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いま20代女性はなぜ40代男性に惹かれるのか誰でも・・・、っちゅうわけではなさそうだけど・・・f(^◇^;) ま、日々希望を持って生きていければいいですね、ってことで・・・。それでは、またっ!
2009.10.13
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いや・・・、 なんでもない・・・、 独り言、独り言・・・。 それでは、また。
2009.03.12
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とても美しい光景を目にしました。(2008/11/4)仕事の合間にこの風景を感じることができるだけ、まだ余裕があるということでしょうか。それでは、また。 ←クリックして応援してください!
2008.11.09
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気が付いてみれば、本日ブログ開設2周年を迎えていたようです。今週末は福岡出張に出ていてブログもほとんど手が付けられず、今、慌てて更新しています (^^ゞ 1年前の1周年のブログを読み返してみると、なんだかんだ、あーだこーだしていた1年が綴られていました。その時の様子はコチラhttp://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200709280000/ そして、今でも仲良くしていただいているみなさんからも温かいコメントをいただいていました。みなさん長い間お付き合いいただき、ありがとうございます。 そして、その後の1年のブログを読み返してみると、新しい友だちも増えて、さらに賑やかになってきました。これからも末永くよろしくお願いしますね。 ちなみにどんなことがあったかと言うと、 ・・・結婚10周年をミラコスタランチで祝い、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200710200002/ ・・・遅れ馳せながらの陸マイラーデビュー、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200710270000/ ・・・プチ一人旅で京都、神戸、福岡、宮崎、高尾山を巡り、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200711270001/ (京都編) http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200712150000/ (神戸編) http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200804290002/ (福岡編) http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200806150000/ (宮崎編) http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200809030001/ (高尾山編) ・・・大雪降って、でっかい雪ダルマも作りましたねー、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200802030000/ ・・・ホームシアターも春先だったんだ、もっと前だと思ってた、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200803160000/ ・・・仕事でえらくテンパッてた時期もありましたねー、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200803220000/ ・・・四半世紀ぶりの同窓会もありました、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200805030001/ ・・・ANA一辺倒から、JALへの浮気もしたり、 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200807180000/ ・・・そして、アロ~ハ~☆彡な夏旅。 http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200808100000/ (現在執筆中) ガーデニングにTDR、富士山に飛行機出張ネタも健在でしたが、この1年はとにかく小田さんネタが多かったですね。 あまり表向きには書いてませんが、「君住む街へ」「東京の空」「ダイジョウブ」を口ずさんで、 自分を励ましていたことも、この1年多かったんですよね。 ブログを続けることで知ることができたこと、ブログを続けていなければ経験できなかったこと、さまざまな人とのつながりでモチベーションも上がり、確実に人生の幅を広げることができています。私の人生にとってかけがえのないものになりつつありますね。 家族にはブログばっかりと、不評を買うことも多々ありますが、 大袈裟に言うと私の生きた証を残すため、そこまで言わなくても、たまに振り返って忘れてた思い出を甦らせるために、これからもほっこり気楽に書いていきたいと思います。 それでは、また。 ほんと、いつもありがとう。『アロ~ハ~☆彡な旅ログ』もなんとか頑張って書きます!
2008.09.28
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「楽天ブログスタッフBlog」で、『フォト容量アップ』の告知がありましたね。 http://plaza.rakuten.co.jp/hirobastaff/diary/200809220000/あ、このブログはお気に入り登録しておくといいですよ、いろいろなツッコミどころ満載の告知が見られますから。 これまでのフォト保存容量が50MBから、20GBに増えるそうです。ようやくみんなの声を聞く気になったんだね。 ただ、毎月100円の有料サービスだそうです。え、有料なの!?それにまた中途半端な金額で~ 払ってもいいよ、広告消えるなら。 消す気はないらしい って、ここらへんの議論はあちこちでなされてる。 なので、ちょっとITビジネスの視点で考えてみた。そう、実は『☆彡夢』さんは経済産業省認定システムアナリスト様なのだ! この告知文読んでみると、ちっちゃく、「フォト1枚あたり500KB、1日あたり2MBの制限があります。」って書いてあるね。 これってさ・・・、 仮に20GBのフォト容量を得たとして、仮に毎日2MBの上限いっぱいの画像をアップしても、満タンになるまで、30年はゆうにかかるってこと・・・!? じゃ、全然余裕だね~~~よかった~、これで安心、安心 (^-^)v でなくて・・・、 毎月100円を30年払って元が取れるってことは、総額3万6千円の20GBのストレージサービスを最大限効率よく使ったとして、30年払いで借りるってことですね。 これねー、楽天さん、ボロ儲けですよねー。フォト容量枠の大幅アップをコミットしつつ、日々の画像アップ容量に制限を加えることで、楽天の設備増強は状況を見ながらステップを追って行える。サービス価値を感じさせつつ事業リスクを抑える見事なテクニックですね。 噛み砕いて言うと、仮に1万人の会員が有料サービスに入ったとしても、楽天は一気に1万人×20GB=200TBの設備を増強する必要はなく、とりあえず1万人×2MB×365日=7.3TBで1年はしのげる。実際はそんなにアップする人はいないから1TBでもしのげるかも。そして、その間の収入は1万人×100円×12ヶ月=1,200万円 さて、この前提で収益モデルを算定すると・・・、 1TBのストレージサーバーっていくらしたっけ?5、6百万?ラック1本ハウジングで月20万?インフラで儲けるしくみだから、人件費の負担増もそんなにないよね。周辺設備の増強も必要ないでしょ、バックアップに3時間も時間取ってるんだから、バックアップデバイスも安物のテープドライブでいいでしょ。ネットワークも既存設備でいくんでしょ、ダイナミック課金にでもしておけば問題は出ないしね。 ん~、余裕持って先行投資しても、初年度単年度収益ベースでも営業利益30%は固い鉄板企画やなぁ。多分社内企画では40%ラインで通してるんやろなぁ。 えぇ商売してはりまんな~楽天はん。 それでは、また。私のブログのフォト容量はまだ32.4MB(1,562枚)なので、もうちょっと様子を見ます。
2008.09.23
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現在、「楽天ブログスタッフBlog」で、楽天ブログに関するアンケートを行っていますみなさんお困りの画像保存容量不足について、アンケートに「大いに不満」と答えて、楽天ブログさんに改善してもらいましょうあんまり論点が発散してもいけないので、容量問題に集中しましょうひとりひとりの声は小さいけれど、まとまれば力になるはずですさぁ、みなさん、このアンケートに答えましょう 余計なお世話の個人情報の聞き込みについては、賢くこなしておきましょうトラックバック、リンク大歓迎ですみんなの力をひとつにまとめましょうEurekaちゃんチャンス到来ガンバローそれでは、また。 ←私のブログから写真が消えたら寂しいでしょ!『☆彡夢』さんの代表作1 【ハマ アンド フジ】http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200701150002/『☆彡夢』さんの代表作2 【海から空を覗いてみれば】http://plaza.rakuten.co.jp/happygardening/diary/200708220000/
2008.05.28
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本日は風は少し冷たく、時折強く吹いていますが、天気は良かったので予定通り公園にいってきました。ワンセグで名古屋女子マラソンも見ていましたが、高橋尚子の失速で見るのやめました。というわけで今日のブログ更新ですが、ちょっと賞味期限が切れそうなネタですが、マラソンのゲスト解説もしてたし、やっぱり古田ネタにします (^^ゞさて、先週ナマ古田を見たわけですが、実は彼の出身地は私の実家の隣町で、出身高校には知り合いも行ってました。そんな強くないのに古田がMVP取った翌年センバツに出た大学は関西学生野球のライバル校だったけど、長谷川―古田のバッテリーになかなか勝てませんでした。私が戦った訳じやないけどというバックグラウンドがある私は、勝手に古田に親近感を持っていたんですが、実物をこう目の前にして、さらに親近感を覚えてしまいました。 ヒット2千本にホームラン2百本も打って、MVPも首位打者も取った日本球界を代表する名捕手なのに、特別体がデカイわけでもなく偉そぶるでもなく、その柔和な顔立ちや話ぶりに簡単に引き込まれてしまいました。 こないだ書いた話以外にも、当事の村山阪神監督が古田が欲しいと思ってたのに、フロントが「メガネのキャッチャーはアカン」と言って流れたとか・・・、阪神のフロントはホンマ、○○ですなぁ・・・。格闘家だった父親が格闘で金が稼げなかったので、古田に野球をやらせたとか・・・、星一徹ばりのお父さんらしい・・・。野球する人は勉強しない人が多いから、勉強することで勝てない相手にも勝てたとか・・・、勉強できても野球もそこそこイイ線いってないとダメらしいケド・・・。もう面白い話が出てくる出てくるいやぁ、こりゃあ古田嫌いって言う人は少ないだろーなー。しっかしホント、どっからどー見ても古田って・・・、『いいひと』ですねー (^m^) 「・・・!?」アレ!?なーんだ、『いいひと』でいーんじゃん!『いいひと』バンザ~イ \(^O^)/それでは、また。 ←ホントにそれでいーのか!?
2008.03.09
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先日と同僚と何気なく地球温暖化の話をしていて、興味深い情報を聞きました。「Google Earth」ってご存知ですか?まだ見たことはなくても聞いたことはありますかね。世界地図をいろんな視点で簡単に見ることができるインターネット上のサービスなんですが、海水面が1mから14m上昇することで世界地図がどう変わってしまうかを示すかという、「Flood Maps」が公開されています。ま、とりあえず↓をご覧になってください!海水面の1m上昇で変わる世界地図地球温暖化の海水面上昇の影響で、真っ先に水没すると言われているツバルはもとより、多くの島々が水没しています。 でもこれじゃなんのこっちゃわからないので、視点を日本に移してみましょう。海水面1m上昇で名古屋がどえりゃあことに!私は大阪出身で小さい頃から、川が民家の上を流れる「海抜0m地域」について教わっていたので、海水面上昇には大阪が一番弱いと思っていたのですが、中部圏の三角州が際立って影響を受けるようです。でも、5mも上がったら大阪もてんやわんや!なことになり、意外というか単に無知なだけなのですが、たった1mで熊本、佐賀もたいぎゃなこつに!そして、に、新潟がなくなってる!ちょっとしゃれになってません・・・。 一方関東地方は、やはり京浜東北線から東方面の影響が甚大です。隅田川、江戸川、利根川水系の周辺から水没が広がり、九十九里浜が海岸線の形のまま後退していき、そして遂には、海水面14m上昇で千葉が「島」に!みなさんの気になる地域に地図を移動して見てみてください。 決して恐怖心を煽るつもりはありませんし、実際には一気にこんな事態が訪れるわけではないでしょうから、日本の場合は対策が講じられるとは思います。でも地球温暖化や海水面上昇の問題を、遠い南の島のツバルのことと思わないで、こうやって身近な影響として考えてみることで、つい便利さに流されておろそかにしてしまいがちな自らの環境への配慮のなさを戒めてみたいと思います。 それでは、また。 ←応援お願いします!
