、見せてあげてください」 まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。 * そして、サキちゃんの3歳の誕生日。 1本目のビデオがかけられた。 (ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される) 「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。 だから、こうやってしか会えない。 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。 だったら、ママ、また会いに来ます」 * サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。 「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。 ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。 だから、もう会えないの…。 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、 ママ、もう一回だけ、会いに来ます。 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ! ほうら、サキちゃんは料理や洗濯が できるようになりました」 * そして3本目のビデオ。 そのタイトルは、こう書いてあった。『新しいママが来た日のサキちゃんに』 そしてサキちゃんが10歳の時、 パパは再婚し、新しいママが来た。 3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。 なつかしいママの顔が映し出された。 「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。 えらかったね。 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。・・・・・・・ サキちゃん。今日で本当にお別れです。・・ ・・・・・ ・ サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る) ・・・・・・ ママ、もっと生きたい…。・・・・・ あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。・・・・ あなたの成長を見つめていたい…。・・・・・・・ じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。 ・・・・・・・・・ それは、『ママを忘れる魔法』です。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ママを忘れて、パパと、新しいママと、・・・・・・・・楽しい暮らしをつくってください。 ・ ・ ・ ・・・・ では、魔法をかけます。 ・ ・ ・・・・・ 1、2、3、ハイッ!」 (泣きながら、満面の笑顔) そこでビデオは終わった。 * 「ママ…、ママ…」と言いながら、大粒の涙をいくつも流しているサキちゃん。 うつむいて肩を震わせているパパ。 両手で顔を押さえたまま、泣き崩れている新しいママ。残念ながら、ママの最後の魔法は効かなかった。 ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。 今までも、今も、そして、これからもずっと……。
May 30, 2008
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調和。それはきっと、「心がつながっている」と実感したときに生まれるのだろう。もっと正確に言うと、「ボク等はもともと1つだった」ということを思い出すことができたときに、覚える(思い出す)感動なのだと思う。調和とは、決して「同じ」ということではない。オーケストラは、様々な楽器があって、ハーモニーを奏でるように、人の顔はみんな違っているから良いように、指は、長さや力の入り具合が違うから良いように、木々の葉は、同じでないから、みんなに光があたるように、それぞれが「違う」ということを活かしあうことが、「調和」なのだと思う。それぞれが、持って生まれた「個性」なのだ。しかし、ボク等は根っこでつながっている。それを「たましい」と呼んでも良いし、「潜在意識」と呼んでも良いし、「超自我」と呼んでも良いし、それは構わない。ただ、ボク等が「つながっている」ということで「感動」をするためには、「つながっていない」という経験を通してでしか、「つながっている」ということを経験することができない。