「尋ね人の時間」の流るあの頃の未来は近きラヂヲにあった
来年の 歌会始のお題は「人」 です。9月30日が締め切りとなっていて、現在、詠進歌を募集中です。
私も挑戦しようと思って色々詠んでみた。
♪ 吾に席を譲りし母娘(おやこ)は日本が老人多き国と知りしや
♪ 包丁が上手く砥げざり人質のニュースがラジオより流れ来る
♪ 人通りの切れて鎮まる夜の道に虫の始めしコンチェルトを聴く
いろいろ詠んでいる内に、どんな歌がいい歌なのかが分からなくなっってきた。推敲すればするほど変に思えてくるし、イマイチしっくり来ないので、ますますひねくり回すことになる。
それではいけないと思い直し、一晩寝かせてみたりする。そうすると前日にいいと思っていた歌のアラが見えて、手直しをしたくなる。そうして、最初のものとはかなり違う歌となってゆく。
それを切っ掛けにまた新しいアイデアが浮かび、違う歌が生まれたりする。こんな事を繰り返していると、永遠に終わりそうにない。最初に見えていた道が霞んできて、行く先がどんどん分からなくなっていく。
♪ 朝日子を受けて歩める人影のどれも無口ですれ違ひゆく
♪ 坂道をそぞろ下れば人里を離れゆくなり虫集くなり
♪ 皮財布拾いし子らに声を掛くここは大人の出番と思ふ
もう、どれがいいのか訳が分らん。いい加減にキリを付けて、もう終わりにしたい。
ええい決めた、これで行く。
選んだ歌が本当に真っ当なのか、審査員のお目に適う歌なのかなんてもうどうでもゆくなった。
しかし、これで終わりではなく、まだ次の難関が待っている。毛筆で書く事が条件になっているのだ。
普段、毛筆なんて持ったことが無く、誰かの個展にでも行って芳名帳に記帳する時ぐらいしか機会はない。付け焼刃で練習してみても、基礎が無いのだから上手く書けるはずも無い。
一応、毛筆の文字がどんな風なのかをPCのフォントを調べ、応募予定の歌をプリントアウトしてみる。連綿の流麗な文字なんか望むべくも無く、取りあえずは文字の形とバランスを知るためだ。
♪ 幼きに母の乳房を知らざりていま人肌の酒を好みぬ
♪ 人毎にそら笑いせし亡き父の真顔に戻る刹那(とき)の闇はも
♪ 人の子は何処にありても育つべく未完のままに生まると聞きぬ
そのプリントアウトしたものを参考にしながら、ちょっと別の紙に書いてみる。下手くそだ。ウンザリするほどぐちゃぐちゃで、大きさも形もバラバラのちゃらんぽらん。オドオドしながらのたうち回っている。上手く書こうなんて事、最初からおこがましいのだ。
斯くなる上は、図々しさと開き直りしかない。一発勝負ならぬ三発勝負で書き上げた。もうこれでいい、多くを望むまい。
選考委員の手に渡る前に予備選考があるはずで、その選考が通れば、プリントアウトされたものが最終選考の先生の元に配られるはずだ。ならば文字の巧拙は問題ないはずだ。
♪ 知る人も居なくなりたる故里を空より眺む仮想地球儀
♪ 血の滲む指を灯りにかざしゐる吾はスノッブ薔薇盗人の
♪ 義父義母(ちちはは)は人らしく生きはからずも長命なるを嗤ひゐるなり
何でも自分の都合の良いように解釈して、そうと思い込んでしまうことが生きるための必須の知恵だ。さっさと封筒に入れて、宛先の面に「詠進歌」と書き、投函してきた。
勿論、このブログには書いてない別の一首だ。一人一首が限定で、複数応募すると失格となるので、思い直してもう一度別の歌を提出し直すことは出来ない。
こうして頭使って、想いと言葉をめぐらしたことに意味があると、自分に納得させて一週間の作歌の日々に終止符を打った。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
◆ 満10年となりました。 2016.05.07 コメント(2)
◆ 長年の便秘が治った様な爽快な気分。 2016.05.06
◆ 思い付きの出たとこ勝負 2016.05.05
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