2008.02.24
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昨日の日記にコメントをお寄せいただいたみなさまへ☆彡 なんだかみなさんのお役に立てたようで、とても嬉しいです ITの世界にいる者として、ITは人の暮らしや心を豊かにしてくれるものであってほしいと願っています。ただ、人の集まるところ、やはり卑劣な輩は徘徊してくるわけで、そういったヤツらから身を守ることもしなければなりません。今回、こんなことブログに書いても「知ってるよん♪」となってしまうのかな?とも思っていたのですが、案外みなさん苦労、というか嫌な思いをされてたんだな、ということがわかって、少し自分の役目が見えてきたように感じます。 今、小3の息子がブログに興味をもっています。これからの時代は国境も、時間も、空間も、言語も、習慣も飛び越えて、コミュニケーションが取れる、取らなければならない時代になってきます。取り扱う情報の量もスピードも、ものすごい勢いで増えていきます。 地球の裏側の人とコラボして音楽を作ったり、辺境の地の人がアメリカの大学の講義を受けたり…。それだからこそなるべく早い時期に、インターネットの無限の可能性と、自分自身の無限の可能性とをリンクして、進むべき未来を感じとってもらいたいと考えています。 でも今無防備な状態で息子にブログを開設させたら、心ない書き込みや嫌がらせに純粋な心は蝕まれてしまうように思えて仕方ありません。どんな輩と対峙しないといけないかも予想もつきません。 『なんとかしないと・・・』 そんな大そうなことはできないけれど、今具体的に解決策を持っているわけでもないけれど、『なんとかしないと』という気持ちは今回の件で強く感じることができました。 なので少しでもみなさんやチビが安心してITやネットを楽しめるように、これからも気が付いたことをお伝えしていければいいなと思います。ネットの世界だけではありませんが、食べ物や、ご近所付き合いだって…、自分や家族の身を自分たち自身で守る術をしっかり身に付けないといけませんね。悲しいけれど、それが現実 (-"-) それでは、また。※昨日のみなさまへのコメントバックは、この記事に代えさせていただきます。 でもヤツらとの戦いはいたちごっこなので、すぐまた新たな攻撃を加えてくるでしょう。まだまだ戦うぞー おー、とこぶしを振り上げたアナタはポチっとその意思を表明してください (*^^)v
2008.02.12
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ここ最近また迷惑コメントの書き込み増えてますよね自分のところに書き込まれるのは、早いうちに対処してたんですが、お友だちブログに書き込みされてるのを見ていて、だんだん腹が立ってきましたまだパソコンやインターネットの知識のあるものを相手にするならまだしも、単に生活を楽しむためにブログを使っている善良な人たちを詐欺まがいの罠に嵌めようとする魂胆が気に入らない!罠と呼べるほどインテリジェンスを感じられるものもないが ということでサクサクッと解決しちゃいましょう とっても簡単に気分爽快!ルンルン気分(←死語ではないが、こっ恥ずかしくて使えないword)でまたブログ生活を送ることができるようになりますよ難しい操作はありません、下に書いてあることだけです。細かく書いても4ステップだけで済んでしまいます。じゃ、手順を書きますね。 1.ブログ管理の画面に移って、左側のメニューの「ページの設定」の「日記」をクリック!2.「日記/記事の基本設定」の画面に変わったことを確認!3.下の方にツーっと画面を移動させて、「禁止ワード設定」に"http://"を登録します!4.最後に忘れないように、一番下にある「◎設定を変更する」ボタンをポチする! That's all ! これだけですよんこれだけでぁすやらcybrbbやらbtecやら、サイト訪問はしてくるものの素通りしていきます。要はヤツらはコメント書き込みをしたブログのページから、ヤツらが誘い込みたい別のサイトにジャンプさせないと商売になりません。当然そこはインターネットサイトなので、アドレスは"http://"が含まれているわけで、このワードを禁止設定することで、楽天が書き込み自体を自動的に拒否してくれます。ま、ホンモノのお友達が、いいサイトを教えてくれようとしてアドレスを記入してくれた時も同じように書き込み拒否されてしまいますのでご注意くださいね。サイトへの誘導は事前承諾がネチケットだからご理解いただけると思います。 それでは、また。やってみて効果があると感じたら、困っているお友だちにも教えてあげてください!そーゆー時にアドレスを書くと弾かれちゃうんことになるんですけどねー ^_^;「迷惑コメント撃退」でタグって『☆彡夢』を探してもらうのが良い手段です (^^)v 今日のはさすがに助かったよー、ありがとねー、と思ったらポチってね
2008.02.11
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なんだかんだとせわしない師走です。さて、『プチプチ神戸ひとり旅』を総括したいと思います。まず、そもそもは早朝からの大阪出張でしたね。例により「富士山どぞ♪」というところなのですが、あいにく厚い雲に阻まれて、八合目あたりがチラッと見えただけでした。でも相変わらず空は、高く、蒼く、貫けていました。 仕事先の梅田スカイビルには例年のごとく、巨大ツリーとドイツマーケットがありました。 陽気なドイツ人が「イィ~、ラッシャ、マセ~」と呼び込みを ^m^ てなことをしながら、神戸・岡本のカフェ『春秋』へ、雰囲気に味に香りもさることながら、器も凝ってます。 場面は移ろい、神戸元町の中華街へ、香港?台湾?この手狭感が良いですね♪ このお店で買った"豚まん"と"春巻き"を食し・・・ このお店で、1杯300円の"フカヒレラーメン"を食しました ←みんなこんな感じで立ち喰い! さぁ、お腹も膨れ、体も温まったところで、満を持してルミナリエ会場へ・・・、 おぉ、美しい・・・ フロントーネ 『光の誕生』ぬぉおお~、美すぃ~ ちょっと動かして音楽も聴いていただきましょう・・・、 神戸ルミナリエ2007 フロントーネ「光の誕生」 ガレリア 「光の河」くぐっても格別! じゃ、ごいっしょに・・・、神戸ルミナリエ2007 「光の河」をくぐってみましょう いかがでしょう、少しは雰囲気伝わりましたか? そして美しい光のプロムナードを通り抜けたところで振り返ってみると・・・、ど・・・、どんだけぇ~ 人、多過ぎぃ~ いやぁあ~、物凄いヒトですよね~。経済的理由から、その継続が危ぶまれているルミナリエですが、事務局の呼び掛け通り、みんながみんな「ひとり100円募金」をすれば、絶対続くと思うんですけどね~。私も些少ながら応援募金してきましたよっ! さて、まだ続きますよ、スパッリエーラ 「太陽の窓」これも、迫力のある美しい光の造形です・・・。 太陽の窓の中にある 「光の記念堂」 さて、賑やかでまさに希望の光に満ち溢れる「神戸ルミナリエ」ですが、この「光の記念堂」の後方に「希望の灯り」は位置しています。多くを語るつもりはありません。碑文の内容をここに記します。 「一・一七希望の灯り」 一九九五年一月一七日午前五時四六分阪神淡路大震災震災が奪ったもの命 仕事 団欒 街並み 思い出・・・たった一秒先が予知出来ない人間の限界・・・震災が残してくれたものやさしさ 思いやり 絆 仲間この灯りは奪われたすべてのいのちと生き残ったわたしたちの思いをむすびつなぐ そしてこの他にも、 震災の犠牲となったすべての方のお名前を記された、「慰霊と復興のモニュメント」 皇后陛下の詠まれた、「笑み交わし やがて涙の湧きいづる 復興なりし街を行きつつ」という歌の綴られた碑も近くにあります。 胸から熱いものがこみ上げ、目頭が熱くなることを禁じ得ませんでした。『神戸ルミナリエ2007』は明日まで開催されています。 それでは、また。 当たり前の明日が、当たり前にやってくる幸せに感謝・・・。神戸空港に向かうポートライナーから見た、神戸港の夜景
2007.12.15
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こんばんは、今日はちょびっと早く帰れて、"菊水"飲んでいい気分な『☆彡夢』さんですさて、『50000』アクセスから20日間で、本日お陰様で『55555』アクセスいただきましたいつもありがとうございますっ そして気になる『55555ゲッター』さんですが・・・、 じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ~~~~~ん ・・・「名無しさん」・・・、でした・・・ (^^ゞ ・・・でも、とっても惜しかった『55556』さんが楽天ブロガーさんでした。 ハープ奏者の「47弦の詩人」さぁ~~~ん、見てらしたら何かコメントお願いしま~すそれでは、また。 ←今日は気分が乗ってるので、まだ更新しまーす (^^ゞ
2007.11.15
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今週の折り込みチラシです。先週の「赤福」に続き、今週は「吉兆」です。スイーツもきっちり、ぎっしり入ってます…(>_<)別に伊勢丹が悪いワケじゃないけど、なんとも間が悪いですね (^^ゞそれでは、また。 ←応援ありがとう!
2007.10.30
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こんばんは。今週も多忙な予感のする1週間の始まりを迎えた『☆彡夢』さんです (^^ゞ さて先日、「得か損かANAのマイレージ制度変更」について書きましたが、結論的には大きな損得はなさそうで、割と理に適った制度変更なのかな、と思っていました。IT屋さんの視点からすると、これまではハードウェアやソフトウェア、それにネットワークの制約から、やりたくてもできなかった木目細やかな会員ごとの情報管理を、それらの進化によって可能とすることができるようになったITによるInnovationなんだと理解していました。 でもふと今日ANAのホームページを覗いてみると、オヤヤ?と思うことに行き当たりました。https://www.ana.co.jp/amc-new/elite/faq.html#up 空マイラーさんは、その搭乗回数や搭乗マイル数によって、いろんな特典を手にすることができます。 そのひとつに「アップグレードポイント」というものがあって、私もよくやっている国内線のエコノミーシートからスーパーシートへのアップグレードなんかに使えるポイントが付与されます。 (国際線ならエコノミーからビジネス、ビジネスからファーストへ) で、国内線でそのポイントを利用するためには、1.ANAのホームページやケータイサイトから事前予約する。2.予約デスクに電話して事前予約する。3.当日空港のカウンターで利用申請する。 の3種類の方法があったのですが、来年4月から事前予約が一切できなくなるとのこと。(注:あくまで国内線のみ、国際線は可能)上で言うと1.と2.の対応ができなくなって、「空港のカウンターに並ぶ」というアナログな方法しか残さないとのことです。 これには正直納得できません。 マイレージ制度の変更は、ITの恩恵をANAもユーザーも享受することを本懐としていると思いますが、「ユーザーをカウンターに並ばせて、人件費のかかる社員に対応させる」というのはどうも世の流れに逆行していると思います。それでなくても今でも事前予約は難しく、なかなか希望通りにアップグレードできない状況で、さらに時間に余裕のないビジネスマンに空港で並ばせるのは酷。どうも実際にスーパーシート料金を払った乗客を優先させた、アップグレード特典制度の形骸化を狙っているような気がします。それならアップグレードポイントの発行を絞ればいいのに、表面的には乗れば乗るほどポイントは増える!というような触れ込み・・・。 ライバルのJALにかなりのアドバンテージをつけることができたANAの驕りや傲慢さが見え隠れします。 中期スパンで見てANA株は売り、という直感がします。 それにせっかくANAカードデビューしたと言うのに、ちょっと興醒めだぁ・・・。そうそう、実はANAのSFCカードが到着したので、陸マイラーデビューネタを書こうとしていたのですが、ちょっと怒りで書けなくなっちゃいました。でも近々書くと思うけど・・・ それでは、また。 ←そりゃないよねー、という空リーマンな方はポチッとね (^_-)-☆ とか言いながら、来年は国際線でバンバンアップグレードポイント使ってやろうと画策中。
2007.10.22
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本日9月28日で、私がブログを書き始めて1年になりました (^^)vみなさま、いつもいつもありがとうございます m(__)m 思い起こせば最初からしばらくは庭の芝張りの日記でしたね。 そして最初にコメントを頂いたのが10日目にガラスの表札のことを書いた8本目の日記。そしてブログ中毒の予感を感じたのがその翌日(早っ!) 小田さんファンであることをカミングアウトし、学生時代のオフコースバンドの演奏をアップもし始めました。飛行機&富士山ネタの始まりも、なんだかイマイチな写真を並べてますね (^^ゞ1年がかりの壮大な決意表明をして、残すは3ヶ月と3キロ強 (^_^;)最初はガーデニング日記となるはずが、途中大幅なリニューアルをして今の姿に。 グルメブログはこの東京ミッドタウンあたりから、突然ディズニーランドや、石垣島旅ログもありますね。それ以外にも、庭に、家族に、仕事にいろいろ物思うことも・・・。 いろんなことをつらつら書きながらここまでやってきました。ブログでの出逢いや別れもいろいろありますが、こちらにお越しいただいているのも何かのご縁です。肩肘張らないで、これからもお気楽にお付き合いくださいね。 そして明日も青空を見て笑顔で迎えたいですね。 夕陽や富士山でほっこりするのもいいですね。今日の富士山はちょっと暗くて小さかったけど・・・。それでは、また。 ←いつもいつも応援いただき、ありがとうございます。
2007.09.28
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こちら首都圏は台風接近中で、雨風ともに強いです。今日は会社を6時ちょうどくらいに出たのですが、すでに電車は遅れ気味でした。これから深夜、早朝にかけて首都圏に最接近するようですが、台風の影響の恐れのある地域のみなさんには、どうか無事でありますようお祈り申し上げます。 さて、昨日お騒がせしました、ANAダイナース騒ぎですが、あっけなく収束しました。入会受付デスクのフリーダイヤルに事情を説明したら、即キャンセルに応じてくれました。引き止めも何もありませんでした。少しは引き止められるのかな、という気持ちもあったりして・・・ (^^ゞただ、マイレージの番号が二重になっているのはANA側の都合らしく、これはまたANAのデスクへの問い合わせが必要になります。で、今度こそ、有利なカードブランドを研究して、挙動不審な"陸マイラー"を目指そうと思います。それでは、また。 PS.昨日の日記で気分を悪くされた方もいらっしゃったようです。申し訳ありません。たしかに自慢したい気持ちもありました。やっぱり他人から評価される、認められるのは気分いいですから。この辺はまだまだ未熟者、というか下品ですね。人様のこと言っておきながらお恥ずかしいです。ご指摘の言葉をしっかり受け止めて反省して、成長の糧としたいと思います。実は日記もコメントも削除しようかな、という強迫観念にもかられましたが(←この辺も未熟者)、当たり前のことですが、自分への戒めとしてそのまま残しておこうと思います。私のブログを見て、おかしいぞ、変だぞ、ということがありましたら、どなたさまも、ご指摘してください。ありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2007.09.06
