♪ 気がつけば元来た場所に戻りをり夜の逍遥人ひとり居ず
”狐に騙される”という様なことが、昔、よく言われていましたが、最近は余り聞きません。そういうものを現代人は余り信じなくなった、ということでしょうか。体験しても笑われる、否定してバカにされるという理由から、口外しなくなったとも考えられます。
私は、狐に騙されたとは思っていませんが、昨夜、こんな経験をしました。
夜9時過ぎ、この日は一歩も外へ出なかったので、軽いウォーキングのつもりで家を出ました。いつものコースでは距離がありすぎるので、途中、ショートカットのつもりで住宅街を抜けようとコースを変更。
住宅街というのは、理由はよく分かりませんが道が真っ直ぐに通っておらず、T字路だったりL字に折れていたり、大きくカーブしていたりします。昼間なら陽もあるので方角が分かりますが、夜の住宅街は灯りが無く、方角が全く分からない。
突き当りを左に折れ、出た道を右に曲がり、次を左にと何度か繰り返し、方角さえ合っていればあの辺に出るはずだと思って歩いていた。そうして漸く車道を通る車の音が聞こえて来た。
ん?何だあの建物は?見覚えがある建物が近づいてきた。はあ?何でここなの?
それは、脇道から最初に住宅街へ入った場所のすぐ近く、50mほどのところにある葬儀場の建物だった。かなり歩いたつもりだったが、住宅街のある一角を一回りしてきただけなのだ。これには驚いた。驚いたというより"狐につままれた"様な妙な心持だ。
そう言えば、昔、同じような事を体験したなあと、その時の事が蘇って来た。
35年ほど前、日本一周の放浪の旅をしていて「隠岐の島」で泊まったことがある。その頃はまだ島を一周できる道は無く、入江の向こう側に行ってみたくなって、無謀にも山の中へ分け入った。
傾斜がきつい林を、木をかいくぐりながら上って行く。随分来たなあと思いながら、ここらでちょいと一休みとなった。ちょっと開けた場所になっていて、周りが見通せる。ぐるっと見渡していると何だか見覚えのある風景だ。始めて来たところなのに知っている景色なんてないはずだよなあ、と思ってアッと気が付いた。最初の場所、まさにその山に入ったスタートの場所だった。何だか狐につままれた様な、不思議な感覚に囚われた一瞬だった。
後になってから、人っ子一人いない場所で、何の用意もせずに独りで山の中に入って行くなんてとても危険なことだなあ、と思ったものだ。
山スキーで遭難、スノボーの二人が行方不明、とかいうニュースが時々飛び込んで来ることがあるが、山では方角を一歩間違えるともう命取りになる。曇っていたり吹雪いていたりすれば方角なんて全く分からない。認識しているつもりでも全く違っている事の方が多いようなのだ。最低でも、コンパスは持っていた方が良さそうだ。
人間にも、嘗ては暗闇でも方向が分かるというような感覚がちゃんとあったのだろうが、文明の発達とその利器によって、本来持っている能力を使わなくなって、衰えてしまったようだ。
今回の夜の逍遥は、人間の動物としての無能さを改めて認識することとなった。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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