それを改めて「経験」することができたとき、人は「感動」するのだと思う。たとえば、こんな話がある。 新聞配達の少年たまたま早起きしてしまったので、老人は早朝のすがすがしい空気を深呼吸しようと思い、明るくなりかけの外に出てみた。するとちょうど、新聞配達の少年が自転車でやってくるところだった。普段は新聞受けから受け取る新聞は、あの少年が届けてくれていたのかと思い、老人はちょっと感慨深くなった。老人は少年に、「おはよう」と声をかけて、新聞を受け取った。 しかし少年は、会釈を返しただけで、あいさつもせずに行ってしまった。「あいさつをしたのに、あいさつを返さないとは、家庭でのしつけができていないのではないか?」と思ったが、「今日はたまたま、初めてあいさつされたので、とまどったのかもしれない。よし、もう一度試してあげよう。」そう思い、老人は翌朝も早起きして少年を待った。 まだ薄暗い道路を少年は自転車でやってきた。老人は大きな声で「おはよう!」とあいさつした。しかし少年はまた、会釈しただけで、何も言わずに行ってしまった。 「余計なお世話かもしれないが、あの子の将来のために、あいさつの大切さを今のうちにちゃんと教えてあげなければいけない。」そう思い、老人は新聞配達所を訪ねた。その老人の話を聞いてうなずきながら、所長は言った。「ああ、あの少年のことですね」笑顔の中に、ちょっと悲しげな表情を浮かべて、所長は話を続けた。「あの子は、耳が聞こえないし、話すこともできないんですよ」驚く老人に、所長はさらに話を続ける。「あの子はお母さんとの二人暮らしなんです。暮らしもたいへんなようでしてね。だから新聞配達で、暮らしを助けているんですよ。それに学費も、新聞の奨学金でがんばっているそうです。耳と口に障害はあるけど、懸命に生きている。あんなりっぱな子供は、めったにいませんよ」そう言うと、所長はハンカチで目をぬぐった。老人はあまりのショックにその場から動けなかった。 老人は、翌日も早起きした。明るくなりかけの道を、少年がやってきた。少年が自転車を降りて新聞を手渡した時、老人は手に持っていた画用紙を、パッと少年に向けて差し出した。そこには、『おはよう○○くん、いつもありがとう』と大きな字で書いてあった。少年は溢れる涙を両手でぬぐいながら、何度も会釈した。そして力強く自転車に飛び乗ると、次の配達先へと向かって行った。この話は、「違いを理解する」ということの大切さを教えてくれる。ボクは職場の昼休みにうっかりこの話を読んでしまって、不覚にも皆の前で泣いてしまった。
May 28, 2008
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相変わらずのバタバタだ。笑先週の日曜は、今期の国際塾が開講した!今年は、事務局員として色々と頑張っていきたいと思っている。まずは、小さなことかも知れないけれど、講座の始まる前に、BGMを流すこと。それから、玄関先で「お出迎え=フロント」をすること。玄関先でお出迎えができるのは、ボクとしても本当に嬉しい。もちろん、初めて来られた方もいらっしゃるので、こちらから声をかけさせて頂いて、場所をご案内したりするだけでも、かなりの緊張感を和らげる効果があるんじゃないかと思う。それにしても、沖垣先生の講座は本当に良かった。贅を尽くした客船で世界一周をしている大富豪がいるかと思えば、目の周りをハエが集っても、払いのける気力さえもない母親が赤子にきっと無表情に乳を飲ませている写真がある。どちらも、まぎれもないこの地球上で現在も行われていることだ。知識には責任が付きまとう。この「現実」を知ってから、どう行動をするのか。目の前に飢えて死んでいる人がいるということを知ってもなお、弁当の余りを捨てるのか。捨てなくても良い方法を考えないのか。余った分でも、そちらへ回す方法を考えないのか。そういった選択肢がどんどんと目の前に突きつけられる。それは「知った」からだ。知れば知るだけ、そういった選択肢を選んでいかなければならない。であれば、いっそ「無知」でいる方が、ある意味で「楽」なのかもしれない。宗教が持て囃されるのは、自分で考えることを放棄した人たちの多さを証明しているのかもしれない。試しに、近くの宗教家に聞いてみればいいだろう。「これからは、ボクが自分で考えて生きていきます」彼らはきっとこう答えるだろう。「ええ! 自分で考えるだって!?あんたは一体何様のつもりだ!」そう、「あなたは何者なのか」という、人生最大の問いに答えなければならない。これは、誰に聞いても教えてくれないだろう。自分で自分が何者なのかを考えるとは、本当に孤独な作業だ。自分の内側だけで起こる些細な、でも大きな変化を見逃さずにじっと見つめる作業だ。ボクは、これから世界に羽ばたこうとする高校生たちに、はなむけとしてこの言葉を送りたい。僕らが知識を身につけるのは、いつかそれを知恵に変えるためだ。知恵とは、常に「自分が何者か」を決める選択だ。幸せになりたいのなら、今、自分が幸せならどういう行動をするのかを考えなさい。優しい人になりたいのなら、今、自分が十分に優しい人であるならどう行動するのかを考えなさい。勇気ある人になりたいのなら、今、自分に勇気があふれているならどう行動するかを考えなさい。愛に満ちた人生を歩みたいなら、今、自分が愛に溢れているとしたらどう行動するのかを考えなさい。行動では、人生の目的地につくことはできない。ただ、内なる凛とした選択だけが、その人の人生を作っていく。