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あー、"大失敗”してしまいましたぁ~ (>_<)実は先日、会社の昼休みに出張フライトの確認をしようとANAのホームページを見ていました。また、 ハイ、今年30回目くらいの・・・ (^_^;)すると、ANAカードのキャンペーンのお知らせが目に入りました。 通常、入会ボーナスマイル2,000マイルのところ、今だけ5,000マイルになるらしい・・・。しかもキャンペーンの期限は8/31・・・。そして、ホームページ見ていた日は8/31・・・。でも8/31中にWeb申し込みすれば対象になるらしい・・・。Webの審査は最短10分・・・。昼休みの残りは30分・・・。 見ていたANAカードのブランドは憧れのANAダイナース・・・。 さて、今まで私の場合、出張フライトのマイルをしこしこ貯めるだけでもそこそこマイルが貯まっていくので、わざわざカードまで作らなくてもいいかなぁ、と思っていました。でも、今夏の"特典航空券で行く南の島の旅"にすっかり味をしめてしまった私は"陸マイラー"にもなって、さらにしこしこマイルを貯めようかと思いつくに至っていました。幸いスーパーフライヤーズの資格も得ていたので、さらにメリットを享受することもできます。(でも↑のキャンペーンはスーパーフライヤーズは対象外でした・・・) どぉするぅ・・・?どぉーするぅー・・・?どーするー『☆彡夢』?、どーするー? このあとはWebでっ!! ・・・って、ここがWebでした、しかもカードのブランドも違うし・・・ (^^ゞ で、審査に厳しいと言われるダイナースだったし、審査でハネられたらそれでいいや、とりあえず自分にどれだけステータスとやらがあるのかも気になるし・・・。・・・と、言うことで、"審査へGo!"しました。パチャパチャと個人情報を登録し、"審査へGo!"ボタンを押しました。 で、そこからいろいろ調べ始めました・・・。 "ダッメじゃ~ん、ANAダイナァ~スゥ~、使えネェ~" ホラ、やっぱりカード使った分がポイントになって、それをマイルに切り替えるワケじゃないですか。で、それまで"陸マイラー"さんたちのブログや掲示板を見てて、なんとなーく、生活費や必要経費をカード決済すれば、今まで垂れ流していたポイントをゲットできるわけだよねーまぁ、カードブランドだって多少の違いはあるんだろうけど、そんな変わらないだろーって・・・、思ってました・・・ でもダイナースを調べてみたら、他のVISA/Master/JCBあたりとは一線を画していて、光熱費の決済には使えるけど、その決済金額はポイントのカウントには算入されません、だとぉー交通費の決済でもモバイルSuicaの引き落とし口座にしようと思ってたのに、同様にポイント算入されません、だとぉーしまいにゃEdyのチャージまでダメときたなんか、小市民のささやかな夢を打ち砕くことばかりなんだそれぇ!?ANAとの提携カードの意味ないんじゃないのぉ!? あーあー、悪ぅございました、富裕層の持つカードに手を出そうとしたワタクシが悪いんでございます。あー、もうお願いだから審査落ちてくれぇ・・・と思い、待つことしばし・・・。審査すんなり通ってしまいました・・・10分じゃムリで、3時間後くらいに連絡が来ましたが・・・。 スゴイですねー、先にカードを送ってくるそうです。でも最終手続き(ハンコ押した申込書の提出)しないと使えないそうですもう新しいカード番号も発行されていて、翌日にはマイレージが新しい番号に統合されていました・・・。なんか嵌められてる感じです・・・。ま、ちゃんと綿密に下調べしなかった方も悪いんですが・・・。 でも、自分のライフスタイル、カード利用環境、そしてステータスとやらにもまったくそぐわないので、早速キャンセルの連絡を入れるつもりです。 でも引き止めされるんだろうなー、面倒だなぁー、みなさんうまくいかなかったら応援してくださいねー。 みなさんは私みたいなことのないよう、"ご利用の前に、カードブランド選びも計画的にっ" それでは、また。 ←陸マイラーへの道はキビシイのだよ!とお叱りの声はポチリとお知らせください
2007.09.05
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続きです・・・ 乗艦後まもなくして、昼食の案内が放送されます。(これも自衛隊の「給食訓練」になります) 聞かれたこともあるかもしれません。伝統の「海軍カレー」です。滅多に口にできるものでもありませんし、スパイシーで美味しかったです食後、艦内を見学していると、機関課の部屋に面白いものを発見! 「海軍カレー誕生秘話」と「カレイライス海軍レシピ」です(右の写真)なになに、「明治に入ってから創設された日本の海軍はイギリスを参考にしていて、そのイギリス海軍ではイギリス人が好んだシチュウを保存性をよく改良したカレーが軍隊食になっていてが、パンに付けて食べるスタイルが日本人には"パンではどうも力が出ない"と受け入れられず、ご飯に絡みやすくとろみをつけたところ"イケル"ということになり、横須賀から全国に広まった」らしいです。"パンではどうも力が出ない"ってところが時代ですね ^m^ 後部の甲板に上がったところ、毛布が敷かれてありめいめい休息を取っていました。 奥のシャッターのところは通常はヘリコプターが格納されますが、この日は格納庫がカレーの配給所になっていました。(甲板も本当はヘリの離着艦用ですね) ちょっと休憩していると、また艦内放送があり、「各種武装のデモンストレーションを実施」するとのこと。当然見に行きます。 飛来してくる航空機、ミサイルを迎撃する対空ミサイル 航空機や船舶を迎撃するための速射砲 潜水艦を迎撃するためのミサイル速射砲デモの動画は↓コチラ76mm速射砲デモンストレーション 護衛艦「しらゆき」間違いなく戦うための艦です。ただ、大規模災害が発生したときには、間違いなく頼もしいチカラにもなってくれます。いろいろ意見もあるかと思いますが、私は"自分の国を守るための装備"は必要だと思います。 その他艦内を見学 トイレに洗濯機置き場 風呂場(シャワーと浴槽)決して豪華と言えないこの環境で、日々従事している隊員のみなさんには頭の下がる思いです。 そうこうしているうちに目的地に到着です。乗艦時間は1時間半ほど。 でも全然遠くに来た雰囲気はありません。最終目的地が千葉駅だったので、千葉方面に行くのかと思っていたのですが、実際には東京湾クルーズのようでした。木材埠頭って知らなかったんですが、木場の近所(要はこの日の出発点)だったみたいです、・・・ハハハ (^^ゞ 4.木材埠頭(14:30)→【バス】→千葉駅(15:30 解散)最後は木材埠頭に用意されたバスに乗り換えます。 下艦後、「しらゆき」の雄姿を写真に収めます バスに乗ってからはひたすら眠りました・・・ ^_^; で、千葉駅まで送ってもらい、『訓練終~了~』です (^^ゞ□訓練参加のまとめ 訓練参加の記念品として戴いた品々簡易トイレ、絆創膏、ウェットティッシュ、ケータイ充電器、水、クラッカー・・・、「防衛庁、警視庁、都庁、消防庁、海上保安庁のマスコット入りタオル」はオモシロイ! お土産に艦内で買った手拭い(400円)前述しましたが、大規模火災が発生した場合や、橋が使えない(交通混乱、破損)状態において、小型船舶で中継点までピストン輸送した人々を、大型船に集約・移乗させて輸送する方法は効果的だと思います。ただ、システムは提供されたとしても、利用者となる一般の人々がどれだけ状況を理解して、自らが何をなすべきかを考えて行動しなければ、満足に機能はしていかないでしょう。これだけあちこちで地震や津波が発生しているにも関わらず、相変わらず防災意識の低い、いつまでたっても「ヒトゴト」な首都圏です。阪神大震災では人と人との助け合いのこころが、あの過酷な状況でもパニックや騒乱が起こすことなく人心の乱れによる二次被害の最小化が図れたと思いますが、どうも首都圏に大規模災害が起こった時には、それを期待できそうにはありません。自分の身は自分で守り、まずは家族を守り、次にご近所と協力して・・・、所詮個人レベルでできることはたかが知れているけれど、結局自分達でなんとかしていかなければいけないのです。行政はほんの手助けをしてくれるだけ。それは当たり前のこと。"最低限、自分の身は自分で守る"このブログを見て、何かを感じ取ってもらえれば幸いです。それでは、また。 ←んー・・・、極めて日常じゃないけど、何か感じ取ってもらえたらポチリお願いします。
2007.09.01
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それでは前回の日記の詳細ルポです。 この訓練は正式には、「第28回 八都県市合同防災訓練」の一環で実施された徒歩帰宅訓練です。会社に参加案内が来て、それに応募したところ当たりました。この訓練は、都心に勤める人々が大規模災害に会い、不通となった交通機関以外の代替輸送機関を使って、そこから帰宅することを想定しています。 私も勤め先から自宅までは約20kmあり、途中には大きな河川が数本、火災が危惧されている住宅密集地域もあり、もしもの時が訪れた際、帰宅の困難が容易に想像され、具体的にどう帰宅すればいいのかにも不安を持っていましたのでとても意義深い訓練になりそうです。(もうお気付きでしょうが、それ以外にもうひとつの興味もありました・・・) 当日のスケジュールは、1.木場公園(09:45)→【徒歩】→豊洲公園2.豊洲公園(11:05)→【水上バス】→晴海埠頭3.晴海埠頭(12:30)→【海上自衛隊護衛艦】→木材埠頭4.木材埠頭(14:30)→【バス】→千葉駅(15:30 解散)というルート設定になっています。順を追ってレポートしてみます。1.木場公園(09:45)→【徒歩】→豊洲公園 木場公園で受付9:40頃 歩行開始 途中、エイドステーション2ヶ所で水と食料(ビスケット)の補給を受け、 豊洲に到着 ここまで大体1時間、ゆっくりゆっくりのペースなので3キロあったかどうかだと思います。でもこういった訓練であるにもかかわらず参加者が歩道いっぱいに歩くものだから、他の歩行者や自転車とすれ違うたびにいざこざが起こりそうな雰囲気がありました。実際に災害が起こった場合、地震の破壊力や火災の怖さより、人心のパニックと独りよがりな行動による二次災害が一番危険なのだと思っていたので、やはり不安を感じてしまいました。 それとこの日は時折小雨の降る天候だったのですが、雨さえ気にしなければしのぎやすい気温でした。なので喉の乾きはあまり感じなかったのですが、実際の災害発生時には訓練のようなエイドステーションが十分に機能しているわけではないでしょうから、水と食料の確保も可能な限り自力で行う課題を認識しました。 2.豊洲公園(11:05)→【水上バス】→晴海埠頭大型の水上バスに乗り継ぎます しばし遊覧船状態です。 消防船の先にお台場を臨む図東京湾から東京タワーを臨む図 目と鼻の先の埠頭への移動なので、動き出してしまえば20分くらいのものでした。陸上の交通機関が壊滅的被害を受けた場合、海上ルートはとても重要であると思います。(まとめで詳述)3.晴海埠頭(12:30)→【海上自衛隊護衛艦】→木材埠頭水上バスでの移動を終えて、大型船に乗り換えます。今回は海上自衛隊の護衛艦「しらゆき」になります。 威風堂々とした入港シーンです 後部甲板から見た姿 乗船を待ちますこの「しらゆき」 は全長130m、全幅13.6m、基準排水量2950tの艦です。最高速度は30ノット(約54キロ)で各種の武装を施しています。 このブログはミリヲタ(ミリタリーヲタク)ブログではないので、詳述は控えます (^^ゞでもちょっとだけ艦内の雰囲気をどうぞ…、護衛艦「しらゆき」の艦橋内部の風景ちょっと中途半端なんですが、ブログの文字制限に引っ掛かっちゃったので、ここで前編と後編を区切らせてもらいます。それでは、またすぐ。 ←日常・・・じゃないかな ^_^;
2007.09.01
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漢字ばかりのタイトルですみませんm(__)m実は防災の日の今日、東京都主催の帰宅困難者対策訓練に参加しています。木場から豊洲まで徒歩移動し、豊洲から晴海埠頭に水上バスで移動し、晴海埠頭から材木埠頭に海上自衛隊の護衛艦「しらゆき」に乗って移動し、最後に千葉駅までバス移動します。↑の写真はこれから乗る「しらゆき」です。詳報はまたのちほど。それでは、また。みなさんも身の回りを点検してくださいね。 ←点検しなきゃ、と思った人はポチッとね (^^♪
2007.09.01
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実は今日までお休みをいただいていました。いやいや、大概旅の疲れを残したままですが、定例のDiet報告です。 それでは目標の『年内10キロ、10センチ減』はどうなったでしょうか? じゃーん、Weightは、前月比0.4キロ減【Total 7.8キロ減】 うん、まぁまぁ。Waistは、前月比1.0センチ減【Total 6.0センチ減】 イェイ、いいよね。南の島への旅行がどう影響するか心配でしたが、結果は良好でした (^^ゞ ちなみに旅行前はさらに0.2キロ少なかったんですが、まぁ誤差の範囲でしょう。実はこの1ヶ月は腹筋運動を取り入れていました。Waistが減ってきたのはこの効果の現われかなと思います。巷で評判の「ビリーズなんとか・・・」は、未だ見たこともありません。地道に足上げ腹筋にひねりを加えたExerciseに励んでおります。 南の島ではオリオンビールに食事もそれなりに頂いていましたが、やはり暑さと泳ぎでカロリーを消費していたんでしょうね。 それでは、また1ヵ月後。ここから先は旅ログに入っていく予定ですが、思いの外疲れてて、ブログを書く手が止まりがちです ^_^;ただ旅行中にいただいていたコメントには遅ればせながら、レス付けさせていただきましたので、すこーしさかのぼっていただけますと幸いです。
2007.08.01