May 20, 2008
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最近は、本当に沢山写ります!笑とりあえず、この前の『お花見』での写真最初は、レンズに着いた泥でも写っているのかと思ったけど、もしそうなら、他の写真にも写りこんでいるはずだ。でも、この様な模様はこれだけ。かなりはっきりとした模様まで見える写真だ。花見で盛り上がっていたから、桜の精も一緒に盛り上がっていたのだろうか?笑本当に楽しい宴会だった。続いて、先日、GWで広島の三和というところ。「子どもの日だから!」と嫁に促されて、座布団を支柱に見立てて、みんなで鯉のぼりごっこをしている風景。我ながら、アホだ。笑でも、その和やかな雰囲気に誘われたのだろうか。一番右の子の頭の上に1つと、ボクのお腹の辺りに、かなり大きなオーブが見える。こちらもちろん、この日は何も怖いことなどなく、ぐっすりと寝れた。笑一昔なら、「怪光あらわる!」なんて、騒がれていたところだ。でも、今は違う。たとえ「霊」だとしても、ボクラを暖かく見守っている人たちもいる。というか、ほとんどがそうなのだ。そういう人たちが、ふとした瞬間に姿を現してくれる。体は死んでも、魂は死なないということを、教えてくれる。その日、ボクはとてもいい夢を見ていた気がした。忘れるのがもったいないくらいにいい夢だった。忘れてしまったけど。涙
May 14, 2008
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ああ、今年もあっという間に終わってしまった!でも、充実したG/Wだった。年々、ケンゴも出来ることが増えて、見ている親としても、微笑ましいな。今年の予定は、5月3日『街角カフェ』のお留守番。岡山市民会館の北側で、市民の手による手作りのお祭りがあった。そこのカフェのお留守番をしてきた。そこで、杉本さんご夫婦にあった。岡山の街づくりを本気で考えておられる方たちだ。また、その辺りのつながりから、色々とコラボもできるかな。楽しみだ。5月4日岩国へ。錦帯橋を見ながら、お昼。まだ、桜がキレイだった。その後、『美川ムーバレー』へ。超B級アミューズメントということらしいけど、ここは結構面白かった!鉱山跡を利用した地下迷路みたいな感じ。岩の人形など、結構しっかりと作ってあって、ちゃちくないのだ!メッセージ性もあって、ボク的には『ぐー!』。笑その後は、『グリーンスパ つつが』に宿泊。川魚が食べられて、嬉しい~!思わず、お替りしてしまった!笑5月5日午前中、グリーンスパつつがの近くの森を散策。滝がとってもきれいなところだ。また、写真をアップしていきたい。午後、国立備北丘陵公園へ。入場料がたしか400円くらいだったけど、ここは、メチャクチャ広い!なんてったって、公園の中を周回するバスが走っているのだ!大型の遊具にケンゴは大はしゃぎ。笑そして、林間アスレチックにまた大はしゃぎ!笑しかし、ビビリのケンゴが、去年はできなかった丸太渡りなど、今年はできないにしても、チャレンジしてみようとしているのが、微笑ましかった。思わず涙が出そうになった。笑クタクタになって、その晩は、お気に入りの宿『湯っ蔵 さんわ』へ。お風呂に2回も入ってしまった。5月6日朝は、ゆっくり。お昼近くに、福山にいらっしゃる叔父さんのお宅へ。たけのこ掘りをさせて頂く約束をしていた。山に入ると、もう竹林のあちこちに竹の子が!やみくもに採っていると、気がついた。「どうやって、持って帰るの?」・・・頑張りました。涙ケンゴは、腐葉土を必死でめくって、カブトムシの幼虫探し。30匹も見つけたとか・・・。沢山の思い出と、竹の子とを積んで、帰りましたとさ。めでたし、めでたし
May 7, 2008
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先週の土曜は、去年くらいからお付き合いのある「ぴよさん」の結婚式に参加してきた。リリーさんにも久しぶりにお会いできて、本当に楽しい時間を過ごせました!「ありがとうございます!」ぴよさんの結婚式は、本当に手作りのものだった。誓いの言葉もご自身たちでお考えになったものだろうし、司会の方も、慣れない感じで、でも一生懸命な姿にちょっと感動してしまった。みんなが良い顔をしていた。それが嬉しいカルチャーショックだった。ボクもギターを抱えて1曲歌わせて頂いた。思わぬ大勢からの写メの攻撃に、顔が上げられなかった。笑でも、ボクは、実はその後にあるぴよさんの「前座」のつもりだったので、とりあえず、丁寧に演奏することだけを心がけた。楽しんでもらえたなら、嬉しいな。そして、その晩は、今度は弟の結婚式のために集まった親戚の待つ「舞子ビラホテル」へ。夕食のバイキングが5時からってことで、さっきまで食べていたボクにはキツカッタケド、でも、一通りは完食!笑弟の結婚式も本当に感動的な式だった。普段は裏方に徹している弟が、今日は桧舞台だ。マイクを通して聞こえる弟の震えている声。震えている指先。そんなしぐさの1つ1つが、胸を熱くさせた。そして、花嫁さんのお父さん。決してスマートな感じではないけれど、ギコチナイ仕草の1つ1つに涙がこぼれていた。実は、事前に花嫁さんのお兄さんは何年か前に、自ら命を絶っているという話を聞いていた。それが不意に思い出された。思い出されると同時に、頭の中に「ごめんな。でも、本当におめでとう!」という言葉がグルグルと回りだした。「ああ、そうか。お兄さん、来られているんだな。」そう思うと、また涙がこぼれてきた。「お兄さんの言葉、伝えたいな」そう思ったけど、どういう風に伝えようか、本当に困った。「お兄さんが『おめでとう!』って言ってるよ」なんて直接言ったら、変人扱いかな? なんて・・・。式が終わって、新郎新婦がお見送りに会場の外に待っているとき、嫁が弟と少し話をしている間に、ボクはそっと花嫁さんの手を取って言った。「あのさ、この会場に、もう1人、心から『おめでとう』って言っていた人がいたよ。」「え? 誰ですか?」「ん~。○○さんが、一番よく知っている人。」「・・・。」気づいてもらえたかな?弟たちは、今はハワイの空の下だ。
Apr 22, 2008
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最近は、ホントに「シンクロニシティー」が多いと感じる。そろそろ、あの人からメールが来るかな~、とメールボックスをたまたま覗いてみたら、その次の瞬間にメールが来たり。「あれ? 電話が鳴ったかな?」と取り上げたところに、電話が鳴ったり。ちょうど欲しいなと思っていた本を貸してもらったり。「調和」を感じる今日この頃です。私はあなたあなたは私。昨日、江原先生と福田総理とボクの3人で、どこか分からない日本庭園を、縁側に腰掛けて見ている夢を見ました。笑福田総理が、「ほら、この絵。とっても良いでしょう?」と、見せてくれたのですが、はっきりとどんな絵だったか覚えていない。涙でも、江原先生は、あの何ともいえない愛しいものを見るような笑顔で、「そうですね~。本当に、そうですね~。」と何度もうなずいておられた。とっても長い夢だったように思ったけど、今はこれしか思い出せないなぁ~。ちょっと残念!
Apr 7, 2008
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本年度の下準備が出来た感じかな?とりあえず、今年は、2年ぶりの江原先生の講座に参加させて頂けるようになった。その9月を一応のゴールに自己研鑽を重ねていこう。国際塾の方も、今年のラインナップが決まり、あとは、高校周りを残すのみ。ボクは、自分の母校の城東高校を担当する。海外、そして日本という国をもう一度、ゆっくりと考えてみたい高校生。一人でも多くの人に聞いてもらいたい話だ。夜カフェも、今年は色々な人を呼んで、もう少し広げていきたいと考えている。それを母体にまた、何かできないかも探ってみよう。そして、再来週は、ミクシーつながりの、ぴよさんの結婚式が19日にそして、ボクの3番目の弟の結婚式が20日と「結婚式のはしご」だ。笑19日には、ギターで弾き語りもさせて頂く。まだ、ぴよさんのお相手は、お会いしていないのだけど、お似合いのカップルだろう。さらに、弟の嫁さんになる人も、本当に穏やかな方だった。ところで、話は変わるけれど、最近はまた「さださん」をよく聞いている。「遥かなるメリークリスマス」は、いつかの紅白で見て、ずっと探していた曲だ。曲が終わるまで、涙を拭いもできなかった。江原先生の「ほぼ日記」にもちょっと出てこられた「ギターの神様」石川鷹彦さんが、後ろでギターを弾かれている。 本当に優しい音色のギターだ。曲は、美しい旋律の中に、段々と、だが静かに盛り上がっていく。クリスマスという、世界が一番華やかな時。だからこそ、影がくっきりと見えるのだろう。僕らの幸せがなければ、世界の幸せもない。だけど、「僕ら」の定義をどこまで広げていけるか。みんなが1つだと気がついたときに、隣の人の不幸を見て見ぬ振りができるだろうか。他人の不幸に我慢できなくなったとき、その人と繋がりができるのだろう。そのとき、「生まれてきてよかった」と思えるのだと思う。