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私はもの凄い近視です。0.1とかそんなレベルでなく、もう少し悪くなると弱視判定されるくらい悪いです。でもまぁ普通にコンタクトやメガネで矯正できてるので、日常生活にはなんら不便なく過ごしています。ただ去年あたりからどうも具合がよろしくありません。目が異様に疲れるんです。最初はコンタクトが具合悪いのかと思っていたら…、"ROGAN"でした w(゜o゜)w近視の人は老眼にはならないと思い込んでいたので今一度問いただしたんですが、"迷信です"とのこと (-_-;)ま、近くの小さな字が見えにくくて、老眼鏡かけるとスッキリ見えるのは事実なので、疑いようはないのですが軽くショックでした。『ちょーっと早いんでない』と、ここまでの話は少し前のことで、コンタクトの度を緩くして様子見中です。 で、今度はメガネも作りなおそうと思ったのです。久しぶりです、7年振りくらいです。(ちなみにコンタクトは20年振りでした w(゜o゜)w )前にメガネを買った当時は、"とにかくスッキリ見えるようにしたい"とリクエストして、矯正視力1.5、調子よければ2.0見えていました。それだけに今は近くの物見るのツラかったんです。そこで今回はグーンと度を落としてもらって、0.8くらいにしてもらいました。車に乗る時なんかは、コンタクトや今までの"ガン見えメガネ"使おうと思います。さて、↑の写真ですが、今回迷いに迷って最後にふたつ残ったフレームです。さぁ、今回私が選んだのはどっちでしょう?左側のはセルフレームで白黒のゼブラストライプが入ってて、結構個性を主張してます。右側のは黒のメタルフレームで上縁はフレームがないスッキリタイプです。ちなみにこれまでは一貫して丸目の銀ブチメガネでしたが、今回は気分一新雰囲気変えます o(^-^)oさぁさあ、どっちでしょう (^_-)☆彡ちなみにレンズが取り寄せになると言うことで、出来上がりは来週になるとのことです。え?メガネ顔は載せませんよ。だって私の『弱点』なんですもん、メガネ顔 (^_^;)(理由はナイショ)それでは、また。
2007.06.04
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早いものでGWも前半が終わりますね。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。 私はと言えば・・・、27日(実は有休取ってました (^^; )はブログ用写真整理と夏の旅行計画立案、28日は図書館と庭いじりと旅行計画立案の続き、29日は友だち5家族合同でバーベキュー、今日30日は前日の肉とビールを体外に出すためにフィールドアスレチックスへ・・・、 ということで定例のDiet報告です。 (復路フライトブログはしばしお待ちください、ANAと違って定時運行できてません (^^ゞ )それでは目標の『年内10キロ、10センチ減』はどうなったでしょうか? じゃーん、Weightは、前月比0.6キロ減【Total 6.6キロ減】 うん、まぁまぁ。Waistは、前月比変わらず【Total 4.0センチ減】 アリ?今月から"前月比増減 【Total増減】"で書くようにします。ま、ウェイトはホントまぁまぁなんですが、ウエストがなかなか思うように減ってくれませんね。ちなみに相変わらず食事を控えることと、草野球くらいしかしてません。ま、まだ期限には8ヶ月あるし、減らすより増えないようにするのにも結構気を遣わないといけないし、無理はしないで多少ウエスト回りの体操を加えながら様子を見ていきたいと思います。やっぱ↓コレ!?ではでは、また1ヵ月後。それでは、また。ところで↓の評価なんですが、ちょっと挙動不審なのでしばらくリンク外して様子見します。 今月のガンバリはいかがでした?5段階評価で教えてください。↓↓↓↓↓調整中
2007.04.30
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ありゃりゃ、スミマセ~ン。"ちょびっと嬉しいコト"って言っても、ホント大した話じゃないんですよ~。全然個人的な話だから、みなさんにとってはどーでもいーことだし (*_*)で、本題に入る前に昨夜の状況を少し…、昨夜は妻の親友さんが子供2人連れてわが家にお泊まりだったのです。私の今回の出張は当初泊まりの予定だったので、妻はこれ幸いと親友さんと予定を組んでたようです。思いっ切り羽根を伸ばそうとしてただろうから、悪いコトしちゃいました (^^ゞでも私もその親友さんとは仲がいいので、22時半頃に帰ってから、そのままワインやら飲み交わして、気が付けば2時になっていました。子供に旦那に学校に転勤の話…。そう、親友さん旦那さんの転勤で大阪に帰っちゃうんです。私たちの方が先に東京転勤になって"寂しくなるねー"、という話をしていたら、ほどなく親友さんの旦那さんにも転勤命令が…、近くに住めれば良かったんだけど、それも叶わず2時間弱くらいの距離になってしまったので、結局お互いの家には行けてませんでした。何回か上野動物園とかで合流して遊んだりはしてたみたいだけど。で、引っ越しまで日がないところを無理してやってきてくれました。とても楽しい時間を過ごせたそうです(^-^)v私は会社に行けば仲間がいますし、オフの日も会社つながりで地元の野球チームに入れたりして友人関係に不自由してないんですが、"転勤妻"は違いますよね。慣れない土地で子育てや学校問題、地域の役なんかにも対処しないといけないのに、相談相手を探すのもままならない。それにこちらの方は、大阪人に対する免疫が弱いらしく、馴染んでもらえるまで少し大変なんだそうです。「なにわナンバー」の車で幼稚園に行くのもはばかられるんだそうです。難しいなぁ…。なので妻にとっては、気のおけない話のできる友人が大阪に帰っちゃうのはダメージ大きいんだろうな、と思います。東京転勤を受け入れたのも…、転職して大阪勤務の目がほとんどなくなってしまったのも…、家まで買って根っ子を降ろしてしまったのも…、当然相談はしてるものの、最終的には全部私が決めてしまったので、大阪大好きな妻にはツラい思いをさせてしまってます。妻にも"ブログしたら?"と言ってるんですけど乗ってこないです。ま、なんだかんだ言って、もうこちらも4年になるので妻に友だちもできてるみたいだから、そんなに心配することはないのかもしれませんが、私のわがまま聞いてもらってる分サポートしてあげなくちゃ、ですね。そうそう、親友さんちとはチビたちの年齢も性別もほぼいっしょで、仲も良かったみたいなのでそれも残念でした。親子2世代の親友にもなれたかもしれないのにね。あれれ?"ちょびっと嬉しいコト"今日も書く時間がなくなってしまいました。改めまして、乞うご期待です!(↑違う違う)それでは、また。今日の日記はいかがでした?5段階評価で教えてください。↓↓↓↓↓
2007.03.28
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能登半島で最大震度6強の地震が起きた。リンクをいただいている長七さんのブログに地震の記事が載ってすぐのことだった。長七さん、何かを感じていたそうです。亡くなった方、怪我をなさった方には大変お気の毒ですが、最小限と言ってもいい被害で済み、なによりだったと思います。今回いろいろなニュースが流れた中で怖かったな、でも本当に良かったなと思ったのは、震源近くにある北陸電力の志賀原発が、例の隠蔽事件で3/15から運転休止中であったこと・・・。現地は緊急炉心停止に相当する揺れだったそうで、もし運転中だったら、北陸電力のアノゆるい体質だったら、その緊急炉心停止にも失敗して、メルトダウン必至だったんじゃないかと・・・。きっと神様やご先祖様たちが、"こりゃあイカン!"と能登を、日本を、守ってくださったんだろうと思います・・・。地震予知って、できないもんなんでしょうか。1/15の日記に不気味に思ってアップしていた富士山の先に伸びて行く数条の雲・・・。今思えばその先に能登半島が位置していたんじゃないかと・・・。私は阪神で震度6級の揺れを経験しました。阪神が起こる少し前、近くの能勢で群発地震が長期間続いていた。そして揺れる1週間前くらいから自宅のテレビの8チャンネルだけが極端に映りが悪くなった。屋根のアンテナが曲がったのか、ブースターの調子が悪いのか、16日までスキーに行っていたので、母には次の週末に調べてみる、と言っていた。そして17日の5時46分・・・。揺れた、大きく激しく揺れた・・・。気が付いたら群発地震は収まり、8チャンネルは普通に映るようになっていた。きっと大地震を予知することはできるはずだ・・・。その時、そう確信した。精度は低くても予報をだすことで注意喚起していれば、被害を少なく抑えることはできるはずだ。くだらない道路やダムを作るくらいなら、地震国ニッポンが世界に誇れる地震予知の研究を極めてくれることを願うばかり・・・。安倍さんでも石原さんでも誰でもいいから、地震研究にもっともっとお金を掛けてください。これまでの尊い犠牲に報いるために、そして少しでもこれからの犠牲を少なくするために・・・。そして私のブログを読んでくださっている方々へ、"なんだかよくわからないけど、自分だけは大地震に遭わないような気がする"、なんて変な自信もってませんか?日本にいる限り、安全なところなんてないんですよ。能登は今後30年間に震度6以上の地震が起こる確率は0.1%以下とされてたんですよ。さあ、身の回り再点検してくださいね。家族との連絡方法、集合方法、水と食料の確保方法・・・。用心はしすぎていて邪魔になることはないのですから。それでは、また。今日の日記はいかがでした?5段階評価で教えてください。↓↓↓↓↓
2007.03.26
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さすがに5時起き、22時戻りの日帰り出張はこたえます。しかも前日に3ヶ月振りの草野球に、土掘り起こす庭仕事してるんだから無理もないですね (^^ゞそれこそ、昨夜はバタンキューというヤツでした。でも半分は遊びだから、一所懸命、昼夜休みなく仕事してる方々には叱られちゃいますね。ということで、今日はたくさんのコメントいただきながらレスできていないお詫びと、感謝の気持ちを伝えさせてください。『ごめんなさい』 そして 『ありがとう』みなさんからの言葉が私の力になっていることを実感している今日この頃です。スゴいなぁ、ブログって…。みなさんからのコメントには、今日 帰ったらレス付けさせていただきます。それでは、また。みなさんはブログに勇気付けられますか?5段階評価で教えてください。↓↓↓↓↓
2007.03.22
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今日は別の日記を書くつもりでしたが、急遽差し替えです。今日はまたまた神戸にきています。取引先の前執行役員の訃報が入り、取るもの取り合えず、急遽お通夜に参列することになったからです。享年60歳、髭の似合うダンディーな方でした。ご家族の心痛、察するに余りあるものがあります。実は先頃、前の会社で1年つかえた元ボスも急逝しました。この方は58歳でした。いずれも"癌"でした。ちょっと若すぎやしませんか。団塊の世代や、もう少し上の私の両親たちのモーレツ世代の人たちは、自分たちの命を削って仕事してたんだなぁ、そう思ってしまいます。今の時代でも夜遅く、と言うより朝まで仕事してる人がウヨウヨいます。自分でコントロールできない環境にある人もいれば、自らを追い込み奮い起たせている人もいます。…でも、どうなんだろう…。…考えさせられます…。人は何のために仕事をするのか…、誰のために仕事をするのか…、それと引き換えに何をどこまで犠牲にしていいのか…、この一連の訃報だけでなく、これまでのビジネスマン生活を振り返させられ、これからどう進んでいかなければならないかの選択を迫られる出来事があって、ちょっと困っている『☆彡夢』さんです…。さぁ、でもそんなことばかりも言ってられませんね。『前向きっ!』が信条の『☆彡夢』さんですもんねっ!道は見えずとも、立ち止まることなく前を向いてしっかり歩いていきましょう。さて、横浜、神戸ときましたから、次は長崎?それとも函館?できれば楽しいイベントで訪れたいものです。あ、そうそう、↑の写真ですが、神戸・岡本に着いて、お通夜まで少し時間があったのですが、なんでしょう、無意識のうちに引き寄せられて、このカフェに吸い込まれるように入ってしまいました。気持ちに少しブルーが入ってて、なんか癒されたかったんでしょう。気にはなったものの、最初は通りすぎてしまったんですよ。でも国道沿いの信号に引っ掛かってしまって、やっぱり引き返そう、と思って入りました。ホント不思議です。入ってみると、静かにジャズ♪が流れていて、カウンターが8席、二人掛けのテーブルがふたつ…。若いバーテンと可愛らしいお嬢さんが、バーテンスーツで気持ちよく迎えてくれました。あれ?どこかにあったような…?ブレンドコーヒーをオーダーして待つことしばし。いい薫りのコーヒーが運ばれてきました。今日の神戸はとても冷えこんでいました。まずカップを両手で包み、暖を取ります。薫りはいっそう引き立ってきます。次にひとくちコーヒーを口に運びます。…んまい… (^-^)v鼻をくすぐる豊かな薫り、手を温める暖かいカップ、耳に心地よいジャズの調べ、店員と客の何気ない会話、そして絶品の味、あー、癒されるぅー。いつまでもここにいて、バーテンさんやお嬢さんと話していたいー。ホントにそう思わせてくれるカフェでした。コーヒー豆の挽き売りをしていると書いてあったので迷わず買いました。今もカバンの中から、いい薫りを漂わせてくれています。明日の朝、コーヒーを煎れるのが楽しみです。こんなお店、真剣やりたくなったな。それでは、また。ちょっと気持ち回復しました o(^-^)oちなみにこのカフェは、阪急岡本駅近くの"春秋"というお店でした。お近くの方は是非・・・。(そのうち『☆彡夢』さんがM&Aで買収しちゃうかも (^^ゞ )今日の日記はいかがでした?5段階評価で教えてください。↓↓↓↓↓
2007.03.16
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おはようございます。仕事に遊びに少しお疲れモードの『☆彡夢』さんです。さすがに期末を前に仕事も立てこんできました。いつもの余裕も見失いがちになってしまっていますが、こんな時こそ深呼吸して、いろいろな人の意見に耳を傾けながら取り組んでいきたいと思います。今年から大殺界突入な水星人(+)なので、いつも以上に気配り、気遣いしてかなきゃいけませんしね (^_^;)えーっと、ブログも全然更新できていませんが、こま切れにアップしてて気持ち悪いTDLレポートのまとめと…、音楽仲間の来店もそろそろ考えないとだし…、一気に春めいてきた庭の様子も見てもらいたいし…、ホームシアターもちょっとずつ進んできてるし…、実は草野球もシーズンインするんですよねぇ…、ま、ぼちぼちやっていきますんで、気長にお付き合いください (^^ゞそれでは、また。
2007.03.06