Apr 4, 2008
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先日はこちら岡山で、悲しい事件が起こりました。謹んで、お亡くなりになった方へのご冥福をお祈りしたいと思います。無論、被害に遭われた方のご家族、親戚の方々、知人、友人、会社の方々等の全員がそれぞれに痛みを覚えておられるのだと思いますが、加害者とされている方のご家族、その周りの方々も、きっと同じくらい胸が張り裂けそうな痛みをお感じになっておられるのだと思います。皆さまが少しでも癒されますよう、祈りたいと思います。 それにしても「人を殺さなければ、自分が癒されないと感じるほどの痛み」は、それを「実行に移す」までに、誰かが理解してあげられなかったのだろうかと、悔やまれます。英語で「理解する」は「understand」です。これは文字通り「under(下に)」「stand(立つ)」という意味です。相手よりも「下」に立つことで、気持ちも上から下に流れていくものなのでしょう。1人で受けきれない気持ちは、何人かで受け止めていけば良いと思います。「人を殺めることでしか、社会とつながっていると実感できない孤独」は、ゲームを代表とするサブカルチャーが抜本的な問題ではないと思います。「物質的な豊かさ」=「便利」=「役に立つ」=「良い」という非常に短絡的な判断基準を基調としている社会全体の問題であると、私は考えます。 以上は、「Tフラッツ」のコメントにボクが書いた文章。先日も、色々な人と、この事件のことについて話をした。一部の新聞には、「自暴自棄」なんて言葉を載せていたが、あの「行為」は、「自暴自棄」になる前の、最後の悲鳴だったに違いない。彼の心は、何度も撲殺されていたのだ。「貧乏」を「悪いこと」のように思わせる環境に代表される彼の周囲に。そうじゃない。「環境」は、「料理」の素材の1つにすぎないのだ。要は、それを「どう活かすか」なのだ。スピリチュアルな視点でみれば、それすらも折角自分で選んできているのに、なぜ、自分で選んだものを否定する必要はなかったのだ。でも、遠回りにはなるけれど、彼もいつかは気づくに違いない。そう信じている。昨今は、「スピリチュアル」の言葉も目にすることが多いが、単なる「占い」とか、「縁起かつぎ」のように理解してる人も多い。人の本質が「スピリット=霊」であることを理解することが大切だと思う。そこを基調としていないスピリチュアルは、気をつけないといけないと思うのだ。
Mar 31, 2008
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3月20日の午前中はお墓参り。家からはそう遠くない、東山墓地の一角に、嫁の家のお墓がある。そこは、住宅街を抜けた山の中にあるのだけど、その日は、やはりお彼岸の休日ということもあって、大渋滞。10分以上も待って、やっと動き始めた。前の方で何やら言い合ってる大人2名。聞くともなしに聞いていると、どうやら片方が路駐をしていたために、ずっと通れなかったらしい。「まぁ、ちょっとくらい良いか」で、何人もの人が迷惑をしていた。結果として、しなくてもいい喧嘩もしていた。おまけに、そこを通る人、全員からは冷たい目で見られていた。ホントにこの人にとって、「お墓参り」ってなんだろう。何とか駐車場を見つけ、お墓へ。その先日の大風のせいか、お墓の周りはゴミだらけだ。枯葉、お参り用の花を包んでいただろうビニール、古いお札、お酒の紙パックなどなど・・・。不思議なのは、そういうものを全部無視して、自分のお墓だけを掃除している人たち。亡くなった方が、「自分のお墓だけ、キレイにしてくれて、ありがとう」なんて思うかな?お花の準備をしている嫁はおいといて、ボクはケンゴと周辺のゴミを拾い始めた。10分ほどで周辺はきれいになった。スピリチュアルな意味としては、お墓参りとは、エールの交換会だ。「私も現世で頑張ります。だから、あなたもあの世で浄化を頑張ってください。」霊の存在を否定する人は、お墓参りを何のためにするのだろうか。物理現象、科学で証明できることだけを真理とするのなら、神社へのお参りも、お墓参りも、全く持って無意味になるだろう。でも、そうじゃない。見えないものへの敬意というものは、必ずあるのだ。お墓という「通信機」を経て、あの世の故人と会話をすること。それを可能とするものは、ただ「愛」だけだ。もちろん、「小我の愛」で話したいだけなら、故人はそれをすぐに見抜くだろう。その人にとって、「話さない方が良い」場合は、そうするだろう。それもまた、愛だからだ。その人の魂の成長を祈りながら、涙を流し、拳からは血を流すほどに固く握り締め、ただただ、傍観することしかできない故人の心を思うと、胸が張り裂けそうな痛みを覚える。それが現世ということなのだろう。その後、うちにお寺さんがいらした。読経を終えて、しばし話をしてくださったことが、とても印象的だった。経典の「経」とは、本来、布の縦糸のことです。縦糸というのは、布を織ったときに、表には出てきません。布の模様というのは、横糸で決まるんですね。ほら、ここの畳を見てください。縦糸って見えないでしょ?でも、縦糸がないと、布は織れません。仏教の教えって、この縦糸のようなものです。取り立てて、仏教、仏教っていう必要はないんです。でも、日常の中で、ふっと心のよりどころになるって言うか、自分を律する材料になるもの。生活という模様を織るときに、その網目の細かさを決めるもの。それが、教えの意味であり、知識ということだと思うんですね。今日の素敵な出会いだった。お寺さん、ありがとうございます。また、ケンゴと「座禅会」にも参加させていただきますね。笑
Mar 23, 2008
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このブログにも何度か、登場してもらったSさん。見事、第1志望の高校に合格しました!「おめでと~~~~~!!!」電話口でお母さんがやや涙声だった。そりゃそうだろう。お兄さんは、後天性の知的ショウガイを持っておられるので、そのお世話につききりのお母さん。でも、妹のSさんは、そんなお兄さんを少しも恨んでいるわけではなく、時々、寂しさをどう紛らしていいのか、内に秘めていた。中2の終わり。そろそろ成績も入試を考えると、不安な頃。それに加えての、学校での執拗ないじめ。担任の先生さえも、信じることができない状況。そのタイミングでボクが家庭教師で入らせていただいた。最初は、何を言っても笑顔が引きつっているのが、痛いくらいに解った。3ヶ月くらい経っただろうか、その笑顔が自然になってきた。自分からも冗談を言うようになった。「ほら、これが自然なSさんなんじゃない?」ボクがそういうと、涙を1粒、ノートの上にこぼした。「・・・忘れてた・・・」これからも、彼女はたくましく、そして優しく生きていくだろう。「高校に入ったら、何がしたい?」そうボクに、間髪いれずこう返してくれた。「友達を沢山つくりたい!」「そっか。Sさんなら大丈夫だよ。人の痛さをよく解っているんだからね。いいかな。それは財産だよ。誰にも盗られる心配のない財産だ。何かに困ったら、いつもセンセが言ってきたことを思い出してね。『で、自分はどういう自分でありたいの?』ってこと。Sさんが幸せになりたいのなら、幸せでいればいいんだよ。何かの出来事に左右されなくてもいい。左右されない自分を選べばいいんだから。もちろん、左右される自分を選んでもいい。ね。センセはいつも応援しているから。また、困ったことがあったら、いつでも連絡してくれな!」「はい! ありがとうございます!!」今までで一番爽やかな声だった。
Mar 19, 2008
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先週の土曜、午前中は部屋の片付け。そろそろ溜まってきた本をどうにかしないと、嫁に、黙って捨てられそうだ・・・涙あと、パソコンの中身も「大掃除」しないと、データがだんだん溜まってくるなぁ~。午後からは、国際塾のサイトを作りに事務所へ。事務局長のN崎さんと、しばし歓談。笑しかし、今年の国際塾の講師の面々は、本当に興味深い方ばかりだ。林原自然科学博物館の副館長にお話を伺えるなんて思ってもみなかった。さらにその方が恐竜の権威で、何より、その仕事がしたくてしたくてやっているそうで、楽しくて仕方のない、という仕事の選び方があるということが、高校生には新鮮に写ると思う。ケンゴにも、恐竜のことで自慢してやろう!笑ヤツは今、「恐竜キング」にはまっているのだ!いつも、舌を噛みそうな恐竜の名前を言って、ボクを困らせているヤツだ。笑2時からは、『ピース フォー ザ チルドレン』のチャリティーコンサートの席取りのためだけに並ぶ。嫁とお義母さんが行く予定だ。今年から取り入れた、オケとバレエのコラボが好評らしい。さらに、整理券が、なかなか手に入らなかったそうだ。1時間ほど並んで、席を2つ手に入れる。事務所に帰って、さらにサイト作り。でも、本当に進まない~!涙5時になって、ケンゴのお迎え。嫁もいったん、帰ってきて、身支度。その後、シンフォニーに車で送る。久しぶりにケンゴと2人だ。風呂に入りながら、色々と話をした。「千の風になって」を熱唱してくれた。笑そんな何気ない、当たり前の幸せを感じていると、ふいに涙がこぼれた。