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さて昨日の日記でも書きました通り、今日は2/1のMIJSカンファレンス基調講演での、NHK エグゼクティブ・プロデューサー 今井 彰 さんによる『プロジェクトX』の講演について、ようやく書き下ろすことができました。今日も超長文ですので心して読んでください。このカンファレンスは「メイド・イン・ジャパン・ソフトウェア・コンソーシアム」のカンファレンスです。日本製ソフトウェア開発企業の連合体の集まりですね。戦後日本を支えてきた企業人に焦点を当てていた『プロジェクトX』が終わった後も、まだまだ日本の企業人は世界に対抗していかなければなりません。創意工夫して、イノベーションを起こして、戦い続けていかなければなりません。ITの世界はマイクロソフト、ママゾン、グーグルにアップルと、アメリカ中心に動いています。日本もiモードやコンピュータゲームで世界に戦いを挑んでいますが、ビジネス分野では全然太刀打ちできていません。この講演の依頼が今井さんの元に来たとき、「国際社会に挑む、共に戦う仲間たちのためにエールを送ってくれ」と言われ、今井さんは快諾したそうです。今井さんはとつとつとした口調で語り始めます。みなさんご存知の『プロジェクトX』は、2000年3月から2005年12月まで、196本が製作・放映され、親が子に見せたい番組に4年連続1位になった番組です。海外でも30ヶ国以上で放映され、今年から中国でも放送が始まるそうです。その196本の製作を重ねていく中で、今井さんはひとつの確信を得たそうです。この番組の企画を考えていたバブル崩壊期の日本は国際社会から、技術力、営業力、国際競争力・・・、なにひとつ優れたものはない、幻の錬金術で得たお金だけの国・・・。そう揶揄されていました。戦後日本を支えてきた日本の企業人たちは、その人生を否定されたと同じで、悔しい思いをして過ごしていました。本当に日本はダメな国なのか?否、そんなはずはない。戦後日本は昭和20年の廃墟からスタートしました。当時東京は焼け野原で、そこに住む人の1/3には家がありませんでした。その頃の日本には"大丈夫"な会社は1社もありませんでした。SONYは20人、HONDAは13人、TOYOTAですら従業員に給料を払えない状況でした。そんな日本を蘇らせたのは、焼け野原の廃墟でも希望を失わず、夢を信じた、日本全国の数千、数万の『プロジェクトX』であったのだと。今井さんの確信はこうです。「戦後日本は政治的、国家的リーダーが作った国ではない、無名の戦士とその家族たちが作り上げた国なのだ」と。そしてバブル崩壊期の苦しい時代だからこそ、逆境の時代だからこそ、戦後日本を力強く蘇らせた無名の戦士たちの戦いにスポットライトを当てることで日本の元気を呼び戻せられれば・・・、その思いで番組を企画したそうです。しかし、その誕生は決して容易なものではありませんでした。テレビ番組は視聴率というバケモノとの戦いを避けて通れません。この番組の企画を起こした時、今井さんは上司の猛反対に会いました。数字を取るためには"人気タレント"を配するのがテレビ界の常識です。この番組の主役は"無名の民間人"です。無名人で数字が取れるわけがない、テレビ界の常識では考えられない試みだったわけです。それだけでなく、そもそも日本にそんなプロジェクトが数多くあるのか、1年もたせられるだけの数を確保できるのか、そんな意見すらあがったそうです。そんな経緯がありながらも、なんとか企画を通してはもらえましたが、会社から与えられたメンバーは今井さんを含めてたった7名でした。番組の制作を始めて、このプロジェクトXの大変さが顕在化してきます。途方もない労力がかかるのです。この番組は1本制作するのに3~4ヶ月かかります。例えば東京タワー建設の回を例に取ると、昭和30年初頭にどうして東京に総合電波塔の建設が必要だったのか、その社会的背景の紐解きから始まります。次にタワーを設計した東大教授の思い、建設に携わった人々の思い、それらを7人が全国に散って取材します。無名の戦士たちの戦いの痕跡を求めて、製作は連日夜遅くまで、それが深夜になり、明け方になり、遂には寝泊りを会社で行うようになり、そしてようやく1本の番組が出来上がるのです。今井さんは初回の放映までの4ヶ月間で14キロも体重が減ったそうです。チームメンバーも全員が同様に痩せていったそうです。(NHK内部ではダイエットXと揶揄されていたそうです)まだまだ苦難の道は続きます。なんとか番組制作に目処が立つと、今度は放映に関しての議論が始まります。NHKのタブーへの挑戦・・・、そう、企業名と商品名の公表です。今井さんがどうしても伝えたかったこと。戦後日本が、昭和20年8月15日のあの日から、どうして蘇ることができたのか。学校の授業では教えないが、日本人が絶対に知らなければならないことこの番組は企業名と商品名の公表なしには成立しえません。取材の中で無名の戦士たちが心の拠り所にしていたもの、みな口にするのは”会社”と”商品”への誇り、それに携わってきた”自分の人生”への誇り、会社名、商品名を語ることなしに、無名の戦士たちの誇りある人生を語ることはできなかったのです。NHKは、国営放送の立場にありながら、特定の企業名・商品名を公開することの是非を視聴者の意見に委ねることにしました。通常、番組に寄せられる電話の数は50本で大反響とされます。第二回の放送となった”日本ビクターのVHSビデオ開発の回”では、視聴者からの電話は1週間で5千本にのぼったそうです。その声は無論、賛同と感謝の声で埋め尽くされていました。苦難の道のりの末、番組はスタートしましたが、より深刻な仕打ちを受けます。ある人にスポットライトが当たることで不利になる権力者たちから放送に対する圧力を受けるようになったのです。今井さんは考えます。この番組を後押ししてくれる強力な応援がほしい、と。この番組がもっと強くなって、どんな圧力にも屈しない存在にならなければならないと。今井さんはその応援を”中島みゆきの唄”に託していました。上層部に対して表向きは、「70年代から90年代にかけてナンバーワンヒットを出した歌手を使いたい」それを起用理由にしていました。本当は違います。今井さんは中島みゆきの大ファンなのだそうです。中島みゆきはいつも弱者視点で、街を歩く人の目線で唄を歌いきります。何をやっても仕事がうまくいかず、疲れ果て、会社を辞める間際まで行った時、今井さんの耳に中島みゆきの「ホームにて」が聴こえてきたそうです。その歌に救われ退職を思いとどまった今井さんは、それ以来彼女の大ファンとなり、この番組の応援にはこの人を置いて他にはいないと考え、中島みゆきの所属事務所に交渉を始めました。しかし、また難題が持ち上がります。中島みゆきはテレビ番組や映画のために曲をいちから書き下ろしたことがないのです。彼女の曲を使った番組や映画は多くありますが、それらは先に曲があったのです。事務所からはお断りの連絡が入ります。でもそれで退くわけにはいきません。ファン心理とは恐ろしいもので、今井さんは切々と思いを手紙に書き綴りました。内容はラブレターそのもの(今も手許にあるコピーは奥さんには見せられないそうです)でしたが、その手紙に5本の番組企画書を添えて彼女に送りました。・ 日本を台風の災禍から守るために難工事の末に建設された富士山頂の気象レーダー・ 前述の日本ビクターの世界規格を作り上げたVHSビデオ開発・ 24年の歳月の末に部下の遺影と共に臨んだ青函トンネルの貫通式・ 若い医師と技術者の胃がんへの挑戦の末、戦後初の国際商品となった胃カメラ開発・ GM、FORD、Chryslerが成し得なかった低公害車を開発したHONDA技術陣この手紙と企画書を読んだ中島みゆきから1週間後に返事があり、その後174週連続オリコンチャート入りという大記録を打ち立てることとなる、名曲『地上の星』は生まれることになりました。『地上の星』で描かれる"Venus"や"Pegasus"、これらは戦後日本の復興を支えてきた、無名の企業戦士たちを空翔る神々になぞらえています。今井さんはデビュー30年を迎えた彼女から苦言を呈されたそうです。元々彼女のファンは20代、30代の女性が大半を占めていました。それがこの曲のヒット以来、くたびれたサラリーマンばかりになったと。でもそれぞれの人がこの曲を自分の歌として思ってもらえて、歌手冥利に尽きることと言っていたそうです。そしてこの番組は押しも押されもせぬ番組に成長していったのです。日本ビクターのVHSビデオ開発について、映像を交えた説明がありました。日本ビクターは業務用VTR事業を行っていました。しかしその品質は悪く、2台に1台は返品・交換しなければなりませんでした。給料分を稼ぐことのできない事業部にはいつも暗い空気が漂っていました。その逆境を跳ね返すこととなるプロジェクトリーダーの高野さんは、中途採用で日本ビクターに43歳の時に入社しました。家庭用VTR開発の特命を受けたのが53歳の時、三菱電機、シャープといったライバル企業との開発連合体を作った時、高野さんは既に60歳でした。その後副社長となった高野さんは退任に当たり、後輩経営者に向けて言葉を残します。 権力やルールで指示しても、人は動かない、 権力ではなく、感動で人を動かすのが経営者ではないか、ライバル企業をも巻き込んでVHSビデオを開発した高野さんは、寡黙で話しべたな人でした。どうしてライバル企業はビクターのビデオ開発に協力したのか。新たな産業革命に結びつくかもしれないという可能性を説いて回り、夢を叶えようとする執念が、彼を信じ必死に付いていこうと思わせたのだと言います。そして見事開発されたVHS規格のビデオは、この地球上で7億5千万台が生産されることになりました。退任後2年で高野さんはこの世を去ります。高野さんの遺体を乗せた車はビデオ開発で苦労した横浜工場を静かに進みます。それを見送る葬列の従業員たちは、その首が折れんばかりに頭を垂れています。今井さんは1民間人を送るのに、このような光景を見たことがなかったと言います。人と人の絆は、苦しい時、その苦しみを分かち合った者同士の中でこそ生まれるもの。そして執念という言葉は、自分たちの夢を諦めない人にのみ送られる言葉であると。その先にこの葬列を理解する答えがありました。この番組に込めたメッセージ、 思いは叶う、 努力する人間に、運命は裏切らない、 逆境の中でも、道は切り拓かれる、 思いは叶う・・・、今井さんは静かに話を締めます。今井さんは自らのチームのことを多く語ろうとはしませんでした。しかし、視聴率との戦い、NHKのタブーへの挑戦、中島みゆきの地上の星そこにある常識を超えたイノベーションの先に『プロジェクトX』の成功はあったはず。彼らもこの日本を支えた戦士なのだと思います。オヤジたちで占められた講演会場のあちこちですすり声が聞こえました。ここにも”無名の戦士たち”が、”地上の星たち”がいたのかもしれません。まだまだ努力が足りませんね。こなすことばかり上手くなって、ワクワク感持って仕事していません。夢中になれる仕事、もう一度探してみたいと思います。それでは、また。
2007.02.04
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「楽しいわが家」改め『☆彡夢』です。ようやくHNの完全変更ができました、改めましてよろしくお願いします。さて、本当は今日はふたつめの講演「プロジェクトX」についてブログに書こうと思っていたのですが、講演中のメモ A4用紙4枚から書き下ろす作業が思いの外かかってしまったので、昨日の日記の後日談を記したいと思います。 宋さんは講演中、この少女の話を多くを語ったわけではありませんでした。・この話を日経ビジネスOnlineの記事に書いたこと、・5日で20万人の人がその記事を読んだこと、・宋さんのブログには150件以上のコメントが寄せられたこと、・そのコメントの中に宋さんに対する批判が少なからずあったこと、・でもその批判を真正面から受け止め、感謝していること、 その批判とは、およそ批判に当たらない下衆な内容でしたが、宋さんが中国人であるが故に受けた批判であるようにも受け止められました。彼の人生やキャリアの中で中国人であることで、さまざまな差別を受けてきたようです。同じ日本人として恥ずかしいです。 宋さんのブログにある少女とお父さんの写真の表情や、残った寄付金で救われた7人の子供たちの感謝の表情に批判のありようもないと思うのですが・・・。(宋さんのブログは登録も何も必要ありません、是非ご覧になってください) ちなみに私が所有している宋さんの著書です。↓これは日本式営業の非効率さにメスを入れた、目から鱗的内容になっています。私も日本の営業は"変"だと思ってます。↓これは、宋さんがメルマガに書いたものを集めたものです。 私は"丁寧なので"話が長くなってしまいがちですので耳が痛いタイトルです(^^ゞ彼の著書はどうしてもビジネス書になってしまいますが、退屈しないで読めるので、本屋でパラパラ見てみてください。それでは、また。なかなか100位以内に入れないですね(^^ゞこのブログを5段階評価してください。↓↓↓↓↓
2007.02.03
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2/1に、MIJSカンファレンスというITのセミナーがあり聴講してきました。表向きの目的はITの最新動向の勉強なのですが、実は基調講演がとても気になっての聴講でした。基調講演はふたつあって、ひとつめは、とても好きなIT企業の(元)経営者である"宋 文洲(そう・ぶんしゅう)"さんの話ふたつめは、NHKのエグゼクティブ・プロデューサー今井 彰さんによる"プロジェクトX"秘話両方とてもすばらしい、胸を打つ講演でした。このふたつの講演でとても感動したこと、やるせない気持ちを感じたことを、ブログに記したいと思います。ITの話しは当然割愛します。今日は宋さんのお話です。宋さんは1963年生まれの中国人です。1985年に北海道大学大学院に国費留学したのですが、天安門事件で帰国することができなくなり、そのまま札幌のIT企業に就職したのですが、その会社はすぐに倒産。大学院時代に開発した土木解析ソフトの販売を始め、92年28歳の時にソフトブレーン社を設立。その後順調にビジネスは拡大し、2000年12月に東証マザーズに上場。2005年6月には東証一部上場を果たしました。宋さんは日経ビジネスOnlineにコラムを掲載しているのですが、先日とてもやるせない、そしてとても考えさせられる記事を書かれました。今日もそのことに少し触れられました。掲載後、既に20万人の方がこの記事を読まれたとのことですが、大半の方は涙なしに読み終えることはできなかったと思います。-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□- 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。 「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。 (本当は記事そのものを読んでいただかないといけないのでしょうが、以下に全文から抜粋して記しますので、全文読みたくなった方は登録して読んでみてください。最下行にリンク先を記します。登録は無料ですが、毎日日経ビジネスOnlineが配信されるようになります) 独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買えず、赤ちゃんはお粥で育てられました。近所の人からもとてもかわいがられました。 女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。小さな体を一生懸命に動かして、お父さんと2人の家をきり盛りしました。 貧しいながらも平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらないようになりました。病院に行くと、医者には「急性白血病」と告げられました。 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは借りられるだけのお金を借りました。しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円。中国の貧しい農民がどうにかできるはずもありません。家を売ったとしても1万元にしかなりません。集めたお金も焼け石に水でした。 日々金策に走り痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。もういいから、退院させてください」と。 お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。娘に何もしてやれない自分を恨みました。 6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。彼女はまだ8歳でした。 娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。 