「どうしたん、父ちゃん?何で、泣きよるん?」「ん?父ちゃんは、ケンゴがここまで健康に育ってくれて、嬉しいから泣いているんだよ。」「ふ~ん。」何を考えているのか、ちょっと不思議そうな顔を一瞬して、急に、ケンゴが抱きついてきた。「うわ! 何!? ケンゴぉ~!」「へっへっへぇ~!」なんとなく、照れくさいのもあるのだろう。しかし、傍からみると、男同士で裸で抱き合っている図は、いかんともしがたい。笑8時過ぎ、嫁から電話があり、迎えに行って、近所のバイキングへ。ここは、地元の野菜を沢山使った料理で、本当に美味しい。いつも食べ過ぎるのが、難点だ。笑その日は、玉ねぎが沢山、使われていた。どれも、甘くて、本当に美味しかった。日曜、朝は、庭の草抜き。そして、のびのびになった石榴の枝を切った。「ありがとう、ごめんね」と言いながら切ると、意外に楽に切れて驚いた。昼からは、買い物。夜は、鴨ナベでした。おいしゅうございました!笑こうして、あっという間に週末が終わったのでした。涙
Mar 17, 2008
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今日、江原先生の大阪講座への当選メールが来ました!とりあえず、仕事の関係で全日は出席できませんが、水曜の初日と、土日の2講座ずつ。都合で5講座。頑張って受けてきます!それと、土曜の晩に一緒に飲める人も募集中です!笑その日は、どこかに泊まろうと思っておりますので。あ、宿泊先を提供してくださる方も、募集します。笑よろしく、どうぞっ!
Mar 6, 2008
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今月も「本家」の掲示板に書き込みができました!あ~、間に合って良かった。特に、今回は、読みたい本の要望を書けるなんてね~。うん、ただ、それが言いたかったの。笑
Feb 29, 2008
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David-san,Thank you very much for your e-mail.>I'm also weary of drawing any more lines that would > divide Canada and Japan. Yes, I agree with you.However, that would be the only method that we could be recognised ourseives by pointed from the person who has a different point of view.So, without judgeing good or bad, rich or poor, right or wrong, we should just accept as it is. For this purpose, we must know the differences first.People could know the light because he knows the darkness.People could know the harmony because they know the lonliness.In the world of relativity, we could know a subject because of the object.I would like to hear your oppinion.I really hope your presentation will be successful!Take good care of yourself.See-ya.Hironaka SatoruHironaka-san,Good to hear from you again. Very good point, indeed. While I wouldn't go as far as to say that the only method we can recognize ourselves is to be pointed out by a person with a different point of view, I certainly agree that it is a useful method.Anyway - take care and enjoy the rest of your Monday,Dave
Feb 20, 2008
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