退院して家に戻った少女は、入院する前と同じようにします。お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。 新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。 ささやかな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気が進行し、苦痛が少女を襲うのです。 少女の死が近づいたころ、ある新聞記者がこの話を聞き、記事にしました。少女の話はたちまち中国全土に伝わり、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。彼女は再び治療を受け始めました。 化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。 2カ月の化学治療の間に、一時は完全回復の期待も生まれました。しかし、...。やはり化学治療は、少女の体に無理を強いていたのです。 化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は遺書を記しました。3枚の遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。 8月22日、女の子は静かに逝きました。少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。インターネット上も涙に溢れかえりました。 8月26日、葬式は小雨の中で執り行われ少女を見送りに来た人であふれました。 女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。お父さんのいい子でした」とあります。墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてあり、その文面の最後は「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。 -□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-宋さんは話をこう結んでいます。 セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。 家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。 どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。 もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。 カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。 この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。 少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。 お金は、あることに越したことはありません。しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。 学校が荒れているのは、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。 暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。 -□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-以上が宋さんのコラムからの抜粋です。抜粋と言っても取り去った部分は少ないですが、きっと宋さんは許してくれると思います。もし怒られたら、彼の友人であり、私の知人である戸並さんという方を通じて謝ってきます。私『☆彡夢』はと言えば、少女の死の哀しみにひとしきり涙した後、その先にあるどうしようもないやるせなさを覚えました。実は寄付とか募金を素直にできない自分がいます。お金を持つ者が困っている人たちにお金を恵む。どうもそこがおこがましく思えて引っ掛かってしまうのです。でも人の命がお金で救われるなら、偽善であろうが、なんだろうがアリなんですよね。その先にある家族の悲しみの数が減るのなら。出身大学や娘の幼稚園への寄付はしませんが、人の命を救うための寄付はこれからは堂々と行っていくようにしたいと思います。そして宋さんが最後に述べている"家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因がある"この言葉をいい意味で裏切るよう、しっかり子を育て、"家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう"この言葉に応えるよう、近所の人たち、子供の友だちと会話する(男には苦手科目なのです)ようにして、私の中のやるせなさを打ち消していきたいと思います。明日、8歳の息子にも読ませようと思います。日経ビジネスOnlineの記事へのリンクhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070122/117394/宋さんのブログ記事へのリンク(少女の写真や詳細についての補足があります)http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html是非全文を読んでいただきたいと思います。それでは、また。今日の記事はいかがでしたか?5段階評価で教えてください。↓↓↓↓↓
2007.02.02
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由来も説明しないといけませんよね。えっと、私の母親(齢70の現役美容師)は電波系宇宙人なんですが、いろいろ人と違った試みをします。その一環で、日本の高度成長期を生きる母は、「これからは国際社会よっ我が子も国際人に育てねばっ」と思いたったらしく。私と妹のために米国ホームステイの積み立てを始めました。"おぉ、素晴らしいお母様ではないですか"と絶賛の嵐が吹くかもしれませんが、惜しくもイタイのは、そのホームステイが私が高1、妹が小6の夏休みに行われたことです。今にして思えば大変バチ当たりにも、もったいなくも、高校に入った私は友だちと遊ぶのが楽しくて、せっかくの夏休みの大半を使ってのホームステイの有り難みなぞ露ほども感じておらず、小6の妹に至っては当然英語など喋れるハズもなく、当初の目的は達せられることはありませんでした。私は海外で仕事をすることはおろか、渡航経験も4回しかありません。そして妹も同じようなもので、今は雪国でひっそりと暮らしております。でも、なんとかボディランゲージと度胸で乗り切った妹は極めて逞しかったと感心するばかりですが…\(◎o◎)/私がセントルイス郊外の農家で過ごした時の体験談はまたいずれ…。ということで、話を本題に戻しますが、そのホームステイ先のホストファミリーに私は"Sam(セイム)"と呼ばれていました。(ここではその由来の説明は割愛します)今回のHN変更にあたって、懐かしいその呼び名を復活させることにしました。でもそのままだと少しつまらないですよね、もう少し遊んでみましょう。『Y’s Cafe』は基本的に夜にお店を開きます。そう、"星"の瞬く夜。そして『Y’s Cafe』は、お客さんたちといろんな"夢"を、語り合う場にできるといいですね。昔の夢、今の夢、これからの夢…。自分の夢、子供の夢、家族の夢…。いつまでも夢は持っていたいよね。そんなお店のマスターの名前…。『☆彡夢』(セイム)でいかがでしょうか?それでは、また。 『☆彡夢』(セイム)の評価はいかがでしょう。"5段階評価"してみてください。↓↓↓↓↓↓
2007.01.22
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実は今回が100回目の日記になります。期間にすると約4ヶ月ですね。ここまで紆余曲折重ねながらブログを書いてきましたが、割といい雰囲気で続けてこれたかな、と思っています。一方で年末くらいから何気に"じぶんちカスタマイズ"というブログタイトルに違和感を感じ始め、リニューアルを考えてました。だって最近全然"じぶんちカスタマイズ"してないですからねそして、ちょっといい事を思い付いたので、今日はみなさんにご意見いただこうと思います。最近、街なかにはスタバやドトールといったカフェが溢れ、すぐに美味しいコーヒーを飲むことができるようになりました。でも一方では昔ながらの喫茶店はドンドンその姿を消していきました。思い起こせば私の学生時代の思い出に、喫茶店は切っても切り離せません。そこには友人だけでなく、調子のいいマスターや、気のいいママ、可愛いバイトちゃんたちとの語らいがありました。高校時代、1杯のコーヒーで何時間も居座る僕たちを嫌な顔ひとつせず受け入れてくれた「サモアル」のママ。大学時代のバイト帰り「コーヒーはなぁ、サイフォンよりメーカーで煎れる方が絶ーっ対美味いんや」と熱弁を奮ってくれた「司」のマスター。行ったら必ず鉄板ジュージューの特製ヤキソバを食べたなぁ。大学近くのサークルの溜り場になってた「一丁目」のリエさんは、気さくで目のパッチリしたお姉さんママ。いつもバカな話に付き合ってくれる男子学生の憧れの的。いろんなことを打ち明けて、ともに泣き、笑い、悩み、語り合ってくれました。 このブログ、そんな風にできないだろうか?「ねぇマスター聞いてよ」みたいなノリでくつろいでもらえるバーチャルなカフェ。そうだなぁ・・・、とびきりのカプチーノとアップルパイがご自慢のこじんまりとしたお店。カウンターは五脚で、二人掛けのテーブルを二つ置こう。店内は濃い木目を基調にして、ライティングも間接照明で落とし目にしましょう。お店の名前は『 Y’s Cafe 』そうするとHNも"楽しいわが家"だとおかしいですね。基本は"マスター"かな?でもそこのマスターはお昼はIT企業でシステムアナリストとして仕事してる兼業マスター。だから営業時間はとても不定期。そしてマスターのウチは四人家族で、家を買って、庭いじりを楽しんでいたりする。そんなマスターが、日々感じたことを語って、いつ来るとも知れないお客さんと語り合う。だからコメントも1往復じゃなく、何往復あってもいいかな。このブログがそんなバーチャルなお店になったら、みんなにほっこりしてもらえないかな?ちょっと寄ってこかな、と思ってもらえないかな。そう言いながら前提が少しだけ変わって、中身は変わらないんじゃないかという気もしてるんですが・・・。どうでしょう?ご意見お聞かせいただけませんか。下のブログ評価サイトで、「賛成、賛成、応援します!」→"プラス評価"「いーんでないの、どーぞご自由に」→"プラスマイナスゼロ"「ムリムリ、企画倒れになるよん」→"マイナス評価"でお知らせください。↓↓↓↓↓↓それでは、よろしくお願いします。
2007.01.21
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シェアブログyasseに投稿今日は取引先への移動に中途半端に時間が空いてしまったので、ひとつ前の駅で降りて少し散歩がてら街を歩きました。"表参道ヒルズ"です。ここ表参道はとても華やかです。多くの大型ブランド店が軒を連ね、道行く人はとてもファッショナブルです。なんだかよくわからないTVインタビューもそこここでやってます(勧誘?)。この雰囲気に負けないように、私もコートをきっちり着込み、ふわり、マフラーを首に回しました。マフラーは今年の福袋で手に入れた例のモノ、白いヘッドホンの先にはアノ"iPod shuffle"、聴いているのは・・・自分の演奏・・・(恥)コートは新婚旅行で訪れたフィレンツェのフェラガモ本店で手に入れたモノ。もう10年もので かなりくたびれてきてて、毎年買い換えようと思うけれど、なかなか踏ん切りがつかなくて、今年も着ています。負けてない?大丈夫?やっぱりダメ?颯爽とオシャレな街を闊歩するのも、気持ちがシャンとして気持ちいいですね。それでは、また。ブログを"5段階評価"してもらう、というものがあるそうで、試しに置いてみました。今日の記事に点数付けてやってください!↓↓↓↓↓↓
2007.01.19
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いったい急に何事!そう思われるかもしれませんが、実はココが私の出張先なんです(^^ゞいやぁ、新ポケモンのぬいぐるみが売れに売れて、今日は直々に空輸ですよ、ホント参りました…ゲームソフトも売れに売れてるので、ボーナス楽しみです(^-^)vいやぁ、転職大成功です!すみません…、どこでボケやめていいでしょうか(^^ゞでも出張先っていうのはあながちウソじゃなくて、ポケモンセンターのあるビルによく行ってます。巷ではポケモンセンターに行く事自体がイベントだったりするとも聞きますが、至って日常の風景だったりします。モッタイナイネ。今日も先程お仕事終りました。今、ANAのラウンジでビール飲んでます(#~Q~#)そんな酔ってないけど顔は赤い…(恥)今度は月末に京都です。で、ホントはどんな仕事かって?それは、ナイショです。(^^ゞ
2007.01.15
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西日本の人たちにとっては、『かっぱえびせん』と双璧を成すポピュラーなお菓子、『おにぎりせんべい』。実はこのお菓子が箱根の山をなかなか越えられないってこと、ご存知ですか?東日本の人たち、あの美味しさを知らないんですよ、信じられます?絶対人生損してますよね。・・・と、ここで。コホン=関西人の正しい休日の昼下がりの過ごし方講座=ハジマリ、ハジマリィーパチパチパチまず熱ーい日本茶と『おにぎりせんべい』ひと袋(80g入り)を用意して、コタツに入ります。 ( ^^) _旦~~どぞ次に『おにぎりせんべい』の袋をベリッと破ります。この後、袋に手を突っ込んで食べると、手の甲にノリが付着してしまうなど後々面倒なことになるので、努めて菓子皿に盛るようにしましょう。次にテレビを点けます。番組は基本は「吉本新喜劇」。「新婚さんいらっしゃい」も勉強になります。「吉本新喜劇」を選択する場合は、日々のスキルアップを目指し芸人さんたちのギャグを繰り出すタイミングやお約束のズッコケ、基本的なツッコミの入れ方、ボケの返し方を注意深く観察し、反復学習します。新たな潮流や応用技は特に見逃さないようにしましょう。忘れないようにメモを取ると、なお良いでしょう。 φ(.. )メモメモ「新婚さんいらっしゃい」を選択する場合は、桂三枝さんのトーク技を観察するより、素人さんの天然ボケに見せかけた高度な笑いを盗み出すことに専念します。三枝さんのズッコケポイントが目印になります。姿勢はお行儀よくしたいところですが、そこをこらえて寝そべります。自然と湯飲みも床に置くことになるので、こぼしてお母さんや奥さんに怒られないように慎重に扱いましょう。『おにぎりせんべい』は半分くらい残しておくくらいが適量です。ただし思わず完食してしまった場合も臆することなく、まいっか、というおおらかな気持ちをもちましょう。最後に食べカスも目に付くものは指先に取って食べきりましょう。そして仕上げに指先に残る醤油ダレとノリを舐め取ります。後は"笑いと旨みの余韻"にひたり、静かに明日への鋭気を養いましょう。以上 こうして、正しく"関西人の笑いの文化"が鍛え上げられていくわけです。他の地域の人たちがこれに追いつくには千年はかかるでしょう。で本題に戻りますが、私は4年前に大阪から東京に転勤してきました。で、まぁ普通にスーパーでお菓子を買うわけですが、ある日ふと気が付いたのです。『おにぎりせんべい』がない、と・・・。んなワケないだろう、あんな有名なお菓子なんだもん、たまたまこの店が扱ってないだけに違いない。でもどこにも見当たらない。"チビっこい袋に入ったひと口サイズ"のはコンビニで出会うこともあるけど、あれじゃあダメなんです、食べ応えが違うんです。で、その大判の80g入りのは見当たらない・・・。たまにあの緑とオレンジの包装を見て手に取ると・・・。『歌舞伎揚げ』・・・orz毎度毎度悔しい思いをしています・・・。で、製造元のマスヤのホームページを調べてみたところ、”静岡以西(九州まで)の地区では大部分のスーパー・コンビニ様で取り扱っていただいておりますが、関東地区でお買い求めになられる皆様には大変ご迷惑を おかけしております。少しでもお買い求めやすくなるように現在ガンバっていますので、これからもよろしくお願い致します。 ”やっぱり箱根の山は越えられなかったのか・・・。ガンバレ 『マスヤ』 ガンバレ 『おにぎりせんべい』東日本のみなさま、是非一度お試しください!!いわゆる「 醤油せんべい 」ですが、なんと言いましょうか・・・、単なる醤油せんべいとは全く違う、甘系醤油味のさっくりせんべいです。 あるじゃないですか、"かっぱえびせん"や"ぼんち揚げ"に"えび満月"。 昔懐かしく、いくら食べても飽きない、日本人の魂に訴えかける味。あの系統です。まぁ、騙されたと思って食べてみてください。忘れられない味として魂に刻み込まれること請け合いです。え、なんでこんなこと急に書いたかって?それはね・・・、正月に帰省した時に実家に置いてあった「お徳用おにぎりせんべいパック」を奪い去ってきたんですが、今それを食べながら、関東でもやってる「新婚さんいらっしゃい」を寝そべってお茶飲みながら見てたからに決まってるじゃないですか!当然素人さんの"高度なボケ"を研究しながら・・・。最初の新婚旦那さん、なかなかやってくれました。いっぱい賞品も持って帰ってましたし。あと、箱根の山を越えてこないものといえば『蓬莱のぶたまん』がありますが、あれはかなりのコダワリで敢えて箱根の山を越えてこないようです。それでは、また。 ブログを"5段階評価"してもらう、というものがあるそうで、試しに置いてみました。今日の記事に点数付けてやってください!↓↓↓↓↓↓
2007.01.14
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『ハケンの品格』昨夜から篠原涼子主演の新番組が始まった。いい、とてもいい、正社員もハケンも関係ない、要は給料分しっかり働いているか、向上心を持って仕事に取り組んでいるか、とてもまっすぐなメッセージだ、小気味いい。大企業に勤めてたって一寸先は闇、倒産にリストラ、吸収合併に身売り、降格人事に給料カットなんだってある。会社が生き残れるかどうかの瀬戸際なんだから、会社に個人を守る余裕はない。下手に期待なんかしてるとヒドイ目に会う。経営者が外国人に変わり、人件費削減でリストラ目標が掲げられ、合併で全然知らない人たちといっしょになる、なんだってある。だから最後は"自分力"がモノを言う。自分がしっかりしていれば、どうにでもなる、どこでだって通用する。力を付けよう、ここだけは誰にも負けないって自信を付けよう、でも自己満足の自信じゃいけない、実績があって他人からも認められる、裏付けのある自信を。少し横道にそれてしまうけれど、定職につかない若い人たちは、根拠のない虚構の自信で自分の身を守ろうとしているらしい。自分を雇わないのは見る目がないのだと言う。自分より下位の人間を見つけ出しては蔑んで、相対優位に自分を置いて安心するらしい。でも本当は自信なんてないから、実際に働いて失敗して、虚構の自信が崩れてしまうのを恐れるらしい。だから働こうとしない、現実世界から逃避しようとする。情けない・・・。私は結構な歳で転職した。前の会社を辞めたのは、フロントがアホやから野球ができん、と言った、元阪神の江本さんと一緒の理由。現場が必死になって稼いだお金を湯水のように使って、自分たちの点数稼ぎする本社スタッフ…。この人たちとは仕事はできないと呆れ果て会社を去る決心をした。でも35歳を越えると、とたんに求人がなくなる。私は、もちっと上だからさらに条件が悪い。書類選考が通らない。自分の言葉に責任を持つ投げ出さない逃げ出さないへりくだらないきちんと謝り反省するそして、やり遂げる当たり前のことをしっかりやってきたから、会ってもらえれば自分を買ってもらえると信じていた。でも会ってもらえなければ何も始まらない。2ヶ月経ったある日、ようやくラッキーなことに面接まで進めた…。…そして今、幸せな時間を過ごすことができている。その幸運を噛み締めている。真摯に努力すれば、結果は付いてくる。神様はちゃーんと見ている。こんなオヤジでも可能性があるんだから、若い人たちには努力を惜しむようなことはしてもらいたくない。前向きな気持ちでしっかりと歩いてもらいたい。ガンバレ若者!子供たち!このオヤジは若者の手本となるように明日も、『しっかりお給料分働かせていただきます』なんてね(^^ゞこんなこと言っていながら、ドラマの中で出演者が首からぶら下げている、IDカードケースがブレイクするんじゃないかとそわそわして見ていたりします。(似たようなのクリスマスプレゼントに推薦してたもんで…)↓コレ 【IDカードをスマートに】セッション・ネームケースそれでは、また。
2007.01.11
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予想通り22時に帰宅しました。お風呂に入って、ビールを飲んで、ほっこりしてます。(*^_^*)途中、初めてレインボーブリッジを渡って帰ってきたのですが、(新居に引越しをして、ルートが微妙に変わった)強風で東京のキチャナイ空気が吹き飛ばされたのか、とーってもキレイな摩天楼の夜景が見えました。(運転してたので、変な写メしか撮れてません)ずいぶん疲れてましたが、キレイな夜景見ていくぶんマシになりました。あさってからは、またこのゴミゴミした街での日常が戻ってきますが、この休みはゆーっくり過ごすことができたので、また1年頑張ろうと思います。ちなみに体重ですが、ダイエット宣言(12/20)して、帰省した前日(12/28)はマイナス1.4キロでしたが、さっき(1/7)計ったら、マイナス1.6キロでした (^_^)vなんとかうまくお正月は乗り切れたようです。でもウエストはプラス1センチでした・・・、なぜ?お酒やビールでたぷついた???
2007.01.07
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元旦は初詣に、二日は近くのデパートに買い物に出掛けました。初詣は、行くようになってから不思議と金運に恵まれるようになった気がする神社(えべっさんです)に今年も参ってきました。その神社は足の神様でもあって、母と妻が膝を傷めているので、ありがたーい煙もたくさんいただいてきました。その後、元旦生まれ(本当は12月末らしい)の父を祝うために神戸屋でケーキをいただいて帰りました。私はコーヒーだけ頼んだのですが、子供の舌に合わなかったプリンをペロリとたいらげてしまいましたあー、がぁ…。二日は朝湯して、お昼から買い物に出掛けました。こんな時間からなので、大したものはなかったんですが、紳士用品の福袋を買いました。写真は福袋の中身です。薄手のマフラーと手袋です。マフラーはモスグリーンとエビ茶色で先っぽがホロホロしています。なかなかイイ感じです。手袋はアクアスキュータムの黒で、落ち着いた紳士っぽい品です。あったかいです。これで2千円です。ちょうど欲しかった物だったし、いい買い物ができました。明日は妻の実家に移動です。
2007.01.02
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新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいいたします。 なんか過去の写真の使いまわしで申し訳ありませんが、前の日記の自画写真がずっとブログのトップにあると、こっ恥ずかしいので、次の日記書いちゃいました。今年もキレイな富士山撮っていきたいと思います。何はともあれ "めでたい富士山3連発" で、新年を迎えたいと思います。お、12/31のアクセス数"108"だった。なんか煩悩解消されたかな!?
2007.01.01
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で、母(齢70超の美容師)に髪を切ってもらいました。ちなみに茶髪です。実は物心ついてからこのかた、母以外の人に髪を切ってもらったことがありませんf(^_^;)関東に移り住んでからも、髪が伸びてきたら出張の合間を見て、髪を切りに実家に泊まっています。母がハサミを置いたらどーしよー、この歳になって「あのぉ、初めてなんですけどぉ…」って、結構マジな悩みだったりします(^^ゞ余談ですが、今、テレビで「探偵ナイトスクープVSクイズ紳助くん」を見てたら、北野誠と似たよーな髪型でビックリしました。あ、【画像あり】で来られた方、こんなんですみませーん (*^^)vじゃ、今年もあともう少しですね。このまま穏やかに楽しく年が越せますように…。
2006.12.31
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唐突ですがウチの実家は美容院をしています。今は帰省して実家にいるのですが、幼い日の年の瀬の風景と言えば私の場合、大晦日に"紅白"が始まっても続々とやってくるお客さんの日本髪を結ったり、セットを忙しくこなしながら、おせち料理の準備をする母の姿です。母がこよなく愛していた美空ひばりの登場に間に合うかどうか、いつもはらはらしていました。年越しそばもいつもギリギリでした。元旦は元旦で、初詣に出掛けるお客さんのために朝5時頃から着付けをしていました。毎年わが家で新年を祝うのは随分日が昇ってからのことでした。母も大変だったろうと思いますが、はつらつと働いていて全然辛そうではありませんでした。子供的には随分寂しい思いもしたけれど、なんか、いい時代だったなぁ、と思います。今でも"元旦だけは全国一斉に休日!"ってことにすればいいのに…。ちなみに母は齢70を数える今でも現役で、おばちゃん、おばあちゃん相手に元気にカットやパーマをしています。とは言っても、さすがに今は年末年始はお休みだし、勝手に週休3日とかしていて、ほとんど趣味に近い状態になっていますが… (*^_^*)そんな母も先日膝を痛めてしまい、随分辛そうにしていますが、それでも笑顔を絶やさず孫の相手をしてくれています。いつまでもいつまでも元気で若々しく、孫たちに優しいおばあちゃんでいてもらいたいと心から思います。余談ですが、私の社交的で楽天的、ついでにお調子者の性格は間違いなく母譲りのものであると確信しています。で、その頃のオトンはと言えば…? …記憶にないです(爆)当時で言うところのモーレツ会社員で、毎日毎日朝早く出掛けていって、夜遅ーく帰ってくる、コワイだけが印象の父でしたが…。実のところ一体何してたんでしょね?今では人が変わったように、子供に与えられなかった愛情を孫に注ぎまくっている優しいおじいちゃんに変身しています。いつも"その愛情の1万分の1でも子供に注げなかったのか"と糾弾してますが…。そしてそんな父を反面教師として、子供にそんな風に思われない、よき父であろうと心に誓うのでした。(実は父もこのブログの熱心な読者なんですけどねー)それでは本年はどうもありがとうございました。来年も相変わらずご贔屓のほど、よろしくお願いします。よいお年を!
2006.12.31
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おはようございます。今日もいい天気ですね。昨日は朝は調子よかったのですが、その後豊川で自然渋滞15km(1時間)、関が原から八日市まで雪の渋滞で30km(2時間半)、結局実家に着いたのが20時になりました。でも雪は怖いですね、それまで晴れていたのに雪雲の中に入ると、一気に雪景色になりました。多分初雪のはずなんですが、たった半日で雪国になってしまいます。チェーン規制はなかったのですが、日が暮れて気温が下がって、なお雪に降り続いたので路面凍結が心配だったのですが、なんとか雪ゾーンを通り抜けられました。ま、途中小牧で途中高速を降りて先日書いた"アメイジングワールド"に寄ったり(子供たち大喜び)、名物"味噌煮込みうどん"を食べたり(パパ、ママ大喜び)したので、そうですね、高速道路上にいたのは11時間ってところだったのでしょうか。着いてからはビール飲んで、風呂入って、ガーッと爆眠でした。両親も孫たちに会えて、とても喜んでくれました。なんとか無事到着しましたので、とりあえずご報告まで。それでは、また。
2006.12.30
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今日は仕事納めでパッと打ち上げをして、今帰宅途上です。まず写真は昨日アップした後、都内に戻ってひと仕事した時に撮ったものです。高層ビルなので、ちょうどいい具合に見えました。都内でも冬場は天気がいいと割と富士山見ることができますね。それで本題ですが、明日からは実家に帰省します朝6時出発で600kmほど車で移動です。チビちゃん連れだと休憩取りながらになってしまうので、結局10時間くらいかかってしまいます(*_*)毎年途中で1泊しようと思うのですが、気付くと年末になってしまっています。なので今年も泊まりはないんですが、途中で遊んで帰ろうと思ってます。小牧にアメイジングワールドという屋内型施設があるようなのでそこに立ち寄って子供たちのご機嫌をうかがいながら帰る予定です。なんとか疲れて眠ってくれないかと思っています。(^_^;最初は公営の施設を探していたのですが、29日からお休みなんですね(-_-;)ま、とにかく安全第一で帰るようにします。パソコンも持って帰るので、ブログも書く予定です。それでは、また。
2006.12.28
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先日、1995.1.17のことをブログに書いてから、このことを書こうか書くまいか悩んでいました。でも人がしあわせに何気ない毎日を過ごすために、普通にクリスマスを迎えることができるように、胸に刻みつけておくべきことごとを、ほんの少しでも伝えることができればと思い、今日の日記を記すことにしました。本当に私が受けた被害なんて、ほんのちょびっとで、本当に大変な目に遭われた方、大切なひとを失った方からすれば、お笑いもいいところなので、本当に恐縮です、ごめんなさい。 あの日の前夜、私は信州から会社の連中と行っていたスキーから帰ってきて、そのまま疲れて2階の自室で電気もつけたまま、眠りこけてしまっていました。兵庫県と大阪府との境にある、とある住宅街で。5:46 ゴォーっという地鳴りが物凄いスピードでこっちに移動してくるのがわかりました。ハッと目を見開いた瞬間、体が左右に大きく揺さぶられ、天井の電灯も天井に打ち付けられ、傘がお腹の上に落ちてきました。電気つけっぱなしで寝ていたので、全部見えていました。何もできない、身動きがとれない。ふとんを頭からかぶって、目をつむって、体を丸めるのがやっとでした。 "怖い、怖い、怖い、なんやねんもうやめてくれ・・・"それが長かったのか、短かったのか、よくわかりませんが、とにかく揺れは収まりました。ダダダッと階段を降り、両親の寝室に入りました。父が倒れてくる机の天板を右手で支えて、左手をついて、体で母をかばっていました。(長円形のテーブルの天板と足を分離して、タンスと壁の間に立て掛けてありました)その机を戻し、家族3人で無事を確かめ合うように車座になり肩を抱き合いました。その時ちょうど余震があり、3人がお互いの肩をつかむ手にギュッと力が入りました。もう一度2階に上がり、周囲に火事の発生がないかあたりを見回しましたが、案外静かで、夜明け時に鳥が鳴きながら飛んでいったのを見た記憶があります。改めて部屋を見てみると、大きなダイヤトーンのスピーカー(高さ1m以上、幅40cm強で結構重たい)が吹っ飛び、私の寝ていた枕のあたりに倒れていました。体を丸めていなければ、間違いなく頭部を直撃していました。幸いライフラインに損傷はなく、テレビを点けましたが、被害状況は軽微なものが散発的に報道されるだけで、多少安心して私はまた眠ってしまいました。(後で確認したところ、実は敷地の半分が落ち込み、家の基礎が割れ、家も真ん中でへし曲がる形になっていました)ところが、次にテレビを見た時に映し出されていた映像を理解するのに、しばらくの時間を要しました。阪神高速道路が横倒しになっている映像です。私が二度寝している間に、神戸や淡路島では大変なことが起こっていました。次々に入る惨状、悲報、信じられない光景、そして遅々として進まない救助活動。日を追うごとに絶望的な状況が伝えられ、私はいてもたってもいられない気持ちになりました。五体満足な健康な男ができることは、被災地ではいくらでもあります。両親は私の危険を心配し反対しましたが、週末私は被災地に向かうことにしました。週末の日帰りボランティアがどれだけ被災地のためになったのか、苦労を分かち合うことができたのか、タカは知れていますが、とにかく被災地に仕事は山積みで、私も精一杯動きました。その活動の中で目にした光景・・・。ペシャンコになった家に手向けられている花・・・、声を掛けても、うつむいたまま無言で水の入ったポリタンクを運ぶ老婦・・・、すべてを焼き払った後、なおくすぶるの火事の跡・・・、そこにはおびただしい数の人の死と無念がありました。現実にすぐ目の前に広がっていました。でもひと月ほどすると、避難所の自治組織は中高生が中心になって運営され、避難所の運営が安定してくると、その周囲で自宅避難している家への支援に移っていきました。別に誰かに指示されたわけではなく、めいめいにやらなければならないことを見つけ出して取り組んでいました。ボランティアでやってくる大人たちに的確に指示を出していきます。あくまで前向きに過酷な現実に向き合い、それでいてなお明るく、いまだ絶望の底にいる人に優しく接し、"がんばろう"を合言葉に。(綺麗事だけではなく、どうしようもない人々がいたことも事実ですが・・・)少し横道にそれてしまいますが、当時この中高生たちの活動を見て本当に感動し、頼もしく思いました。きっとこの中から将来 日本をリードする優れた政治家が現れてくるのではないかと思いました。この出来事を背景に、自身が被災し家を失い、町の復興に奔走し、さらに60歳にしてプロゴルファーとなった古市忠夫氏のドキュメント小説「ありがとう」が同タイトルで映画化され、上映されています。(もうほとんど終わってしまっていますが)http://www.arigato-movie.jp/ (←公式ホームページ)先日本屋でこの小説を立ち読みして、不覚にも涙がこぼれでそうになりました。震災や復興自体の描写は少なかったのですが、それがあくまで事実であること、私が見た、感じたことと相まって、心が揺さぶられてしまいました。ただの昨日まで、等しく当たり前の生活を、当たり前に過ごしていた人びとが、ただの偶然で生死を分かち、無念にも死んでいった人がいて、生かされた人がいた。生かされた人は、何をなすべきなのか、どう生きていくべきなのか。あの頃、阪神地域にいた人びとの多くはそれぞれの身が置かれた状況で考えていたと思います。少なくとも私自信の人生観を変えるには大きすぎる出来事でした。(前にも書きましたが、当時 私は人生をなめていました、少し逃げてもいました)あと もうひとつ、今回でもう12回目を迎えた神戸の光のイベント「神戸ルミナリエ」http://www.kobe-luminarie.jp/ (←公式ホームページ)(今年はもう終わってしまいました)この「ルミナリエ」は6千を越える震災の犠牲者の鎮魂のために1995年の12月に始まりました。その年の1月には灯りがなかった神戸に、これでもかというほどの圧力のある光の洪水。みな その光に酔いしれ、災いに見舞われた1年を押す流すかのように見入っていました。"がんばろう神戸"を合言葉にした、仰木監督率いるオリックス・ブルーウェーブの快進撃。絶望の淵から、前向きに明るく、希望を捨てないで、しっかり生きてきたひとびと。"がんばれ"じゃなく"がんばろう"、みんな被災者だから私もがんばる、あなたもがんばる、だからみんなで"がんばろう・・・"。そう言いながら、みんなで助け合っていた・・・。あれからもうすぐ12年・・・。良くなったのかな?悪くなったのかな?街は復興し、とうの昔に あの内戦跡のような景色は消え、仮設住宅もなくなった。でも本当はみんな当たり前の幸福を取り戻したんだろうか?そんなことないですよね。ただ各地で災害が起きると、そのたびにボランティアが集まり、救援物資の支援の手が差し伸べられるようになった。これはきっとあの経験で、いろんな人が、いろんなことを考えた結果だと思います。私もいろんなことを考え、今の自分につながっています。あのまま人生なめた自分だったら、今頃どうなっていたものか・・・。失われたものは計り知れないほど大きく、かけがえのないものであったと思いますが、世の中も捨てたもんじゃない、少しは良くなった・・・、そう思いたいです。本当はあと10日ほど早くアップしようと思っていたのですが、予想外に構想に時間を要したことと、突然の体調不良で時期が遅くなってしまい、映画やルミナリエには間に合いませんでした。それにクリスマスやボーナスで街が浮かれている時期に不似合いなネタだし、本当に経験したことがない人に、どこまで伝わるかも怪しいし、今までどおり胸にしまいこんでいてもいいかとも思いました。でもこの華やいだ時期だからこそ、当たり前の幸せを深く受け止めてもらいたくて、今を生かされている偶然に感謝してもらいたくて、そして明日起こるかもしれない災いに心の備えをしてもらいたくて、少しでも何かを感じもらえればと思い、やっぱりアップすることにしました。なんか、あまのじゃくですみません。幾多の災いの犠牲になられた方々のご冥福を祈りつつ、 生かされた者として、前向きに明るく、しっかりと Merry Christmas ・・・
2006.12.23
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いやぁ、びっくりお馴染みさんからの怒涛の大反響・・・。ふふふ、あんまり期待しないでくださいね。(って無理か、今さら)実は昨年、タバコやめたんですよ、割とあっさりと。 タバコはマジメに二十歳過ぎてから喫いだして、それからずっと喫ってました。でも最近では、街も、会社も、喫茶店ですらタバコを喫いにくい環境だったので、自然と本数は減ったのですが、完全にやめるきっかけがなく、なんとなく喫い続けていました。そんな感じで健康にさして不安は持っていなかったのですが、この歳(どの歳?)なので、念のため人間ドックを受けてみました。 長男が生まれた7年前にも一度受けたことがあったのですが、その時はイエローカードはありませんでした。でも去年のでは出ちゃったんです、2枚・・・。1枚は「内視鏡検査で大腸ポリープが2個」・・・、まぁ、アチャーって感じ。もう1枚は「胸部CTで胸腺に不自然な影」・・・、ドキドキバクバクもんです。「要精密検査」・・・、この宣告を受けたのが6/18・・・、で、タバコやめたのが7/3・・・。ちっと間考えて、"やめよ"と思い立ちました。わかりやすいでしょ。ま、でもなんだろ、"喫わないよ"という気持ちだけでコントロールできてしまったんですよね。多分、"家族"と"健康"と"責任"。この三つのキーワードが知らず知らずのうちに心と体をコントロールしていたのかもしれません。(いや、手遅れであったかもしれないわけで、そんな悠長なことを言ってるのは現実逃避?懺悔?)まま、そんなことがありながらも、人に当たるような禁断症状もなくその後本当に1本も喫うこともなく1年半近く経っちゃいましたねぇ。問題の2枚のイエローカードはと言えば、宣告されてから1年間暖め、(んなもん暖めるな!やっぱり現実逃避だ!)ようやく意を決して、大腸ポリープは切除手術を受け、(と言っても内視鏡でプチッと10分)胸腺の影は精密検査を受けたところ、「血管が人と違うところを通っているだけみたい。ん?問題ないですよぉ」(んなことなら早く受けてタバコもやめな・・・ボコッ)とのことで一件落着したのでした。まったく人騒がせですよね。あとまぁそのドックで、「体重減らしてくださいねぇ」とお決まりの台詞も聞いていたので、"じゃ、ちょっと減らしてみよっかな"と思ったわけです。さぁて、どうなりますことやら・・・!???あ、ちなみにさっき体重計に乗ったら、既に1kg減ってましたよ。体調不良による食欲不振の追い風参考記録ですけどね。 それと予告になりますが、この次に書く日記は、ちょっとシュールな内容になる予定です。まだちょっと迷ってます。それじゃ、また。
2006.12.21
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実は昨日くたばって会社を休んでしまいました。朝起きたら胃部に不快感があって、体に力が入らない感じです。もしノロくんだったら、通勤途上で辺り構わず嘔吐してしまうかもしれないし、保菌者が街中うろつくのも迷惑だろうし、大事をとって休むことにしました。結果的にはそれ以上症状が悪化することもなく、今日は出社しました。(全然平気ですので心配はありません)で、昨日から食欲がなくなっているのですが、これをチャンスと捉え、体重を落とすことにしました。(そ、そんなあっさりと言うことじゃ…)で、どうせやるならってことで来年末までに、体重10kg減、ウエスト10cm減を目標にしたいと思います。(だからそんなあっさりと…)でも、このブログをダイエット日記にはしたくないので、時折経過報告を入れる程度にしたいと思います。(あーぁ、言っちゃった…)(どーなることやら…、しーらないっと…)
2006.12.20
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やった!やりました!10/15の日記に書いた"システムアナリスト試験"合格しました!\(^o^)/ヤンヤ、ヤンヤ、ワッショイ、ワッショイ\(^o^)/苦節5年、4回目(内1回棄権)の挑戦で、遂に勝ち取りました!もう嬉しくって嬉しくって\(^o^)/成績照会するとギリギリっぽいですが合格は合格!"オッシャー!"と会社でガッツポーズ3回してしまいました!\(^o^)/わからない人にはまったく何のことかわからないと思いますが、IT系の国家試験の中では最高峰とされています。そして会社からも報奨金が"10万円"出ますf(^_^;)(出る会社は80万でるのに、ウチの会社ってばケチ)というわけで"今年の総仕上げ お勉強編"も☆◎超ハナマル◎☆ということで…。\(^o^)/家に帰ったらまだまだ書き足しそうな勢いです\(^o^)/それではまた。
2006.12.11
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だいぶネタ切れですが、なんとか頑張って第3弾までは仕上げたいと思います。まずは"i-Pod Shuffle"って、しつこい!【在庫あり】【送料無料】【9,400円ポッキリ】iPod shuffleでも"イイもんはイイ!"ということで推薦しておきます。1万円以下だしね。(すでにネタ切れ手抜き臭が・・・) 気を取り直して、次は"IDカードホルダ"最近、急速に社員証をカード化する会社が増えていますが、大体会社から支給されたときは、"透明のビニールやプラスチックのケースにヒモ"というショボイ恰好で渡されます。そこでチョイ勇気を出してココをオシャレしちゃおう、という魂胆です。まぁ、なんてことはない皮製のケースに入れ替えるだけなんですが、これには"他の人と違うことをする勇気"が求められ、それができてしまえば他にも興味が湧いてきて、いろいろチャレンジしはじめる好循環に持ち込むきっかけになりうるのがミソです。で、商品紹介しようと思ったんですが、イメージはまさに↓コレ 【IDカードをスマートに】セッション・ネームケース※IDカードを入れるネームケースと好相性!【首に掛ける革のストラップ!】セッション・ロング...なんですが、いつも品切れです。ブランド系も楽天で探す限り見当たりませんでした。実はなかなか第3弾書けなかった理由は、紹介できる商品がなかったことなんです。でも百貨店の定期入れや名刺入れを売ってる紳士小物売場には置いてありますので、探してみてください。私のは東急東横店でケースが黒皮で、ストラップは黒の合繊のを買いましたが、3千5-6百円でした。最後は"i-Pod"と"IDカードホルダ"の合体技です。TUNEWEAR PRIE TUNETAG I.Dコレ、"とってもカッコイイ"ですよ。私の"i-Pod"も"nano"だったら絶対買ってます!どうでしょう、参考になりましたでしょうか?コメント残していただけると嬉しいです。男の人の意見にもスゴク興味あります、ぜひお気軽にどうぞ。
2006.12.10
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さてさて、野球チームの忘年会からも健康的な時間で引き揚げてきました。(10時半には帰ってきて硫黄島のドラマも少し見られました。戦争はしちゃイカン!決して!絶対!)さて、今朝の日記に書いた、ビンゴ大会でゲットした"i-Pod Shuffle"ホント新製品だったんですね。しきりにテレビでCM(シャツ着たり脱いだりしながらプチッと挟むヤツ)やってますね。ちなみにが楽天の中で一番安かったです。送料も込みで¥9,400-!【在庫あり】【送料無料】APPLE MA564J/A / iPod shuffle 1GB (2006) MA564J/Aで、忘年会に行くのに早速CD3枚分詰め込んで聴いてみました。"いいわ、コレ♪"クリップで邪魔にならないところにプチッと挟みこんで、あとはスイッチを入れるだけで、お気に入りの曲が高音質で楽しめます。 シャツの胸ポケットに付けたり、しまったりしても、全然かさばりません。それに大き目の切手くらいの大きさで、この音質は立派なものです。さすが小さいながらも"i-Pod"だけあります。曲名をディスプレイで確かめながら聴いたりすることはできませんが、大きな不満はないかな。なにしろ小田和正/オフコース7割に残り3割を気分で入れ替えて聴いている感じですから ・・・。CD12-15枚分、200曲以上は入りそうですし、ディスプレイなしなら、適度な容量だと思います。ただあまりに小さいので、うっかり無くさないようにしないといけませんね。
2006.12.09
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